Final Fantasy W
After story
〜第三十一話 〜風と森と海の邂逅する地・ファブール〜
「……そういえばラディ。お前はバロンを飛び出す前は、軍でどれくらいの階級まで上っていたんだ?」
「か、階級なんて……陸兵団の第038部隊っていう、小さな小隊の隊長止まりでして……」
恥ずかしげに頬をかくラディに――しかしカインは軽く目を見開く。
「……凄いじゃないか。その歳で一隊を任されるなら、大した出世だな」
「す、凄くないですよ! ……小隊って言っても、本当に小さくて……隊員は俺を合わせて4人でしたし。
それにセシル陛下やカインさんは、俺の年のころにはもう『赤い翼』や竜騎士団の一隊長だったじゃないですか」
「それは……確かにそうだが、一番の要因は……ただ単に他人より少し機運に恵まれていただけだ。
お前も俺たちと同じ頃に生まれていれば、今頃は暗黒騎士団の一隊長にでもなっていたと思うぞ」
「……あ、ありがとうございます」
恩も尊敬もある先輩に褒められ、ラディは嬉しさのあまりにやつきそうになる表情を抑えるのに必死だった。
――ホブス山での滞在も終え、新たに仲間にカインを加えたラディ達。
そして彼らはそのまま、次なる国である宗教国家ファブールへと、その足取りを進めていた。
すでに行程の半分は超えているのだが――しかしいまだ、地平線の先にファブールの影も見えない。
「前々から思うけど……なんでホブス山の麓にチョコボの森って無いのかしら〜……」
世界中のモンスターを研究するために各国をかなり旅しているミレイユも、流石にため息をついてしまう。
「いまや全世界、交通ルートが確立されかけてるのに……このルートだけなのよねぇ、徒歩を強要するのって」
「……ミレイユはそんなに歩きたくないのか?」
そう話しかけてくるラディは――まったくもって疲れているという様子が無い。
きっと「バロンでの訓練で特別なウェイトでもつけさせられながら歩き続けさせられる訓練」でも受けていたのだろう。
「オレはまあ……バロンに居た頃にやった訓練で、逆走するチョコボと綱で括り付けられて、
それに逆らって歩く訓練とかあったから大丈夫だけど……」
予想通りである。というか、予想を上回っている内容である。
「そうか……あの訓練、まだ無くなっていなかったか」
「カインさんはどうでした? ……オレ、あの訓練『デッドペッパー』使ったチョコボ3匹が限界で……」
「俺は……それでも五匹だったな。ともあれ、バロンの兵士に必要不可欠なのは機動性――足腰の筋力だ。
甲冑を着てなお、何も装備していない者より早く動けなければ意味が無いからな。……方法は原始的だったが」
「……あーもう、アンタ達びっくり人間には判らないでしょーねー……」
今更ながら――軍事国家バロンの兵士の鍛え方の無茶さ加減と、
その無茶苦茶な訓練を思い出話にしみじみと語り合う二人にあきれてしまうミレイユである。
「……だったら姉さん。私が何とかしてあげてもいいわよ」
その、エルナの反応に――ミレイユは軽く目を見開いた。
「出来るの!? ……いやぁ、やっぱり持つべきものは頼りがいのある妹よね♪
歩くこと自体は嫌いじゃないけど……あんまり度がすぎると、やっぱり足もむくんじゃうし♪
……それで、『何とかする』って……具体的には、どうするの?」
ミレイユのその問いに――エルナは白衣の内側から、とある機械を取り出す。
それは丁度、彼女の手にもすっぽりと納まるほどの大きさで――長方形の、小さな箱といったところか。
「昔、あのシド技師は自分の飛空艇に遠隔操縦機能――つまり外部からの操作入力で、
どこからでも自在に飛空艇を呼び寄せることが出来たらしいわ。……この機械はそれを参考に作ったものよ」
「ということは……ダムシアンの飛空艇を呼んでこれるってことかしら?」
飛空艇――あの高速で空を自在に滑空する乗り物さえあれば、ここからファブールまでなど距離も無いに等しい。
しかし――目を輝かせるミレイユに対して、エルナは静かに首を――横に振る。
「いいえ――呼び出せる乗り物は、飛空艇よりもっと速いわよ。姉さんだって、ついこの間乗ったでしょう?」
「……この前……?」
「ええ。――スカタン号よ」
その言葉に――ミレイユの表情がびしりと凍りついたのをエルナは見て――あえて無視して続ける。
「乗組員の安全を失念していたのは私の失態だったわ……だからそれを解消するためにも、
もっと沢山の走行データを採取する必要があったの。助かるわ、姉さんが協力してくれるなんて――」
「ごめんなさいすみませんでしたエルナさんそれだけは勘弁して下さい」
いきなり土下座をするミレイユと、それに気付かぬようにさらに言葉を続けるエルナ。
しかし――あれを唯一経験していないカインにとっては謎のやりとりでしかない。
「スカタン……何だ、それは?」
「あ、あはは……知らない方がいいと思います」
「……あえて言うならば、悪夢だ」
ミレイユ曰く「びっくり人間」の二人でさえ、カインのその問いにとても苦い微笑で応えるのが精一杯だ。
「――ともあれまあ、ミレイユの言葉にも一理ある。
ファブールの人間でない者にとって、この行程は少々辛いものだろうとは思うからな」
クレセントがそう切り出したのは、そろそろ二人の不毛なやりとりを中断させようと思ったからか。
このままではエルナが本当にスカタン号を呼び出すのでは、という思いからだったのか。
どちらにせよ、彼の言葉で――二人はとりあえず掛け合いを中断する。
「……そういえばクレセントって、前にファブール出身って言ってたわね?」
「うむ。……正確にはファブールの近くの森に小屋を建てて住んでいたのだがな。
あの頃は、まだ弟も幼かった……世話をしながら、ファブールの武具屋で働かせてもらっていた」
「……そうだったのか」
その言葉に――カインは何故か感心したように呟き。ラディは――
「クレセントって……弟さんがいるのか?」
「う……うむ」
ついぽろっと漏らしてしまったことに――クレセントは心の中で自分のうかつさを叱責する。
しかし、クレセントが思っているほどに「弟がいる」という情報は真実への足取りとならなかったようで――
「そっか……じゃあその人もやっぱり、クレセントみたいに冷静沈着で落ち着いた大人の人なんだろうなぁ……」
ラディのその言葉に――カインは何故かぶっと吹き出し、クレセントは奇妙な沈黙を保っていた――
――響き渡る、大きなくしゃみ。
そこは軍事大国・バロンの王城の中――
「あら……セシル、風邪?」
「いや……違うと思うけど……」
「……? カインさん……クレセントの弟さんのこと、知っているんですか?」
一人ツボに入って、肩を震わせているカインに――ラディは眉根を寄せる。
何とか笑いの波動を押さえ込み、カインは一瞬――クレセントの表情を見た後に、
「……いや、そういうわけじゃないが……意外と兄弟というのは性格がまったく違ったりするものだからな。
案外クレセントとは対照的に、騎士の叙任式に剣を忘れてくるような天然な奴かもと思って」
「そんな……セシル陛下と違うんですから」
「……何だか急に、カインの恥ずかしい過去を国民全員に公表したくなった」
二度目のくしゃみの後に――鼻をさすりながらセシルはぽつりと呟いた。
「何でそんな唐突に……それもカインの?」
「ああ。……例の『靴べら』の時とかの話を。しかも書簡に印刷して公表とかで」
顎をしゃくって、かなり真面目に考え込むセシルに――ローザは先ほどとは若干、心配の方向性を変える。
「……本当に大丈夫? あまり体調が優れないなら、今日は私が国政を代行するけど――」
「ああ、それは心配しなくても本当に大丈夫だから。むしろいつもより調子がいいくらいさ。
……それに今日は、ククロさんが来るはずだろう?」
「ええ……確か、セシルが預けていたエクスカリバーの打ち直しが終わったそうだから、飛空艇を寄越しておいたけど……」
「だったら僕がきちんと会わないと。……あの剣にもう一度、魂を込めてくれたんだからさ」
セシルはローザに優しく笑いかけると、そのまま彼女の手をとって王室への道を歩き始めた。
「……私の弟の話はともかく……ラディはファブールに関して、どれほどのことを知っているのだ?」
クレセントはさりげなく論点を変更する。ラディはその問いに腕を組み、しばし黙考すると――
「うーん……そうだなぁ……。オレが聞いた話だと……国民全員が国王を筆頭に武術を修めていて、
男は全員、成人すると辮髪の義務があって……って、これは前にクレセントが言ったとおり、違うみたいだけど」
「うむ。……確かに、今ラディが取り上げた部分でも大分、正確さを欠いている部分は多いな」
「ご……ごめん」
「謝ることではない。……過去の歴史を紐解いていっても、
バロンとファブールとはまったくといっていいほど交流の無かった国だ……それは仕方あるまい」
「そうね。……ファブールとバロンの間で条約が締結されたのは、五年前の騒動の後のことだったし。
あのエブラーナとでさえ不可侵条約をすでに締結してたことを考えると……よほど国交が無かったのが知れるわ」
エルナの補足に――クレセントは静かに頷くと、
「……そもそもファブールは、その創立自体が特殊な国でな。……元来は、精神修養のための寺院でしかなかった。
それがやがて、肉体を鍛え上げることが自らの精神修養のための効率的なものと知れ……
そうしてその噂を聞き、数々の格闘家が集まり、そして彼らのために町のような機能が加えられ、
やがては一国となっていったというものでな……。王が「王」ではなく「大僧正」と呼ばれているのはその名残だ。
大抵の場合、国の誕生というものはいくつかの勢力がその力を現し、ぶつかって淘汰されていく中で、
最後に残った最大勢力のものがやがてはその土地を治める国となることが普通だからな」
――事実、バロンなどはまさに争いの中から生まれでた国の筆頭である。
「なんか……それ、ミシディアに似てるかも」
「うむ。……精神修養に知を求めるか、力を求道するかの違いでしかないだろう。
ゆえにファブールは古来よりミシディアとは交流が深い。……互い、参考になる部分があったのだろう」
「――国の成り立ちが特異からか……国としての文化も大分、独特な部分が多いわ。
けれどどこか、同じように独自の文化を持つエブラーナと似たような部分が多いのよ。
例えば食器は両方の国で「箸」を使ったものだったり……だから最近の歴史学者たちは、
この二国間で過去にもしかすれば交流のようなものがあったのではないかと見て研究を続けているわ」
「へぇ……」
箸は、ついこの間までいたホブス山でマスターしたラディだったが――
確かにあれほど特異な食器が、交流も無い別々の国で同時に発生するとは考えにくい話だった。
箸を使いこなせるようになるまでにかなり苦労し、身に染みているからこそ共感できる話である。
「……しかしラディ。お前にとって一番ファブールでの関心ごとは……やっぱりレオナルトの話じゃないのか?」
そう切り出すカインに――ラディは頷く。
「ええ――暗黒騎士レオナルトのことですよね。勿論知ってます。本だって持ってるくらいですから」
暗黒騎士レオナルト――それは今から百年ほど前に、この地を訪れた一人の暗黒騎士のことだ。
バロンでもかなり有名な暗黒騎士で――当時の暗黒騎士団の一番隊隊長を務めるほどの実力者だった。
彼の暗黒剣の銘であり、同時に『暗黒』自体の名でもあった『デスブリンガー』は相手の魂を断つ剣とされ、
その斬撃が触れただけで、生きとし生けるものを一瞬にして死へと追いやるという凄まじいものだった。
一度彼が戦場に赴けば、たった一振りで千の敵兵の命が刈り取られたという伝説が残っているくらいだ。
しかし、そんな凄腕の彼もある任務遂行中――全身に大怪我を負い、生と死の狭間を彷徨ったことがあった。
もはやバロンに戻るだけの体力も無く――それでもこのファブールまでたどり着いたのは一重に彼の強靭な精神力の賜物だ。
それを見つけたファブールの僧たちは、彼の傷を癒し――レオナルトは当時の大僧正とその間、様々に語ったという。
……そして、やがて傷が癒えたレオナルトは――
「『私の生きる道は……ここにあった』と言って、暗黒剣を捨ててファブールの僧になった……有名な話ですから」
「……本当に暗黒騎士好きなんだな、お前は……」
カインのその言葉にラディは笑って、
「まあ、そうでもないと国を飛び出してまで暗黒騎士になろうなんてしませんよ。……だから楽しみなんですよね。
バロンが暗黒騎士団を廃止した中、ファブールだけが唯一、暗黒騎士を許容している国ですし……」
ファブールの教えと、暗黒騎士の『力』に対する自制の心には共通する部分があるという。
恐らく時のレオナルトも――それで暗黒剣を捨て、ファブールへの帰依という道を選んだのだろう。
そのためか――『暗黒騎士団』という組織まで抱えていたはずのバロンがそれを解体してしまった今も、
ファブールは暗黒騎士の存在を認め、彼らのために負の武具を製造しているぐらいなのである。
「だから本当、一度行ってみたくて……負の武具を売っている武具屋は当然チェックするとして、
デスブリンガー奉納所に行ったあとは、レオナルト記念館の訪問者リストに書き込んで……あっ!
そうそう忘れてました、ファブールには銘菓『暗黒羊羹』があるんですよ、それを箱買いして――」
いつにない白熱ぶりで語り続けるラディに、思わずカインとクレセントは互いに互いを見合わせる。
「……これは、好きと言うか……」
「……うむ。マニアの域に入っているな」
――そんな二人の述懐をよそに、完全に独自の世界にのめりこみつつ弁舌を振るっていたラディだったが――
「――モンスター学者としての見解から言っても、ファブールには興味深い点があったりするのよ♪」
「……えっ?」
舌が呼吸により止まった瞬間を付いて――ミレイユが話題を切り替え、ラディがこちら側に帰ってくる。
流石に宮廷での密談交渉などで鍛えられただけあって、相手の話題を中断させて切り替えるのは得意らしい。
事実ラディからはすでにあの異様な熱っぽさは消え、普段の様子に戻ってしまっていた。
「モンスター……って、珍しいモンスターでもいるのか?」
「ん〜……いるといえばいるし、いないといえばいないんだけど……」
「……?」
ミレイユはしばし、言葉を捜して考えていたようだったが――やがて、
「ラディ、『トンベリ』って知ってるかしら?」
「トン……ベリ……?」
聞きなれぬ言葉に――ラディは首をかしげながら右腕をさする。
「ファブールの海に住んでるっていうモンスターで……遥か昔に絶滅したって言われているのよ。
その正体は幻獣の一種とも、不思議な力を持った小人族とも、食い散らかされた魚達の怨念とも言われてるわ♪
前の二つはともかく……最後のは、多分見た目が服を着た魚みたいに見えるからじゃないかしら。
物凄く恨みを忘れない性質で、一度でも怒りを買うようなことをすれば、
一族でその相手を追い立ててその手に持った『包丁』で刺し殺したそうよ」
「包丁って……そんな――」
笑い飛ばそうとしたラディに――ミレイユはちっちっちっと指を振ると、
「その認識は甘いわよ。……何せ、この包丁は並大抵の切れ味じゃなかったらしいわ。
一体どうやって作られたものかわからないけど……一説によれば、オーディンの斬鉄剣すら斬り飛ばすほどらしいわ」
「オ……オーディンの!?」
その言葉には、流石のラディも驚愕する。
……オーディンの斬鉄剣の力は、ついこの間身に染みて知っているからである。
「……もっとも、トンベリは義理堅い性質でもあるらしくて、一度受けた恩は一生を尽くして返すそうよ。
このファブールにも確か、そんなような話の童話が――」
「……『トンベリの恩返し』だな」
すかさずクレセントが話を繋げる。
「心優しき青年が、浜辺で子供にいじめられている一匹のトンベリを助けた。
すると次の日、とても美しい一人の女性が青年の元を尋ねてきた。二人は惹かれ、やがて結婚。
女となったトンベリは、その長い一生をかけてその男を愛した……という話だったはずだ」
「それは……確かにすごいけど……でも、童話なんだろ?」
「いや――確かに童話用に脚色はされているが……これは実話を基にしたものだったはずだ」
「そうなのよねぇ……事実、トンベリにはとても強い神通力のようなものがあって、
巨大化したり人の姿になったりすることが出来るっていう記述がこの国の古文書に残ってるのよ。
だからもしかしたら、トンベリは絶滅したんじゃなくて、まだどこかに生き残りがいるかもしれないって――」
ミレイユの話が、いよいよ最高潮に達する――そう思われた時であった。
「……ん?」
「どしたの、ラディ?」
「……いや、あそこに誰か……いる……?」
ラディが言って指し示してみせたのは、前方に見える大きな岩。
高さは5mほどはあるのではないのだろうか。このあたりの地質ではよく見られる、切り立ったような岩。
そして――その上に。人差し指一本で、逆立ちしたその身を支えている一人の男がいた。
この国でよく見られる緩やかなズボンを一つ着ただけで、上半身は裸のまま、岩に逆さに立っている男。
頭髪は、一部を残して剃り上げ――残った部分を延ばし、三つ編みにしている。いわゆる『辮髪』というものだ。
若くは無い――年のころ、四十ぐらいであろうか。しかしラディとそう変わらない長身には、
驚くほどに鍛え上げられ、決して鈍重とは言いがたいほどに引き締められた筋肉が鎧っている。
口元に蓄えられた豊かな髭の似あうその壮年男性は、無茶な体制のまま瞑目し、まるで寝ているようであったが――
「……砕ッ!」
男性の鋭く、そして短い掛け声が響いた瞬間――ラディは見た。
彼の全身を一瞬、凄まじい気迫が覆い――それが一瞬で指先へと集中して。
……堅牢そうな大岩が、一瞬で砂粒に砕け散ってしまうのを――
「……凄い……」
大岩を単に破壊するならともかく――あそこまで全域に破壊を拡大させ、粒子のように分解させるとは尋常ではない。
思わずそんな感嘆の声を漏らしたラディだった――が。
もうもうと、粉塵クラスにまで分解された岩の中――ゆっくりとその男性が立ち上がるのが遠目に見え。
――瞬間、ラディは思い切り地面へと身を投げ出していた。
その次の瞬間には、男が放った刃のような飛び蹴りがラディの頭のあった辺りを貫いている。
「…………!?」
慌てて跳ね起きた瞬間――男の放った拳の一撃はラディの足元に突き刺さり、地面がクレーター状に陥没する。
先刻の飛び蹴りの風圧で、軽く裂けた頬から流れる血すらも気付かず――ラディは完全に当惑してしまっていた。
「な……何で!? 何でオレを狙って――うわあっ!?」
当惑を口にする暇さえ与えられない。男は一気にラディとの間を詰めるなり、流れるような連撃を放ってきたからだ。
功夫靴の底が滑るように地面を駆け、放たれた拳の一つ一つが風圧だけで岩を砕きかねない一撃。
足捌きといい狙いといい、肉体を極限まで鍛え上げて己を完全に律した『極み』に達する動きである。
もはや拳の軌道など見えず、殆ど勘に――戦闘で培われた勘を頼りにかわしていくラディ。
しかし男は、そんなラディに動じることも無く――最初からずっと目を閉じ、落ち着いた表情で拳を突き入れてくる。
「く……くそっ! やられっぱなしで終わるか!!」
大振りの一撃が、ラディの頭髪数本を巻き添えに空気を砕いていったそのとき――ラディは大きく間を取って着地した。
両手が閃き、鞘走りの音高くテュルフングを引き抜き、左手には逆手に短剣を握り締めて。
同時に自分の中で精神的なスイッチを『入れて』――戦闘用の自分を引き出す。
「――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
腹腔からたたき出すような、裂帛の一声――それは自分の気迫を高め、戦意を高めるための行為だ。
基本的に戦いというのは、技量や力の差ではなく――『気迫』で決まることが案外多い。
相手の気合や戦意に呑まれたり、押されてしまっていれば勝てるはずの戦いにも勝てないものである。
ラディは最初に完全に男の行動に『呑まれて』しまったために、あえてそうやって自分を鼓舞する必要があった。
そして同時に、高まった状態で改めて男と相対し――力強く地面を蹴って突撃する。
男もまた、相変わらず目は閉じたまま――地面を叩き、一気に間を詰める。
刃が先か、拳が先か。
互い、極限まで張り詰めた一瞬の中に――全てを決しようとした、その瞬間!
「――ヤン!?」
カインの、その驚愕に満ちた声が響いて――それがラディの耳に入った。
……普段の彼ならば、戦闘中にたとえ何があろうとも目の前の相手に動揺することなど無いだろう。
しかし今回、不意打ち気味に襲われ――それが結果として、彼の強い集中力にひびを生じさせてしまったのかもしれなかった。
そう――カインが叫んでからだが、ラディは気づいてしまったのだ。
目の前にいる、この男こそ――ファブール国王、いや、現ファブール寺院大僧正――ヤン・ファン・ライデンということに。
知らないはずがない――この男は五年前にセシルやカインと共に戦った者の一人であり、
かつてラディがバロンでまだ兵士だった頃――非常に短い期間であったが、近衛兵団に所属していた男でもあったからだ。
しかし、ならばなおのこと何故、こんないきなり襲い掛かってくるのか――!?
その迷いは、それこそ『瞬き』にすら満たない一瞬だっただろう。
しかしその瞬きの間の迷いが、ラディの斬撃を僅かに遅らせて。
結果、彼が切り裂いたのは――数瞬前までヤンがそこにいたという、かすかに残った残影に過ぎない。
そして、実影のヤンがどこにいたかということは、すでにラディには判っていた。
(――しまった! 後ろを――!?)
しかし――判っており、意識はすでにそちらに向かおうとも――体までは一瞬で方向転換できない。
そして。
ヤンの拳は――的確にラディの後頭部を捉えて。
(……ダムシアンの時も、何か一方的に襲われたような気がする――)
……脳髄を直接に揺さぶられ、ぶちまけられた様なそんな感覚の中――ラディの意識は霧散した。
……どこかで、自分を呼ぶ声がする。
遠いような、近いような――ぐにゃぐにゃとした感覚の中で。
ラディは一人、ぬるま湯に浸かったようなどんよりとした意識の中――そんなことを考えていた。
……いつの間に、眠ってしまったんだろうか?
ラディは呆然としながらも――自分が今、意識を表層に出していないことに気がついていた。
しかしその直前までの記憶が、頭の芯がじんとなっていてまったく思い出せない。
まあ、眠る直前のことなんて普通、覚えているわけも無いか――
ふわふわとした感覚の中、呆然とラディはそんなことを考えて――
誰かが、右腕に触れた。
意識が瞬間的に収束し、膜のかかっていた意識を突き破って覚醒する。
反射的に身を起こすと同時に、左手に握っていた短剣を相手の喉下に突きつけて――
「………………?」
喉元に突きつけたときに――そのしばらく後に、相手の顔を確認して。
……突きつけられたナイフを驚愕の表情で見下ろす、眼鏡をかけた金髪の女性を見やって――
「あ……ミレイユ、お早う」
目をこすりながら、ラディは短剣を元の鞘へと収め――
「……お、おはようじゃなぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!」
収めようとした瞬間、半ば裏返ったミレイユの叫び声と同時に、凄まじい衝撃が頭部を揺さぶった。
目から星が出るとはこのことか――じわりと涙が滲み、ラディは殴られた頭をさすりながら呻く。
「……い、痛い……」
「痛いじゃないわよっ! ……ったく、起きた瞬間に人の喉下にナイフ突きつけるなんて何考えてるのよっ!!」
喉元をさすりながら、これまた涙を滲ませた目でパニック気味に叫ぶミレイユ。
彼女がここまで取り乱すのを始めてみた気がする。
「ご……ごめん」
「……ごめんじゃないわよ〜……ああーもう、折角回復魔法かけてあげてたのに、恩をアダで返されたわ……」
手首のブレスレットへと糸を回収しながら――ミレイユは心底ぐったりと疲れたように呟いた。
「ほ、本当にごめん……って、回復魔法……?」
どういうことなのだろう。
……というより、一体今はどういう状況なのだろうか――意識を失う直前のことを思い出そうとして。
「……大丈夫か、ラディ殿?」
心配そうに、かけられた声――そちらへと目を向ける。
そこに申し訳なさそうに立っていた、辮髪の壮年男性の顔を見て――ラディの記憶の霞が急速に晴れ渡っていく。
「……あ――!?」
しかしラディが何かを言おうとした瞬間――先制するように、男――ヤンは頭を下げ、口を開いた。
「済まなかった……」
「え?」
「全ては私の不注意なのだ……この程度の事で許されるとは思わんが、本当に済まない……」
「え? あ、あの――え? ええっ!?」
またも唐突なことに、完全に面食らってしまう。
とにかく、ここしばらくずっと状況が飲み込めていないのである。
沢山の情報が一度に流れ込み、完全に混乱状態になっているラディに助け舟を出したのは――カイン。
二人の意識を、咳払いで自分へと向けさせ――カインは口を開いた。
「……状況を、説明するとだな――」
「……修行の、途中だった……ですか?」
ヤンは申し訳なさそうに一つ頷く。
「ファブールに古来から伝わる修行法で……己に強力な自己暗示をかけ、視覚と聴覚を一時的に麻痺させるのだ。
人はこの二つの感覚を失うと、非常に平常心を保つことが難しい。
……よってこの極限状態の中、精神を安定させることでいついかなる時も平常心を保ち、
強靭な精神を鍛え上げるというものなのだが……。この修行中はただ瞑想しているだけではなく、
効能が切れるまでの間に部下達が不定期に私に襲い掛かってくるという、さらに一歩進んでものでな。
これを、相手の気配や気迫、微細な空気の変化を頼りに撃退することも修行の一つであったのだが……」
「……オレがその、襲い掛かってくるはずの部下に……間違えられたってことですか?」
「……面目ない。大概の場合、この修行中は旅人の量の少ない時期に行い……それに普通の旅人ならば、
修行している部下と違って気配はすれど気迫は存在しないために、ああやって戦う真似はしないのだが……」
「……要するに、俺やラディのような一定以上の戦闘能力を持っているような人間が固まって近づいたために、
ヤンは自分の部下と俺たちを間違えたという寸法らしい」
「……本当に、申し訳の仕様もない……」
非常に申し訳ないと、何度も頭を下げるヤン。
……しかしラディにとって見れば、いきなり襲い掛かられた挙句ぶん殴られたことには変わりな――
「あ、別にそんな……何度も謝らなくてもいいですって。それはもう、仕方ないことですし」
「し……仕方ない!?」
あっさりと許してしまったラディに――驚いたのはミレイユのほうである。
しかしラディはそんなミレイユを不思議そうに見やると、
「だって……修行だったんだろ? だったら仕方ないじゃないか。
オレだって昔、陸兵団の訓練で似たようなことした経験があるし……」
「そうだったな……確かにそう考えれば問題あるまい」
「……かたじけない、ラディ殿、カイン殿」
「いえいえ、全然問題ないです」
「気に病むだけ無駄なことだ」
うんうんと頷く、バロンびっくり人間の先輩後輩コンビである。
「……何でそうなるの……っていうか、私だけナイフ突きつけられ損……?」
なぜか和みムードになる三人の空気に釈然としないものを感じ、一人ぶつぶつと呟くミレイユである。
そしてそんなミレイユをよそに、すでにびっくり人間達はすっかり打ち解けてしまっている。
「しかしカイン殿……ホブス山をとうとう降りてこられたのか」
「ああ。――やっと俺の進むべき道が見つかったんでな……。後はただ、真っ直ぐそれを貫くだけだ。
それより、今まで済まなかったな。セシルやローザたちに俺の所在を黙っていてくれて」
――二年前、カインがホブス山に居座った頃に、実は修行に来たヤンたちと出会ってしまったのだった。
しかしその時、カインはヤンに自分がここに居ることを黙秘してもらうように頼んでいたのだ。
ヤンは快く承諾し――ゆえに今もセシルを筆頭、他の面々たちはカインの現在の消息を知らないままである。
「いやいや、それこそ気に召されるな。……むしろ私の方が感謝している。
白妙殿に口利きをして、ホブス山を守ってもらっているのだから。……彼女は今もご健在か?」
「ああ……あいつは殺しても死なないような奴だからな」
いろいろな意味を含んだカインの苦笑いに――ヤンは安堵したように笑みを浮かべると、
「それはよかった。……あの山はファブールのモンク僧にとって重要な霊峰。
それが五年前、あのマザーボムという魔物のために、多数の手練れを失ってしまった……」
そう呟くヤンの言葉には――苦虫を噛み潰したような苦渋が含まれていた。
何故ならばその五年前に、ホブス山での魔物たちとの戦いの中、唯一生き残ったのが当時の僧兵隊隊長のヤンだったからだ。
そしてその時助太刀に入ったのが、当時は暗黒騎士だったセシルたち一行――非常に有名な話である。
「……彼女のおかげで、ホブス山も元の霊峰としての清涼さを取り戻し……私たちも安心して修行に打ち込めるようになった」
「そういえば……白妙から聞いたが、試練の山にも白妙のようにも護人を置いているらしいな?」
「カイン殿はその前に試練の山を降りられたのだったな……確かに、私もそう聞いている。
ミシディアのミンウ殿の話では……確か、オズマ殿とかいう御仁で――」
「――旧交を温めているところ申し訳ないが、それは後にしていただけないか?」
二人の会話を遮るようにして割り込んだ声は――有無を言わさぬ、鋼のような強い響きを持っていた。
クレセントがこうやって他人の会話を遮るのは珍しいが――もっと珍しいのは、彼の表情が非常に硬かったことだ。
「クレセント……どうしたんだ?」
「……風のクリスタルの力が増大している。このままではおそらく……ダムシアンの時と同じことが起こる!」
彼が何故、クリスタルの力の増大を知ったかは判らない。
しかし、クレセントの正体を知っているカインやミレイユ、エルナ――
そして正体は知らないが、あの現象に身をもって立ち会ったラディに緊張が走った。
「……? 風のクリスタル……どういうことだ?」
ただ一人、事情を知らないヤンはクレセントを見返し――しかし次の瞬間、
「……!! そなたは、まさか――」
「ヤン、済まないが事情は後で説明する。今のこの男は信用していい――だから急いでくれ!」
クレセントの正体に気付いたヤンだったが――カインに両肩を掴まれて説得される。
真正面から、こちらを見返してくるその青金石の瞳には――偽りや他意ではない、真摯な意思の輝き。
そしてそれは五年前――必死にバロンのクリスタル強奪に関して話す、あのときのセシルの瞳にあったものと同じだった。
……だからヤンは、そんなカインに一つ頷くと――
「……取り返しの付かないほどの、火急の用なのだな……判った。ならばついてきてくれ。
この先に、非常連絡用にファブールで確保しているチョコボが数頭、放し飼いにしてある。
それを利用すれば、ここから東へ――ファブールまでは、そう時間もかからないはずだ!」
ヤンはそのまま身を翻し、チョコボを放逐している場所へと一気に走る。
ラディたちも厳しい表情のまま、その後に急いで続いていった――
カイン :……と――ここで座談会に入るのか。
ミレイユ :ファブール編・プロローグって感じよね♪
作者 :うむ。だからここ最近の話と違って、あまりストーリーにおける劇的な変化は無いな。
もっともこの中に、実は複数すでに伏線を忍ばせてたりするんだが……。
エルナ :その伏線が腐らないようにせいぜい気をつけるのね。
作者 :ぐふっ。
クレセント:確かに、策を張るだけ張って浮上しないというのは馬鹿馬鹿しい限りだからな……。
……? どうしたラディ。何故か元気が無いな。
ラディ :……本編中でも言ったけど、なんかオレ……ダムシアンに続いてそうだけど、
他の国に行くたびに不意打ちで襲われてる気がする……。
クレセント:……言われれば、ダムシアンのときもそうだったな。
ラディ :まあ今回は、修行だったみたいだし不可抗力だけど。
ミレイユ :その「修行だから不可抗力にする」っていう判断基準がよく判らないわ……。
ラディ :いや……オレも昔、バロンで訓練した時にそんな内容のがあったからさ。
カイン :……そのときに襲い掛かられたのが俺だ。ただし、きっちり返り討ちにはしたがな。
ラディ :懐かしいですねぇ。
カイン :懐かしいな……。
ミレイユ :な、何でこんな内容の思い出で懐かしめるワケ……?
作者 :わからないといえば、セシルがばらそうとしたカインの恥ずかしい過去についてもそうだな……。
エルナ :……『靴べら』?
カイン :セシルめ……あんなことをまだ、覚えていたのか……。
クレセント:というより、騎士の叙任式で剣を忘れたセシルの方が問題になると思うのだが……。
ラディ :普通の騎士なら、まあ許されないですけど……セシルさんですし。
ミレイユ :バロンって一体、どういう国なの……?
なまじラディが最初に飛び出したから、このアフターストーリーでの設定が全然わからないんだけど……。
作者 :それを明かすのが、ビフォアストーリーというわけだ……。
今回、第二話をアップしたので気になる方はそっちもチェ〜ック!
クレセント:ふむ。……上手い続け方だな。
ラディ :……オレとしては、出来ればあの話は読んで欲しくないんだけど……。