No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater
双隻眼のアトリ・イスカ

第二十二話 are you ready?(後編)

読み終わった便箋の束を、白く細い指先がそっと弾く。
その瞬間、灯った火は瞬く間に紙面を舐め、トトの横顔を林檎色に照らす。
彼女の手の中で、便箋が一握の灰へと姿を変えるまで――数秒を要することは無かった。
どんな魔術を用いようとも復元することが不可能なほど、完全に焼却した灰を丁寧に屑籠へと捨てた後。
軽く手を払ってから――トトはサイドテーブルの上に掛けられた分厚いガンベルトを持ち上げる。
三丁の銃が収まった重厚な皮のベルトは、それだけで相当な重量のはずであるが――
トトの手つきは、まるで小さなバッグでも掴むような持つような軽々としたものだ。
膝の上に乗せ、白銀に輝く大型拳銃を無造作に引き抜くなり――物珍しそうにそれを眺め始める。
「……どうした? 銃に興味でもあるのか?」
「それはあるけど……一度、はっきり実物を見ておきたかったのよね。資料だけしか目を通してなかったから」
「それは別に構わんが……壊すなよ?」
「大丈夫よ。その時は時間を巻き戻して直すから」
かなり散々な物言いだが、暴発を防ぐために弾丸はしっかりと抜き取ってある。
それに、こんな性格ではあるがトトは魔術師――それも間違いなく、この世界で最も知識に通暁する魔術師である。
そうそう不用意なことをして壊してしまうような馬鹿な真似はしないと判っているからこその、この応酬であった。
煌々と部屋を照らす白色を帯びた照明の輝きに、鏡のように輝きを返す白銀の銃身。
2dcの巨躯を誇るアトリの掌にぴったりと収まる銃把は――ほっそりしたトトの手には到底収まりきらない。
彼女だからこそまるで小物を扱うように軽々と握ってみせているが、重量自体も片手で持てるような重さではない。
女性が扱うには――いや、他の男性が扱うにしても、彼の銃はあまりに大きく、仰々しいものだった。
「……やっぱり、高そうな玩具にしか見えないのよねぇ……」
「玩具、か」
「あ――も、勿論、アトリの頼れる相棒だって事を損なうつもりで言った意味じゃないのよ?
銃の破壊力と利便性は、私だって目の前でもう何度も見てきてるわけだし――」
慌てて言葉を重ねるトトに――アトリは静かに首を横に振ると、
「いや……気にしたわけじゃない。それにその認識も、別に間違っているとも思わん」
「……そうなの?」
「だからこそ、魔術師は初めて銃と相対した時に、完全に虚を突かれた訳なんだからな」
銃が完成し――初めて、魔術師とペネトレイター達が相対した時。
その手に握られた、小さな金属の塊を見て――魔術師達は皆、失笑を禁じえなかったという。
万能の力を持つ『魔術』に抗うと意気込んで手にしたのが、よりにもよって、子供だましの玩具とは。
やはり人間は、魔術師にとって管理・運営されなければ何一つ為すことの出来ない劣性種でしかない――
その認識が大きく間違ったものであったことを、彼らは自身の命をもって知ることとなるのだが。
「武器として、さほど興味は無い……というところか」
「そうね……『魔術』があるし。それに私、射撃って得意じゃないのよ」
呟いて、銃把を握る手にそっと左手を添え――構える真似をしてみせる。
その姿が今ひとつ様にならないのは、彼女の手に対して銃が大きすぎることもそうだが――
実用性一点重視の『銃』という武器そのものが、彼女の本質に合っていなかった。
だが、それよりもアトリが驚いたのは――
「……お前にも、苦手なものがあったのか」
トトの、尋常ならざる戦闘能力。
それは、肉体自体の能力だけを振り回して戦っていると思われがちだが――実は大きく異なっている。
彼女の強さはそれに重ねて、数々の戦闘のための技術――『技』をその身に刻んでいる点にある。
本来ならば――技術の結晶である『技』とは、力及ばぬ者がその差を埋めるために会得するもの。
しかし彼女は、何処で会得したのか――これだけ圧倒的な力を持ちながら、多くの『技』にも通じている。
それが趣味で会得したものではなく、実践に実践を重ねて己のものにしたことは――見ていればすぐに判った。
どれほど型破りであっても、一流には一流が判るものなのである。
そして『技』に精通しているという事は、そこから辿って様々な事柄に対して応用を利かせることが出来る。
殆ど初見であるような武器や技術を、標準以上の出来で扱ってみせたことも一度や二度ではない。
だから、彼女に苦手なものが存在するなど――側にいたアトリでさえ、今の今まで一度も想像したことが無かった。
と――唇を尖らせながら、トトは先刻のそれをさらに上回る情報の爆弾を放り投げる。
「仕方ないじゃない。お父様が教えてくれたのは、徒手空拳での戦い方だけだったんだから」
お父様。
老化や寿命といった『時間の枷』から解き放たれたような彼女が口にするには。
その言葉は、あまりにも違和感を感じさせるものである。
「その顔は何か失礼なことを考えてない? いくら私でも親くらいはいるわ。
人なんだから、木の股やキャべツ畑から生まれたらおかしいでしょう?」
「別にそこまで考えたわけじゃない。……ただ、冗談の合間から生まれてきたのかと思っていたんでな」
「その言葉の否定はしないわ」
「しないのか」
「だって、私だもの」
「……なるほど」
何故か胸を張り、自信満々に答えるトトも。
うんうんと深く頷き、納得するアトリも。
至って真摯な顔でやりとりしているために、冗談なのか本気なのか今ひとつ判断がつかない。
一部の迷いも酔狂も無く、互いに大真面目にやっているという恐ろしい可能性にはこの際目を瞑る。
例えその可能性が一番高いものだったのだとしても――目を瞑るのが、明日に希望を抱いて生きるために選択すべき行為なのだ。
「それにしても……銃を開発したのって、確か先刻の『南の賢者』なのよね?」
「流石に、独力で実際の形状にまで完成させたわけではないがな。
この独特の概念を思いつき、実現できる段階まで具体的に設計したのが彼である以上――そう言っても、おかしくあるまい」
「ふーん……そうなんだ」
その事実には、世間話以上の興味を抱くことはなかったらしい。
視線は銃から外すことなく、あちこちのパーツを眺め、あるいは魔術を用いて内部機構を透視していたが――
「……魔術は……何処にも使われてないのね、銃って」
「ああ。そうでなくては――人間自身で『銃』を作れなくなってしまうからな」
文字を奪い情報を規制し、管理してきた人間達とは違って。
魔術師達は、その長い歴史の中で――着実に文化を築き、技術を積み重ねて発展させてきた。
そして築き上げてきた技術の中には、魔術に依存しない技術というものも存在していた。
例えば、板ガラスの量産技術や鋼の製造技術。
電気精錬による純金属の精製。
こういった技術は、魔術による何らかの工程を必須とはしていない。
つまり――魔術を持たぬ人間たちであっても扱うことができる技術という事である。
事実、人間と魔術師が対等の存在となった現在において――こういった技術は人間達に解放され、自在に扱うことが出来る様になっている。
「『銃』は――魔術を持たない人間達にとって、互角以上に渡り合うことの出来る唯一の武器だ。
だが、それでも魔術師達の戦い方次第によっては、一丁の銃では力及ばないこともある。
人間達にとって最大の武器は、なんと言っても魔術師を軽く凌駕するその数にあったからな。
その全員が銃を手にすれば、例えどれほどの力を持つ魔術師であったとしても――物量の前に押し潰されるより他にない。
解放運動が長い膠着状態に陥った時の最後の切り札として――人間側でも大量の量産が可能なよう、魔術を使わず設計されたというわけだ」
もっとも、その考えは――同時に危うさも孕んでいる。
銃の量産によりパワーバランスの崩れた人間たちによる、魔術師の『駆逐』と『管理』という可能性である。
幸いにも解放運動は順調に事が運んだために、銃の生産数もその所有者も人間の中のごく一部に限られることとなったが――
それでも、銃の過剰大量生産による社会的な立場逆転の可能性は、完全に消え去ったわけではなかった。
故に魔術師達は、銃の所有をペネトレイター達だけに限定すると同時――銃の製造に関しても、独自に手を打ったのである。
銃の製造が可能な技術師達への、魔術師協会所属の組合参加の義務。
そしてそれ以外の者達による銃の製造・販売の禁止――および製造技術や知識の秘匿を行なったのである。
「……もっとも、そもそも『銃』自体、ペネトレイター以外にとっては無用の長物だ。
需要だけならば喉から手が出るほど存在するだろうが――ペネトレイター以外の銃の所有は重罰だからな。
所有者だけではなく、その銃の製造・販売を行なった銃工屋にまでその罰が適用される以上、違法製造に手を染める者はまずいない。
それに俺達は俺達で、新しい銃――性能のいい銃を求めることに関して、妥協が無い者が多いからな。
相当の価格であっても、それに見合う性能なら金に糸目をつけない連中が揃っている分、正規の少数販売でも利益は充分に出る。
組合の複数設置による互いの競合や、技術者達の趣味人的な可能性の追求といった――心理面を刺激する要因もある。
今のところ――新型の銃器開発に関して、停滞の気配が漂ったことは無い」
普段のアトリからは考えられないほどの長舌ぶりに、トトは軽く眼を見開く。
「へー……詳しいんだ、アトリ」
「まあ……命を預ける相棒だ。自然と興味の一つも沸くさ」
呟くアトリの横顔には、趣味を理解してもらえた時のような嬉しさが、僅かに覗いた様に見えた。
それを見て取ったのか、見つめ返すトトの表情にも自然と微笑が浮かぶ。
「……ということは、この銃も――ひょっとして市販されてるの?」
「いや、俺が今使っている三丁は特注品だ……しかし、何故そこが気になる?」
「だって、アトリの使ってる銃――どう見ても、アトリ以外には使えなさそうじゃない」
トトの言葉に――アトリは素直に頷いた。
彼がその腰に提げている、三丁の銃――白と黒の大型拳銃、そして小型の榴弾投擲砲。
その三丁が三丁とも、彼がその身に培ってきたペネトレイターとしての経験を元にして、特別に作らせたもの。
雇われ業が主流となりつつある今のペネトレイターにしては珍しい、『魔術師を討つ』事に特化した仕様となっている。
白銀の大型拳銃『イシス』。
漆黒の大型拳銃『ネフティス』。
魔術に対して銃が持つ、絶対的な優位――『点』における破壊力。
その究極を目指して作り出されたのが、現存する拳銃の中で最大の口径と破壊力を誇るこの二丁である。
魔術師にとって脅威たるこの二丁が、『偉大なる女魔術師』の姿を持つ女神達と同じ名を冠しているのは――如何なる皮肉なのだろうか。
その色以外、鏡に映したように同じ形をした二丁の特徴は、前述した通り、大型化による圧倒的なまでの破壊力。
それに加えて、未だ回転式拳銃がその大半を占める中――この二丁は自動式拳銃であるという事である。
射撃の反動で遊底を滑らせることで、自動的に薬莢を排出・次弾を装填することによって容易となった連続射撃。
さらに弾倉を利用した装填法は、銃弾を撃ち尽くした後の再装填が劇的に早く――装填可能な弾丸の数が回転式拳銃の比ではない。
銃にとって、弾切れとは致命的なまでの『隙』――弾丸が無ければ、銃はその力を発揮することが出来ない。
動作不良を起こす可能性が高いことを考慮したとしても、その致命的な時間を削ぐ事が可能な点は大きかった。
榴弾投擲砲『セド』。
神話上における戦神より名を拝借したこの銃は――先の二丁とは異なり、銃に架せられた『短所』を補うために存在している。
点での破壊力において魔術を凌駕する『銃』は、逆に広範囲への攻撃には適さず、また魔術ほど多彩な能力を持つわけではない。
『高速で弾丸を発射する』という部分において、銃による攻撃は相手の意表を突くことが出来ず――
そこを掌握することによって銃撃を無効化する魔術師と相対することも、そう珍しいことではなくなってきている。
能力を一点特化した故に、戦術的な応用があまり利かないものと為ってしまっているのである。
それを補うために作り出されたこのセドは、榴弾による広範囲への爆破――それ以外にも、
煙幕による視界封鎖や、催涙ガス・閃光榴弾等の知覚阻害等、装填する弾頭を変えることによって様々な方法での活用が可能となっている。
一見すれば大型拳銃に見間違えるほどの砲身の小型化は、視覚化効果というより――銃と同じ感覚で扱えるようにするため。
その大きさから単発式にせざるを得なかったが、元々連射性を求めて得たものではない。
榴弾による奇襲や、圧倒的火力による力押しの殲滅――または、あのオズワルドに用いた時の様に、銃撃を確実に届かせるための布石。
一発を撃ち込むことで戦況を大きく変えることが、セドに求めた役割である。
三丁が三丁とも、他のペネトレイターの持つ銃とは一線を画した――突出した性能と特徴。
故に、並一般のペネトレイターには到底扱えないほどの癖と反動を持っているため、彼以外に扱うことの出来ない三丁でもある。
だが。
彼の所持している銃達の最大の特徴は、実は今示してみせたものではない――
「……?」
拳銃を眺めていたトトが、ふと眉根を寄せる。
視線を沿わせている中――視界に映った何かが、彼女の意識に訴えをかけてきたのだ。
「んん……?」
鎌首をもたげた小さな疑問に従い、何処に違和感を感じたのかを徹底態に調べ始めるトト。
殆ど無意識なのだろう――彼女の周りで弾けるように波紋が揺らぎ、黒髪がぬらりと輝きを帯びる。
本腰を入れて調べてみれば、その小さな訴えの正体を見つけることに苦労はしなかった。
黒々と、虚ろに開いた銃口の中。
軽く指を弾き、生み出した光で――その中を照らし出す。
その瞬間、光を受けた銃口の内壁が、まるで太陽が放つ赤熱にも似た、緋の輝きで満ち溢れていく――
「アトリ……これってひょっとして――」
「ああ。俺の銃には――『オリハルコン』が使われている」
――それが発見された事を記載した当時の文献は、今から約二千年以上も昔のものである。
南方に広がる、巨大な大塩湖――『果て』の先にまで水平線を延ばすこの大きな湖の沿岸部に漂流した、謎の金属塊。
太陽の光を受けて、まるでその欠片の様に緋色に輝くこの金属塊は――当時の魔術師達によって回収され、その解析が行われた。
そして。
その純金属の塊は、今まで発見されたどの物質よりも『強い』ことが判明した。
物の『強さ』とは、即ちその硬さ――『硬度』だけで表すことは出来ない。
例えば最高の硬度を持つダイヤモンドも、同じ形をした鋼鉄の棒と打ち合えば簡単に『折れる』ように。
『靭性』と呼ばれる、衝撃を吸収する粘り強さの要因も加えて考えなくてはならないのである。
そして、この金属は――靭性はともかく、硬度の面から見ても――存在が確認されているあらゆる物質を凌駕していた。
それだけではない。
情報を備えた事象――すなわち魔術による干渉に対しても、非常に高い抵抗力を示してみせたのである。
アルミニウムやジュラルミンよりも軽量でありながら、ダイヤを軽々と凌駕する『強さ』。
箔状に薄く展開した状態で“3”階位の魔術の一撃を食い止め、銃弾を真正面から受け止めてみせた異常なまでの強度。
それが『異界の山銅』――果ての『外』より流れ着いた金属に当てられた名前である。
「……珍しいな。お前がこと、この分野で驚いているのは」
「だって……今の時勢は知らないけれど、私が知ってる限りでは、オリハルコンなんて物凄く希少価値の高いものだったもの」
「安心しろ。それは今も変わっていない」
解析を進めていくうち、オリハルコンの異常なまでの強度の理由は、
その物質の構造を、ある特殊な形に置き換えたためだと判明した。
そして『魔術』を用い、その構造を他の金属で擬似的に再現することで――
今までには見られなかった不思議な特性を会得した『新たな金属』が、次々と生まれていくこととなる。
だが、その原点たるオリハルコン自身は。
基軸となっている物質そのものが、この世界には存在していない未知のものであった。
そして万能と思われた魔術をもってしても、その物質の生成は不可能だと判明した。
オリハルコンは量産が効かないのである。
ただ、オリハルコンにはもう一つ――他の金属には見られない特異な性質が存在する。
それは破損した箇所を、ひとりでに『修復』する性質。
――つまり。
オリハルコンは『増える』のである。
その量は年単位で計測しても微々たるものであるが――新規に採取することは不可能でも、絶対数が限られているわけではない。
故に、ごくごく微量ではあるが――市場に出回ったオリハルコンというものも存在する。
アトリの銃に使われているものが、正にそれである。
「でも、まさか銃にオリハルコンを使うなんて――」
「随分贅沢だと言われたな。……だが、普通に作っていては、銃の威力に銃身自体が耐え切れん。
それにこのオリハルコンは――別に俺の懐を痛めて手に入れたものでもないんでな」
「……? 貰い物か何かって事?」
トトの、何気ない一言。
だが、それを聞かれたアトリの瞳に―― 一瞬。
燃え尽きた感情の残滓のようなものが過ぎったように見えたのは、彼女の眼の錯覚だったのだろうか?
「…………まあ、そんな所だ。いくら俺でも、真っ当な報酬だけでオリハルコンを手に出来るほど稼いではいないからな」
僅かに歯切れの悪い沈黙の後、返事を返した時には――いつもどおりの彼の様子に戻ってしまっていた。
「それよりも……もう銃への興味は満足したのか?」
「あ――うん。それは勿論」
「なら、こちらに渡してくれ。一通り点検しておきたい」
言われ、トトは軽々とガンベルトをアトリへと放る。
銃自体はホルダーに備えたストッパーのおかげで、放り出されることは無いものの――
かなりの重量と速度をもって宙を飛んだガンベルトを受け止められたのは、アトリであったからに他ならない。
「点検って……確か二時間前にも同じことやってたわよね?」
「癖のようなものだ。やることが無くなったら、とりあえず点検するように心がけている」
「やることが無い……って、その発言はこう、女性として微妙に傷つくところがあったり無かったり」
「別に俺は、どっちでも構わんがな」
その発言が余計に傷つける結果となっているのだが――アトリが自覚しているとも思えない。
トトはほんの僅か苦笑を浮かべるとそのまま、サイドテーブルに置いてあった彼のもう一つの所持品――
立派な鞘に収められ、柄に蒼い宝玉の填まった『剣』へと手を伸ばす。
「そういえばアトリ――これは点検しないの?」
「……したところで意味が無いだろう、そいつは」
「まあ、そうだけど……一応これも、アトリにとっては大事な――」
と。
『剣』を手にして呟くトトも、銃に手をかけたばかりのアトリも。
不自然なまでに、ぴたりと挙動を中止して――そのまま鋭く、視線を横手へ走らせる。
その先にあったのは、この部屋の入り口である――扉。
「……お前の、知り合いか?」
呟くアトリに――トトは静かに首を振って。
「きっと――ルーム・サービスね」
何気ない、その一言と共に。
彼女の足が――翻り。
その足に蹴り飛ばされたベッドが――弾丸の速度で宙を奔った。
重力を知らないような軽やかさで――『重量』という名の爆弾を抱えたベッドは、猛獣の突撃にも等しい猛々しさで空気を砕く。
扉には付与魔術が施されており、例え弾丸であっても貫通することの適わない強度という売り文句であったが――
まるでベニヤ板を剥がすような呆気なさで周囲の壁ごと打ち砕き、そのまま廊下の壁へ激突して轟音を上げる。
衝撃で宿全体が震える中――唐突にしてあまりに非常識なその行動に、驚いた様子も無く。
淡々とアトリは銃把に弾倉を装填し――遊底を、滑らせて。
「それは随分――気の利いた話だ」
響き渡る、轟音。
振り返りもせず銃口を跳ね上げ――横手の壁へ、遠慮なく撃ち込んだ弾丸。
鼓膜を引き裂かんばかりの凶暴な咆哮が、まだ消え去らぬうちに――ゆっくりと砕けた壁の先で。
銃弾に顎から上を綺麗に吹き飛ばされ、壁に張り付いていた男の体は――力を失い、瓦礫と共に崩落し、地面へ叩きつけられる。
「頼む前からやってくるとは、少々サービス過剰だがな」
撃ち殺した男の顛末には目もくれず、そのまま側にひっかけてあった自分の服を掴む。
手馴れた動きで袖を通し、ガンベルトを留めると同時――素早く外へと飛び出す。
これほど非常識な事が起こったというのに、廊下は不気味なほど静寂を保っていた。
同じ階に泊まっている客は、生憎といないためにそれも当然だが――階下にも、パニックの様子がまるでない。
「……襲撃前に避難させたか――」
「全員、もう殺されちゃってるかもしれないわよ?」
アトリの隣で、恐ろしい言葉をさらっと引き継いだトトは――いつの間にか、普段の格好に身を包んでいた。
「昼間の連中に比べて、随分と手際のいい事だ……どうも少し、都合が良すぎるようにも見えるがな」
銃を手にしたまま、廊下の先へと目を凝らす。
まさか、たった二人で襲撃が成功するなどと――甘い考えを持っているわけでもないだろう。
こちらは昼間に、“4”の階位の魔術師を返り討ちにしているのである。
どれほど己の力に自身があろうと、単独襲撃は自殺行為に等しい選択だ。
選ぶとするならば――間違いなく、襲撃するとすれば物量による力押しだ。
だがその選択も、ただ集団自殺を敢行するような物でしかないことに――何故彼らは気付かないのだろうか。
「はい、あなた♪ ――忘れ物よ?」
と――緊迫した雰囲気を瓦解させるような言葉に振り返った時、にっこりと笑ってトトは『剣』を差し出す。
「何だ、その『あなた』というのは」
「知らない? こういう状況ではこうするのが、女性としての礼儀なのよ?」
「そうなのか」
「ええ。友達が言ってたから間違いないわ」
「……友達がいるのか」
「一人くらいはいるわよ。勿論、かぼちゃ畑のかぼちゃじゃないわよ?」
「……人間か?」
「そこはいわゆる企業秘密♪」
「なら俺か?」
「アトリは、アトリよ――私にとって」
「……そうか」
剣を受け取り――帯へと捻じ込む。
続く廊下は二方向――そのどちらからも、荒々しく階段を駆け上がる複数の足音が響いてくる。
自然、互いに背を合わせるようにした――その時。
「やっぱり、アトリと一緒に来て良かった」
背中越し――聞こえたトトの言葉は、嬉しそうに。
「予測できない毎日――こういうのも楽しくって、案外悪くないじゃない?」
命を狙われることさえ――『楽しい』の一言で片付けてしまう。
こんな日常さえ楽しんでしまえる、たった一人の同行者に――見えないところで。
アトリはそっと、口元に微笑を浮かべて――
「なら――ここで暇潰しだ」
金の瞳を輝かせ――不遜で不敵な笑みへと変わった。



