No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater
双隻眼のアトリ・イスカ

第七話 セクメトの宣告

ネフェル=テムは、250年以上の歴史と伝統を誇る超一流のレストランである。
この店で食事をするというのが、上流階級と自負する者達にとっての一種のステイタスにもなっているほどだ。
訪れる客も一見さんはお断りというだけあって、著名人や文化人を気取った者達の『雅』な雰囲気が漂っている。
彼らは、空腹を満たすためにこの店を利用するのではない――『食事』を『楽しむ』ためにここを訪れているのである。
香る雰囲気を味わい、交わす談笑を楽しみ――そして料理も、味は勿論の事、彩りも香りもじっくりと五感で堪能し、味わう。
故にこの店の料理人たちに求められるのは、職人としての至高の技術と誇り。
彼らが働いているのは、場末の定食屋などではない――伝統と歴史を誇る、世界最高の調理場なのだから。
だが、今この時の彼らに求められていたのは。
まさに、定食屋で働く者達に求められる、手数の速さと味の量産、そして『諦め』だったのかもしれない――
「あ――店員さん」
もう幾度、聞いたことだろう。
落ち着いた中にもどこか愛嬌を感じさせる女性の声――
しかし呼び止められたその女性店員は、まるで雷鳴に背を打たれたように、びくりとその肩を震わせる。
やがてぎこちなく振り返ったその顔は蒼白――死を告げる女神・セクメトの宣告を受けたかのようだ。
セクメト――奇しくもこの店の大本となった獅子神・ネフェルテムの母。
彼女の死の宣告を受けたが最後、拒否権など存在しないという点で、この客と『死の使い』は似通っていたのかもしれない。
唇を噛み、田舎で過ごした少女時代が走馬灯のように頭を駆け巡る中――女性の唇がそっと開く。
「お水、頂けるかしら?」
ぞっとするほど綺麗な黒髪をした彼女の口から、紡がれた言葉。
恐怖に痺れた彼女の頭が、それを理解するのには数秒の時間を要したが――
「はっ――はは、はい只今!!」
九死に一生を得たとばかりに息を吹き返した女性店員は、まるでばね仕掛けの人形のような動きで奥へ引っ込む。
恐慌の極みに震えてはいても、一度厨房へ戻ればプロフェッショナルとしての意地がある――
再び戻ってきた時にはまるで嘘のように動揺は消え去り、完璧な作法で新しいグラスをそっと手渡す。
「ありがと」
素朴な、言葉。
しかし、その澄み渡る黒瞳の端をそっと緩めた微笑みの、何と魅力に満ち溢れていることだろう。
同性でありながらも、つい見惚れて微笑み返してしまう。
一体、彼女は何を恐れていたのだろう?
静謐な夜を纏ったかのような彼女からは、まるで恐ろしさなど感じ取る事はできないというのに――
「――それと、追加で」
だが。
微笑を浮かべたその表情も、瞳の奥の感情も――黒髪の女性は何も変わっていないのに。
その瞬間、女性店員の顔から音を立てて血が引いていく――
「このお品書きに載っている料理、とりあえずもう一巡お願いできないかしら?」
死の使い・セクメト。
彼女は告死以外にも、神を崇めぬ人間を片端から抹殺し、世界を滅ぼす究極の破壊神とも伝えられている。
女性の曇り一つない笑顔と――机上にずらりと並べられた、空の皿。
無残にも欠片さえ遺さず食い尽くされた料理を見比べながら――彼女はセクメトの化身ではないのかと。
漠然とそんなことを考えながら、さぱさぱと涙を流す店員だった。
「あー……流石噂になるだけあって、どれもこれも美味しいわねー……♪」
満足そうに目を細め、いまやこの店の破壊神(セクメト)となった女性――トトが歓喜の吐息を漏らす。
天井からゆっくりと視界を下ろすと――目の前には、まるで壁が屹立したかのように屹立する皿・皿・皿――
彼女の向かいに座ったアトリが、あくまでもマイペースに自分の頼んだ料理を食している最中であることからも、
一体この遺業を誰が為しえたのか、自ずと判っていただける事だろう。
「相変わらずよく食べるな」
「そう? まだ四巡目なんだけど……まあ、そろそろ美味しいものだけに絞っていこうかしら」
料理を『巡』の単位で処理している時点で果てしなく間違っているような気がするが、彼らは全く気にしない。
気にして欲しいと切実に願っているネフェル=テム従業員一同の声無き絶叫も、声が無いので聞こえていない。
「それにしても、こんな素敵な依頼報酬をくれるなんて……協会って随分といい趣味してるじゃない?」
「……当人達は、嫌がらせのつもりだったんだと思うがな」
報酬と告げて、チケットを手渡した担当の受付員の表情を思い出し――アトリはぽつりと呟いた。
彼は凄腕のペネトレイターであるが、決して万能だというわけではない。
滅法強い上、依頼の成功率も最優秀であるものの、周囲への被害を出しすぎるきらいがあるのだ。
任務遂行の際に損壊させた建築物の修理費や、巻き込まれた被害者への事後救済は全て魔術師協会が負担している。
ペネトレイター達の特性上、あまり枷を設けるのは思わしくない自体であるし、多少の負担なら痛痒に感じない――
それが今までの魔術師協会の対応だったのだが、アトリ一人が負担させてきた金額はその対応を考え直させる程の物だった。
もっとも、彼が仕留めてきた相手の事を――彼だけにしか仕留められなかった相手だという事を考えれば、
必要経費と納得せざるを得ないものの、それでもやはり釈然としないものは残る。
その結果、ここ最近は依頼料をこっそりと減額させられたりといった嫌がらせを受けている。
それでも、金のかかるような趣味も欲しいものも特に無いアトリは別段報告もせずそのままにしておいたのだが、
この街に来る前の依頼で、このチケットを手渡された時は、正直途方にくれたものだった。
こんな券を貰っても、元が取れるほど有効に活用できないことは把握した上での『現物支給』である。
(……それがさらなる災厄を招くとは思わなかったんだろうが)
これだけ飲食しているのに、無料――客の回転数等を度外視経営しているこの店には致命的な打撃だ。
自分達が帰った後、ほぼ間違いなくこの店が魔術師協会に猛烈な苦情を申し立てる姿がありありと目に浮かぶ。
自業自得だと思いつつも、250年の歴史と伝統に終止符を打とうとしているトトを、果たして止めるべきか否か。
「にしても……そんなに食べることが好きだったか?」
「元々美味しいものは好きだけど……今はちょっと、口寂しいって言うのもあるかしら」
ぺろりと平らげた皿を、白魚のような指で一枚一枚数えていくトト。
「それに、お金がかからないって聞くだけで、結構食欲って湧いたりしない?」
途方も無く食い意地のえげつない胃袋である。
確かに真理の一つではあるが、彼女がそれを言う事は殆ど犯罪だ。
「……まあ、気に入ったのなら、この報酬を払った側も満足してくれるかも知れんな」
真っ先に責任放棄した発言のアトリに、トトは唇に指を当てて黙考する。
「ん〜……まあ、いい食材使ってるだけあって、確かに美味かったわ。
ただ、それでもちょっと価格と値段の割合が詐欺だとは思ったけど」
無銭飲食してる彼女にだけはそんな事を言われたくないに違いない。
「あとはまあ、ちょっと周りの視線が気になる……とかもあるわね」
呟きながら、トトが視線を横手へ向けると――店内の殆どの客が、信じられないといった様子で手を止め、こちらを凝視している。
まあ、こんな趣の店で大食い大会の会場が如き勢いで食事する者など滅多にお目にかかれるものでもないが。
悲しいのは、当の本人達がその点で驚かれている事に全く気が付いていない事である。
「んー……私って、そんなに目立つのかしら」
「……まあ、個性的ではあると思うぞ」
「アトリ、今眼を逸らしたわよね凄い勢いで」
「人間関係を円滑に進めるための知恵というものだ。流せ」
「流すものなの?」
「らしいぞ。俺も昔、同じやりとりをされたことがある」
「その時の経験を活かして?」
「そういう事だ。何事も活かさねばなるまい」
両手を組み、うんうんと頷きあう二人。
これで二人とも大真面目に問答しているというのだから恐ろしい。
「……しかし、確か他人の記憶に印象を植え付けづらくする魔術か何か、使っていると言ってなかったか?」
「それは今でも使ってるわよ? ただ、そんなに強く相手の思考に潜り込ませられるものじゃないわ。
人間相手なら結構効くみたいだけど、魔術師にはまるで影響を与えられないものだから……ここじゃ意味は無いわね。
というより、魔術師相手に記憶改竄仕掛けるような魔術を常時展開してたら、重度の記憶障害が併発するし」
さらりと恐ろしいことを言ってのける。
「それに――そんなにいつも気を張り詰めたら、お腹も空くのも早くなりそうだし」
そっちの方が主たる理由であるような気がしてならないのは、果たして錯覚なのだろうか。
「……それにしても」
丁寧にナプキンで口の周りを拭き取りながら――トトはひらひらと、テーブルの隅に置いていた無料飲食券を摘む。
半券の部分はすでにカットされているものの、未だに券自体が帯びているほのかな輝きは消えていない――
まるで鏡のように、その光を黒曜石の瞳に映しながら。
「わざわざ送り主の個人情報を『構成』に条件として付与して、本人である証明の代わりにする……。
ただの飲食券だっていうのに、ちょっと手を込めすぎてないかしら?」
「こんなものでも一応『報酬』だからな……仕方ないだろう」
アトリの解答に――それでもまだ不満が残っているらしく、トトは口を尖らせる。
「これのおかげで最初、全然相手にしてもらえなかったし。その分、きちんと元を取らないと――採算合わないわよ」
すでに元どころか、明日からの店の存続の危機にまで追いやっているのだが――そこにはあえて触れなかった。
構成――この概念を、人間に完全に理解させることは不可能だ。
例えば、生まれ付き目の見えない者に『色』というものを教える事が難しいように。
あるいは、耳の聞こえないものに『音』という概念を伝える事が難しいように。
この構成という概念は、魔術師だけが『知覚』し、『認識』することが可能なものであり。
魔術を語るに当たって、決して避けては通れない重要な要素の一つでもある。
それでもあえて、人間に判りやすく説明するとするならば。
『型』のようなものを想像すれば、判りやすいかもしれない。
思念・精神の働きによって、視覚でも聴覚でもない感覚で近くされる――中空に『識』られた『型』。
この『型』に、周囲一帯に存在する『マナ』と呼ばれる存在から抽出した特殊な力を流し込む。
最後に、識った構成を展開することで、構成に込められた『意味』に『力』を与え、『事象』を促す。
初歩的な魔術も、極めて高度な技術を必要とする魔術も――基本的にはこの手順で発動する。
もっとも、『基本的』と銘打つからには『例外』も存在する。
このチケットにも使われおていた魔術――付与魔術(エンチャント)と呼ばれる類の魔術がその『例外』の一つだ。
これは、組み上げた魔術の構成に特殊な処理を施し、物質的な存在に対して「与えて」やることで、
記憶を反芻するかのように、構成の識り込みと力の抽出・構成の展開までの一連の動作を自動的に再現するというものである。
基本的に構成というものは一度きりの使い捨て――展開した後は霧散し、再利用する事は出来ないのだが、
付与魔術は物質的なものを媒介に加えることで構成を安定・固着させ、連続使用に耐えうる強度を備えさせている。
ただし、単に付与魔術用に構成を組んだだけでは、数回の使用で構成が霧散してしまうため、
殆どの場合、媒介にした物質に図形や文字などといった『意味を備えた形』で物理的に刻む事で半永久的な固定を行うのが常である。
付与した魔術以外の発動を促す事は出来ない点や、本来概念的な存在である構成に物理的な『形』を与えてしまうために、
構成が複雑な魔術は付与する事ができないといった問題点はまだ多いものの、それを上回って有り余る利点に優れた魔術である。
本来魔術師が行なうべき行程を全て自動でやってくれるため――人間にも発動させる事が出来る点も大きい。
付与魔術がその真価を発揮するのは、付与した魔術の発動に『条件』を与えてやれる事だろう。
これを応用する事が、魔術を単なる『力』ではなく『技術』としての昇華の始まりといっても過言ではない。
例えば、今回のこのチケットの場合は――特定人物の情報(この場合、アトリ)を取得することで、
与えられた魔術(ヘクターによる構成の署名)を発動させる仕組みになっていた。
特定人物の情報の持ち主――すなわちアトリ以外には、誰もこの付与魔術を発動させる事は適わない。
非常に正確な身分証明書の完成である。
なお、これと全く同じ理屈の付与魔術が、ペネトレイターの銀の弾丸にも与えられている。
これはペネトレイター達が万一盗難被害にあったり殺害された際、
奪われた銀の弾丸を利用してペネトレイターを詐称する事を未然に防ぐための措置にも繋がっている。
「……ふはー……食べた食べた……」
ネフェル=テム史上最大の危機は、そんな満足げなセリフと共にようやく終焉を迎えた。
食器を途中で下げること三回――今や店中の客が躊躇いもせずにトトの動向に注目している。
数十の視線が集中する中、うっとりと目を細めて息を吐く。
彼女の細い腰の何処に、あれだけ大量の食べ物が消えたのだろうか。
スカートを緩めることも無く、ぱっと見には食事前と何も変わっていない腹部。
それは、胃袋が亜空間と連結しているのではないだろうかという、途方も無い考えさえ浮かばせる異様な光景であった。
しかし、これで250年の伝統と歴史は護られたのである。
店員たちは安堵の息を漏らし、厨房では料理人たちが歓声を上げ、生き残った朋友達の肩を叩きあう。
厳格な様子で知られていたはずの料理長も、涙さえ浮かべて男泣きしていた。
「店員さん」
先刻までは恐怖の対象でしかなかった呼び声さえも、今では自分達の健闘に対する激励とさえ思えてくる。
ホールスタッフを代表し、トトのテーブルへと向かうフロアマネージャー。
彼もまた、数時間で二十年は老け込んだような衰弱ぶりだったが、その顔は死線を潜り抜けた戦士の誇りがあった。
「とても美味しかったわ」
「有難う御座います」
今、此処に生きている事に感謝を。
明けない夜は、無い――彼らは戦い、そして勝利を掴んだのである――
幻視した輝く朝日に、涙腺が綻び――マネージャーは感極まった声で頭を下げて、最後の『お勘定』の言葉に意識を集中する。
だが。
「――次はここにあるデザート、まずは味を知りたいから上半分から持ってきてるかしら?」
――厨房から響き渡った「ひぎぃ」という絶叫と、続いて響き渡った派手な物音。
それは泡を吹いて斃れる料理長の断末魔だったが、幸か不幸か――デザートは彼の担当ではない。
つまり、まだ料理を出せる状況にある以上――客が願う以上、まだこの地獄絵図は終わらないのである。
気の細い店員たちは料理長に続き次々と斃れ、遺されたものたちはさらなる絶望の始まりに目の前が真っ暗になった。
「……よくあれだけ食べて、まだ食べようという気になるな……」
「んー?」
店内の中で唯一、この状況に冷静なアトリが――積みあがった皿を見上げて、感心したように呟く。
「これだけ食べれば太ると思うんだが――痛っ」
「女の子に体重の話をもちかけないの。アトリ減点1」
額にデコピンを浴びせ――長い爪の先をふっと息で払う。
「……子?」
「グーで殴られたい?」
にっこりと笑ったトトから、視線を外す。
これが人間関係を円滑に進めるための知恵というものである。流せ。
「まあ、正直なところを言うと――太りにくい体質なのよね、私」
「なるほどな」
「それにデザートは別腹だって言うじゃない?」
「確かに、よく聞く」
いやあれはもう別腹の次元じゃないとか、それ以前にもっと突っ込みどころ沢山だなどと囁きあう周りは黙殺し。
「それに――カロリーを摂取したなら、その分だけしっかりと消費すれば採算は取れるもの」
唇の端に、ふっと弧を描かせた彼女に。
「……やはり、こうなるか」
アトリも、それだけを呟いて――かちゃりとナイフを皿に置いた。
「まあ、良くも悪くも茶飯事……かな?」
「そうだな」
「アトリといると、本当こんなのばっかりね」
「言っておくが、俺のせいじゃないぞ」
少し憮然として呟くアトリをなだめるように、トトが何事か呟こうとした――その時だった。
識られた、構成の気配。
店内に居た客達――魔術師が、その存在を気取り、表情を変えたその時。
壁を突き破るようにして店内に叩き込まれた、複数の火球。
紅蓮の炎が大気を引き裂き。
――衝撃と閃光が、全てを呑み込み、噛み砕いた――



