No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater
双隻眼のアトリ・イスカ

第三十一話 vermilion tone

視界から『消失』した、エプロンドレスの小柄な少女。
音もなく姿を消したのは、少女の皮を被った――殺戮の、自動人形。
それは時間にして刹那ほどの間もなかったに違いない。
故に、アトリの行動には思考というものが伴っていなかった。
考えてからでは遅すぎる。
脳内電流に伴って導き出される『思考』では、今の彼女の動きには追いつくことは不可能。
だがその不可能を可能にせねば、胴か首か――そのいずれかが、永遠にこの体と決別せねばならなくなるだろう。
彼を突き動かしたのは、今までその身に重ねた幾重幾度の戦闘経験と、直感という命の信号。
金の瞳が炯と輝き、驚異的な柔軟性で地を舐める様に膝を折り曲げ、頭を下げたその直後。
空間を緋が断絶した。
自動人形は人間と違って、思考と行動に迷いを挟まない。
常に選ぶのは最良の選択肢であり、人間の様な策を選ばず最速で相手を仕留めようとする。
逆に言えば愚直なまでに直線的であり、その動きを読み易いのだ。
この自動人形にそれがどこまで適用されるのか、適用してよいのかは判らなかったが、少なくとも今の彼の判断に間違いは無かった。
必殺の一撃を躱した代償に下肢を完全に折りたたんだ今、使えるのは背筋の力だけ。
驚異的なまでの平衡感覚と共に跳躍して刃の領域を脱すると同時、別の生き物の様に跳ね上がった左腕の中で黒い銃身が怒号を放つ。
馬車の振動の中でも正確に狙いを定められる技量を以って銃口を向けた先は、硝子めいて感情を排した青い瞳。
『人の体を忠実に再現した』という彼女の言葉どおりなら、そこにあるのは生体部品――
爆発の際に顔を防護していたところからも、鍛える事の叶わない『弱点』。
だがユキは銃撃に対し、緋の孤の残影を虚空に描き――迫る銃弾を弾き飛ばした。
「何……!?」
そのことに驚愕しながらも、アトリの流れに停滞は無い。
飛ぶ勢いを殺さずに距離を置いて一転し、立ち上がると同時に残りの弾丸を斉射。
周囲の地形を一瞬で判断して応用した、跳弾も織り交ぜながらの空間的な火線の『檻』がユキを襲う。
常人ではその射線を見切ることも適わない、神業の射撃に対し――ユキは最後まで、その場を殆ど動かなかった。
僅かに半歩、立ち位置をずらしては背後からの銃撃を躱し、あるいは手にした長刀を一閃が銃弾を叩き落とす。
「銃には無駄が多過ぎる――本来の性能に戻った私に、銃撃は通用しない」
悉く全ての弾丸を無力化して軽く刃を振るい、まるで事務処理を片付けたようなユキの言葉。
それは『銃』という世界最強の武器が、その鼻柱を圧し折られた瞬間でもあった。
魔術師に対する人間達の解放運動時、卓越した剣の冴えで魔術師さえも圧倒したという一人の女性の逸話。
極限まで技能と感覚を研ぎ澄ませ、手にした刃は音を越える銃撃さえ弾き返したという『伝説』。
『超越』した使い手と相対するに、手にした武器の有用性などはまるで意味を成さない――そんな教訓として伝えられている語りだったのだが。
「随分と……性質の悪い冗談もあるものだ」
伝説は歴史の中に消えず、現代においてもそれを体現してみせる使い手が存在するという話は耳にしたことがある。
だが彼の相棒もまた、一端の拳銃とは違っている――階位“3”の障壁さえ力押しに貫通する、桁外れの破壊力。
それを、まるで蝿か何かを叩き落すような素っ気無さで打ち払ってしまわれては、呟くアトリの言葉が苦くなるのも仕方ない。
しかし、今までアトリと相対してきた数々の魔術師が、今の彼と同じ思いを彼に対して抱いてきた。
驚愕は動揺へ変わり、今まで積み重ねてきた経験と価値観の崩壊は容易に自滅を招く。
そんな、自身の伝家の宝刀であった『自壊の刃』を突きつけられて――それでもアトリがやることに、変わりは無かった。
瞬く間に弾倉を再装填するなり、ユキへと向けてその銃口を祖点する。
「無駄だ『双隻眼』――貴様の性能で、私に勝つことは出来ん」
「吼えろ人形。銃弾全て撃ち尽くした後、同じ言葉を口走れるかどうかな」
鯉口を切った音と、猛々しい咆哮が上がったのは全くの同時だった。
激しい剣戟と銃声は、今も背中からひっきりなしに彼を追い立てるようにして聞こえていた。
一秒ごと、冷たい刃を背に押し当てられるような緊張に何度も足を取られ、転びそうになりながら。
それでも記者は足を止める事無く、トトが吹き飛ばされた建物までたどり着いた。
目の前に積みあがっていたのは、崩落した壁と天井の残骸が積もった瓦礫の山。
これほどの崩落に巻き込まれ、瓦礫の中に埋もれた者が生きているなど果たして誰が考えるだろうか。
だが、記者はトトが生きていることを微塵も疑うことは無かった。
自分の頭ほどの大きさもある瓦礫を引き剥がし、転がし、蹴落としてはまた引き剥がす
そうして発掘作業に悪戦苦闘すること暫くの後、記者は見事トトの体を掘り当てることに成功した。
崩落に巻き込まれた際の破片と粉塵で、すっかり白けて汚れたスカート。
ワイシャツもあちこちが裂け、特に下腹部――真一文字に裂かれた場所は、今も溢れ出す血で紅に濡れそぼっている。
微動だにしないトトの姿とその紅の鮮やかさに、記者の背を駆け抜けていくぞっとした悪寒。
だがよく見れば、開いた傷口はせいぜい皮一枚が裂けた程度――致命傷には程遠く、僅かに胸も上下している。
単に激突の際、意識を失っただけらしい。
記者はほっと安堵して、彼女の頬を軽く叩いた。
やがて彼女はうっすらと眼を開き――数度、その場で瞬いて。
「…………!?」
何かを思い出したように軽く眼を見開いたと思った瞬間、鎖鬚仕掛けのように半身を起こして記者の胸元を掴み上げる。
突然の暴挙に呆然と立ち尽くす記者に、トトが向けた表情はこれ以上無いほど真剣で厳しい。
「……気絶してた?」
「え……?」
「私。今……ひょっとして、気絶してたんじゃなかったの……?」
トトの口調はあくまでも穏やかであり、殺気や敵意のようなものは感じない。
だがその黒曜石の瞳には、見る者を圧倒する強い輝きが込められている。
完全にその様子に呑まれた記者は、それでも賢明に首を縦に振って彼女の問いに答えた。
トトは記者を掴み上げていた手を離すと、しばし呆然とした様子で自分の姿を見下ろしていたが。
「…………ふ、ふふ……ふふふふふ……」
気付けば、彼女の口元から零れ落ちたのは、抑えきれない笑い声。
「私を吹っ飛ばして、傷を負わせて……挙句“気絶”させた? ――ふふ、随分楽しいことになってきたじゃない?」
そっと指先が、腹部の傷に触れる。
室内を圧するような構成が一瞬で識られ、その次には傷口は完全に塞がっていた。
ブラウスの赤い染みが無かったなら、白昼夢と勘違いしてしまいそうなほど痕跡一つ残っていない。
だが、それが夢では無かったと言わんばかりに――傷へ触れた際指先に付着した血を、握るようにして拳を形作ると。
「これがあるから――長生きって、一生止められそうに無いのよ――!!」
瞬間、彼女はたった一蹴りで瓦礫の山を粉砕し、銃と刃の交錯する舞台へと夜空を舞う。
そして――もう記者は微塵も動揺せず、跳躍の際に生じた衝撃で天高く体を吹き飛ばされていた。
アトリとユキの戦いは、戦いと呼べる様相を見せていなかった。
掲げる銃口の狙いも、轟音と共に放たれる拳銃弾の破壊力も決して甘いものではない。
だが彼女は、自身で言葉に示した通り、銃撃を完全に無力化して緋色の長刀を閃かせてアトリへ迫る。
卓越した技量と、それに相応した相棒――条件で見れば、アトリとユキに差は殆ど無い。
しかし、安定した破壊力と引き換えに、直線的で応用性に欠けた『銃』と。
本人の腕次第で扱いの応用が利き、存分に力を発揮することの出来る『剣』。
アトリが如何に卓越した銃の使い手であっても、弾丸の破壊力を向上させることは出来ないのだ。
また、彼が追い詰められている理由はそれだけでは無かった。
(……動きに無駄が無さ過ぎる……!)
ユキの肉体としての基礎性能が人間とは比べ物にならないことは間違いない。
抑制装置を解除した――それに伴い、反応速度や筋力がさらに向上したのも見れば判る。
だが彼女が先刻と最も異なっていたのは、そんな瑣末な部分ではない。
足運び、太刀筋――僅かな挙動の一つ一つに至るまでの彼女自身の動き。
そこから須く『余分な動き』が排除されてしまっているのだ。
必要最低限の動きだけを用いて行なわれた挙動は、時として機を先んじたものでは無いものも織り交ぜられている。
にも拘らず、悉く紙一重で銃弾は裁かれ、あるいは弾き飛ばされ――放たれる斬撃の一つ一つが、見えていながら『躱せない』。
常に二手先三手先を考慮しながら動くといった戦いの基本を実践するだけの余裕がまるで与えられないのだ。
今の彼は、ただ刃の圏内から必死に逃れ、足止めにさえならぬ弾丸を散発的に見舞うだけ。
それをどうして『戦っている』と呼ぶことが出来るだろうか。
「――攻撃」
「ちぃっ!!」
必ず死へと至る『必殺』の一撃を躱しているのは、ただ研ぎ澄まされた本能的な危機感のみ。
限界まで張り詰めた意識は、自分の代わりに斬り裂かれた街頭の、滑らかな断面の輝きまでしっかりと捉えている。
だがそれでも、刃を振りぬいた彼女に弾丸を叩き込む幾許かの隙を見出せない――動けばそれより三手早く、切っ先がこの心臓を貫くだろう。
歯痒い思いを抱きながらも、文字通り命がけでユキの猛攻を躱し続ける。
綱渡りの様な危うい均衡は、何の唐突も無く突如崩壊した。
徐々に疲労が蓄積したアトリの目の前に飛来する、夜闇切り裂く緋色の流星。
咄嗟に身を捻り、両断こそ免れたものの――彼の背中に、袈裟懸けにして血の華が咲く。
激痛に耐え、それでも跳ね起きて銃口を掲げようとするが、傷は決して浅いものでは無い――歯噛みしたくなるほど反応は『遅い』。
その時にはもう、血の尾を引いた緋剣は釣瓶のように跳ね上がり、首を跳ね飛ばさんと墜ちて。
「ほらほら、慌てちゃ駄目じゃない」
鼓膜を叩いたのは、緊迫した状況に不似合いなほど、穏やかな声音。
白魚の様に細い人差し指と中指が割って入り、血を求める刀身をその合間にしっかりと挟み込むと。
「真打ちは――遅れて登場するのよ?」
声の穏やかさはそのまま――跳ね上がった掌底が、ユキの顎へと炸裂した。
外見より遥かに増加したユキの重量をもろともせず、衝撃は彼女の顎から脳天へと抜け、そのまま優美な放物線を描く。
やがて彼女の体が、家屋の一つを天井から突き破って倒壊させたのを確認し――
「……よし。これで五分五分ね」
達成感を感じさせる笑顔で小さくガッツポーズを取ると、そのままアトリに振り返る。
「ということで、真打ち登場♪ あの子は私が貰うわよ?」
「駄目だと言っても聞かんだろうしな」
トトに答えるアトリの言葉は、いつもの様子と変わらないが――背の傷が深いのか、一向に立ち上がる気配を見せない。
彼を癒そうと瞬時に構成を識り上げるが――直後、背後から高速で飛来した何かに貫かれて崩れ落ちる。
銃弾に迫る速度で投擲されたのは、何の変哲も無い食事用のナイフ――ユキが天井を突き破った家屋の中から。
「波紋崩しも出来るなんて……今時のメイドさんは何処まで多芸になれば気が済むのかしらね、まったく」
何故か嘆かわしいとばかりに肩をすくめると、トトはアトリへ何かを投げ渡す。
受け止めた手にずっしりと重い――もう一対の白の相棒・イシスであると気付いたときには、トトは倒壊した建物へと足を進めていた。
そして彼女を迎え撃つように、長い緋色の鉄棒を携え、感情の欠落した瞳で見つめ返す自動人形。
「ユキちゃんだったかしら? 『自動人形だから』なんて思ったこと、謝っておくわ。
甘く見たおかげで久々に痛い目を見たわ……怪我したのなんて久しぶりよ?」
ざわりと黒髪が脈打ち、不思議な色合いにぬらりと輝く。
浮かべた笑顔は穏やかな、さながら獲物を前にした破壊神の微笑。
「否。謝罪の必要は無い――私が自動人形であることは事実だ。
ただ、任務遂行に当って貴様は排除対象に該当する――ゆえに、排除する」
鉄棒を構え、刃を引き出す青の瞳。
その奥に、幾許かの怒りの粒子があったように見えたのは、果たして何の錯覚か――
「潰してあげる――ドラッグ・スタァ!!」
「――攻撃開始」
箒と刃を手にした二人が、コマ落としのように『消失』した。
吹き飛ばされた場所から剣と銃の音を頼りに、記者は何とか戦いの現場へと辿り着く。
だが、そこで彼が見たものは。
「……何だ、これは……!?」
人間から見れば、神秘に精通したような力を操る魔術師たる彼をして、そうとしか表現できない光景。
誰もいないはずのその場所で、最初に起こったのは周囲の建物の倒壊――そして抉られたように大穴を連続して穿つ地面。
砕けた地面はさらに衝撃で微塵に粉砕され、建物の瓦礫は細切れのように斬り裂かれる。
次々と浮かぶ構成は実を結ぶ前に悉く粉砕され、残滓消えやらぬ前にそれ以上の数の構成が編まれては砕かれ、把握が出来ない。
まるで見えない巨人同士、全力で殴りあっているかのような暴威に大気は悲鳴を上げていた。
自然災害じみた破壊の力の前に、一帯が滅亡の廃墟へと化すまでには数秒を必要としたかしないか。
完全に呆気に取られていた記者の目の前で、一際大きな激突の余波が全身を拳の雨のように叩きつける。
咄嗟に顔を覆いながら、巻き起こった砂礫の中、スクリーンのようにうっすらと月の光に影を映した人物へ――目を、凝らす。
「……なるほど。随分と厄介なものを思いついたわね……貴女のマスターって人は」
そこに立っていたのは、何処から取り出したのか――箒をまるで武器のように逆手に構えたトトの姿。
滑稽であるにも拘らず、その姿が映えて見えるのは彼女だからなのであろうか。
襤褸切れのように切り裂かれた服を纏って、瞳の意思は衰える事無く目の前を見据えていた。
「単なる強度だけなら私を傷つけるのは無理なのに――貴女の刃は私に届く。
それはオリハルコンを『刃』に加工したことで、内部で結合している桁外れの魔力に『斬る』という意味を持たせたから。
単に最強の金属で加工されただけじゃない――その長刀は、斬撃の概念そのものを具現化したようなもの。
『斬る』という意味そのものを結晶化したのと同じだから、私にまで刃が届く。……そういう事でしょ?」
「然り」
若干の沈黙を挟み、彼女の言葉を肯定した声の持ち主もまた姿を表す。
長刀を構えたユキの姿は、トトとそう変わらない酷い有様だったが――
その身に受けた傷はトトよりも酷く、全身にうっすらと青痣のようなものが腫れ上がっていた。
「内包する魔力に形状から『意味』を持たせて、それを具現化する……理屈だけなら魔術と同じ。
ただまあ、斬撃概念の固形化なんて……私が言うのもあれだけど、無茶苦茶が過ぎるわ。
今までの歴史で、それだけの体積の純オリハルコンを加工した事なんて無いから……誰も気付けなかったみたいだけど」
手の中でくるくると回していた箒の先端を、剣の切っ先のようにユキへと向けて。
「それでも――斬撃が当らなければ、自慢の斬れ味も意味を成さないわね」
トトが紡いだ言葉に、勝ち誇った様子は微塵も無かった。
それはいちいち誇示せずとも、先刻の交錯とその結果が言葉よりも明確に彼女の勝利を示しているからだ。
相手が人だったならば、有効な斬撃を一太刀も浴びせられなかった自噴に、ここで歯軋りの一つも漏らしていただろう。
しかし感情の無いユキに、悔しさやプライドは存在しない――故にあっさりと、トトの口にした言葉を認める。
「然り。如何に刃が通じようと当らなければ意味は無い」
だが、トトの言葉を肯定した割に――ユキは刃を下ろすことは無く。
「――追加装甲解脱」
聞きなれぬ単語を口にした時、ユキのエプロンドレスの袖周りと裾周りから、小さな爆発が生じた。
焼き切られるように袖と裾が千切れ、エプロンドレスは半袖にミニスカートのデザインへと変わる。
そして千切れた衣服の端布は、まるで鉛で出来ているかのような重い音を立てて地面へ陥没して。
トトの目前を――青い流星が駆け抜けた。
「――攻撃」
平坦な声が遅れたのは、ユキが怠惰だったためではない。
彼女はいつもと変わらぬタイミングで、行動に先んずる形で口を開き。
その言葉がトトの耳に届くより早く、攻撃終了までの一連の動作を完了してしまっただけの事。
眼を見開いたまま立ち尽くしていたトトの手の中で――箒の柄は真っ二つに折れた。
「当らないのであれば――当たるようにすればいい」
そして、一拍遅れて。
ぱっくりと開いた、彼女の両足――傷口から、まるで噴水のように血が噴出す。
「――っぐ……っ……!?」
「両足の腱を切断した。これで貴様は動くことが出来ない」
力を伝達するための筋肉を断たれてしまっては、いかにトトといえども膝を折らざるを得なかった。
トトに、刃に付着した血を払ってユキは告げる。
「理由は不明だが、貴様の性能は人という概念、魔術師としての限界を遥かに超越している。
それに加えて動きには無駄が無い――本来であれば、私の性能を以ってしても勝率は全くのゼロだ」
そんな彼女を目の前に、刃へ付着した血を振り払ってユキは告げる。
「ただしそれは、貴様が本来の性能を発揮していることが前提となる。
今の貴様は動きや肉体の構成に致命的な『空白』と『欠損』が無数に存在している。
それで何故、あのような動きが可能なのかは不明だが――」
緋色の切っ先を、真っ直ぐにトトへと向けて。
「――今の貴様の性能では、私に敵う要因が無い」
勝ち誇ることも無い声音は、確信を経た勝利を淡々と告げた。
「空間閉鎖開始と同時に、生体放熱ファンを展開」
周辺を覆っていた結界が変化が生じた事を、“0”としての認識能力の高さが知覚する。
単なる人払い程度のものであったはずの結界が、外部干渉の全て――多次元からの干渉さえも無効とするほど強固なものへ変わったのだ。
変化は障壁だけに留まらず、長刀を携えるユキの臀部から伸びた、豊かな毛並みの一本の『尾』。
隆起した髪から生える『耳』と合わせ――双方、イヌ科の動物が持つ耳と尾に非常に酷似していた。
「放熱開始――出力上昇」
その耳と尾が眩い輝きを放つと共に、彼女の白い肌を透かし、骨格部を形成するオリハルコンが発光し始めた。
それは青い光の奔流となって閉鎖空間を直ぐに満たし、一帯の大気が荒れ狂う中。
目も開けられないほどの輝きと突風の中でただ一人――ユキは緋色の刃を鞘へと納め、居合いの形に構えを取る。
この光景によく似たものを、トトは誰よりも知っている。
彼女が“禁忌”を解放する時と、照らし合わせたようによく似ている。
似ているのは、光景だけではない。
「双隻眼の同行者である貴様を――ここで排除する」
少女の小さな手が、柄に添えられた時。
世界からあらゆる『騒雑』が失せた。
暴れ狂う光の奔流も、悲鳴を上げる大気の悲鳴も――今は興味を引き寄せない。
あらゆるものが遮断されていく静寂の中、限界まで緊張を張り詰めたユキの姿に。
トトの脳裏で、最大の警鐘が鳴り響く。
彼女が見舞う一撃は、今までの人生の中で最大の『危機』。
斬撃の概念の結晶体である刀身に、異界の山銅が持つ莫大な魔力を載せて放つ一閃は。
自分という存在でさえ殺すほどの危険を孕んだ、万物を超える『必殺』の一撃。
だが、トトが何らの対抗策を練るより早く。
「――< vermilion tone >」
世界を、朱が駆け抜けた。
アトリはその光景を見た。
抜き放った神速の一太刀が、朱き『斬撃』となって刃を離れたのを。
それは形状も放ち方も、宿を両断した時の『斬撃』と酷似していながら。
その斬れ味は、比較にならないほどの鋭さだと言う事を――本能的に察知していた。
記者はその光景を見た。
その場から立つことも適わない『北の魔女』が、咄嗟に両腕を交錯して『斬撃』を真正面から受けたのを。
まだ知り合って一時間とたっていないが、彼女の本質的な『桁の違い』は恐怖として理解している。
その『斬撃』さえ、彼女ならば食い止められると――直感的に信じていた。
そして二人は見た。
世界を駆けた朱き斬撃は、トトの両腕をいとも容易く切断して。
悲鳴を上げる一瞬さえ無く、胸元から噴出した紅――続いた朱の奔流に体は飲まれて。
アトリの足元に、湿った音を立てて――転がった彼女の左腕。
トトの姿は――無い。
哀哭も怒号もなかった。
全ての行動を優先して大地に立つ。
背中の傷口からの痛みを『痛い』と認識するよりも先に、相棒を跳ね上げて。
「攻撃」
アトリの左肩に喰らいついたのは、緋の光条だった。
銃弾さえ凌駕する速度で投擲されたユキの刀は、肩の骨を易々と貫いて柄の根元まで突き刺さる。
そしてそのまま、左腕を引き千切らん勢いで彼の体を背後へと押し遣り、分厚い煉瓦の壁を粉々に砕く。
建物の奥へと消えた緋の輝きを追う、夜を切り裂いた青い流星――
記者の目に、光の残像でしか残らなかったユキの姿が。
散った髪の一本一本まで、はっきり認識できるほど克明に映ったのはその瞬間。
戸惑う彼の目の前で。
「――攻撃」
時の僅かな推移さえ手に取るように分かるほど引き伸ばされた感覚の中、彼が見たのは奇妙な光景。
自分の左胸に正確に突き立っていた、銀の果刀の冷ややかな輝き。
生死の境と長く付き合った経験が告げる。
これは助からない。
どうあっても、助かる見込みは無い。
――何が、助からない――?
その問いの答えを見つける間もなく。
今まで感じたことの無い衝撃に貫かれ、肋骨の粉砕される感触と共に――記者の意識は断絶した。
壁を破壊して吹き飛ばされた先は、集会を目的として建設された施設の類だった。
充分に立ち回ることの出来るだけの、広い天井と空間を持った部屋――今まで行なってきた室内戦の中でもダントツに戦いやすいだろう。
しかしアトリは俯いたまま、壁にもたれるようにしたままぴくりとも動こうとしなかった。
日干し煉瓦が瓦解するほどの勢いと衝撃が背中の傷を悪化させ、床へと零れる血は今もなお止まらない。
針で縫いとめられた昆虫の標本のように壁に磔になった左腕には感覚がまるで無く、刃を引き抜く力も無く。
朦朧とした意識の中、絶えぬ断続的な痛み――爆発したような激痛へと変わったのはその時だった。
左肩を壁に縫い止めていた刃が抜かれ、支えを失った体が無力に崩れる中。
微かに見上げたところに輝く、血で黒く染まった緋色の刃。
「目標の沈黙を確認」
その平板な声は、加害者とは思えぬほどに事務的な口調。
冷ややかと呼ぶことさえ憚られるほどに感情を見せぬ呟きと共に、自分の臍ほどもない小柄な少女が血塗れた刃を突きつけている。
「既にこの部屋を基点として空間は閉鎖した。結界内に存在する他の目標は全て排除した。貴様には戦闘能力が存在しない」
状況が把握できない。血が足りない。
何を言っているのか、半分以上が聞き取れない。
ただ朦朧とした意識の中で、見えたのは――青ざめた月、冬空に浮かぶ星を思わせるような、熱の見えない青の瞳。
それさえも、彼の意識を覚醒させるには遠く。
だが。
「――“アルフェイル”を、回収する」
体が張り裂けるように、脈が全身を強く打つ。
そして彼は、思い出し――問うた。
「……俺に……戦闘能力が、無い……だと?」
「然り。貴様の肉体の損傷は、既に生命活動に支障を来す段階に差し掛かりつつある」
ユキの言葉は間違いないものだった。
一秒ごとに流れる血の量は多い――傷自体は致命傷では無いが、このままでは失血死は免れないだろう。
だが、まるでそのことに気付いていないような調子で、アトリはさらに言葉を紡ぐ。
「一つ聞く。“これ”の事を、お前は何処まで知っている?」
右腕がゆっくりと、腰に差した長剣――『アルフェイル』と呼ばれた物の柄へと伸びる。
だが、戦闘行為を行なうには――あまりに彼の体は傷つき、今の体制から剣を引き抜くことは不可能である。
全くもって『無駄』なアトリの最後の抵抗に気付きながらも、状況の絶対優位を確保しているユキは正直に答えた。
「回収対象であること以外、私には何も知らされていない。私が知る必要性の無いものだと判断している」
「……そうか」
最早目の前の男に、何かを為す力は無い。
これ以上の問答は無用、作戦時間を無駄に延長するだけに過ぎないと――彼女は判断し。
「ならここで知っていけ。自分が“何”を回収しようとしていたのか」
双隻眼の戯言を無視し――ユキは長刀を振り上げて。
脈動するように、空気が震えた時。
そのまま氷付けになったかのように、指一本として動かない自分自身に気がついた。
「――!?」
表情が欠落した仮面の奥で、僅かに動揺したように目元が震える。
慌てて自己診断プログラムを走らせ、何処に異常が発生したのかを探る――
体が動かない原因は、全身の筋肉の極度なまでの緊張によるもの。
そして、その原因は。
――人を模したことによって演算中枢に生じた、本能的な恐怖だと。
「最初に、俺は言ったはずだな。お前は――壊すと」
有り得ない。
全くもって有り得ない。
何故なら、剣はものを考えない。
剣はものを――恐れなど、しない。
ただ鋭く、目の前の一切を切り裂くだけの道具に過ぎない。
ましてや目前にいるのは、既に戦闘能力を完全に失った瀕死の人間ただ一人である。
だが、現に彼女の体は動かず、瀕死のアトリ一人に対し。
血塗れ、息も絶え絶えの壮絶な姿で笑うアトリに――完全に、気圧されている。
長刀を――自身の半身とも言うべきサクラを手にした腕が、小刻みに震えている。
果たして、これが人間が放つ存在感なのか。
「銃爪を引いたのはお前自身だ。安易に名など口にするから――目覚めてしまった」
そして、アトリの瞳が変わる。
獣を思わせる、猛々しい金燭から。
何にも例えることの出来ない。
――唯、何処までも続く蒼色へと。
「“侵食開始”」



