No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第三十九話 科学の心は砕けない



銃弾に大穴を穿たれ、合成獣達に地の底を食い破られ、度重なる衝撃と爆発に蹂躙の限りを尽くされても。
圧倒的な敷地面積を誇るモーリス家から失われた緑の景色は、ごく僅かなものでしかなかった。
見渡す限りを呑み込んだように思えた破壊も、僅か数十dcの距離を隔てるだけで鬱蒼と茂る木々達が再び視界に飛び込んでくる。
張り巡らされた枝葉は天蓋の様に空を覆い隠し、零れた月光の粒は細く輝く白銀の滝となって濃密な闇の中を滑り落ちる。

もし――第三者がこの場にいたなら、果たして気づく事は出来たのだろうか。

夜天より注ぐ輝きの一束を縒り合わせたように、透き通る輝きを芯に秘めた銀髪。
立ち並ぶ巨木の幹達を前にして、恥ずべき所が見当たらない程に堂々と引き締まった長躯。
硬質な輝きの中に神秘的な何かを感じさせる銀燭は、対となる眼窩で黄金の輝きを灯した異彩の双眸。
『博士』達の目前から煙のように消え失せたアトリの姿が、まるで存在感を置き忘れたような静謐さでそこに立っていた。
人から木へと宗旨替えしたような自然さで、闇の中に居並ぶ木々達の間に溶け込み――微かに動いた瞳だけが、聳え立つ屋敷をじっと見据える。

『博士』達の目を欺き、半ば身を投げ出すように木々の合間を駆け抜けて身を潜めた現在の位置。
先刻の場所よりも屋敷からは遠ざかっていたが、あのまま彼らを振り切って屋敷へ直行する事をアトリは選択しなかった。
そんな事は不可能であるという確信が、心の奥底で強く訴えかけていたからだ。
例え振り切る事が出来たとしても、考えられる最悪の状況を一段上回った局面で再び相対する未来さえも幻視出来る。
理屈では説明出来ない衝動めいた予測だったが、そもそも『博士』達の存在が既に理屈の範疇外にあったのでは無かったか。

アトリにとって幸いであったのは、トトという突き抜けた前例を知っている事。
その知識は並外れて底の抜けた許容力と組み合わせた時、『博士』達の存在をありのままに許容する事を可能とした。
そして――屋敷へと辿り着いた時、後顧の憂いを断ち切るために彼らをここで殲滅する必要性の再認識をも可能としている。

全く訳の判らない理由で銃撃を無力化する相手に、銃撃で挑まねばならないという状況。
常人であれば悪夢より性質の悪い現実に戦意など喪失していたに違いなかったが――アトリの意識に、恐れは無かった。
腰に感じる確かな重みは長年の付き合いの中に自身の一部と化し、決意を貫く傍らで常に立ち塞がる一切を吹き飛ばしてきた。
既にブーツの付与魔術によって肉体は癒え、精神は万象を許容してあらゆる不可思議をただの事象へと引き摺り下ろす。
ならば、選択を定めた後の行動は鋭く――そして迷い無く。


心の檄鉄を上げるように、アトリの中でかちりと決意が定まった時。


「――故人、曰く。『科学者と水とは深い関係である。即ち科学者は雨を降らす。洪水は怒れる科学者の仕業である』」


歌劇オペラ主演男優プリモ・ウオモのように伸びる低い男声が、音吐朗々と夜の闇を震わせた。








「『科学者と雷は深い関係である。即ち科学者は雷を起こす。稲妻は怒れる科学者の仕業である』」

堂々と腕を組んだ胸板も厚く、風を孕み颯爽と翻る白衣を背に流した黒髪黒瞳の一人の男。
金属縁の太枠の奥は遥かな先を見据え、背を伸ばした雄々しくも逞しい姿は一枚の名画にも似た風格さえも漂わせている。

「『科学者と風は深い関係にある。即ち科学者は風を起こす。竜巻は怒れる科学者の仕業である』」

ただし、威風堂々と立ち尽くした場所が遥か夜空の高み――さも当然の様に重力を無視する姿は、同時に不条理をも極めていたが。

「久方ぶりだな『双隻眼』よ。貴様の伝説と賞金総額は今も健在か?」
「……俺の記憶違いで無ければ、燃料切れと聞いていた筈だが」
「ははははは。双隻眼よ、後生であるからそのような瑣末事に捉われた言葉を吐いてくれるな。
 先刻、確かに我輩はこう告げていた筈であろう? 『科学者は知恵をもって、空を往くものである』――と。
 我輩が空を往くのは燃料に拠るものではない。我輩は、我輩自身の知恵を以て空の高みへ駆け昇るのだ」
双隻眼が犯した失態に対して、怒る素振りを見せる事も無く『博士』はかか・・と笑い飛ばす。
自身の言動に対して、本来抱くべき根本的な疑問や問題を一切感じている様子の無いその姿。
彼と『科学』ならば、あるいは全ての不条理さも許されるのではないかという恐ろしい結論を抱かせかねないものだったが――
今のアトリの双眸は、起りうる一切の事象、あらゆる全ての現実をただ真っ直ぐに見据えて許容する。
向けた鋭い視線は既に、『博士』の姿が高速で上空に射出された匣の上に立っている事に拠るものなのだと冷静に把握していた。
「そうッ! そんな瑣末事よりもだッ!! グレートなるは新世紀ッ! 義憤を抱く我輩はここにッ!!」
平均的な成人男性より頭一つは上回る『博士』の長躯を危なげなく支え、逞しく炎を吐いて空を往く匣。
描かれた放物線は力強く夜を切り裂きながら、やがてアトリの頭頂へと差し掛かる。
「ならば『魔術』を根絶するためッ!! この身は稲妻イナヅマと化して時代駆け抜けッ!! 颶風グフウと成りて因習を打破しッ!!
 怒涛……怒涛ドトウの如き探究心の前には痛覚さえも『痛くない痛くない、はははは、やっぱり痛いぞ、ふははははは――
 まあ割とそんな事はどうでも良いッ!!」
聞いている方が思わず愕然となるような切返しと共に、女人も言葉を失う脚線美の極致が鋭く弧を描いた。
優美さと苛烈さを備え合わせた蹴撃は匣の表面で衝撃を炸裂させ、夜空に咲き誇る紅蓮の大輪から次々に弾けたのは『種』。
黒塗りの『種』は炸薬の力で加速しながら瞬時に倍の長さへと成長し、錐の様な先端を備えた鋼鉄の『槍』へと転じている。
そして、爆風に白い蜻蛉を切った白衣も――鋭くその手を伸ばし、降り注ぐ槍の一振りを掴むと共に。


「さあ! さあッ!! 男ならばイサギヨくッ!! 一意専心イチイセンシン・狙いは一つッ!! ドラァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」


一番槍を競うかのように――怒号を長く尾に引きながら。
錐揉みする『博士』の姿は降り注ぐ槍達と共に、獲物を狙う鷹よりも鋭くアトリへ向って急襲していた。
だがその姿が降り注ぐ死の驟雨であったなら、地上から鉄槍を迎え撃つ咆哮の連続は破壊の為に解き放たれた豪雨。
視界を遮る枝葉を噛み千切りながら、旋回した大型拳銃が吐き出す射線は次々に槍の穂先を打ち据えてその軌道を反らしていた。
姿勢を崩した鉄槍はたちまち空気抵抗の前に失速し、殺傷力を失って単なる重たい鉄の棒と化す――ただ一振りのみを除いて。
「ふははははッ!! 己が信念を体現した『力』――その心意気ッ! その姿勢や善しッ!!」
『博士』が力強く握り締める鉄槍は螺旋の軌道を描きながら、自らの体を盾に迫り来る銃弾を次々に弾き飛ばす。
ただ一発で人間の胴体を真っ二つに引き裂く特注の弾丸全てが、彼の纏った仄かな銀の輝きによって悉く阻まれ――
「だがそれは我輩とて同じ事ッ!! そして貴様にとって不幸だった事は――銃が魔術の産物だった事だッ!!」
騒々しい勢いで木々の天蓋を突き破りながら、旋回する鉄槍の穂先が夜の闇を鋭く薙いだ。
直後、アトリの背面に生じた一文字の灼熱感――捉えた穂先は血の尾を引いて、『博士』の手の内で旋回する。
続けて見舞われた刺突は解剖医めいた精密さで眉間と喉仏、胸郭の位置を的確に捉えて貫く――ただし、その位置だけを。
捉えたのは残された残像に過ぎなかったことを『博士』が自覚した瞬間、彼を襲った衝撃は眉間と喉仏、そして胸郭の三箇所。
咄嗟に屈みこんで閃撃をやり過ごしたアトリの銃撃は皮肉にも、『博士』が狙い定めた箇所と寸分変わらず同じだったのだ。
だが鍛え上げられた下肢は無様に宙を舞うことを良しとせず、半ば強引に蹴り込まれた踵が地面の上に二本の深い溝を穿つ。
相変わらず銃撃は『博士』にとって致命傷とは成りえないものだったが、アトリは怯む様子も見せずに自分から大地を蹴り込んでいた。
白銀の銃口は長槍を構えなおそうとする『博士』の動きを先制して、硬い銃身の先が鉄柄の中腹を鋭く押さえ込む。
しかしその力を逆に利用して旋回した槍身は、摩擦に火花を散らしながら逆袈裟の一撃をアトリへと見舞った。
一跳びで退いてそれを躱しながら、距離を隔てた先で互いに相棒を構え直した姿で相対する。

「……大した腕だ。槍術の心得まであるのか、お前は」
『博士』が握り締める鉄槍――形状から槍と分類することは出来るものの、実際には先端の鋭い鋼鉄の棒といったほうが正しい。
匣の中に大量に積まれていたように、本来は数をもって上空から降り注がせることを目的とした槍身は重心の位置も先端に比して重く――
振り回すことを想定していない柄に滑り止めなど在る筈も無く、余程手が長物に慣れていなければ扱える代物ではない。
「我輩が? ――ふはははッ! 双隻眼よッ!! 寝言は寝てから口にするのが英国紳士エイコクシンシタシナみであろうッ!!
 文化人であるこの我輩、このような物騒ブッソウなものを振り回した事など今の今まで一度も無いぞッ!!」
が――無駄なまでに力強い笑声と共に、アトリの言葉を真正面から否定して『博士』は槍を振り回した。
闇に半ば溶け込むような黒塗りの鋼は生あるもののように彼の指先で精彩に動き、どう見ても『博士』が虚言を呈したようにしか見えない。
だが彼は、このような些細な事で嘘をつく人間では無かった――あくまでも本人は大真面目に、回転する槍の柄を鋭く握り締めなおすと。

「全ては『科学』に導かれた結果よッ! 科学は教わるものではない――須く、『覚醒カクセイ』するものだッ!!」

大音声と共に再び『博士』が突撃を試みた時には、白銀の銃把は瞬き一つで再装填。
旋回した銃口による容赦ない連射に対し、『博士』は一歩も退く様子も見せずに目前で長槍を車輪のように回転させた。
だが、所詮は見せ掛けに過ぎない筈の黒盤――実際に防ぐ事が出来るのは細い槍の柄が持つ僅かばかりの面積に過ぎない。
にも拘らず『博士』はその常識を打ち破って全ての銃弾を弾き飛ばし、アトリと間を詰める直前で手元に引き寄せて一閃を見舞った。
その穂先が捉えていたのは鍛え上げられた長躯ではなくその目前、足元の地面へと向けて。
逆転した滝のように天へと伸び上がる炸裂した土砂の中、唸りを上げて押し迫る重量感の存在にアトリは反射的に片腕を跳ね上げ――
地面へ突き立てた槍を支点に、全身を利用して見舞った蹴撃の破壊力は筋肉の鎧を貫いて2dcを越える長躯を横手へと吹き飛ばしていた。
張り巡らされた枝葉を背で折り砕きながらも、その時には地面へ向けて叩き込んだ銃撃の反動を利用して鋭く宙で一転。
横滑りに地面の上で靴底に悲鳴を上げさせながらも、『博士』の追撃に対応出来るように白銀の銃口を跳ね上げ――

鎖鬚のように爆発した下肢の力が、鍛え上げられた肉体を限界まで跳躍させた瞬間。
寸前まで彼のいた空間を轟音が舐めて――射線軸に存在する一切を、散り散りに引き裂いていく。

着地した瞬間、アトリが携えていた相棒の数は二つへと増えている。

白銀の毛並みを持つ猛獣が狙いを定めていたのは、覇者の如く堂々と長槍を携える白衣の青年。
そしてもう一頭、漆黒の毛並みを誇る凶獣が牙を剥きながら見据えていたのは――
『シュー』
闇の中に溶ける事の無い無機質な鋼鉄の体躯の中、鋭い輝きで夜を切り裂く機械仕掛けの単眼だった。








『双隻眼』と『博士』と『杉』。
三角形の頂点を形成しながら相対する各々の距離は、目測で5dcといったところ。
しかしこの場にいる全員にとって、この距離は一瞬で零にすることの出来る『射程圏内』でしかない。
互いがその喉元に氷刃を突き付けあって対峙するような緊迫した状況の中、沈黙を破ったのは『博士』の男声だ。
「森の中に逃げ込んだのは、ただ退いただけではあるまい。『杉』の武装や機動性に抑制を加えようとしたのであろう」
枝葉の天蓋に『博士』が騒々しく突き破った穴は、現在の彼等がいる場所とは若干離れている。
闇に慣れた瞳であってもぼんやりと輪郭を捉える事が精一杯な暗黒の世界で、それでも特徴的な『博士』の挙動は割と良く把握できた。
「だが無駄な事よ。邪魔なものは全て薙ぎ倒すのが科学の流儀――我輩と『杉』の連携は、この程度の地形では崩れん」
「……どうやら、そうらしいな」
『博士』の言葉を肯定するアトリの様子に、虚勢や見栄は見受けられなかった。
事実、一見すれば二流の大道芸人じみた組み合わせでありながら、彼等の戦闘能力は決して侮れない。
双方共に常識を大きく逸脱した規格外でありながら、呼気さえ同調させたような連携を発揮出来る事は彼等の最大の強みでもあった。

だが。

「ふむ、理解が早いのは大変結構なこ――……?」
簡単には止まらない『博士』の長舌が回転を止めたのは、目の前のアトリの行動が想定した事態の外であったから。
互いの武器を急所へと定めた極限の緊張の中で、銀髪の長躯はいとも容易く白黒の相棒をその手から解き放っていたのだ。
まるで宙に縫いとめられた様にその場で静止した大型拳銃は、重力の誘いに応じながらゆっくりと自由落下の軌道を描き始める。
この局面にあって――自分の武器を放棄することは、命を投げ捨てる行為にも等しい。
何らかの意図あっての事か、心理的な動揺を誘うものか――あるいは本当に、戦意を喪失してしまったというのか。
暴投球の様に目の前へ突き付けられた極限の選択肢を前に咄嗟には判断が追いつかず、『博士』の思考に紛れ込んだノイズにも似た空白。
その僅かばかりの隙を掻い潜るのは――闇の中に溶け込む様な、黒い布帯の迸り。
「――ッ!?」
横合いから『博士』の鉄槍に絡み付いたベクトルに、『博士』の思考がようやく再起動を果たす。
咄嗟に手首を翻して布帯の拘束を振り解いた手並みは鮮やかだったが、この瞬間に『博士』の意識が槍の一点へと集中した事は否めない。
そして創造主の不測の事態を前に、彼の身の安全を最優先事項の一つとして行動規定に組み込んだ『杉』の意識もそちらへと傾く。
単眼が横に逸れた瞬間に抜き放った榴弾投擲砲は盛大に白煙を吐き、射出された弾頭は『杉』の装甲を軽く叩いて炸裂した。
だが、硬質の巨体を包み込むように思われた紅蓮の火球は生じず、代わって解き放たれたのは乳白色の繊維質だ。
溢れ出した白の洪水は強力な粘性を伴ってたちまち『杉』の全身を包み、強引に収斂する力の前に抑え込まれた全身が悲鳴を上げる。
「対合成獣用の捕縛粘糸だ――力づくでは破れん」
全力で抵抗する戦闘用合成獣の力さえ吸収する粘糸の強引な抱擁に体勢を崩し、『杉』の巨躯は転がった地面の先でさらに接着される。
その時には地面を蹴り飛ばして猛然と肉薄する白衣の姿は、音の壁さえ突き破る豪槍の一閃を伴って銀の頭蓋へ向けて狙いを定めていたが――
「――俺がこの場所を選んだ理由は、もう一つあってな」
呟きだけをその場に残して、アトリの姿が唐突に縮んだ。
不気味な空裂音を立てて頭上を一閃が貫いた時には、伸ばされた両腕が地面へと転がる寸前の相棒達を掬い上げている。
だがその場に屈みこんだ巨躯へ向って、翻った『博士』の手は閃撃を放った勢いそのままに突き降ろしの型へと移行していた。
その切っ先がアトリの背を貫く速度は、彼が再び携えた相棒達を跳ね上げるよりも遥かに早い――

それが判っていたからこそ、既に次の手は打たれていた後だったのだが。

錐のような先端が、脊椎を破壊するよりも早く触れた感触。
屈み込んだその瞬間にベルトから零れ、宙を舞っていた一粒の榴弾を的確に貫く。
そこから生じたのは、太陽が生じたような目も眩まんばかりの白光――解き放たれた閃光が闇を切り裂く。
しかし二度目の目晦ましは『博士』には通用することは無く、驚嘆すべき反射速度で視界を保護しながらその場を退く。
白い闇と化した世界に再び夜が戻って来たのは間も無い事であったが、地面を舐めるように屈んでいた銀の長躯は当然のように消失している。

「撤退など――二度とはさせんぞッ!!」

大喝一声、穂先を旋回させながらまだそう遠くには逃げていないであろう双隻眼の姿を『博士』が捜し求めた時。

「――俺も退くつもりはない。ここで終わりだ」

投げかけられた硬質の声は、彼のすぐ背後から囁かれたもの。
気取らせもせずに背後を許した事へ『博士』が驚くよりも早く――轟く鋼の咆哮が衝撃を伴って白衣を殴り飛ばした。
背面から右肩を貫いた一撃に体勢を整えるより早く、続けて襲い掛かったのは前面から左肩を突き飛ばす衝撃だ。
天井のように張り巡らされた枝葉が撓むような衝撃に大きな物音を立てたときには、背面を直撃する一撃に『博士』の呼気が詰まる。
続けて脇腹を抉った一撃は、まるで見えない巨人に殴り飛ばされたように『博士』の体を横合いへ吹き飛ばしていた。
その直後、タイミングを完全に揃えた跳弾が一点で集約し――携えた鉄槍が中心から真二つに折れ、茂みの中へと弾き出される。
鼻を摘まれても気付く事の出来ない闇の中、鳩尾に炸裂した衝撃に弾け飛んだ眼鏡が地面で乾いた音を立てた。

どれほど卓越した腕を誇っても、銃撃の持つ直線的な軌道を変えることは出来ない。
そして彼我の位置関係からその射線を把握する事が可能だというのであれば――まずは位置関係の把握を崩す。
噴進爆弾をやり過ごした際に用いた布帯による跳躍力の補助を利用し、空間三軸を縦横無尽に駆け巡る『銃撃の檻』。
実現のためには跳躍の際の足場となる大量の木の幹、そして天を遮るように張り巡らされた枝葉の存在が不可欠だった。
跳ね回るような軌道を描くアトリの視界では、相対的に『博士』の姿が縦横無尽に駆け巡るような姿で映るが――
『アルフェイル』によって生じる歪曲空間での戦闘に眼の慣れた彼にとって、この程度の事で相手を見失う事は有り得なかった。

「ぐぶぉッ!?」
衝撃に体をくの字に折り曲げた『博士』の口から、悲鳴と共に零れる空気の塊。
体勢を立て直すための一瞬を与えられず、倒れる事も許されない連続射撃は嬲り殺しに近いものがある。
加えて視界は、炸裂した閃光弾の影響で闇の中を見通すには不慣れな状態へと感覚を戻され――聴覚は銃声に遮られる。
嗅覚は濃密に漂う硝煙の香りに完全に麻痺し、触覚も弾丸が放つ衝撃波の暴風に晒されてアトリの軌道を読むことも出来ない。
『シュー』
創造主の無残な姿に、大量の蒸気を吐き出しながら全力でもがき続ける『杉』。
しかしどれほどの力を加えてみても、暴走した合成獣さえ拘束する捕縛粘糸は一切の抵抗を吸収している。
「ふ……『杉』よ。我輩の最高傑作たるお前が、我輩の目の前でそのようなみっともない真似はしてくれるな。
 例えどれほど追い込まれた状況であっても、それを表には出さぬ事こと英国紳士エイコクシンシの……そして、科学者のタシナみと教えた筈だ」
自身の言葉を体現するかのように、嗜める『博士』の言葉は世間話でも切り出すような穏やかなものだった。
その間にも全身を殴りつける衝撃は止まず彼を苛み続けているにも拘らず――驚嘆すべき精神力の賜物である。
「そして、科学に死角無し……!! いつまで調子に乗っている――双隻眼ッ!!」
咆哮と共に刮と見開いた瞳の奥で、覇者の気概は微塵も損なわれていなかった。
纏う白衣も無残ながら、纏う風格は敗軍の将のそれではなく――常に勝利を見据え続ける、猛将の猛々しさ――!!

「刮目するがよいッ!! 貴様が至ったその『場所』がッ!! 既に科学は踏破していたという事をッ!!」

闇を震わせた宣言を自ら打ち砕くような勢いで、『博士』の腕が折れた鉄槍を別の生き物のように跳ね上がらせた。
その一閃は、今まで一度も防ぐことの適わなかった銃撃の軌道を正確に捉え、あらぬ方へと弾き飛ばしている。
だが彼の快挙はそれだけに留まらず――まるで剣舞を踊るように、鉄槍の欠片が変幻自在の軌道を描いた。
それはまるで彼を護る結界とでもいうかのように、ただの一度も銃弾の進入を赦す事無く悉くを薙ぎ払い続ける――
「何だと……!?」
「教えてやろう双隻眼ッ!! 我輩が何故、貴様の暴挙にあえてこの身を晒し続けたかッ!!」
驚愕に目を見張ったアトリの視界で、立ち尽くす『博士』が被っていた金属性の防護帽ヘルメット
見敵必殺サーチ・アンド・デストロイ』と事務的に側面に印字されたその頭頂、床屋の看板のように音も無く回る一基の凹型空中線パラボナ・アンテナ――

「科学者とはあらゆる事態を想定しッ! 千の策を張り巡らせて事態へと対処するものッ!!
 しかしッ!! そのためにはあえてッ!! この身を窮地へと晒さねばならぬ時もあるッ!!
 それ即ち科学者の使命ッ!! 『こんなこともあろうかと』の一言の為――漢は背中で命を張るのだぁぁぁぁッ!!」

くるくると回転する凹型空中線パラボナ・アンテナはそのままに、『博士』の腕が唸りを上げた。
放たれた鉄槍の半分は槍投げの選手も舌を巻く勢いで夜を貫き、アトリが着地しようとした枝の一つを正確に捉えて爆砕させる。
舌打ちと共に別の枝に着地しようと彼が方向の転換を図った瞬間、稲妻が炸裂したような閃光が夜の闇を鮮烈に漂白した。
その輝きの発生源へ首を傾けた先にいたのは『杉』――全身から上がる煙に、炭化した粘糸の残滓が音も無く崩れ落ちていく。
最大出力で展開した電磁障壁で自由を取り戻した鉄巨人に左腕が無い事に気づいた時、アトリの両手首が背後から万力のような力で拘束される。
即座に収縮した左腕に引き寄せられたその先、待ち構えたように地を蹴って迫った白衣が――固めた右拳を閃かせていた。
炸裂した衝撃に、大きく揺れる銀髪の長躯。
口腔から零れた紅の飛沫――深く突き込まれた拳の先、肋骨を砕いた確かな感触。
『博士』の口元がにやりと微笑の三日月を描き、更なる追撃を図ろうと退いた拳を溜めた瞬間。

鼓膜を震わせた得体の知れない鳴動に、『博士』の動きがぴたりと止まる。

地の底深くから重く響くような不気味な唸りは、彼ほどの規格外をして動きを止めさせる程の危機感を喚起させた。
発生源を特定するために鋭く視線を巡らせた時――双隻眼の背後にいた『杉』が突如として単眼を忙しなく彷徨わせ始める。
挙動不審なその様子に『博士』が疑問符を心に浮かべた直後、ゆっくりと持ち上がり始める鋼鉄の巨体。
黒の布帯で拘束された相棒が、重量挙げか何かのように頭上まで持ち上げられる姿を唖然として見上げた時。
殺意に猛る凶獣の唸り声にも似た響きが――双隻眼の喉の奥から放たれていた事に、ようやくそこで気が付いた。

「お、おい、双隻眼? 流石にそれは常識外れの行為というかだな、理と知を旨とする我輩としては却下したい所存――ッ!?」

戯言を叩き潰すように金燭が輝き、唸りは咆哮の形で爆発して。
振り下ろされた凄まじい質量による衝撃が『博士』の世界を直撃し――粉々に打ち砕いた。









呼吸はまるで、荒く砕いた氷を呑むように不規則でおぼつかない。
衝撃に掻き乱された内臓は跳ね回るような痛みを以って自らの存在を主張し、アトリを蝕み続ける。
それでも足取りは揺らぐ事無く『博士』達との距離を着々と隔て、指先は榴弾投擲砲の存在を求め背面を探り続けていた。
『杉』の下敷きになった『博士』はぴくりとも動かなくなってはいたが、仕留めた事の確証を得るまで一切の手は抜かないつもりだ。
彼によって腹腔に叩き込まれた一撃は決して軽いものでは無かったが、致命傷さえ受けなければ時間の経過で自然に体は癒えていく。
握り締めた掌に銃把の確かな存在を感じた時には痛みも大分と和らいで、空いたもう片方には装填すべき弾丸を既に手にしていた。
アトリのもつ榴弾の中でも最大の破壊力を秘めた一粒――オリハルコン製の腕さえ引き千切ってみせた、炸薬と共に無数の金属片を内包したものだ。

中折れ式の砲身に弾丸を装填した時には、全身を蝕んでいた痛みは気に留まらない程度にまで収まっていた。
極めて殺傷力の高いこの一発の爆発圏内から確実に遠ざかった事を確認し、アトリは砲口を『博士』たちに向ける。
銃爪を引いた時、独特の射出音と共に白煙を纏いながら――榴弾は瞬く間に木々の合間を抜け、鋭い放物線を描いて――


「――『杉』ッ!! セカンドッ・オォォォォォォォォォォダァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」


斃れたと思われていた男の絶叫じみた命令が、泥のように濃い闇を震撼させる。
そして次の瞬間――鮮やかな銀の輝きが枝を断ち、幹を割って夜を切り裂き、榴弾を易々と捉えて引き裂いた。
想定していた爆破地点よりも遥かに早い爆発は、その圏内にまだアトリを残したままに破壊の力を解き放っている。
反射的に伸ばしていた右腕の布帯が背後の巨木を捉えていなければ、今頃は全身を挽肉にされてそのまま焼き焦がされていたところだ。
「生きていたか……!!」
ばら撒かれた金属片に幹を食い千切られ、自重に耐え切れず次々と斃れる木々達の合間を縫って駆ける巨大な質量。
今までの鈍重さが嘘の様な速度で動き回る『杉』の下肢はひとりでに宙に浮き、全身の装甲は山嵐のように展開されて逆立っていた。
銃口を掲げた瞬間、全身から噴出した白煙に包まれる巨躯――搭載した遺失技巧の全てが、煙を引き裂きながら猛然と牙を剥いて迫る。
「――ちぃっ!!」
閃かせた火線で噴進爆弾を撃ち落して誘爆を招きながら、炎熱を切り裂いて迫る戦輪や鉄杭を叩き落す。
しかし一発一発が人一人を殺すには充分すぎる破壊力を秘めていながらその物量は半端無く――
加えて慣性を無視したような速度で背面に回りこんでいた『杉』の機動力は彼の手にも負える代物ではなかった。
極限状態の集中の中――引き延ばされた体感時間に、認識の全てが微速度撮影の様な鮮明さと緻密さを備える中で。
この全身機械との交戦で体感した各武装の効果圏内を再認識した時、その範囲の及ばない唯一の脱出路が自ずと導き出される。
慈悲の時は終わりとばかり、急速に元の速さを取り戻した時間の中――半ば強引に体を捻じ込み、アトリは窮地からの脱出を試みる――

「――ドラァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

だが、その先で待ち構えていた白衣の男の存在までを予測することは出来なかった。
既に防護帽ヘルメットは砕け散り、頭から流れ落だした血を拭おうともしない凄惨な姿で――裂帛の気合と共に繰り出された両手。
そのまま拳銃を握るアトリの両腕を掴み取り、拘束を脱しようと抵抗する力を上手く分散させながら完全にその動きを抑え込む。
「我輩の音声入力で発動する『オーダー』――『杉』の抑制装置を解放し、機体の性能を限界まで発揮させる特殊仕様だ。
 もっとも、性能限界に挑戦するという事は機体の寿命を著しく磨り減らすと言う事でもあるのだがな。
 故に発動は短時間、回数にしてもって三回が限度というところだが――それに見合うだけの性能がここに有るッ!!」
「最初から、俺の行動を絞り込む事が目的か……!!」
猛攻の中で対処が間に合わなければそれまで、仮に抜け道に気付いたとしてもそこに待ち構えるのは『博士』の姿。
『博士』の術中に嵌った事に喉の奥で呻いたアトリと真っ向から拮抗しながら、『博士』は最後の仕上げを『杉』に命じた。
「今だ『杉』よッ!! 我輩ごと――このまま双隻眼に攻撃を叩き込めぃッ!!」
この言葉の前に驚いたのはアトリだけではない――命令を下された『杉』もまた、真意を伺うような眼差しを『博士』へと向ける。
「何を躊躇っているのだッ! 我輩が抑え込んでいる今こそが好機ッ!! これを逃せば――次は無いぞッ!!」
だが、『博士』の真意など最初から判りきっている事だった。
彼はこういう局面において、小細工を弄するような真似の出来る人物では無いのだ。
本気で自分ごと攻撃することを命じる創造主の言葉に、感情を映す機能など無い単眼が動揺したように激しく明滅して横に振られる。
「――『杉』よッ!! 我輩の言葉、聴覚に捉え損ねたかぁッ!!」
「お前……俺と共に死ぬつもりか……!?」
「ふ……その提案は悪くは無い。貴様の伝説の終止符を我輩の命で打てるのならば、この名は歴史に輝き渡る事だろう……。
 だが断るッ!! そして『杉』よッ!! 夕陽に染まる魔都でこの魂に刻んだ――我輩達の『誓い』忘れたかぁッ!!」

銃爪を引き絞った反動を利用し、振り解こうとする腕を懸命に抑え込みながら――


「『誓い』ある精神ココロの力は肉体さえ超越するッ! それがッ!! 『科学』の力だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


吐いた血が夜の闇を震わす、信念の咆哮。
その言葉の前に――造られた機械は無機質な挙動で、創造主の命令を実行に移した。
射出された左手部の五指が、その鋭利な先端をアトリと『博士』の腕や脚に深々と食い込ませる。
だがそれだけでは、決して致命傷には成りえない――故に『杉』は、鋼線で左手と繋がったままの指先へ向けて。

内蔵された遺失技巧に指令を送り、電圧銃としての機能を解放した。

放射された大電圧の前に、二人の肉体が出鱈目な痙攣と共に白煙を生じさせる。
放電は数十秒の長きに渡って、蓄積した力を完全に解放したところで鋼線に巻き取られて肉体から引き抜かれる。
鼻腔の奥に溜まった鉄錆の匂いと肉の焦げる異臭が嗅覚を麻痺させる中、大型拳銃が地面に転がる重い響きを遠くで聞いた。
全身を不規則に痙攣させ、鳥の巣のように溶けた銀髪を体に張り付かせたまま――ゆっくりと膝を折った長躯が一つ。

その胸倉を掴み取った腕は――焼け焦げた白衣を纏って。
血塗れになった全身の中で、最後まで輝きを失わなかった黒瞳が――




「そしてッ! これが魔術マジュツを超えたッ!! ゼッタイガクの『力』だッあああああああああああァァァ!!」




響き渡る、鈍い衝撃。
額を激突させたまま、互いに動きは無く。


やがてゆっくりと、力を失った体が。
ぱっくりと裂けた額から噴水のように血を噴出し――見下ろす白衣を紅に染める。


重たく、力無き響きと共に。




アトリ・イスカは倒れた。