No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第十八話 そして、束の間の休息



トントン――と、控えめなノックの音が響く。
こちらの返答を待つ前に、ドアが開かれ――姿を見せたのは、エプロンドレスに身を包んだ金髪の女性。
表情と仕草に少し硬さを感じるものの、一部の隙もなく制服を着こなし、ぴんと筋の通った背筋。
それでいて物腰丁寧なその様子は、正に使用人・従業員の『鏡』である
「お客様に、お手紙が届いております」
「……届け主は誰だ?」
「魔術師協会様からです」
言われて、手渡された封筒を受け取り――その場ですっと先端を裂く。
中から出てきた、数枚の便箋と小切手のうち――便箋の方へとすっと視線を走らせ、概要を確認して。
「……なるほど。もう下がっていいぞ」
「また何かご用件がありましたら、いつでも呼び鈴の方でお申し付けくださいませ」
微笑と共に丁寧に一礼して、彼女は部屋から退室する。
規則正しい靴音が遠ざかるのを聴覚の隅で捉えながら、改めて手紙を受け取ったその人物――アトリは、便箋の中身を読み返していた。
手紙の内容は、ネフェル=テムを襲撃した魔術師――オズワルド・ウォルターをペネトレイトしたことによる報奨金の支払いと顛末について。
アトリは知らなかったが、彼は『アヴァリス事件』に深く関与した唯一の生き残りとして、協会でもその行方を追っていたらしい。
小切手に刻まれていた金額は、彼が想像していたものよりもずっと多額――これなら、ここ暫く寂しかった懐もなんとかなりそうである。

アトリ達が滞在しているのは、メンフィスでも有数の超一流ホテル――その最上階に設けられた一室だった。
ネフェル=テムと同じ、魔術の技術を流用した建築方法で建てられた全五階建ての建物の内部は「優美」の一言に尽きる。
そして周囲の建物よりも、頭二つは高いこのホテルの最上階からは、夕日に染まる街を一望することが出来る。
それがこのホテルの特色のひとつであり、人気の一つでもあった。
『何とやらは高い所が好き』とはよく言ったものだが、それに限らず、大概の人は高い所が好きなものである。
この街に到着するまで、彼は複数の依頼を請け負い、その依頼を全て同時にこなしていた。
そのために、自然と街から街への移動が多く、まともな宿での寝食というものを望めない環境に置かれていたのだ。
しかしその依頼も全て片付いたのだし、これを機にしっかりとした宿を取ってリフレッシュをしようというトトが提案し、それに乗った。
諸事情により依頼料の大半が消え、少々懐は厳しい状態のアトリだったが――英断して、この宿を取ったのである。
こんなにも高い部屋を、ペネトレイターとして大幅に割り引いてもらっているとはいえ――実費で取ったのは始めてである。
改めて室内を見渡すと、全体的に落ち着いた雰囲気で統一された調度品や、様々な点で見受けられる気配り・細やかなサービスの徹底。
そして何より――使われている自動人形オートマトンの質の高さが、普通の宿とは明らかに一線を画していた。


自動人形オートマトン
一言で言うならば、その名の通り――動く人形・それも主に魔術で動く人形の事を示す。
この言葉が生まれた当初は、ゴーレムのような簡素な作りの存在・また、非人型のものも含めてこの名称が使われていたが、
現在では一般的に、人の骨格とほぼ同じ規格の素体を使用し、かつ人の姿に酷似した人形のみを示して自動人形オートマトンと呼んでいる。
動力には、中心核に付与魔術の技術を流用することで、周囲のマナを魔力へ自動的に変換。
また、彼等にとって頭脳に該当する行動パターンの設定等も、付与魔術における物質への構成付与と同じ仕組みで記録させている。
実質、自動人形オートマトンは付与魔術の技術の結晶と言っても過言ではない。
その種類は用途に応じて多岐に渡り、部屋の清掃等といった雑務の類から、器械的な単調作業のために特化されたもの。
警備・戦闘用に特殊な調整を施したものから――果ては性欲処理用のものまでが存在すると言われている。
人に仕える、人の手から作られたものとして合成獣キメラと対比されることが多いが、その特性の違いはまさしく『質』と『量』。
材料の全てが比較的簡単に入手でき、量産が可能な自動人形オートマトンだが―― 一個一個の性能は合成獣に遠く及ばない。
こと『戦闘』で考えれば、状況に応じて柔軟な対応を行える合成獣と、与えられたパターン以外の行動が取れない自動人形オートマトン
自然、どちらが顧客に求められているものであったかは自明の理であろう。
しかしここ近年の技術の進歩により、擬似的な『思考』と呼べるほどに複雑な行動パターンの記録や素体の強度向上、
量産性の向上なども相まって、戦闘用・非戦闘用に限らず幅広い分野において、自動人形オートマトンの姿をよく見かけるようになった。

実は、先刻の金髪の女性も自動人形――それも、最新型の自動人形である。
昔はそれこそ『動く人形』以上の外見を持ち得なかった彼ら・彼女らだったが、
非戦闘用の自動人形に求められる純粋な技能や技術などは、比較的初期のうちに完成を見てしまっている。
故に――開発者達は最後に残った開拓地・外見面の改修や向上を半ば命題として、日々改善に取り掛かっているのである。
結果として近年の最新型などは、よくよく観察しなければ自動人形だと気付けないほど精巧に作られている。
各関節の節の部分は、服を着れば隠すことが可能であるし、中心核の駆動音も、日進月歩で消音化が進んでいる。
無論、あの金髪の彼女ほどの出来の自動人形は、一般庶民には到底手の届かないような値段を誇る。
だが高級な自動人形を使うというのは宿にとっての一種のステイタスとなっているため、
メンフィスでも高級志向として有名なこのホテルが、自動人形へ費やす資金に糸目をつけることは無かった。


大きく開いた窓からは、沈む夕日に照らされて――メンフィスの街並みが紅に燃える、正に絶景。
ベッドの端に腰掛けるようにして、その光景を眺めていたアトリだったが――不意にその視線を横手へ向ける。
一人で過ごすには、少しばかり広すぎる――贅沢な空間の使い方をした室内で。
その一角に、奇妙なものが映っていた。
見たものを見たままの印象で捉えれば――それはまるで“裂け目”のように見えた。
黒い裂け目が、何も存在しない中空にふわふわと浮かんでいる。
それが一体何なのか皆目検討がつかないというのに、何処か頼りなく揺れる様子は、まるで落ち込んでいるかのよう。
もっと詳しく観察すれば、それは決して裂け目などではなく、宙に浮かんだ髪の一房であることが判ったかもしれない。
「……トト」
アトリの、その言葉に――帰って来る返事は、無かった。




あの瞬間。
炎上するネフェル=テムの店内の中で腕を振り上げた彼女は、一体何を見出したのだろう?
組み伏せられたアトリは、ただ色違いの双眸で――真っ直ぐにトトを見つめるだけ。
言葉も紡がず。
表情を表さず。
ただ、見つめ返すその瞳に―― 一体、何を見出したのだろうか?
炎の燃え上がる音と、互いの呼吸音だけが響く静寂の中。
気がつけばトトは、振り上げていた腕をゆっくりと下ろして。

俯いたまま、ぽつりと。

「…………ごめんなさい」




――それから急いで、アトリ達は炎上するネフェル=テムを後にした。
拡張した空間を元に戻させると同時・結界を解除させ、その反動に耐え切れなかったネフェル=テムが轟音を上げて崩壊する中、
炎と粉塵に紛れるようにして人の眼を掻い潜り、現場から離れたのである。
ペネトレイターである以上、現場にいたからといって身元を問いただされることは皆無だ。
しかし、受ける義務の無い事情聴取などにわざわざ手間と時間を拘束されるのが面倒だった。
その後、何食わぬ顔で事態が沈静化するのを見計らってから魔術師協会の支部に立ち寄り、一件の報告。
結果としてオズワルドをペネトレイトした事を伝え、ホテルへと戻ってきたのだが――
ネフェル=テムを脱出した時からずっと、トトはこんな調子で塞ぎこんでしまっていた。
『別の空間』へと繋がっている不思議な髪の毛の中に、自ら潜り込んでいる――随分と器用な真似である。


呼びかけてから、五分。
相変わらず何の反応も返ってはこない。
それを苦痛に感じるようなアトリではなかったが、視線を彼女の方へと向ければ、相変わらず心細げに揺れる一房。
暫くアトリは、その一房の動きを黙って見つめていたが――やがて軽く息を吐き、腰を上げて。
ふわふわと漂う髪の毛へ、歩み寄っていく。
まるでその様子は、傍から見れば――落ち込んでいる彼女を慰めに立ち上がったかのように見える。
滅多に感情を表さないその面持ちと瞳に、彼がその時浮かべていたものは果たして何だったのだろうか?
あるいは、彼が何を伝えようとしたかを聞くことが出来たなら、その真意を知ることが出来たかもしれない。

だが、その機会は不幸にも――永劫に、訪れることは無かった。

彼が正に声をかけようとした、その瞬間。
ずるりと、髪の毛の中から上半身を起こして――そして。

「……あああああああああーもーっ!! 自・己・嫌・悪ーっ!!」

今までの静寂やら雰囲気やらその他諸々をぶち壊しにするようなトトの叫びが、室内に響き渡ったのだった。

「調子に乗りすぎた……というか、何なのよあれは……ああ、もう!
 あそこまでやんちゃするつもりじゃなかったんだけど……本当に私『弱く』なってるわね。
 あの程度で自分を見失うなんて脆弱の極みだわ……これじゃとても『北の魔女』なんて名乗ってられない……」
『どんより』という言葉が適しそうなほどがっくりと落ち込み、頭を抱えてうんうんと唸り続ける。
「ということは、やっぱりここは二つ名の改定からかしら……。
 『北の魔女・見習い』……待って、何で私自身が北の魔女なのにその二代目みたいな名乗りを上げなきゃいけないの。
 と、するなら……北の魔女、と言う単語は残したまま、もう少し未熟なイメージ……未熟……。つまりは『魔女っ子』かしら。
 『北の魔女っ子・ジェフティ』……語呂がいまいちね。人の心に訴えかけられないわ。私の年齢で『子』っていうのも流石に気が引けるし。
 でも、無理を通して道理を押し倒すのが私のアイデンティティという事を考えれば、ここはやはり強行――」
「とりあえず落ち着け」
「――あら? アトリ……いつからそこに?」
冷たささえ感じさせるアトリの冷静な一言は、彼女の熱暴走し始めた思考を覚ますことに成功した。
きょとんと、可愛らしささえ感じさせる表情で目を瞬かせた後――周囲をぐるりと見渡して、更に軽く驚く。
「いつの間にホテルに戻ってたの?」
「……覚えてないのか、それを」
「あ……うん。あの後、移動してたのはおぼろげに覚えてたけど……ずっと今まで、考え込んでたから」
あっさりとした様子で悪びれずに言ってのけるその姿は、普段の彼女と何ら変わりのないもの。
その姿を見て、立ち尽くしたアトリはどう思ったのかは判らないが――彼は小さく嘆息して再びベッドに座り込む。
「……随分と、元気そうだな」
「元気よ? アトリのほうこそ――私が蹴り飛ばしちゃった所、大丈夫だった?」
「それなら問題無い。お前が治癒したんだろう――この通り、しっかり動くぞ」
「よかった。一つだけ気がかりだったのがそれだったのよね」
心から安心したように、トトは笑顔を浮かべる。
そのまま、自分の胸元へとそっと手を置いて――彼女は軽く目を閉じると、
「だって、後の事は……反省するべきところも改善するべき所も、全て私に委ねられてる。
 そして私には、幸いにも――『次』の機会が与えられてるわけでしょう?
 だったら落ち込むより、次から失敗しないように私は工夫するわ♪」
「……なるほどな」
「あー……でも、アトリを蹴っ飛ばしちゃったのは事実なのよね……やっぱりまだ反省小屋してようかしら」
「いや、気にするな。それが、お前の選択だと俺は思う」
呟くアトリの言葉には、どこか安堵したような響きが僅かに感じられた。
「ふぅ……久しぶりにちょっとはしゃいじゃったわね。先にお風呂、使っていいかしら?
 もうあの子の返り血が手についたままで……匂うし、ちょっと気持ち悪いのよ」
そう言ってトトは、ぐっと髪の毛の淵に手をかけ――水辺から這い上がるような勢いで、体を髪の外へ引きずり出した。
そのまま軽く後ろ髪を払うと、宙に固定されていた髪が途端に力を失い、彼女の背中にはらりと垂れる。
生乾きになった腕の血を少し敬遠するように眺め、その腕が周りの家具に当たらないように気を払いながら、
アトリの脇を通り過ぎて、更衣室へと向かう。

「……あのさ」
だが、更衣室への扉へ手をかけたまま、振り返らずにトトは呟く。
何処か潔ささえ感じさせる普段の彼女にしては、何かを躊躇うように――なかなか次の言葉が出てこなかったが。

「……アトリから、見て……私って。『人』……なのかな?」
「ああ」

殆ど間を置かず返答が帰ってきたことに、思わずコケたトトの頭がごんと鈍い音を立てる。

「そ、即答なの?」
「……何かまずいのか?」
「いや、まずくないとは思うけど……そんなあっさり答えられると、こうなんというか、色々葛藤した私の立場が」
ぶつぶつと呟くトト。
その表情は見えないが、彼女にしては珍しい反応である。
そんな彼女に――アトリはあくまでも、普段と何ら変わりの無い態度で。
「命の種として、お前が人間なのか魔術師なのか――『それ以外』なのか、学者でもない俺には判らん」
「………………」
「……だが、少なくとも。『人』であることがどういう事か、思い悩んでいるうちは……お前は『人』だと俺は思う」
「……そういう……もの?」
「ああ」
アトリは、穏やかに――しかしはっきりと、断言する。
不安定に揺れる彼女を、その場に繋ぎとめるかのように。

「そっか…………うん、そうよね」

振り返った彼女の口元。
そこに――自然と微笑が浮かんでいた。
「アトリ、きちんと覚えてたんだ」
「当たり前だ」
「『当たり前』って言う割には、私の名前は時々忘れてるじゃない?」
「そんな都合の悪いことは忘れてしまったのでどうしようもないぞ」
「即答するあたりが一見潔いように見えて、その態度は実は物凄く駄目な気がするんだけど。しかも目線が思い切り逸れてるし」
「人間関係を円滑に進めるためには――」
「なるほど。……これが応用した場合の事例なのね」

感心したように頷くトトも、明後日の方向を向くアトリも。
何処か、言葉の応酬を楽しんでいるような雰囲気があった。
太陽が沈み、窓から流れる風が心地よく肌を撫で、銀と黒の髪をそっと梳いていく。

ここに、戦いの気配は微塵も感じられなかった。

「……アトリ」
「ん?」

呼びかけに、何気なく顔を上げたアトリの視界に――ふわりと、黒が広がる。

一瞬の、早業。

「……凄く、嬉しかったから。……ありがと」

そっと囁かれた言葉が消えるよりも早く、彼女はついとアトリから離れ――間も無く更衣室への扉が閉じられる。
後に残されたアトリは、茫然と彼女の消えた方を見つめていたが――やがてそっと、唇に触れる。

そこに残る、優しい感触。

やがて浴室から、水音と、鼻歌交じりの幸せそうな吐息が聞こえてくる。


窓から吹きぬける涼やかな風に、その銀髪を揺らしながら。
感情を見せない、アトリの顔が――その時確かに、微笑んでいた。