Final Fantasy W 

 After story

 

〜第四十話 長かった一日の終わりに(夕刻)〜

『茶』。

お茶の木と呼ばれる樹木の芽や葉を乾燥させたものを湯に煎じた飲み物であり、

その乾燥の手法や発酵の違いによって様々な色や香り・味わいの違いが生まれる奥深いものでもある。

そして――世界各地でそれぞれに独自の成長を遂げたこの茶文化のルーツを辿れば――このファブールに到達する。

ファブールは、その歴史を紐解けばすぐ判るように、宗教国家としての対面だろうか――あまり他国と交易をせず、

少し前まではあまりその詳細を知られていなかった国だということを考えれば、興味深い話ではある。

あの鎖国国家であったエブラーナもまた、茶文化が生活に結びついた国家であることがすでに周知の事実だが、

そのエブラーナの『茶』でさえ――その歴史を見る限り、やはり原典はファブールにあるのではないかといわれており、

この事が事実ならばエブラーナの歴史そのものが揺るぐ大発見になると、歴史学者たちも今この『茶』に注目している。

そんな、『茶』の本家本元であるファブールだからこそ――この国独特の『茶』がやはり存在していた。

茶の木以外にも、様々な樹木の芽や葉などをブレンドすることで独自の風味や味を生み出したのである。

五年前の騒動以降、各国での交流が盛んとなり――だんだんと身近な存在となってきたこのファブール。

そのため、全国の茶好きにとって、ファブールはもっともトレンディな場所となりつつある。

そして当然、その波――いい稼ぎ時のチャンスを、ファブールの商人たちが見逃す理由は無かった。

ファブール商業区の一角――そこに、喫茶店が集中して立てられている場所がある。

「混沌」の言葉似合うこの商業区で――そこだけは唯一、ファブール本来の静謐さが漂う場所。

それは喫茶店という店の方向性上、流石に露店経営で営業するわけにも行かず――

結果としてその限られたスペースを優雅に利用しているというところから生まれてくるものなのかもしれない。

また、他の場所とここの『ギャップ』が、商業区の魅力の一つとなっているため、どれだけ狭苦しい思いをしても、

この喫茶店の区画にだけはどの商人も領域を侵して商売しようとは思わなかったというのもある。

結果、和やかな雰囲気の喫茶店が集中しており――「一息」入れるのにはうってつけの場所だろう。

もしくは、憩いの場か――雰囲気やムードを重視したいカップルなどにも人気の高いスポットだった。

……この区画の、やや商業区よりに店舗を構えた喫茶店もまた、そんないい雰囲気を持つ店の一つである。

ただ、他の店舗と違って――他の店舗が基本的に屋内で喫茶店を経営しているのに対して、

この店はいわゆるオープンテラスとなっており――どこかゆったりとした開放的な雰囲気を漂わせている。

道に露店を開いていないということから生まれた、空間的贅沢の特権であろう。

だからこの区画に入れば、このテラスの利用客をまず目にすることとなり――優雅に静けさを堪能するさまや、

きっと初めてのデートなのだろう、少年少女のカップルの初々しい様――それとは対照的な老夫婦の和やかな空気など、

この区画の利用の様を一望できる縮図が体現されるという宣伝効果も持っているこの区画の顔的存在だ。

……そして今、この区画を訪れれば――きっと誰もが、ある一組の利用客に目が留まっている事であろう。

とにかく、その一組は目を引くカップルだった――組み合わせは男女一人ながら、ぱっと見てその年齢は親子ほど離れている。

男の方が、年上――透ける様な長い銀の髪を垂らした、その蒼氷色の瞳。

しかし、冷たい色のその奥に――優しさと穏やかさ、そして海のように深い知性を垣間見せている。

銀の髪を持つものは、かの赤い月の民の血を、少なからずその身に宿しているというが――

だがこの男は、まるで赤い月の民そのものを思わせるほど知性と理性に満ちた静けさを身に纏わせていた。

一部の隙も無く着こなした、金の刺繍美しい黒の衣服が、その雰囲気をかもし出すのに一役買っていたのかもしれない。

一方――その男性と向かうようにして座るのは、子供という言葉の域を脱していない少女。

亜麻色の髪は長く、そして瑞々しく――外で元気に遊ぶ子というよりは、おとなしい子なのだろうか?

子供用ながら、かなり仔細に作りこまれたチャイナドレスに包む身は細く、肌の色は白い方である。

そして、綺麗、というよりはまだ可愛らしいと表現した方が適しているであろう、その顔――

しかし眼鏡の奥のブラウンの瞳は、その見た目にそぐわないほど知性の輝きを宿しており――だが、

男の知性がまるで海のように広く、穏やかなものに対し、彼女のそれは――

まるで天をも突かんとするほどに苛烈で……そして鋭さと新鮮さ、勢いを秘めたものであるのが印象深い。

二人とも、それぞれに人の目を引く容姿でありながら、二人の面持ちは親兄弟と言うほど似ていない。

さらに、この年齢差―― 一体、この二人の関係はどういうものなのであろうか?

先生と教え子、親戚の子を預かった紳士、まさか恋人同士ではあるまい――

そんな通行人の身勝手な想像は、その可能性に留まるところを知らないといった様子であったが、

しかし、二人を見た誰もが、共通に思ったことは――二人の雰囲気が、とても良さそうであったということだ。

二人とも、互いに何かを語り合っている――その微笑ましい様子は、とても暖かで。

……だがその感想は、二人が一体何を喋っているのかを知らないからこそ、思える感想だったのかもしれない。

何故なら、彼らが静かながらも熱心に、話し込んでいることとは――

「……だから、そもそも私は城を砂の中に沈めるというコンセプト自体が異常だと思うのよ」

「ふむ……私も、概ね同意見だが……しかし実用一歩手前まで来ているのだろう?」

「そうなのよね……だからなんというか、ちょっとこのまま退くのは癪なのよ」

その口から紡がれるのは、甘い囁きではなく知を司る理性の剣。

その瞳が見つめているのは、愛を紡ぐべき相手ではなく、自らの知性を受け、理解する同胞。

各々、共通する資料と計画書と図面を頭に描き――それを怜悧に紐解いて、計画を練り上げていく――

この、雰囲気溢れる喫茶店の中で。

二人の周りの空気だけは――数式と論理の支配する知識の空間。

――二人とも、話している内容はこの星の文明レベルで理解できる内容ではない。

それは、彼らの冴え渡る知能だからこそ理解し、共感できる内容。

互い、己の研ぎ澄まされた知をぶつからせ――静かな火花が飛び散っていた。

「しかし……一体、これほどの巨大な建築物を砂中で航行させるその動力には何を使うつもりなのだ?

 内燃機関は熱暴走を引き起こしかねんし、アダマンタイトでは絶対的な資源不足を引き起こしかねんが――」

「それに関しては問題ないわ。……だって、あるでしょう? ダムシアンには。

こういったことに正にうってつけな、莫大かつ無限のエネルギーを秘めたものが」

「まさか……クリスタルを動力に使用するというのか?」

「ええ。……丁度、現状のクリスタルの余剰エネルギーを消費させるにはうってつけだと思わないかしら?」

「ふむ……確かに、そうだが……だが、この星の文明技術で、そこまでのエネルギーを――」

「あら、誰にものを言っているのかしら? その点に関しては、きちんと技術としてすでに確立済みよ。

 スカタン号の『カノンオーブ』があったでしょう? あのカノンオーブは火のクリスタルの縮図のようなものなの。

 そしてそれを動力にして動く機関の開発もかねていたのがあのスカタン号だったから――」

「ふむ……流石だな」

「当然ね。私の知能に勝てると思っているのかしら?」

少女はふふ、と笑って髪を掻き揚げて――

「……といいたいところだけど、実際はそうもいかないわね……」

「む……?」

「クリスタルのエネルギーを抽出して、それを城の潜砂に利用するだけの動力機関にするとしても、

 問題のエネルギーが膨大すぎて……機関の素材が耐えられそうに無いのよ」

「確かに……それはそうだろうな」

「ミスリルでも耐えうるものにはならないし、アダマンタイトは絶対量が不足しすぎているわ……。

 あのバブイルの巨人に使用されていた金属は、調べてみる限り、自然状況下では絶対に生まれない金属だし。

……仮に原子分子レベルで構成の操作がされているんだったら、それこそ流石に今の文明レベルでは不可能な話だわ。

クレセント……貴方、あの金属の精製方法について何か知っていることは無いかしら?」

「知っている。……だが、いいのか?」

「……どういうことかしら?」

「私がここでその技術を教えれば、エルナの知能ならばすぐにその原理を理解し、応用も出来る様になるだろうな。

 しかし……その技術はあくまで、私が教えたもの――エルナが自分で考えて確立したものではないだろう?

 難解な問題の模範解答だけ教えてもらって、それで満足するような性格だとは……私には、思えん」

その、言葉に――少女はきょとんと目を丸くしていたが、やがてふっと笑って――

「そうね……確かに、解答だけ教えてもらっても、とても満足できそうには無いわね……。

 でも結局そうなると、あの金属を一から解析しなおさないといけないわね……解析から実用化まで、何年かかるのかしら……」

「そう急くことは無い。……時間はたっぷりあるのだからな」

男性の言葉に少女は頷き、すっかり冷えてしまった茶を口へと運んで――

 

(って、一体何をやってるのよ、私ってばぁぁぁぁぁぁっ!!)

 

絶対に、口にはもらさないようにして――エルナは頭の中で自分を呪う絶叫を放っていた。

……と――クレセントはその態度を、茶が冷めていたためと思ったらしい。近くにいたウエイターに声をかける。

「……すまないが、茶の御替わりを頼めるか?」

「畏まりました」

「それと追加で月餅と粽子・麻花・水晶餅・仙貝、点心で餃・・焼餃子・焼売に春巻を五人前で頼む」

あくまで淡々とした口調で、大量の追加注文を頼み終えたクレセントに――エルナは、

「クレセント……その、ごめんなさい」

「……ん?」

「その、折角こうやって誘ってくれたのに……私、研究の話ばかりしてて……」

クレセントと、デート。

それも彼自身が誘ってくれたという、とても珍しいものであるというのに――気付けばすぐにこれである。

折角装いもいつもと違い、いい雰囲気の店を選んでくれたというのに――気付けば、その方向にばかり話を進めようとする。

……と、いうよりも――

(……よく考えたらそれ以外のことって、私……話せないのよね……)

この、成長しない体になってから――エルナは同世代の友達が離れていき、人付き合いが非常に少なくなった。

だからデートどころか、同世代の男の子と――いや、そもそも友達と遊んだことさえここ数年の記憶には無い。

そのためだろうか――こういう時、一体何をすればいいのか全く知らないのである。

そもそも、自分の人生のこれからにおいて、このようなことで頭を悩ませるなど考え付きもしないことだった。

自分の研究に生き、そして研究に斃れる――それでいいと、ずっと思っていた。

研究所で働いていたのは、みな揃って自分より一回りは年上の人間――クレセントと丁度、同い年くらいだったが、

彼らとは研究において意気投合し、またよくしてくれたものの――私的にこちらから関わろうともしなかったため、

結局のところ、過去五年間においてまともに話をしたのはたまに帰ってくる姉ぐらいのものであった。

初恋でどぎまぎするには、自分はもう歳を取りすぎている――たとえ、見た目が幼くても――であるし、

かといって大人ぶった演技をしても、本当の大人であるクレセントには一目で見抜かれてしまうだろう。

……結局のところ――自分は、魅力と言うものを持ちうるほど厚い人生を送ってきたわけではないのだ。

クレセントの前にいて――甲冑を外した彼の前に座っていて、つくづくとそれを感じさせられる。

 

……クレセント。

 

あの時、自分に髪飾りをプレゼントしてくれたこの男性は――エルナの目から見て、本当に「大人」だと思う。

滅多なことでは動じることは無く、どんな言葉もその大きな心の器で受け、そして考え、答えを返してくれる。

無論それは、礼儀を守る相手へのものであり――礼儀を著しく欠いた相手に対してかける容赦は微塵も無いのだが、

どんな相手にも卑屈なまでに礼儀を貫こうとするよりも、そちらの方がずっと好感は持てる。

全身から漂う、ファブールに似た静寂な空気といい、落ち着いた声といい、その顔に浮かべた表情といい。

……少なくとも、大人であろうと常に意識してきた自分とは大きく違う。

彼と出会う前は――そんなことに気付きもしなかった。

自分は、体こそ子供のままでも――その内側は同世代よりも大人だという風に考えていたほどだ。

だが、それは「大人」であることと微妙に違っていることに気付いたのは、彼と出会ってからのことだった。。

自分の持っていた余裕――それは、他人を誰も、自分の内側へと踏み入れさせなかったから生まれた余裕。

そしてクレセントのそれは、他人を受け入れるだけの広さがあるからこそ、生まれてくる余裕――

……もしかしたら、自分は。

見た目だけではなく、中身もとても、子供だったのではないのか――

 

「……何を謝る必要があるのだ?」

 

――その声に、顔を上げれば。

兜の下で、今まで見ることの無かった――とても優しい光を湛えた、クレセントの瞳――

 

「……エルナ。私とて、このようなことをしたのは初めてだ……それほど詳しいというわけではない。

 だが、この行動の根本的な意味合いは、共有する時間が『楽しい』からこそ、生まれてきたものだろう。

 ……私とこうしていて、痛痒に感じているか?」

「そっ、そんな訳――!!」

「……なら、それでいいだろう。私とて、よく出来た人間とは言いがたい。

 自分で納得のいかないことを、意思を押し曲げてまでする趣味は無いのでな。

 それに……『何を判断するにしても、ただ一側面からの主観ですべてを急くような事はしない』

――お前の持論は、そうだったのではなかったか?」

「そ……それは、そうだけど……」

「私とエルナ――共にいて、その時間に価値観を見出せること……それこそ何者にも換え難い貴重な時間だと、私は思うぞ」

注文した茶菓子を全て平らげて――呟くクレセントの、言葉。

確かに――クレセントと研究について話している時が、エルナにとっても一番楽しい。

――クレセントと出会うまで、エルナは自分の本当に研究したい事を他人に喋ることが出来なかった。

理由は一つ――現在の蒼き星の文明レベルで、自分の知能で考えていることを理解できる人間がいなかったからだ。

だが、クレセントが――遥かに進んだ赤き月の文明・それもほぼ頂点に位置するほどの知識の所有者である彼と出会って、

エルナは初めて、自分の考察を自分で考えたとおりに口にし、それを共有することが出来る様になったのだ。

同じ趣味を持つ人間同士が共有できる、独特の空気とでも言えばいいのだろうか?

……それを、自分以外の誰かと――他ならぬクレセントと共有できる、そのことは。

エルナも、とてもうれしいと思っている。思っているが――

「……けど、なんだか……私だけ、ちょっとかっこ悪い……」

ぽそっと呟いた一言に――クレセントはまるで、娘の成長を微笑ましく見守る父親のような表情で微笑した。

「何よクレセント、笑わなくてもいいじゃない……」

「いや……済まなかった。確かに判らない話でもない。……だが、それはこれから考えていけばすむことだろう?」

「これから……?」

「二人で共有する時間を、一体どのようにして過ごすのか……これから、考え決めていけばいい。

……私達には、まだまだ同じ時を共有していくのだからな」

 

――その言葉に。

エルナは思わず顔を伏せていた。

心臓の鼓動が痛い。

顔は、湯気が立ち上りそうなほど赤く、熱い――

 

この声が。

この瞳が。

この、心が――自分を。

自分だけを見ている。

そう考えるだけで、とても嬉しい。

 

世界で一番、幸せだと実感できる。

 

……だから――

 

「……クレセント。…………聞いて欲しいことが、あるの」

「ふむ……先刻の続きか?」

「そうじゃないの。……そうじゃなくって……でも、大事なことだから……聞いて欲しいの」

 

……どうせ、もう恥はこれ以上ないほどかいてしまった。

これに一つ、恥をかいたところで―― 一体何が恥ずかしいだろう。

 

「あの…………あのね、クレセント。……私は……」

 

だからこそ、今。

……きちんと、この想いを――

 

「…………私…………クレセント……あなたのことが――」

 

 

デスブリンガー奉納所――かつて暗黒騎士レオナルトの着用していた武具などを奉納したここは、

ちょっとした博物館のような造りとなって、入場者を迎え入れている。

実際に彼の使用していた鎧や兜、具足――それにまつわるエピソードなどを添えて展示してある武具たちは、

勿論奉納所の職員たちの手によって丹念に手入れされ、埃一つとして付着していないのは当然なのだが、

暗黒騎士レオナルトが死去してから五十年以上が経過した今もなお、武具には年月から来る風化が微塵も無い。

それは、武具について少しでも知識を持っていれば、誰もが不思議がる現象なのだが――

『負の力』すなわち生命エネルギーによって鍛え上げられた暗黒騎士の武具は、ある特殊な性質を備えるようになる。

――武具が、武具自身の再生・治癒能力を備えるのである。

刃こぼれすれば、そのかけた箇所が修復し――錆びればその箇所が剥がれ落ち、数日後には元の輝きを取り戻す。

詳しく説明すれば、負の力を内包された時点で、その武具に使われている金属が変質し、生態的な特徴――

新陳代謝による、劣化の阻止という能力を兼ね備えた――『生きた金属』となるというわけである。

負の力への耐性が無ければ、身体に様々な悪影響を及ぼすというデメリットを超えるだけの価値がそこである。

『正の力』――精神エネルギーを内包したパラディンの武具が、微弱ながらも自らの意思を持つこととは対照的だ。

――そんな、当時のままの武具たちを――ラディは感動しながらずっと眺めまわっていた。

……と――だがその時、うっかり足元を滑らせ――派手な音を立ててラディはその場に転倒する。

彼に突き刺さる眼差しは、絶対零度の冷たさを持った二つの赤銅の瞳――オルステッドだ。

「……レオンの息子。私についてくるのは勝手だが……余計な仕事や手間をかけさせるなら帰ってもらおう。

私はそう、気の長い方ではない……それを頭の中に叩き込んでおけ」

「す……すみません!!」

「それと……気長に観光させるために連れて来たわけでもないからな。遅れれば、放っていくぞ」

オルステッドは、そう言うが――実際には彼は念入りに辺りを点検しながら進んでいるために、その歩みは遅い。

それがいつもやっていることなのか、それとも自分のためにわざと遅くしてくれているのか――

後者を考えるのは、流石に分をわきまえてなさすぎるだろうか?

……とはいえ、元々ただの奉納所だったものを博物館風に並べてあるだけであるため、見所はそれほど多くは無い。

同じレオナルト関連でも、武具だけに留まらずその半生を様々に紹介した『レオナルト記念館』には、

3日ほど寝泊りしてみたいと思うほどにいろいろと見たいところがあったのだが。

……やがて、二人の足は自然と、この奉納所の最終地点――そして、最も重要な展示物の前で止まる。

凍える赤銅、憧憬の紅鋼玉(ピジョンブラッド)が自然と上がり――同じところで、交錯して。

「……これが……」

「……元バロン王国軍暗黒騎士団一番隊隊長・レオナルトの使ったとされる暗黒剣――『デスブリンガー』だ」

 

その剣は。

決して、凄みがあるとは言いがたかった、

名剣とも言いがたかった。

言うなれば、この剣から思うのは――老兵の、誇り。

かつては最前線で戦い――引退直前まで現役に胸を張っていた、そんな老兵の誇り。

暗黒剣・デスブリンガー。

力を失い、かつての覇気は失せたとしても。

――その剣に、その剣の持ち主にあった誇りだけは失わなかった、一振りの剣だった。

 

それを見上げる、二つの視線。

暗黒騎士団の中でも最高の使い手と呼ばれた男と、暗黒騎士を目指す若者。

対照的な二人は、ただ真っ直ぐに剣を見つめて――口を開いたのは、オルステッドだった。

「……この剣を持っていた暗黒騎士・レオナルトは……当時、暗黒騎士団の中でも最高の使い手と言われていた。

 私と同じ、一番隊隊長……だが、当時のレオナルトと私が撃ちあって勝ちを奪い取れるかどうか、正直微妙なところだ。

 主を失ってなお、残滓とはいえ暗黒剣にこれだけの力が残っているなど……普通なら考えられん事だからな」

何故、こんなことを話し始めたのか――その真意が見えず、ラディはオルステッドを見つめる。

だが――彼はただ、デスブリンガーの刃へ赤銅の瞳を反射させ、口を開く――

「……そんなレオナルトが、暗黒剣を捨ててファブールの一僧となったこと……賛同の声も、否定の声もある。

 だが、そんなことは私にはどうでもいい……過去の人間が何を思おうと、全ては結果しか残らないものなのだから。

 現在、レオナルトはここに無く……剣は力を失い、ただの骨董品になった。……それが、私にとってのレオナルトだ」

ある意味、辛辣とも言えるその言葉――しかしオルステッドはそこで視線をラディへと向ける。

「だがな」

その、氷の刃を思わせる鋭い視線が、夢を追い求める若者の瞳を真っ直ぐに見据えて。

「そんな私でも……一つだけ、賞賛すべきだと思う点がある。……暗黒剣を捨てた――その勇気だ」

「暗黒剣を……捨てた勇気?」

「……暗黒剣は、強大な力だ。しかもパラディンの聖剣技とは違い、所有者は常にそれに呑まれる危険性がある。

 だがな……それだけの危険があってなお、実際に捨てることに躊躇いを持ってしまうのも事実だ。

 それは、暗黒剣が……『暗黒』が、危険から目を晦ますほどに魅力的な『力』だからだろう。

 そして『力』に頼ってきた人間ほど、その『力』が無い自分が見えなくなり……捨てることが出来なくなる。

 己を失い、力に呑まれる恐怖よりも……力を失い、果たして何が残るのか――その恐怖の方が、ずっと強い。

 だから私は、それだけの力を持ちながら、潔く暗黒剣を捨てたレオナルトの勇気は、賞賛すべきものだと……思う」

「…………暗黒剣を、捨てる勇気……」

その言葉は――ラディの心に、小さな痛みと共に、心地よい響きとなって響いていく。

オルステッドは、そんなラディを見る瞳に――彼にしては珍しく、逡巡と躊躇いを垣間見せ――

だが、それは一瞬の事。今度ははっきりとラディを見据えて――口を開いた。

 

「……お前は本当に、暗黒騎士になるつもりなのか?」

 

「……え?」

思いもよらなかった、オルステッドの問いに――ラディはきょとんと彼を見返す。

だが――

「……五年前、ああなってしまった(・・・・・・・・・)お前は……暗黒剣を捨てようとは思わないのか?」

その言葉に――ラディの表情が音を立てて引きつったのを、凍える赤銅の瞳は真正面から見ていた。

「……覚えて……ッ!?」

「――安心しろ。……覚えているのは、ガーランドと私だけだ。

 あの時、あの場にいた他の全員は覚えていない……思い出すことも無いだろうからな」

オルステッドの言葉に――若干、安堵を覚えつつも。

……まさか、誰かが覚えているとは思っても見なかった。

 

五年前の、あの時の(・・・・)自分を――

 

 

 

 

 

「……『ラディお兄ちゃん』って……呼んでいいですか――」

 

「……勘違いするな? 私のせいじゃない。これはお前のせいだ」

 

「お前と関わりさえ、しなければ――」

 

――お前が、この少女を――

 

 

 

 

………何もかも………

 

 

 

 

――-何もかもグチャグチャにぶち殺してやる―――!!

 

 

 

 

 

「……お前が何を思って、ここまで来たか……何を感じて、ここまで来たのか。私は知らない……知る由も無い。

だから、お前がどれだけの決意をもって、その剣を提げているかも判らない。

 だが……お前は今、捨てる勇気を知った。ここで今、それを知った。

 ……それでもお前は、暗黒剣を――『暗黒』の力を、手にするのか――?」

焼けるように痛む右腕。

凍るように冷えた心。

罪悪と後悔、慙愧――交錯していく中で。

沈黙は、長く――ただ、時間だけが動いていく中で。

「…………それでも」

ラディは顔を上げて――揺るぎの無い瞳が、オルステッドのそれと向き直った。

「それでも……オレは――!!」

 

 

言った――!!

どきどきと高鳴る、胸の鼓動を抑えて。

……エルナの言葉に対する、クレセントの返答は――

「……すまん。よく、聞こえなかったのだが……」

がくぅぅぅぅぅっ!! ……っと音がするほど、エルナは机に突っ伏した。

「だ……大丈夫か?」

「……ええ……別に、ちょっと疲れただけだから。それにまあ、確かに聞こえなかったのは仕方ないわよね……」

エルナの声が、結論に達するまでにどんどん細く、小さくなっていったのは当然だが――それだけならば、

数百m先の針の音をも聞き分けることの出来るクレセントの聴覚をもってすれば聞くことが可能だっただろう。

しかし、その言葉が届く直前―― 一帯に突如発生した巨大な巨大な行列。

そしてそれに並ぶ人々の雑踏が――勇気を振り絞った、精一杯の彼女の告白をかき消したのだ。

「……大事なことなのだろう? すまんが……もう一度言ってくれないか?」

「いえ、そんな急いでることじゃないし……またあとで改めて言うから……はぁぁぁ……」

雑踏は不可抗力だが、声が小さくなっていったのは自分の不甲斐なさ――やるせない思いと恥ずかしさ、耐え難い疲れに、

エルナはそのまま顔を上げることも出来ずに――しかし、その時ふと気付く。

「……おかしいわね、この区画って確か――」

「うむ。……このような喧騒が起こるような場所ではなかったはずだが……」

ファブール出身のクレセントでさえ、その異様さに眉を顰める。

行列は、老若男女誰彼構わないといった様子で、誰もが押し合いへし合い並びあい――

その整理にわざわざ、商業区の治安担当のモンク僧たちが駆り出されているほどである。

そのあまりの長さに、商業区のほかの区画では収まりきらず――常ならば進入禁止のこの区画にまで列を伸ばしたのだろう。

最後尾というプラカードを持つモンク僧が、殆ど全力疾走で走っていくほどにその列の成長は、留まるところを知らない――

「『暗まん』一般販売は、これより30分後に開始されます! 整理券をお持ちの方は、近くのスタッフにお申し付け下さい!

 また、本日の販売は一人当たり3個までといたします! 皆様、譲り合いの心で列を作っていただけるようお願い致します!」

「…………『暗まん』……?」

聞きなれない言葉に、首をかしげた二人に――お茶の交換に来たウエイターの一人が、親切に説明する。

「『暗まん』とは最近、ここで商売を始めた商人の一人が販売しだした菓子です。

 ただし、その売れ筋があまりに勢いがよすぎるために、今では販売時間を制限・整理券を配布し、

 ファブールとして『暗まん』販売管理委員会を設立してその販売の際のトラブル防止を図っています」

「それは……」

「す、凄いわね……」

あまりにもスケールが大きすぎて――どこか笑いさえ誘うような内容である。

一応、商業の国・ダムシアン出身のエルナとしては少し、その商品に興味も湧くが――

「ええ……本当にすごいと思います。あんなに若い娘だというのに……」

「…………若い娘?」

その、ウエイターの何気なく漏らした一言に――引っかかるものを、エルナは感じた。

爆発的に売れる菓子。若い娘――それが導き出した、とある人物。

自分の恋のライバルを自称する、とある人物。……だが、いくらなんでもそんなことがあるだろうか。

エルナは冷静にもう一度考え直すために、注いでもらったお茶を口にして――

「そうそう。……その娘ですが、何でもダムシアンからたった一人でこのファブールに来たそうで――」

 

そのままエルナは口にしたお茶を全て噴き出す。

 

「……本当に大丈夫か?」

テーブルを、備え付けの紙ナプキンで拭きながら――蒸せるエルナに、クレセントは心配そうに声をかける。

だが、エルナの方はそれどころではなかった。

ダムシアンから来た、爆発的に売れる菓子を売りさばく、若い娘――

間違い、無い。

「……それよりクレセント。やっぱりさっき言ったこと、今伝えておくわ」

「……? 後で言いなおすのではなかったのか?」

「……状況が変わったのよ……いえ、やっぱり先に言っておこうと思って」

――もしそうならば、早い者勝ちである。

もう羞恥がどうとかそんな余裕のあることをしている場合ではない。

ライバルを称するというなら――それにわざわざ公平なチャンスなど与える気はないし、そんな余裕もないのだから。

「……クレセント。……私ね、私は――」

「いつも屋台を引っ張って販売に来るんですが……その味がまた格別……いえ『最強』の味でしてね。

 一度食べたら、もう一生他の菓子では満足できないと言っても過言ではないでしょうね」

――頼まれもしないのに、なおのことその「商人」の説明を続けるウエイター。

だが、流石に問答無用でアヴェウナーで切りかかるわけにも行かず――

その衝動をぐっと堪えて、エルナは咳払いと共に改めて言葉を紡ぐ。

「私は、あなたのことが――」

「――また商品の質もそうですが、彼女自身もなかなか目を引く綺麗な子でしてね。

 あまり表情を見せない感じなんですが、長い黒髪に白い肌、白のワンピースが印象的な――」

前言撤回。

エルナは即座にアヴェウナーでウエイターを三途の川で遠泳させると、即座にクレセントへと向き直る。

……だが――

「……『最強』の味に……ダムシアンから……長い黒髪、白い肌……? ……まさか――」

「クレセント。……私を見て。いい?」

エルナはクレセントの両頬を手で押さえ、そのままぐっと自分の顔の前に向き直らせる。

「すぐ終わるから。……だから、私を――私の眼を見て。……お願い」

……正直、顔から火が吹き出そうなほど恥ずかしかったが――エルナは何とか、そこまで言い切った。

エルナのその、どこか鬼気迫った――でも真摯な表情に、クレセントは黙ってエルナの目を見返す。

その蒼氷色の瞳が、自分だけを見ている――幸せと恥ずかしさに逃げ出したくなりそうな衝動を必死に抑えながら、

エルナは今度こそ、彼にも聞こえるようにはっきりと――

「私、クレセントのことが――」

 

ぽふっ。

 

そんな、音と共に――エルナの口に、何かが押し当てられる。

勿論、エルナはすぐにそれを外そうと試みたのだったが――しかしそれが放つほのかな香りに、

その物体が『食べ物』だと認識した瞬間――彼女の口は勝手に、それの咀嚼を開始してしまっていた。

(なっ……!?)

驚愕するエルナを尻目に――いや実際は、驚愕しつつも食べているのは自分自身なのだが――

とにかく、そういった矛盾を全て意識の外へと放りやってしまうほど――それはあまりに「美味」かった。

ほこほこと甘い湯気を立てるその様といい、下味をつけてある皮といい。

そして何より、中に使われている餡――変にこびるわけでもなく、高く澄ましているわけでもない甘さ。

決して相手にはビジネス以上のサービスはしていないというのに、相手の方からその身全てを差し出したくなってしまう――

……そんな、『最強』の味の、饅頭を口にして。

そして――完食したとき。

……エルナは、己の敗北を悟ったのだった。

「……む? お前は……」

真っ白に燃え尽きたエルナから、クレセントが顔を上げた相手――軽く頭を下げる、一人の少女。

腰まで届く長い黒髪を、その真っ白な肌に纏わらせた、白いワンピースの少女――

「……こんなところで会うなんて奇遇ですね……? ふむ……まあ、奇遇といえば奇遇だな。

 まさか私達より後にダムシアンを出立したお前が、私達を先回りしているとは思わなかったが。

 ……ところで……つい先刻、エルナに食べさせていたのは……」

「………………」

「……この国で売り始めた『暗まん』です……よろしかったらお一つどうですか……?

 ふむ……ならば是非、いただこう……………………む……美味い…………!!」

あまりの美味さに、思わず舌鼓を打ったクレセントの姿が――どこか遠くて。

 

…………抜け駆けなんて、させませんからね。

 

か細い――それでいて、芯には鋼の意思を覗かせた少女の言葉、少女の視線も。

……もう、敗北を悟ってしまったエルナには――どうでもいいことになりつつあった。

(私の…………バカァァァァァ……)

不可能の概念無き知性を持つ少女が、初めて自分を罵倒した瞬間だった。

 

 

 

――ああ、ラディというんだが……これがまた、私の自慢の息子でな――

――そういうのを世間一般では『親馬鹿』と言うんじゃないのか?――

――はっはっはっ。相変わらず手厳しいな、オルステッドは――

――私は思うところを口にした、それだけだ――

 

「……案外、面倒見がいいじゃないか……『魔王』」

デスブリンガー奉納所から、やや離れた一角で――奉納所を後にしたオルステッドに声をかけたのは。

柱の影にもたれるようにして立っていた、一人の男――

「……『蒼い稲妻』か……何の様だ?」

「用……というほどのものではないさ……だが少し、気になったことがあったんでな」

 

――まあ、手厳しいのはいつものことだからな。気にはならんが――

――少しは気にしろ――

 

「――何故ラディに、閉場時間を過ぎていたというのに……あんな特例を許したんだ?」

カインはその瞳で、真っ直ぐにオルステッドを見据える。

その氷の表情の下に隠れた、彼の真意を伺うような――そんな瞳で――

「お前がラディによくする理由……それがオレには見えてこないが……何故なんだ?」

 

――オルステッド。ここから先は、個人的な頼みなんだが――

 

「…………約束……だからな」

 

――もし、私の身に何かあれば――

――その時は息子の事を、よろしく頼む――

 

「約束……?」

だが――カインのその疑問に、オルステッドが答えることは無く。

すたすたと、その場を後にしていく――その背を引きとめるだけの理由を、カインも持っていなかった。

 

――何故、そんな頼みを聞かねばならない?――

――まあ、そうつれないことを言うな。お前と私の仲だろう――

――………………調子に乗るな……レオン……――

 

かえるの子は、かえる――

レオンの息子はやはり、レオンの息子らしい返答を残した。

 

「――それでも、オレは――オレは、暗黒騎士になります!」

 

……だが、本当に暗黒騎士になりたいというのならば。

レオンの息子が、暗黒騎士になりたいその理由――

口先だけで言うのは、簡単なことだ。

だが――強さ無き信念に、意味など無い。

……果たしてレオンの息子には、それがあるだろうか。

 

自らの信念――それを貫いて、生きていけるだけの――強さが――

 

(…………まったく、面倒なことを押し付けてくれたものだ……レオン……)

 

 

 

 

 

……先に帰ったオルステッドから、遅れること10分といったところか。

すっかり、日も傾いて――最後の紅を、帳の降りた夜へと投影しながら沈む夕陽の中で。

ラディはゆっくりと、デスブリンガー奉納所の外に出た。

 

「……五年前、ああなってしまった(・・・・・・・・・)お前は……暗黒剣を捨てようとは思わないのか?」

 

……誰も覚えていないと、思っていた自分が間違っていたのだ。

いや、そもそも――記憶に無かろうと、事実がなくなるわけではない。

どれだけ、自分を戒めても――罪を忘れぬよう、その身に刻んでも。

 

罪は消えない。

――永遠に。

 

……と――ラディはふと、すすり泣く声に気付き、顔を上げた。

見れば、小さな女の子がうずくまって一人、しくしくと泣いていたのだ。

ラディは慌てて、その少女へと駆け寄る。

「……どうしたんだい? どこか、痛い所とかあるかい?」

泣きじゃくりながらも、首を横に振る少女――ぱっと見て怪我も無いし、無理をしたりしている様子も無い。

とりあえず、予測しうる最悪の事態ではなかったことに、ほっと胸をなでおろす。

「……じゃあ、何で泣いているんだい?」

「っ……っく…………おとうさんと、おかあさんが……いないの……」

「……え?」

「きょう、いっしょに…………おかいもの、っ、したときには……いっしょに、いたのに……っ……」

……どうやら、迷子のようだ。

確かにファブールは、国が全て城の――建築物の内部ということもあり、

また改築に改築を重ねているために、その内部は非常に迷いやすい。

もうすこし年を重ねれば、いろいろと城内に設置された地図や、現在地を特定する目印なども判るのだろうが――

「……そっか。だったら――」

いつものように――バロン陸兵団で、迷子の世話をしていた時のように、ラディは優しく声をかけて。

……その声が、迷子になった少女にはとても暖かく――頼りになる強さがあったのだろう。

涙で腫れたその顔を上げて、ラディを見返して――

 

――お兄ちゃん――

 

「………………!!」

……決して、この少女が似ているというわけではない。

あの時――これに似たような状況が、あったわけでもなかった。

なのに。

……この少女の姿が、記憶の中のそれとかぶる。

右腕が、激しく痛む――

 

――関わって、いいのか?

――行きずりの、自分とは何のかかわりもないこの少女に。

――関わって、その責任を負うことが出来るのか?

 

――また無力な自分を、(さら)け出すことになるんじゃないのか――?

 

「…………おにいちゃん……?」

――そんな自分の様子を、きょとんと見上げる少女。

その、とても透明で、綺麗な瞳に映っている自分を見て。

……まるで泣きそうになっている、自分を見やって。

 

少女の頭にそっと手を置く。

一瞬、びくっとなった少女だが――その手から伝わってくるのは、暖かいぬくもり。

もう一度、少女が見上げた時――そこにはとても穏やかな笑みを浮かべた、金髪の若者――

 

……何を迷うことがある。

たとえ、あの時――何も出来なかった自分だからといって。

あの時のまま、停滞していた――自分であったか?

たとえ、罪が消えなくても。

その罪の重さに怯え、尻込みしているようでは――何も変わらない。

――変えていくことなど出来ない。

それに考えれば、すぐに判ることだ。

少女に手を差し伸べることと、見捨てること――どちらが少女のためになるのか。

 

……だから――

 

「……もう、泣かなくていい。……君のお父さんとお母さんを、お兄ちゃんがきっと探し出してあげるから――」

 

その言葉に。

少女は、まるでつぼみが開くように、ぱぁっと笑顔を咲かせて――

 

――ラディの全身を、おびただしい量の『糸』が捕縛した。

 

「――は!?」

「ラディ一名、捕獲しましたっ♪」

完全に、あっけに取られているラディを尻目に――そばの茂みから、陽気な声と共に現れたのは。

……勿論、彼女以外の誰でもない――ミレイユその人である。

彼女は両手で糸を操り、ラディをがんじがらめに縛り上げた後に――迷子の少女へと近づいていき――

「協力してくれてありがとね、お嬢ちゃん♪ ……はい、これ♪」

「うわぁい! ありがと、優しいお姉さん」

先刻までの泣きじゃくっていた様子は何処へやら。

ミレイユの手渡した御菓子の袋を大事に抱え、満面の笑みを浮かべて。

少女は――自称『迷子』の少女は走ってその場を後にしていく。

完全に、ワケが判らず――呆然とたたずむラディに、ミレイユは悪戯の成功した悪童の表情で近づくと、

「『どうしたの? ぼうっとしちゃって。へんなおにいちゃん』」