No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater
双隻眼のアトリ・イスカ

第三十八話 machine

夜風に白衣の裾を靡かせ、胸元で腕を組んだ仁王立ちの姿で威風堂々と相対する。
研究者風の姿の青年――『博士』の口からたった今紡がれたばかりの聞きなれぬ単語を、アトリもそのまま唇に乗せた。
「『科学』……?」
「ふははははッ! その通りだ――我々人間の言葉なら『科学』と称するものだがな!
その名こそが新時代を築く新たな同胞、『魔術』などという因習を断ち切る慧剣の銘よッ!!」
至宝の若者とは違った意味で、双隻眼を前に臆する事も無く『博士』は叫ぶ。
そんな彼の纏う白衣は相当に着慣れた様子であるにも拘らず、徹底されたプレスによって袖先に至るまで隙が無かった。
月光に輝く白さは小さな染み一つでさえ存在を赦さぬとばかり、清潔感を超越して一流の礼服にも劣らない『風格』さえ漂わせる。
そして、元は何の変哲も無い白衣であるにも拘らず、まるで一流の紳士のようにそれを飾らず着こなした『博士』の姿――
言動も行動もこれ以上無いほど奇天烈であるにも拘らず、その姿を前にして彼を『ただの馬鹿』と斬り捨てることを躊躇わせる。
「そして双隻眼ッ! 魔術師協会所属・特殊派遣執行員たるペネトレイターの中でも最強と噂される貴様を倒せばッ!
奴ら魔術師達の鼻を明かすのにこれ以上効果的な手はあるまいッ!! ――と、いう建前もさることながらだッ!!
やはり我輩の胸をきゅんきゅんっと高鳴らせるは、裏社会において貴様の首にかけられた多額の賞金無くしてはありえんッ!!
貴様の骸! 流した血と肉ッ!! 全てが輝かしき世界変格の基盤にッ!! 具体的には滞納中の家賃三ヶ月分へと潰えるのだッ!!」
『シュー』
そう――激情に拳震わせ、何とも生々しい生活事情に塗れた内情を堂々と言い張った姿を前に。
どうしてただの馬鹿などと、容易に斬り捨てる事が出来るのであろうか。
今まで数々の犯罪者達と相対し、様々な主張を耳にしてきた双隻眼でさえも例外では無い。
「……これでも随分と、今まで命を狙われてきたが……そんな理由を口にしたのはお前がこの方初めてだ」
「はっはッ! それは素晴らしき事哉! 事哉ッ!! 何事であれ、未踏の領域に足を踏み入れる事は尊きものよッ!!」
「それは……そういうものなのか?」
「然りッ! 未知未踏の領域で触れる一切、それは常に新選な刺激を与えてくれる事だろうッ!!
その刺激は我輩達の灰色の脳細胞を刺激刺激刺激し、育てすぎたカリフラワーが如き進化を齎してさっさか花開くッ!!
だがしかァしッ!! 決して利己のためだけに他人の迷惑になるような真似はしないと満天の星空の元、我輩と笑顔の約束だッ!!」
『シュー』
細やかな仕草、発言の隅々に至るまでの一切に突っ込み所しか無く、相対した時に何処から指摘すればいいのか判らなくなる。
しかし運命とはかくも無情なものか、この場に『他人の命を狙う行為は迷惑に該当しないのか』と指摘の出来る者を誰一人用意していなかった。
本来であればその場所に最も適しているはずのアトリ自身が、率先して彼の言葉に頷いているのだから後は推して知るべしである。
だが。
「そういうものかも知れないが――それで殺される訳にはいかんな」
平板な言葉が口元を突いた時には、自然な動きで跳ねた右手は白銀の拳銃の銃口を狙点している。
「この街に着いてから、命を狙われてこれで四度目……いい加減、区切りをつけさせてもらう」
白銀の銃身は冷えた輝きで月光を跳ね返し、軽く細められた銀瞳は銃撃に劣らぬ鋭さで『博士』を射抜いている。
常人ならばその迫力に、気死しかねない視線を目の前――白衣を纏った異端者は、むしろ好戦的に口の端を吊り上げると。
「グレート! それこそが我輩の望む展開よ!! ――こちらとて、貴様に容赦はせんぞッ!!」
『博士』が鋭く叫んだ瞬間――静寂を裂いた鋼の咆哮が、死闘の第三演目の始まりを告げた。
轟然と夜に解き放たれた銃弾は、肉体を四散させるには充分すぎる破壊力を秘めていた。
だが『博士』の反応は驚くほど早く――あるいは銃撃を想定していたのか、弾頭が貫いたのは翻った白衣の残影。
「『杉』よッ!! 遠慮はいらん――存分にやれいッ!!」
『シュー』
素早く背後へと隠れた創造主の期待に応じるかの如く、闇に映える単眼の輝きが増幅した。
気合を込めるように全身から蒸気を噴出させ、鋭く伸びた右の豪腕が漂う蒸気を引き裂きながらアトリへ向って肉薄する。
素早く翻した手首の先、連続させた銃声で迎え撃つが――巨腕は銃撃の悉くを明後日の方向へと弾き飛ばしてしまっている。
魔術障壁ごと骨肉を噛み砕いて心臓を引き千切る白銀の猛獣も、この大質量の突撃の前にまるで小さな子猫の甘噛みのようだ。
その事に微かな苦笑を浮かべる程度には余裕を残して跳躍した時、アトリの聴覚を鋭く貫いた空裂音とは異なる異音。
そして甲高い絶叫にも似た劈きを伴った右腕が地面を捉えた直後、榴弾が破裂したような爆発と共に大量の土石が宙に舞い上がっていた。
(形状は少々、変わっているが自動人形……付与魔術の類か?)
砕かれた土砂達と同じ軌道を描きながら、アトリは胸中で一人ごちる。
地面が爆ぜた勢いは炸薬の炸裂にも等しいものだったが、実際に何かが爆発した様子は見受けられない。
右腕の先端に供えられた豪爪が地面へと触れた瞬間、地面の方がひとりでに爆発を起したのだ。
如何に質量と速度を伴った一撃だったとはいえ、ただの殴打であのような現象は決して起りえないだろう。
交錯した瞬間に聞こえた甲高い異音も含めて、あの腕に何らかの仕掛けがあるのは間違いない――しかし、それは本当に付与魔術なのだろうか?
自分で導き出した推測にどこか頭の片隅は納得する事を躊躇っていたが、漠然とした疑問を追及する数瞬さえ現状は与えてはくれなかった。
地面に突き立った右腕を縮めて足の無い巨体を移動させた『杉』が、今度は左腕の狙いをアトリへと向けて定めていたのだ。
それを視界の端に捉えた時には培われた戦闘経験が衝動を伴って体を突き動かし、雷光の勢いを伴って銃口は再び狙いを定めていたが――
「甘いッ! 甘いぞ双隻眼ッ!! あまりにも短絡浅慮なその判断には三時のおやつも文明堂だッ!!」
射線上で互いの獲物を交錯させた一体と一人に対して、博士は嘆かわしげな様子で声を張り上げている。
「敵に塩を送るようだが教えてやろうッ! 右腕が重量に富む事猛虎の前肢ならば、左腕は巧緻軽敏な事長龍の牙が如しッ!!
例え先端の軌道が多少逸らされたところで、左腕の巧みな制御力は確実に貴様を捕らえてその牙で食い千切るのみッ!!」
有難い『博士』の言葉が届いた時には、既に『杉』の左腕は天駆ける龍の顎にも似た勢いでアトリへと射出されていた。
最早この距離では躱すにしても時間が無く、祖点した銃口の位置を変える刹那さえ残されてはいない――だが。
「――誰が先端を狙うと言った?」
危機に追い込まれた様子が微塵も感じられない明晰な呟きの真意を、『博士』が憶測するよりも早く。
引き絞られた銃爪から放たれた轟音は、祖点した当初から微塵も狙いを変える事無く――『杉』の左肩部でその力を解き放っていた。
銃撃は確かに『杉』を傷付けて破壊する事は出来なかったが、巨木でさえ根元から薙ぎ倒す着弾の衝撃を完全に相殺しきれない。
ただでさえ不安定な形状をした『杉』の同一の箇所を精密に貫き続けた衝撃は、やがてその巨躯を傾がせて背面から倒れ込ませる。
空の弾倉が足元に転がった時、修正不能なほどに軌道の逸れた左腕はアトリの頬を掠めながらあらぬ方へと過ぎ去っていた。
「くぅッ!? やってくれるな……だが全ての弾丸を叩き込んだ今の貴様に、反撃の手立てはあるまいッ!!」
「全ての弾丸? ……それは違う」
空薬莢の一つが足元の弾倉を弾いた乾いた音を、他人事のように聞きながら――アトリは間違いを訂正する。
「まだ一発、残っているさ――とっておきの一発がな」
同時に横手へと滑った白銀の銃口の奥、薬室に残された『遊び』の一発は『博士』の心臓をその射線上に捉えていた。
背後からは軌道を修正した『杉』の左腕が迫っている事に気付いていたが、それよりも銃爪を引き絞る挙動の方が僅かに早い。
それは銃口の先にいた当の『博士』にもよく判っていた事だったはずだが――何故かその顔に、死を目前へと控えた恐怖は浮かばなかった。
覇気の消えない瞳の奥にあったのは、さながら王手積みに気付かず粋がる挑戦者に向け、王者が見せるような勝利への余裕――!!
「だから短絡浅慮だと言っているのだ――己の伝説に終止符を打つがいいッ! 双隻眼ッ!!」
瞬間、アトリの眺める世界の様子は地を舐めるような低所にまで引き絞られていた。
身を投げ出すように地面へと体を引き倒した行動は、思わせぶりな『博士』の言動に影響を受けたためではない。
生と死の境界線上で踊り続けた死の使いとの危険な逢瀬が、第六感にも似た危機の察知力を限界にまで研ぎ澄ませたのだ。
そして本能の放った警鐘が、意思よりも遥かに鋭い反射の挙動で彼の体を掌握したその直後。
数瞬前までアトリの頭が存在した空間を、長大な紅蓮の炎剣が薙ぎ払っていた。
「なに……!?」
横顔を不吉な輝きに染めたアトリの呟きが罅割れていたのは、奇襲そのものに対しての驚きに拠るものでは無かった。
『杉』の左掌底部に備えられていたノズルから盛大に噴出した炎は、双隻眼の本能的な危機察知能力の前に空しく宙を焼き払うのみだ。
しかし、アトリの嗅覚が捉えたのは燃焼に伴った異臭――具体的な燃焼対象を持たずとも発火する魔術の炎には、伴う事のない現象――
「あのタイミングで火炎放射器の一撃を躱すかッ! 底知れぬ反応速度よ――『杉』ッ!!」
『博士』の言葉を受けた左腕は、首をもたげるように回頭して緋の切っ先を翻した。
それが地を這うアトリの体を舐める寸前、白銀の銃身に残していた最後の一発で描く軌道を強引に反らす。
立ち上がるだけの時間は無い――背筋と腕の力だけで全身を投げ飛ばすように跳躍したアトリは、宙で一転して足から地面へ着地していた。
しかし体勢を立て直すよりも早く、空裂音と一体化して高速で夜気を切り裂く複数の存在が彼の第六感で警鐘を鳴り響かせる。
即座に引き抜かれたもう一丁の相棒が次々に牙を剥くものの、銃弾に匹敵する勢いで肉薄する全てを叩き落すには時間が足りなさすぎた。
殆ど体を投げ出すように横転した長躯の脇を切り裂いて通り過ぎた存在の一つが、微かな血の尾を引きながらそのまま地面へ激突する。
脇腹に感じた微かな灼熱感に振り返った時、そこにあったのは地面に喰らいついてなお、高速で回転し続ける小さな戦輪。
数も速度も決して人には再現できない破壊力を秘めた鋼の戦輪達を射出したのは、微かに装甲を滑らせた『杉』の胴部――
「グレートッ!! 流石は我輩の最高傑作!! かの双隻眼さえ圧倒するか、『科学』の力はッ!!」
『シュー』
自画自賛とはまた少し趣の異なった倒錯に『博士』が叫んだ時、畳み掛けるような『杉』の猛攻はぴたりと止んでいた。
何らかの意図があっての事か、単に『博士』の言葉を邪魔しない心配りなのかは判らないが、ようやくそこでアトリは体勢を立て直す。
限界まで張り詰めた緊張の糸を微かに緩めて一息ついた時、見計らったようなタイミングで突きつけた人差し指と共に『博士』の舌が回転する。
「双隻眼よッ!! 只今貴様の脳内に迅速に突風舞い込む数々の驚愕には、炸裂した脳が『今日の夕飯は赤飯ですよ!』ッ!!
故に我輩は懇切丁寧な回答を万感の想いで小宇宙へと解き放つッ!! 疑問と回答が一億二千年の時経て今再び邂逅するようにッ!!
貴様がその身で味わった、数々の圧倒的な力――それら全てが科学の力、『遺失技巧』の秘めし人類の叡智なのだッ!!」
「……『遺失技巧』……だと!?」
意味不明な言葉の羅列の中で異彩を放ったその単語は、アトリの記憶を鋭く刺激し、覚えている限りの情報を次々に彼へと提供した。
魔術を基軸に発達した文明は過去に二度の栄衰を経て、現在の時代は丁度三期目の繁栄途上に存在している。
だが五千年に及ぶ人類の歩みを後世へ伝える当時の様々な物品の中には、存在することがその時代には相応しくないもの――
現代の解析技術や技術力をもってさえ、まるでその全容が見えない過剰技術力によって成り立つ産物が幾つか確認されていた。
失伝した古代魔術文明の遺産・構成文字によって構築された超高位付与魔術『至宝』。
『果て』に閉ざされたこの世界で、『外』の存在を示唆する異界の山銅をはじめとした『漂着物』。
そしてこの二つに『遺失技巧』を加えたものが、一般的に『世界の恩恵』と総称される過剰技術の結晶体達である。
三つのうち、世界で最初に『世界の恩恵』と認定されたのが『遺失技巧』と呼ばれる物達である。
古代遺跡の内部や地の底などから稀に『発掘』される遺失技巧達はその発見数も多く、発見された殆どには特徴的な共通点が存在していた。
それは分子構成のレベルにまで何者かの手が加えられた素材を、魔術でも再現不可能な緻密さで加工・複雑に組み合わせて形成されている事。
さながら物理的に再現された『構成』のようでもあり、基軸となっている技術は現代に存在する如何なるものとも系列が異なっている。
発掘された地層が五千年より昔のものであった事も加えて、発見当初は超古代文明を伝える存在であるとにわかに関心も集めたが――
年月による風化、あるいは製造当時の段階で受けたと思われる激しい損傷の見られた遺失技巧達は、その全てが『故障』してしまっていた。
肝心要の仕掛けの部分はまるで起動する様子も無く、修理しようにも魔術的な要素がまるで見受けられない以上は手の施しようも無い。
圧倒的な力を発揮する至宝、備えた特殊な性質によって文明の発達に大きく貢献した漂着物。
二つと比べて、『世界の恩恵』と称されていながら――何一つとして恩恵を与えてくれる事の無い遺失技巧。
資料としての歴史的価値や一時のオカルティックな興味を引く事はあっても、『骨董品』以上の価値を見出される事の無い存在。
――それがこの世界における、遺失技巧に対する人々の『認識』と『価値』である。
「確かにッ! 動かぬ道具などただのがらくたに過ぎんッ!! 流石の我輩もそこは否定出来なんだッ!!
しかしそれも今や過去の話! 世界最高の知性を誇るこの我輩と、『杉』が存在する限りはなッ!!」
『シュー』
『博士』の言葉に応じるように、深く吐いた蒸気に浮かんだ『杉』のシルエット。
神の恩恵でも受けたかのように狂いが無さ過ぎる滑らかな曲線と同じものを、アトリは別の場所で見た事があった。
「まさか……遺失技巧を修復したのか……!?」
彼の脳裏に浮かんだのは、幾度か目の当たりにした事がある本物の遺失技巧。
目の前の鉄巨人を構成する輪郭と同じもので構成されていたのは、刀身が存在しない剣の柄。
かつて過去に如何なる力を発揮していたのだとしても、壊れてしまった現代ではただの『欠損』した道具に過ぎない。
だが、もしそれが現代で再び稼動するのだとすれば? 今までの認識を改めるには、『杉』の能力は充分過ぎるものだ――
「ふはははッ! 惜しい、惜しいぞ双隻眼ッ! 確かに今の我輩であれば、遺失技巧の修復もさほど難しい事では無かろうッ!
しかし貴様がまだ我輩を理解するに遠いのは、この我輩、決して他人のまわしなどで相撲を取る男ではないという事だッ!!」
一挙一投足が過剰に芝居がかった様子でアトリの言葉を否定すると、激情に浮かんだ顔面の青筋が破裂しかねない勢いで大音声を張り上げる。
「我輩は回収した無数の遺失技巧を解析し、そこに利用されていた技術を現代へと蘇らせたッ!!
それこそが『科学』ッ!! そしてッ! その技術をもって、我輩が新たに作り上げた遺失技巧こそが『杉』よッ!!
いや、この表現は正しくあるまい! 最早『杉』は遺失された技巧などに非ずッ! ましてや自動人形などでもないッ!!
かつて在り、今在り、在らんとする総て――新たなる時代の申し子『機械』だッ!!
――そしてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
喉の奥が裂けそうな勢いで叫んだ『博士』の体躯が、アトリの目前で突然に縮んだのはその時だった。
正確には『気をつけ』の姿勢で全身を伸ばした姿のまま、彼はうつ伏せになって地面へと倒れ込んでいる。
最初に出会ったその時から奇態が目立つ男ではあったが、この行動は意図の不明瞭を通り越して不気味の領域に達していた。
最善までの喧しさも消え、羽化を待つ蛹のように沈黙を保った『博士』は――
「ド・ラアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
自身へ檄を飛ばすような雄叫びと共に、跳ね上がった長躯が夜空に舞い上がっていた。
夜空に広がる白衣は蛹から羽化した蝶のように華麗に、跳ねた長身は海面から飛び上がった海老のように力強く。
腹筋の力だけを利用して飛び上がったとは思えないほど変態的な速度でアトリの頭上を飛び越えて、無防備な背後へと着地する。
瞬間、背後で鋭く旋回した大気の流れ――あまりに予想外の行動の前に、流石の双隻眼でさえ対処が半瞬遅れた。
響き渡ったのは、限界まで鍛え抜かれた肉と肉が激突する――重たい、衝撃。
「虚を突いてなお、反応するか……我輩の予測、ことごとくを上回っていく漢よ……双隻眼……ッ!!」
「研究者というのは、もう少しばかり……貧相なものだと思っていたが、な……!!」
『博士』の放った裏拳を受け止めていたのは、硬く握り締められた拳――重たい響きを伴って、足元に転がる黒い相棒の姿。
銃を捨てた咄嗟の判断が無ければ、彼の一撃を相殺することは出来なかっただろう――受け止めた衝撃で、手首から先の感覚が無い。
「ふ……知らぬ事は罪ではない。故に貴様にも、知る機会というものを与えなくてはなるまいなッ!!
妄想の延長線上のような生ぬるい魔術の研究とは異なり、科学の研究と言うものは常に死の危険が伴っているものなのだッ!!
何故ならば科学の真髄は『爆発』にこそ在りッ!! 科学者を志す者、研究中に伴う爆発に耐えうるだけの強靭な肉体無くては務まらぬッ!!
健全なる発想が生まれるのは、常に健全なる肉体からッ!! それこそが科学者ッ!! 真理を探究する者の鑑なのだッ!!」
熱した鋼のような己の信念を吐いた『博士』だったが、打ち合わさる拳は完全に拮抗して押すことも退くことも適わない。
そして裏拳を見舞った『博士』の体勢では二撃目を叩き込む事は難しく、対するアトリのイシスには弾丸が残っていない。
一瞬でも気を抜いた瞬間に相手に押し切られる中にありながら、状況を好転させる手段が互いに無い極限の根競べは果てなく続くと思われたが――
「科学の結晶たる『杉』と、真理を追い求めるこの肉体……ッ! この組み合わせに、死角など無いと知れ!! 『杉』よッ!!」
投じられた音声一喝に鋼鉄の巨人は巨大な右腕で自身をその場へと固定し、掲げた左腕をアトリたちへと傾けた。
それは『杉』が何らかの行動を起こす直前、強引に押し開いた隙を利用して『博士』が場を退こうとするためのものである事は理解している。
しかしながら、例え彼の思惑を理解していたのだとしても、全く未知数の力を秘めた『杉』に無防備な自分を晒す真似は無謀以外の何者でもない。
状況を理解した瞬間には、決断と行動は同時に進行していた――素早く拳を引くと同時、迸らせた布帯が地面に転がる相棒を宙に跳ね上げている。
掴んだ時には既に両足は地面を蹴り、背後で『博士』もまた逆の方角へと鋭く退いたのを視覚に頼る事無く気配で察した。
そして旋回した『杉』の左腕は、装甲の合間から二本の金属筒を迫り出しながら銃口の狙いを定めるようにアトリの後を追従して――
次の瞬間、轟音と共に筒から勢い良く吐き出されたのは本物の火線だった。
その事実にまず驚愕し、次々に着弾した地面が砂糖菓子のように粉砕される様子に眼を見開く。
響き渡る銃声、突き刺さる火線の破壊力、吐き出された弾丸の数、全てが桁外れに既存の銃の性能を上回っている。
何故魔術師を敵視し、遺失技巧によって成り立つ『杉』がこのような銃を搭載しているのか――次々に脳裏を過ぎる疑問の数々。
しかし、浮かんだ疑問さえ無粋に引き裂きながら唸りを上げる爆音は、一つ繋がりにアトリの後を追って次々に地面へ無残な痕跡を穿っていた。
その弾丸の嵐に巻き込まれた瞬間、肉体など欠片も残さずにものの数秒で挽肉に加工されてしまうのが落ちだ。
そしてじりじりと合間を詰める鋼の暴威が長身の背をついに捉えんとした瞬間――杉の胴体に軽く響いた、金属同士のぶつかる衝撃。
それが投擲された榴弾の感触であることを自覚した瞬間、凄まじい衝撃が炎熱を伴って『杉』の全身を貫いていた。
脚部の存在しない不安定な巨体は華開いた紅蓮の火球に呑み込まれ、背面から盛大に地面へと倒れ込んで地面を振動させる。
その時には既に、『杉』に対して効果的な一撃であったことを自覚したアトリの掌は素早く次の榴弾を砲身へ装填して――
未だ消えやらぬ炎を突き破りながら、長大な三基の匣が天高く舞い上ったのはその時の事だった。
追撃を諦めた砲口が、狙いを『杉』から天の匣へと定めて解き放った時、炎熱は銃弾と比較にならない破壊力で二基を巻き込んで盛大に炸裂する。
しかしもう一発の榴弾を再装填するより早く、放物線の頂点に達した最後の一基はその側面から次々に銀色の円柱を射出していた。
二基の匣を巻き込んで炸裂した榴弾の爆発は普段よりも遥かに大きく、あの匣には何かの爆発物が大量に詰め込まれていたのはほぼ間違いない。
射出された円柱を爆弾の類と判断し、身を翻して予測される爆発圏内から鋭く退くアトリの長身――
だが円柱達は地面に激突する寸前で盛大に火を噴出し、後退するアトリの背を追って次々と飛翔を開始して猛然と駆け始めていたのである。
「噴進しながら、目標を追尾する爆弾だと……!?」
円柱は尾部から勢い良く炎を吐いて、まるで猪の突撃のように前進のみの一点張りで瞬く間に彼我の合間を詰めていく。
その勢いを前に、このまま逃げ切る事は不可能だと客観的に判断する――しかし色違いのアトリの双眸は、生きる事を諦めてはいなかった。
真っ当な手段を用いてどうしても逃げ切れないのであれば、真っ当ではない手段を用いてでも状況を切り開いて生き延びる。
賭けにも似た決断。
解き放たれる『黒』。
猛然と大気を貫く円柱達の突撃――
次々に連鎖した爆発が、巻き込んだ一切を灰燼に帰す勢いで咲き乱れる。
そして――百花繚乱の破壊の輝きを眼下に眺めた事実によって、アトリは自分がまだ生きている事をしっかりと確認した。
右手の布帯はそれ自体である程度の重量を支え、筋肉のように力を発揮する事も出来る。
それを応用し、蛇腹のように折りたたんだ布帯を足場代わりにしての上方への跳躍――
咄嗟に思いついたものの、爆発の反動を利用しなければ成功する事の無かった危険な賭けでもあった。
掛け金代わりに投じた身の安全は、全身を貫いた爆発の衝撃に容赦なく持っていかれたが、五体が動くなら些細な事でしかない。
危険な賭けの報酬として圧倒的なまでの『高さ』という先導権を得たアトリは、そのまま両手の相棒の狙いを『杉』と『博士』に定めようとして――
「――何処を探しているのかね? 双隻眼」
時間が凍てついた感覚とは、果たして今の様な状況を指せば良いのだろうか。
見下ろした地上の何処にも『博士』の姿が無かった事に気付いた時、声はアトリの頭上から響いていた。
人の力では絶対に跳躍することの出来ない高所にいるはずの彼が――天を見上げた時。
そこにいるのが、さも当然と言わんばかりに。
『博士』は宙に立った姿で、顎に手を添えながらアトリの姿を見下ろしている。
「――我輩が遺失技巧の中から見つけた失われし時代の記録には、こう記されていた。
『科学者は雲を足場とし、空へと駆け上がるものである。雲が無ければ地に伏せるより術は無い』と。
流石に我輩も天候や気象を操作する機械を製作するには至ってはいないが、この表現があくまで比喩に過ぎん事は理解している」
驚愕は、何よりも容易く人の精神を根本から揺さぶる。
訓練を重ねる事で、多少の耐性をつける事は不可能ではないが――
生死の境を極めるような極限状態の中、何度も到来する未知の驚愕の前には何の意味も成さない。
「つまり、先人はこう言いたかったのであろうな。科学者とは、自身の知恵をもって空を飛ぶものと。
故にこの我輩――空を飛ぶ事など、何の造作も無い所業よ」
轟音を上げて靴底から噴出した炎に支えられながら、アトリの頭上に位置する『博士』。
唖然とした表情を浮かべる双隻眼の目の前で、ことさらゆっくりと時間をかけて両の拳を組み結ぶと。
「理解したか? ならば、次は実際に体感してみるといい」
断罪の槌のように、ゆっくりと持ち上げられた撓められた両腕が――
「我輩の見舞う、この渾身の一撃をもってッ! ――微塵に砕け散るがいいッ!!」
唸りを上げて振り下ろされる、重く鋭い筋肉の槌。
それは描く軌道の先に、アトリの頭部のしっかりと捉え――
そして鮮やかな程の空しさで、大きく逸れて宙を切った。
「……何をやっているんだ、お前は」
千載一遇の必殺の機会を逃した『博士』の真意を掴みかね、アトリは思わず眉根を寄せる。
その疑問に対し、『博士』はぴっと指を立て――普段よりも冷静さの増した様子で、自分の靴底を指し示す。
「要因は色々と考えられるが、最も有力なのは燃料切れの可能性であろう」
「燃料……?」
指の先では、先程まで勢い良く噴出していた炎が咳き込むように途切れ、己の不調を訴えていた。
「我輩は先ほどまで、靴底からのジェット噴射による推力で空を飛んでいたわけだ。
しかし靴の中に仕込んだ仕掛けであるために、肝心の燃料があまり搭載出来んという構造的欠落があってな」
『博士』が頷いたところでぷっつりと炎が途絶え、その長躯が緩やかな自由落下へと移行していく。
「だが、欠点は自覚していればいずれ克服できるものであろう?
いずれは我輩の灰色の脳細胞と科学の力によって、この欠点もきっと克服してみせるつもりだが――」
「その必要は無い」
馬鹿正直に説明を続ける『博士』の体が離れるまえに、アトリは銃口をその胸元に押し付けて。
「――散れ」
別れの言葉は短く、銃声は遠く長く響き渡った。
『博士』はその最後まで、一般人の規格には納まらなかった。
全身で大きく大の字を描いて倒れ付す姿は、まるで何かの冗談にしか瞳には映らないだろう。
そして傍らに寄り添うのは、変わり果てた創造主の姿にせわしなく単眼を動かし続けている鋼鉄の巨人。
何度も蒸気を吐き出しながら『博士』の体を揺さぶり続ける様子は、冷たい金属の体にまるで暖かい『心』を宿しているかのよう。
完全な人造の存在である『杉』にもし本当に『心』があるなら――それを再現する事に、独力で成功したというのなら。
あるいは、本当に『博士』は希代の天才であったのかも知れない。
今となっては、真相は誰にも判る事は無いだろうが。
そして――『博士』の亡骸に縋る巨大な背中に銃口を向ける事無く、アトリはそっと踵を返した。
これ以上の戦闘を重ねるのは、残った弾丸の数量的にも時間的にもあまり得策であるとは言い難い。
『杉』自身、かなりの戦闘能力を持っている以上――完全に破壊するのなら、本腰を入れて相手をする必要があるだろう。
無論、創造主の敵討ちとばかりに襲い掛かってくるのであれば全力をもって叩き潰すだけの事ではあるが。
それでも、回避できる諍いであるのならば避けるに越した事は無かった。
屋敷の中に潜入している、黒髪の相棒。
あまり待たせては、拗ねた彼女が何をしでかすものか判ったものではない。
予定外のタイムロスを取り戻すために、残った距離を一気に駆けるべくアトリは猛然と地を蹴って――
が。
「……ううむ、流石は双隻眼よ。我輩もなかなかに痛かったぞ」
むっくりと起き上がりながら、そんな言葉を口にした人物の存在が。
その場を立ち去ろうとするアトリの足を、絶妙のタイミングで止めさせるに至っていた。
『シュー』
「む? これ、やめんか『杉』、あまりくっつくと蒸気が――熱ッ!? 熱いというにッ!! いいかげんに離れんかッ!!」
「………………おい」
つい数分前の出来事が、全て冗談であったとでも言わんばかりの様子の『博士』と『杉』に。
ことさらゆっくりと振り返ったアトリの顔は絶望的なまでに表情が消え、喉の奥から響く声は普段以上に低く、冷たかった。
滅多な事では平常から浮かべている表情を崩すことが無い彼としては、この反応は極めて珍しい。
「お前、心臓を撃ち抜かれたはずだろう。……何故、生きている?」
ゆっくりと、自分自身に噛み、含め、言い聞かせるように慎重に言葉を選んだアトリに対して。
「……何を訳の判らんことを。銃で撃たれた程度の事で、何故我輩がいちいち死なねばならんのだ」
『博士』が浮かべた表情は、『何故生きるのに息をしなくてはいけないのか』と問われた程度には深刻であった。
「既に何度も、貴様には語り伝えたはずでは無かったか?
我輩は『科学者』だ。古き魔術という因習を滅ぼし、科学による新たなる秩序の構築こそ我が命題」
言いながら、『博士』の視線が自身の体へゆっくりと落とされる。
丁度、アトリに撃たれた胸元の辺りで――奇妙なオブジェのように静止しているのは、叩き込まれたはずの銃弾。
「ならばこの我輩が、魔術に屈する事など果たしてあろうか!? ――いや、無いッ!! 反語ッ!!
ましてや、科学によって鍛え抜かれたこの肉体が!! 魔術師如きの浅知恵で作った『銃』などにッ!!
撃ち貫かれて斃れる事など――あろうはずもなかろうがッ!!」
鍛え抜かれた胸板が威勢良く叩かれた瞬間、静止していた銃弾は粉々に砕け散っていた。
その背後、ごんごんと連続して響いた金属音は――左右非対称な腕で拍手を送り続ける『杉』のもの。
そしてそれを見つめるアトリの瞳は、銃弾が破壊された瞬間にうっすらと、『博士』の体が銀の輝きを帯びた事を見逃さなかったが。
最早、そんな些細な事は限りなくどうでも良くなりつつあった。
「……そうか。お前も、あいつと同じ手合いか」
「む? 双隻眼よ。真理の探究のためには、情報は開示するものであるぞ。『あいつ』とは何者の事だ」
『博士』の目の前――顎へ手を添えた双隻眼の金銀双眸に湛えられていたのは、諦念にも近い底知れぬほどの許容力。
しかしいくら考えてみたところで、彼が一体何の事象を許容してしまおうとしているのかが皆目検討もつかなかったが。
「言っても判らないと思うがな。……『北の魔女』は知っているか?」
「ふ……双隻眼よ、寝言は寝てから呟いてくれ。我輩をあんな御伽噺の中の規格外と同列に並べるとはな。
科学を愛する我輩はこれ以上無いほどに一般人代表にして良識を愛する世間の味方、常識の代名詞であるぞ」
これ以上無いほどに大真面目な表情で紡がれた『博士』の戯言は、アトリの右の耳から入って左の耳へと流れ出ている。
その代わり、ごくごく自然な動きで白銀の銃把へと弾倉を再装填しながら――世間話でも切り出すような穏やかな様子で。
「そういえば先刻、銃撃を受けて『痛い』と言っていたな」
「うむ。流石に科学者として、衝撃を無効化するなどといった非現実的な都合良い事は出来ぬものだからな。
科学は『万能』であっても『完璧』ではない。風邪に聞く万能葱でさえ、流石に釘は打てんのと理屈はそう変わらんよ」
「そうか」
その答えに、軽く頷き――残像さえ残さぬ挙動で狙点された銃口が、何の躊躇いも無く火線を吐き出した。
「ぶるぉッ!?」
それは寸分の狂いも無く、心臓を斜線上で貫く狙いで衝撃を炸裂させる。
だがそれが拡散するより早く、今度は驟雨の如き弾丸の嵐が博士の全身を滅多打ちに殴り据えていた。
「ぶっ、ぶるぅろおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
『シュー』
人体のあらゆる急所を精密な狙いで貫き続けた連続射撃は、同時に狡猾なほど残酷に計算されていた。
次々に弾ける衝撃は絶妙のタイミングで体勢を立て直すための機会を悉く奪い、為す術も無く『博士』は背後の『杉』に体を預ける。
しかし銃撃はその後も一切容赦を挟まずに『博士』の体を責め立て続け、彼を介して『杉』もまたその衝撃に晒されることとなった。
巧緻な最後の十八発目が炸裂した時、とうとう踏みとどまりきれずに背面へと転倒した『杉』――『博士』もまた、それに倣う。
だが世界が逆転する寸前に『博士』の視界が捉えていたのは、やはり一寸の容赦も無い狙いで放たれた榴弾の描く放物線――
「い――いかんッ! 『杉』よッ!!」
『シュー』
創造主と被造物にして、無二の相棒であり唯一絶対の理解者。
血を分けた親子よりも確かな何かで『博士』と硬く結ばれていた『杉』には、具体的な言葉が無くとも彼の求めが判っていた。
倒れたままに跳ね上げた左腕――そこに搭載された二連機関砲は猛然と牙を剥いて、圧倒的な弾幕によって榴弾を迎え撃つ。
空中で己の軌道を変えることなど出来ない榴弾にそれを躱す手練てなど無く、『博士』達を圏内に捉える手前で盛大に炸裂した。
しかし榴弾が撒き散らしたのは全てを嘗め尽くす紅蓮の花弁などではなく、まるで落ちた太陽を思わせるような目も眩む光の洪水――
「ぬぅッ――!? しまった、これは閃光弾かッ!!」
咄嗟に跳ね上げた腕で視界を護ろうとするも、ほんの一瞬の遅延が『博士』達の世界から色彩を奪い取っている。
冒涜的なまでに白色に塗り潰されていた世界が、元の色鮮やかな姿を取り戻すために必要とした時間は数十秒。
そして、その合間に――
「……双隻眼!? 何処へ――何処へと消えたッ!? 姿を見せぬかッ!!」
呼びかける『博士』の声は響けど、それに応える低音の呟きは無かった。



