No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第十六話 北の魔女(後編)



ここまでの一連の動きで、彼女は汗一つ浮かべていなかった。
その表情にも様子にも、まだまだ限界が見える様子は微塵も無い。
いっそ優雅ささえ感じさせる余裕を崩さず、さらりと髪を払ったところで――頭を、下げる。
次の瞬間、彼女の頭のあった空間を正確に貫いた円錐状の穂先が、地面へ触れて――床板を粉々に弾けさせた。
「……わ」
振り返ったそこに立っていたのは――やはり、一体の合成獣。
その姿は甲冑を着込んだ人の姿に見えたが、下半身にあったのは立派な馬の四肢。
そして上半身自体も冷静に観察すれば、人間の倍近い体躯を誇っていることが知れた。
その様子はまるで、巨人と小人――やがて耐え切れなくなったか、馬の足が蹄を上げて襲い掛かった。
それに呼応する様に甲冑は槍を引き戻し、雷光の速度でトトめがけて突き込みを入れる。
その一閃は黒の残影を掠めるに過ぎなかったが、槍の穂先が突き刺さった瞬間――
爆裂したように床が爆ぜるその様子に、目を丸くして驚いた。
「ただの槍じゃない……副肺か何かを利用した、超振動を起こす生体器官ってところかしら?」
その呟きに対し、甲冑を着た合成獣は言葉ではなく、手にした槍で応じた。
溜めなしで横薙ぎに払われた一閃は、一流の武芸者でさえ思わず唸るような見事なものだったが――
穂先がその弧を、描ききらぬうちに。
まるで体重を感じさせない軽やかさでトトは舞い上がり、甲冑の肩の辺りに手を置いて――そっと囁く。
「獲物が大きい分、大振りになるのは仕方ないわね」
まるで春の精霊のような仕草から一転――処刑の大鎌となった足が、その頚椎へと回し蹴りを叩き込んだ。
しかし足に返ってきた感触は、彼女の予想したものとは明らかに異なっている。
破滅的な一撃を見事に裁いたのは、甲冑のもう片方の腕に備えられていた小盾。
これも恐らくは、甲冑の装備に見えて――実際はこの合成獣の皮膚が異常進化し、硬質化したものなのだろう。
だがいかに不安定な体勢とはいえ、トトの蹴撃をしっかりと食い止めたことに軽く眉を跳ね上げる。
そのまま、相手に弾き飛ばされるように振り払われる――その流れに逆らわず、跳躍して地面に降り立った時。
正に歴戦の勇士を思わせる勢いで頭上で槍を旋回させ、合成獣は猛攻を開始した。

突き――薙ぎ、払い、振り上げ、交錯させるように打ち下ろす。
見ているほうが当てられそうな、嵐の猛攻――その全てを紙一重で躱すトト。
彼女の動きも思わず舌を巻くようなものだったが、状況は決して思わしくなかった。
反撃の糸口となるタイミングを見極められないのか、防戦一方なのである。
それも仕方ないと言えば、仕方ないのかもしれないが。
甲冑が持つのは、只の槍ではない――僅かにでも触れれば、その瞬間に粉々に爆ぜる――そんな力を秘めた魔槍。
それを、達人級の技量に――合成獣特有の体力で振り回せば、果たしてどういう事となるのか――
巨槍の旋回する衝撃波に周囲一体が纏めて薙ぎ払われ、切り裂かれた大気の鋭さに彼女のブラウスの端が裂けた。
そして、じりじりと追い立てられていくトトの様子に――残る三体の合成獣たちは、一縷の勝機を見出したらしい。
後退するトトを包囲するように取り囲み―― 一気に、甲冑の合成獣へと加勢する!
「また、随分……大人げ無いわね――!!」
一体は発達した前肢を旋駆させ、空気を砕かん一撃を。
一体は骨格の異常進化した硬質の触手を。
それぞれ容赦なく、トト目掛けて叩き込む。
しかし、一対三という状況になっても――三軸三方から畳み掛けられる猛攻すべて裁くトト。
それでも、少しばかり余裕が無くなったか――流石のトトも眉をしかめた、その時。
偶然振り向いた先にあった、巨大な顎。
最後に残った合成獣の、腹部――大きく開いた顎の奥に揺らめく、紅の輝き。

彼女が、何かの反応を示す前に――高熱の炎が彼女を飲み込む。

魔力の蒸散分で、この類の攻撃が彼女には微塵も通じないことは判っている。
――本命は、炎ではない。
炎と熱、歪められた大気によって、どうしても一瞬遮られる視界。
それこそが、本当の狙いだった。

豪爪――触手、そして大槍の一閃が炎の中の影を刺し貫く。
確かに返ってきた手ごたえには、何かにその一撃を遮られるような気配は無かった。

――だが。

「――なるほど。何百年もたてば、さすがにここまで進化するのね……」
あいも変わらず、どこか状況に新鮮な驚きをもち続けたその声に、合成獣たちが受けた衝撃はいかなるものだったのだろうか?
手ごたえははっきりと、感じているのだ――事実甲冑の持つ槍など、半分辺りまでしっかりと炎の中に突き立っている。
仮に彼女が精密化リファインであり、この状態で生きていたとしても、彼女がこんな明瞭な言葉を吐くことなど不可能なはず――
人とは違う思考回路を持つ合成獣達であっても――その瞳の奥に、訝しげな輝きが宿ることは否めなかった。
「――正直、少しみくびってたのかもね」

炎が、吹き散らされる。
そして、そこにあった光景に――合成獣達の瞳が、見開かれた。
「私じゃなかったら死んでるわね――これって」
どこか他人事のようにあっさりと呟く、トトの黒髪が『伸びて』いる。
先刻まででも、腰に届くほどの黒髪は、女性としては十分に長いものだが――
今では彼女を中心として、周囲数dcを包み込むような長さにまで伸びている。
吹き上がる魔力に煽られて宙に蠢く様は、まるで別の生き物か何かのような不気味さを感じさせた。

――否。
浮かんでいるのでは、無い。

髪自身が・・・・、まるで生あるものが如く蠢いている・・・・・

そして、甲冑の持つ槍の穂先は、その黒髪の中に呑み込まれていた・・・・・・・・
決して、貫いているのではない――呑み込まれているのだ。
何故ならば、深く突き刺さった槍の穂は、どう考えても包む髪の毛を貫き、その下にいるトトを貫通しているはずである。
にも拘らず、髪の毛に捉われ、吸い込まれるように呑まれた槍の穂先は、まるで底見えぬ穴に落ち込んだように――先が、出ない――
他の合成獣の豪爪、そして触手も、甲冑の持つ槍と概ね似たような状況だった。
彼女を包むように伸びたその黒髪に、その全てが呑み込まれている。
しかもいかなる力が働いているのか、どれほどの力を込めても、髪の中から引き抜くことが適わない――

だがその現象さえ、次に起こった光景に比べれば易しいものだったかもしれない。

トトの髪の毛から――勢い良く何かが吐き出される・・・・・・
まるで大河の濁流さえ思わせる勢いと規模で飛び出したそれの正体が、最初は何か判らなかった。
髪の毛の中から、最後の合成獣――あの炎を吐き出した合成獣の元へ一直線に進み。
その巨体を軽々と「持ち上げた」瞬間、それが肩先まで這い出した、何かの『腕』だと判った。
まるで蝙蝠の肢を思わせる、細く禍々しい腕。
それは――合成獣たちを一掴みに出来るほどに、大きい・・・
もし腕だけでこの大きさなのだとすれば、これを持つ生物の大きさはどんなものになるか。
想像するだけで、身震いが起きそうな光景。
そんなものが人の――しかも髪の中から唐突に現れたのだ。

まともな光景ではなかった。

動物的な本能の警告に、炎を吐きつけた最後の合成獣は倣った。
握り締める腕から逃げようと、全力で抵抗して足掻くが――腕はその程度ではびくともしない。
まるで駄々をこねる子供を力づくで引っ張る親のような、圧倒的な力の差。
そして腕は、現れた時と同じ勢いで髪の中へと戻り――合成獣も、彼女の髪の中へと吸い込まれた。
肉が潰れる音。
骨の砕ける音。
そして、断末魔の咆哮が一度響いて――あとには、静寂。
全ての色を混ぜ込んだような黒髪が、ただ不気味に揺らめくのみ。


合成獣達は。
ようやく、彼女の正体を理解した。
彼女は、魔術師でも。
人間でも――合成獣などでもない。

――『化け物』
彼女は『化け物』なのだと、ようやく気づいた時。

渇いた音を立て、髪に呑まれた合成獣の武器達が――全て半ばで折れ砕ける。

「どうしたの? ――まだ、終わりじゃないんだけど」
蠢く黒髪は今や彼女を中心として、闇が蟠ったような様相を見せている。
そしてその中で微笑を浮かべ――トトが、その手を掲げた。

そう。
まだ、もう一つ――合成獣達が、失念していたことがあった。

ここまで、圧倒的な戦闘能力を見せた――彼女は、まだ。

「せめて、見せ場の一つくらい――作らせてくれてもいいんじゃないのかしら?」

『魔術』を、行使していないのだ――


「――『ジェフティ』」


紡がれる、圧縮された詠唱と共に。
圧倒的な構成が紐解かれ――世界の隅々まで響き渡った。




死闘を繰り広げる合成獣達を尻目に、オズワルドはほうほうの態で逃げ去っていた。
元々、合成獣たちがあの『北の魔女』に一矢報いることができるなどとは思っていない。
魔術師として悔しい話だが、彼等の研究していたその究極系さえも「時間稼ぎ」にしかならないことを。
直感だが、はっきりと感じ取っていた。
左腕は既に治癒しているが、端整な顔を引きつらせたオズワルドの様子はお世辞にも健康的だとはいえない。
彼はただ、心を締め上げるような恐怖から逃れるため、ひたすら――この空間の『果て』を探していた。
どこか一つでも、結界に直接触れられる場所さえあれば――解除することは、自分にとってはそう難しいことではない。
走って、走って、走り続け――時折縺れた足に掬われ、無様に転倒しながらも、まだ走り続けて。
一つの構成を、識る。
その構成自体は、初歩中の初歩の難度。
しかし恐怖と動揺の極みに、こんなものでさえ、識り上げることに一苦労を要した。
それでも運命の神というのは、彼をまだ見捨てなかったらしい――長い時間をかけようやく完成した構成の存在に、ほっと浮かぶ安堵。

彼が紡いだ構成は、自らを遠方へと転移させる構成。
魔術において、自らを癒す構成と並び及んで初歩中の初歩とされる簡単な構成。
空間への干渉の魔術の中では唯一、非常に楽な魔術――そして魔術師の『脚』となる構成でもある。
他人を飛ばすことは非常に難しいが、自身を跳躍させる魔術は非常に簡単で、展開速度も速い。
この転移の魔術のおかげで、魔術師達は自身の靴で外を歩くという事を殆どしなくなっていた。

これさえあれば、例えどれほどの距離が離れていようと、この空間の『果て』へとたどり着ける。
そうすれば、あの北の魔女から、逃げ出すことも出来るかもしれない――
魔術師に生まれ――『魔術』を扱えることが、こんなにも嬉しいと思ったことは無いかもしれない。
その感動にいつまでも浸っていたかったが、生憎そんな真似をしている余裕は殆ど無い。
「覚えていろ、北の魔女――いつか必ず、双隻眼纏めて歴史の彼方へ葬り去ってくれる!!」
オズワルドは、ようやく取り戻した余裕を確かめるかのように言葉を紡ぎ――構成を、展開した。

足元が宙を離れ、周囲から急速に景色が失われていく。
実際には、転移を行なう時間は一瞬にも満たない――景色の失われる様など認識できはずが無いのだが、
この時のオズワルドには確かに、自身をここから救い出してくれる構成が体を包み込む様子を――認識していた。

そして、次に彼の目の前に広がったのは。
ネフェル=テムの果てを告げる、頼りがいのある巨大な壁――

では、なく。

そこにあったのは、先刻と何も変わらない――四方を、遥か彼方の地平線に囲まれた世界。
「……少し考えれば、自ずと判ることだと思ったんだけど……買い被りすぎたかしら」
「――!?」
後ろからかけられた声。
心臓が口から飛び出るかと思うほどの衝撃に、オズワルドは振り返る。
そこにいたのは、相変わらずどこか涼しげな様子を崩さない、長い黒髪の美貌。
「この世界には、貴方の作った結界は無いわ。
 空間三軸を無限に広げるために、結界の境界面を逆に利用して収束させてループさせたから。
 もし、この世界から出たいのなら――収束させた結界の集まる所」
蠢く黒髪を纏い、瞳に恐慌のオズワルドを映して。
「つまり――私の中に触れでもしないと、解除することは出来ないってことね」
「あ――あ、ああ……ああああ……!?」
声帯が壊れたような、声にならない悲鳴を上げるオズワルド。
彼の視線は――彼を見下ろす黒い瞳へ向けられているのでは、ない。
彼女の上。
先刻と何も変わらない様子の彼女が、唯一違う――両腕で抱え上げる、一体の合成獣の存在――
「折角貰ったのはいいけど、私にはいらない―― 一緒に遊ぶことも出来ないんだもの、この子」
抱え上げていたのは、あの甲冑の合成獣。
しかしその姿から、既に生気は感じられなかった。
「だから――貴方に『返す』わね?」
『返す』――それは果たして、どういう意味なのだろうか?
オズワルドの脳裏に閃く疑問符に、トトは直接的な回答を避けた。
代わりに彼女がやってみせたのは、合成獣を支えた両腕に力を込め始め――相手を『折』り初めた。
次の瞬間、嫌な音を立てて甲冑の背骨が折れ、半身が不自然なほどくの字を描く。
ますます力を込めていくたび、肉と骨の破砕される音が連続し、腕の中でどんどんと合成獣が小さくなる――
その光景のあまりの非現実的な様子に、驚きも忘れて呆気に取られる。
不思議と、圧縮される合成獣からは一滴の血も零れない。
そして5dcを超えるその体躯が、今では手鞠程度の大きさにまで圧縮されている。
ただ力を込めているだけではないことは、明白だった。
やがて軽く息を吐き――気合を入れて、ぱちんと両手を合わせる。
奇妙な手品のように――手の中の合成獣は、最初の頃の結晶と同じぐらいの大きさにまで縮まっていた。

それを、呆然とした表情のままのオズワルドへ放り投げる。
圧縮された塊は、最初にオズワルドがやってみせたように――彼の足元で床と接触して。

瞬間、塊が膨張し――爆発するような勢いで、粉砕された合成獣の破片が辺りへと撒き散らされた。

「結果が変わらないなら――行動は、最適化したほうがいい」

バケツを目の前でひっくり返されたように、全身に合成獣の血を被る。
漂う濃密な異臭と、まだ生暖かい肉の感触。
網のような毛細血管が――彼の鼻の頭に張り付いて動き続ける、その様子に。


「――言ったとおりだったでしょう?」


地平の果てまで響き渡るような、絶叫が――重なった。