Final Fantasy W
After story
〜第三十八話〜長い長い長い長い一日(昼)〜
ファブール城の廊下を一人歩く男――カイン。
クレセントと別れた後に彼は一人、ある場所を目指していた。
それは――ファブールに唯一存在する、小さな武具屋。
小さいながらも、この武具屋は世界で唯一――負の力で鍛えた武具を製造・販売している。
一般的に負の武具は、技術的な面もさることながら、鍛冶者の生命力を使用して鍛え上げるという点で
聖剣よりも製作が難しいとされているもの。それを製作・販売できる技量なら――もしや、と思ったのだ。
……もしや――ホーリーランスの修復が、可能なのではないか――と。
彼の愛槍、ホーリーランス――月の高度な技術が生み出した、世界でも最高の力を秘めた槍。
しかしそれを――自分の心の過ちから、傷を負わせることとなってしまって。
その語も、連戦に次ぐ連戦――その傷は拡大の一途を辿っている。
……一度犯した過ちは、消えることなく――迷いを断ち切った今も、槍に穿たれた醜い傷跡が痛々しい。
このままでは――やがて砕け散ってしまうのは確実。
修復しようにも、この槍に秘められた幾種もの数学的・錬金学的・魔道的技術は、そうそうのことでは模倣できない。
蒼き星の技術では――いや、もはやこうなっては月に持ち帰ったとしても、修復は不可能とクレセントは断言していた。
しかし、だからといってこのまま放置して置ける理由は無い。どちらにしろ、槍は必要なのだ。
だが、普通の槍では――先刻ラディと打ち合ったように、すでに生半可な槍では自分の力に耐え切れなくなっていた。
ホーリーランスが修復できれば、それでよし――無理でも最悪、名槍と呼ばれる程度には使える槍があればそれでいい。
そんな思いを抱き、カインが廊下の角を曲がる。
目指す武具屋が、視界の先に見えてきた――その時だった。
その武具屋から、出てきた人物。
……金髪の下、凍え、砕け散るような赤銅の瞳を持つ男――オルステッド。
しかし彼はカインの姿を見て――何の反応も無く、彼の隣を通り過ぎていく。
カインとしても、別に彼を留める理由も無く――二人は無言ですれ違った。
そして――武具屋の中へと、カインは足を踏み入れる。
……それは小さな店だった。
小さいながらも、工夫されて武具の類はかなり置かれていたものの――それを踏まえても、小さな店だった。
もっとも、カウンタの奥――鍛冶場となっている部分は店よりも広く作られており、また区画的にもこの部屋は広いはずだ。
……あれだけの広さを全て鍛冶場としているのなら――かなり本格的なものが存在しているのだろう。
そしてそれは、武器の品質に大きく影響する――
見れば、壁に立てかけられた何気ない一本。それがすでに、普通の店なら名剣と呼ばれておかしくない出来だ。
ここならば、あるいは――
「……いらっしゃい」
と、その時――鍛冶場の奥から、現れた一人の男。
年のころ、カインと同じか――それよりも下だろうか? 緩やかにウェーブする長い金髪の下、禁欲的なその顔は、
少々目つきが鋭いものの端整に整っており、こんな場所よりも正直、正装して貴族のパーティに出席していた方が似合いそうだ。
しかし実際には、彼が着ているのは豪奢な礼服ではなくタンクトップにジーンズという姿であり、手には石綿の手袋。
長い髪は一つくくりにして縛り――その頭を覆うようにしてタオルを巻いていた。
「見ない顔だが……この店は初めてか?」
「あ……ああ」
この格好から、この店で働いているのは間違いないだろう――しかし、他の従業員の姿は見えない。
一店を任されるには少々、年が若すぎないだろうか。
「オレのような若輩が、こんな店を任されているのが不思議……と、言いたそうだな?」
あっさりと、相手にそれを看破される――しかし実際、そう思ったためにカインは素直に頷く。
「……この店は元々、親方がやってたんだが……4年前に病気で亡くなってな。……それからはオレがここを経営している。
形としては、ただの引継ぎでしかないが……ここの武器の質が落ちた訳じゃない。信じる信じないは、任せるがな」
と――そこで男は軽く咳払いを一つすると、
「初対面の客に対して、少し失礼だったか……すまんな、口の聞き方を知らんものでな。
改めて……ファブール唯一の武具屋『蟲工房』へようこそ。……オレがこの店の店主をしている、
ポリパラフェニレンベンゾビスオキサゾールテトラクロロジベンゾパラダイオキシンだ」
……一瞬の、間。
「……名前か?」
「大概、聞くとそういう反応を返すがな……一応、正真正銘の本名だ。
P・フェニレン・B・ビスオ・キサゾール・テトラクロロ・ジ・B・P・キ・シン……覚えられなければフェニでいい」
いかにも舌をかみそうな、長い名前の男――略称フェニはさらりとそう告げ、顔を上げると、
「で……この店に、一体何の様だ? 武器なら、そこらに置いてあるが――」
「ああ……武器の修復を頼みに来た。……これがその武器だ」
カインは、あらかじめ呼び寄せておいたホーリーランスをカウンターに置く。
呼べば、どこからでも手の中に舞い戻ってくる槍だが――流石に事情も知らない相手にいきなりそれを見せるほど馬鹿ではない。
「ふむ……修復……か……」
フェニはしばらく、ホーリーランスの形や、穿たれた傷跡を眺めながら唸っていたが――
やがてその槍を手に取るなり、腰から一本の金槌を取り出す。
そしてそれを、大きく振りかぶって――
「――!? なっ、止め――!!」
カインは制止しようとするが――時すでに遅く、その金槌は力一杯、ホーリーランスへと振り下ろされた。
しかし、それはホーリーランスを破壊しようという凶行などでは決してなかった。
叩かれたホーリーランスから響いた、音――とても澄んでいて、まるで楽器か何かのように澄んだ音が響き渡る。
「オレがこの槍を砕く……とでも思っていたのか? いくらなんでも、お客の持ってきた武器を破壊するなんてことはしないさ」
フェニはニヤリと人の悪い笑みを浮かべ――しばらく、槍の奏でる音へと意識を向けていたが――
「……この槍……この星の技術で作られたものじゃないな」
「!? ……判るのか!?」
「武器の『声』を聞けば、それぐらいはな……。お前にも聞こえるだろう? この……澄んだ『声』が」
掲げた、ホーリーランス――手の中で振動し、武器ということが嘘のように心に響く音を鳴らしている。
「……三流は、この声を聞くことも出来ない。二流はただ、声を聞くことが出来るだけだ……。
そして一流の鍛冶だけが、この声を聞き、その伝えたいことを理解することが出来る。……武器も、生き物だからな」
淡々と呟く、フェニの表情――そこには歳の若さからくる甘さは微塵も無い。
よく打ち込まれた鏨のようなその言葉の重みに――カインはこの男が紛れなく、この店の店主であることを理解していた。
「……槍の真の銘は、ホーリィ・ランス・オブ・ザ・ヘブン……この、二重螺旋を描いているような施術は月の技術だろう。
だが、同じ月でも……ネミングウェイが持っている様なレベルの技術じゃないな。……恐らく、月でも最高峰の技術の結晶。
こんなものにお目にかかれるとはな……人生、どう転ぶか判らないものだ」
すらすらと、この槍を初めて見たにも拘らず――その特徴を指摘していくフェニ。
カインは知らず期待して――結論を問う。
「で……どうなんだ? ……この槍は……直るのか?」
「無理だな」
フェニは、驚くほどあっさりと首を横に振る。
「『声』を聞き、武器を理解してやることと……直してやることには関連性は無い。
……これほどの高度な技術の結晶は、残念ながらオレの技術では再現してはやれないし……施設も素材も足りなさすぎる。
いや……そもそもこの槍自体に、『復元』という概念が存在するのか……。
いい物を見せてもらっておいて、こういう言い方もあれだがな」
「……ならばせめて、この槍の代わりに何か……使えそうな新しい槍はこの店に無いか?」
「自分の腕には自信はあるが……流石にこの槍の代わりになるようなものは流石にこの店には無いな」
「……そうか」
最初に予想していたこととはいえ――カインのその返答に消沈の色が濃かったのは事実だった。
一度犯した、過ちは消えない――ホーリーランスに穿たれたその傷跡が示しているように。
自らの不甲斐なさの生んだ結末の重さに、カインが歯を噛み締めたその時――
「……だが、折角この店を訪れた客だ……オレとしても無下には扱いたくは無い」
「……?」
「修復や、代わる槍を準備することは出来んが……この槍に内包された力を限界まで引き出してやれば、
もうしばらくは戦闘に耐えうるようにすることは出来る。……そのくらいなら、オレにも出来ないことは無い」
「それで……この槍はまだ、使えるのか?」
フェニは一つ頷くと――
「……利き手を見せてみろ」
カインは素直に、左手をフェニへと差し出す。
まるで手相を占うかのように、フェニはその手を――カインの戦いの生き証人とも言える、その掌を仔細にチェックしていたが、
「……まさかこれまでの使い手とはな。道理でこの槍が、命をかけてまで相棒となろうとしているわけだ」
「命をかける……?」
「オレが行なうのは、武器の復元ではない……ただ、秘めた力を凝縮してしまうだけに過ぎない。
このまま戦いに使わなければ、それでも後数百年は朽ちることなくあるだろうが……これを施せば、もつのはせいぜい半年。
だが、それだけの覚悟を持って……武器が、お前に応えたがっている。……武器はお前を本当に愛しているんだ」
「ホーリーランスが……オレを……?」
カインは改めて、ホーリーランスを眺めやる。
世界最高の、光の槍――ホーリーランス。
ラグナロクやエクスカリバーと同じ――光に真に愛されたものだけが、携帯を許される気高き槍。
だが、その光の真価を引き出せぬ――所詮は仮初めの主に過ぎない、この自分が――?
「……この槍とお前の関係は主従じゃない。道具と使い手の関係でもない……対等な、パートナーとしての関係だ。
それが、この槍には無い何か……別の力を生み出している。光でも闇でもない……不思議な力がな。
流石に初見で、それが何かまでは判らんが……それでもこいつは、お前のその力に健気に応えようとしている。
そしてお前も、いい手をしている……この武器の想いに唯一応えてやれる、そんな手だ。
武器を造る事に携わる人間にとって、この関係はとても羨ましい……こうあれる武器を造ることこそ、オレ達の役目だからな」
フェニは呟いて――視線を、横手へと向けた。
カインもそれを追い――その視界に映った、一本の剣。
「あれは……」
見覚えがあった。
それは、一振りの聖剣。
あのオルステッドの使っている聖剣・ブライオン――
「……あの剣と、あの男も……関係は同じだ。あの男の強さに……生き方に、健気にあの剣は応えようとしている……。
だが、力の方向性はまるでお前とは違う。お前のそれが、全てを貫いていく透徹なる意思から導かれる力だとすれば、
あの男の力の源は……そう……『悲しみ』だ」
「『悲しみ』……?」
「そうだ。……拭いきれない悲しみに蝕まれた心が放つ痛みで、自分を奮い立たせて手に入れた不器用なまでに悲壮な力……。
だが、そうであるからこそあの男はあそこまで『強い』……。あそこまで自らを省みず、
『力』の高みへと上り詰めれたのかもしれん。……そこまで上り詰めた『強さ』は、そう簡単には砕けんものだ……だが」
静かに瞑目して――フェニは静かに呟いた。
「……悲しい手をした男だよ、あの男はな……」
ファブールの商人は、とにかく逞しいことで有名である。
先刻、城の一部が破壊されるほどの騒ぎが起きたこの商業区であるが――それ以外の区画に何の影響が無かっただけではなく、
問題のその区画ですら――当事者たちがいなくなったと見るや、すかさず商人たちが舞い戻り、五分も立たずもとの喧騒だ。
元々が、床にシートを引いて商品を並べただけというレベルの店舗で占められているのがこの商業区である。
流石に、破壊された部分の上に店舗を構える剛毅な商人はいなかったが――それでも、
つい前には阿鼻叫喚の騒ぎがあったことなどにわかには信じがたいほど、平常を取り戻しつつはあった。
そして、その中を一人、本を片手に歩いていたのは――置物と勘違いしそうなほどに重量感のある黒い重甲冑を着た男。
無論、クレセントである。
慣れた手つきで本をめくりながら歩き――と、地面に穿たれた巨大な斬撃後に脚を取られぬよう、その読書を止める。
「これは……随分と凄まじい一撃だな……」
一体、何を使えばこれほどの凄まじい斬撃後を地面に残せるのだろうか。
ラディのアポカリプスでも使用すれば、話は別だが――まさか彼が理由もなしにそのようなことをするはずも無い。
……クレセントにしては珍しく、考察が真実から外れたところで結論を出し――彼は再び、本の中に目を落とした。
彼が今読んでいる本は、やはり空想創作の産物で――大量の塵によって壊滅状態になった滅びの遠未来から、
自分たちが生き残るため、過去へと趣き、種の尊属を欠けた戦いを繰り広げる――そんな空想戦記を描いたものだ。
中々独特の世界観で、特に彼らの使用する兵器が、高度な機械文明の作り出した汎用人型兵器という点――
よくこんな話を考え付くと、クレセントはしみじみと感嘆する。
そして同時に――こうも考えていた。
(……この者たちも……『異界召喚』することは可能なのだろうか……?)
――異界召喚。
全くの異世界から、強大な力を持つものを召喚し、使役するという強大な力を持つこの魔法。
だが、この強大な魔法は、他の魔法のような――遥か昔の魔道士達の研究の遺産ではない。
クレセントが、己の知識と魔道士としての実力・経験を活かし――独力で魔法としての体系を作り上げたものなのである。
(いや……体系を作り上げた、などとは流石に大風呂敷を広げすぎているな……)
自分をたしなめるようにして苦笑するクレセントである。
……確かに、体系を整えた――そう断言できるほど、異界召喚は完成を見たわけではない。
完成した『技術』とは、素質あるものなら誰もが使いこなすことが可能なもの――それがクレセントの持論だが、
この『異界召喚』を、自分以外の誰かが行使することが可能だとは到底考えがたいのが事実だからだ。
異世界との『門』を維持するために使用する莫大な魔力といい、召喚する相手を己の力の身に屈服させてしまう点といい――
クレセント自身、現在行使している異界召喚もまた、実践データ採取を兼ねているという部分が非常に大きい。
現に、この星において初めて使用した異界召喚『ヴァリトラ』は、ダムシアンの地形の一部を変形させ、
そして、巻き込んだラディの両足と左腕を完全に破壊――彼を危うく殺しかけた。
……それも、その原因は――未完成だった異界召喚に危うく巻き込まれそうになった自分を助けるために。
言葉に出来ないほどの、感謝と共に――二度とこのような過ちは犯さないと肝に焼き付け、以後こういうことは起きていない。
しかしそれでも、まだまだ完成には程遠い――あまりにまだ、彼自身にも不確定要素が大きすぎるのである。
そもそも、高次元の存在を引き出してきている『異世界』という概念自体――非常にあやふやなものだ。
この世界と『異世界』の関係は、言ってみればパラレルワールド同士の関係に近い――
世界同士が非常に近くに存在しながら、決して交わることの無いもの――それが『異世界』だ。
しかし、クレセントがこの星で異界召喚を行い、四度――その際に接続した『異世界』が複数あることを、すでに気付いていた。
『ヴァリトラ』と『ガルーダ』は同一の『異世界』から召喚されたものだが――『ホワイトクラウド』、
そして『マリア&ゼプツェン』はそれぞれ、前の二体とは全く異なる世界から召喚されたものだ。
この時点で3つ、異世界とは存在しているということになるが――そんなものではないということは間違いないだろう。
仮に『異世界』が、パラレルワールドと同じ存在と仮定するならば――
それはこの世界が誕生してから無限とも言うべき選択肢の数だけ、『異世界』が存在しているという計算となる。
うち、この世界と非常に似通った異世界を削除したとしても――人類が認識可能な数単位の限界を突破しているのは確実だ。
だが――そのうち、『異界召喚』が可能な異世界と限定すれば、その数は非常に限定されてくる。
しかし、それでも『異界召喚』で開ける世界は恐らく数億以上――召喚できる存在の数はそれ以上だろう。
しかも厄介なことに――仮にも幻界という一つの世界に集まっている普通の幻獣と違い、
異界召喚のそれはそれぞれの幻獣達がそれぞれ、互いに干渉出来ない異世界同士――そのために、
クレセントからすれば召喚するその直前まで何が召喚可能なのかを把握することが出来ないのだ。
異界の扉を開いた瞬間、流れてくる膨大な情報を整理し――
その度、召喚時に必要なだけの能力と破壊力を備えたものを召喚出来ているからいいものの、
このような行き当たりばったりな手段では――とても一つの魔法としての体系確立など程遠い。
せめて、召喚可能な異界の幻獣の存在だけでも把握し切れれば、詠唱の短縮化や門設立の時間短縮など可能なのだが――
……しかし。
最近、その無謀とも言うべき、幻獣の把握――その糸口を、クレセントは掴んだのだった。
それが――クレセントが手にしているような『本』なのである。
きっかけは、余った時間を潰すために手持ちの本を再び読み返していた時だった――
彼が異界召喚で呼び出した存在が、とある本の中で登場していたのである。
『永久に広がる空の海』――空に島々が浮かぶ『オルレス』と呼ばれる世界で、
ドラゴンを軍隊に組み込んだ『戦竜隊』と呼ばれる特殊部隊の隊長の視点から見た、祖国解放への戦いを綴った空想戦記小説。
しかし、ここに――『神竜』と呼ばれる存在で、『ヴァリトラ』『ガルーダ』の存在を見受けることが出来た。
最初は単なる偶然と思っていたのだが――読み直していくうち、あまりにその特徴が彼の召喚したそれと類似していたため、
慌てて自分の蔵書をひっくり返して――そして別の本に『ホワイトクラウド』や『マリア&ゼプツェン』の存在を発見した。
こういった、現実を元にしていないフィクション世界――それが『異界』として、現実には存在している。
……可能性としては、ありえない話ではない。それこそ『異界』とは無限以上に存在している世界なのであるし、
異界召喚で干渉する世界は、たとえ交わることが無いとは言えこの世界に『近い』ことは間違いない。
こうやって、一見何の関係も無さそうな形で――我々は他の世界を『知って』いるのかもしれないのだ。
ともすれば――先刻まで読んでいたこの小説『チーム・ブリット』の世界もまた、どこかに存在しているかもしれない。
いや、むしろ――我々の住むこの蒼き星の世界が、別の世界では娯楽メディアとして存在している可能性もある。
……もし、この仮定が正しいのなら――これ以後の異界召喚の体系確立の助けになるのは間違いないだろう。
しかし、この仮定が正しいと認めるのは――同時に、この世界に『話』が生まれれば――その瞬間に幻獣が生まれて。
人の手によって、あれほどの尋常ならざる幻獣が製作可能という途方も無い可能性を示すことにもなる。
そう――文才があるとは思えないが、仮に自分が筆を取り、描いた幻獣を『異界召喚』出来る可能性もあるのだ。
それでは、今まで月や蒼き星で数々の賢人たちが解析してきた幻獣の定義を根源から覆すことにもなりかねない。
だが、常識と事実が常に一緒というわけではない。現に知識の、文明の発達とは常識の打破からいつも産声を上げるものであり――
――そんな、答えの巡り続ける命題にクレセントが知恵を絞っていた――しかし、その時だった。
「なーなー、おっちゃん♪」
瞬間――クレセントの近くにいた観光客が、思わず彼からあとずさっていた。
その言葉を聴いた彼の全身から一瞬、触れただけで全身を粉々に切り裂きそうな殺気が膨れ上がったように感じたからである。
しかし、実際には彼の表情は兜の下に隠れて見えず――その凄まじい気迫も一瞬で静謐なものに戻っていた。
その声が自分にかけられたものでないことを一瞬で理解し――クレセントは自らの意識を、深い思考の奥から現実へ引き上げる。
そして、声のするほうへと首を向け――その光景を目にしたのだった。
それは、小さな露天商だった――小さいながらもかなり手広くいろいろと売っているが、素人ではない。
店主である壮年の男がひとたび口を開けば、通行人はつい足を止め、そして財布の口を開かせてしまう。
そんな達人の技を持った商人――いや、『商いの虎』に、気さくに声をかけたのは―― 一人の、少女だった。
「いらっしゃい! 可愛らしいお嬢さん」
「うち……かわいい? ふふ、ありがとな♪」
恐らく十代前半だろうか――それより若干、幼いようにも見えるのだが。
小さな体に着ているのは、大きくスリットの入ったスカート部が特徴である、チャイナドレスと呼ばれるこの国独自の服。
黒色のそれの寸法は子供用で、流石に妙齢の女性が来た時に感じさせる独特の色香はそこには見受けられなかったが――
小さいながらもかなりしっかりと細部まで造りこまれており、刺繍された分銅のデザインはこの国の風水学にのっとったものだ。
どうやらよほど、服飾デザインに詳しい人物が造った渾身の一作なのだろう。
そしてそれを十分に生かせる素質が、少女にはあった。
つぶらな瞳に、大きなレンズの眼鏡をかけているせいでよけいに幼く見える、可愛らしい少女。
幼く、無邪気に明るいその声には、ダムシアン訛りの口調もよく似あっていた。
髪の毛は二つくくりのツインテール――さらにくくった根元は明らかに飾りと思われる大きさのお団子にくくってある。
浮かべた笑顔はとても愛らしく――ステップを踏めば、パステルカラーの星が出てきそうな雰囲気をも感じさせた。
しかし少女がその手に提げた、大きな籠――その中に詰め込まれているのは、ビーカーやフラスコ、ガラス管や薬剤。
人目で化学用の研究資材と見て取れるそれらが、少女には酷く不似合いに見えたが――
「で――小さなお嬢さん、うちの店に何の用だい?」
「あのな、うち、とってもえらい学者さまのおつかいで来てんやんか♪ で、そこにある三角フラスコとろうとが欲しいな♪」
彼女がそう言って示した場所に――確かにフラスコやろうとといった、研究には必要不可欠の消耗品が並べてあった。
3つ一組で、かなり良心的な値段で販売されていたのだが――しかし。
「へい、まいど――」
「あ、ちょっと待って……おじちゃん、これ……半額にならへん?」
「は……半額?」
商品を梱包しようとしていた商人の手が――当惑にぴたりと止まる。
しかし、少女はそのままふるふると体を震わせると、
「学者さま、いっつもうちがお金をせつやくするとよろこんでくれるやもん♪ なー、ええやろ?」
「いや……君の言いたいことは判るし、可愛い子にはおじちゃんもサービスしたいけど……流石に、半額は……」
そこは、ファブールで百戦錬磨の戦いを繰り広げてきた商人――ライン引きはきっちりと行なうのは当たり前。
公私混同はしないことが、ここでの鉄則――鉄則だった、はずなのだが……。
「やさしいおじちゃん……まけてぇな♪ なー、なーなーなーなー♪」
そう言いながら、擦り寄ってくる少女のあまりの可愛らしさに――商いの虎は、敗北してしまっていた。
「くぅっ……仕方ない、可愛いお嬢さんにサービスだ! 半額で持ってきな!!」
「うわぁ♪ ありがとな、やさしいおじちゃん♪」
「学者様ってことは、研究用品なんだろう? だったらこの試験管五本もサービスだ! 持ってけ、泥棒!!」
「ホンマに!? ホンマにありがとうな♪」
血の涙を流しながら――しかしその生涯に一片の悔い無しとばかりに、商いの虎は自らの敗北を堂々と認めていた。
一方、少女の方は代金を払い――ぴこぴこ♪ とその店を後にしていったが――主人から見えないところまで来たところで。
「…………ふふふ……楽勝ね」
その表情に表れていたのは、先刻までの無邪気な少女と同一人物とは思えないほど大人びた勝利の微笑。
「まさか、ここまでこの手段が効率的だとは思わなかったわ……普通に購入した時より、出費が4割にまで抑えられるなんて」
「そんなに……節約できたのか?」
「ええ、まあね。……すごいわよ、これなら軽く20000ギル以上、新規に予算が組みなおせるわ。
この浮いた資金を利用して、さらに資材を購入できれば……当分の間研究資金のやりくりに苦労する必要は無いわね」
「ほう……流石だな」
その賛辞の声に、少女は眼鏡のブリッジを押し上げ、自分の髪を――亜麻色の美しい髪をさっと払って告げた。
「当然ね。……この私の知能に、不可能という概念は存在しな――」
しかし――そこでぴたりと、少女の舌が止まった。
……というより、凍りついた。
あまりに、その合いの手の言葉が違和感が無かったために、普通に喋っていて――気付いたのだ。
……何で、自分の独り言に――合いの手が入っているのか、と。
……少女は、まるで錆び付いたバルブのようにぎぎぎぎ……と音を立てて振り返る。
ブラウンの瞳に映っているのは、自分と同じ目線の高さに腰を落とした、黒い重甲冑の男――
「で……ここで何をやっているのだ? ――エルナ」
完全に凍りついた思考が解凍するのに、たっぷり七秒。
その明晰な頭脳が示した、ここでの解決策は――
「や、ややなぁ♪ うち、そんな名前のひとやないよ?」
頬に指を当てるようにして、にっこりと笑って少女は幼い声でそう告げる。
……黒い甲冑の奥、蒼氷色の瞳はその少女の笑顔をただ黙って映していた。
……五秒。
……十秒。
……十五秒――
「……で、どうしてそのようなことをしている? エルナ」
「うううううぅぅ……」
先刻とまるで変わらない、とても穏やかな口調で語りかけてくるクレセントに。
……一番、見られたくなかった人物に見られてしまったことに――
少女、エルナ・セルリードは敗北を認めた。
認めるしか、無かった。
まるで巨大な河川――いや、海さえも連想させる人ごみでにぎわうファブール商業区。
その中を、まるで縫う様に進みながら――ラディはこの商業区を脱出すべく、行動していた。
無論、ミレイユから逃げ切るためである。
……なかなか、抜け目が無いような話だが――ラディはこういった際の訓練をバロンで受けていた。
要するに、尾行を振り払い、撹乱して撒いてしまうという訓練――陸兵団で一通り教わっていたのだ。
しかも、ラディはこの項目に関する部分の成績が特に良かった。
教官曰く――「お前は人込みに紛れると、すぐに見分けが付かなくなる」ということらしい。
普通なら――ラディは顔立ちも整っている方だし、人込みに紛れてもその紅の瞳といい、すぐに目に付きそうだが――
彼の全身からにじみ出る、生来からの地味な人格から生まれる空気が彼を霞の様に包み、周囲に溶け込ませるのだ。
……最初、聞かされたときは普通に悲しくなったものだが――こういう場合には便利なものだと思う。
しかし――どういうわけだか知らないが、ミレイユは自分を探し出すのが異様に上手い。
『ラディ探知センサー』とかいう体内器官でも隠し持っているのではないかと疑ってしまいかねないほどに。
そこで彼がまず、最初に訪れたのは――化粧品屋だった。
彼は思い切って、変装を試みることとしたのだ。
……とはいえ、身長180cm以上の長身を誇る彼が、まさか女装できるはずも無く――するはずも勿論無かった。
彼の名誉のために、あえて少し説明しておくなら――あくまで彼が行なおうというのは、人相を少々変えるということだ。
目元、口元を若干色合いを調整してやることで――大分とその印象は変わるものである。
別に口紅を塗りたくったりするわけでは決して無いのである。
そして、ついでに化粧品屋にあった整髪量を使って、髪の毛もチョコボのように鋭角におっ立てる。
さらに腰に帯びていたテュルフングを、背に負うようにしてみたが――まあ、これはあまり意味が無いだろう。
ともあれ、この奇抜な髪型と、若干目つきを鋭くすることによって変わった人相により――
そうそう簡単に、今のラディをいつもの彼と結びつけるのは難しいかもしれない。
後は、問題だった生来体に纏わりついた、地味な雰囲気だけであるが――
「おっとそこいく兄ちゃん! どうだい、このレアな品々の数々!
バロンの暗黒騎士の1/8スケールフィギュア、全品完全塗装済みコンプリート仕様だ!!」
ぴく、とその甘美過ぎる誘惑に引きこまれそうになるが――ラディは身を引き裂くように、それに耐える。
……ここでその誘惑に負けてしまえば、一体何のために変装したのか判らなくなるではないか――
「どうだい? 末端価格でも10万ギルは下らないシロモノだ……けど、兄ちゃんには特別サービス!
あんた、暗黒騎士とかに興味ありそうな感じだし……20000ギルの価格破壊でどうだ!」
本当に価格破壊である。
一瞬、一瞬だけ目を向けたとき――ラインナップをざっと見たが、本当にレア物ぞろいだった。
これなら、オークションなどに行けば軽く30万ギルにはなるのではないだろうか――正に『特別サービス』。
だが。
……だが――ラディはその心を封殺し、何事も無いように肩をすくめてみせて――
「きょ……興味ないね」
何事も無いように、その店を後にしていく。
勝った。
彼は変装という力で、己に勝ったのである。
妙に背中はすすけ、両の瞳からは血の涙も流れかねない勢いではあったが――それでも、彼は耐え切ってみせた。
これでもう、誰も彼を見てラディだとは気付かないだろう。
その歓喜と――ほとぼりが冷めたら、絶対にまた買いに来ようという鋼の約束を胸に秘め、
とりあえずこの場はミレイユから逃げ切ってみせると、決意も新たに商業区を進んでいった――その時だった。
彼を突き飛ばしかねない勢いで、誰かが彼の隣を走りぬけ――
女性の、悲鳴が聞こえたのは。
「引ったくりよ!! 誰か、そいつを捕まえて!!」
――自分とは関わりの無い話である。もう、彼はバロンの治安を守っていた兵士ではないのだから。
第一ここはファブールである。彼が何かせずとも、じきに警備のモンク僧たちが男を捕まえるのは目に見えていた。
それに女性は、不特定多数の協力を要請しているのであり――自分限定に助けを求めているわけでは無いのだ。
さらに自分には、ミレイユから逃走しなければならないという目的があり――そのために変装までした立場だ
ここでもし善意から協力などして――目立つことになれば、ミレイユに見つかるかもしれない可能性まで出てくるだろう。
でしゃばる事は、何も無い――この国はファブール。
自分は一観光客として、静観を決め込んでいればそれでいいのだ――
頭でそう考えたラディだったから――その脚がすでに引ったくりを追跡し、走り出していたことには苦笑するしかない。
しかも、自分に再び問いただしてみれば――その行為を全くやめる気が無いというのだから。
(結局……いくら頑張っても、オレってこういう性格なんだろうな……)
誰かが困っていたりするのを、見過ごしていけるようなタイプではない――陸兵団に長くいたこと、
そして何よりやはり、生来からの性格だろうか――つくづく、損な性分である。
(まあ、それがオレなんだから仕方ないか……さて!)
最後に一つ、苦笑を漏らして――しかしラディは次の瞬間には表情を改め、全力で引ったくりを追いかけ始めた。
暗黒騎士を模して造った黒の甲冑を着こんで、これだけの速度で疾走できるラディの健脚はそら恐ろしいものがあるが、
しかしひったくりは軽装で、しかも常習犯らしく走ることにそうとう長けている――その距離はつかず離れず、縮まらない。
このまま走り続けても、自分が息切れするとは思えないが――やはりそう距離は縮まっていかないと感じる。
……これがバロンなら――短剣を投擲し、両足の腱を切って走れないようにしてしまうといった少々手荒な真似も出来たろうが、
生憎この国はバロンではない――目には目を、という精神がこの清閑を旨とする宗教国家に存在するとは思いがたい。
第一、今の自分は言ってみればただの風来坊――そんなことをすれば、傷害の罪で自分が捕まってしまうだろう。
(相手をそんなに傷つけずに……足だけを、止めるか……)
ラディはその目を凝らして――引ったくりが盗んだのだろう、女物のバッグの中身を検分する。
恐らく、何かを取り出そうとしたその一瞬の隙を突いて奪ったのだろう――留め具は外れたまま、かちゃかちゃと音を立てる。
男の走りに、ぱかぱかと酸素を求めるように口を開くその中に――ラディはとあるものを見出していた。
それは、何の変哲も無いポーションである。ただし、その鞄の中には見えるだけで二つ、その存在を確認できた。
(――しめた!)
心の中で、その幸運に指を鳴らし――ラディは愛用の短剣を引き抜く。
その端に自分の持っていたエーテルをくくりつけると――力一杯投擲した。
ただし、殺傷する目的ではなく――鞘から抜かないままである。
一体、何の目的があってそんなことをしたのだろうか――短剣は男ではなく、鞄へと一直線に進んでいった。
そして、片方のポーションの瓶の縁を引っ掛けるようにして、瓶ごと短剣はラディの手元へ戻ってくる。
一方、ラディの本来持っていたエーテルはひったくられた鞄に残ってしまい――形としては交換のようなものだ。
ラディはポーションを小脇に抱え、もう一度投擲――やがて短剣はもう片方のポーションもひっかけ、ラディの手に戻ってきた。
……しかし彼は、一体何をしようとしているのだろうか?
ひったくりに奪われた荷物だけを取り返しても、根本的な解決にはならないし――
第一、一番最初にエーテルを鞄へと放り投げた意味がそれでは判らない。
が、ラディはそのまま――折角取り返したポーションを短剣へとくくりつけ、もう一度鞄へと返してしまったのである。
短剣は、今度は鞄の中にあった、女性の持ち物と思われるコンパクトを取り返していったが――全く行動が支離滅裂である。
結果、ラディは自分が投げたエーテルを取り返そうとした様子が無かったのだから。
短剣が自分を狙わなかったことに安堵したが――ラディのその行動が理解できるはずも無く、引ったくりは首をかしげる。
が――振り返ったとき、ラディがふとその脚を止めたのには素直に喜びを覚えていた。
やっと、あきらめたか――そう思ったのである。
が、ラディが足を止めたのはその一瞬だけ――再び全力で引ったくりを追いかけ始める。
もうワケが判らず――考えるのも馬鹿馬鹿しくなり、とにかく引ったくりは全力で逃げることとした。
――変化は、その時に起こった。
鞄を引っ掛けていた、左肩――その肩紐が突然、彼の肩に食い込み始めたのだ。
見れば――今まで散々、中身の入れ替えをされたその鞄の中に――先刻までは無かった『何か』が入っていた。
ラディが、何かを入れた様子は無い――しかし現に鞄は先刻とは比べ物にならない重さで、引ったくりの肩を圧迫する。
しかし獲物を捨てるのは、自分のプライドが許さない――引ったくりはたまらず、鞄を開けて『何か』を取り出した。
……それは本当に、『何か』としか表現できないようなものだった。
色は無色透明――というより、見えない。手触りは硬くも無く、柔らかくも無く――妙にふわふわと頼りげのないものだ。
しかし、その重さが半端ではなかった。どう見積もっても、7kg以上はあるだろう。
「何なんだよ……これはっ!!」
こんなもの――勿論盗んだ最初には入っていなかった。また、盗む価値があるとも思えなかった。
即座に、彼はそれを、追いかけてくるラディへと放り投げて――それをかわすために体制を崩し、ラディはそのまま蹴躓く。
今度こそ、逃げ切れる――勝利を確信して、引ったくりが一陣の風になろうとした――正にその時だった。
鞄に入っていた、ポーションが――凄まじい勢いで『増殖』し始めたのは。
それはまるで、沸騰したお湯のように膨れ上がり――鞄から溢れて――
「なっ……お、おい、おわあああああああああああああっ!?」
どんどんと増殖するポーションの山に引ったくりが飲まれた後も、ポーションはとどまることを知らず、増殖を続けて――
気絶した引ったくりの手から鞄を取り返した頃には、小さな山が出来ているほどにまでその数は増えていたのだった。
ラディが行なって見せた、この不思議な光景――『た5 増殖捕縛術』と呼ばれる、バロンでも最新の捕縛方法なのである。
255個に増殖する、捕縛対象の道具によって相手を押しつぶし、傷つけることなく捕縛するという画期的なこの捕縛方。
そもそも五年前の騒動の中――セシル・ハーヴィ現バロン国王がその手段を発見したことが発端だった。
まず増やしたい道具を、その総計が99個以下になるように道具袋に配置する。
そして誰かと戦い、その後にその相手から道具を受け取り、増やしたい道具とその道具とを交換した後、
交換して渡した方の道具を再び道具袋へと放り込む。そして最後、相手に適当に道具を手渡して一端道具袋の口を閉じ、
また誰かと戦う――すると道具袋の中に『目には見えない不思議な何か』がいつの間にか放り込まれており――これを使い、
そして戦闘行為を終了させれば――増やしたい道具が、まるで温泉のように懇々と道具袋の中で増殖するのである。
どういう理屈でこういう結果になるのかは、全く持って不明だが――ともかくこれを当時のセシルは有効に活用した。
一説によれば、あの聖剣エクスカリバーも255本に増やし、それを投げつけてゼロムスと戦ったという話もあるが――
その真偽はともかく、この騒動の後、セシルはこれを逃走相手の捕縛用の手段として兵士たちに教えたのであった。
……ラディは中身の紛失や、見た目の損傷がないことを手馴れた動作で確認して――最後に、ついた砂を軽く払う。
それが終わった頃――ようやっと、その鞄を盗まれた女性が、息を切らしながら姿を現した。
「ハァ……ハァ……と、取り返してくれたの……?」
「この通り。……中身も無事だ」
「ハッ……ハッ……ハァ……よ、良かった……」
肩で息をしながらも、うれしそうに笑ったその女性――長い黒髪の女性。
ミレイユのおかげで、美人には見慣れているが――彼女もまた、紛れなく美人に含まれる類の人種だ。
タンクトップにタイトなミニスカートという、動きやすい――言い換えれば露出のやや多い格好をしていた。
しかし、ちゃらちゃらと遊んでいるような安い雰囲気はそこには感じられない。
手にはめたレザーグローブは、単なるファッションではなく、有事の際の武器にもなりうる実用性の高いものだ。
その活動的な格好と、明るそうな雰囲気は――どこかミレイユを連想させる部分があった。
ただ――惜しげもなくさらした長い素足と、短いタンクトップの下からのぞくへそに、ラディはつい頬が赤くなる。
「……観光に来てたんだけど……ちょっと油断した隙に、盗まれちゃって……。
財布とか、身分証明とかこれに全部入ってたから助かったわ……ありがとう」
「これからはもう少し、気をつけるんだな」
顔が赤くなっているのが判らないように、ことさらラディはぶっきらぼうを装って顔を逸らし、鞄を女性へと押し付ける。
そのまま踵を返し、当初の予定通り、商業区を後にしようと踵を返して――
「あ……待って! 私はティファ。……せめて、名前くらい教えてくれてもいいんじゃない?」
女性――ティファの言葉に、ラディは一瞬、足を止めてしまった。
そして、足を止めてしまった以上――名前を名乗らなくてはならなくなってしまった。
(……参ったな……名前、か……)
まさかここでラディと名乗るわけにも行かない。それなりに、見物人が集まってきている状況だ――
そう名乗った瞬間、空間の隔たりを通り越してミレイユが現れてくるような、そんな確信に近い予想をラディは抱いていた。
さりとて、すぐに偽名を思いつけるほどに自分は人名には詳しい方ではない――
「あの……名前は?」
「……オレの、名前は……その……」
すっかり困り果てて――ラディが天を仰いだ時。
丁度、アーケードになって空が見える天井――しかし今、日の光を遮るように雲が空を覆っていた。
そして、それを見て――ラディの脳裏に閃く、一つのアイディア――
――私のことは……そうだな、クレセントとでも呼ぶがいい――
「オレの名前は……クラウドだ」
空が曇りだから、クラウド――自分でも酷く安直なものだと思ったが、しかしティファの方はそれで納得したらしく――
「そう……クラウドっていうの。……じゃ、改めて……ありがと、クラウド」
そう言って、彼女はすっと手を差し出してくる。
ラディは、一瞬その手を握るかためらって――しかし、結局のところそれを握り返していた。
あまりここに留まるのは危険だったが――このティファという女性は悪い雰囲気がしなかったからかもしれない。
……別にミレイユに、悪い雰囲気が漂っているという意味でもないのだが――
「で……クラウド? 私、あなたにお礼がしたいんだけど……」
「……別に礼などいらないぞ。オレが勝手にやっただけのことだからな」
「まあまあ、そういわないで……これは私のけじめなんだから、ね?」
そう言われてしまっては――断ることは流石に難しいものがあった。
「で……礼とは、一体なんだ? 金か?」
「違う違う。……クラウド、あなた……お酒、呑める?」
「……ああ」
「だったらさ……私がおごってあげるから、一緒にお酒でもどうかしら?」
「ああ……まあ、それなら別に……」
だんだんと、雲行きが怪しくなってきた――心のどこかが警鐘を鳴らしながらも、ラディは曖昧に返事する。
ティファは、にっこりと笑って――
「大丈夫、サービスするから………………例えば、『護羅無衷』とかね♪」
――ラディが手を振り払い、そのまま後ろへと飛んだのは戦士としての勘がなせる業だった。
そして、次の瞬間――ティファの繊手から迸ったおびただしい量の『糸』が空しく宙を薙ぐ。
「ちっ……最後の最後で、失敗しちゃったわねー……」
ティファ――いや、先刻までそう名乗っていた女性はちっと舌打ちして『糸』を巻き取る。
……そんなことをする人間に、ラディが思い当たる人物はそう、たった一人しかいない――
「ミ……ミレイユ!?」
「ご名答♪」
豊かな胸元から取り出した眼鏡をかけなおして――ぱちっとウインクするそれは、紛れなくミレイユだった。
「な……何をやってるんだよ!?」
「何って……見ての通り、変装よ? 格好変えて、かつらを被って……声色まで変えるなんて、もう千両役者ね♪
どんな格好も似合うスーパーレディ、このみ〜ちゃんさんを甘く見てもらっちゃ困るわね♪」
そう言って、びしっとポーズを決めるミレイユ――
確かによくよく見れば、化粧を施し、変装はしているものの、その顔立ちはミレイユそのものだ。……だが、
恐らくそれを気付かせないために――あえていつもより露出の多い格好をすることで、まじまじと見れないようにしたのだろう。
事実――惜しげもなくさらしたその素肌を、ラディはいまだ直視出来ずにいるくらいである。
「あのまま探してても、私って結構目立つ方だからすぐ逃げられちゃうでしょ?
……だから変装して、わざと引ったくりに引っかかるような感じにしてみたってワケ♪
どうせラディのことだから、そういうことになったら放っておけずにすぐ出てくると思ったし……事実、そうでしょ?」
「ぐぅっ……」
完全に行動を読まれてしまっていた――ラディとしては押し黙るしかない。
「まあ、まさかラディまで変装してるとは思わなかったけど……茶番はここで終わり♪
さあ、ラディ……つい先刻約束したとおり、私と一緒にお酒を呑みましょう……ねっ!!」
ミレイユは、そのまま『糸』を放出するかと思いきや―― 一気に地を蹴るなり、その拳を叩き込んできた。
ラディは慌てて床を転がるようにしてそれを避け――が、立ち上がった次の瞬間、彼は信じられないものを見た。
一瞬前に、ラディのいた場所を貫き、床に吸い込まれたミレイユの拳――それが石畳にクレーターを形成したのだから。
「なっ……!?」
尋常な、破壊力ではない――なんという一撃の破壊力に、ぞっとしてラディは右腕をさする。
あんなものを喰らえば――間違いなく一撃で『死ねる』だろう。
しかし、ミレイユがあんなにパワーに溢れ、拳での格闘に長けていたのだろうか――?
「ふふふ……ラディ。『護羅無衷』が絡めば……女は一匹の、獣になるのよ……!」
全く意味不明の言葉を呟き、幽鬼のようにゆらりと立ち上がったミレイユ――が、その全身から迸る気迫は本物だ。
それを見て、ラディが思い出していたのは――五年前の騒動でも有名な、ある一件だった。
……五年前の騒動の中――かのエブラーナの、当時は王子だったエドワード・ジェラルダイン。
しかし彼は、自らの過失によって王国に伝わっていた『水遁』『雷迅』の忍術秘伝書を紛失。
結果――彼は王族ながら、唯一『火遁』の忍術しか使えないという有様であった。
だが――彼はあの騒動の中、両親を魔物に改造され――その事への怒りが、眠っていた潜在能力を引き出し、
彼は『水遁』『雷迅』の忍術を、瞬間的に習得する離れ業をみせたという。
……人は、極限的なまでの感情の昂ぶりによって――往々にして、その潜在能力を引き出すことがある。
つまり、今――
(ミレイユの……『護羅無衷』を求める心が、彼女の潜在能力を引き出したというのか……?)
馬鹿馬鹿しいが――しかし、判らない話でもない。
それほど、魅力的なのだ。『護羅無衷』という酒は。
状況が状況でなかったら、獣になっていたのは彼女ではなく、自分であったかもしれないほどに。
……しかし――
「言ったはずだ……オレはミレイユとは、この国では酒を呑まないッ!!」
ラディの言葉に――ミレイユの言葉での返答は無かった。
ラディの動体視力を持ってしても、その長い黒髪のかつらの尾が僅かに見える程度の凄まじい速度で間を詰めるなり、
繰り出されたのは一撃一撃が砲弾の破壊力を秘めた掌打の応酬だ。見切ることなど出来ない速さ――
殆ど勘と運だけで、短剣を盾代わりにラディはその攻撃を裁き、活路を見出そうと試みるが――
瞬間、ミレイユはその場でバク宙してみせ――サマーソルトにその長い脚を蹴り上げる。
その短いスカートで、そんなアクロバティックな技はある意味、自殺行為に近い気もするが――威力は尋常ではない。
鋭い刃物のようなその脚が掠め、彼の髪を数本持っていく――その威力にラディも背が冷える。
瞬間的に顔を引かなければ、間違いなくその蹴りが顎を砕いていただろう――それだけの破壊力をそこには見出せた。
そのままミレイユは着地するなり、まるでコンパスの様にその足で地面を水平に刈り込んできたが――これは戦いのセオリー。
ラディも予測していたことだったから――素早くジャンプし、後方へと着地する。
「ラディ? ……私、これでも尽くす相手って選ぶ方なのよ♪ ……だから、これ以上抵抗するんなら……すり潰すわよ?」
にこやかに笑って、そう告げるミレイユ――だがその目は恐ろしいくらい笑っていない。
ぱちんと胸の前で合わせた手に、自分がすり潰されてしまう光景を思わずラディは幻視してしまっていた。
「くそっ……やっぱり、穏便には行かないってわけか……!」
「そういうコト♪ ……いい加減、この綺麗な綺麗なミレイユお姉さんの言うことを聞きなさい……ね?」
「くっ……オレがそうそう簡単に折れると、思わないで欲しいな……!!」
こうなっては、前のときのような誤魔化しももう、通用はしないだろう――
ラディは決意を固め、背からテュルフングを引き抜き――構えた。
憎いから戦うわけではない。
偽るから戦うわけでもない。
ただ不器用な、自分だから。
絶対に譲れぬ、ものがあるから。
――すべては前へと進むために。
――すべては再び、自分らしく呑むために!
「さあ……ラディ! 私と一緒に、楽しいひとときッ!!」
「オレは……もっと落ち着いて酒が呑みたいんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
――こんなことならあの時、『暗黒騎士1/8スケールフィギュア全品完全塗装済みコンプリート仕様』買っておくんだった――
そんな後悔だけを、心に残して。
ラディは全力で、ミレイユからの逃走を開始した――
商業区から、少し離れた城内の庭園――
天窓から降り注ぐ日の光に、落ち着いた雰囲気のこの場所で騒ぐモラルの低い人間はファブールにはいない。
日ごろの鍛錬のリフレッシュに、優しく包み込むようなこの庭園の空気を楽しみに来たモンク僧や、若いカップルなどの中。
「……ここならば、心を乱されることもあるまい。……まあそれでも飲んで、気を落ち着かせることだな」
まるで動揺と言う事を知らないような、クレセントの言葉に――エルナは黙って小さく頷き、手にしたお茶を啜る。