No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater
双隻眼のアトリ・イスカ

第六話 トト

ネフェル=テム。
食物の主人の異名を持つ獅子神の名を冠するこの店は、メンフィスでも老舗中の老舗の三ツ星レストランである。
創業250年を誇るその歴史もさる事ながら――まず眼を奪われるのは、宮殿を思わせるその白眉な外観。
まるで芸術のような美しさを保ちながら、他の建物とは一線を隔する快適な居住性は、
メンフィスでもごく一部の建造物にしか許されていない、魔術を組み込んだ建築様式の賜物である。
また、創業当時からこの店は、客に「魔術師」「人間」という隔たり無く、その腕を振るってきたことでも有名だ。
人間と魔術師が対等の立場になった今こそ、その歴史が見直され、この店の高い評価を支える一因ともなっている。
だが――その態度の実は、博愛主義でも、誠実さから来るものでも無い。
確かにこの店は、人間と魔術師の間に差異を設けず接してきた。
ただ、それ以前に――『金持ち』と『それ以外』で隔たりを設けていたのだが。
いわゆる『庶民層』を一切切り捨てた経営は、まるで魂を選定し、不適なものを切り裂くネフェルテムそのもの。
ゆえに現在でも、利用者は高名な魔術師の家系や、一握りの資産家に自ずと限られている。
端的に評価するならば、格調高さと味は三ツ星――しかし料金は“五つ星”といったところだろうか。
そんな店の運営方針に従い――中の従業員の構成も、他の店とは一線を隔する。
適当に求人広告を出して、経験のない若者を立たせるなどということはこの店に限って許されないのである。
調理場のスタッフは勿論のこと――ホールスタッフの一人一人までもが、厳選された最高の人材。
それは入り口にてお客を招き入れるドアボーイの一人でさえも、例外ではなかった。
今日のこの時間を担当していたのは、まだ年若い青年だったが――制服に皴一つ・埃一つ無いのは無論のこと、
このタイの端までぴんと張ったその様子は、ただのドアボーイというよりは、敏腕秘書を思わせる知的な貫禄に満ちている。
ゆえに。
「いらっしゃいま……!?」
この長い歴史を誇るネフェル=テムの顔とも言うべきその役職にあるまじき、致命的な粗相――
来客した相手に挨拶を忘れてしまうという事態に陥ったのは、決して彼が未熟だからではないことを名誉のため記しておく。
こうなったのは、プロフェッショナルの矜持を秘めた彼をして絶句させるほどに。
迎え入れたお客の方が、奇天烈極まる様子だったからである――
「ふー……到着、と」
白昼の一角を『夜』が切り裂いたような、見目麗しい黒髪の女性。
その頭に被った古めかしい三角帽子のおかげで、意識がついそちらへと向かってしまうが――
その帽子の下にある顔と、瞳に嵌め込まれた『黒』は、静謐ながらも鮮烈な印象を与える。
職業柄、沢山の人の顔と向き合ってきたドアボーイだったが、これほど印象的な女性というのは初めてだ。
もっとも、それは初見の時に抱いた感想であり、今はその印象に一文を付け加えなければ成らない。
“怪しげな券を持ってきて、あろうことか無銭飲食しようと試みた女性”――と。
彼女が見せた券は、曰く『魔術師協会総帥』の名の下に作られたものだという。
魔術師協会の総帥といえば、現在の世界における最高権力者であり、
こんな馬鹿げた券でも、本当に彼が認めた物ならば十二分に効力を持っているだろう。
だが、そこらの女性に彼とのパイプが存在しているわけも無く、本物だという証拠は何一つ無い。
あくまで失礼にならないように門前払いしたところ「証拠を連れてくればいいのね」と息巻いて去ったのだが――
十分後。
恐らく、女性の連れなのであろう銀髪の男――何処の酒場で呑んでいたのかはか知らないが、
彼の襟首を掴み、座っていたスツールごと地面を引きずって再び現れるなどと、誰が想像できたというのか。
スツールの脚が地面と摩れて穿たれた溝は、その二人組がやってきた方向へとまっすぐに伸びている。
冗談などではなく、本当に酒場からここまでずっと引きずり続けてきたというのだろうか。
穏やかな日常生活を送る常識人は、まず見ることの無いであろう異様な光景だ。
「……この店か」
「そうよ。もう、私がいくら言っても全然信じてくれなくて」
「まあ、当然だろうな」
襟首をつかまれたまま、首肯する男。
こちらは女性の黒髪と対照的に、まるで月光を思わせる見事な銀糸だったが――
現在の彼の不安定な体制を支えているのは、スツールの脚と女性の細腕の力だけであるにも関わらず、落ち着き払っている。
それは大物だからなのか、単に危機管理能力が著しく欠損しているのか――青を刷いた銀の瞳から読み取ることは出来なかった。
「この店は初見お断りだからな――対応が厳しくなるのは仕方ないことだ」
「あ……そうなの?」
「知らないのも無理は無いだろうが……有名だぞ」
男はそう言って、白亜の宮殿を眺め――ようやくスツールから立ち上がる。
座っていた時には判らなかったが、恐ろしく背の高い男である。
無愛想そうな雰囲気と相まって、頭二つは高い所から見下ろすその様子は異様なまでの迫力に満ちていたが――
胸元から提げている銀の弾丸の首飾りと目が合うと、営業用の丁寧な微笑を浮かべ、
「お客様。当店では例えペネトレイターの方であったとしても、身元明らかな方で無い限りはここをお通しすることは出来ません。
その銀の弾丸以外で、何か身分の証明になるもの……もしくは、魔術師の方でしたら『ハムサ』以上の階位の掲示をお願いします」
アトリの様子に全く臆する事無く、丁寧な中にも一歩も退かないその様子は、正にプロフェッショナルの鏡。
そして付け入る隙を与えないこの様子に、大概の者は諦め、素直に帰っていくのだが、稀に力づくで解決しようと試みる者もいる。
一応この店には訓練された警備員達も雇われているため、店の運営が心配に晒される危険性はないと言っていいが――
彼らが実際にその力を発揮したことは、この店始まって以来の長い歴史の中、ただの一度も無いといえば不審に思うだろうか。
それもそのはず、彼らの手を煩わせる前に――歴代のドアボーイたちが全て、そういった不届き者をあしらって来たからである。
店に足を踏み入れて、一番最初に顔を合わせる立場にいる彼らは、高い教養だけではなく、魔術師としての実力も求められる。
それはこの若者も同じで、そこらの暴漢が束になってかかっても彼に毛筋ほどの傷を負わせることも出来ないだろう。
まだペネトレイターと手合わせしたことは無いが――もし、この男が強行突破を図るならば。
何時如何なるときも対処できるよう、紳士的な対応の中に、全身の筋肉に緊張を促す――
だが、この長身のペネトレイターは、暴力に訴えることも踵を返すこともしなかった。
「確かそれ以外にも、紹介状のようなものがあれば特例が認められると聞いているんだが」
「ええ。『サラーサ』以上の階位の方の紹介状があればの話ですが」
「ふむ……」
男は若干考え込むように、顎の辺りをしゃくると、女性へと振り返る
「チケットは確かに見せたのか?」
「勿論。でも、私じゃ駄目だったみたい」
黒髪の女性は言うなり、銀髪の男へと二枚組みの券を――前に訪れた時に掲示した券を手渡す。
確かにあのチケットには、魔術師協会総帥であるヘクター・アーチボルドの署名が記載されていた。
彼もまたこの店の常連であり、筆跡も覚えている――あの券に記載されていたものと寸分違わなかったが、
他者の筆跡をそっくり模写する魔術というのも、この世には存在する。
魔術師が自身を証明する際求められるもの。それは筆跡ではなく、魔術師が魔術したり得るために欠かせない――
「……まあ、どうやら俺宛で書かれたものらしいからな」
変化が起こったのは、そんな時の事だった。
男の手に券が握られた瞬間――ただの紙片だった券が、仄かに輝きを帯び始めたのだ。
ぼんやりと光を放つ券をそのまま、男は無造作に差し出して。
「これで証明にならないか?」
手渡されたその券を、しばし真剣に注意深く見つめていたドアボーイだったが――突如、あっと小さく叫んだ。
思わぬ事態に一瞬、仕事への意識を失ったが、慌てて口元を押さえて咳払いした時には、既にその顔から動揺は消え去っている。
しかし、次に彼の口から紡がれた言葉は――まるで先刻とは違う、恭しく滑らかなものへ移り変わっていた。
「……魔術師協会総帥・ヘクター・アーチボルド様のご紹介……確かに、承りました。
宜しければ、お客様の名前の方をお伺いして宜しいでしょうか?」
「アトリ・イスカだ」
淡々と告げられたその名には、聞き覚えがある――『双隻眼』のアトリ・イスカ。
彼なら確かに、魔術師協会総帥の直々の紹介があってもおかしくは無い話だ。
しかし、どうしても荒事のイメージが強いペネトレイターが、この店に足を踏み入れる日が来るとは思わなかった。
「そちらの外套の方、お預かりしても――」
「済まんがこれは外せん。それよりもこれを預かっておいてくれ」
取り付く島も無く断わって、代わりにアトリが差し出されたのは――空のショットグラス。
一体何処の酒場のものなのか、それ以前に何故こんなものを持ち歩いているのかが不明だが――
そんな疑問は胸の内に丁寧に折りたたみ、ドアボーイはグラスを受け取り折り目正しく一礼する。
彼は既に、この店にとっての『客』だ。
そうある以上、従業員である自身は神に仕えるが如く貞淑でなくてはならない。
「だから言ったでしょう? あのチケットは本物だって」
何処か楽しそうに呟く黒髪の女性――仄かに輝く券は二枚。
彼女もまた、この店にとって『客』である。
敬意を払い、仕えなくてはならない。
「大変失礼致しました。それと宜しければ、お客様の名前の方をお伺いしても――」
「トト」
――粗相にならない程度に、ドアボーイの眉が驚きに跳ねる。
だが、彼の驚きももっともと言わんばかりに、女性――トトはほんのりと苦笑を浮かべた。
「まあ、我ながら――魔術師にしては、随分変わった名前だと思うけどね」
人間と魔術師は、魔術を行使出来るというたった一点以外、種としての違いは無い。
魔術が一体肉体器官の何処に依存したものなのかは未だ明らかにされていないが、
少なくとも外観上、はっきりと判る違いは無く――混雑するメンフィスの町並みを見ても、二種を選り分けるのは難しいだろう。
なら、両者の違いを、一体何で判別すればよいのか。
――最も簡単で、かつ誰にでも出来る手段は「名前を聞く」というものだ。
長い間、まともな交流が行なわれなかったこの二つの種は、隣り合わせて生きながら、全く異なった文化を発展させてきていた。
その中でも最も端的なものが名前で、一聞すればすぐ判るほどに響きや韻・名付け方が異なっている。
『トト』というのは、響きとしては人間側――それも男児に対し、付けられる名前だ。
また――魔術師であるにもかかわらず『苗字』が無いというのは聞いたことが無かった。
縦社会・封建的な体勢に長らく在った魔術師達には、自らの家系を示す『苗字』という家名がある。
この苗字という概念の有無も、人間達との大きな違いであったが――
こちらに関しては、ここ近年で若干変わってきており、『イスカ』姓を名乗るアトリの様に苗字を名乗る人間も現れている。
まあ、苗字のある人間というのも珍しいには違いないが『驚く』という程のものではない。
だが、その逆――魔術師側で苗字を持たないという者がいるなど、今まで想像さえしたことが無かった。
それほど魔術師にとって『苗字』――家柄というものは『重い』のである。
「あ――何なら、階位でも示した方がいいのかしら?」
すっと手を掲げたトトに――しかしドアボーイは丁寧に首を振ると、
「いえ。ヘクター様の発行券が貴女様の身元の証明となります故――貴女に階位を問う必要は在りません」
「そっか。それじゃ、そのスツールも預かっておいてもらえるかしら?」
「畏まりました」
背を向け、アトリの元へと向かう彼女に――丁寧に一礼するドアボーイ。
ずっと引きずってきたせいですっかりあちこち歪み、痛んだスツールを丁寧に持ち上げ、預り物置き場へと足を進める。
人間は魔術師と人間を見分けることが出来ないが――魔術師には魔術師がはっきりと判る。
何故魔術師だけがその区別が出来るのかは不明だが、魔術師が魔術を行使できるのと同じで、
人間には無い、彼らだけが持ちうるの特殊な知覚が働いていると見られている。
トト。
随分と変わった名前だが、間違いなく彼女は『魔術師』である。
力量の程・階位の『位』は可もなく不可もなくといったところ。
良くも悪くも、標準的な力の魔術師だ。
本来ならこの店を利用することは赦されないはずだが、ヘクターのあの券の効力がある限り、話は別だ。
しかし。
「……?」
スツールを下ろした時、ふと違和感のようなものを感じ――ドアボーイは顔を上げる。
その視界の先では、丁度店内に足を踏み入れたアトリとトトの姿が、扉の奥に消えた所だった。
何に『違和感』を感じたのだろう。
『魔術師』と『ペネトレイター』が共にいたことだろうか。
あるいは、トトの名前の異様さだろうか。
ひょっとすると、一番最初の時に現れたあの姿に麻痺した常識が、ようやく息を吹き返したのかもしれない。
だが、もっと根本的なところで誤魔化されているような――不思議なひっかかりが。
ドアボーイの心の中に、消えずに残っていた。



