Final Fantasy W 

 After story

 

〜第三十九話〜長い長い長(以下省略)(昼〜夕刻)〜

ブライオンの調整が完了次第――私はいつも通り、城内の警備体制のチェックに城内を歩く。

……昔から、完成や惰性でだらだらとするのが嫌いだった。

だからどんなことにも、常にぴしっとした動きを心がけている。

城内の、警備――きちんとファブールの僧兵達が調べ、いちいち私が調べずとも構わない作業。

しかし、それでも律動的とさえいえる動きで細部を確認し、異常が無いかどうかを調べて――

「ま……待ってください、オルステッド殿!」

……私を呼び止める声に、振り返れば――黒髪を短く刈った、剽悍な漢。

私と同じく、この国に雇われた傭兵――名はシユウ。……確か、パラディンだったはずだ。

「わたしを置いて、そんなに先々進まないで下さい……お、追いかけるのがやっとじゃないですか……」

軽く、息を乱しながら――笑顔でそう言うシユウに、私は疑問を感じ――軽く眉を寄せた。

「……哨戒の仕事はもう終わっている。お前が私と共にいる必然性は無いはずだろう。……何故ついて来る」

「そんなの……同じ仕事場の相棒がやっていることに協力しないなんて、おかしいじゃないですか」

にこやかに言ってみせる、このパラディンの言葉に――私は呆れて、ものを言う気にすらなれなくなった。

そう――確かに、私はこの国で、この男と度々同じ任務についている。

だが――それだけの関係だ。

心を許したことは無い――というよりも、私は誰かに心を許す気など毛頭無い。

だが、あえてそれを口にして、相手に与える心証を悪くすれば――これからの仕事に何か支障をきたすかもしれない。

だから結局、私はいつものように黙って肩をすくめて――何事も無かったようにチェックに戻る。

それをどう捉えるかはこの男の勝手――どうやらシユウはこの反応を、行動の黙認と捉えたようだった。

……まあ、いい。

邪魔さえしなければ、別に取り立てて追い払う必要も無いし、誰もいないと考えればいい――

そんな風に結論を出して、私が再び意識を自分の行動に集中させようとした――その時だった。

「……けど、光栄ですね……わたしのような若輩が、オルステッドさんのような有名な方の片腕になれるなんて……。

 今でこそ『魔王』と名乗ってらっしゃいますけど……わたしは貴方が『勇者』の二つ名の時から憧れていたんですよ」

その、シユウの言葉――無視してしまえば、良かった。

そうすれば、ただの独り言に過ぎない言葉として――聞き流してしまうことさえ出来たというのに。

……気がつけば、私はその言葉に反応し、口を開いていた。

「……知らんな。私は私……ただの『魔王』だ。……人違いだろう」

心の硬い壁の奥から――競りあがる激情を堪え、漏らした言葉はそれだけだ。

しかし――シユウはそんな私などお構い無しに首を振って――

「何を言ってるんですか、冗談も程々にしてくださいよ、オルステッドさん。

……確かに昔は、『魔王』の二つ名の時ほど有名とは思わなかったですけど……

でもそれでも、十分強くてかっこよかったじゃないですか。

 ……そういえばあの時は……まだ、相棒さんがいらっしゃったんですよね?」

「……黙れ」

私は最大限の親切心と良心を総動員し、自分を押さえ込むように努力した。

だが――このパラディンという種は、そういう空気が全く読めない人種らしい。

首をかしげて、自分の記憶の中を捜して――そして思い出したのか、顔を上げるとうれしそうに、

「その相棒さんの名前は、確か……そうだ、ストレイ――」

その瞬間――我慢も限界を超えた。

シユウの言葉を、強制的に止めさせる。

……迅雷の速度で抜き放ったブライオンが、こいつの首筋数ミリ横を通り過ぎ――根元まで壁に突き刺さる。

驚愕に目を見開き、その視線が柄まで突き刺さったブライオンへと移動し――シユウはひっと悲鳴を上げた。

ともすれば、そのまま壁を切り裂き頚椎を切断しそうになる衝動を抑えながら――口を、開く。

「人違いだと言ったはずだ……。二度と私の前で、その話をするな。

 ……肩から上の重たいものと、永久に別れたくないのならば……な」

言葉無く――こくこくと、縦に頷くシユウに――私はブライオンを引き抜く。

まるで下手な昆虫標本のように、恐怖で壁にへばりついていたシユウも、ややあった後、床にへたり込んだ。

……少し、大人げなかったろうか。

いや……これでも十分、忍耐力のあるほうだろう。

一昔前なら、何の躊躇いも無く――あの首を切り飛ばしていただろうからな。

「……私は勇者などではない……ただの『魔王』……オルステッドだ。二度と間違えるな」

凍てついた言葉を叩きつけて――私はその場を後にする。

この国に来てから、少しづつ揺れ、歪んでいく自分の強さを叩き直すかのように。

……私に友など――仲間など、必要ない。

……失うのは――たった一度で十分だ。

そのために、私は強くなったのだから。

自分を自分で確認して――私は再び、歩き出す。

 

シユウはもう、ついてこようとはしなかった。

 

 

閑静な地、ファブールにて唯一、他のどの国をも圧倒するかもしれない活気に満ち溢れた場所――商業区。

色とりどりの髪や瞳、肌の色――人種や国の垣根を越えて人が揃うのは観光地の宿命なのだろうか。

流石に、絶対数的にダムシアンなどに勝てるというわけではないのだが――

それでも密度で言うならば、このファブール商業区も決して劣ってはいない。

……そんな、ファブール商業区で――人の目を引く、一人の美女。

ダムシアン出身特有の、白い肌に美しい金髪――碧眼。

一般的にダムシアンでは、その肌や髪が美しければ美しいほど高貴の家柄だというが、

この場合、彼女はまるで王族に名を連ねるのではないかと思えるほどのものであり――実際、王族の一人だった。

それも、中枢に限りなく近い部分の。

……ダムシアン王国・第二王位継承権所有者ミレイユ・ワイアット・フォン・ミューアその人である。

「はぁっ……はぁっ……あれ……? おっかしいわね……ラディ、どこにいったのかしら……?」

すでに服装は、いつものものに戻っている――近くの壁にもたれかかるようにして、

ぱたぱたと服の襟を摘み、豊かな胸元へと空気を送り込みながら――息を整え、ミレイユは辺りを見渡す。

そこには、沢山の観光客がうねりのように入れ替わり立ち代り、ミレイユの傍らを通り過ぎては行くものの、

彼女の探している人物――金髪で紅鋼玉(ピジョンブラッド)の瞳を持つ、精悍ながらもどこか地味な青年はどこにもいない――

(……もしかして……もうこの商業区から抜け出しちゃったのかしら……?)

そんなことを考えてしまう――その理由は、すでに商業区を走り回り、ここには4度も戻ってきてしまっているからだ。

商業区はどこもかしこも活気に満ち溢れ、狭いながらも地元の住民でなければ現在地が判りにくい区画なのだが――

あちこちにある『糸』と魔法、そして『アポカリプス』の破壊跡を見れば一目瞭然である。

しかし、商業区を抜け出されたとなると――少々厄介ではある。

この、人の海――身を隠すのには一見、最適のように思えるが――

この中にいる、と言う確信さえあれば、ラディを見つけること自体はそうそう難しいことではない。

だが、いないかもしれないという可能性が出てきた今――ここを離れて他の区画を探すべきか、

それともここに居るという可能性を信じ、徹底的にもう一度探すべきなのか――

彼女にしては珍しく、決断に迷いを感じていた――その時だった。

「……他人の国に来て、やることやってくれるねぇ……」

どこか呆れたような――それでも優しさを感じさせるような声。

聞き間違えるようなことはしない。ミレイユは振り返り――

「……シャオ王妃……」

髪の色と、瞳の色こそ黒に変えていたが――その顔立ちや声は見間違えるわけが無い。

ヤン・シャオ・ライデン――ファブール国の王妃。

……ミレイユはがらりとその雰囲気を変えると、静かに頭を下げるが――

「やめとくれよ、今は。……あたしがその肩書きをつけるのは、あの格好をしてる時だけだよ。

 今はただの、気前のいい普通のシャオおばさん――そういうことに、しといてくれないかい?」

買い物袋を片手に――唇に指を当てて、そう囁くシャオ。

……その考え方は――自分もまた、同じであったから――ミレイユはウインクを一つ返すと、

「了解しました♪ で・も……『おばさん』より『お姉さん』の方が似あってるんじゃないですか?」

「年寄りをからかうモンじゃないよ。……まあ、お世辞でもうれしい言葉だけどね」

あっはっはっと闊達に笑うシャオだが――実際、彼女の外見年齢はミレイユより若干、上という程度。

彼女をおばさんに含むとするなら、美容にいろいろ頑張っている世の女性の大半が『おばさん』呼ばわりだろう。

「……にしても……元気なのはいいけど、ほどほどにしとくれよ?

 いくらあんた達の破壊の修理費がダムシアン王国負担だからって……ま、ほどほどにしとくんだよ」

その言葉にミレイユは苦笑するしかないが――その金額を実際に負担する彼女の兄にとしてはたまったものではないだろう。

度々、その待遇に不満を漏らすミレイユだが――彼女は間違いなく彼にとっての頭痛のタネであるには違いない。

「ま、それはそれとして……シャオさんは、どうしてここに……?」

「どうして……って、ここにくる理由なんて一つさね」

そう言って、買い物袋をミレイユに示す――その中には、旬の食材や惣菜、卵などが所狭しと詰め込まれていた。

「シャオさん……前々から思ってたんですけど、王妃さまならお雇いのコックとかはいるんじゃないんですか?」

「雇えば、出来ないわけじゃないけどね……でも、いちいちそんなことでムダにお金を使うの、あたしは好きじゃないんだよ。

 第一、主婦の中には家計を助けるために働いて、子供の世話もしながら家事もやってる人だっているんだよ?

 ……あたしはこんなだから、一定の場所で働くわけにも行かないし、子供も……まだいないしねぇ」

笑うシャオだが――その表情が僅かに翳ったのを、ミレイユは気付いていたが――あえてそれには触れなかった。

さりげなく、話題を変えようと袋を覗き込み――その中に、食材とは明らかに違うものを発見する。

「……シャオさん、これって……」

「ん? ……ああ、これかい? 見ての通り、包丁さ」

いかに国の重要人物といえど、あっさりと往来の中で包丁を取り出す主婦はどうだろう。

しかしそんなことはお構い無しとばかりに、彼女はどこかうっとりとした表情で包丁を眺めやる。

「ほら……これはエブラーナのものなんだけどさ……いいもんだろう? 刃に、紋が出てて……とっても切れ味がいいんだよ。

 前の一番のお気に入りを、あのエッジって子に渡してから、なかなかいい包丁にめぐり合えなかったんだけどね……。

 これはいいよ。柄の長さといい、刃のといい……使う人間のことをきちんと考えてる逸品さ。

 そもそも包丁ってのはバランスが肝心でね、いいかい――」

往来の中、どこか恍惚とした表情で頬を染め、包丁について熱く語るファブール国王妃――

彼女は基本的にさっぱりとした性格といい、面倒見のいいところといい、人間としてとても魅力的だとは思う。

……しかし――こと『包丁』の話題になると、どこか別の人格になったのではと思わせるほどの愛情と執着を見せるのだ。

正直、ミレイユですら少しばかり「引く」ほどに。

(……これじゃまるで、トンベリね……)

トンベリ――絶滅したともしてないとも言われるほど希少のモンスター。

不思議な力を持つ彼らもまた――手にした『包丁』への愛情が、尋常なものではなかったらしい。

それを手渡すのは、求愛の印――もしくは、重大な決意と信頼の証か。

もし、そんなモンスターが今も居るのなら、シャオ妃とさぞかし話も弾むだろう――などと、頭の隅で考えつつ。

……とりあえず、もう一度話題の転換を図ろうと、ミレイユが口を開こうとした――その時だった。

シャオの後ろから、飛び出してきた人影――シャオを突き飛ばして、ミレイユの傍らを通り過ぎていく。

それだけではない――彼女の、財布も入った買い物袋が、いつのまにやらその人物の手の中に収まっていて――

「引ったくり……!?」

「最近、多くなったねぇ……まったく、困ったもんだよ」

その言葉の割には、大して困った様子も無く――シャオは落ち着き払っている。

一瞬、ミレイユの脳裏でこのまま包丁を投げつけるシャオの姿が思い浮かんだが――

流石にそこまでのやんちゃは、彼女はしなかった。反射的に、投擲しようと振りかぶってはいたように見えたが。

しかし、咳払いをして彼女は包丁を仕舞うなり、変わって手に取ったのは―― 一枚の、紙。

否――ただの紙ではない。この国に古来から伝わり、独自の発展を遂げた呪術的技術の結晶とも言うべき『符札』である。

シャオの瞳――黒色に偽装していたそれが、細めた一瞬――本来の、金の輝きに瞬いて。

「……急急に律令の如くせよ……頼んだよ……(こくしゅんげい)!」

瞬間――シャオの手から放たれた符札は、まるで生有るものの如く真っ直ぐに飛び、引ったくりへ迫って――

瞬間、札からおびただしい量の黒い毛が生えはじめる。否―― 一瞬でそれは、すでに札ではなく――

札は雄雄しい鬣をもった一匹の獅子となり、轟然と咆哮して地を蹴っていた。

黒い毛並みのその獅子は、ただの獅子ではない証拠に――まるでチーターを想起させるほどの俊足で引ったくりを追う。

引ったくりとて、いかに健脚に自信があろうとも――たかだか時速34km前後。

その限界はエブラーナの『忍者』のように音速を生身で突破するような人間などでは勿論無く――逃げる事など出来なかった。

獅子『黒狻猊(こくしゅんげい)』の突進を喰らい、そのまま引ったくりは前のめりに倒れ、気絶する。

その背を、黒狻猊はそのまま踏みつけて押さえ――絶対的な優位とばかりに、気絶した無礼者を見下した。

その際、買い物袋はきちんと空中で口に咥え、中身の卵一つとて壊していないのは流石というべきか。

「よしよし……ありがとね、黒狻猊」

買い物袋を取り返したシャオが、その鬣をなでてやると――黒狻猊はネコ科特有のごろごろという甘い鳴き声を発する。

そして生まれた時と同様―― 一瞬にして鬣は消え去り、気付けば一枚の札に戻っていた。

あとは、この男が気付く頃には警備のモンク僧が彼を捕まえているだろう。

シャオは、ふと顔を上げて――そして、自分が観光客達の視線の中心にいることにその時気付く。

……と――目の前で展開された異様な光景に、観光客はあっけに取られていたが――

やがて、どこからともなく拍手が上がる。それは瞬く間に広がり、どっという歓声と拍手がシャオを包んだ。

……どうやら、大道芸パフォーマンスの一つだと思ってくれたようだ。

実際、この区画には火を噴いたり、刀を飲んだりというパフォーマー達がそこかしこに見られる。

紙が獅子になるなどという、極めて非現実的な光景も――この場所なら許されると、そこまで計算してのシャオの行動だった。

「……けど、相変わらず凄いですよね〜……その『符札』って」

やがて観光客たちも流れの中に埋没した頃――ミレイユがしげしげと、シャオの手の中にある札を眺める。

ちなみに先刻、一番最初に拍手を起こして――観光客たちに手品の一種と思わせこんだのは彼女であった。

「召喚魔法みたいですけど……その割には詠唱時間が殆ど無いですし。

 それにクリスタルルームに封印を施したみたいに、いろいろと応用が利くみたいですし♪」

そう――シャオは今では使い手の激減した、この符札を利用した術を使用することが出来るという特技を持っている。

あのファブールのクリスタルルームの封印を施したのも、他ならぬシャオなのである。

ファブールにも、国お抱えの『符術士』が何人か居るものの――実際のところ、

このシャオの使用する術より高いレベルの技術を持っている術士は、誰一人としていないのである。

「どっちかっていえば、これはあたしの力ってよりこの札の力なんだけどねぇ……。

 要するに、こいつは古代からの文字や象形の持つ力を利用してる一側面があるわけだけど、

 時間の流れに飲み込まれて消えていった文字も少なくない。……あたしはそれを知ってるってだけの話さ。

 よかったら今度、作り方を教えてあげようかい?」

「ホントですか!?」

「ああ。……あんた、魔法が使えるんだろう? だったら使い方もすぐに呑み込めるだろうさ」

……何故、シャオは失伝したはずのその文字や象形を知っているのか――

そんな疑問がよぎっていたのだが、ミレイユはこのシャオの提案でそれをすっかり忘れてしまっていた。

と――シャオと話し込んでいてすっかり忘れていたが、

ミレイユはそこではっと、自分がラディを追いかけている最中であったことを思い出す。

「あ、それじゃまた今度……私、ちょっと急いでますから!」

「また、あのラディって子を追いかけるのかい?」

「ええ、ちょっと今回だけは、退けない理由がありまして……ね♪ それじゃ――」

「――ちょっと待ちな」

手を振って、走り出そうとするミレイユだったが――シャオのその言葉に足を止め、振り返る。

「……っと……何ですか?」

「いや……お節介かもしれないけど、一応一言だけ言っておこうと思ってね」

どこか回りくどい、その言葉に――ミレイユは何のことかと頭を捻って――思い当たることを口にする。

「あ……こ、今度はもうちょっと破壊を抑え目にしときますから……」

「いや……それは別に……よくはないけど、言いたいこととは別さね。

 第一、あんたは言ってやめるようなタイプじゃないだろうし――あたしも昔は、相当ムチャをしたもんだからさ」

「じゃあ……一体、何なんですか……?」

いたずらがばれた時のように苦笑するシャオだったが――冗談を混ぜたようなその雰囲気は、そこまでだった。

軽く瞑目し――表情を改めた時には、打って変わって真剣な表情でミレイユを見つめている。

 

「……あんた―― 一体、何がやりたいんだい?」

 

「……え?」

意味が判らず――ミレイユは生返事で、聞き返す。

「……あんたが追いかけてるのは、求めてるのは……一体何なんだいって聞いてるんだよ。

 あのラディって子を追いかけてるのか……それとも、あの子の先に別のものを見ている(・・・・・・・・・・・・・・・)のか」

ミレイユはその言葉に、思わず顔を伏せて――俯いたまま、何も言わない。

「……ま、究極的に言えば他人事だ……あんたが一体、どういう人生を送ってきたのか……あたしは知らない。

 だから、あんたがあの子自信を追いかけてるのか、それとも別の誰かを追いかけてるのか……そこには口を挟む気は無いさ。

 愛ってのは、いろいろと形があって……そのどれもが、間違ってるとは言いがたいからね。……ただ」

シャオは、そこで言葉をためらって――しかし、一瞬の迷いの後――思ったとおりのことを、告げる。

「ただ、あんたの場合……そのどれとも違う気がするんだよ。……なんだか全部、演技じみてるっていうかさ……。

 そうやって、誰にも本心を見せずに……あんた、自分自身にさえ、演技をして生きてるんじゃないのかい?

 そんな肩肘張って、自分の心に、自分で嘘つかないとやっていけないほどにまで追い詰めて……何をしようとして――」

 

「――貴女には関係のないことだわ」

 

シャオの言葉を、やんわりと――しかし有無を言わさぬ調子で留めた、ミレイユの言葉。

言葉自体は荒げていないというのに――その言葉の、なんと冷たいことなのだろうか。

鼓膜を振るわせる、その声だけで――辺りの気温さえ、下がったように錯覚するほどの空気の中で。

ミレイユは、ゆっくりと顔を上げる。

……かつては『氷の淑女』の名で恐れられていた、ミレイユ・ワイアット・フォン・ミューアが今、口を開く――

「私は、私の為すべきことを為す……ただそのためだけに、ここにいるの。

……ラディ達と行動を共にしてるは、彼らがせいぜい、私の為すべきことの役に立ってくれそう(・・・・・・・・・)だから」

その口元に、浮かべる微笑――氷の彫像めいた、温度の無い完璧な冷笑。

いつものミレイユという存在が、まるで仮面を被った仮初めの存在であるかのように。

……陽気さを剥ぎ取った今の彼女は、信じられないほど冷たい眼をして――

笑っていた。

……哂っていた。

「私には、使命がある――そのためなら、誰を利用することになっても(・・・・・・・・・・・・・)誰を犠牲にすることになっても(・・・・・・・・・・・・・・)構わない。

 それが私の、最も優先すべき事項……たとえ何千人、何万人の人間が犠牲になろうと……文句は言わせない。

 せいぜい、いい手駒になってくれるなら……このくらいの事に、労力は惜しまない。……ただ、それだけよ」

聞くだけで、切り刻まれそうになるほどの冷たいその言葉――それをシャオは、真っ直ぐに見つめていた。

その瞳の奥に映るのは、同情? 憐憫?

勿論――そんなものは、自分に何ら意味を成さないものだ。

なら――ここから、一気に自分へと侮蔑の言葉を投げかけるのだろうか?

それもまた――何の感情も動かすことはない。他人がどう思おうと、知った話ではないからだ。

自分の言葉を聴いて哀れもうとする、シャオの下らない価値観に――ミレイユは侮蔑をこめた嘲笑を形作ろうとして。

その直前――シャオが、ぽつりと口を開いた。

 

「………………なら……何であんた、そんなに辛そうな表情をしてるんだい……?」

 

そんな言葉は、十分無視できるようなことだった。

いや――むしろ逆手に、相手の心を刻むための言葉を投げかけるための手がかりにすらなったかもしれない。

こんなことで、自分の磐石を期したこの心が崩れることは有り得ない。

ポーカーフェイスは、一番得意な表情なのだから。

 

……だと、言うのに。

ミレイユは――自分の表情が崩れた、音なき音を――どこか遠くで、聞いていた。

 

――こんな時に、思い出したのは。

 

――もしミレイユが、自分に嘘をつかないとやっていけないほどに重いものをかかえてるんだったら――

――オレは別に、その背負ってるものがなんなのか……話せとは言わない――

――無償にオレを信頼してくれ、とも言わない――

 

……あの時、自分にかけられた言葉。

 

――ただ……もう少しだけ、肩の力を抜いて笑って欲しい――

――気負わないで、普通に笑ってほしい――

――それだけでいい――

――それだけでもいいから……もう少し、オレに笑顔の仮面をつけて喋るのは止めて欲しいんだ――

 

自分と釣り合う筈も無い――地味な年下の若者が、自分にかけたあの言葉――

 

 

 

――だってオレは――

 

 

――嬉しそうなミレイユの笑顔を見てると、幸せな気持ちになれるから――

 

 

 

「……っ!」

ミレイユは俯いたまま――シャオから逃げるように、そのまま走り出す。

表情は、見えなかったが――傍らを通り過ぎたその瞬間、彼女の瞳から大粒の輝きが零れていたのをシャオは気付いていた。

彼女の着ている、赤いローブが人の波に飲み込まれ、見えなくなるまでシャオは彼女の走り去った方向を見続けて。

やがてぽつりと――口を開いた。

「……悪役に、徹せないんだったら……そんな生き方、するもんじゃないよ……」

その言葉は、いつものシャオのものとは思えないほど嗄れ、ひび割れたものだった。

 

 

―― 一方、その頃。

ファブール唯一の武具屋『蟲工房』――そこでカインとフェニは、息を呑んでその男を見守っていた。

……黒い甲冑に、身を包み――フルフェイスの兜に、盾。そして腰には、暗黒剣――紛れなく暗黒騎士の格好である。

顔が見えないため、誰かは全く判らないが――無言で立つその姿には、威風堂々とした貫禄が――

無い。

……かなり気分が悪いのだろうか。ただ立っていることが出来なく、ふらふらとしたその様は重度の二日酔いのようだ。

それでも、その男は気合で体を叱咤し、歩こうとする―― 一歩、二歩。

だが――そこが、限界だった。

三歩目で、見事に毛躓いて――派手な音をたてて、男はその場にすっ転ぶ。

その衝撃で、兜が脱げ落ちて――男の顔が明らかになった。

金色の髪、最高級のルビーの瞳を持つ青年――そう。ラディである。

「……やはり、ダメか……」

「す、すみません……頑張っては、みたんですけど……駄目でした」

申し訳無さそうに、ラディは頭を下げて――盾を取り外すと、兜と共にカウンターへと返却した。

……あの後、商業区からなんとか脱出して――ラディはこの『蟲工房』に来ていたのだった。

その、目的は――

「すみません……フェニさん、折角無理を言って、試着させてもらったのに……」

「構わん。……お前は暗黒騎士じゃないんだろう? 

なのに『負の力』で鍛え上げた武具の試着を頼んだ時点で、ある程度予測はしていたことだからな」

そう――彼が先刻まで装着していた、この兜と盾――これは、『負の力』によって鍛え上げられた武具だったのである。

『負の力』――それはパラディンの専用武具に備わった『正の力』と一対を為す一種のエネルギー。

『正の力』を備えた武具が、その根本的な素材として『魂』を使用して鍛え上げるのに対し、

この『負の力』は、作り上げる人間の『命』を削って鍛え上げ、武具に付与させる力。

そのため、聖剣が存在なき敵――霊的存在に多大なダメージを与えるのに対して、

暗黒剣は生命力の高い存在に対し、大打撃を与えることが可能なのである。

……そして――対極ともいえる『正の力』『負の力』には、共通する一つの特徴がある。

それは――こと防具にその力が付与された場合、炎熱や雷撃・魔法といった特殊な攻撃に対する耐性を得ることが可能となる。

ラディがこの『蟲工房』を訪れた目的――それは『負の力』で鍛え上げられた防具を入手できないか、というものだったのである。

「オレ、まだ暗黒騎士じゃないですけど一応、暗黒剣も『暗黒』も使えますし……大丈夫だと、思ったんですけど……」

「そうだな……度々失念するが……ラディ、お前はまだ暗黒騎士じゃなかったんだったな……」

暗黒騎士になっても、基本的な衝撃波しか放てなかったセシルとある意味、対極というべきだろうか。

「……オレとしては、何で暗黒騎士でもない人間が暗黒剣を帯剣して、正気を保ててるのかの方が疑問だがな……まあ、それはいい。

 ラディだったか……まだ、どこか調子が悪いところはあるか?」

「いえ……別に、今は。……装着してる時は、酷い頭痛と吐き気に襲われましたけど……今は特に」

……『負の力』で鍛え上げられた武具に共通する特徴として、もう一つ上げるとするなら――これがそうだろうか。

『負の力』は、多大な恩恵をもたらす代わりに――耐性を持たない人間に対しては身体能力に悪影響を及ぼすことがある。

ラディが訴えたのも、まさにそれだろう――あまり長期にわたって無理に着用していれば最悪、自意識の崩壊も起こりうる。

もっとも、耐性は訓練次第である程度強化することは出来――耐性さえあれば、負の力は所有者に悪影響を及ぼすことは無い。

現にラディは、暗黒剣の中でも最高に近い力を秘めたテュルフングを帯剣して何の不調も訴えていない。

テュルフングの放つ『負の力』に十分耐えうるだけの耐性を、ラディが備えている証拠である。

ただしその訓練法は暗黒騎士の間だけの秘伝とされ、それが結果として常人の『負の力』付与武具の使用を抑制しているのだが。

「しかし……ラディ。何で今頃になって、新しい防具を欲しがったんだ? それも、強力なものを」

「……この前、白妙さんと戦ってて思ったんですけど……。

ああいう人を相手取る時には、この鎧じゃ……ただの鉄の鎧程度じゃ、何の防御力も無いんですよ」

確かに――ラディの着ている黒の甲冑は、暗黒騎士のものによく似せて作らせてはあるものの――

所詮はただのアイアンアーマー。魔法防御は皆無に等しく――

また、物理的な防御力もカイン達の使っている防具と比較すれば紙同然である。

時に短剣を利用して相手の攻撃を裁き、時に甲冑を着込んでいるとは思えないほどの機敏な動きで攻撃を避けるため、

案外気付かれていないことだが――『直撃』を食らった時の立ち直りがどうしても遅くなってしまう。

装備している防具の差で――ラディはカインやクレセントと比較して明らかに『打たれ弱い』のである。

「あの時は、みんなのフォローもあって、なんとかなりましたけど……。

もしこれから先、ああいう人と戦うことになった時……オレ、仲間の足を引っ張りたくないんです」

「……これから先、白妙みたいな奴と戦うこと自体早々無いと思うが……というか、あったら困るんだがな……」

ラディの言葉に、こめかみの辺りを軽く抑えながら苦々しく呟くカインである。

「オレ、まだ暗黒騎士じゃないですけど、一応負の力への耐性もそれなりにありますし……いけると、思ったんですけどね……」

……だが、ラディは負の力の影響がさほど無いといわれる兜と盾を装着し、身体の不調に立っているのがやっとだった。

この様子では、とうてい鎧を装着することなど不可能だろう――ラディはがっくりと肩を落とす。

……と――

「……そう気を落とす必要は無い」

ラディが顔を上げる。その声をかけてくれたのは――この店の店主・フェニ。

「心配しなくとも……武具は人間よりずっと素直で……賢い。

お前が、こいつらに見合うだけの実力を付ければ……お前に見合う武具は己ずから、その身をお前に捧げるだろう。

武具に愛されているものは、そういう運命を引き寄せる……お前の腰の剣を見ていれば判る。

お前が武具に愛されていることはな。だから今は、ただ己を鍛え上げていろ……

そうすればいずれ、お前に見合った武具が……きっと見つかるはずだ」

その言葉は――まるで渇いた大地に水が染み渡る様に、心に染み渡っていくものだった。

ラディとカインは、思わず目を見開いてフェニを見つめる。

「……フェニさん……あ、ありがとうございます!」

「なんというか……達観しているな。とても俺より年下だとは思えん……」

「達観……か。確かに昔は色々と無茶をやらかしたからな……自分では、あまりそういうことは実感が湧かないが」

カインの言葉に――フェニは苦笑する。

「しかし本当……凄いぞ。……こんなに若いのに、自分の店を持って……これだけの武具を作れるなど――」

「おだてても何も出んぞ。オレなど……まだまだだ。オレは……まだあの女の……フルフルの足元にも及ばないからな」

「……フルフル……?」

フェニの口から漏れた、知らない女性の名前に――ラディとカインは異口同音に疑問の声を上げる。

「オレの兄弟子……いや、姉弟子、というべきか。……親方の下で、最も武具作りが上手かった女だ。

 今は確か、ミスリル村のククロの元で武具作りを教わっていると思うが……あの女に比べればオレの武具はまだまだだ。

 フルフルが店を継がなかったからこそ、なんとかそのおこぼれでオレがこの店を任されたようなものだからな……」

「ほう……」

カインは軽く眉を跳ね上げる。

まだまだというフェニだが――この店に置いてある武具は、何気なく立てかけてある一本でさえ普通の店では『名剣』だ。

武具の質で有名な、地底のハイポ村に匹敵する――いや、下手をすればそれ以上のラインナップかもしれないほど、

この店に置いてある武具の品質は非常に高いものなのである。

正直、あの『世界一の鍛冶屋』ククロでさえ、彼ほど若かった頃――これほどのものを作れたのだろうか。

……それほどの腕を持つフェニをして『桁違い』といわせるほど――フルフルは武具精製の技術を持つというのだ。

興味が湧かないわけが無かった。

それは、ラディも同じだったようで――カインの聞きたかったことを、ラディが代わりに尋ねる。

「そのフルフルさんって……どんな人なんですか?」

それに対する、フェニの返答は――とても簡潔な一言。

「……怖い」

「……へ?」

「怖い女だ……尋常じゃ無く、な……」

そう呟くフェニの瞳は見開かれ――真剣な表情の彼の全身は、小刻みに震えていた。

「……一見、おしとやかな美人に見えるかもしれないが……その本性は鬼……いや、『鬼神』だろうな。

 とにかく何を考えているのか判らんうえにあまりに抽象的過ぎて理解するのに大分時間がかかる上に

微笑していながら腹の底に毒を隠し持っているというか笑いながら気付けばテーブルの上のコップが

鬼気でカタカタと小刻みに揺れるというかクールに見えて実際はドライというべきか昔オレは傭兵を

やっていたんだがあの女の前に相対するくらいなら裸一貫でオーガの群れに突撃する方がまだマシ――」

 

っばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!

 

そんな破裂音が響き渡り――フェニの言葉は遮られる。

三人が、音の発生源を見やれば――カウンターの上に飾られていた花瓶が、木っ端微塵に砕けている。

しかも、ただ割れたものなどではないということは――霜の降りたカウンターや、

完全に凍り付いている花の破片を見やれば一目瞭然だろう。

……温度の急激な低下に耐え切れず、木っ端微塵に砕け散ってしまったのだ。

しかし――一体、何故唐突にこんな現象が起こったのか。

唐突といえば唐突過ぎる光景に、二人が呆然と言葉を失っている中――かすれる様な、フェニの声。

 

「……あの女の……仕業だ」

「!? そんな……まさか――」

「あの女はそういう女なんだ。……あらゆる時空の壁を突き破ってもおかしくないような、そんな人間なんだよ。

 お前らが、ここからどう旅を続けるのかは知らんが……ミスリル村に行くのであれば死を覚悟した方がいい。

 命が惜しいのなら、今のあの村には近づかないことだ……それだけは人として、伝えておく」

……フェニの、その鬼気迫る真剣な恐怖の表情がなければ――冗談にしか聞こえない言葉。

しかし、その落ち着いていたはずの双眸はかっと見開かれ――奥に染み付いた感情は真の『恐怖』

それを冗談と言ってのけるほど――ラディは無知では、無恥ではない。

……だが。

いくらなんでも、ファブールとミスリル村――ここまで、距離が離れていながら――

「……なるほど、お前も苦労しているんだな……」

「カインさん!?」

共感する、声にラディが振り返れば――そこには静かに頷く、カインの姿。

フェニは震える瞳で、その青金石(ラピスラズリ)の瞳を見つめる。

「……お前も……この恐怖、理解できるのか……?」

「ああ……まあな。……俺もホブス山で白妙と生活していた時、いつも似たような恐怖を味わっていた」

「……そうなんですか?」

ラディの、どこか呆れたようなその反応に――しかしカインは大仰に頷くと、

「あいつは人の心がある程度読めるようだからな……あいつの思い出し笑いを引き起こすような思い出などを思い出すと、

どれだけ距離を隔てていても……いきなり致命的な破壊力の肘鉄を打ち込まれたものだ」

ぞっと首の辺りをさすりながら――カインはぴっと指を立てて、声を潜める。

「例えば……ここだけの話だがな、白妙は昔、料理の器を――」

 

―― 一陣の風が、吹きぬけた。

それは、心の中さえも爽快に突き抜けていくような、涼やかで清々しいほどの涼風。

……あの霊峰・ホブス山に吹き抜けていた、風に似ていて――

だが、その風が伴っていたのは、爽快でも何でもない、鈍い響きだった。

そして――風が吹きぬけた跡、腹腔を抑えてその場にうずくまるカイン・ハイウインド26歳。

……風が、吹きぬけた時――その風に、巫女装束と黒髪のようなものが見えたのは――ラディの目の錯覚だったのだろうか。

 

「……相変わらず……人間の、常識と言うヤツを……超越しやがって……ぐっ……」

「くっ……フルフル以外にも……こういう人間がいるというのか……!?」

激痛と、恐怖――二つに苛まれる二人は、第三者から見ればどこか滑稽ささえ漂うだろう。

実際、蚊帳の外のラディも似たようなもので――どこか呆れたように二人を見やる。

「……なんというか……お二人とも、苦労してるんですね……」

「…………何を、他人事のように呟いている、ラディ……お前だって、似たような……ものだろう……が……!」

あばらを数本、もっていかれたのか――激痛に悶絶しながらも、カインは声を絞り出す。

その言葉の意味を、ラディはしばし図りかねたが――やがて思い当たったのは――

「もしかして……ミレイユのことですか? ……いくらミレイユが常識からちょっと外れた規格の性格だからって、

 いくらなんでも白妙さん達みたいに良識と次元の壁を超越したりは――」

「その言葉…………忘れるなよ……」

カインは、にやりと不敵に笑う。

だがラディも、確信を持っていた。

いくらミレイユでも、この二人のような常識を度外視した行動は、出来るはずが――

「――ここにはとっても、とっても美味い――酒がある」

 

――ラディは前言を撤回せねばならなかった。

彼の、戦士としての――否、一人の人間、動物としての。

本能的な部分における、第六感的感覚器が今――張り裂けんばかりに警鐘を鳴らしていたからだ。

全身の怪我、総毛立ち――ラディは一瞬で、精神を戦闘態勢へと以降――心の中でスイッチを切り替える。

左手には、短剣を沿わせ――右手には、腰の捻りを利用し、一瞬で抜き放った父譲りの暗黒剣『テュルフング』を構えながら。

ラディは素早く、辺りに視線をすばやく走らせる。

……あの、白妙と戦った時ですら――これほどの緊張と危機感を味わったことはあっただろうか?

テュルフングでは、駄目だ――ラディはそう判断するなり、テュルフングへと意識を集中させる。

全ての意識を、右腕に――その清々しいまでの黒き刀身へと収束していくイメージ。

手に入れた『力』――全てを切り裂く全断の刃を発動するその寸前で留め、ラディは後方を振り返って――

……だが。

その言葉に、反応すると思われた――金髪の女性の姿はそこになく。

――ラディは、全身から噴出した安堵感で――思わずその場に崩れるように座り込んだ。

 

「たっ……確かに……。酒が絡めば……ミレイユも、そうだったのを……忘れてました……。」

「……誰もが皆、苦労しているのかも知れんな……」

「…………同感だ…………ぐっ……」

どっと吹き出た汗を、手で拭いながら――全身に漂う疲労に苛まれるラディ。

すっかり乾ききった唇を噛みながら――落ちつかなげに辺りを見渡すフェニ。

凄まじい激痛に苦しめられながら――ただ荒い息を吐き出すカイン。

 

男三人、腕は立つ――そんな彼らを脅かすのは。

真の恐怖を、携えし者――汝らが名は『女』なり。

 

……と――その時。店に置いてあった壁時計が、午後4時の到来を鐘の音で告げる。

「あ……もう、こんな時間か……じゃ、オレはそろそろお邪魔させてもらいます」

「ん……ラディ、何か用事か?」

「ええ……デスブリンガー奉納所の予約の時間、そろそろですから――」

だがその時――フェニはハッと顔を上げる。

「待て……予約の時間だと? ……それは具体的に、いつなんだ……?」

「えっと……午後四時二十分ですね。……ここからなら、デスブリンガー奉納所まで10分も無いですし――」

「…………あー………………済まない」

フェニは、ラディの言葉に頭をかいて――申し訳無さそうに時計の方を見やって、告げる。

「あの時計……短針が一時間、遅れていてな」

「――へ?」

「あまりにぴったり一時間ずれているものだから……修理するのも面倒で、そのままにしていたんだが……」

……フェニの告げたことが、真実なのならば。

この時計が告げた、本当の時刻は――

「午後五時って……奉納所の閉場時間じゃないですか!?」

「だから……本当に、済まん」

頭を下げるフェニに、怒りを告げる暇さえなかった。

ラディは慌てて店を飛び出し――全力でデスブリンガー奉納所へと、走り出していた――

 

 

デスブリンガー奉納所。

かつてこのファブールを訪れた、暗黒騎士レオナルト――しかし彼は、やがてこの地で暗黒剣を捨て、

ファブールのモンク僧としての新たな人生を踏み出し――その生涯を閉じることとなる。

その際、彼の持っていた暗黒剣『デスブリンガー』を始め、彼の持っていた武具などを奉納したのがここなのである。

当時、暗黒騎士の中で最高の使い手と言われていたレオナルト――モンク僧となった時、

彼のデスブリンガーはその威力を大幅に減退しており――武器としてみればあまり名剣とは言いがたいものとなったが、

歴史的な価値観で言えばこの剣はとても重要な意味合いを持つ剣なのである。

五年前、セシル・ハーヴィがこの剣を先代ファブール大僧正から譲り受けて――そして戦いの後、返却された。

今ではこの奉納所は一般解放されており、ファブール有数の観光スポットの一つとなっている場所である。

…………だが。

いくら一般解放されていても、閉場時間に一般客を入場させるようなことは出来るはずも無く――

「……やっぱり……駄目ですか……?」

「はい。……大変申し上げにくいのですが、規則は規則です。ご了承下さい」

門番のモンク僧に、丁寧に断られてしまい――ラディはがっくりという音が聞こえるほど、肩を落とした。

「……見たかったんだけどなぁ……あのセシルさんも使った、デスブリンガー……」

デスブリンガー――『死を運ぶ者』の名前の通り、その剣の力は凄まじいものだった。

その刀身に触れるだけで、生きとし生けるもの全てが一瞬にして死滅する――別名『魂を断つ剣』。

暗黒剣でありながら、『暗黒』を使用せずとも霊的存在に対しても多大な破壊力を持つ凄まじい剣だった。

また、レオナルトの暗黒――『魂を狩る者(ソウル・テイカー)』は、デスブリンガーのその効力をさらに引き出すものであったがために、

彼一人が戦場に立つだけで、1時間と立たず敵軍は死屍累々の山となって彼の前に積み上げられていたという。

もっとも、彼が暗黒剣を捨てた時――その力は衰え、今のデスブリンガーの力は最盛期の残滓とも言うほど弱いものとなったが、

それでもラディにとっては――かつて実際に使用されていた、有名な暗黒剣が見られると心の底から楽しみにしていたのだ。

特に、この国でもやはり『負の試練』の情報が掴めなかったこともあって――正直、このことに対する期待は膨れ上がっていた。

だから――彼の落胆は、二重三重に激しさを増していたのだった。

「はぁ…………」

重いため息と共に、空を見上げる――すでに日は傾き、空はだんだんと青から紅へとその色を変化させつつある。

そんな空の色が、余計にラディの心の寂寥感を強くして――涙が零れないように、ただ上を向く。

「……こうなったら、あれほどミレイユが誘ってるんだし……酒を呑むのくらい、付き合ってもいいかな……」

ラディがそんな、自暴自棄な決断を下そうとしていた――丁度、その時だった。

「…………何をしている?」

その声に、慌てて顔を下ろすと――自分を見つめる、凍えるほどの赤銅の瞳。

「……オルステッドさん……?」

「レオンの息子……随分と、何かに打ちひしがれているようだが……何をしている?」

その言葉に――ラディは苦笑し、照れ隠しに頭をかく。

「いや、この奉納所の予約を取ってたんですけど……時間を間違えちゃって、入りそびれたんですよ。

 ……楽しみにしてたんですけど……仕方ないですよね……ハハハ」

仕方ない、では済まされないほどがっかりした様子で――弱々しく笑うラディ。

そんなラディを、無視するか、鼻で笑って一蹴するか――そんな反応を返してくると、ラディは思っていた。

……だが。オルステッドの取った反応は――そのどちらでもなかった。

「………………」

ただ、黙ったまま――真っ直ぐ、穴が開くほどラディをその赤銅の瞳で見つめている。

本当に真正面から、じっと見られていたために――ラディもそれ以上のリアクションを起こせず、オルステッドと眼が合った。

……凍てつくような、赤銅の瞳。

その瞳に映る、鳩の血の色(ピジョンブラッド)の瞳をした自分――

オルステッドは一体、ラディの何を見ようとしていたのだろうか。

その、絶対零度の瞳の奥――何かの感情が身じろぎしたような、そんな印象を受けて。

……たっぷり一分間は、その状態が続いた後に――オルステッドは口を開く。

「レオンの息子……お前は確か、まだ暗黒騎士じゃない……そう言っていたな」

「え、ええ……そうですけど、それが何か……?」

ラディの問いには、応えず――その言葉にオルステッドはしばし、考え込んでいたが――

やがてゆっくりと、その足がデスブリンガー奉納所へと向かう。

と――オルステッドは振り返り、ラディについてくるように目で示した。

わけが判らず――とりあえずラディは、その後について――程無く、先刻入場を拒絶された入り口に二人はたどり着いた。

と――オルステッドの姿を見出し、門番のモンク僧が静かに頭を下げる。

「……オルステッド様……城内の見回り、ご苦労様です。……これから奉納所の中の点検ですか?」

「ああ。……だが今日は、こいつも同行させたいんだが……構わんな?」

「!?」

オルステッドの突然の提案に驚くラディ。

だが、それにまるで気がついていないとばかりに淡々と、オルステッドは門番に話をつけていく。

「こいつの身の潔白は、私が保証する。……心配なら、大僧正に伺ってみるといい。

 ダムシアン国王ギルバート7世から証書を手渡されている人物だ。粗相は起こさないと思うが――」

「いえ……オルステッド様がそうまで仰られるのなら、私はあえて何も言いません。……どうぞ、お通り下さい」

「そうか」

一礼し、門を開けるモンク僧の側を、オルステッドは通り過ぎ――振り返って、まだ呆然としているラディに告げる。

「どうした。……警備を兼ねている以上、あまりゆっくりとはしていられん。不服なら別にそこに残っていて構わんが?」

「いっ……いえ! お、お供させていただきます!」

オルステッドが何故、そんなことをしてくれたのかは判らない――だが、折角の機会を無駄にするラディではなかった。

門番に深く頭を下げて――ラディは慌てて、先行するオルステッドの後を追いかけていった――