No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater
双隻眼のアトリ・イスカ

第二十七話 『alfail』

音は無く、空気は凍てついて吸うことも適わない。
そんな錯覚に陥るほどの驚愕に、恐怖さえも吹き飛んでしまったか。
おおよそ現実感を欠いた瞳で、栗色の髪の少女は、白いエプロンへ押し当てられた鋼の塊に目を落とす。
小柄な彼女の手首よりもなお太い銃身の重く冷たい感触は、悪夢より性質が悪く、これが現実なのだと告げていた。
「――お前に与える選択肢は二つだ。一つはこの場で、自分の知っている事を洗いざらい話す」
「な――ちょっ、アトリ・イスカ!? あんた一体何やって――」
「情報の出し惜しみはするな。最悪、お前の頭蓋を破壊してから脳髄とだけ対話することも不可能ではない」
記者の非難じみた声を無視して、アトリが紡ぐ鋼の言葉。
それは狂熱に中てられたものでも、妄痴に浮ついたものでも無く。
彼の相棒のように、揺るぎ無い――生ける伝説と化した凄腕のペネトレイター『双隻眼』の言葉。
「そしてもう一つは、ここでその腸を撒き散らすか。選ぶのはお前だ、好きにするがいい」
人は知識で動かない。命は話術で騙されない。
重要なのは、形ではなく重さ――言葉から滲む、その生き様という名の重み。
今まで数え切れぬほどの生死の境を渡り歩き続けてきた彼は、自分の危険に対して恐ろしく正直に動く。
それが判ってしまったために、凶行とも取れるその行為を止める重さを、新聞記者は持ち得ないでいた。
「ど、どうし……わた、わたし……っ…………?」
絶望的なまでの恐怖が、体を縛る。
最早悲鳴を上げることさえ適わず、半ば呆然と呟く少女に。
「しなかったんでな――お前から」
銀瞳が、真っ直ぐに少女を見下ろして。
「お前からは――ヒトの匂いがしなかった」
恐怖に怯えた少女。
その愛らしい顔に、真っ青な恐怖を貼り付けたまま。
瞬間。
磁器の様に細く白い右腕が――『消失』した。
否。
それは決して消失した訳ではない。
闇夜裂く流星めいた鋭さで、網膜に残像すら残さぬ速さで。
何の予兆も反動も無く――零距離から、アトリの腹部へ向けて繊手を閃めかせたのである。
密着した体勢ということは、相手の動きを極限に抑え込むと同時――自らの動きを非常に抑制する。
銃爪を引き絞るよりも早く、少女の腕が自分の腹を貫くという確信。
彼の2dcという長躯はそのまま、迫り来る死神の鎌めいた一撃を躱すことを困難とする枷へと変わる。
「――ちッ!!」
それでも、瞬発力でも反射神経だけを頼り――身を捻って直撃を避けたことは賞賛に値した。
小さな指先は脇腹の皮を抉るようにして抜け、銃弾めいた速度で抜けた指先は銃撃と異なる激痛をアトリへと齎す。
だがそれを持ち前の精神力だけで完全に圧倒して抑え込み、アトリは不安定な体勢のまま、迷わず銃爪に力を込めた。
鋼の獣の咆哮が、宙に舞った紅い飛沫を震わせる。
だが、その顎が捉えたのは――柔らかい肉と骨ではなく、彼女の纏うエプロンドレスの切れ端。
零距離に銃口を腹部へと押し当てられていながら、少女は人の規格を大きく逸脱した速度で銃撃に反応・跳躍したのである。
この距離で仕留め損ねたことに舌打ちを残しながら、宙を舞う少女へとイシスを跳ね上げ、連続して銃声を重ねていく。
だが、少女は軽業師めいた挙動で地に手を付き、あるいは高く跳躍してその全てを紙一重で躱し――最初に隠れていた路地裏まで後退した。
そこでアトリも銃撃を止め、連続した刹那は相手の読み合いへと移行する。
互いの距離は7dc以上――銃の射程圏内としては何の問題も無いが、相手は零距離から銃弾を躱して見せた程の反応速度の持ち主。
無駄弾をばら撒く愚を避け、如何なる動きにも対応できるように銃だけは握ったまま――アトリは少女を観察する。
彼女の様子は、先刻と一変していた。
「初撃での『双隻眼』の沈静化に失敗。作戦段階を次段階へと移行」
まるで仮面を脱ぎ捨てたかのように、小さな顔からは「感情」が失われていた。
その唇から漏れでた声は、質こそ先刻と変わり無いものの、最早不安定に揺れていた少女の面影はどこにもない。
抑揚の無いその言葉は、胸の内を殺しているのではなく、初めから感情という要因が欠落しているとさえ錯覚する。
「パターン02の容姿及び性格模倣を終了」
首に嵌めていたチョーカーに白い指が触れ――外れると同時、栗色から澄んだ蒼へと色を変えた髪と瞳。
それはさながら、蒼ざめた月の光を紡ぎ、月の欠片を砕いて眼窩へ嵌めたように幻想的で。
そして、現実感を感じさせないほど――その蒼には、熱が無かった。
震えていた膝は今やしっかりと体を支え、破れたエプロンドレスの裾が風に煽られて翻る。
最早その姿は、器は同じでありながら――自らを抱え、不安定に震えていた少女では無かった。
「な……何が、どうなって……!?」
ただ一人状況の急展開についていけなかった記者だが、それは彼の罪では無いだろう。
これでも常人から比べれば、彼は相当頭の回転も心の切り替えも速い。
彼の手落ちではなく、現在の状況がそれだけ常軌を逸脱した展開を迎えているのである。
「つまり――あの子は、演技の達人だったってこと」
記者のすぐ傍で、二人の相対を傍観しながら――トトは状況が把握できていない記者へと、丁寧に答えた。
「宿屋をお豆腐みたいにすぱすぱと切り裂いたのは――あの子だったのよ」
「――何者だ、お前は」
感情の読めぬ銀の瞳が、鋭く彼女を射抜く。
月を背に立つその姿は、さながら硝子を人の形に加工したかのような印象を与える。
その立ち姿は絵になるほど綺麗だったが――それは人の美しさではなく、無機質な透徹さに近しいものがあった。
「ユキ」
少女の答えは短く、斬り落すように素っ気無かった。
そして名乗った次の瞬間、彼女の体が僅かに沈む。
それは彼女が何らかの構えを取ったためではない――彼女の靴が、傍目にも判るほど地面へ減り込んだのである。
そしてその現象を目の当たりにして、アトリの中で一つの予感が確信へ至る。
「やはりな。お前は自動人形か」
「然り」
その返答からは、やはり何の感情も感じられなかった。
自動人形の中でも、戦闘行為を主たる目的に置いた躯体。
特にここ近年の物には、共通してある機能が存在する。
彼らは通常仕様から戦闘仕様へと以降する際、その重量を著しく増加させるのである。
巨躯を誇り、一騎当千の力を発揮する合成獣と比べ、人の姿を忠実に再現した自動人形は決定的にその膂力が劣る。
その問題を解消すべく搭載されたのが『重量増加』機能である。
肉体の重さが上がれば、外部からの力に押し負ける事が無くなる様に。戦闘という観点から見て重さは力と直結する。
鈍重になることで機動性を著しく損なうように思えるかもしれないが、重量が増加すると同時に全身の駆動機が作動。
この駆動機の補助により飛躍的に向上した運動性能のお陰で、人より遥かに敏捷な動きが可能となっているのである。
そしてこの機能によって、自動人形の力は大型の戦闘用合成獣達に対しても引けを取らないほどにまで向上した。
そして少女の靴が地面へと減り込んだのは、彼女の肉体がその重量を著しく増加させたため。
紛れなくそれは、戦闘用の自動人形が持つ特徴に他ならない。
だが。
「自動人形……!? んな馬鹿な、どっからどう見ても人じゃないか!?」
記者が己の目を、耳を疑ったのも無理は無かった。
日進月歩で技術が向上し、その姿が人のそれへと日々似通ってきているとはいえ、やはりまだ自動人形は人には遠い。
直接に触れれば、その感触は一番人に近い姿で作られている性欲処理用の自動人形であっても人とは異なっている。
だがユキの――先刻まで震えていた彼女の肌は『人そのもの』――滑らかで暖かかく、張りとつやがあった。
これほどまで人に酷似した容姿を持った人形は、どの市場にも出回っていない。
いや、出回っていないどころの話では無い――職業上、記者はかつて自動人形の生産工場や開発部を取材したことがあった。
だが、そこで見た市場に出回るのは数年後の『最先端』の自動人形でさえ、彼女と比べれば人には程遠い――
「否――私の体は、人のそれとは異なっている」
アトリを目の前にしたまま、人と微塵一切変わり無い姿をした少女は記者の言葉を打ち消す。
「私を構成する部品は、神経の一本まで人体を忠実に再現している――だがその全てが、我が主によって作り出されたもの」
そして一歩退き、路地の壁から不自然に突き出していた細長い取っ手へと手をかけて。
「私の体は、我が主の『剣』の体現」
次の瞬間、ユキはそこから取っ手を引き抜いた。
その無茶と衝撃で、路地を形成していた建物が轟音を上げて倒壊し―― 一帯に広がる、粉塵と瓦礫の中で。
彼女がその手に握っていたのは、圧倒的な重量感を伴った一本の石剣。
彼女の身長より一回りは長い刀身は、大の男であっても数人がかりでようやく持ち上げられるか否か。
しかし、出鱈目な重量を感じさせるその剣を両手で軽々と扱うとそのまま肩へと構えて。
「この体は、障害を排除し、不安要因を解消し――目の前を斬り開く、一本の『剣』」
その構えに隙はない。
彼女が高い戦闘能力を持つ自動人形であることを認めざるを得なかった。
「我が主――それがお前の裏で糸を引いている奴の事か」
二人の距離は7dc。
彼女の剣で刃は届かず、逆にアトリの銃は彼女に届く。
申し分の無い『戦いの間合い』だが、それは戦闘用の自動人形である彼女にも判り切っている事。
それに彼女には、宿を斜めに両断してのけたあの『斬撃』がある。
あの現象が如何なる手段で引き起こされるかは判らないが、『斬撃』の射程圏内は数十dcはあると見て間違いない。
合間を以って相対する二人は、実の所――互いに必殺の一撃を急所に押し当てて会話しているに等しかった。
「お前のマスターとは何者だ」
「その質問に答える義務は無い」
銃撃にも似た鋭い問いは、斬撃のような容赦の無い一言に弾かれる。
深く感情を悟らせない銀は鋭い輝きを孕み、硝子のように感情の抜け落ちた蒼は警戒にすっと細まった。
弓に張った弦のように、ぴんと張り詰めた緊張。
既に矢は番えられている。
ほんの僅か手を緩めるだけで、死闘の始まりを告げる一矢は解き放たれる――そんな静寂の中。
「――なら、後一つだけお前に問う」
人在らざる存在の――剣の刃に映る思惑を射抜くように、銀の瞳が彼女を貫き。
「襲撃の目的は何だ。俺を殺すことか」
その言葉に。
首は、軽く横に振られる。
六つの瞳が集中する中、少女の姿をした戦闘人形は。
主より申し付けられた、その『目的』を――口にした。
「アルフェイル」
その名。
その響き。
その言葉を認識した瞬間。
どくんと心臓が跳ねる感触。
激しく震える意識。
否――跳ねたのは心臓ではなく。
震えたのは意識ではなく。
――世界が、震えているのか。
一度も聞いたことなど無い。
だというのに、生まれ落ちたその時からこの胸に抱いていたような確信。
その言葉は、肉体の檻を容易く引き裂き。
意識が魂ごと、巨大な力で無理矢理引きずり出される。
そうして空になった肉体が晒されたのは、膨大な『蒼』の流れの中。
次々に空の肉体に詰め込まれる『蒼』に溶け込んでいたのは、人々の記憶。
――孤高の剣士。伝える神剣と甦る神剣。貫かれた正義。愚か者――
そして、絶望の少年。
切り捨てられた『一』によって、保たれるは永劫の環。
永劫に重ねられた記憶は、肉の檻一つには入りきらない。
だから、この器を広げる。
骨を砕き、
肉を開き、
血管を開いて詰め込む。
痛みは無い。
体は無いから痛みは無い。
壊れても開け。
開いて壊せ。
なんて狂喜。
蒼はもう、入りきらない。
溢れ出す蒼に、全てが塗り潰されていく。
自分のカタチがワカラナイ。
『蒼』ノナカニ、ナニモカモガ、トケテ――
「――そこまで」
声が、耳朶を甘やかに刺激する。
目の前に広がったのは『黒』。
脊髄まで凍てつくような『黒』に熱は冷め、開いたものが全て強引に閉じられて――
「……あら?」
記者がはたと我に返ったとき、目の前には額に指を当てたトトの姿があった。
「忘れなさい。貴方の体は、一人のものじゃないんだから」
「は、はあ……?」
めっと小さく呟いて、人差し指に押し返される。
彼女は一体、何のことを言っているのだろうかと思いを巡らせ――
最前まで何をしていたのか、その記憶が全く抜け落ちてしまっていることに気がついた。
覚えているのは、少女が自身の『目的』を口にしようとした直前。
構成を展開し、自分の意識が落ちる最前――何を考えていたのかを、魔術を用いて再現した時。
脳裏一杯に浮かんだのは、誰よりも愛しい人の顔。
「!?」
失った記憶の部分から溢れ出す、そんな彼女への愛しい想い。
普段は決して口にしないし、意識して思い出すことも無いほど甘く恥ずかしい想い出の数々。
初めて手を繋いだ時。心を通わせた日の夕焼け。キスを交わして紡いだ睦言、愛の言葉。
普段は素っ気無くしている分だけ、強く抱きしめると――彼女は本当に嬉しそうな顔で胸元に頬を摺り寄せ、潤んだ瞳で――
(だあああああああっ!? 俺は一体何を考えてるんだこんな時にっ!?)
慌てて頭を振って甘い記憶を追いやるが、高まってしまった胸の鼓動は抑えようも無く。
トトのくすくすと笑う声を耳に、その先まで真っ赤にしたまま――記者は顔を挙げ、アトリ達へと目を向ける。
正直、余計なことに気を裂いている余裕は無い――記者として、危険を冒してでも納めたい『双隻眼』の戦いの記録。
状況は、動いていた。
「お前の目的は――『これ』か」
ガンベルトとホルスターの下に帯びた、決して抜かれない『剣』。
その柄へと手をかけたアトリは、酷く静かだった。
「マスターからの要請は『回収』。だが、双隻眼がこの件に関し、こちらの意に従うとは考え難い」
「それで出した結論が、俺を殺して強奪するということか」
「最も成功確立の高い手段として判断した。既にその許可も下りている」
ユキの言葉には、『双隻眼』へ戦いを仕掛けることの危機感がまるで無かった。
元々、戦闘用に作り出された彼女には――感情という余分な要素は必要の無いものである。
強敵に対して必要とされるのは、恐怖ではなく客観的で論理的な判断。
ゆえに彼女に感情は無く――その蒼の瞳は、ただ情報として一切を捉える。
彼女の目の前で。
腰の剣へと眼を落したまま、『双隻眼』は何も答えようとしなかった。
やがて、言葉の代わりに肩が震え始める――それが何なのか、最初は判らなかったが。
ゆっくりと顔を上げた時。
「……なるほど。そうか、そういうことか」
笑っている。
笑い声は無かったが、傍目から見てもはっきり判るほど。
『双隻眼』は笑い続けて。
「ならばお前に――選択肢は無い」
瞬間。
「お前は――俺が、殺す」
『世界』の全てが変わった。
肺を焼くのは、銀燭に燈る極寒の殺意。
心を貫くのは、金燭に燈る灼熱の狂気。
その双眸の様に対極的な二つの殺気が一帯を席巻し、嵐の様に蹂躙していく。
その双色の瞳は、今まで誰にも見た事が無いほどの激情に、爆発寸前の輝きを宿していた。
「――交渉、決裂。作戦段階を三段階繰り上げ。ペネトレイター『双隻眼』を敵性体へ再認識。
方式を通常仕様から戦闘仕様へ移行――長剣に於ける戦術思考及び行動の最適化、完了」
どれほどの強固な意志を保とうと、感情というものがある限り――今の彼を前に平静は保てない。
だが、元から感情というものが欠落した戦闘人形にとって、目の前の男は任務遂行の障害以外の何者でもなかった。
掲げた銃口は虚ろに少女を映し、浮き上がった切先は真っ直ぐに双つの隻眼を捉える。
そして。
この世の果て、壊れてしまった世界の中で。
「欠片も残さん――ここで、壊れろ」
「敵性体を速やかに排除し、目標を回収する――戦闘開始」
銃と刃が――世界を裂いた。



