Final Fantasy W 

 After story

 

〜第三十六話〜長い長い一日(朝)〜

私は、愕然と見返すことしか出来なかった。

 

――俺が……。

――ここにいることが不思議そうだな……?

 

それは――決して忘れることなど出来るはずも無かった顔。

孤児だった頃から、ずっと一緒に生きて――生き抜いてきた男。

影となり、日向となり――ずっと共に、歩んできた男。

かつては友と、呼んだ男――だが。

 

――面白ぇほど簡単に引っかかったぜ。

――ハッシュが無様にも、おっ死んだ後だったしな――

 

今、目の前で哄笑し――仲間を蔑み、そして私をも蔑むその言葉に。

私は――何をすることさえも出来ない。

ただ、変わった――変わり果てた友の姿に、剣の柄に手をやることすら忘れてしまっている。

 

――てめえはいつもそうやって!

――俺のしてぇことをブチ壊しやがるッ!!

 

やめてくれ――喉の奥まで、その言葉は出掛かっているのに。

まるで栓でもされたように、言葉は出ずに――ただか細い吐息となって漏れるだけだ。

全身が、金縛りにあったように動かない。

目の前で、自分を詰るこの男に――私はただ、目だけを見開くことしか出来ない――

 

――俺があの夜、どんなに苦しんだか……

――てめえにッ!!

――てめえなんかにッ!!

――判られてたまるかよッ!!

 

……何故なのだろう?

何故、私はもっと早くに気付いてやることが出来なかったのだろう?

何故、私達は――こんな形でしか、結末を迎えられなかったのだろう――?

 

――今こそッ!!

――てめえをブッ倒しッ!!

――てめえの引き立て役立った過去と決別してやるッ!!

 

哄笑が、響いて――

 

――あの世で俺にわび続けろ! オルステッドォォォォォォォォォォォォォッ!!

 

「――!!」

瞬間、意識が覚醒し――私は両の目を跳ね上げ、飛び起きていた。

心臓を握られるような圧迫感と、氷柱が突き刺さったような背筋に――額に張り付いた、前髪。

全身にびっしりと汗をかき――呼気すらままならぬほどの動揺の中――ようやく、気付く。

……また、この夢を見てしまったという――その事実に。

「…………クッ…………」

喉の奥が張り付くように乾いた中――私の小さな悪態が、まだ日も昇らぬファブールの空気を震わせる。

……もう、8年も前のことだというのに。

まるでこの光景――つい昨日の事の様に鮮明に、瞼の裏にありありと映っている。

そう――あの夢は、決して空想の産物などではない。

かつて友と呼んだあの男。

そしてそれを前にして――反吐が出るほどに愚かで、弱かった自分。

私の脳裏の奥に焼きついた、決して忘れえぬ記憶が――噴出して像を結んだものだ。

……それはあの時、無力だった自分――8年の月日がたってなお、私は変わっていないという事なのだろうか。

いつまでも変わらず――停滞を続けたままの私だということなのだろうか――?

「……違う」

私はあの時、バロンで負の試練を克服した時に――決別したはずだ。

故に、この夢もまた――見ることなど無かったというのに。

……どことなく友を思わせる、あの『蒼い稲妻』に会ったせいだろうか?

……かつての私のような甘い考えを抱いたままの、レオンの息子に出会ったせいだろうか――?

「……違う」

この夢――長らく見ることの無かったはずの、この夢を再び見る様になったのは、何も今日が初めてというわけではない。

この国で、仕事を請けてから――もう毎晩、ずっとこの夢ばかりを見続けている。

だが……何故、今になって――この国に来て、この夢を再び見る様になってしまったのか――

「……オルステッド殿」

と――その時。

控えめに部屋のドアをノックする音と共に聞こえたのは――男の声。

「……起きられていますか? そろそろ時間です」

呼びに来たのは、確かシユウとかいう男――今の私と同じように、この国に雇われたパラディンの傭兵だったはずだ。

それでいて、妙にこの国に親しんでいるのは、元々がこの国出身だったからだそうだが――そんなことはまあ、どうでもいい。

確か今日は、夜明け前から彼と哨戒の仕事が入っていたことを思い出す。

「判った……すぐ向かう。待っていろ」

私は、それだけを口にして――すっかり湿ったシーツを押しのけ、立ち上がった。

シャワーでも浴びたい気分だったが――生憎この国にはシャワーが存在しない。

そしていちいち湯船に湯を張って入浴するほど、今は軽快な気分にはなれそうにもなかった。

バロンで受けた訓練の成果で――手早く服を着用し、鎧の留め具を留めていく――

最後に壁に立てかけていたブライオンを掴み、腰に差して――私は近くにあった鏡台を見た。

そこに映る、凍りついた瞳の男に――私は言葉を投げかけてみる。

 

――お前には、負けるものの悲しみなど判らない――

 

「……愚言だな」

鏡の中の男は――素っ気も無くそれだけを呟いて、自分へ凍てつく視線を投げ返してきていた。

負けるような人間の考えを理解するなど出来るはずも無い。

この世界は、それ自体が一つの戦いだ。

何をするか、何を食べるか、何処で寝るか――そんなことすらも、全ては戦いの中にある。

そして負ければ――命を失う。

それだけだ。

そして――あの男が今は亡く。

私が――今もここに在る。

それが世界の現実だ。

 

それが――私の『真実』だ。

 

 

ファブールの夜明けが、静かに起こっていた――その時。

たった一つだけ、一つの場所だけが――その静けさを破るように激しく動いていた。

固いもの同士がぶつかる激突音。

地面を噛む靴音の滑り。

そして、重さを持っているかのように激しく激突する気迫――

「どうしたラディ――あの時の精彩さをもう一度見せてみろ!」

瞬間、カインの手元が『消失』して――彼の前面に『壁』が現れた。

しかしそれは――触れた瞬間、相手を粉々に突き崩す破壊の壁だ。

ラディはバックステップでそれをかわし――さらに追いかける追撃に、地面へと剣を突きたて棒高跳びの用量で、

一気に跳躍して間を開いて――

「甘いぞ――その程度の後退は、俺に何ら距離感を感じさせんッ!」

地面が、砕ける――圧倒的な踏み出しが行なわれた時には、音速を上回った彼の肉体が空気抵抗を突き破り、

その左手に握った槍は、針の穴をも射抜く正鵠さで、自分の後輩の額めがけて疾駆して――

「――らあああああああああああああっ!!」

瞬間――ラディのその裂帛が響き渡ったと同時に、カインは何かが『爆発』したような――そんな印象を受けた。

それは錯覚などではない。

今まで抑えていた、ラディの気迫――それが文字通り『爆発』したのだ。

瞬間、ラディは後退するどころか――この速さで疾走するカインに逆に突っ込むなり、その右手を閃かせる――

その斬撃の軌道は恐ろしいほどにタイミングを合わせてあり、

このままでは逆にカイン自身の速度と相まって――彼の方が、二枚に下ろされる――

「……クッ!!」

仕方なく――カインはその槍の穂を、地面へと突きたてた。粉塵と砂、石が爆裂し――彼の進行軌道が90度跳ね上がる。

それは同時に、ラディの視界を遮る役割も果たして――そのまま背後を取り、一気に――

だがその時、粉塵を突き破って現れる――紅鋼玉(ピジョンブラッド)の双眸!

「はああああああああああああああああっ!」

ラディの右腕から繰り出される、斬撃――空気を弧月に切り裂きながら迫る斬撃の嵐。

それはカインのものほど速さを重要視していない分――恐ろしく重く、そして容赦なく喰らいついてくる。

その的確さと執拗さ――二点に限れば、セシルをも上回っているだろう。

だが――

「――攻撃が――単調すぎる!!」

左腕に、槍を沿わせて――体軸を利用し、ラディの横薙ぎの一閃を払い――明後日の方向へと流す!

体を捻り、回転の速度を利用して――そのまま、一気にラディの頭部へと止めを刺すべく、猛然と槍を突き出して――

「……!?」

しかし――その槍は何の手ごたえも返さず、虚空を貫いただけ。

狙っていたはずのラディの頭は、その遥か下にしゃがみ込んでいる――

(――まさか先刻の斬撃、わざと――!?)

視線を一瞬、向けた先には――宙を舞う、剣。

……先刻の斬撃、カインは弾き飛ばした――と、思っていたが。

ラディは最初から、あの一撃を囮に使うつもりで放っていたのだ。

激突した瞬間に剣を捨て――それを弾き、一撃を繰り出すことをあらかじめ予見して――

瞬間、世界が揺れる。

ラディの放った膝蹴り――それがカインの腹腔で炸裂し、衝撃が内臓を揺るがして背中で弾けた。

――かはっ――

先輩の口からそんな呼気が漏れ出たことに、ラディは勝利を確信する。

完全に入った、今の一撃。

これならば――いくらカインといえども、起き上がることは出来ない――

しかし、次の瞬間にはラディは全力で地を蹴り、身を投げ出すようにしてその場を離れなくてはいけなかった。

何故ならその瞬間、まるで刃の様に鋭いカインのブーツの爪先が、先刻ラディのあった空間を断ち割っていたからだ。

「味な真似をする……だがッ!」

まるで先刻、まともに入った一撃が嘘だと言わんばかりに俊敏な動きで――カインは槍をその手に構える。

「くっ……だったらッ!」

ラディもまた、そのままバク転で後退し――地面に転がっていた剣を掬い上げ、右手に力強く握り締めた。

視線の交錯。

一瞬の間を置いて――静は動に、一瞬で切り替わる!

「はあああああああああああああああああああああッ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

神速の一閃が。

猛々しい斬撃が。

二人の間で、激しくぶつかり――そして!

『……なっ!?』

異口同音に漏れ出た驚愕の呟きは、互いの手に伝わった衝撃――

それぞれが手にした武器が――二人の一撃に耐えかね、粉々に砕け散ったことに対するものだった。

二人、一撃を放ったままの姿で――しかしその手の中には、武器は無く。

互い、互いを見詰め合って――そして二人、示し合わせたようにどっとその場に座り込む。

「……まさか、こんな尻切れになるとはな……」

「……武器が、老朽化してたんでしょうか……?」

荒い呼吸にところどころ遮られながらも――二人はそんなことを呟き、そして笑い出した。

……彼らが使っていた武器は、彼らが本来使用しているテュルフングやホーリーランスでは無い。

この稽古場では、実戦に使用できるような武器の持込が禁止されており――稽古場で用意されたものしか使用できない。

それに、もしテュルフングやホーリーランスが使用できたとしても――二人はそれを使うことはしなかっただろう。

カインのホーリーランスは損傷が酷く――しかも未だ、新しい自分の相棒となりうる槍を見つけてはいない。

そして、カインがホーリーランスを扱うならば――ラディはテュルフングだけではなく、アポカリプスを使用せざるを得ない。

いかに扱いが上手いとはいえ、彼の暗黒はまだ未完成――あまり乱用していいものでもなかった。

……そして――もし二人の武器がこの二つならば、彼らは恐らく死ぬまで徹底的にやりかねない――その自覚があった。

だから刃を潰して、殺傷能力を削った武器のうち――ラディは大剣、カインは槍を選び、戦い――結末は今の通りである。

「……しかし、日に日にお前は戦いづらい相手になってくるな……俺の動きを掴んできているのか?」

「エルナの戦い方の真似ですけどね……。相手の動きを先読みできれば、それは先手に繋がりますから……。

 っても、まだまだカインさんの動きを捕捉したとは言いがたいんですけど……ね……」

「当たり前だ。……いくら何でも、後輩に負けるなんていう……みっともない醜態を晒すわけにはいかんからな……」

刃を潰してしまっているため、斬撃などを放っても斬られることは無いが――元々はきちんと戦闘用に作られたものであり、

当然当れば衝撃はかなりのものだし――熟達者が使えば相手を殺すことも不可能ではないといった程度の武器。

正直、ここで武器が壊れていなければ――互い、命を失っても文句は言えなかったに違いない。

それほどまでに、二人の実力は高いところまで到達しており――並みの武具ではもう、彼らの真価を具現するのは難しかった。

「……あの一発……入ったと、思ったんですけどね……」

「あの膝蹴りのことか……?」

「はい……カインさんの甲冑って、ほら……腹部がむき出しになってるじゃないですか。

 だから……あそこなら、人体の急所も揃ってますし……いけると、思ったんですけどね……」

――ホブス山での白妙との戦いの際、カインは月の地下渓谷で手に入れたドラゴンメイルを筆頭、防具を完全に破壊された。

そのため、現在着込んでいる甲冑はクレセントに用意してもらったもので――左右非対称、動きを妨げない造りになっている。

ただしその分、露出面は大きく――全身を包み込むような黒い素材が衝撃をある程度は緩和するものの、

以前と比べれば防御面での不安は大きいものであった。

「フッ……甘いぞ、ラディ……。たとえ一発もらおうとも、左腕が動き……一閃が打ち出せれば、それで事は足りる」

「攻撃は最大の防御……ですか……?」

「そういうことだな。……それに、こういうことも考慮して腹筋は鍛えてあるからな……。

 今度からは突くのは、膝ではなく……剣先で来る、ことだ……」

「……考慮しておきます……ハァ……。セシルさんみたいな、カインさんの相棒への道は遠いですね……」

「まあ……精進することだ」

カインは、肩を落とす後輩を笑ってねぎらいつつ――立ち上がった。

全身から発する熱が、寒冷なファブールの空気に湯気となって現れる中――一つ息を吐くと、

「……さて……風呂に入って汗でも流すか……ラディ、お前もどうだ?」

「オレは……え、遠慮しときます……。今日は、いろいろと行きたいところもありますし……」

ラディたちが、ファブールに逗留して数日――すでに皆それぞれが、自分のやりたいように自由に行動していた。

船が出せる様になるまでには、しかしまだ数日を必要とするらしく――まだ当分、この日常は続きそうだ。

「……しかしラディ、すごい汗だな……。ファブールが寒いのは判るが、

インナーをタートルネックに変えたのは致命的じゃないのか? それだと熱が籠もるだろう」

カインよりも遥かにびっしりと汗をかき、額にすっかり髪の毛が張り付いてしまったラディは――苦笑を浮かべ、

「……オレがちょっと汗っかきなだけですよ。……まあ、ちょっと汗をかきすぎた気はしますけどね」

何気なく右腕をさすりながら、ラディは呟いて――しかしその時、足元がふらついて思わず転びかける。

「……ラディ……本当に大丈夫か?」

「え、ええ……大丈夫ですよ……ちょっと疲れただけです。それじゃ、オレはこの辺で」

ラディはそう言い残して一礼し、稽古場を後にしていく。

その足取りは、今度はしっかりとしていて――無理をしているのではなく、どうやら本当にラディの言った通りのようだ。

その背が見えなくなるまで、カインは見届けて――完全にラディが視界から消え、しばらくして。

「………………()……あいつめ、本気で撃ち込みやがったな……

カインは腹部を抱え込んで苦々しく呻いた。

 

 

「ふぁぁ…………また徹夜しちゃったわね……」

通路の窓から見える、眩い朝日に目を細めて――エルナはあくびを手で抑えた。

髪の毛をさっと整えなおし、バレッタで固定して――新しい白衣に袖を通すと、

眠気をおいやるために新鮮な空気を吸うため、部屋から外に歩き出した。

しかし、そうやっている間も――彼女の明晰な頭脳が回転を休めることは無い――

「……潜砂機能を搭載するとして、最大の問題は機密性の問題ね……機関部が砂を噛めば当然、生き埋めになるし……。

 それに空気の問題もあるわね……単に空気を詰めるだけじゃなく、化学反応で酸素は精製できるとして――」

彼女が今、その知能で取り掛かっているのは――ダムシアン城の新しい防衛プランだった。

そのプランとは――なんとダムシアン城に潜砂機能を取り付け、有事の際には砂漠の中を自由に移動するというものだ。

これならば、たとえ現在の近代兵器の中で最高の戦闘能力を持つ飛空艇の爆撃も防ぐことが出来る――

確かに防衛用の改造プランとしては、これほど効率的なものは存在しないだろう。

だが――

(……そもそも何で、城を沈めようなんて馬鹿げた話になったのかしら……?)

防衛プランの計画書をギルバートに提出した時のこと――たまたまその中に、このプランが入っていたのだった。

発想と言うのは、それこそ多いに越したことは無い――これより突拍子も無いものも多数存在してはいた。

曰く、城を変形させ、巨大な人型兵器に――それこそバブイルの巨人のような巨大兵器に変形する機能を搭載する。

曰く、城の下部に浮遊リングを幾重にも重ね、低空ながら飛行機能を搭載する。

……そんな実現も無理な内容のものもあわせて、数百になろうか――

本来ならばある程度、選定をしてから実現可能なプランだけを提出すればよかったのだが、

「一応、全部のプランを持ってきてくれないかな? ……たとえ直接には実現は不可能な計画だとしても、

 それを応用することでなにか……新しいことを思い浮かべることが出来るかもしれない」

ギルバートのその言葉に、エルナは文字通りその計画書の『全て』――当然、自分も全部目を通したが――を渡した。

そしてギルバートも有言実行、すべての計画書に目を通して――そして、彼が目をつけたのがこれだったのだ。

「……陛下……本気ですか?」

「ああ。……『黄金の大海原にダイブするダムシアンの勇姿! とくと見るがいい!』なんて……いいと思わないかい?」

何故か後ろ髪の辺りを一つくくりにして、そう言ったダムシアン最高権力者に――逆らう舌をエルナは持っていなかった。

そういえば、この人は半分だけだけど、姉と血が繋がっているんだったなぁ――と、しみじみと思いながら。

もっとも、あくまでギルバートは他にもいくつか、こちらはまともなプランも同時に取り上げており、

その中からとりあえず現在の地下開発研究書で実現可能なレベルまで洗練したβ版の計画書を提出してくれ――

そういう意味であり、それはエルナにも十分すぎるほどに判っていたのだが――

彼女自身の知能が妥協を許すことはなく、結果として『あと一歩』というレベルにまで洗練されてしまった。

そしてここまで来てしまったら、今更「無理」で片付けることをプライドは拒み――そして現在まで至る。

「……せめて外観を変えることが出来ればもっと楽なんだけど……。

 実用性を重視するバロンなんかと違って、ダムシアン城の綺麗な外観を損なうわけにはいかないし……。

 そうなると、潜砂の際の摩擦で生じる外観の損傷を抑えるために、城の素材から見直す必要があるし――」

そこまで熱心に、思考をフル回転させて――しかしそこで、エルナは重いため息をついた。

「……何をやってるのかしら、私は……」

ミシディア行きの船が出るまでは、自由行動――

それを聞いたとき、エルナは思ったのだ。

――これは、チャンスだと。

クレセントに、自分の想いを伝えるための――絶好の機会だと。

ダムシアンでは、初めてあったということもあったし――思わぬライバルがいたこともあった。

彼女に差をつけるために、ついてきた先では――ホブス山では、正直それどころではなかった。

……だから。

だから――ファブールで、この状況は絶好の機会なのだ。

絶好の、機会だと、言うのに――

「……結局この国に着てから、クレセントと殆ど顔を会わせてないわね……」

……自分はこんな性格だったのだろうか。

この想いを感じてから、自分の行動は狂いだしているような気がしてならない。

本当なら、単に気持ちを伝えるだけなら――別にいつだって出来るはずだ。

別に嘘を付くわけではないのだから――ラディ達の前で、堂々と言っても構わないはずだ。

……はずなのだが――しかし、実際はそんなことは絶対に出来そうに無い。

考えただけでも――心拍数は急上昇し、頬が焼けるように熱くなってしまう。

だから、普段は考えないようにして――冷静を、装ってはいるものの――実際には足踏みしているのも同じだ。

ぱちん、とバレッタを外して――エルナは手の中にある美しい桜を見て――ため息をつく。

(……やっぱり私……世間体から見て、可愛くない方……なのかしら……)

顔の造詣が良かろうと――クレセントがそんなことだけで他人を評価するようなタイプとは思えない。

だが、内面だけなら――自分ほど可愛くない女と言うのも珍しいだろう。

あの、菓子売りの少女だけではなく――最近では姉に対してまで、内面のコンプレックスを抱えつつある。

そんな自分が情けなくなり――ため息の数ばかりが増えていく。

(……悪循環……してるわね、私……)

そして――それに気づいていると言うのに改善できない――そのやるせなさに、またため息が漏れた時――

「……どうやら、何か悩み事のよぉですね♪」

「わっ!?」

後ろから聞こえてきた声に――慌ててエルナは飛び退り、アヴェウナーを取り出して――が、その時。

相手が、見知った人物だと気付いて――その時にはエルナの脳内の人物名鑑が音も立てずに開かれている。

検索でヒットした、その人物は――

「貴女は……確か、ファーメイさん……だったかしら?」

「はいぃ♪ 覚えていただいて……感激ですねぇ♪」

独特な口調でお辞儀をした、その女性――ショートヘアの髪に眼鏡、くりくりっとした瞳のその女性。

ファブール王妃ヤン・シャオ・ライデンの服装関係での世話を担当しているファーメイという女性だった。

従って、シャオ妃の秘密――年齢を経過しない肉体のことを知る、数少ない人物の一人でもある。

……もっとも、私生活の服装にシャオは性格上、殆どこだわりも無く――ファーメイが主に担当するのは、

『変装』後の服装――年相応の格好や、儀礼時の服装の選定や、時には自らデザインを手がけている重要人物である。

重要人物、なのだが――

「エルナさんはお散歩中だったんですねぇ♪ ……いけませんよぉ、考え事しながら歩いているとこけちゃいますからぁ♪」

「そ……そうね。判ったわ……次からは気をつけるわ」

エルナは正直、この女性が少し苦手だった。

重要人物だし、悪い人間でないのはわかっているのだが――

(この人……姉さんと同じ『匂い』がするのよね……)

もっとも、見た目も口調も違う――年齢も、このファーメイの方が5つは姉より年上である。

童顔と、舌っ足らずな口調のせいで、なかなかそうは見てもらえないようだが。

ともかく――このファーメイに、何故かエルナは姉と同じ……雰囲気、のようなものを感じていた。

曰く、腹の底に何かをたくらんでいたとしても、それが絶対、表層に出てくることは無い――そういうタイプ特有の雰囲気を。

……こういう相手には、手早く話を切ってその場を去るに限る――

「それじゃ、私は研究の続きがあるから――」

「あ、ちょっと待ってくださいねぇ♪」

くるりと踵を返し、去ろうとしたエルナに――声は正面(・・)からかけられた。

ぎょっとして見れば――背後にいたはずのファーメイが、いつの間にか自分の前に現れている――

(そんな……!? 私の眼で、動きすら捉えられなかったなんて――)

「エルナさん……わたしぃ、ちょ〜っとエルナさんに頼みたいことがあったんですよねぇ……♪」

「た、頼みごと……?」

――思えばこの時、ファーメイのそんな言葉など無視して全力で逃げるべきだったのだ。

だが、動揺していたためか――エルナは反射的に、そう聞き返してしまっていたのだった。

「わたしですねぇ……ここで働く前はぁ、子供服専門のデザイナーの仕事をしていたんですよねぇ♪

 別に今の仕事に不満があるってワケじゃないんですけどぉ……。フェイ妃って、基本的に服に無頓着ですしぃ……。

 なんとゆーか、そのぉ……仕事に張り合いがないんですよねぇ……」

「そ、そう……大変ね」

「! そうですよねぇ、大変困るとぉ、思いますよねぇ? もう一度、あの頃の情熱が欲しいって思いますよねぇ?」

「そうね、わ、私もそう思うわ」

そう思うから、早くこの場からいなくなってくれ――そういう無言の言葉を全力で放つエルナ。

しかし、そんなことは全く聞こえておらず――ファーメイの眼鏡の奥が、きらりと怪しく輝いたその時。

「でしたら……いいですよねぇ、確保♪」

瞬間――エルナの目前から、ファーメイの姿が『かき消え』た。

そして次の瞬間には、エルナは背後から羽交い絞めに拘束されてしまっている。

目の前から消えた――ファーメイによって。

「なっ……ちょっ、ちょっと!?」

「わたしぃ、前々からエルナさんには目をつけてたんですよねぇ……前の仕事のクセか、可愛い娘見ると、ついつい♪」

「ついつい♪ じゃないわよ……ちょっと、離して……離しなさい!」

エルナは、見た目こそ小さな少女だが――知能によって己の肉体の能力を引き出しているために、

その身体能力は訓練された成人男性にもそう劣るものではない。動体視力は音速レベルのものまで捕捉可能だし、

やれ、と言われればテュルフングを片手で操るラディのように重い大剣を片手で振り回して戦うことも出来るだろう。

そんな、エルナが――今、全力で抵抗していると言うのにも関わらず、ファーメイの腕から逃れることが出来ない――

「だめですよぉ……まだ『確認』が済んでないんですから♪」

ファーメイは悪魔のような言葉を囁きかけて――そしてその両手が、エルナの胸を揉みだした。

「!? ひゃああああああああああああああああああああああっ!?」

「ん〜……思ったとおり、かなぁり小振りですねぇ……というか、平たいですねぇ♪ 良かったです♪」

「な――何が良かったのよ!? というか、貴女何をやってるのよ!?」

いきなり羽交い絞めにされた挙句、胸を揉まれた上にかなり心に刺さる感想まで述べられ、

エルナは目にうっすら涙すら浮かべながら絶叫するが――

「何って……まあ、そのうち判りますよぉ♪ ……さて次は、腰回りに……お尻ですねぇ♪」

「うひっ!? ひゃっ、ひあああああああああああああっ!?」

「……♪ 思ったとおりですねぇ♪ こんな逸材を見つけるなんて……わたしの眼も曇ってませんでしたぁ♪

 それじゃ、続きは向こうの……私の部屋でゆっくりやりましょうねぇ♪」

一体、彼女の細腕のどこにこんな力があったのか――駄々をこねる子供を引きずる母親のように、

彼女は抵抗するエルナをそのままずるずると自分の部屋へと引っ張っていって――

「ちょっ、続きって何!? というか、やっ、やめて、服はっ、ひっ、ひゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ〜……」

完全防音なのか――部屋の扉が閉まったと同時に、エルナの絶叫も聞こえなくなる。

……静寂さを取り戻した、その中で。

飾ってあった一輪の椿が、ぽとりと落ちて床に散った――

 

 

「やっと……やっと、着いたわ……」

その言葉に込められていたのは――数々の危機を潜り抜けてきた冒険者のそれ。

無数の苦労の果てにある、楽園にたどり着いた――勇気あるものに与えられた至福――

「……ラディが道に迷うわけよねぇ……この城、来るたびに改装を繰り返して中身が複雑になるから……。

 このみ〜ちゃんさんが、まさか迷子になっちゃうなんて思わなかったわね……ま、

途中でパンフレットに地図が入ってるって気付いたらすぐに道も判ったけど♪」

冒険者――ミレイユは、手にした地図と、目の前にある扉とを見比べて――頷く。

「……ファブール唯一の酒場……居酒屋『あまき』。ついに……ついに見つけたわ……いざ、その中へ♪」

そして冒険者は、栄光の楽園の扉を開き――そして、とうとう一歩を踏み出した!

「……へぇ……」

踏み出した楽園――宗教国家という体制上、娯楽施設の特に少ないファブールの中にあって、

唯一の娯楽とも言うべきこの酒場――居酒屋『あまき』。

ファブール城西塔最上階に移転され、リニューアルされたこの酒場は――カウンターテーブルに、

いくつかの丸テーブルが置いてあるという、中堅のバーとしてはスタンダートなものであるが――

全体的に非常にシックな感じに統一されており、ファブールの清閑な空気を壊さないいい感じの内装である。

また、窓から外を見れば――風光明媚で知られるファブールの景観を一望できるのも悪くない。

(むむ……思ってたよりかなり本格的ね♪)

正直なところ、このファブールでまともに酒を呑めるとは考えていなかったのだが――これなら期待できるかもしれない。

ファブールの国としての評価に赤マル上昇修正を加えた――その時だった。

「………………いらっしゃいませ」

静謐を基軸とする、ファブールにあって――その空気よりなお、その声は静けさに満ちていた。

まるで、鏡のように張った水面に波紋が広がるようなその声に目を向けた先にいたのは―― 一人の、男。

バーテンダーの服に身を包み、グラスを拭いているその若者は――

しかしこの規模の酒場なら恐らく、この店の店主なのだろう。

2mを越す、長身の体は――黒。浅黒いどころではなく――地底のドワーフかと思うほどに黒い肌をしている。

だが、ドワーフならばその種族の特性上、決して2mにはならない――

しかし、確かこの近くに、こんな肌をした人種の集う村落があったことをミレイユは思い出す。

そして、その男の造詣は――鳥肌が立つほどに整った、整いきった美形であった。

まるで美の神が、その全身全霊を持って作り上げた至高の芸術品であるかと信じてしまいそうなほどの美貌。

ラディもカインも、美形の範疇に入っているはずだが――この男の前では路傍の石といわれても仕方がないかもしれない。

これに対抗できるのは、恐らく世界で一人――世界最高の美貌を持つ王と呼ばれた彼女の兄・ギルバートぐらいのものだろう。

しかしギルバートが純粋な芸術品としての美貌を持っているとすれば、この男の美しさは脈々とある命を体現したもの。

剽悍に来たえられた肉体に、どこかエキゾチックな魅力に満ちたその顔は――

十人女性がいれば、百人がまず恋の病に陥ってしまうであろうほどに美しく、整えられていた。

男の、黒曜石のような澄んだ瞳がミレイユを捉える。

――普通の女性なら、いや――普通じゃない女性であっても、思わずこの運命を信じずにはいられないその顔と向き合って。

……だがミレイユは、頬を赤らめることも無く――至って普通に話しかける。

それは、彼と唯一対抗しうるであろう美貌を持つ男を兄に持っていたために、耐性があったためなのであろうか――

「あら……お兄さん、私と同じくらいの年じゃない? それなのに一店を任されてるなんて……すごいじゃない♪」

「………………三年前に……この店の主人が引退して……私がそれを引き継ぐこととなっただけだ。

 …………まだまだ、至らないところもあるかもしれないが…………お手柔らかに、頼む……」

「はいはい♪ ――じゃまず、この店に置いてあるお酒のリストを見せてもらえないかしら?」

カウンターに腰掛けるなり、いきなり全酒制覇宣言を叩きつけるミレイユだったが――男は静かに首を振り、

「………………今は…………呑まない方が…………いい」

「……? どう言う事? もしかして……ここ、夜間しか開いてないってコトなのかしら?」

「………………ここは……24時間やっている…………そういう意味ではない……」

「なら……あ♪ 大丈夫大丈夫、私こう見えても結構お酒、強いから――」

しかし、さらに男は首を振って――今度は言葉ではなく、取り出したのは一枚のチラシだ。

何でこんなものを――と思いつつも、ミレイユはそこに目を走らせて――その瞳を見開かずにはいられなかった。

「……これって――!?」

ミレイユが、そのチラシに見出したこと。

それは――

「『本日はあまきリニューアル記念日。日ごろご愛好頂いている皆々様に感謝の意を込め、

本日あまきにお越しいただいたカップルのお客様には、当店の秘蔵の一酒『護羅無衷』をプレゼント』……!?」

思わず、チラシを持った手を震えさせずにはいられなかった。

護羅無衷(ごりむちゅう)――それは世界に点在する幾多の剛の酒豪たちにとって、半ば神格化されつつある伝説の一本。

そのあまりの美味に―― 一滴が死者をも甦らせ、一杯で不死となるとまで言わしめる幻の一本。

しかし、奇跡的なバランスの元に成り立った偶然の副産物ゆえ――この酒はたった一年間の間だけしか製造されることは無く、

その絶対数は世界に20本、あるかないか――内一本を巡って、かつては殺し合いすら起こったという究極の酒なのである。

「あ…………あるの!? ここに、護羅無衷が!?」

男は静かに頷き――カウンターの下に沈みこむ。ややあって浮かび上がってきたとき――その手に握られた二本の瓶は――

「………………この酒のことを知っているなら…………これが本物であると……判るはずだ」

「……こ、これが……これがあの『護羅無衷』……!!」

最早、それを確かめるまでも無かった。

ミレイユのその肌の下に流れる、熱き酒飲みとしての血潮が――訴えかけてくるのだ。

この信じがたきまでの威圧感を放つ――逸品が、まごう事なき本物であることを!

「お兄さん! それ―― 一本キープね! すぐ……すぐ連れを連れてくるからっ!」

言うなり、ミレイユは全力で疾走する。男は黙って一礼し――その扉が閉まる頃には、ミレイユはすでに塔を降りた後だった。

――急がねばならない。

――元々、誘うつもりであったが――これで大義名分は整った。

――全ての事項を最優先すべきときは――今!

「ラディィィィッ! 今すぐ私の前に、姿を見せなさ〜〜〜〜いっ!!」

 

 

ラディと別れた後――宣言通り、カインは大浴場へと足を運んでいた。

ファブールの大浴場――流石にダムシアンほど気合が入っているわけではないのだが、

国としての特質上――水周りを綺麗にすることが、宗教上の修練の一つとなっているため、

常に清潔感が漂っており、使用するに当って不快感を感じることはまず無い。

この時間ならば利用しているものもまずおらず、ゆったりと疲れを流すことも出来るだろう――

カインは空いた籠の一つの前に立つと、左手をそっと掲げ――ホーリーランスを呼び出す。

そして、そのままさらに思念を集中させ――次の瞬間、彼の全身が白い布の濁流に包まれた。

分解された彼の甲冑は―― 一瞬の間隔を置いて、ホーリーランスの飾り布に再構成される。

「……しかし、思ったよりも大分便利だな……これは」

薄い肌着だけの姿となったカインは、最早甲冑の残滓すら残っていないその布を見てしみじみ感心する。

破壊されたドラゴンメイルに変わって、クレセントの提供したこの『布』――月の技術の結晶体とも言うべきこの布は、

自らの思念の形によって自由に姿を変えることの出来るという不思議な性質を持っている。

カインはあまり深く考えず、ただ自分に最も適した甲冑を念じて――あのような独特の格好となったのだが、

その気になれば正式な竜騎士としての甲冑一組でも、クレセントのような黒の重甲冑でも構成することは可能だ。

しかも、詳しい原理はわからないが―― 一度この布に戻してから再構成すれば、甲冑についていた汚れは全て消失する。

朝のラディとの一件で、大分汗を吸ってしまったはずの甲冑も――布に戻った今は、紡ぎたての絹のような肌触りだ。

(……これでホーリーランスに代わる俺の槍を作り出せれば、何の問題も無いのだがな……)

苦笑しつつ――槍を立てかけ、手早く衣服を脱いで、カインは浴室への戸をからからと開けた。

と、一面に充満する湯気の中――先客の存在に、気がつく。

「……珍しいな……カイン。お前がこの時間にここを利用するとは」

「……ゴルベーザ?」

湯船に肩まで浸かっていた、その男――長い髪をタオルでくくっていたその男は、今は甲冑をつけていない。

セシルの面影を残した――しかしセシルほどの柔らかさを持たぬ瞳も、今は至福の喜びに幾分、緩んでいるように見えた。

「そういえば……この国についてから、あまり姿を見ないが……もしかして――」

「うむ。……日に少なくとも6回は利用させてもらっているが」

「溶けるぞ……そのうち……」

何故かきりっと真面目な表情で応えるクレセントに――カインは脱力しつつ、近くにあった桶で体を流す。

流石に、汗をかいたまま浴槽に入るのは礼に欠けると言うものだろう。

……そして、大体汗を湯と共に流したところで――半身を湯船につけるように、浴槽の壁に寄りかかって風呂を堪能する。

「……しかし、お前がそんなに風呂好きだったとはな……」

「仕方あるまい。……いかに特別製の私の体とて、四六時中あの重甲冑では肩も腰も凝ろうというものだ。

 ここは甲冑を着けず、一服することの出来る唯一の場所だからな……」

「……そういうことか」

カインも思わず頷く――生々しいまでに説得力のある一言である。

クレセントは冗談抜きに『四六時中』あの重甲冑を外すことなく纏っている。

当然、眠るときも甲冑を装着したまま、ベッドに入ることなど出来るはずも無く――フロントに頑丈な椅子を借り、

そこに座って腕を組んで眠っているほどの徹底ぶりだ。

そんな睡眠方法で、とても快適に疲労を回復できるとは思えない。

彼に取ってみれば――心身ともに安らげるのは、風呂という究極の個室空間しか存在しないのかもしれない――

「……どうしたのだ?」

と――クレセントはそこで、カインが自分をじっと見ていることに気がついた。

一方、そう問われたカインはあくまで真面目な表情を崩さぬままに――ぼつりと呟く。

「いや……本当に、甲冑の下は普通の人間だったのか……と思ってな」

「……どういう意味だ?」

「五年前は、口元の部分すら露出していなかっただろう。

……てっきり俺は、あの甲冑自体がお前の肉体そのものなのかと思っていてな……」

「私は亡霊か?」

「少なくとも、左腕一本になっても這い回って生き残る奴を人間の範疇に入れるのはどうかと思うが」

「むう……」

冷静・冷厳・冷徹の三つ揃いで鎧ったはずのクレセントが、思わず言葉に詰まったその顔に――思わずカインは笑ってしまう。

笑ってしまいながら――人生というものの妙を、しみじみと感じずにはいられなかった。

五年前――あの騒動の中、セシル達の中で自分だけが、この男と行動を共にした経験を持っている。

だが――それはあくまで主従の関係。そして――主であるこの男自身も、所詮は手駒の一つに過ぎなかった。

五年前には、そんな――それだけの関係に過ぎなかったというのに。

……月が去った、あの時。

誰が今、再びこの男と道を共にすることとなった自分の未来を予見する事が出来たであろう?

そして――よもやこの男と、こうも打ち解けている自分の姿を、一体誰が予想できたであろうか――?

(一寸先は『闇』……か。正に言い得て妙だな)

「……しかし……やはり、こうも違うか……」

「……?」

クレセントが、顎をしゃくって一人納得する姿に――訳がわからず、カインは眉根を寄せた。

と、それに気がついてクレセントは今度はカインにも理解できるよう説明する。

「なに……私とお前の肉体を見比べていただけだ。お前は痩身な方のはずだが……。

 やはり私とお前とでは、根本的なレベルにおいてその鍛え上げ方が違う」

確かにその通りである。

カインは、筋骨隆々という言葉からはかなり遠い方にいるが――それでも、

その鞭の様に締まった筋肉といい、カモシカを想起させるような脚といい――鍛え抜かれている。

それは、実用的な筋繊維のみを持ち、洗練した―― 一つの芸術品といっても過言ではないかもしれない。

クレセントも、決して貧相と言うわけではないのだが――だが、カインと比べればやはり細く、頼りない。

腕の筋肉一つとっても、カインのものの方が一回りは大きいのである。

「……俺もセシルも、それにラディも訓練を幼い頃からみっちり積んできているからな……。

それにお前の本職が魔道士と言うことを考慮すれば……それでも十分以上にいい体つきをしていると思うが?」

しかし、カインの言葉に――クレセントは首を横に振り、自らの左手を静かに握り締めた。

「魔道士だから――そう言い訳するのは難しいことではない。……それに並みの相手ならば、

 私に指一本触れさせずに地を舐めさせるだけの力への自負は持っているつもりだ……。

 だが――先日の『白の根源竜』の様な相手と相対する場合、魔道士だから仕方がないでは通用すまい……違うか?」

「……違わないが……『あのクラス』の相手などそうそう、いないと思うがな……」

全力で相手したにも関わらず、次の日にはけろっとしていた黒髪の女性を思い出し――こめかみを抑えるカイン。

「……まあ、確かに魔道士が単体で戦いを仕掛けてきても、あまり脅威に感じないのは事実だがな」

「やはり、詠唱のタイムラグは大きいか?」

「だろうな。……特に俺のように、音速以上で空を飛びまわる竜騎士相手には辛いだろうな。

 エッジのような、生身の基本身体能力で音速を超える『忍者』相手なら……魔法自体、かわされるんじゃないのか?」

「うむ……やはり、どこかで本格的に格闘戦を学ばねばならないだろうな……これからの事を、考えれば」

クレセントの表情が厳しいものとなり――カインもまた、表情を改めた。

「……これから、か。ゴルベーザ……お前は正直な話……どうするつもりだ?

 このままラディ達も……ゼロムスとの戦いに巻き込むつもりか?」

「………………いや。適度なところで……別れるつもりだ。

 この戦いは、あくまで私の不始末……ラディに直接、関係のあることではないからな」

「だが――差し当ってしばらくはラディと同行する。……ラディ達の力を借りることとなる、か?」

クレセントは無言で頷き――滴る汗が、顎を伝って湯船に波紋を形作った。

「……その通りだ。……だが――」

クレセントはそこで顔を上げ――真っ直ぐにカインの目を見た。

その絶対零度の蒼氷色――だがそこに、セシルにも劣らないような熱い意思を見出したのは、カインの錯覚だろうか?

「だが……私は同時に、約束もした。……ラディの旅に、付き合うと。

 だから、せめて……ラディが、暗黒騎士になるまでは。

それまでは――私は全力で、ラディと共に歩み……手助けをしてやりたい。

 ……一人の、仲間として――私はそう願っている。この考えは……私の傲慢だろうか? カイン」

「……俺に聞かれても、それには応えてやれん。俺はラディではないんだからな」

だが――クレセントの真剣な言葉に、カインはついと視線を逸らしてそう告げただけだった。

「……そうか……。済まんな、詰まらぬ事を聞いて――」

「――だから俺に言えるのは、せいぜいこの一言だけだ」

クレセントの言葉を遮るようにして、カインがそう告げて――思わず見返したクレセントに。

「もし、ラディと別れて本格的にゼロムスを探すなら……俺を置いては行くな」

「……カイン……」

と――カインはそこで表情を緩め、フッと笑うと、

「何せお前は、いちいち相手を洗脳しないと部下一人ろくに作れなかった男だ。

 だったら一人くらい、それを見かねて着いていってやっても――不思議ではないだろう?」

「……言ってくれるな」

「お互い様だ」

そして互い、示し合わせてもいないのに思わず笑いが零れる。

彼らは今、蒼い稲妻でも、闇を統べし者でもない。

ただの、似たもの同士の馬鹿達だ。

同じ傷、同じ罪を背負って――不器用で馬鹿な生き方ばかりをする。

それでも、そんな自分が嫌いではない――似たもの同士の、男二人だ――

「……さて、と。もう十分、体も温まった……俺はそろそろ上がるが、お前はどうするんだ?」

「私はもうしばらく、浸かっている事としよう……。もう、そう長くは入らんだろうがな」

「そうか」

カインが、膝を叩くようにして立ち上がり――そのまま浴場を立ち去っていく。

その姿を、目を細めて眺めて――クレセントは湯の温かさと、自分の体の開放感――

そして、心の底から湧く軽やかな気分に、自分がこの星に戻ってきたことが間違いではなかったことを感じていた。

 

    

 

    

 

    

 

クレセント:……さて、そろそろ上がろ……む?

作者   :いやぁ……久々だなぁ、こんなでっかい風呂に浸かれるなんて。

      やっぱ身長180以上あると、ウチ風呂では足が伸ばせないし。

……では、早速――っ熱っちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃぁっ!?

クレセント:……何を一人で即興の踊りに勤しんでいるのだ?

作者   :そういう突っ込みを入れるか……? というか、一体何度なんだよこの浴槽はッ!?

クレセント:82度だが。

作者