No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater
双隻眼のアトリ・イスカ

第十三話 破壊される『常識』

止まらない。
衝撃が貫き、頬骨を微塵に砕く。止まらない。
意識を裂き、頸の筋繊維が弾け、骨が折れる。止まらない。
靴底が浮き、捻るようなベクトルに弄ばれ、宙を舞う。止まらない。
瓦礫を砕き、床板に大穴を穿ち、そのまま溝を抉って跳ねる。止まらない。
血泡を吹き、障壁に真正面から激突し――振動で崩壊した店の骨組みが瓦礫となって降り注いで。
なお、止まらない。
肉体にかかっていたベクトルが消失した瞬間。
続けて襲い掛かって来る、全霊を持ってその存在を訴える痛覚神経。
激しく揺さぶられた脳髄でも、大鐘を零距離で鳴らされているような痺れる不快感に吐きそうになる。
降り注いだ瓦礫を押しのけて、何とか立ち上がろうとするが――途端、力を失い無様に崩れる下肢。
地面に接吻し、呼気の代わりに吐き出した血塊には、粉々に砕けた何本もの歯の欠片。
その痛々しい姿は、惨状と言って差し支えなかっただろう。
――しかし。
精密化を施されたオズワルドにとって、この程度の怪我は生命活動に影響を及ぼすようなものではない。
彼が危惧するのは、ただ心臓と脳髄を破壊するような一撃――
逆にそこさえ残っていれば治癒を行なえるのだから、この程度の奇襲は何の脅威にも繋がらない。
素早く冷静さを取り戻した彼は、衝撃に昂ぶった精神を鎮めるよう意識を集中し、治癒の構成を識り込む。
みるみるうちに怪我が塞がり、欠損が補填され――痛みが引いていく感覚に身を委ねながら。
ようやくそこで彼は“気付”いた。
……今、何が起こった?
精密化を施された自分が。
“4”の魔術師たる自分が。
絶対的な『力』――至宝を手にした、自分が。
抵抗する暇さえ与えられず――無様に吹き飛ばされた?
顔を上げる。
視界の先――先刻までオズワルドの立っていた場所にいたのは、一人の女性。
長い黒髪を振り乱し、拳を振りぬいた姿で立ち尽くした女魔術師。
あり得ない。
彼女が自分を圧倒するなど、あり得ていい筈が無い。
何故なら、オズワルドが認識した彼女の"階位"は――
「“7”……“7”如きの魔術師が、“4”である私を、圧倒しただと――!?」
驚愕が羞恥に変わり――赫怒の炎へと昇華されるのは一瞬。
『焔』の二つ名も鮮やかに、自らの上に圧し掛かっていた瓦礫達を瞬く間に焼き尽くし。
反射的に身を起こしたときには、その激情に呼応するように、燃え盛る炎全てが爆発し、次々に螺旋の火柱を天へ屹立させた。
憤怒の二文字を掲げて青筋を立て――むき出しの殺意を双眸に、トトを射貫く。
「どんな奇策を用いたか知らんが、三階位以上の差を持つ私によく歯向かったな――女ァッ!!」
瞬時に識り上げた、複数の構成。
自身の階位を示すように次々に展開し、オズワルドは具現化した炎をトト目掛けて一斉に叩き込んだ。
その構成全て、相手側が障壁を展開する間さえ与えぬほどの展開速度を誇る、彼の最も得意とする魔術だ。
仮に、この魔術に反応出来たとしても――“7”程度の展開できる障壁などたかが知れている。
多少威力を犠牲にしているとはいえ、三つも階位が異なる相手の障壁に遮られるほど情けない魔術を組んだ覚えはない。
そして案の定、トトは高速で飛来する炎達に対して、何らリアクションを起こす様子がなかった。
構成を展開する様子も無く、躱そうと試みることもせず、迫り来る炎に対し、ただ立ち尽くすばかり。
瞬く間に、炎達が藁を燃やすように彼女の体を燃やし尽くし、一握の灰に還す――
その光景さえ、オズワルドは確かな未来として幻視していた。
だが、その予見した未来は。
炎が全て――彼女の寸前で霧散した時、無残にも打ち砕かれてしまっていた。
「……な……?」
目の前で展開された事態に、茫然と呟くオズワルド。
“4”である彼が組み上げた魔術が、たかだか“7”程度の魔術師の前で陽炎のように霧散した。
それだけでも、驚愕するには十分すぎる事態である。
しかし、先刻まで燃え盛っていた怒りさえ忘れるほどの衝撃を受けたのは。
その光景に伴うべきものの存在――防御のために識られたはずの構成が、何処にも見当たらなかったから。
「アトリ――この子、私に任せてもらうわよー?」
昼食をどの店で食べるか提案するかのような気軽な口調は、いつもと何も変わらない様子。
「どうせアトリも遊んでるんだし、だったら私が引導渡しても構わないわよね」
しかし、その口調の中に有無を言わさぬ様子を感じたのは、果たしてただの錯覚だったのだろうか。
即答は無く、若干の沈黙が漂った後に物陰から投げ渡されたのは、彼女のトレードマークたる古めかしい三角帽子。
「……程々にな」
「覚えてたらね♪」
トトは笑顔を浮かべてそれをキャッチし、指の上でくるりと一転させてからそっと頭の上に乗せた。
お茶目な様子で帽子の角度を微妙に調節するトトに、オズワルドは唾を吐きかけるような勢いで叫ぶ。
「何故……何故だ!? どうやって貴様――私の魔術を防いだ!?」
“7”が“4”の魔術を防ぐ。
防ぐ際に存在するはずの構成が、何処にも存在しない。
例えオズワルドでなかったとしても、この非常識な現象の数々、魔術師ならば誰しも納得のいく理由を求めただろう。
対し、答える側であるトトは――取り立てて勿体ぶりも自慢もせず、あっさりと答える。
「――魔術師が呼吸する際、副次的にマナを魔力に変換してしまうことは知ってるわよね?」
魔術を展開する際――周囲のマナを意識して魔力へと変換する時とは別に。
魔術師は呼吸の際、体内に取り込んだ微弱なマナを無意識の内で魔力に変換し、体外へと排出している。
この際に、体外に排出される魔力は『蒸散分』と呼ばれているのだが――
「それとこれとに何の関係がある?」
「魔力は、ある一定以上の密度で収束することで障壁として展開できるでしょう?
それと同じ――防御用の構成を遣わなくても、魔力の蒸散分で貴方の魔術は弾き散らされたって事よ」
流れる、奇妙な沈黙。
「…………き……貴様、私を馬鹿にしているのか……?」
「?」
「魔力の蒸散分で……私の魔術を、弾き散らしただと――!?」
この蒸散分と呼ばれている魔力は、魔術師が意識して変換する魔力に比べ――非常に微弱な量でしかない。
何らかの手段で有効活用しようとした者もかつてはいたが、“1”の階位の魔術師であっても、
最も初歩的な魔術を展開する際求められる魔力量に遠く及ばないものだった。
そんな微弱な魔力で、自身の魔術を防げると言うのならば――
「私の魔術が、蒸散分に弾き散らされるほど……脆弱なものだと、言うのか――!!」
怒りの極み――毛細血管が爆発する。
真っ赤に染まった双眸の焦点がトトへと集約し、煮えたぎる溶岩の輝きにも似た輝きが瞬いて。
「――ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああッ!!」
“4”としての自身の力――その全てを懸けて生み出した、三桁以上にも及ぶの構成の大群。
それらが一斉に展開され、生成された炎の『壁』が、津波のような勢いでトトへと向けて押し寄せた。
しかし、アトリのように無効化することも躱すこともしなかったトトは―― 一瞬で火炎の波へと呑まれ、その姿が見えなくなる。
次々に爆発が巻き起こり、その爆発が新たな爆発を立て続けに誘い、弾かれた空気達の悲鳴が暴風となって吹き荒れる中――
展開した魔術全てに、しっかりと手応えを感じ、荒げた息を整えてオズワルドは口元に笑みを浮かべる。
先刻、一体どのような奇策でこちらの魔術を無効化したのかは判らないが。
この真っ向切っての炎熱地獄の前に、下手な小細工などは通用しない。
今度こそ、トトの姿は跡形も無く消失し――
「……納得するまで、撃ち込めたかしら?」
「――!?」
背筋を氷柱で貫かれたような、心根の凍てつく衝撃。
炎がゆっくりと晴れ――その中から現れたトトの白い肌には、火傷一つ存在していなかった。
あれほど連続した爆発の中心地にいたとは思えないほど落ち着いた様子で、肩に垂れた髪をさらりと払い除ける。
そしてやはり、構成を識り込んだ様子が見えない――
「まさか……本当に、貴様は――……!?」
だが、そこまで口にして――オズワルドの脳裏に閃いた一つの要素。
階位の異なる魔術師相手でも、その絶対的な実力差を覆すことも可能な『力』の存在――
「そうか……至宝! 貴様も至宝を持っているのか!!」
確信を持ってそう叫んだオズワルドに――しかしトトは何故か苦笑のような表情を浮かべ、
「あー……まあ、そういう風に見ようと思えば見れないわけじゃないと思うけど」
「何をぶつぶつと……だが、それならば納得がいく。先刻私を吹き飛ばしたのも恐らくはその至宝か」
ようやく合点が言ったように呟くオズワルドの表情から、追い詰められたような色が消えていく。
非常識の世界から、ようやく自身の常識の通じる世界へと戻ってきた安堵と共に、オズワルドは自身の掌を高く掲げた。
そこに埋め込まれたレリーフ――彼の至宝が、その意志に応えて無数の構成を吐き出していく――
「だが――どのような力であろうと、私のこの至宝の力には遠く及ぶまい!!」
収束した構成が、金属さえ一瞬で蒸発させるほどの高熱を帯びる。
アトリとは違い、目視出来るわけではないが――構成の弾丸が精製されるその様子ははっきりと知覚できた。
「太古の叡智の前に――燃え尽きるがいいッ!!」
腕を振ると同時に、一斉に牙を剥く構成の弾丸達。
速度は銃弾に匹敵し――そして銃弾を遥かに上回る力を内包する熱の顎達。
例えどれほどの防御力を備えた障壁であろうとも、瞬く間に貫き、微塵に噛み砕く――
その確信さえ、飛来した弾丸を難なく素手で掴み取る姿が粉々に打ち砕く。
「馬鹿な……こ、こんな非常識な事が――この至宝の力は、“1”にも匹敵するのだぞ!?」
悪夢のような、光景。
オズワルドの心に、驚愕と共にそっと忍び寄る――恐怖――
「一つ、いい事を教えておいてあげる」
人間の体など一瞬で消し炭に変えるほどの熱を帯びた構成の弾丸を握り締めたまま、トトは静かに口を開く。
「常識……良識、理屈に道理。これらが何故存在するか、その『意味』を考えたことはある?」
「な、に……?」
質問の意図が、判らず。
精神的に動揺していることもあってか、生返事を返すオズワルドに。
「答えは簡単――私が『壊す』ために存在しているのよ」
トトが、掌に力を込めた。
音も無く、淡雪のように粉々に砕け――霧散する、構成の弾丸達。
声の裏返った、情けない悲鳴が聞こえた。
漠然と、オズワルドはそれが誰のものなのか思考を巡らせて。
自分の喉から発せられたものと気付くまで、数秒以上を必要とした。



