No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第三十五話 hound dog



煌々と振り注ぐ月光の冷たさに、風に身を任せた木々のざわめきがそっと寄り添う。
草木の育たない気候を超越し、森を思わせる勢いで青々と広がったヘンリーソン家の巨大な庭園。
秩序と静寂の代名詞とも言うべき閑静なこの場所が、今宵ばかりはその二つ名を返上していた。

騒雑と混沌を周囲へと散らしながら、駆け抜ける一つの集団があった。
柔らかく不安定な地面をものともせず、駆け抜ける銀の弾丸。
従者にはただ、かすかに地を蹴る音だけを伴って木々の間を次々にすり抜けていく。
そしてその銀流を取り囲むようにして、併走する無数の紅点。
徐々にその包囲網を狭めながら、威嚇と恫喝の咆哮も猛々しく血に飢えた牙を剥き出しにする――

危ういながらも均衡を保っていた状況。
それが急転するまでに、さほどの時間は必要としなかった。
先に動いた影は、紅の光点達――大きく開いた口蓋、唾液に塗れた牙が銀流の足元へと吸い込まれる。
同時、強靭な前肢を振り上げながら、天に浮かぶ銀盤を遮るかの如く高々と跳躍したもう一つの影があった。

小柄な虎ほどにも発達した体躯、鎧った筋肉を包み込むように伸びる黒の剛毛。
狼にも似た異貌の中で輝いた三つの紅燭は、殺意に満ちた双眸に加え――額に輝く第三の瞳。
猛々しくその体を膨らませた二頭は、鮮やかな挟撃をもって一撃で銀の弾丸の足を止めんと襲い掛かる。

だが。
地を舐めるように迫った牙が捉えたのは、肉と骨を断ち切る感触ではなく――空しいほどに冷えた夜気。
頭上から迫った強烈な前肢も空振りに終わり、銀髪の男はまるで蒸発したように消えうせてしまっている。
その行方を探さんと周囲を見渡した二頭は、不意に暗くなった周囲に示し合わせたように天を見上げた。

そこに、月光を遮るような姿で。
上方を制したはずの一頭よりもさらに高い場所へと跳躍していた、銀の奔流――


「俺の邪魔をするのなら、その選択の先にあるものを知っておく事だ」


驚愕に目を剥いた獣達の眼前、鋼のように落ち着き払った呟きと共に。
両手に携えた白と黒の鋼の獣が、夜気を震わせて轟然と咆哮した。








――響き渡った轟音は、室内にいたスタッフ全員の腹腔を奥から重く揺さぶるように震わせた。

「――何だ、今の爆発音は!?」
「庭園内のようです――今、該当箇所を特定します!」

マグカップを片手に、のんびりと背もたれに体重を預けていたスタッフの一人が慌てて目前の操作盤に噛り付く。
先刻まで漂っていた退屈な気配は完全に払拭され、スタッフ達の表情に走る鋭い緊張――

中央制御室。
その名の通り、ヘンリーソン家で採用されている保安方式セキュリティの全てはこの部屋で制御されている。
“5”という非常に高い階位の付与魔術で構成された保安方式セキュリティは、大半の機能の自律制御化に成功していた。
そのために、この中央制御室に必要な人員の数はわずか十名にも満たない。

その選りすぐられた十人達が慌しく発砲音の特定に励む中、主任席に座る壮年男性の表情は苦みを帯びている。
パトリック・ハーヴェイ――豊かな口髭が特徴的な彼が、前任からこの屋敷の制御室主任を引き継いで十余年。
万物が変動するこの世に『完璧』など無いように、『万全』と称えられるこの保安方式セキュリティにも致命的な死角や欠点が存在していた。
故に彼は昔ながらの警備員や守衛達を多数雇い、人と方式――互いに欠点を補うことで、屋敷への侵入を阻み続けてきたのだ。
だが、先刻響き渡った発砲音――まだ座標の特定は出来ていないものの、明らかに敷地内で放たれたもの――

「――発見しました! 3−5・f区画に“猟犬ハウンド”達の活動を確認、映像を回します!」

パトリックの意識の中へと流れ込んできたのは、俯瞰から眺めた庭園の一部。
駆け抜ける集団の内、紅色の光点達が警備用の合成獣“猟犬ハウンド”であることは即座に理解できた。
だが、木々の合間を抜け、血に飢えた牙を突きたてようとする紅の交錯を巧みに躱し続ける銀流の方は――

「……人間……なのか!?」
「追走してるのは“猟犬ハウンド”なんだぞ――冗談だろう!?」

スタッフ達が唖然と呟いた独白は、パトリックが胸中で抱いた感慨そのものでもあった。
脚力と持久力の高さで知られる“猟犬ハウンド”達の包囲を容易く切り抜ける。
人間の出来る諸行ではない――そう言いたいところだったが、瞼の裏に広がる光景は間違いなくリアルタイムに起こっている。
そして彼は、現実離れしたこの光景にただ驚いていればいい立場にあるわけではなかった。

保安方式セキュリティの警戒度数を最大限にまで上げろ! それから警備員達の各班長に連絡!
 あの男が陽動だという可能性は十二分にある――これ以上、恥知らず達の暴挙を許すな!!」

動揺に揺れていたスタッフ達の心は、その一声によって見事に静まり返っていた。
自身の立場を思い返し、己の成すべき事を忠実に実行していく彼らの様子を眺めながら、パトリックは背もたれに深く体を預けていた。
既にその脳裏には侵入されてしまった事への危惧は拭い去られ、唯一の懸念は始末書の文面をどうしたものかという事ぐらいだ。
侵入者がもっとも恐ろしいのは、その侵入を全く気取る事が出来ないこと――気付けなければ、対処を取る事は叶わない。
だがその居場所さえ判ってしまえば、あとはどう料理するにしてもこちら側に圧倒的な先導権が存在する。
彼には『万全』と称えられるこの保安方式セキュリティの力を、その身を持ってたっぷりと味わってもらうこととなるだろう。
ただ、決して浅くないところまで侵入を許してしまったことには違いないため、そこをどう彼らの雇い主に弁明するかが懸念ではある――

「……主任」

罅割れた呟きが、パトリックの思考を阻害したのはその時だった。
まるで白昼に幽霊でも見たようにその顔からは血の気が引き、乾いた唇が言葉を紡ぐ。

保安方式セキュリティが、作動……しません」

最初は、何を言っているのか判らなかった。
次に、言っている言葉の意味が判らなかった。
想像の斜め上を行くその報告を、パトリックが理解するよりも早く。


殆ど半狂乱に顔を歪めながら、スタッフの喉がヒステリックな絶叫を絞り出した――


保安方式セキュリティの付与魔術、こちらからの命令に一切反応しません!
 刻まれた構成が全く別の何かに、か、改竄されて――解析不可能! 完全に沈黙しました!!」








著名な魔術師達や伝統を重んじる名家には、第三者からは理解に苦しむ『趣味人』が多く存在する。
例えば、複数の湯殿や入浴専用の離れを建て、最終的には自家用の源泉を求めて屋敷の位置を建て替えるに至った入浴好き。
あるいは数千冊もの蔵書を抱え、専門の修繕士を雇っては――襤褸切れのような稀稿本一つに、桁外れの大金を投げ打つ愛書狂。

長い歴史を誇るヘンリーソン家も例外ではなく、事の起こりは現当主であるモーリスより数えて三代前まで遡る。
メンフィス領主としてこの街を離れることの出来なかった彼は、心の内に『外』への強い憧れを秘めていた。
だからといって領主という今の立場を全て棄てて出奔することも出来ず、彼は悩んだ末にその憧れを『食』によって解消しようとしたのだ。
たちまち各地から招き寄せられた一流の料理人達、彼らがその腕を存分に発揮できる最新の厨房設備。
そしてただ一人の味覚を満たすためだけに開拓された、食材流通のための陸路――
まさかその陸路が百数十年後、観光都市としての莫大な物流を支える生命線となるとは当時の誰にも想像はつかなかったろうが。

だが、莫大な費用を投じて追求した『食』への興味も、関心があったのは先代当主までの話。
今の当主であるモーリスは全くといっていいほど食事に対してのこだわりがなく、食べられればそれでいいという考えの持ち主だった。
張り合いを失った料理人達の半数以上は別の雇い先を求め、あるいはこの街の『食』の象徴であるネフェル=テムに新たな情熱を求めたが、
古くからこの屋敷に仕え、愛着を持っていた料理人達は腕の振るいどころを見失い、燻った感情を持て余す日々を送っていた。

だが。
胸の奥に残っていた残り火が、再び勢いを取り戻したのはつい先刻のこと。
明日の朝食の仕込を行なっていた彼らの前にふらりと現れた当主は、突然に沢山の料理の注文を行なったのである。
最初こそ当惑の感情が勝っていたものの、まるで別人・・のようによく食べ、幸せな表情を浮かべる雇い主の姿に――去りし日の記憶が甦る。
正に『火の消えたよう』だった厨房は十数年ぶりに活気付き、古兵達の顔には若かりし頃の情熱がありありと浮かぶ。

一つ一つの料理を丁寧に平らげ、幸せな表情を浮かべる黒髪の美貌・・・・・
それは料理人達の記憶にあったモーリスとは似ても似つかなかったが、そんな些細な事はどうでも良くなっていた。




「んー……困ったわね」
『ああ。とても困っている』

彼女の呟きは、昼食にパスタかランチのどちらを選ぶべきか悩む程度には深刻に響いていた。
加えて今も両手は休む事無く目の前の料理に取り掛かっているのだから説得力などまるで無きに等しい。
もっとも、彼女の呟きに応える声もまた、微塵も困った様子が伝わってこない平淡な呟きではあったのだが――

なお、上記の表現はあくまで例えであり、彼女の場合なら悩まずどちらも注文して平らげるという意見はこの際置いておく。

『確認するが――本当に保安方式セキュリティは沈黙しているんだな?』
「それは勿論。断言してみせてもいいわよ?
 仮にまだ方式が生きてるなら、その元気なわんこ以外にも対侵入者用のトラップが発動してるはずだもの」

保安方式セキュリティを書き換え、沈黙させて後――宣言したとおり、トトは屋敷の料理を味わうべく食堂へ赴いていた。
ヘンリーソン家の『食』事情に関しては知らなかったため、想像を遥かに超える料理の出来栄えに先程から何度も舌鼓を打っている。
料理人達が彼女に対して何の疑問も挟まないのは、魔術によって彼らの認識に多少の割り込みをかけているためで――
加えて人よりも多少・・食欲が旺盛な事は自覚しているため、一般的な常識の部分にも干渉して感覚を麻痺させている。
厨房の料理人たちにとって彼女は『モーリス』であり、その食欲は一晩で貯蔵庫に存在する食材全てを喰らい尽くしかねないのだ。
そんな無茶苦茶な話に何の疑問も持たせないのも、存在が禁忌とされ、歴史の中に封殺された『北の魔女』の真価と言えるだろう。

こんなところで真価を発揮された日には、二百年前に彼女の手にかかった多数の犠牲者達が膝を抱えてめそめそと泣きかねないが。

『ふむ……それもそうか。だが、今現在追い立てられているのも事実だ』
「なのよね……と、すると考えられるのは――あ、おじさん替え玉一つねー!」

状況の分析を中断してまで、どんぶりを掲げて替え玉を注文するトト。
アトリへの信頼がなせる業なのか、単に目の前の食事を優先しての事なのかを知るのは彼女しかいない。
普通の神経の持ち主ならそんな態度に憤慨の一つでもしただろうが、アトリの神経は生憎と鋼線で出来ている。

そして、替え玉が届くまでの僅かばかりの合間に――彼の置かれた状況の中で、一番可能性の高いものをトトはその唇に乗せた。


「一番可能性が高いのは――その合成獣が、独立した統制者と従属者による群体統制方式マスター・アンド・スレイブシステムで制御されているってところかしら」








「――回りくどい言い方はいい。要は保安方式セキュリティのサポート無しに『双隻眼』を倒すか捕えろって事なんだろう?

――冴え渡る月の下、木々のざわめきに混じって聞こえた呟きは若い男のものだった。

『……その通りだ。こちらも全力で原因を特定し、方式を復旧次第そちらを援護する。交信終了アウト

通信機を兼ねたピアスから響くパトリックの声は、軽く聞き流す程度には普段どおりの落ち着き払ったものだった。
だが震える言葉尻を隠せず、背後からはスタッフ達の動揺の声さえ聞こえているようでは、かえって無駄な努力としか言いようが無い。

途切れた通信に、暫し訪れる静寂。
平常よりもなお澄み渡った夜気は、微かな喧騒の不協和音を伝えている。
そちらへと視線を巡らせながら――ひらりと長影が、体を預けていた太い枝から飛び降りた。
柔軟な体捌きと柔らかい地面の相乗で、生じるはずだった物音の殆どは呑み込まれて響く事無く。

見つめた夜の闇の奥――喧騒の中心地まで、全力で走って五分。

「『双隻眼』、か」

その名を口にする時、人は憧れに目を輝かせるか、恐怖に身を竦ませるかのどちらかを選択する。
世界でもっとも名の知れたペネトレイター――立ちはだかる者全て粉砕し、己を貫く生きた『伝説』。

だが、その若者は与えられた選択肢のどちらも選ぶ事は無く。


「……随分、面白い状況になってきたたじゃねえか」


――口端をにぃと吊り上げながら、不敵なほどの闊達な笑みを浮かべて呟く。




「さあて――『依頼』を果たすとするか」








独立した統制者と従属者による群体統制方式マスター・アンド・スレイブシステム……やはり、考えられるとするならそこか」
保安方式セキュリティが黙ってるのに、追いかけられてるっていう以上は多分ね……。
 だとすると敷地内のどこかに統制マスターユニットがいると思うけど……中央から調べてみようかしら?』
「そうだな。判り次第、座標を教えてくれ」
『了解、ならそれまで保たせておいて♪ ――それじゃ、ひとまずはごちそうさま……っと。
 ねぇ、ここの料理テイクアウトしてもらえるかしら? お腹が空くと悲しくなるから、軽く30人前ぐらい――』

人と言う種の胃袋の限界を突破した『超越者』――北の魔女の言葉がやがて薄れていく。
代わってアトリの聴覚を無粋に引っ掻いたのは、獣達の獰猛な唸り声と咆哮だ。
猟犬ハウンド”と呼ばれるこの合成獣達はイヌ科の動物達を素体として合成が行なわれており、強靭な脚力と高い持久力を備えている。
一体一体の性能もさることながら、その真価を発揮するのは集団としての一糸乱れぬ動きで標的を追い詰める点だ。
それを可能とするのが独立した統制者と従属者による群体統制方式マスター・アンド・スレイブシステム――統制マスターユニットによって従属スレイブユニットの思考・感覚までを制御し、
全く乱れを生じさせない、一つの“群体”としての動きを完成させる統制方式の一つである。
集団を統率する統制者マスターは通常、保安方式セキュリティの中央制御で担当するが、今のように別個に独立した統制マスターユニットを置くことも出来る。
現状が保安方式セキュリティが沈黙した際の事を考慮に入れての周到な予防線だったのか、単なる偶然の産物かを見極めるのは難しいところだったが。

「保たせてくれ、か……難しい注文だ」

微かに蒼を刷いた銀瞳に冷ややかな輝きを湛えて、自身の置かれた状況をあくまでも客観的に評するアトリ。
彼の言葉には謙遜というものが欠落しているが、自身を誇張するような言葉を紡ぐことも無い。
「難しい」と呟いた以上は『双隻眼』の腕前を持ってしても、彼女の要請がよほどの難題であることに間違いはない――

「まあ、出来る限りの善処はしよう」

呟いた瞬間、銀の軌道は黒天へと向けて垂直に跳ね上がっていた。
自重など知らないとばかりに目前の巨木の幹を強引に駆け上がったその先で、黄金の燭は炯々と輝いて――

「だから――お前達も・・・・少しは粘ってみせろ」

常軌を逸した双隻眼の行動を間抜けとさえ言える姿で見上げる二頭の猟犬ハウンドへ、質量さえ伴うような鋼の咆哮が炸裂した。
それは強化された頭蓋骨を砂糖細工か何かのように粉砕し、悲鳴を上げることさえ適わず暗灰色の脳漿が飛び散る。
だがそれに怯む事無く、左右から迫る新たな二頭の猟犬ハウンドは彼を取り押さえんと高々と跳躍してその顎を大きく開いて――
瞬間、巨木は叩き折られんばかりの衝撃に大きく軋み、鋼を紡いで束ねたような筋肉の生み出す瞬発力は高々とアトリの姿を舞い上がらせている。
紙一重で双牙の贄と化す事を避けた長躯は返礼とばかり、容赦ない弾丸の洗礼で宙を舞う獣達を祝福し、同時に地上へも死の雨を注いでいた。
先を争うように次々と咲き乱れる血と肉片の大華の中、着地を試みるアトリへと果敢に喰らいつかんとする一つの牙。
無防備となる着地の瞬間を狙って迫った顎は、鉄骨で補強された彼の靴でさえ易々と噛み咲くだけの威力を備えている。
完全に捉えたタイミングは、食い千切った箇所から噴水の様に溢れ出す、古鉄のような血潮の香りさえ幻嗅したが――

「――この程度の芸当なら、銃を離さなくても何とかなるか」

がちりと、何の感触も得られることのなかった猟犬ハウンドの当惑した様子を、アトリは上方から見下ろしていた。
右腕に巻きつく黒の布帯――その先端が太い枝の一つに絡み、2dcを超える長躯をそのまま持ち上げていたのだ。
その勢いは力強く、アトリの体は枝に叩き付けられかねないものだったが、寸前で布帯はひとりでにその拘束を解いている。
変化した動きは彼の体を上方へと持ち上げるような軌道を描き、遥かな高みでその体勢を整えたアトリは――

「この高みでは跳躍も出来まい――終わりだ」

色の異なる双眸に、一切の感情の残滓を浮かべることもなく。
硝煙を棚引かせた二つの顎――決して満たされることの無い飢えを癒さんと、無慈悲な咆哮を重ね続けた。









「――まだ復旧作業は進まんのか!!」
「はっ、はいぃっ! 保安方式セキュリティ、依然としてこちらの命令を受け付けません!!」

パトリックの怒髪天を衝く気迫に圧され、スタッフの声は悲鳴の様に情けなく裏返っていた。
その様子がさらに癪に障ったが、やるせないように重い溜息を一つ漏らすだけでそれ以上の追求を避ける。
存在を思い出して口に運んだコーヒーはすっかり冷えて、強い酸味だけが残り――顔に浮かんだのは文字通りの『渋面』だった。

付与魔術の内容の改竄――今でなかったなら、世迷い事と笑い飛ばした。
何故ならば、魔術の構成というものは第三者による干渉や、ましてや改竄などが行なえる代物ではないからだ。
最初から複数人で識った構成や、ペネトレイターの『波紋崩し』のような例外が存在しないわけではなかったが、
少なくとも他者の手で識られた構成が展開される前に掌握され、全く別のものへと書き換えられることはまず『起こりえない』。
形状的な概念で捉えられない構成を物理的に『刻み込む』付与魔術でさえ、その例外ではなかった。

だが、彼らの目の前に用意されている現実は、その『常識』を許してくれないようだった。
保安方式セキュリティを構築していた付与魔術は全く知らないものへと置き換えられ、その解析もままならない。
屋敷の警備を任されてきた者として、侵入者の暴挙を許している現状は何より耐え難い屈辱となって心を蝕む。
さらには――自分で言ったことだが、屋敷への侵入者があのペネトレイター一人であるとは限らない――

「……?」

苛立ちに茹るようなパトリックの思考だったが、突如それを中断して彼は背後へと振り返る。
気のせいか、制御室の扉が外側からノックされたような気がしたのだ。
だが、幾許かの間を置いて今度ははっきりとノック音を確認した時、パトリックの表情がこれ以上無いほどの緊張に厳しさを増した。
彼だけではない――室内にいるスタッフの全員が作業を中断し、扉を穴が開くほど見つめながら構成を識り込んでいく――

屋敷の中でも最重要な役割を担っている中央制御室は、入室するまでに三つ以上の扉を潜らなければならない。
この三つの扉の開閉にはそれぞれ異なった許可を必要としていて、中でも制御室までの入室権限を持っているのはごく一握りだ。
その『一握り』――制御室のスタッフ達全員が室内にいるにも拘らず、先程から響く外からのノック音。

『双隻眼』とは別に屋敷内へと侵入した何者かが、扉の向こう側にいるという事。
そして恐らくは、敷地内の保安方式セキュリティを沈黙させたのもその何者かに違いない――

三つの扉は、万一の事を考えて中央制御とは別に独立した保安方式セキュリティによって保護されている。
どのような奇術を用いればこんな芸当が可能となるかは判らないが、前の二つを開けてきたならこの扉を開けられない道理はない。
ならばせめて、保安方式セキュリティへと干渉して扉を開いた瞬間――そこを狙って、室内にいるスタッフ達全員で魔術を叩き込む――

決死の覚悟で構成を識り上げ、全ての神経を扉へと注いだ一同。
だが、現実は無慈悲なほど残酷に、彼らの想像した未来の遥か上を突き進む光景を見せたのである――


「よいしょ――っと!!」


何とも楽観的な掛け声と共に、横にスライド開閉するはずの扉がに開く。
榴弾の直撃にも容易に耐えうる金属扉が飴細工のように引き千切られた目前の光景を、一体誰が想像できたというのだろうか?
魔術でもなんでもなく、純粋な力で限りなく強引に突破された扉を唖然とした様子で眺める一同。
彼らに向けて、長い黒髪を纏わせた『侵入者』はにっこりと微笑みかけると。

「――『ジェフティ』」


具現化された『恐怖』によって、全てを黒へと呑み込んだ。









「――難しいな、加減というものは」


地面へと降り立ったアトリは、周囲を睥睨しながら開口一番にそんな事を呟く。
銃撃を浴びた地面はあちこちにクレーターを作り出し、猟犬ハウンド達は原型を留めぬほどに破壊されている。
『蹂躙』という言葉が似合いそうな無残な光景の中、新たな弾倉を再装填しながらしみじみと唇を開く。

「二分と保たなかった・・・・・・……か」

独立した統制者と従属者による群体統制方式マスター・アンド・スレイブシステムによる群体統制の際には、統制マスターユニットは従属スレイブユニットへと常時命令を下している。
その形式は特定の波長の音波であったり、微弱な電波であったり――あるいは微振動であったりと様々なものが存在するが、
送信側の統制マスターユニットの居場所を特定するためには、受信側の従属スレイブユニットの存在が絶対に不可欠だ。
故にトトは、アトリに猟犬ハウンド達を全滅させてしまわないよう――『保たせておいて』と告げたのである。

しかし。
従属スレイブユニットが全滅した今、従えるべきものの無い統制マスターユニットを特定する意味は皆無といっていい。
手間取らされた時間を惜しむかのように、濃密な血臭を振り払って銀の長躯は滑る様に地を駆け抜けていた。
平地を走る時と殆ど速度を変える事無く、立ち並ぶ木々の合間をすり抜けながら一直線に屋敷へと向う。
真一文字に駆け抜けるその姿は、ペネトレイトすべき相手へ向けて放たれた弾丸めいて月光に輝き――


「――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


腹腔の奥底から奮い立つような気合が、アトリの鼓膜を貫いたのはその時だった。
同時に肌で感じ取った、横手から迫る鬼気じみた存在感――いや、『感じ取る』という表現は的確で無かったかもしれない。
その存在感は、自身の気配を隠そうという様子がまるで感じられない、猪武者のような猛進で迫っていたからだ。

だが――愚直なほど真っ直ぐ、迫り来る爆弾めいた気迫は。
例えその存在を察知したとしても、避ける事が叶わないような鋭さと速さで彼へと肉薄している――!




「ブッ貫けえええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」




頬桁へと叩き込まれた拳が伝えた、頭蓋を粉砕させかねないほどの衝撃。
鍛え抜かれた鋼の長躯は冗談の様に宙を舞い、貫かれるままに大きく吹き飛ばされていた――