Final Fantasy W
After story
第四十五話 〜凛然たる戦いへの叙曲〜
「テメェ達! ちったぁ落ち着けっつうんだよ!!」
ドスと凄みのあるその荒々しい声が、狼狽する盗賊達をぴしゃりと静めた――
『深淵』本拠地――最奥の間。
この建物が建造された当初は恐らく、宗教的な礼拝堂のような意味合いを持っていたのだろう――
ドーム上の室内の壁をよく見れば、精緻に刻み込まれた文様や不思議な獣たちの壁画で埋められており、
また天井にある天窓は、日中僅かの間だけ零れる陽の光を取り込み――今でも神秘性を失っていなかった。
……だが、現在では――どこから手に入れたのか、金細工が鬱陶しいほど目立つ玉座のような椅子を無理やり設置し、
そこかしこに手に入れた財宝を山のように積み上げ――冷厳なその部屋も俗物的な空気で汚れきってしまっていた。
そして、その玉座に座っている男こそ――うろたえる盗賊達を怒鳴りつけた男。
年齢は40後半といったところか――骨太な体に、粗野と粗暴という言葉を加えたようなその表情。
瞳は濁った黒――暴力的な光を宿し、自分ではさまになっていると思い込んでいる髭を顎に伸ばしたその男こそ――
数にものを言わせ、略奪と虐殺を繰り返す凶悪な盗賊団『深淵』の団長であった。
「なにをうろたえてやがる! てめぇらは簡単な数も数えられねぇのか!?
相手はたかだか少し――こっちの数は200以上! がたがたガキみてぇにブルってんじゃねぇ!!」
言って、玉座の肘掛を強く叩く――相当機嫌が悪いときの彼の癖だ。
人徳と言うより、彼の直接的な暴力によって統制されている盗賊達はびくりと震え上がり――だがしかし、
「け――けどよおかしら! オレ……聞いちまったんだよ!
き、北口に攻め込んできたやつらの中に――バロンの竜騎士と暗黒騎士がいるって話を!」
その言葉に――その場にいた全員が思わず、言葉を失い息を呑んでしまっていた。
バロンの竜騎士、暗黒騎士――盗賊達にとって、それはモンスターよりも忌むべき恐怖の象徴。
僅か数名ないしたった一人で、大規模な組織すら物理的に『壊滅』させる彼らはまさに厄災としか言いようが無いだろう。
彼らと相対するくらいならば、裸でオーガの群れの中に放り込まれた方がまだマシとでも言えばいいだろうか。
何せモンスターは、いくら危険とはいえ、その行動は捕食のためであり、獲物である以上逃げても追っては来ない。
しかし彼らは――自分達を殺すためだけに、地の果てまでも追い詰め、確実に殲滅を試みてくるのだ。
その飛翔は音速すら砕いて全てを切り裂いたリチャード・ハイウインドや、
その一撃で組織の建物のあった山そのものを消し飛ばした「混沌への回帰」の暗黒騎士団団長ガーランド。
誰にでも扱える『暗黒』――ただの衝撃波で砦すら粉砕したレオン・オルティニアや『鉄の尾』フラットレイ。
逃げる相手を後ろから切り裂くことさえためらいを見せない非情の男ガフ・ガフガリオンに、
相対したものの生気そのものを奪い、絶命させる『半妖』アセルス――
世代によってその恐怖の象徴は違えど、万人共通で暗黒騎士や竜騎士への畏怖を抱いているのは同じだった。
それは悲しいかな、先刻まで威勢よく怒鳴りつけていた団長ですら例外ではなく――
尻すぼみに消えてしまった気迫に、気まずい空気があたりに漂う――そんな時だった。
「――なぁに出会う前からブルってやがる。もっと気楽に構えてろって、がっはははははは!」
彼らのことを、豪快に笑い飛ばしながら入ってきたのは――筋骨逞しい禿頭の巨漢。
最高の傭兵集団『ブラッドバレット』リーダーを務めるゴルズ・アリトである。
彼はこんな状況の中、酒を相当呑んでいたらしく――吐息だけではなく、その全身から強烈な酒の香りを発していた。
「まあ、安心しろや。今リーウェイルとトムが、北の入り口の方に行ってるころだ。
……これでヤツらは北から侵入することは出来ねぇだろうよ」
「侵入……あ、相手は二人だけじゃないんだぞ!? それをたかだか傭兵二人で、止められるわけが――」
「止められるんだよ。……昨日の一件で、あいつらはオレ達の実力をきっちり見分けてる。見分けるだけの実力がある。
数でモノを言わせようにも、そこらのヤツじゃ束になっても4つ折りにされちまうっていうだけのオレ達の力をな。
だったら、攻め込んでくるなら少数精鋭……よほどのバカじゃなけりゃ、間違いなくそいつで攻めてくるはずだ」
「だ、だがヤツら、明らかに30人以上はいるって報告が――」
「少数精鋭が大群をカモフラージュするのは常套手段――あいつら、テロリストや盗賊相手に戦ってたんだろ?
だったら、逆に盗賊やらテロリストお得意の手段の一つや二つ――真似できてもまあ、おかしくはねえよな?
……ってもまあ、この考え方はリーウェイルからのまんま受け売りなんだがな! がっはははははは!」
臆病風など豪快に笑い飛ばすと言わんばかりに、破顔一笑するゴルズ。
しかし――生死の間をその力一つで潜り抜けてきた傭兵と違い、
ただ弱者を集団で襲うしか脳の無い盗賊達に取り付いた弱気さは、その程度では吹き飛ばず――
「で、でも……もしこいつらを撃退しても、本当にファブールが本腰入れて、オレ達の掃討に乗り出したら――」
「テメェ達ってのは本当、肝っ玉の小せぇヤツばっかりなんだな……ったく」
その言葉に――流石のゴルズも、少々呆れた表情になりながらも、
「その点に関しちゃ問題はねぇよ。……依頼主がファブールに、ちょっとした細工を仕掛けてるらしいからな」
「仕掛け……?」
「ああ――だからファブールはしばらく、こっちにかまけてられねぇよ」
「……大体のところ、作戦内容はわかったが……私はどうすればいい? 城に残って護衛を続けるのか?」
オルステッドの言葉に――しかしシユウは首を横に振ると、
「いえ……オルステッド殿は襲撃側に入ってもらっています。
襲撃の間――大僧正は私筆頭、他の傭兵達とファブール僧兵隊でしっかり護衛しますから
……もっとも――昨日の今日でまさか再襲撃を仕掛けてくるとは考えにくいですが……」
「万が一、ということもあるからな……」
言葉を引き継ぎ――ヤンは重々しく頷いた。
それを見つけたのは――見張り台にて四方を隈なく見渡していたモンク僧の一人だった。
彼は、見えたものに最初、我が目を疑い――目をこすり――呆然となり――
そして現実と認識し、叫んだ。
『敵襲! 敵襲!!』
非常用の伝声管を通じ――城の至る所にその声は響き渡る。
「慌てるな! 通達のとおり、僧兵隊は対侵陣形・乙を発動! 傭兵隊と協力し、迎え撃て!」
ヤンの口から、素早く――そして明確な命令が鋭く為される。
それは、万が一とはいえ、襲撃の可能性を予測していたのもあるし――
国王になる前はモンク僧兵隊の隊長として、自ら指揮をとり戦いに赴いていたのだ。
この五年――その采配は戦ではなく、治世へと向けられていたものの、
その年月は彼の戦いへの感性を鈍らせることは出来なかった。
……だが――
『だ……大僧正! 襲撃は……襲撃は、『深淵』のものではありません!!
ファブール城へと向かってきているのは……数千を超える……モンスターたちです!!』
「何だと……!?」
モンスターの襲撃――思いもよらぬ話に、ヤンは思わず聞き返していた。
襲撃は――昨日の今日とはいえ、可能性として予測はしていた。
しかしそれはあくまで、襲撃してくるのは人間――『深淵』だという大前提があった。
だというのに――この時期、この日――このタイミングに、モンスターの襲撃。
……偶然にしては、不自然すぎる。
さりとて、『深淵』とこのモンスター―― 一本の線でつなげてもいいものか――
思考の迷いは、しかし時間にして刹那にも満たなかった。
非常事態の際――最も必要なものは迅速な判断、そして的確な支持だ。
面食らっているのは、自分だけではない――そしてこの状況を動かせるのは、自分しかいない。
国を負うものとしての自負が――ヤンの心から、疑念全てをその時拭い去り。
「……ならば僧兵隊は対侵陣形・丙を発動! 傭兵隊を前面に出し、その援護に当たれ!
それから襲撃してくるモンスターの種族を一刻も早く解析するのだ!」
「……ならば、私はこの作戦において……一体何をするのだ?」
いい加減、オルステッドのことに何も触れないシユウに―― 一同全員が不審さを感じていた頃だ。
一同の視線を、一身に受け――シユウは若干の沈黙の後に、告げた。
「……今回の作戦……3つある入り口全てを同時に攻略し、うち北を陽動に使い、他の二つへの意識を逸らせる。
そして、他二つの入り口から侵入した『本命』に、盗賊団の団長……つまり依頼主を仕留めてもらい、
現在最も脅威となりうる『深淵』の戦力……ブラッドバレットを無力化してしまう。
同時、頭を失ったことによって『深淵』の組織としての力も解体……一気に『深淵』そのものを壊滅させる」
今まで話してきた、作戦の概要――突然にそれを口にしたシユウの真意を、推し量れるものがいただろうか。
しかし次の瞬間――彼は不敵な笑みとともに、自らの真意をその舌に乗せた。
「……以上のことを、『向こう側にそう思い込ませる』――それこそが、今回の作戦のもっとも重要な場所なんです」
「ラディ! これで……何人倒した!?」
ホーリーランスを軽く手元に寄せ―― 一気に横に薙ぎながら、カインは怒鳴るようにラディに問う。
胸元から槍に切り裂かれた盗賊数名は、血を噴出すことすら適わず光の粒と解け、カインの横顔を照らし出した。
「オレは25人……いえ、これで26人目です!」
振り下ろされた刃――盗賊にしては珍しい、ブロートソードの刃をナイフの柄で横合いから破壊し、
折れた刃を掴むや逆手に盗賊の喉を壁へと縫いつけ――ラディもまた、混戦の中返答を怒鳴り返す。
彼らの後には、累々と死体が転がっているが――誰一人として逃がしてはいないために、
結果として新しく迎撃に現れる盗賊達は二人の実力の真贋を見極めることも出来ず、むざむざやられに現れるのだ。
陽動としては、これ以上を望めない状況だと言えよう。
「――俺が40人……となると、これで……十分、当初通りの陽動にはなったみたいだな……」
「そうですね……」
瞬く間に、累々と屍の山を築き上げ――それでいながら息の一つも荒らすことなく、二人は呟く。
すでにその時には、先の通路から新たな盗賊達の足音が響いて向かってきていた。
ラディのつけている香の香りも、今になって考えてみればかなり役に立っている。
この強烈な香りに、屍の放つ強烈な血と死の匂いが見事にかき消され――
盗賊達は、向かわせている増援が全て、瞬く間に殲滅させられ続けているということに気付くことができないでいるのだから。
……だが――
「そろそろ、雑魚ばかり相手にするのも骨だ……ラディ」
カインの言葉に、頷いて――ラディは手早く、『ひそひ草』を縫い付けた手甲を口元へと持ち上げた。
「こちらラディ。……陽動の方は予定数を達した。だから――そろそろ第三段階に入ってくれ」
「――姉さん、今の聞こえた?」
「もっちろん♪ 私の耳はこう見えても地獄耳なのよ♪」
傍らのエルナの言葉に、ミレイユはウインクを返して――手元の糸を巧みに操る。
物陰に隠れながら、『糸』を操り――その糸を通じて発動させたサンダーで、
相手に自分達の姿を見られる前に気絶昏倒させ、すでにミレイユたちは南西の入り口から大分内部へと侵入してきていたが――
ラディの指示と同時に、二人は物陰から勢いよく飛び出し、その姿を盗賊達へと晒す。
「……! お前ら、いつの間に――」
「はいはい♪ 男にお喋りは似合わないわよ?」
誰何の声を上げる盗賊達に、ミレイユは魅力的なウインクを一つ返して――その手が勢いよく閃く。
まるで蜘蛛の巣のように、一瞬で糸は通路中に張り巡らされ――
「まばゆき光彩、刃となして地を引き裂かん――サンダー!」
瞬間――稲妻は光の網となって、その場にいた彼ら全員を痺れさせてしまっている。
無論、相当に手加減はしてある――『糸』を使ったことにより、魔法の威力は格段に高くなってしまっている。
普通に放っていても、ここにいる全員を消し炭に変えかねないだけの力があったことを、盗賊達は知らないだろう。
ただ、動かなくなったその体を横たえ――唯一動く目が、その美しい侵入者達のすることを見ているだけしか出来ない。
「じゃ……エルナ、アピールは盛大に、華やかに……いきましょっか♪」
「悪くないわね……だったら――」
侵入者のうち、小柄な女性――いや、まだ少女と言ってもいいだろう、亜麻色の髪の少女。
彼女が手早く白衣の下から取り出したのは、一冊の本――開き、中身に手を滑らせる。
するとそこから、無数の文字が――いや、文字のように見えた小さな何かが溢れ出し、縦横無尽に飛び回る――
「ミレイユさんの♪ ドキドキ30秒クッキ〜ング♪
これさえ知ってれば、明日の夕食の献立が一品豊かに♪ 主婦の味方のみ〜ちゃんさんっと♪」
一方――長く豊かな蜂蜜色の髪の女性の手から放たれるのは、きらきらと輝く糸。
それらは宙で先刻の本から飛び出した小さな物体と触れ、離れ、交錯し――幻想的な光景を作り出す――
「今回のポイントは火力―― 一気に焼き色をつけるときは、炎じゃなくってやっぱりこれよね――ってことで♪」
宙に浮かんだ、巨大な球体――光と糸で複雑精緻に編み上げられたそれに、すっと二人は手を翳して。
『我らが真言は神の息吹! “堕ちたる種子”を開花させ――秘めたる力を紡ぎだす!』
瞬く青鋼玉、冴える琥珀――二人、不敵に微笑んで。
滅び誘う、女神の美しさで――彼女達は言葉を紡いだ。
『美しき 滅びの母の力を――誘いて集え 蒼空の霹靂』
瞬間――目もくらまんばかりの凄まじい光が、何もかもを飲み込んで――
山の岩肌を砕き、屹立した一本の柱――天を突かんとする雷光の柱。
サンダー系最大の魔法であるサンダガでさえ、この柱の前では糸のように細く、力の無いものだ。
それほどにこの柱は力強く、雄雄しく――外からでもはっきりと、それを見て取ることが出来た。
まるで罪人を裁くために神が落とした、断罪の槍――その輝きに、目を細めて。
「……始まったか」
気配を絶ち、潜んでいた赤銅の輝き――オルステッドはゆっくりと、木陰から立ち上がる。
すでに発生した混乱に、辺りにいた見張りは誰もいなくなっていた。
「『思い込ませる』……?」
「ええ。……他の二つから入ってもらう、お三人方も――実際には陽動に当たって欲しいんです。
本来の本命である、オルステッド殿の突入を気取られぬよう。
向こう側は北の襲撃が本来のものだと思っていても、陽動だと知っていても――
南東と南西の二つから、まさか派手な行動を起こすとは思っていないでしょう。寝耳に水、情報の混乱と統制の乱れが生まれ、
ブラッドバレットもその戦力をどうしても団長のそばから離さなくてはいけなくなったときに――
本命であるオルステッド殿に突入してもらい、一気にカタをつけてしまうんです」
(陽動……つまり人の目を惹き、混乱を拡大させるようなものか……)
通路を一人、侵入者とは思えぬほどの落ち着き払った歩みで進みながら――クレセントは顎をしゃくる。
すでに張り巡らせた冷気は放っていない――よほどの馬鹿でもない限り、じきにこちらにも盗賊達が来るだろう。
実際、冷気を解除して数十秒――手に凶器を携えた盗賊達が、クレセントの姿を見て叫びをあげる。
「なっ……テメェ、一体何者だ!?」
しかし、その言葉には答えず――クレセントはただ、陽動に最もあった手段の検索に没頭している。
その反応をどう勘違いしたか、舐められたと思った盗賊の一人がナイフを振り上げ、無謀にもクレセントに斬りかかる――
「シカトぶっこいてんじゃねぇよ、この甲冑野郎が――!!」
「――気が散る。少し……黙っていろ!」
瞬間、クレセントの蒼氷色の瞳が盗賊のそれを射抜き――
次の瞬間、盗賊の全身が何の前触れも無く突然炎に包まれた。
詠唱無しで発動した『ファイラ』――火焔に包まれ、盗賊は苦痛と灼熱間に絶叫を放ちながら辺りを転げ周り、
しかしやがてその奇怪なダンスも奇妙にねじくれた形のまま、止まり――炎の中にゆっくりと形を崩していく。
その非現実過ぎる光景に完全に呑まれた残りの盗賊達へ――クレセントはやはり同じように、一瞥を向けて。
炎が、氷が、稲妻が――至る所から発生したそれらが、彼らの命を造作も無く一瞬で奪っていく。
「……ふむ、そうか」
と、そこでようやくクレセントは名案に思い当たったのか――盗賊達の屍を呑む炎の照り返しを受ける中、
ゆっくりと呼吸音を整え、その眼前で複雑な手の印を結んでいく――
「我は焔の熱き輝きの理を知る者。我は水面に浮かぶ真の姿を観る者。
我見る先風つねに路を開き、我感じる処地の流れ善く流れる。
我は全てを知る者。我は全ての理を知る事を許されし者なり。
我が声届きし一切、速く聞け。我が名を。――我、我が名を以って今ここに異界の扉開く」
……やがて、別の区画からやってきた盗賊達がクレセントの姿を見つけ――彼を包囲するように取り囲む。
しかしそれを気にした様子も無く、クレセントはそのまま詠唱を続け――
「我が名知りし者は我を敬い、畏れよ。我は大いなる月の代行者。我が名は闇を統べし者――吽」
クレセントが眼前で印を結んだ瞬間――彼の頭上に現れた異界の扉。
初めて見たそれに、盗賊達が警戒し、かえって襲い掛かって来れないことを利用し――クレセントは詠唱を再開した。
異界召喚――今までそれは、単に破壊力だけを優先する形で召喚の相手を決めてきた。
しかしこの場合、この局面で必要なのは単純な破壊力などではない。
建築物と言う状況――それも前の地下水脈のときと違い、自然の山を人工的にくりぬいて作った不安定な施設で、
下手に破壊力だけを優先する召喚獣など召喚してしまっては――最悪、施設の崩落すら有り得るのだ。
それでも恐らく、クレセント自身が死ぬことはありえないが――ミレイユやエルナ、ラディたちはそのまま死んでしまうだろう。
それでは何の意味も無い。
敵の目を引くほどに派手で、混沌として――そしてなおかつ、洗練された破壊力を持つものを――
「――その賢識堕ち、その良識呑まれ、その肉の器はすでに亡く。
その瞳には狂気、その頭蓋には奸智、その身流れるのは血潮に非ず――混沌脈打つ異形の器。
心に不屈・その手に名刺――仮面をかぶるは企業人。人の業に縛られるを嘲笑うは、人を歪めた皮肉の道化――
異なりし世に狂う、謹直なる狂人よ! 働け――異界経営士『ソルジャッシー』!!」
クレセントの詠唱が、高らかに響き渡ったその時――異界の扉から現れたのは、一つの大きなブリーフケース。
てっきり、なにか強大な魔法でも詠唱していたのかと思っていた盗賊達は――思わず眉を潜め、クレセントの真意を探ろうとする。
だがしかし、彼らはクレセントの真意を推し量るその前に――
「おっはよぉぉぉぉぉぉぉぉぉございまぁぁぁぁぁぁぁすッ!!」
緊迫したこの状況を粉々に打ち砕くようなエキセントリックな声が響き渡ったのはその時だった。
と、同時に――転がっていたブリーフケースが突如ひとりでに開くなり、そこから一人の男を吐き出したのだ。
一体、どこに入り込んでいたものか――たっぷり2mはある、肩幅の広い長身の男。
ぴしりと伸ばした背筋を覆う、のりのきいたビジネススーツ――セットされた髪に、フレームの輝く眼鏡。
どこからどう見ても、企業のビジネスマン姿――つまり、この世界においては奇妙極まりない格好である。
「ガウディウムに終身雇用を誓い、雨にもマケズ、風にもマケズ! いつもスマイル営業奔走!
タイム・イズ・マネーゆえに48時間休まず働き、異界と外界の明日を担う異界コンサルタント!
ガウディウム新凱将・外界侵食推進事業部部長ソルジャッシー――辞令により只今より業務に当たります!!」
……と――そこまで早口でまくしたてるように、男――『ソルジャッシー』は叫んで。
呆然と、自分を見つめる盗賊達の視線に――彼はようやく、そこで気付く。
……と、同時に――
「オウッ! アン・ビリィィィ・バボォォォォォォッ!?」
「!?」
唐突に頭を抱え、懊悩し始めた『ソルジャッシー』に――盗賊達の間の方にこそ、動揺が広がる。
しかし彼は自分以外がまるで目に入っていないかのような大仰さで苦悩を表現するや否や、
「この私としたことがッ!! 初めての方に自己紹介もせずに業務に当たろうとしてしまうとはッ!!
こんなことでは私はサラリーマンとしては失格!? ミステイク! ミス・テェェェェェェイクッ!!」
頭を掻き毟ってわめき散らす『ソルジャッシー』を――しかしただ一人、落ち着いた表情で見つめるクレセント。
……いや――若干、ほんの若干だが――その口元に苦い表情が浮かんでいたのは気のせいだったろうか。
が、そんな傍観者達の思惑など、本当に微塵一切気にせず――唐突に立ち直るや否や、
懐から櫛を取り出し、乱れた前髪をセットしなおし、コホンと咳払いを一つすると――
「私としたことが、少々取り乱してしまいました。
……私、48時間働く異界コンサルタント・ソルジャッシーと申します。以後、お見知りおきを」
いつの間に移動したのだろう――?
立ち尽くしたままの盗賊の一人のそばに、いつの間にか立っていた『ソルジャッシー』――
懐から一枚の名刺を取り出すなり、非の打ち所も無い正しい作法にのっとってその名刺を差し出す。
完全に状況に飲まれてしまった彼は、なんとなくその名刺を受け取り、しげしげと眺める。
そこには全く見たことも無いような文字が並び――書いてある内容を推測することすらできそうになかった。
……と――『ソルジャッシー』はそこで、眼鏡を押し上げるなり、その盗賊の全身をまじまじと観察し――
「私、あまり取引先の相手にけちをつけるようなマネは致したくないのですが……。
何なんですかその格好は!? 服装が才能に関わりの無いものであるのは事実だとしても、
ビジネススーツはサラリーマンにとって社会と言う戦場を生き抜くための鎧ッ!!
……だというのに、アナタのその格好はまるでなってない! なっていなぁぁぁいのですよ!!」
言うなり、『ソルジャッシー』は盗賊の鼻先にびしりと長い人差し指を突きつける。
そしてそれは、唖然となった彼の全身至る所を指摘するようにあちこちを指し示し――
「その猫背! 貧乏ゆすりの癖! 覇気の無い瞳! あああぁぁう……なんと嘆かわしいッ!
こんなことでは48時間働く企業戦士にはとてもなれません! 荒波に呑まれて混沌の餌になるだけです!
今まで数々の異界を見てきましたが……まさかここまで軟弱な異界が存在しているとは……私は非常ォォに嘆かわしいッ!!
いいですか!? そもそも企業人にとって、営業スマイルとはいわば挨拶と同じ礼儀なのです!
そんな汚らしい無精ひげなど生やして、子供のようにすごんでいる場合などではありませんッ!
よろしい、ならば今日は私が貴方達に企業人のあり方というものを教えて――」
「ふ――ふざけたことぬかしてんじゃねぇっ!」
……どれだけ、奇特なものでも――時間がたてばやがてはその奇怪さも薄れてくる。
ここにきてようやっと、現実感と冷静さを取り戻した盗賊は――突きつけられた指を手で弾きとばす。
「調子に乗りやがって――ぶっ殺してやる!」
そのまま、逆手に構えたナイフを、目前の軽薄な男へと振り下ろし――
しかしナイフが切り裂いたのは、むなしくも何も無い虚空。
そしてその時には、『ソルジャッシー』は見た目からは想像もつかない身の軽さで一転、盗賊から離れた場所に着地している。
「アン・ビリィィ・バボォォォッ! 礼儀を守らないだけではなく、まさかそのような凶器を差し向けるとは!?
サラリーマンにとって肉体は資本・顔は生きた名刺だと言うのに!? まったくもって嘆かわしいッ!」
いつの間に取り出したのだろう――沢山の鍵のついたキーチェーンをくるくると指の中で振り回していた『ソルジャッシー』だが、
やがて彼はそのうちの一つをブリーフケースの中に会った金庫の一つへと差し込む。
小さな音とともに、金庫は開き――そこから取り出したのは、数十枚はあろうかと言う名刺の束――
「ならば仕方ありません。企業人としてのあり方――あなた方には実践にて教えて差し上げましょう!」
瞬間――『ソルジャッシー』の手が閃いたときには、名刺は盗賊達の間をすり抜け――壁に。
正確には壁に描かれた、奇妙な姿の空想の怪物たちへと吸い付くように張り付いて――
「辞令! モンスター・キメイラスト! 本日をもって、新人育成抹殺部に配属を任命ず――業務開始!」
瞬間――何かが、もがれる音。
ふっと、その音の発生した方向に全員が振り返って――そして、見た。
壁のそばに立っていた、一人の盗賊――彼だけが、発生した音に対して何のリアクションもしていない。
なぜなら、振り返ろうにも、驚愕しようにも――その顔が上半身ごと、何かに食いちぎられていたのだから。
そして、盗賊の体を咀嚼し、うなっているのは――壁に描かれていた、獅子の体に鳥の頭をした異形の化け物。
名刺の張り付いたそれは、まるで水面から飛び出すように二次元から三次元の世界へとその身を引きずり出す。
それにつられるようにして、他の異形たちも――次々にその姿を、壁から通路へと現して。
一番最初に飛び出した怪物が、さくらんぼの種を飛ばすようにして吐き出した、盗賊の頭部が転がったとき。
そろって、異形たちは盗賊達に襲い掛かり――阿鼻叫喚の地獄絵図が誕生した。
「ふむふむ……おお、これはベリィ・ベリィ・テイスティ! なかなかに美味な恐怖ではありませんか!?」
異形の一つ――首の無い巨大な巨人の肩の上に立ち、『ソルジャッシー』は恐怖に逃げ惑う盗賊達を見下ろす。
その眼鏡の奥の瞳は、理性と真逆――滴り落ちるような濁った輝きに恍惚とさえなりながら早口でまくしたてる。
「あなた達は企業戦士としての才能はナッシングですが、混沌のエサとしては非常に魅力的な味の持ち主ですね!
なるほど、職業に貴賎はない……私としたことがすっかりこんなことも忘れていたようです。
さあ、そのままキメイラストたちに恐怖と! 絶望と! 諦めを抱いて苦痛の中に果ててください!
そうすれば、極上の味となってあなた方は混沌を育てるための貴重な血肉となれるのですから!!
パーフェクツ! 私の業務はやはり抜かりなしッ! キメイラスト、残業手当は出します、きりきり働きなさいッ!」
その言葉に――理解できたのかは不明だが――怪物たちは盗賊達を追い詰め、新たな獲物を探して本拠地内を走り回る。
出合った盗賊達をその牙の犠牲にし、食い殺し、それは恐怖の象徴となって本拠地中を駆け巡り、混乱と混沌が広がる――
そしてその中を一人、クレセントはゆっくりと最奥への歩みを再開する。
悲鳴と怒号、肉を引き裂き、血の噴出す音が響く中――それでも彼の静謐さは、不気味なほど乱されることは無かった――
「3方向全て、無視できないほどに暴れまわれば――ブラッドバレットはもう、団長の近くで戦力を温存できないでしょう。
ブラッドバレットは判っていても――雇っている盗賊達側が、正気を保っていられないはずです。
後は本命であるオルステッド殿が、団長を仕留めるもよし。陽動に回っているあなた達が仕留めてくれてもよし。
罠を罠と看破していても、彼らは対処の仕様が無い――ブラッドバレットが3人しかいないこと。これが彼らの、唯一の弱点です」
――今や動揺と混乱は、『深淵』本拠地の至る所に蔓延していた。
南西に突如屹立した、謎の雷光の柱――
南東では異形の化け物たちが突如現れ、獲物を求めて今も本拠地内を走り回っているという。
そして相変わらず、確実にこちら側へと近づきつつある、北側の暗黒騎士と竜騎士――
――何故、襲撃者を撃退しにいかない。
そんな言葉を含んだ針のような視線が、ゴルズの全身に突き刺さる。
もっとも、ゴルズからしてみれば――そんなものは正に『痛痒に感じない』やっかみ程度でしかない。
だからあえて何も気にせず、手にした酒をあおるようにして飲んでいたのだが――
「な……何をぼさっと酒なんぞ呑んでやがる! とっとと襲撃者を倒しにいかねぇか!!」
恐怖と混乱に揺れながら――部下のいる手前、逃げるわけにも行かない――
そんな情けない心理を隠し切れず、まるで子供のように頼りなく上ずった団長の言葉に。
「へいへい、判った判った……っと」
意外にもあっさりと――ゴルズは頷き、立ち上がった。
その淡白ぶりに、逆に呆然となっている団長達のほうを振り向くなり、悪童のようににやりと笑う。
「じゃ、オレは南東の方を押さえてくるから、自分の身は自分で守るんだぜ?」
「え? あ、ああ……あ!? ちょっと待て、残りの二人が北に行って、お前が南東……。
じゃあ南西の方のヤツは――」
「そっちには『あいつ』が行ってる。……心配するな、実力の程は知ってんだろ?」
『あいつ』とは一体、誰を示すのだろうか――
どうやらゴルズ、そして団長には思い当たる節があったらしい。
とてつもなく微妙な表情――信頼と公開、後ろめたさを足して苦虫を噛み潰したような団長の表情に、
ゴルズはますます意地の悪い笑みを浮かべると――
「ま、安心しとけって。……オレ達がいる限り、あいつらはここにはたどり着けねぇ。そいつぁ保障できるからなぁ」
そう言って、彼は壁に立てかけてあった長大なハードケースへと近づいていく。
「……それは何だ?」
「あ? ……ああ、オレの武器だよ。中身はまぁ、企業秘密だが……。
あいつら相手にメルトドウゲン程度じゃ、役にたたねぇだろうからなぁ」
まるで墓石すら連想させるその巨大なハードケースは金属製。
それもまるで血のように赤い色をしており――彼らの二つ名もあって、
まるで今まで屠ってきた相手の血で染め上げたような禍々しささえ漂わせていた。
「リーウェイルやトムの武器もそうだが……こいつらは昔、ルゲイエってジジィに雇われたときの依頼料代わりでな。
ま、かなり胸くそ悪ぃ依頼だったが……この機械仕掛けの武器をくれたことに関しちゃ、いいジイさんだったぜ」
シニカルな笑みをニッと浮かべて――重量のありそうなそれを軽々と担ぎ、背に負う。
そして彼はまるで、行きつけの酒場にでも脚を運ぶような軽い足取りで、部屋を後にしていく。
彼の逞しい背を、惜しむように見つめ――まるで親に見離された子供のような情け無い様子で、団長は天井を見上げる。
そこにあった小さな天窓から、丁度よく磨きこまれた満月が、煌々と柔らかな輝きを投げかけていた。
「……私が、本命だとして……ならば私は、一体どこから最奥へと侵入するのだ?」
「オルステッド殿には――この3つの入り口ではなく、直接に最奥へと突入してもらいます」
「直接……?」
「……ええ。つまり――」
長いこと、待機していたために――すっかり全身の筋肉が硬くなってしまっている。
オルステッドはその場で軽く、自分の体をほぐして――瞬間、鞘から剣閃迸った。
一瞬の、間をおいて――今まで自分を隠していた巨木は、ずるりと音も無く横に滑り、音を立てて倒れていく。
その横薙ぎの一閃には微塵もの迷いも停滞も無く――巨木の断面は、まるで大理石のような滑らかさを保っていた。
それを確認し――オルステッドは一人、小さな笑みを浮かべる。
……それは、彼に敵対する者全てが震え上がってしまうほど禍々しく――冷たさに満ちた、不敵な笑み。
それをいつもの冷徹な仮面に隠し――軽く足場を固めると、オルステッドは小さく呟いた。
「――ジャンプ・ショット」
瞬間――彼の周りにあった木々は爆発でも起こったかのように放射線状に薙ぎ倒され、地面は大きく抉れている。
竜騎士と同じ――己の精神力だけで自らを支え、音さえ超越する速度で飛翔したオルステッド。
しかしその食い破るような猛進は、何の前触れも無くぴたりと止まり――宙に浮かんだまま、彼は下を見下ろした。
僅か数秒で、山の頂上さえも見下す高みに上り詰めた彼の目に映る、盗賊達の混乱――悲鳴――恐怖。
こうしていると、まるで蟻のよう――軽く手を伸ばすだけで、簡単に潰れてしまいそうだった。
空には静寂、地上には混沌。
その狭間で、オルステッドは何を考え、何を感じたのだろうか――?
しかし感慨に浸っていたのは僅かな刻に過ぎなかった。
月光に、澄んだ輝きを返す聖剣・ブライオンを手に――彼は中でゆっくりと、その体勢を180度入れ替える。
剣を支点に、逆立ちするようなその格好のまま――射抜くもの全てを凍砕しかねない凍えた赤銅の眼差しが見つめたのは。
「――スピンドル」
瞬間――彼は宙を蹴り、その体を残像が生まれるほど高速で回転させながら――音の領域を侵し、地上へと突撃した。
凄まじい轟音とともに――砲弾のようにそれが現れたのは、丁度その時だった。
全員が、唖然となって言葉を失った中――まるでその光景は、微速度映像を見ているようなほど、繊細で。
砕け散り、月の光に瞬いた天井の天窓の硝子――そしてそれを纏うようにしてその場に着地した、男。
宵闇色の甲冑を纏い、輝く聖剣を片手に――幽鬼のような圧倒的な気迫を湛えた、その男。
金髪の髪の下――冬の嵐のような厳しさを湛えた赤銅の双眸が、団長を真正面から射抜いている。
きらきらと、舞い散った硝子の欠片が輝く中で――時間は急速に動き出し、男――オルステッドは呟いた。
「……お前が……『深淵』の団長か」
「この最奥の間に開いた天窓――空中から、オルステッド殿には奇襲をかけてもらいたいのですよ」
次から次から沸いて出る盗賊達を全て葬りながら、走り続けたラディとカイン――
最終的には全てが最奥に繋がっているとはいえ、宗教上の理由かまるで迷路のように細かく枝分かれした通路。
稚拙とはいえ盗賊達のトラップ、そしてゴキブリのように大量に現れる盗賊の増援。
掃討任務で何度もこなしたことはあるとはいえ――精神的に少し滅入ってきていたのは否めない。
「フッ……どうしたラディ。ずいぶんと動きが減ってきたじゃないか」
「そういうカインさんこそ……段々と盗賊への攻撃が単調になってきてますよ?」
軽く憎まれ口などを叩いて、ストレスを発散させながら――彼らはそれでも休まず、突き進む。
……その視界が、急に開けたのは――それから程無くしてのことだった。
今までの通路とは違い、そこは丁度、ドーム状の天蓋をもつ部屋となっており――広さは10m四方といったところか。
その部屋の手前で、まるで支流が集って大河となるように――これまでの全ての通路が繋がり、一本の道に戻っていた。
最奥の部屋に雰囲気は似ているが――二回りは小さく、そしてここに団長はいない。
この施設には、最奥までの道のりの間に、このような部屋を必ず通らなくてはならなく――
言い換えてみれば、この部屋に到達したと言うことは――それなりに奥まで侵入したということでもある。
そして――そんな部屋の中心に、その男は立っていた。
まるで自分の部屋だと言わんばかりのさり気なさで――しかし、決して無視できない存在感で。
長身痩躯、エキゾチックな浅黒い肌に、美の神の化身と言わんばかりの美貌の男――リーウェイルである。
バーテンダーの時には優しさを湛えていた黒曜石の瞳を、しかし今は穏やかな中に、研ぎ澄まされたものを感じさせ。
現れたラディとカインに、真正面から相対するリーウェイル。
その格好は、あの時とは違う――血の色を思わせるような、機械を思わせる甲冑に全身を鎧って。
……だが――二人は、彼の格好の違いにも、いや――彼がそこにいたことにさえ、何の言葉も漏らさなかった。
たった一度、互いに目配せをして――そしてそのまま、トップスピードで獲物を構え、リーウェイルへと疾走する――
彼の扱う針のその鋭さと速さは、とかく尋常ではない。
瞬きをした間に――この男なら軽く1000回以上、その肉体に致命的な一投を与えられるだけの速さがある
まさに刹那の一瞬さえもが、この男と相対したときには惜しいのである。
だから、言葉さえなく――二人はリーウェイルへと疾駆したのだ。
戦うためではない。
出来るならば、戦わず――この男を振り切って、最奥へと一気に先を目指したい――
ならばその手段は一つ。この男が戦闘態勢を整える前に一撃を加え、それで傷を負わせられるならそれでよし。
負わせられないでも、体勢を崩したその隙に、一気に駆け抜けるだけの余裕が生まれる――
そこまで考えての行動だった。
――そしてリーウェイルの方も、彼らの行動を全て予測していた。
だから――凄まじい気迫、そのまま壁となって押し潰さんとばかりに猛然と迫る蒼と黒に、薄く微笑して。
「…………ここから先…………行かせはしない」
やはり鍛え方の違いか――ラディより一歩、先行する形で疾走するカイン。
極限までの集中が見せる、擬似的な時間の「遅延」は――リーウェイルの行動を余すことなく捉えていた。
その両手をただ、目の前に翳し――自分達へと、向ける。
だがその手には針は無く――どう考えても、意味のある行動とは思えないのに。
リーウェイルの微笑は、よりいっそう強さを増して――
次の瞬間、『それ』は起こった。
彼の装着している、血の色をした甲冑――その装甲が至る所でスライドして。
瞬間――カインへと、大量の針が一気に襲い掛かってきた。
――リーウェイルの全身から放たれた針が。
「――ッ!?」
完全に、虚を突かれ――しかしそれでも疾走を止め、咄嗟にホーリーランスを旋回させて針を叩き落したのは流石である。
しかしそれでも、その針の全てを叩き落せたわけではなく――うち数本が、彼の鍛え上げられた体に突き刺さった。
急所は腕などでかばっているため、致命傷には至らないが――数センチ以上深く刺さり、灼熱感に似た激痛に顔を歪める。
そして、進撃を見事に止めたことに――リーウェイルがその確信的な微笑を一層強めた――しかし、その時だった。
重量ある、しかし軽やかな着地音はリーウェイルの後方から――
「………………――!?」
「行け――ラディ! そのまま走れ!!」
カインが咄嗟に急ブレーキをかけ、体勢を低くしてホーリーランスを旋回させた、あの瞬間――
ラディはカインの体を踏み台替わりに跳躍し――リーウェイルの頭上高く飛び上がり、
結果として見事に彼を出し抜くことに成功していた。
そしてカインも、ラディがそう動くことを確信し――あえて針をかわそうとせず、その場で食い止めたのである。
その息の合ったコンビネーションは、往年のセシルとカインを想起させる鮮やかなまでの手並みだった。
リーウェイルは慌て、後方へと視線をめぐらせ――だが体勢を向きなおしはしなかった。
何故ならその背後――背から肩甲部にかけての装甲が開くやいなや、そこから無数の針がラディに迫ったからだ。
しかしそれは、すでに部屋を飛び出し、通路へと走っていったラディごと、闇の中へと溶け――
そして彼の靴音は停滞することなく、一秒ごとにだんだんと遠ざかっていった。
「…………己を犠牲にして、先への道を示す…………なるほど、大した覚悟のようだな…………」
ラディへの追撃をあきらめたらしい――リーウェイルはゆっくりと回頭し、カインへと改めて向き直った。
しかし――カインはそのリーウェイルの言葉に、フッと笑みを零すと――
「……覚悟などしてはいないさ」
その身に刺さった針を引き抜き――ラディから手渡されていたハイポーションを直接傷へとかける。
焼けるような痛みは、一瞬――槍を旋回させ、構えを取ったときにはすでに、激痛は完全に消え去っていた。
「残念ながら俺は、お前の犠牲になってやる覚悟などしていない……お前を倒し、後から追いかけるだけだからな」
「…………それを聞いて安心した。……私も、死の覚悟などした相手と戦っても…………面白くないからな」
二人とも、互いの言葉に笑みを返す――それは、死闘という極上の遊戯に身を捧げた、狂気とも取れる男達の笑み。
全てを貫く、苛烈なまでの鋭い気迫――そして全てを射抜く、研ぎ澄まされた冴え渡る気迫。
それらは本人達より先に互いぶつかり合い――室内だと言うのに気流は乱れ、微風が互いの髪を靡かせていた。
「それがお前の、本来の戦い方か……」
「…………開発コードネーム『ヘッジホッグ』…………ドクター・ルゲイエの製作した武器の一つだ。
甲冑の全身に…………総計千のニードル射出機構を搭載……装着者の操作に合わせ、全方位への攻撃を可能とする。
射出されたニードルは…………月の技術……今で言う『バブイル・ウィズダム』を応用した技術によって、
標的に刺さったもの以外を自動的に回収…………再びこの甲冑へと再装填される。つまり……弾切れすることは無い」
リーウェイルの呟きのとおり――カインの引き抜いた針はいつの間にか足元から消え去り、
僅かに残った血の跡だけがそこに存在していたことを主張するだけである。
「……もっとも…………操作方法は非常に難解を極め…………その真価を発揮することは、普通ならば出来ない」
「だがお前にはそれが出来る――とでも言うつもりか?」
カインのその言葉に――リーウェイルは薄く笑った。
だがそれは言葉よりも遥かに能弁に――カインの言葉を肯定している。
全身の装甲を開き――さらにその手に指に、数十本の針を挟み構えて――リーウェイルは静かに、呟く。
「…………カイン・ハイウインド…………『蒼い稲妻』……。その噂は何度も耳にした…………。
音を上回るその『速さ』…………だが、その程度の『速さ』で……私の針からは逃れられない。
『ブラッドニードル』リーウェイルの…………私の、光の針の前には」
一方――月の技術の結晶・まぎれなく世界でもっとも優れた槍である光の槍『ホーリーランス』をそっと構えて。
体勢をやや、落として――構えたカインのその瞳は、まるで超新星のように強く瞬きを放っていた。
「光の針……面白い。ならば俺は――お前の針を真正面から貫き、突き進むだけだ」
一瞬の、静寂――嵐の前の、それは転瞬、爆発して――
「――いくぞッ!!」
「…………任務開始」
瞬間、千の光の針――そして全てを貫く光の槍が、己が速さを競い宙を席巻した――
「……お前が……『深淵』の団長か」
その瞳に、温かみは無く――その言葉にはさらに、氷の剣の切っ先のような冷たさと鋭ささえあった。
そして――オルステッドの言葉に答えるものは誰も無く――返答を期待していたわけでもない。
オルステッドは全員へと視線を巡らせ――状況を把握し、改めて目前の男が団長であることを確信した。
……と――
「……その剣、その髪……そ、その眼……ッ!?」
空から侵入してきたオルステッドを凝視していた盗賊の一人が――何かに気付いたように、上ずった悲鳴を上げた。
「間違いない……暗黒騎士団のオルステッド……ま……『魔王』ッ!!」
「!?」
『魔王』――その言葉は一瞬で動揺の波紋をその場の全員に投げかけ、そして全員が最初の一人と同じ表情になる。
それはすなわち――恐怖。
「魔王……魔王オルステッド!?」
「ウソだろ……そんな!?」
「オ……オレはまだ死にたくねぇ! 死にたくねぇよ!」
「に、逃げろぉぉぉぉっ!!」
盗賊達にとって、災厄の代名詞とも言うべき暗黒騎士――その中でも凄まじい力を持つ『魔王』。
その二つ名を耳にして、立ち向かおうなどと考えるのはただの狂人でしかない。
その場にいた全員が―― 一人、団長を見捨てる形で部屋の出口へと疾走する。
――だが。
「逃がすわけが無いだろう」
その声は――悲鳴と怒号の混沌の中で、いやなほど静かに響き渡って。
「レイザーソニック」
瞬間、オルステッドの剣が凄まじい速度で宙を薙ぐ――それは真空の刃の嵐となって、盗賊達の間を駆け抜けた。
連続する湿った音――なにかのぶつかる、響き。
真空の刃に斬り裂かれ、吹き飛ばされた――盗賊達の腕や首だ。
そして美しい切断面を見せたまま、体だけが走り続けようと試みて――互いにぶつかり合い、揉みくちゃになって倒れる。
瞬間、凄まじい勢いで噴出した血液に彩られたそれは――地獄のオブジェのように禍々しく、むしろシュールささえ感じさせた。
むっと匂う血臭――霧が立ち込めそうなほどに吹き上がる血の中で。
ゆっくりと、剣を構える『魔王』に――団長は一体、何を見たのだろうか?
完全に、その瞳からは戦意は無く――恐怖に逃げることも出来ず、ただ涙を浮かべ、言葉にならないうめきを上げる。
「た……助けて……い、命だけは……助けて……お、お助けを……」
その姿は――とても今まで、これだけ多くの盗賊を率いてきた男だとはとても信じられない。
だが、彼らのような類の人種は――基本的に皆、変わらない。
自分より弱い相手にはどこまでも高圧的に――自分より強い相手にはどこまでも卑屈になれる。
そして