No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第三十話 limiter



「――うお――ちょ、待、飛ばさ――らあああああああああああっ!?」
ああ、今日は本当によく飛ばされる日だ――などと、絶叫する喉とは対照的に冷静な感想を抱きながら。
風に舞い上げられた枯葉の様に記者の体は吹き飛ばされ、強く地面へ叩きつけられる。
しかし何度も飛ばされたせいで、ある程度非常識の耐性がついたのか――しっかりと受身を取り、起き上がるのも早かった。
「……ってか、もうこれ以上……カメラ壊すわけにいかないしな」
自分の体で包むようにして護ったカメラを大事に抱えながら、記者は爆発の中心へと視線を向ける。
炎は勢い良く空に向って伸び、衝撃で破壊された建物の残骸が炎を纏ってあちこちへ落着する。
彼の真横を勢い良く転がっていった一輪の火の車は、人の形のように崩れて地面へと倒れ伏した。
その炎が人間だったならば、2dcを超える長躯に加え、長い銀の髪は炎に焙られ焦げた異臭を――
「って、アトリさん!?」
爆発の中心部から吹っ飛ばされてきたアトリの全身は炎に包まれ、ぴくりとも動かなかった。
このままでは、双隻眼の伝説は炎の中に消えてしまう――炎を叩き消そうと、記者は慌ててジャンパーを脱ぎ捨て――
「構うな」
炎の中から聞こえた静止の声は、全身が燃えているとは思えないほどの平常心を保っていた。
その事に驚く記者の目の前で、ゆっくりと炎は立ち上がり――その内側から一瞬、強烈な閃光が迸る。
それが衣服に刻まれた付与魔術の紋様であると気づいた時、アトリの全身を包んでいた炎は寒々しい霜へと姿を変えていた。
「さ……寒くないんですか?」
「無論、寒いぞ」
微妙にずれた答えを返し、アトリはすっかり凍て付いてしまった前髪を指先で解していく。
服も体もあちこちが焼け焦げ、あるいは煤けて――透けるような銀髪も熱で溶け、まるで鳥の巣の様になっている。
様々な急所が揃っている顔面だけは、咄嗟に両腕を交錯させて護ったものの、それ以外は傷の無い場所を探す方が難しい。
まるで戦場からほうほうの態で逃げ出した難民を思わせる痛ましい姿だが、あの爆発を至近距離で被ったことを考えればそれも仕方なかった。
五体が焼けた挽肉に吹き飛んでもおかしくない衝撃に、服の付与魔術と鍛えた肉体だけで耐え抜く。
むしろそれは、はっきりと言えば――
「無茶苦茶にも程がある……」
「多少の無茶は承知の上だ」
見事答えになっていない、食い違った応酬。
何処までも規格外れ、無茶苦茶な男――アトリ・イスカ。
しかし最後まで己の意思を折らず、自分を捨てる事も無く。
僅かなチャンスに乾坤一擲の一撃を叩き込んで、狭い未来を抉じ開ける――そんな『双隻眼』の無茶苦茶さは。
幼い日――聞かされるペネトレイター達の活躍にわくわくと胸が高鳴っていたあの頃のように、見ていて何故か心地良かった。

「うわ……折角体流したのに、どろどろになっちゃったわね」
アトリの惨状にそんな感想を漏らしたのは、ずっとこの場にいたかのような自然さで二人の背後に立っていたトト。
「トトさん……今まで何処に?」
「あら。それはトトさん七不思議の一つに抵触することだから、残念ながら答えられないわね……」
「な、七不思議……?」
「そうよ? 私には、良い子にも悪い子にも教えられない秘密がいい感じに沢山詰まっているんだから」
えっへんと、何故か偉そうに胸を張るトト。
当然、良く張った胸も彼女の動きに合わせて柔らかく揺れる。
“いい感じの秘密とやらは、この大きな胸に詰まってるのだろうか”なんて言ったらセクハラ発言だな、などと記者はぼんやりと考――
「あら、顔に似合わずセクハラな」
「って心読まれてるッ!?」
「ふふ、若いわね? でもあんまりおいた・・・が過ぎると、あの子に包み隠さずばらしちゃうわよ?」
「ちょっと思っただけですってば! てか貴女やっぱりあいつ知ってますか!? 一体どなたなんですか本当に!!」
「それはトトさん七不思議の――」
何時までも終わりそうに無い馬鹿げたやりとりは―― 一際大きく響いたくしゃみに断ち切られる。
「……さ……寒そうね、アトリ」
「ああ。だから寒いといっているんだが」
難民の様な姿のままで、アトリは鼻の頭を軽く抑える。
その様子は滑稽だったが、笑い飛ばしてしまえるほど彼の傷は浅いものでは無い。
幾ら彼のブーツに治癒の構成が組まれているとはいえ、これでは焼け石に水だろう。
かといって階位“7”程度の治癒術では、傷を塞ぐだけでも何日を費やさねばならないことか――
「……ねぇ、記者さん。あなた、口は堅いほうかしら?」
突然振られた質問に、記者は軽く面食らった。
唐突に何故そのような事を尋ねるのか興味が湧かないわけではないが、それを追求する局面で無い事は弁えている。
職業柄、秘密は護れる方だ――という彼の答えに、トトは軽く首を振って。
「そうじゃなくて。私が聞きたいのは職業柄じゃない……人としての口の堅さよ。
 秘密にしておいて欲しい事を、お墓の中までしっかり持っていける……それだけの自信はある?」
真正面から向かい合う、黒曜石の瞳。
この果てしなく深い黒の前では、どんな虚偽を並べたとしても――簡単に見透かされるだろう。
そして、この黒の前で偽りを述べることは何よりも許されない事であると確信する。
故に、記者は余計な言葉を紡がず、瞳に映った掛け値なしの自分を見据え――こくんと一つ頷いた。
彼のその返事に、トトは夏の向日葵の様な笑顔を浮かべて――長い黒髪をさらりと流して。

「ん……よし♪ なら今から見ることは、きちんとお墓の中まで持っていってね?」

黒髪が別の生き物のようにぬらりと輝いた瞬間、空気が鉛の重さを以って記者の全身を押さえつけた。
全身の毛穴がこれ以上無いほど開き、噴出した汗が絡みつく様を錯覚するほど、濃密で、重く、冷たい空気。
質量さえ伴う圧倒的な威圧感を放つ目の前の女性は、仕草も声音も何も変わらないのに。
――理解できないほど、自分とは別の存在なのだと――それだけを理解させられた。
「それじゃ、手早く体だけ治しちゃうわね」
涙が零れるほどの存在感を放ちながら、トトはそっとアトリに触れる。
瞬間、一体の空間を席巻したのは理解できない情報の洪水――瞬き一つ為せぬ程の間で、アトリの体は『完治』していた。
「……な……!?」
自身を癒す魔術とは異なり、他者の怪我を癒す魔術は難度が高い部類に入る。
そのため、他人の治癒を得意とする魔術師は、その魔術だけで需要の引く手あまた―― 治癒術だけで一つの『職』として成立するほどだ。
記者自身、荒事と触れ合いの多いこの生き方では生傷が絶えず、そう言った魔術師の『お得意様』の一人となっていた。
だからこそ。
彼女がアトリに施した魔術の『異常さ』がよく判った。
「ふむ……毎度ながら助かるな」
肩にかかった銀髪を払い――アトリは呟く。
服の方は治っていないが、その下の肉体は火傷も擦り傷も完全に塞がり、傷跡さえ残っていなかった。
焼け焦げていた銀髪も、月の光を紡いだような澄んだ輝きを取り戻し――さらさらと風に靡いている。
言葉どおりの『完治』だが、どれほど熟達した魔術師であっても、この短時間で回復を完了させるのは不可能だ。
こんな神がかった魔術が――まるで『魔法』のような魔術が使えるのは。
それこそ、小さい頃に聞かされたおとぎ話に出てきた魔女――
「そう。私がその『北の魔女』。約束した以上は、誰にも言っちゃ駄目よ?」
衝撃に次ぐ衝撃、驚愕に重ねた驚愕で、常識と良識はとうの昔に麻痺している。
唇に指を当て「しー」と呟く彼女の姿に――最早何を言っていいのか、記者の頭では思いつかなかった。
だが心のほうは、意外にもあっさりとその事実を受け入れ、納得している。
むしろ、後世に歴史を紐解けば間違いなく存在を疑われるに違いない『双隻眼』の相方に、彼女ほど相応しい人物がいるだろうか。
僅か十数分で、随分と器の広くなった――と、自分をどこか俯瞰で見ている気分だった。

「に、しても……ずいぶん手を焼いたわね、あの子相手に」
未だに勢いの衰えない炎の中心へと首を振り向け――トトは軽く目を細める。
「そうだな。だが実力相応だ。少なくとも、昼間のあのオズワルドよりよほど歯応えのある相手だった」
「あら、それは残念……だったらちょっと手合わせしてみたかったんだけど。
 加勢しようとしたら、『杖』が髪の毛に引っかかって抜けなかったのよね……枝毛増えちゃいそう、しくしく」
おどけた彼女の仕草に、思わず記者は吹き出して笑った。
威圧感は相変わらずで、胃は素手で締め上げられるようにきりきりと痛んでいる。
本質的な部分から感じる恐怖は、耳を塞ぎ目を瞑ろうとも遮断することは出来そうにない。
だがそれでも、どこか間の抜けたやりとりをするこの二人が悪い人物ではない事。
それもまた、本質的なところから感じる――彼らの『魅力』であり。

ならば受け入れ、笑っていようと――記者は思ったのだ。


燃え盛る炎は一向に消える気配を見せなかった。
あの中心にいた少女の人形は、着弾の衝撃に加え、完全な零距離で榴弾の直撃を被っている。
大型の合成獣でさえ五体を引き裂かれるほどの衝撃と炎熱の中で、完全破壊は免れないだろう。
結局、今回の襲撃が誰によって計画されたものか。
あのユキという人形が、誰の差し金によるものだったのか――何一つとして聞き出せなかった。
しかし大胆不敵にも――これほどの大都市の中心部で襲撃を行ったという行為そのものが、背後組織の巨大さを示している。
となれば、あの人形の背後に立っている『マスター』とやらの正体は、自ずと絞られて――

「…………あ……?」

間抜けな呟きが、記者の口から漏れたのはその時の事だった。
だが、同様に炎を見つめるトトもアトリも――顔に浮かべた表情は、記者のそれと違いは無い。
六つの瞳の全て、が目の前で夜を紅に彩る巨大な炎へと集中する中。

「――彼我の距離算出完了。目標を有効射程内に捕捉」

硝子の様に透き通った、熱の無い青の双眸が――あった。




激しい炎の中では、見えるのはせいぜい僅かに揺らめく黒い影のみ。
だが炎熱の緋の中にあって、まるで熱を感じさせない硝子めいた輝きは見間違えようも無い。
影はゆっくりと炎の中心から、原型を保ったままの姿でこちらへと近づき――
「なら、次は私が楽しませてもらおうかしら――ね!」
ふわりと、黒が広がって。
羽毛の様な軽やかさで、トトは鋭く地を蹴っていた。
それを制止する間もなく、炎の中の影が動く――爆発で半分ほどの長さに折れた石剣を、力を溜める用にして構えて――
「――伏せろ――!!
本能的な間だったが、躊躇っている暇は無かった。
すぐ傍にいた記者の襟首を掴むなり、地面に引きずり倒すようにして頭を下げさせ、アトリ自身もそれに倣う。
彼らが頭を下げた直後、炎の中で影が閃き、一陣の烈風が頭上を掠めるようにして駆け抜けていった。
巨大な剣から放たれた超音速の衝撃波――宿を両断した『斬撃』が、一帯を真一文字に薙ぎ払う。
不吉な颶風となって影との合間を詰めていたトトも、『斬撃』が放たれる直前に高く跳躍して回避。
そのまま振り上げた右腕へと集約するのは、肌で感じ取ることが出来るほどに凝縮された『力』――
「せめて手応え感じられるくらい、踏ん張って受け止めてみなさい――っと!!」
何の手がかりも無い中空で、彼女の体は加速して。
放たれた黒の豪砲が、炎の中の影と――『激突』した。
瞬間、生じた衝撃の余波だけで大気が爆ぜ飛び、炎と熱は一瞬で吹き消される。
だが炎熱に変わって、観客の目を奪うのは暴風が吹き荒れ――地面に喰らいつくように、必死にしがみつくのが精一杯だ。
『着弾』した彼女を中心として周辺は真空状態へ陥り、元に戻ろうとする作用で空気は竜巻の様に荒れ狂う。
それは、拳による打撃という常識を木っ端微塵に打ち砕くような破壊力を秘めた一撃。

だが。
荒れ狂う風の中。
思わず眼を見開いた、トトの目の前――ユキは爆弾の様な彼女の一撃を、しっかりと防ぎ止めていた・・・・・・・

軽々防いだというわけではない。
半ばで折れた刀身の腹を盾のように目前に翳し、背に手を沿えて――しっかりと足を踏ん張って。
それでも拳の衝撃は石剣を粉々に破壊し、剣の柄を握る手は衝撃で人造皮膚と筋肉を削がれ、無残な骨格を晒していた。
高い対衝撃機能を持つエプロンドレスも、荒れ狂う真空の刃に切り刻まれて宙を舞い、靴は最初に立っていたところから1dcは後方に溝を穿っている。

それでも。
彼女の攻撃を、ユキはたったそれだけの被害で、真正面から食い止めて見せたのである。

「――攻撃アタック
護るだけではなく、反撃に打って出る――トトのこめかみを抉る勢いで閃く指先が弧を描いた。
だが如何に戦闘人形といえど、彼女の体に損傷を与えることなど出来るはずが無い。
はずは――無いが。

だとするなら、そもそも最初――トトの一撃を、ユキが受け止められるはずが無いのではなかったのか。

――迷う時間など、最初から無かった。
舌打ちと共に、トトは直感を信じて跳躍――振るわれた指先から後方へ退く。
真正面から打ち合って、彼女が後ろへ退いたのはこれが初めての事である。
だがユキは、栄えある『史上初』を達成したことに対してさえ瞳に熱を灯すことは無く――打ち振るった腕を、ゆっくりと引き戻す。
「肉体及び方式システム各部の損耗・不具合の簡易型確認作業を開始…………双方共に完了クリア
 任務続行に支障無し――ただし目標の戦闘能力が想定値の三十七万倍を突破。作戦内容を再判断する」
淡々と確認作業を同時進行するユキへ、黒い魔女狩りの牙――ネフティスを突きつけるアトリ。
「応えろ。何故――トトの一撃を喰らって平然と立っていられる」
彼女を見据える銀の瞳には、剣の切っ先の様な鋭い光があった。
数年に渡ってトトと動向を共にしているアトリは、『北の魔女』と恐れられた破滅的な戦闘能力を誰よりも知っている。
先刻の一撃は、踏み込みも叩き込んだ拳も全力であるとは言い切れ無いが、決して油断したわけでもない。
合成獣さえ豆腐の様に撃砕するトトの一撃が、自動人形程度に食い止められるはずが無いのだ。

だが、そんなアトリ達に対して――ユキは簡潔に。

「私の骨格部は全て純正の異界の山銅オリハルコンで出来ている――故にこの程度の衝撃は、何ら運用に差し支えない」

彼女の回答は、予想の遥か上を行くものだった。

オリハルコン――『果て』の外より漂着したと言われ、物理的・魔術的な干渉に対して比類ない強度を発揮する金属。
だがオリハルコンの元となった金属はこの世界に存在しないために、絶対量は限られている。
「お前の骨格を全てオリハルコンで作るには……オリハルコンの絶対量そのものが足りんはずだが」
「否。それは単に、オリハルコンに関する情報の一部が秘匿されていたに過ぎない」
ユキは告げて――夜空へと、肘の辺りまで骨格部が剥き出しになってしまった右手を掲げる。
降り注ぐ月の光を浴びて、人の骨を忠実に再現した骨格部は、まるで火が燈ったような輝きを放ち始める。
それは紛れなく、オリハルコンという金属が持っている特徴――だが。
「……放つ輝きが……青い……!?」
宿した輝きは、一概に知られている――太陽の様な鮮やかな緋色では無く。
彼女の髪や瞳と同じ、まるで今の空に浮かぶ月の様に透明な青の輝き。
「二千年前、『果て』の外より漂着した金属塊は一つではなかった・・・・・・・・
 赤色を帯びた金属ともう一つ――青色を帯びた金属の二つが回収され、解析が行なわれた。
 その結果、双方の金属は帯びた色以外には全く同じ特性と強度を持ち、自ら増殖する金属であると判明したが、
 当時の魔術師達は、魔術に対して類を見ない抵抗力を持つこの金属が世界的に流布することで、『魔術』が廃れる可能性を恐れた。
 故に二つの金属塊のうち、絶対量が少なかった赤色を帯びた金属だけを世に公表し、情報操作が行なわれた」
彼女が口にしていることが真実の歴史であるのかどうか、アトリには判断の仕様が無い。
ただ、判っているのは――この少女がトトの拳を真正面から受け止めて見せたのは事実であること。
彼女の一撃に耐えうる物質があるとするなら、それはオリハルコン以外に存在しないであろうということ。
「そして漂着した二つの金属のうち、絶対量の多かった青の金属塊――それが、私の体には使われている」
月の光に晒されていた腕に、変化が生じたのはその時だった。
まだ肉体の残っていた腕の断面から、植物の蔓の様に伸びた繊維状の物質――
それが剥き出しになった骨格部を瞬く間に覆い隠し、その繊維が薄く白い皮へ包まれていく。
「成る程ね……オリハルコンを骨格に使ったのは、さしづめ強度だけじゃなく――再生能力を持たせるためかしら?」
「然り。筋肉や内臓といった生体部分は、合成獣を元とした人造器官を。
 骨格を形成するのは再生する金属オリハルコン――発見された当時『青生生魂アボイタカラ』と刻まれていた異界の山銅だ」
ユキはゆっくりと、小さな掌を開閉してみせた。
爆ぜた腕が再生を完了するまで、数秒と時間はかからなかっただろう。
高い戦闘能力に加え、比類無き骨格の強度と高い再生能力。
絶望的な光景を目の前にして、だが――アトリは微塵も戦意を失った様子は無かった。
「お前の性能はよく判ったが、それで今までの動きが劇的に改善されるわけではない。
 例え骨格がオリハルコン製であっても、生体部分への衝撃は減殺しきれんし――動きはもう把握している」
黒い相棒を、低く――オリハルコンの骨格に遮られずに損害を与えられる腹部を撃ち抜けるよう、構えて。
「何より、剣を失ったお前は決定的に決め手に欠ける――それで倒されるほど、俺は甘くない」
決定的な一言だった。
トトの一撃は確かに無効化されたが、その引き換えにユキの石剣は完全に破壊されている。
先刻の『斬撃』のように、刃の有無に捉われぬ攻撃方法も備えているようだが――それもある程度の長物でなくては再現は出来ない。
全くの振り出しに戻ったようでいて、この『差』は大きいものだった。
だが、少女の姿をした冷徹な人形は――目の前に示された状況の不利に対しても、何の熱も示すことは無く。
「それに関しても問題はない――私は主武装を失っていない」
そう言ってアトリ達の目の前に示したのは、今まで背で隠すように握っていた石剣の残骸。
残骸だと思っていたものが――全く別のものであると気付く。
彼女がその手に握っていたのは、金属で出来た一本の長棒。
表面に石剣の破片が付着している辺り、どうやらあの巨刃の中に内蔵されていたものであるらしい。
「棒術でも始めるつもりか?」
ネフティスを構えるアトリに――油断は一切無かったが。

「――否」

その声だけを残し、首を振ったユキの姿が視界から『消失』したのはその時。
その動きに、全く体が追い付かない。
頭で理解していても、それに伴う体が――遅すぎる――

「――攻撃アタック

静かに響き渡った死の宣告は、トトのすぐ傍らで。
そしてアトリは、一生見ることは無いと思われた光景を目の当たりにする。

棒を携えた繊手が、手首から『消失』する。
網膜に焼きつくのは、絡み合うような青と緋の輝き――さながら、夜を切り裂く流星のように。
ユキのその一撃が、トトを捉えて。


甲高い悲鳴を尾に残し――『北の魔女・・・・は手鞠のように・・・・・・・吹き飛ばされて宙を舞った・・・・・・・・・・・・


「――トトさんっ!!」
近くの建物の壁を粉々に砕き瓦礫の中に埋もれた彼女へ、記者は慌てて駆け寄っていく。
だが、アトリは動かない。
それは、彼女の身を案じていないからではない。

「――双隻眼。貴様は二つの勘違いをしている」

石剣の中に隠されていた金属棒――その中に仕込まれていたのは、見たことも無い形の一本の長刀ブレイド
刺突用の細身剣レイピアなどとは根本的に形の異なる、ぞっとするほど鋭い片刃は、明らかに斬撃を目的としている。

「あの石剣は『鞘』に過ぎない――私にとって『剣』とは、この『サクラ』ただ一刀だ」

アトリが今立っている位置は、ユキの新たな獲物の圏内にぎりぎり収まっていた。
退けば踏み込み、刃は胴を飴のように両断するだろう。
間を詰めれば、容赦ない平突きが心臓を抉り貫く姿が眼に映る。
彼が立つ位置。
それは、正しく生と死の境界線。

「そして、今までの戦闘記録は――我が主の命により、性能を抑制していたに過ぎない」

反り返った刀身を軽く振り払い、付着していた赤い血が宙に散る。
魔術を弾き、銃弾を素手で受け止める『北の魔女』を切り裂くその刃は。
月の光をその身に浴びて――太陽の様に緋の色に輝く。

二千年の昔――世界の『外』より流れ着き、緋緋色金ヒヒイロカネと名の刻まれたもう一対の異界の山銅オリハルコン

「この局面で私の手の内を明かす事は以後の作戦行動に支障を来すため、このまま任務に当るつもりだったが――
 現状の性能では貴様達に対処しきれないと判断した。任務の確実な遂行のため、一部の優先順位を変更する」

澄んだ音を立てて、緋色の鞘へと納刀し――腰の辺りに構える人形。

長剣に於ける戦術思考及び行動の最適化ブレイド・オブ・オプティマイゼーションから長刀に於ける戦術思考及び行動の最適化ブレイド・オブ・オプティマイゼーションへと情報更新。
 第一から第五までの抑制装置リミッター解除カット・オフ方式システム――再起動」

小柄な人形の体から、天を衝く切っ先のように、緋と青の輝きが吹き上がる。
夜空へと星が飛び立つかのような輝きで塗りつぶされた視界の中。


通常仕様ノーマルモードから戦闘仕様コンバットモードへと移行シフト――戦闘開始コンバット・オープン


瞳の奥に――僅かな輝きが見えた様な錯覚だけを残像に。
殺戮人形の姿が、視界から完全に『消失』した。