No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第十四話 ジェフティ



オズワルドは、唐突に理解した。
サブア”だろうが何だろうが、関係ない。
目の前にいるのは、恐怖。
こちらの常識と理屈がことごとく通用しない、恐怖の具現。
今すぐ消さなければいけない。
今すぐ、目の前から、記憶から、自分の人生から、『抹消』しなければ。
自分が完全に『狂って』しまう――

錯乱したオズワルドの周囲にありったけ識られていく、思いつく限りの破壊の構成。

しかし――その構成が展開され、牙を剥くよりも早く。
オズワルドの脇腹を貫く、衝撃――狂った独楽のように廻転しながら、横合いの柱に『着弾』する。
しかし、今の瞬間に一体何が起こったのかが、オズワルドには理解出来ない。
折れた鼻骨の痛みと痺れ、血臭の不快な香りに奥歯を噛み締めながら――吹き飛ばされた事を理解し。
それが間違いなく、あの女――トトの仕業である事を確信し、視線をそちらへと向ける。
スカートの中が見えないぎりぎりの高さまで足を跳ね上げ、立ち尽くすトト。
――空いたその手が、何かを掴み取っている。
最初はあの三角帽子かと思っていたが、それはしっかりと頭の上に鎮座したままだ。
大きいものだが、瓦礫にしては細長い――やがて粉塵が晴れ、彼女の掴んでいたものの正体に気がついた時。
「あ……あああ、ああああああッ!?」
蛇口の栓が壊れたように溢れ出す鮮血を、残った方の・・・・・腕で抑えながら叫ぶオズワルド。

トトが掴み取っていたのは、肩口からもぎ取った、オズワルドの――腕――

「何を今さら叫んでるのよ。 精密化リファインなら――それぐらいの外傷で死にはしないでしょう」
どこか他人事のように――しかし驚くほど冷たさを感じさせる口ぶりで、トトは言葉を投げかける。
それきり、彼自身には興味を失ったと言わんばかりに、視線をもぎ取った腕の方へと落とした。
引き千切られた切断面から、雑巾のように血を垂らした彼の腕――しかしトトの感心は、そこにはない。
彼女の目線の先にあるのは、炎の照り返しに鈍く輝きを返す、掌に埋め込まれた金属のレリーフ――
「……貴様ッ……! 貴様が例え、その至宝アーティファクトを抉り取ったとしても……。
 主と認められたのが、私であることに……変わりは、無いぞ……!!」

至宝アーティファクトは、付与魔術の一種でありながら――それを扱う『主』を選ぶ、不思議な特性を持つ道具である。
しかし一つの至宝アーティファクトに認められたからといって、他の至宝アーティファクトに同様に認められ、使えるようになるとは限らない。
何故なら至宝アーティファクトが人に要求する『才能』は、それぞれの至宝アーティファクトによって異なっているためであり――
例え、今の状況のように肉体から無理やり引き離したとしても、至宝アーティファクトは必ず主と定めた者の元へと戻る。
オズワルドが、まだ普通の魔術師であれば――腕をもいだことによる肉体的な損傷に意味を見出せたかもしれないが。
彼が精密化リファインであることを考えれば、彼女の起こした行動は全くの無駄でしかない――

しかしトトは、まるでそんなことは意に介さずと言わんばかりに、埋め込まれた至宝アーティファクトを黙って見つめていたが――やがて。
「……なるほど。『火』の魔術とは違うのね」
「――!?」
「熱はあくまで、副次的なもの……本来の力は『収束』と『拡散』。
 『蟲』の魔術、か……だとすると、本当に強力な力だったって事ね……」
トトの呟いている言葉が真実かどうかは――オズワルドの顔色の変わりようを見れば一目瞭然だ。
……しかし――
「馬鹿な――何故だ!? 何故その至宝アーティファクトの性質が貴様に“理解出来る”!?」
彼の至宝アーティファクトに込められていたのは、存在を示唆されていながら――堆積する歴史の層の中に埋もれ、失われた構成。
オズワルドでさえ、この構成がその遺失したものであると理解したのは、至宝アーティファクトに認められた後のことであったというのに。
何故、この女魔術師が、一見した程度でそんなことをすらすらと口に出来るのか――
「判るに決まってるじゃない。元々、これは私のものだった・・・・・・・んだから」
「……なに……?」
トトの答えは、オズワルドの予想の範疇を大きく上回るもので――咄嗟には、その真意が理解できない。
しかし彼女はその事への説明はせず、掌に埋め込まれたレリーフにそっと指を当てて。

「返してもらうわ――私の『知識メジャト』を」

トトの口が薄く開き――ぼそぼそと何事か、呟き始める。
しかし口元は動いているにも拘らず、彼女の声が一切耳に届いてこない。
人間であるなら、まだしも――通常より身体機能を大幅に増強した精密化リファインであるオズワルドの耳に聞こえないのは異常だ。
それを疑問に感じた、次の瞬間――


世界が、震えた。


重い唸りを上げ、まるで空間そのものが振動しているかのような『響き』が一切を支配する。
腹腔を直接握られ、揺さぶられているような不快感に歯を噛み締めて耐える、オズワルドの視界の先。
恐らくは、この現象を起こしてる元凶――トトを中心として。
彼の想像を絶する光景が、またしても展開される。
トトが指を押し当てている、もぎ取られた彼の腕――その掌に埋まった至宝アーティファクトから、輝きの破片が一面に放たれたのである。
幾十、幾百を超える輝きは、さながら噴水を思わせる勢いで次々に至宝アーティファクトの中から溢れ出し。
図形とも文字ともつかない不思議な形状のそれらが、『響き』に呼応する様に輝きを増し、トトの周囲を回り始めた時。

謎が―― 一本の直線で、繋がり始めた。

「多重、情報構築言語……まさか…………ヒエログリフを『音読』しているというのか!?」


魔術師達が使う力、魔術。
この力の顕現が最初に確認されたのは、今から五千年以上も昔のことだと言われている。
しかし五千年前の当時から今現在まで、魔術師たちの文明がずっと発展のみを繰り返して来たわけではない。
今現在の魔術師達が扱う魔術の知識や技術は、五千年前から直接継承されたものではなく――
一度栄華を極め、そして衰退したとされる古代魔術文明の跡に、もう一度構築されていったものなのである。
そのために、五千年前からずっと継承された魔術があり、五千年前には無かった魔術も存在するその一方で、
現在では完全に遺失してしまった知識や技術というものもやはり存在する。
『ヒエログリフ』もまた、そんな遺失してしまった知識の一つ――別名『構成文字』とも呼ばれる、特殊な文字である。
付与魔術において、物質に構成を『刻む』際、大本の魔術の情報を最も効率的に刻めるように最適化された文字であり、
これを使用して刻まれた付与魔術は、千年以上の年月に晒されてもその効力が衰えること無く機能し続けている。
しかし――現代においては完全に失われてしまった文字達であり、解読も殆どが難航――ないし『不可能』とされている。
それはヒエログリフが文字でありながら、多大に魔術的な感覚に頼った法則性を持つが故に、視覚・聴覚といった概念では完全に把握できず、
また、情報の固着に最適化されたヒエログリフは、『多重情報構築』――すなわち一つの文字が保有する『情報』が数百から数万を超えるため、
その文字が持つ意味の全容を把握することが、完全に遺失してしまった現代では極めて難解だからである。

そして、至宝アーティファクトが通常では考えられないほど高度な魔術を付与魔術とすることが出来るのは、
付与魔術の固着に――このヒエログリフが桁外れな数で使われているためである。
至宝アーティファクト一つに対し、刻まれたヒエログリフの数たるや数万文字以上。
しかも無造作に刻まれているわけではなく、完全にその特性を理解した上で、緻密にその情報を組み合わせて構成されている。
ヒエログリフが遺失したのは、今より千年以上も昔――従って二百年前に、そんな道具の作成が可能であるはずが無く、
過剰技術力オーバーテクノロジーの塊であるこの至宝アーティファクトが何処で、誰の手によって作られたのか――様々な説が飛び交った。
中には『神の手によって作られた』『伝説の魔術師の知識を物質に具現化した』等といったオカルティックな話さえ現れた始末である。

そして、至宝アーティファクトに求められる『才能』とは――刻まれたヒエログリフに込められた意味をどこまで『理解』出来るか。
ヒエログリフが魔術的な概念で捉える文字ということもあり、解読には魔術師としての実力も問われるが――
あまりにその意味が難解すぎるために、現代の魔術学で後天的に学んだこと程度では到底ヒエログリフを理解することは適わない。
結果として、先天的な感覚によって捉えるより他に無く、概ね30文字以上を理解できれば、至宝アーティファクトの主として認められるとされている。


しかし。


トトによって分解され、中空に展開されたヒエログリフの数は――数百や数千どころの騒ぎではない。
さながら蝶の大群が舞い交うように光り輝き、トトの姿を白と黒のコントラストで染め上げていく。
もし、この溢れ出したヒエログリフ全て――理解しているのだとすれば。
最早常識・非常識と言ったレベルではない。
しかし。
その次に展開された光景は、今までオズワルドの頼って来た常識の柱を、今度こそ粉々に粉砕してしまった。
溢れ出したヒエログリフ達が――トトの長い黒髪へ、吸い寄せられる様に呑み込まれていく。
しかも、闇よりも黒いその髪が、無理やり光の蝶を呑み込んでいるというより――ヒエログリフ達が自ら、彼女に吸い寄せられるように。
天から注いだ雨が、やがて一つ所の湖へと集約していくかのような自然さで、次々に黒髪の中へと吸い込まれていく。
至宝アーティファクトを、呑み込んでいく――

やがて、最後の一文字が呑み込まれ、光の奔流が消滅する。
今まで気圧され、存在さえ忘れられていた炎達が、ようやく支配を取り戻す中で。
自分自身の何処かが、ぷつんと――途切れる感覚。
先刻まで感じていた至宝アーティファクトとの繋がりが、今は何も感じない。
それがどういう事を示すのか。
今度は如何なる現実を、自分の目の前に突きつけるというのか。

悪夢ならば、覚めて欲しいと心より願った。

――だが。

「……ん。思ったとおり――本当に強力だったみたいね、この力」
類稀なる美貌を持つ黒髪の女魔術師が、ぱちんと軽く指を弾く。
そこに収集する、微細なる構成の集まり――それはつい先刻まで、彼が持っていた至宝アーティファクトの力。

悪夢よりなお、救いの無い――現実。

「貴様は……貴様は一体何なんだ!! 何だと言うのだ――貴様はッ!?」
三階位も上位に位置する相手の魔術を、蒸散分のみで消滅させ。
至宝アーティファクトの力を、やすやすと素手で受け止め。
ヒエログリフを完全に理解し、至宝アーティファクトを吸収し――己の力として、自在に行使してみせる。
オズワルドの、絶叫のような悲鳴が――結界内で空しく響いた。
「私? 私は私……それ以外の何者でもない」
謎掛けのような言葉を口にして――被っていた帽子を僅かに直す。
「……聞いたことは無いかしら。至宝アーティファクトがどの様にして生まれたかという、話」
オズワルドの脳裏に過ぎった、一つの噂。
だがそれを、オズワルドは全身全霊をもって否定する。
「馬鹿な!? あれは子供をしつけるために作られた、ただのおとぎ話――!!」
「おとぎ話か、現実か。今此処にある答えを受け入れられないのは……貴方の都合よね」
優雅な動作で、帽子を脱いだ時――トトから感じていた彼女の『情報』が、一気に変質した。

「私の名前はトト。私にとって、大切な人や……親しい友は、この名前で私を呼ぶ」

サブア”。
彼女の、階位。
先刻まで、確かに彼女から感じた階位の情報は“サブア”であったというのに。

今は違う。全く、違う。

「けれど、貴方にはこの名前を呼ばせはない」

そっと掲げた手の上に浮かぶ―― 一つの構成。
魔術師達が己を名乗るために使う、最も初歩的な構成。

それを、オズワルドは理解出来ない・・・・・・

ワーヒド”さえも凌駕する、構成の情報密度。
理解することさえ適わない程の――圧倒的な『差』。
そして、彼女の姿をを見つめるアトリの瞳に映るのは。

「貴方は――私を、こう呼びなさい」

――全てを呑み込む『黒』い波紋――


「――『ジェフティ』と」


瞬間――世界の全てが、変貌した。
彼女を中心にして発生した殴りつけるかのような威圧感に、全身の毛穴が一斉に開く。
嵐の様に放たれた魔力の奔流は、物理的な質量さえ伴って周囲一帯を薙ぎ払い、少しでも気を抜けば吹き飛ばされそうだ。
荒れ狂う気流に弄ばれたその黒髪は、まるで混沌を内包した殺戮の夜が如くぬらりとした輝きを自ら放ち。
今まで最奥まで見渡せなかった瞳に輝く、苛烈なまでの意思と知性――そして、遥かな年月を感じさせる気迫。

この、存在感の前では。
オズワルドなど、まるで巨象の前の蟻――いや、ただの塵芥にさえ劣る。
それは決して『感慨』などではない。

今、目の前に在る『現実』――

オズワルドの顔は、死人よりも白く、絶望に呑み込まれていた。

「貴様が……そうだと、いうのか……!!」

乾ききった喉は、息をするだけでも辛い。
それでも、目の前に存在する『現実』から少しでも眼を逸らさねば、気が狂いそうになる――

「二百年前、全ての魔術に精通し、それを極めた『真実を記す者』……『書庫到達者』。
 叡智の果てに『破滅』を望み、全ての人間と魔術師に仇を成し、幾万の屍の山を築き上げた『死を招く黒』――!!」

限界まで見開いた目から、ぽろぽろと涙が零れる。

「その力の強さに、消滅させることも適わず――その力を数百の欠片に分け、封印した……『夜に輝く絶対神ラー』……!!」

呼吸さえ喘ぐほどの重圧の中、喉から絞り出された絶望に――血の色をした絶叫で、その名を叫ぶ――


「階位“スィフル”……『北の魔女』ジェフティ――!!」


死より冷たい夜の下――引き結ばれた紅が、弧月の笑みをそっと浮かべた。