No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第五話 そして――物語の幕が開く



「――ちょっと聞きたい事があるんだけど……いいかしら?」
女性の声。知り合いのものでは無かったから、観光客か何かなのだろうか。
気晴らしにウィンドウショッピングをしていた、ウェイトレスの少女は――呼び止められてふと顔を上げた。
「ちょっと前に、ペネトレイター達が何かひと悶着起したみたいなんだけど……どの店のことか、知らないかしら?」
知らないわけが無い――他ならぬ自分自身が巻き込まれたのだから。
自分が今まで歩いてきた道をざっと説明すると――
「なるほど……教えてくれて、ありがと」
ぽんと一つ、頭のあたりを撫でて、その女性は教えた方向へ流れていった。
少女の方は再び、陳列棚へと視線を戻して――

次の瞬間、愕然となって振り返った。

“今、確かに女性に話しかけられた”――それはしっかりと憶えているのに。
その女性の顔が、姿が――見たはずなのに思い出せなかったのだ。
慌てて彼女が消えた方へと視線を向けるが、既に彼女の姿は雑踏と喧騒の中に溶け込み、影さえ見当たらない。
(今の人……一体……!?)
自分自身が、まるで記憶障害になってしまったかのよう。
霧散してしまった女性のイメージを、何とかして彼女は思い出そうとして―― 一つだけ。
たった一つだけだったが、彼女の特徴を思い出した。

記憶から消えた、その女性は。
相対しているだけで、まるで夜が訪れたかのような。

不思議な深みと輝きを持った――長い黒髪の女性だった。




保安官達がペネトレイターを連行した後――店の表には「準備中」の掛札が吊るされていた。
他ならぬ店長自身も、アトリと共にグラスを傾け、話に興じたかったためだ。
今や店内は、彼ら二人の貸切状態――外から流れる街の喧騒が、かえって店内の静謐さを強めていた。
「しかし珍しいですね――貴方がああも温和的に事を諌められるとは」
秘蔵の蒸留酒を、割ることもせずにストレートで呷る――その割に、店長の舌に危うさはまるで無い。
けろりとした様子で次の一杯をグラスに注ぎながら、楽しげに微笑んでいる。
「貴方ならてっきり勧告も無く、この店を叩き潰してでもあの場にいた全員を撃ち殺すものだと思っていましたよ。
何時、貴方があのまま榴弾投擲砲の銃爪を引くのかと肝を冷やしました」
「……俺をなんだと思っている」
あまり表情にこそ現れていなかったものの、憮然として呟くアトリ。
「俺は見ていて障る相手を潰しているだけだ。見境無く暴れているわけじゃない」
「『潰す』際に、周辺住民への被害や建物の損傷について考えたことがありますか?」
「……価値観の違いから来る、互いの認識の違いか」
そう付け加えたアトリの視線は――しかし何故か、穴の開いた床を見つめる店長からしっかりと背けられていた。
「それよりも、だ」
幾分か誤魔化すようなタイミングでグラスを空にして、少々強引にアトリは話題を変える。
「何か、稼ぎに繋がるような『話』――取り扱っていないか?」
アトリの口から『話』という単語が漏れた瞬間。
この静かな店内を象徴するかのように穏やかな、店長の様子が一変した。
相変わらずその表情は穏やかで、服装も老紳士を髣髴とさせる隙の無いもの。
しかし、その眼光と気配だけが――まるで摩り替わったかの様に全く異質なものへと転じている。
豪胆さに自信があるものでも、思わず息を呑むほどの苛烈な瞳の輝き。
人によっては、膨れ上がった彼の存在感に――その姿が突然、大きくなったように見えたかもしれない。

それは、幾十、幾百――幾千もの生と死の境界に趣いた者だけが備えることの適うもの。

「ふむ……稼ぎ、ですか」

背筋は伸び――服の下、若かりし頃に鍛え上げられた肉体は今もなお、衰えてはいない。
言葉さえ、今までは感じなかった荒々しい硝煙の香りが漂ってくる。

「それは要人護衛の様な、ちょっとした小遣い稼ぎのようなものですか?
 商隊護衛の様な、安定した収入に繋がるものですか? ……それとも――」

銃爪に指をかけたような剣呑さで。
その口元に、うっすらと――不敵な笑みを、浮かべて。

「魔術師協会から正式な依頼の届くような――『ペネトレイターの』仕事ですか?」


この小さな酒場を経営する、店長――彼はかつて、ペネトレイターとして激動の時代を駆け抜けた一人だった。
死と隣り合わせの日々を潜り抜け、ここまで生きてきただけあり――現役当時は、相当に名の知れた人物だったらしい。
もっとも、店長が自身の名を名乗ったことが一度も無いため、アトリでさえ、彼のペネトレイター時代の名は知らないのだが。
現在はペネトレイターを引退し、このメンフィスで小さな酒場を開いている――というのが、彼の『表の顔』である。

彼の『裏の顔』――それはペネトレイターを商売相手とした、情報屋としての顔だ。
現役時に作った様々な人脈を使い、世界全域にその情報網を張り巡らせた彼の『情報』の精度は、同業者のどれより群を抜いている。
下手をすれば、情報の流れている現地の情報屋より、活きのいい情報を取り扱っていることさえある。
組織的な存在ではなく、あくまで個人の実力主義――同業者全てが競争相手であるペネトレイターにとって、
誰よりも正確で素早い『情報』は何よりも必要なものである。
有力なペネトレイターほど、自分独自の情報収入源と情報屋を抱えている――アトリの場合は、その筆頭が彼というわけだ。

だが――情報は生き物でもある。
誰もが知っている情報など、手にしたところで何の利点にもならない。
故に、その正確さと同じだけ『鮮度』が求められるのだが――流しすぎれば当然、鮮度と価値は落ちる。
そのため、自然と情報を流す戸口は狭くならざるを得なくなり、結果として彼の『裏の顔』を知っている人物は非常に少ない。
アトリを入れても、片手で数えられるほどしかいないはずである。

「先刻の連中も……新しい顧客なのか?」
「いいえ――彼らは『みの』ですよ」
「蓑……」
「三下のペネトレイターを自分の経営する店に抱え込んでいれば、自然と私を見る目は曇りますからね。
 これも情報の鮮度を保つには必要なことです――あの程度の連中なら掃いて捨てるほどいますし、都合がいいのですよ」

あのウェイトレスの少女も、そんなことは知らないだろう。
『都合がいい』の一言で、あわや身の危険に晒されたと知れば――
いや、例え知ったとしても、普段の店長としての彼の姿しか知らぬ彼女が信じることもあるまい。
涼しく言ってのける様子からも、現役時代の彼がどれほど喰えぬ人物だったか、推して知れるというものである。
唯一の救いは、彼が決して悪辣な価値観を持っているわけではない――その一点なのだろうが。

「しかし、稼ぎに繋がる……ですか。残念ながら、思い当たるようなものがありませんね」
「そうか……」
「ここ最近は保安庁の質も向上してきていますし、マークしている魔術師達も何人かいますが……主だった動きはありません。
 皆、尻尾を出しづらくなった――と、言う所でしょう」

実の所、ペネトレイター達に多数の特権や超法規措置が認められているのは、彼らが公権力を振るう司法機関では『無い』からである。
あくまで魔術師協会が人々の生命や財産・人権を守らせているのは『保安庁』と呼ばれる機関であり、
彼らは魔術師協会の定める『協会法』に則り、刑事手続きによる検挙・処罰等を的確に行うことで人々の安全を守っている。
人間弾圧が行われていた暗黒時代にも実は似たような組織は存在していたが、
史実が示すとおり、在って無きに等しく――その失敗も考慮して、現在の保安庁にはかなりの数の魔術師が所属している。
彼らの力は人間より遥かに強力であり、同じ魔術師であったとしても、組織行動を取る彼らに個人で太刀打ちするのは難しいだろう。

しかし、強大で公正な組織であるからこそ――どうしても思い切った行動に踏み切れないこともある。
「疑わしきは被告人の利益に」――限りなくグレーであっても、それが「黒」であると断定できない以上は事を進めてはいけない。
力のある公的機関であるからこそ、その一歩退いた態度は一層求められることなのである。

だが、それを利用して事を進めようとする者は、必ずいる。
手を出せないという、そのぎりぎりのラインを侵食したまま、奸智を働かせ暴利を貪る者を、ならばどう裁けばいいのか――?

ペネトレイターが、その本来の役割――魔術師や犯罪者達を始末するために暗躍するのは、主にそういったケースの場合である。
確実に法を犯しているが、保安官達ではどうしても踏み込めない場所に容赦なく踏み込み――権限を行使する。
場合によっては、踏み込んだ先で現場を抑え、それを元に始末の権限を行使するという無茶もある。
そうでもしなければ、早々簡単には悪魔の尾を出さないのである。

ただし、反面――それがもし誤認だった場合、ペネトレイター達はその責任を自分自身のみで負う必要がある。
魔術師協会に直属している構成員ではあるが、法の抵触行為で検挙対象になったペネトレイターはその瞬間から保護の対象外になる。
斬り捨て要員ゾンビー・ユニットと呼んでも大差ないほどに、彼らの身元というのは極めて不安定な位置に在するのである。


「……モーリスも、相変わらず……といったところか?」
「そうですね……私の方でも、まだ確証を得るような情報は掴めていませんから」

モーリスというのは、このメンフィスを治める領主モーリス・ヘンリーソンの事だ。
ヘンリーソン家は魔術師の家系の中でも相当古くから名を残す有名な魔術師の家であり、
人間達の解放運動の際にも、最初は抵抗を示していたものの、最後には魔術師協会に賛同し、人間達の権利を認めたのだが――
あくまでもそれは心から共感したのではなく、一家の取り潰しを恐れての打算的なものだった。
現在の領主であるモーリスもまた、大家に典型的な「人間嫌い」の一人だ。
それを強固なまでの公人としてのプライドで抑えているのだから、大した精神力であるといえよう。
ただ、力のある一家であるため、その内なる「火種」が「大火」に変わる可能性は十二分にあるとアトリは踏んでいた。

「もっとも……モーリス様も、内心はともあれ、表面上はしっかりと魔術師協会の意見に賛同してらっしゃいますし、
 統治者としての手腕は非常に良いのですから……あまり早まった考えをなさらなければよいのですが……」
「五分……と言ったところだろうな。心の中で何を考えているにせよ、今まではしっかりと服従してきている。
 このままそれを維持できるか、あるいは溜まりに溜まった鬱憤が爆発するか……」

どちらにせよ、現状では下手に事態をかき回すことは出来そうにない。
「しかし……珍しいですね」
「……?」
「いえ、貴方が請け負った依頼に対する情報ではなく、依頼自体について私に頼んでくるとは。
他人からの依頼を受けることはあっても、自ら依頼を探すことはされていないと思っていましたよ」
「今もそれは同じだ。……ただ……懐が少し、寂しくてな」
「懐……ですか」
アトリのその返答に――店長はそっと眉を潜める。
『双隻眼』の二つ名を得るまでの彼の功績は、他の二つ名を持つペネトレイターの比ではない――
彼に浪費癖は無いため、それまで受け負ってきた依頼の報酬が、それこそ使い道に困るほど残っていたはずである。
元々ペネトレイターとして、協会側から資金面での苦労が無いような手配が色々と為されている事を考えれば、明らかに不自然な話だ。
一体、何が――


そんな時だった。
スイングドアを勢い良く押し開けられ、誰かが店内に足を踏み入れたのは。
勿論、表にはまだ「準備中」の札がかかったまま。
一体、誰なのかと店長は振り返り―― そのまま、軽く目を見開いた。

一番最初に目に入ったのは、最早年代物を通り越して『骨董品』と呼んで差し支えないほど年季の入った三角帽子
年老いて皴塗れになった老婆でも今時被らないようなその帽子の持ち主は――老いなど無縁のうら若い女性だった。
腰ほどまであるだろう、黒く長い髪――背に受けた光に透かされる中、夜の闇のような不思議な深みを帯びている。
その下にあった顔は、アトリとそう年の頃は変わらないだろう――鼻筋はすっと通り、頬は瑞々しく、唇は艶やかな薄い紅。
穏やかに微笑を浮かべているその様子には、思わず振り返ってしまうほどの、凛とした雰囲気の美人。
しかし、ただ「若い」と表現するのが躊躇われるのは、眼鏡の奥に嵌め込まれた黒の双眸のせいだろうか。
黒曜石オブシディアンを思わせるその瞳には、透き通るほど綺麗でありながら、どこか奥深い知性を感じさせる静かな輝き。
最奥まで見渡せぬ深遠なこの瞳と向き合えば、虜にされてしまう者も多いのではないだろうか。

白のブラウスに、黒いミニのプリーツスカート。
特に目立つ所のないものだが、色調もシンプルであるが故に、強く人を選ぶ格好だ。
しかし、彼女の場合はそれが必然であるかの如く、色合わせの強いこの格好をごく自然に着こなしていた。
袖は短く、そこからすらりと伸びて開放的に晒された腕や足は、造形美の極みを体現しながら、日焼けをまるで知らない白磁。
薄いブラウスを窮屈そうに押し上げる双丘は、大きさも形も実に申し分無く、豊かにその存在感を主張している。
履いている編み上げのブーツだけが、女性用のお洒落なものではなく――実用的なフォルムをした無骨なものだったが、
それは彼女が、この街の住民や観光気分で旅行に来た者ではなく、本格的に『旅』をしている者だからだ。

古めかしい三角帽子を脱いで、彼女はそのまま店内を見回す。
やがてその視線が、アトリの背中でぴたりと止まって――
「……やっぱり、ここにいたんだ」
凛とした声と花咲くような安堵の笑顔に、店長は言葉も無く見惚れてしまっていた。
「騒動がある場所なら必ずいると思ったけど……やっぱり今日もそうだった」
「……騒動全て、俺のせいみたいな言い方は止めろ」
このやり取りが無かったとしても――彼女がアトリの関係者だと、確信していた。
理屈ではない。
ただ、月の光のように美しい銀の髪と瞳を持つアトリと並ぶと、対照的に映える女性だと思ったのだ。
「この方は――?」
「……ああ、話してなかったか。色々あって、今のところ道中を同じにしている――」
「――トト、といいます」
アトリの言葉を引き継ぐようにして、女性はふっと微笑む。
「アトリがお世話になってると聞きました――初めまして」
静かに頭を下げる彼女に、店長は一礼を返し――アトリは気にした風も無く、手元のグラスを傾ける。
「結構、探したのよ? もう、最近の街って随分広くなったわね……」
「探した……?」
「ほら、前の依頼で貰った報酬――この街の高級レストランの無料券。勿論、飲食代も込みで無料ってやつ」
「お前に渡しておいたはずだが……無くしたのか?」
「勿論、きちんと持ってるわよ?」
トトと名乗った女性は、指に挟んだチケットをひらひらと示して。
「ただ、このチケット……やっぱりアトリ名義のペア・チケットなのよね。私一人じゃ門前払いされちゃって」
「……なるほどな」
「だから――」
向日葵のような、にこやかな笑顔と共に――むんずとアトリの首根を捕まえるなり、スツールごと引きずり始めた。
その足取りは軽く、世の平均男性よりもずっと体格の大きな彼の重さなどまるで感じさせずにずるずると引っ張っていく。
「おい、待て――何をしている」
「何って……強制連行?」
「普通こういうときはまず頼むところから入ると思うんだが」
「ん〜……それはそうなんだけど……OKだったら問題ないし、駄目でも無理矢理引っ張っていくし。
 どっちにせよ結果が変わらないなら、行動はスマートに最適化したほうがいいと思わない?」
「むぅ……そういうものなのか」
「多分だけど」
いま一つ、どこかずれた会話のやり取り。
何のためらいも無くずるずると床をスツールごと引きずってくトトもトトなら、
引きずられながらもその行動自体に全く動揺していないアトリもアトリである。
「あの、ご両人?」
「あ――きちんと後でこのスツール、返しに来ますから」
「済まんが今日はつけておいてくれ――金が整い次第、払う」
店のグラスとスツールごと――二人の姿が、スイングドアの向こうへと消える。
完全にペースに流された挙句、放置気味の形で――静寂と店長だけが、店の中に取り残された。
「……うーむ……果たして、何処から突っ込むべきでしたか」
目の前で繰り広げられた、天然と天然の応酬――
ツッコミがいないと言う戦慄すべきその状況に、店長はうそ寒げに首筋の辺りを撫でる。
「……しかし……あのアトリに、旅の連れ……ですか」
誰彼となしに呟くその声には、軽い驚きが滲んでいる。
一時的な共闘や、共同で同じ依頼を請け負った時ならばともかく――アトリは基本的に誰とも旅を共にしなかった。
若くして、既にこれほどの腕前である。是非相棒にと、様々なペネトレイター達の誘いの声がひっきりなしに掛けられた時もあった。
しかし、その全てを頑なに拒絶し――彼は結局、最後に出会った時も――ずっと一人で旅を続けていたのだ。

その彼が――誰かと道中を共にしている。

「……なるほど……そういう、ことですか」

僅かに揺れるスイングドアから漏れる、夜明けにも似た白い輝き。

「少し、変わったのかもしれませんね――風向きが」


昔に立ち返ったように、笑みをその口元に貼り付けて――彼は静かにグラスを掲げた。