No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第三十四話 sneaking



過去――未だこの世界に『魔術師同盟』なるものが存在しなかった頃。
文化的・文明的な生活の享受は魔術師だけに限られた時代は、社会もまた彼らの価値観を忠実に反映したものだった。
魔術師にとって、血筋よりも重要視される『階位』――それは魔術の技量を示すだけではなく、社会的な身分の高さにも繋がる。
そのため、高階位の魔術師達が集い、日々その理論の構築・安定・発展を競って研究と研鑽を重ねた巨大魔術都市――
メンフィスが世界の中心として機能していた事は、魔術師主導の世界情勢を考えれば『必然』であった。
各地方都市の統治者が自らを『領主』と称したのも、メンフィスの魔術師達に謙遜する形であった部分が強い。
その後、魔術師同盟の発足と共に各地方都市が同盟に所属する形で、領地という概念はそのまま残されることになる。

とはいえ。
それは結局のところ、社会的立場において上層に位置する者達の感覚でしかない。
社会を構築する庶民層のレベルにまで視線を落とした時、街は単独で完結した一つの『世界』に近いものがある。
『果て』の外を知らず死にゆく人々のように、街で生まれ、街を出る事無く死を迎えるものは決して少なくない。

ならばその『世界』を統治し、今後の行き先を決める領主は『神』にも等しく。
議会等の参政の場が設けられ、政治というものが身近なものへと姿を変えた現代においても。
人々の認識は、そう簡単に移り変わるものではない。




「……っひぃ……寒ぅ……っ!?」

外に出た途端、寒そうに体を震わせた同僚の姿に思わず苦笑が浮かぶ。
この街に来てまだ日も浅い彼が何を考えたのか、判らないわけではない――
気が狂ったような直射日光に焼けるような日中から、この寒気さえ覚える日没後の涼を思い描くのは確かに難しいからだ。

「だから言っただろ? 昼間と夜じゃ全然気温が違ってくるって」
「だからって、ここまでかよ……っくそ、なあ、上着貸してくれよ」
「死んでも御免だ」

散々口を酸っぱくして忠告しておいた上での事なのだから、同情は一切抱かない。
仮眠室に上着を置いてきた彼は絶望的な表情で落胆しながらも、それでも制服の襟など立てて必死に頑張ってみてはいる。
その努力だけは買うが、肘から先を直に晒してしまっているようでは、吹き抜ける夜風の前に無駄な抵抗と言わざるを得ない。
もっとも、彼もこの街に来て間もなかった頃に似たような経験をした事がある――誰も彼も、一度は通る道だった。

「ま、頑張れよ。あと六時間で、一端は戻れるだろうからさ」
「マジかよ……ったく、いい身分だよなぁ……内回りの連中はさ」

僅かでも、寒さから意識を逸らそうとしているのだろう。
特に口にする必要も無いような愚痴を零しながら、彼は恨めしげに背後を振り返る。
そこに聳え立つ巨大な門は高々と天を貫き、壁は左右にどこまでも続いて闇夜の中に溶け込んでいる。
小さな街程度ならすっぽり収められそうな広大な土地全てが――メンフィス領主・ヘンリーソン家一門によるもの。
領主としての立場と力を誇示せんとばかり、他の魔術師達のそれと一線を画したこの屋敷に、二人は守衛として雇われていた。

「中の警備担当は、ただ一人の例外も無く『魔術師』なんだろ?
 ……はぁ、俺も魔術師に生まれてりゃ――屋敷の中でぬくぬく出来たってのによ」
「言ったところで仕方ないだろ。……というか、どうせそれなら雇われる側より雇う側に生まれたいさ」
「確かに、それは違いねぇな」

生みの親を自分の好きに選ぶ事が出来ない世の不条理に、二人はかすかに苦笑を浮かべる。
彼らの雇い主、現在のヘンリーソン家当主・モーリスが『人間嫌い』であることは有名な話だからだ。
公式の場で人間を差別するような発言を漏らした事は一度も無いし、街の運営に私情を挟む愚は冒した事はない。
だがそれでも、人の口に戸は立てられるものではなく――屋敷内の警備員の全てを魔術師だけに任せる態度一つを取っても、
言葉よりも遥かに雄弁に心情を語り、噂の信憑性を確かなものへとしている事には違いない。

それでも、こうして雇ってもらえているだけでも有難いことではある。
人間が『人』として認められるより以前――『暗黒期』には、こうして門前で愚痴を零す事など想像も出来なかったのだから。

「まあ、これが終わったら―― 一杯ぐらいは奢ってやるさ」

『眠らぬ街』として有名なメンフィスだが、この屋敷は郊外にあるため、辺りにはしんと冷えた静寂に満ちている。
そんな中で、寒さに震える同僚を少しでも元気付けようと――一献傾ける仕草と共に、彼は隣へ振り返って。


すっかり冷えた地面の上、そこに倒れ伏す同僚の姿。


それが一体、何なのかを把握するよりも早く。
首を締め上げる強い力に悲鳴を上げることさえ適わず、彼の意識は急速に薄れていった。








――同時刻、ヘンリーソン家屋敷内。

「――知ってるか? 昼間の騒ぎ」
「ああ。昼間はあの近くにいたからな。本当、偉い騒ぎだった」

豪奢だが、決して派手過ぎない丁度で整えられた広い廊下。
私語を交えながら歩く二人の警備員は、一見するととても真面目に警備を行なっているようには見えない――
だが実際には、彼らの周囲には視覚とも聴覚とも異なる『感覚』が蜘蛛の巣の様に張り巡らされている。
前者二つより遥かに鋭敏で隙が無く、把握できる事柄も桁違いに多いその『感覚』――人間には成しえない空間把握。
だがそれも、彼ら二人が『魔術師』であることを考えれば話は別だ。
門前の守衛達は冗談交じりに愚痴を零したが、人間と魔術師でその扱いに差が生じるのは単なるえこひいきだけではない。
両者を比べた時、魔術の有無と言う如何ともし難い『差』を埋められるだけの何かが人間には無いのである。

「一軒まるまる炎上に『ペネトレイト』か……。まったく、物騒な話だよなホント」
「その一件――相手側の魔術師をペネトレイトしたの、あの『双隻眼』らしいぜ?」
「マジかよ!? み、見たのかお前!?」
「いいや、残念ながら。見かけたらサインの一つも貰ってきてるところさ」

彼らは、魔術師が人間を弾圧していた頃の事を知らない。
魔術師同盟もペネトレイターも、生まれたときから存在していたのだ。
ペネトレイターが魔術師を討つ――人間が魔術師を『殺す』ことへの感慨も特に思うところは無く。
有名なペネトレイター達の話題を口にすることも、トレンドな芸能人達の話題を口にする事とさほど認識の違いはなかった。

「『双隻眼』がいたって事は……これから先、この街もえらい騒ぎに見舞われるのかな」
「騒ぎならもう充分たったろう? ネフェル・テムなんて全焼して跡形も無くなったんだし」
「何言ってやがる。あの『双隻眼』が一枚噛んで、その程度の被害で終わるかよ。
 過去には依頼で街一つを更地に変えたこともあるっていう話なんだぜ?」
「なるほど、それはぞっとしないな……そういやお前、この街に『殺しすぎた希望オーバーズ』が来てるって話は知ってるか?」
「おいおい――どこから流れてきた話だよ!? ああ、くっそ――なんで今日、非番じゃないんだ!?」
「ま、落ち着けって。こっちに関しちゃ確証は無いしな」

時代の推移に伴った、魔術師達の認識の変化。
それは彼ら二人に限った話ではなく、魔術師でも中層・下層に位置する――所謂『庶民層』にはこの傾向が強く見られた。
彼らの雇い主であるモーリスが『人間嫌い』な様に、上層に位置する魔術師たちが古い考えに固執するのとは対照的である。
魔術師同盟としては、この変化は成功といっても良いものだが――この変化が未来にどう影響を及ぼすか、それはまた別の話だ。

「けど……お前の話が本当だと、いよいよもってオールスター集結じゃないか。
 これでトラブルが起きなかったら詐欺だぜ、詐欺――この屋敷もトラブルの中心地になんねぇかなぁ」
「幾らなんでも、不謹慎な発言だろうに……第一、幾らなんでも無理さ。ここの保安方式セキュリティ・システムは半端じゃないんだし」
「ま、そうだな。ペネトレイターも人間だもんな」

お互いに顔を見合わせ、肩をすくめて笑いあう。
ヘンリーソン家に備えられた保安方式セキュリティが並大抵のものでないのは、他ならぬ彼らが一番良く知悉している。
日中は屋敷の一部や庭園が一般にも解放されているものの、閉門時間と共に作動する保安方式セキュリティによってこの屋敷は完全に閉ざされる。
扉の開閉一つにも幾重もの手順を必要とされるだけでなく、窓一つ開ける際にも構成による自身の証明を要求されるのだ。
無論、力づくで突破されることの無いよう、屋敷自体も非常に強固な建造と強化を施されているのは言うまでも無い。
階位“3”の魔術師でさえ突破が困難とされたこの屋敷への侵入は、希代の大盗賊であったとしても絶対に――


「ちょっと、お邪魔するわよー?」


絶対に――不可能なはずの、外部からの侵入。
だが、気軽な声と共にがちゃりと開かれた窓が、その不可能をいとも容易く打ち砕いた。
呆気に取られる二人の目の前、『侵入者』は体を持ち上げた勢いそのまま、ひらりと廊下に舞い降りる。

丈の短い黒のスカート――伸びた足はすらりと長く、瑞々しい張りを湛えて仄かに輝く白磁の肌。
ぴんと姿勢よく背筋を張れば、豊かな双丘は薄手のブラウスをつんと押し上げ、窮屈そうにその存在を主張している。
腰まで届く長い髪は、夜闇を束ねたように黒く――眼鏡の奥の黒曜石は、深淵めいた深みに不敵な光を湛えて。
『絶世の美女』という言葉が、安っぽい叩き文句へと色褪せるような美貌を前に、衝撃から立ち返った警備員は裏返った声で叫んだ。

「な……何だ貴様!? 一体どうやって入ってきた!?」
「どうやって、って……こう、窓からひょいっと。見てなかった?」
「そう言う事を聞いてるんじゃない! こ、この屋敷には保安方式セキュリティがかかっているんだぞ!?」
「ああ、それならもちろん――きちんと解除して入ってきたわよ♪
 別に無視しても良かったんだけど……やっぱり、鍵開けは泥棒稼業の醍醐味ってものじゃない?」

何がそんなに楽しいのか――唇に指をそっと押し当て、茶目っ気たっぷりに女性は微笑む。
しかしその時には既に、二人とも調子を取り戻してトンファーを構え、訓練された鋭い動きで彼女へと肉薄していた。
ただし人間のそれとは違い、単に肉弾戦を挑むだけではなく――同時に捕縛用の『構成』を展開。
さらに相手の魔術に対する防御用の構成を最短速度で識り込みながら、遁走の余地も与えずそのまま一気に畳みかける。

胸元から提げた警笛を利用しなかったのは、自分達だけで始末をつけられると判断したから。
目の前の女性の階位は“サブア”――そして自分達は、先日向上したばかりとはいえ“スィッタ”にいる。
階位が一つでも異なれば、それは魔術師達の間においての決定的な実力の差となる。

無論、互いの間に存在する階位の差は彼女にも判っているはずであった。
そうであるにも拘らず、彼女に逃げる素振りは無く――あまつさえ構えを取ろうともしない。
空気が読めないだけでなく、頭のねじも大分と緩んでしまっているのだろうか。
この屋敷の強力な保安方式セキュリティをどうやって誤魔化したかは判らないが、それは倒した後にでも聞けば済むこと――
魔術の干渉と同時、僅かばかりの時間差と共に最速で叩き込まれた二本のトンファー。
左右から迫る渾身の一撃は、若木の枝のような肋骨など容易く折り、粉砕する――

「若いうちからそうせっかちだと、女の子に嫌われちゃうわよ?」
「な……ッ!?」

二人が驚愕に喘いだのは、勿論ながら彼女の戯言を受けてのものではなかった。
箸より重いものなど持ったことのなさそうな細い腕が、苛烈なトンファーの一撃を易々と押し留めて。
さらには同時に展開したはずの捕縛の魔術までもが、子供騙しのように容易く無効化されてしまっている。
否――目の前で見た光景は、果たして『無効化』と呼んで正しいものであったのだろうか?
彼女へと干渉した瞬間――まるであれは、圧倒的な力の前に引き裂かれて消し飛んだようで――

「食前の運動には丁度いいかしら――お屋敷の料理、一度食べてみたかったのよ♪」

彼らは逃げるべきだった。
恥も外聞もかなぐり捨て、ただひたすらに逃げるべきだった。

それが出来なかった時点で、彼らは全ての選択肢を喪失してしまっている――


「――『ジェフティ』」


数え切れぬほどの屍を築き、破滅と災厄を振りまいた禁忌。
荒れ狂う黒の暴風を前に、今更後悔を覚えたところで――何もかもが、遅すぎた――








メンフィス周辺の気候は照りつける太陽に加え、殆ど雨が降ることがない。
日干し煉瓦で家を建造できるのもそのためであり、一帯は非常に植物の育ちづらい環境となっている。
だが、街中へと目を向ければ――広大な屋敷の庭に、まるで別世界を切り取ったような生い茂る緑を見つける事が出来るだろう。
メンフィス周辺の魔術師達にとって、自身の庭園を魔術によって緑豊かにするのは一種のステイタスとなっているためだ。
それはメンフィスの領主であるヘンリーソン家であっても、例外ではない――


草木の生い茂る、広大な庭。
『庭』と言うより『森』に等しいほど広大な緑の中を、数人の守衛を引き連れて歩く男がいる。

月の光を跳ね返すように、胸元で輝く銀の弾丸。
腰に帯びたガンベルトには、硬く重たい鋼の相棒――
数々の試験を合格し、狭き門を潜り、ライバル達を蹴落として手にしたペネトレイターとしての証。

(……けど、誰も彼も英雄にはなれない……ってかよ)

心の中で悪態をつき、次の瞬間にはそんな女々しい考えを抱く自分自身へと鋭く舌打ちを漏らした。
引き連れた守衛達を苛立たしげに眺めやったものの、部下に八つ当たりするのも小物じみていて気に食わない。
結局、煮えきらない苛立ちを抱えるまま、自身のプロ意識を奮い立たせて下らない考えを追いやろうとする。

彼は守衛達の主任として、屋敷に雇われたペネトレイターだった。
ペネトレイターとしての試験に合格した者達は、銃の扱いだけではなく、
大局を見ての交渉術や一組織の指揮といった技能も同時に拾得させられることとなる。
そのために、こういった大きな屋敷の警備主任などでペネトレイターを雇用する魔術師は少なくない。

他のペネトレイターから見れば、彼は間違いなく『勝ち組』だった。
ここまでの大家になれば、出来心で不審な行為を起こそうとするような手合いはいない。
報酬は破格で安定し、逆に危険度はきわめて低い――それはペネトレイターとしての厳しい試験を潜り抜けた故の高待遇。
だが、彼が何より気に食わないのは、自身の置かれていたその環境にこそあった。

まるで玩具のように小さく、玩具には無い決意の重さを秘めた鋼の相棒を片手。
禁忌を犯した魔術師達に敢然と立ち向かっていく大きな背中――かつて見た、そして憧れたペネトレイター。
苦難の末に辿り着いた憧れの背中は――自身が銃を手にした瞬間、硝子の様に崩れ去った。

銃さえこの手に握れさえすれば、魔術師には絶対勝てる――それが甘い夢だったのだと、なってみて初めて気付いた。
確かに銃は魔術行使のための核心である構成を撃ち貫くことで、魔術師に対して絶対的な主導権を持つ。
だがあくまでも、銃は物理的な法則に支配された、物理的な干渉手段でしかないのだ。
銃撃にも耐える障壁を予め展開し、あるいは遮蔽物に隠れるだけでも――容易く無効化することが出来る。
魔術師が銃という存在を知り得なかった過去とは異なり、現在はそうした銃撃への対処法はいくらでも存在している。

圧倒的に手札の数で魔術師に遠く及ばないペネトレイター。
彼らが勝機を見出すためには、瞬時の駆け引きと変化する状況の中、時に騙し、時に欺き。
そうして生まれた刹那の隙を必殺の一瞬へと抉じ開けるように、ありったけの弾丸を叩き込むしか方法はないのだ。

そんな――神業めいた芸当が誰も彼も出来るほど、人は器用は作られていない。

厳しい試験を合格してペネトレイターになった彼は、決して実力的に落ち零れていたわけではなかった。
それでも、階位“スィッタ”の相手をペネトレイトしたときの――全身に迸った死の恐怖は、二度と忘れられそうにはない。
『双隻眼』になりそこねた自分は、だが、強盗紛いの行為に身を落すほど愚かにもなれずに。
自身の限界を思い知りながらも同時に認められず、ただ燻ぶった思いばかりがこの胸をじりじりと焦がす。
貫くべきものを見失ったペネトレイター――冗談としては、最悪の出来だ。
思わず漏れる舌打ちも、気付けばすっかり癖になっていた。


足元に生い茂る草を荒っぽく蹴散らし、彼は大正門の隣にある通用口へと足を進める。
日中はこの通用口が利用されることはなく、正面の大正門が開放された状態になっているが――
閉門時間後、守衛達の交代などで敷地内外の出入りが必要な際のみ、通用口の扉が利用されることとなっている。
金属製の分厚い扉――ペネトレイターは腰の鍵束から一本の鍵を選び、手馴れた手付きでそれを差し込む。
一拍置いてからゆっくりと回すと、重たい音は二度響いて、錠の落ちた扉はひとりでに外側へ開いた。

仕事をさぼっていないかどうか見回るための、抜き打ちの定期巡回。


彼のこの行動は、予め想定されたものではない。
守衛の中でも腕利きの数名を引き連れ、敷地内を巡回するこの行為は完全に彼の独断によるものだ。
彼を突き動かしたのは、昼間のペネトレイトの一件と、著名なペネトレイター達がこの街に揃っているという噂。
後者の噂は眉唾物だが、少なくとも現在、ネフェル=テムの一件に関わった『双隻眼』がこの街にいる事は間違いない。
こんな微妙な状況の中でペネトレイトの火種が屋敷近くで燻りでもすれば、それがどれだけの被害を齎すことになるのか。
そうなる前に、燻った煙は全て自分の手で始末する――双隻眼に手柄を立てられるのが、あまり心中穏やかでないこともあった。

そして。
彼等が正門の傍に倒れている守衛達を見つけたのは、それから間もなくの事であった。

「おい――大丈夫か!? しっかりしろ!!」

その肩を揺さぶりながら、倒れた二人の状態を素早く確認する。
微かに上下する胸板からも、単に気を失っているだけのようだった――特に主だった外傷、争った痕跡が見当たらない。
無抵抗に倒されたことを不思議に思いながらもさらに調べていくうち、その喉元に締め上げたような痕を見つけた。
気配を絶ち、背後から紐か何かで締め上げたのだろうか? しかし、それにしては残された痕跡がどうにもおかしい。
痕の残り方からも、どうやら相手は彼らの首を締め上げる際、紐状の獲物を首に幾重にも巻きつけて行為に及んだようなのだ。
ただ締め上げるだけならば、わざわざそんな手間をかける必要はどこにもない。
彼らに悲鳴も上げさせずに気絶させた鮮やかな手並みを思えば、そこだけが妙に不合理である――

そこまで考え、さらに思考を深みへと巡らせようとした時。
闇夜の中に迸った何かが、彼らが首から提げていた非常用の警笛を一斉に弾き飛ばしていた。
そのことに驚愕する暇も与えられず、地を舐めるように迸った一閃が守衛達の足元を纏めて薙ぎ払う。
ペネトレイターとしての面目躍如か、主任の彼だけは反射的に跳躍することでその一閃を回避していたが――
着地した彼がその目で見たのは、受身を取ることも叶わずに引きずり倒され、頭を強く強打して気絶した守衛達の姿。
そして運良く意識の残っていた一人の体が、ゆっくりと空中へ浮かび上がる異様な光景だった。
首を抑えて必死にもがくその様子から、空中へ浮かび上がったのではなく――喉を締め上げられているのだと理解した時。
泡を吹いて気絶した彼の体は解放され、糸が切れた操り人形のように地面へ倒れて動かなくなった。

(何だ……何が起こった……今、相手は何をしでかした!? 相手の獲物は――何だ!?)

彼の瞳に波紋は映らず、魔術ではなかったことは判る。
だがそうでないとすれば、正門の守衛二人を気絶させ、今自分達に襲い掛かってきたものの正体は何だったのか。
あらゆる状況を思い描くものの、そのどれもが決定打に欠けて説得力がなく、そうこうしている合間にも――
闇の中を迸りながら、謎の襲撃者は真っ直ぐに彼を目掛けて襲い掛かってきていた。

反射的に片腕を跳ね上げたのは、今まで守衛達が倒されてきた手口から反射的に導いた直感。
その判断に狂いはなく、首を締め上げようとするその合間に捻り込んだ腕が邪魔をして、最悪の事態の回避に成功する。

「布……か!?」

片腕と首を拘束されたのと引き換えに、彼が捉えた襲撃者の獲物。
それは丁度、包帯を思わせるような――細く長い、黒の布帯。
まるで自身の意思を持っているかのように、ただの布ではありえない動きと共にぎりぎりと腕を締め上げる。
一瞬、脳裏を至宝アーティファクトの可能性が掠めていくが――その正体が何であるのか、今はさほど重要ではない。
空いたもう片方の手を腰へ滑らせ、付き合いだけはそれなりに長い鋼の相棒を掴んで引き抜く。
暫く使っていなくても、体に染み付いた記憶は最短の挙動で撃鉄を跳ね上げ、布の伸びた闇の先を正確に狙点している――

この布の先に、自分たちに襲撃を仕掛けてきた相手がいるのは疑いようがない。
仮にそれが見当違いだったとしても、夜気を引き裂くような銃声の響きは、警笛代わりに非常事態を伝えるだろう。
この銃撃が当ったとしても外れたとしても、どちらでも構いはしない。

真に意味を持っているのは、この銃爪を引き絞るという行為そのものにある――

「――その判断、悪くはない」

だが、彼は銃爪を引き絞るというワンアクションを行なう事が出来なかった。
まるで一瞬の出来事――平淡な声が耳朶を叩いたかと思った瞬間、驚嘆すべき速度で合間を詰めていた長躯。
横から握り締められた相棒の銃爪は、まるで凍てついたかのように動かなくなっている――

「だが、回転弾倉シリンダーを固定されると銃爪が引けなくなるのが回転式拳銃リボルバーの欠点だ」

嘲笑するわけでも、冷ややかなわけでもなく。
ただ事実だけを告げる鋼のような言葉と共に、銀と金の異彩の双眸が微かに細まる。
胸元に輝く銀の弾丸よりも透き通った美しい銀髪が揺らぎ、鋼線を束ねたような屈強な筋肉から放たれる鋭い手刀。
巨木を薙ぎ倒す手斧の一撃さえ想起させる鋭さで迫ったそれは、彼の意識を根こそぎ引き抜く様にして奪っていった――








『アトリー? もしもし、聞こえてるー?』
「……ああ。聞こえている」

先刻打ち倒したばかりのペネトレイターから鍵束を取り上げ、アトリは淡々と呼びかけに応える。
周囲に響くのはトトの声だけで、彼女の姿はどこにもないのだが――それを特に意に介した様子は特にない。
この程度のことで驚いているような神経では、彼女と行動を共にすることなど不可能な話である。
もっとも、この程度の芸当ならば魔術を利用することでいくらでも再現可能ではあるのだが。
鍵束の中から鍵の一つを選択し、彼はそのまま守衛達が現れた通用口の扉へと足を進めていく。

魔術師ではない外回りの守衛達が門を開閉する際には、付与魔術を利用した特別な鍵を使用する。
扉には鍵による物理的な施錠と付与魔術による魔術的な施錠の二種類が施されていて、
鍵側に付与された特定人物の個人情報との照会が一致しなければ、例え鍵を使っても魔術的な施錠は解除されない。
万が一、鍵を不審者に奪われる事になっても――扉を施錠している限り、敷地内への侵入は不可能となっているのだ。

しかしアトリは、そんな扉の事情など知ったことではないとばかりに鍵を差し込み、無造作に捻った。
その途端、作動した保安方式セキュリティが耳を劈くような警報音を発し、彼の存在は屋敷中の人間に知れ渡る――

だが。
現実に夜に響いた音は――錠の落ちる、重く小さな金属音。
虎の子の保安方式セキュリティは作動することもなく、招かれざる客であるはずのアトリを前にゆっくりと扉を開いた。




『……うまく行ったようだな』

アトリの声は相変わらず平淡で、感情の気配を感じさせない。
だがその中に、他人では判らないだろう――確かな信頼の響きを聞き取り、トトはにっこりと微笑みを浮かべる。

「勿論♪ こう見えても、割と工作は得意なのよ?」

アトリに対して保安方式セキュリティが作動しなかったのは、勿論彼女の功績であった。
敷地内の保安方式セキュリティは広範囲に及び、かつ多岐に渡る魔術が複雑に組み合わさっている。
そのため、通常ならばそれらを制御するために設けられた中央制御室からでなければ、干渉する手段はない。

だが、万が一――敷地内、あるいは屋敷内に侵入者が紛れ込んだ際。
即座に保安方式セキュリティの警戒度数を最大に引き上げるための命令を送信するための端末が、屋敷内の各所には設置されている。
トトが今腰を下ろしている石柱もその端末のうちの一つ――彼女はここから中央へ干渉し、保安方式セキュリティを休止に追い込んだのだった。
もっとも、この端末が可能なのはあくまで保安方式セキュリティを作動させるための命令を送るだけのものでしかない。
時折整備に入る“サラーサ”の魔術師が、全容の把握に数年を要した複雑で緻密な構成をほんの数分で理解し、改変――
約八割以上を新規に書き換えてみせたのは、存在そのものが禁忌とされ、歴史の中に封殺された『北の魔女』ならではである。

「それに前々から、こういうのも一度やってみたかったのもあるし」
『どういうのだ?』
「ん……潜入する女泥棒、華麗でクールな立ち回りながら――目指すは目標・完全破壊!
 信じられるのは己のみ、鍛えた全身だけが武器だ!! っていう感じの」
『そうか。俺の知らない間に、最近の女泥棒は随分と特殊な使命を掲げて行動するようになったらしいな』
「それか、シャワーシーン担当かのどっちかよね?」
『真理だ』

まったく状況とはかけ離れ、かつ果てしない脱線を見せながらも――納得したように深く頷きあう二人。
しかし何より恐るべき事は、この二人の場合においては互いに互いの言葉を納得することが可能であるという点だろうか。
運命の神々も何故二人を引き合わせてしまったのか、恐らくは始末書を山ほど書かされているに違いあるまい。

「さて、っと。それじゃ、私もそろそろお腹空いてきたし?」
『ああ。――好きにしろ。必要経費だ』
「ふふ♪ それじゃ、お言葉に甘えて――軽く摘んでこようかしらね」

心の底から嬉しそうにトトは呟き――石柱から飛び降りる。
辺りに死屍累々と転がって呻く警備員達は、もちろん華麗でクールに立ち回る女泥棒による完全破壊の犠牲者である。
なお、これほど派手に動いているにもかかわらず、まだ彼女の侵入は屋敷内の警備員達には知れ渡っていない。
警備員達が彼女に気付いた瞬間、一撃で床へと叩き沈めるという、彼女ならではのスニーキングスキルが成した偉業である。

「あ――そうだ」

食べ物の匂いを探しながらて廊下を歩いていた彼女は。
思い出したように一度――窓の外へ視線を向けて。


「――新しい服、具合はどう?」




「――大体の癖は掴んだ、というところだな」

屋敷の方に目を向けたまま、アトリは軽く右腕を掲げた。
瞬間、勢いよくその腕に巻き着いていく――包帯の様な黒い布帯。
まるで意思を持つかのようにひとりでに巻きつき、掌の内側でぎしりと固定されたのを確認して。


「あとは実践で覚えていくさ」








保安方式セキュリティが機能を休止しても、各所を巡回している警備員や守衛達が消えたわけではない。
未だ巡回を続ける警備員達に遭遇せぬように意識を払いながら、アトリは殆ど一直線に屋敷へと向かって駆け抜ける。
その動きは2dcを超える長躯とは思えないほど柔軟で鋭く、そして気配を感じさせない。
金の瞳が炯々と輝き、月下の下を音もなく駆ける様は――まるで野生の獣の様な猛々しい美しささえ備えていた。

彼がトトと別行動を取ったのには、複数の理由が存在する――そのうちの一つが、装いを新しくした今の姿にある。
元々彼の格好は対魔術用に特化したものであり、ペネトレイターとしての自身を考えれば服装を変える必要はなかった。
ただ、あの自動人形――ユキとの戦いにおいて、一度ならず服装の形状を突かれる形で窮地へと立たされている。
屋敷へと逃げる彼女を追いかけた形となった以上、再戦はそう遠い時のことではないだろう。
その際、付け入る隙を残したまま戦いを仕掛けるほど愚かな真似は出来なかった。

新しい服装は今までのものとは異なる、動きやすさを最優先したものとした。
振り回される袖や弛みが消失した分付け入られるような隙は消失したものの、代わって犠牲となったものもある。
それが、以前の服装の特徴でもあった対魔術への防御――ペネトレイトを生業とするアトリにとって、必須とされる要素である。
それを補うべく、トトが考案して作成したのが、今の彼の右腕を覆う黒の布帯だった。

布の中に一本――トトの髪の毛を縫い込んだことで、布帯はアトリの意思を汲み取って自在に展開と収縮を可能とする。
布の表面には彼女が施した対魔術の付与魔術が隅々まで刻み込まれ、展開することで以前の格好と変わらぬ防御効果が期待できる。
もっとも、実際に展開した際の速度や、どこまで意志に追従した動きが可能なのかは実際に使ってみなければ体感として判らない。
また、意思に追従するというその特性を、別の用途にも利用出来る可能性もある――
そういったことを確かめるために、門前の守衛達を相手にして色々と試していたのだ。
結果、ほんの十分程度の事であったが――この布の特性を大体ではあるが掴んでいた。

まず、意思に応じて自在な展開を可能とすると言っていた通り、布とは思えないほど柔軟で精密な動きが可能である。
布帯を動かすのはかなり独特な感覚だが、慣れてしまえば手足の延長のように扱うことも不可能ではない。
また、縫いこまれたトトの髪の毛が筋肉のような役割を果たしているらしく、布帯単独でもある程度の重量を支えることが出来る。
ただし、人一人を持ち上げるぐらいなら造作もないが、布帯のみの力では人の骨を砕くほどの力は発揮出来ない。
そのことからも、この布帯を攻撃の要として利用する事は厳しいと判断した。
布帯の柔軟な動きの真価を発揮するためには右腕自体でのコントロールも必要とされるため、右手に銃を握る事を諦めねばならない。
布帯の自在な動きと、鋼の相棒――天秤にかけたとき、自然と後者が重くなるのは道理とも言えた。
加えて布自体の展開速度も、それなりには速いが銃弾には及ばないし、銃弾を受け止められるほどの強度も無い。

もっとも、元々は対魔術への防御のために作られた装備である――最初から、多くの事は望んでいない。
むしろ、おろそかになってしまった魔術への防御を補うための装備が得られた。
応用次第では、他にも様々な場面で利用することも不可能ではない。
使いこなせるようになれば――他者よりも行動の幅と選択肢が広がる――

(……なら、十分に上出来だ)

心の中でそっと呟き、アトリはさらにその足を速めた。
その残影は銀の弾丸めいて月下に輝き、もはや彼の脚力に追いつけるものは誰もいない。
風を切り裂き夜を貫き、力強く大地を蹴り付けただ一直線に突き進みながら――

「……?」

夜の中、仄かに燈った紅点があった。
それだけならば、気に留めることもなかったのだが――
流れる様にあらゆる景色が過ぎ去っていく中、その紅点だけは流れる事無く存在し続けたのは如何なる事か。
それだけではない――ぽつりぽつりと紅点はその数を増やし、地を駆ける足音にアトリ以外のものが混ざりはじめる。


荒く噛み砕いた唸り声。

人のものとは明らかに違う、地を蹴る音の鋭い間隔――


紅点の正体を悟った時――飢えに血走った咆哮が、競い合うように夜を震わせた――