No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater
双隻眼のアトリ・イスカ

第三話 双隻眼

無頼漢一人を一瞬で沈めた手並みに、咄嗟に男達は動けないでいた。
元々、そうと見えないほど引き締まった体をしているものの――2dcに達するかという背格好の男である。
完全に、圧倒されてしまっていたといってもいい。
だから、外套の男は暫くの後――動揺に揺れる男達へと、爆発するように自ら踏み込んだ。
開いていたはずの間を、まるでコマ落としのように詰める圧倒的な踏み込み。
対処する間もなく、外套の下から突き出した硬い拳が、ウェイトレスを掴んだ一人の鳩尾に深々と突き刺さる。
衝撃が腹腔で爆発し、苦悶の叫びさえ吐くことの叶わぬ激痛に悶絶していた意識は、首の裏に叩き込まれた手刀に断絶された。
疾風迅雷の苛烈な一撃とは裏腹、優雅とさえ言えるほどふわりと広がった銀髪が――次の瞬間、鋭く翻って円弧を描く。
同時に固めていた肘が同じ軌道に乗って、彼女を拘束していたもう一人の鼻骨を粉砕した。
幸い、先刻の彼とは違って―― 一撃で意識が飛んだらしい。
彼ほどの苦痛を味わう事無く、紅い尾を描いて白目を剥き、倒れる。
そこでようやく彼らも、無抵抗に殴り倒されている現状を把握した。
気圧されていた自身を激励するように、腹の底から怒声を張り上げ――雪崩を打って数名が襲い掛かる。
一人目の拳が目前を通り過ぎるのを半身を開いてやり過ごし、掬い上げるようなフックが頬骨を粉砕する。
砕けた歯を散らすように、錐揉みしながら店の壁に激突した男に眼を向けることもせず、拳を引き戻して無造作に踵を跳ね上げる。
それは見事に背後から迫ろうとした二人目の脛を砕き、目の前にいた三人目の顔面に吸い込まれるように叩きこまれた拳。
鈍い感触が手応えに残り、足元から崩れようとした其処に急襲した蹴りが脇腹を粉砕して床を横転させた。
圧倒的な強さだった。
彼が一人目を床に突き倒してからここまで、数秒とかかってはいない。
これほど上背があるなら、力はあっても鈍重そうなものなのに――外套の男の動きは恐ろしく鋭い。
目の前で大立ち回りを演じてみせる男を、まるで他人事のように呆然と、見つめているだけだったウェイトレスは――
拘束していた男たちが床に沈んだ今なら、逃げ出すことも出来る―― 千載一遇のチャンスに気がついた。
だが、駆け出した瞬間、そんな彼女の様子に気付き、慌てて手を伸ばした男が一人――
破竹の勢いで男達を捻じ伏せていく外套の男への抑止の手段として、人質代わりに使うつもりなのだったのだろう。
唖然としていた時間が長すぎたと、苦く彼女は後悔した。
手を伸ばす男から、このタイミングでは逃げられない――思わず眼を瞑った瞬間。
男よりも早く彼女の腕を掴み、有無を言わさぬ力で引き寄せた別の腕、一本。
騒ぎの中心から、自身の背へと引き抜いたのは外套の男。
何気ない仕草で騒ぎの中心から引き抜くと、外套の男はごくごく自然に、背に負うように彼女を招く。
無頼漢を瞬く間に沈めてきたその手は、予想していたよりもずっと優しい力で手首を握り、それが心を安らがせる。
背に負うようにして立った姿が大きく広く感じられたのは、上背だけが理由ではなかった。
更にその後ろにいたマスターが、落ち着き払った様子でカウンターを開く。
彼女がその内側に避難したのを目の端で確認して――外套の男は再び、一本の銀流となった。
怒声を上げて襲い掛かる男の拳の内側に入り込み、捻じ伏せるように当身を喰わせて退かせる。
同時、横合いから突きこまれた拳の流れに沿うようにして反転――鋭い肘が、今一人のこめかみで炸裂した。
もんどり打ってテーブルに突っ込み、乾いた音と共にグラスやボトルが砕け散る――その時には、唸りを上げて爪先が跳ね上がる。
悪路や長旅にも耐えられるよう、金属の枠で補強を施してある靴は、それだけで充分な殺傷力を秘めていた。
容赦ない一撃を腹部に見舞われ、吐き出した吐瀉物の中に顔を沈めて気絶する。
だがその時には、銀髪の男を取り囲むようにして逃げ場を塞いだ三人が、左右背後の方向から豪腕を振り上げていた。
流麗な銀の流れの向きが鮮やかに変わる。
豪腕で薙いだのは、銀の残影――その長身からは考えられない機敏さで跪いた男は、そのまま長い脚で円弧を描く。
一人が足を払われて宙を舞い、続けてもう一人の下腿部に鋭く叩き込まれた靴裏が、鈍い衝撃と共に骨を砕いた。
絶叫を撒き散らして悶絶する男を尻目、跳ね上がるようにして叩き上げた掌底が最後の一人の顎を破砕する――
だが、鼓膜を突き破るような轟音が店内に轟いたのは――その時だった。
男たちの中の一人が、手にしっかりと握った金属の塊――“銃”。
吐き出された火線は、数瞬遅れを取った帽子を撃ち貫き、戸棚に並べてあった高級酒の瓶の一つを粉々に砕く。
後一瞬、外套の男が伏せるのが遅れていれば、打ち抜かれたのは帽子ではなく、瓶の代わりに頭が砕け散っていたに違いない。
そして銃の乱入は、店内の争いに変化をもたらした。
男たちの全員が己の腰に提げた相棒の存在を思い出し、腰のホルスターへ手を伸ばす。
外套の男もまた外套の下に両腕を隠し、滑る銀の流れと化して銃撃を見舞った男へ肉薄する。
まさかここで、男が距離を詰めてくるとは思わなかったらしい。
反射的に銃口を向けるものの、その動きはあまりにも無駄が多く、精彩を欠き。
そんな狼狽した一撃など、外套の彼に通じるわけもなく――
重なり合う、撃鉄の音。
凍りつく、局面。
全員が銃を構えたまま、動かない。
だが。
男達の手にする、十を越える数の拳銃――その銃口全てが、外套の男へと標準を定め。
外套の男が両手に握った二丁拳銃―― 一つは周囲への応対に反応できるよう自然体に構え、
もう一つが最初に発砲した男の咥内深くに捻り込まれている。
素人目に見ても、外套の男の不利は明らかだった。
確信した勝利に、ようやく男達の表情にも笑みが戻ってくる。
「銃を捨てて、手を高く上げな――天国に届くぐらいまでなぁ!」
まだ、殺しはしない。
武器を奪い、念のために両手両足を撃ち抜いた後は――暫く『教育』してやるのだ。
確かに腕は立つようだが、この嫌味なくらい美形の青二才は少々調子に乗りすぎた。
一体誰に対して喧嘩を売ったのか、そのことを骨身に教え、死ぬほど後悔させてから殺す。
頭の中で繰り広げられる愉快な光景に、男達の間に嗜虐的な笑みが浮かび。
自分を助けてくれた男の末路に、白くなるまで唇を噛み締めるウェイトレス――
しかし。
「……聞こえてんのか――おい! 銃を下ろせって言ってるんだよ!!」
この絶体絶命の状況の中、外套の男はその言葉がまるで聞こえていないかのように微動だにしない。
瞳の奥に怯えは無く、銀髪の下の逞しい顔には、未だ感情の焦りが見えない――
感情の昂ぶりが瞬時に沸点に達し、足の甲でも撃ち抜いてやろうと引き金に指をかけた――その時。
「撃ちたければ、好きにしろ」
外套の男には、自殺願望があったのだろうか。
――否。
何故ならその瞳にも言葉にも。
自棄の響きは感じられない――
「ただし、撃てば全員――綺麗に吹き飛ぶことになるがな」
男の言葉。
その意味に一番最初に気付いたのは、彼を包囲していた男のうちの一人だった。
たまたま視線を口の中に銃を突っ込まれた男へと向けた時、彼の様子にふと気になったものがあった。
大口の中に銃口を突きこまれ、気が動転しているのは判る――だがそれにしたって、少しばかり抵抗が無さ過ぎる。
ここにいる面子は、こんな真似をされて粛々と萎縮するような柄ではない。
にもかかわらず、口の中に銃を咥えて――そのまままるで、凍りついたように。
指一本動かさず、視線は口の中の銃から微動だにもしな――
銃?
いや、あれは本当に銃なのだろうか。
確かに一見大型拳銃の様にも見えるが、それにしては口径が大きすぎる。
あれは銃というよりは、むしろ――
「……まさか……グ、グレネードランチャー!?」
男の声はこれ以上ないほどに引き攣り、こんな状況でなければその様子は失笑の種になっていただろう。
だが現実は、失笑どころの騒ぎではない――波紋のように、店内へ広がっていく動揺。
「榴弾は装填してある……撃ち貫かれようと、銃爪を引き絞るワンアクションは出来ると思うが」
冗談ではない。
こんな店内で榴弾が炸裂するような事態になれば、爆発した炎熱と衝撃から逃れる場所など何処にも無い。
それは他ならぬ、この外套の男自身も例外ではない――こんな事は、ただの自殺行為でしかない――
「……バ、馬鹿かお前は!? 自分を巻き込んで、榴弾なんてぶっ放して何の得が――」
「そうか? どう手を拱いていても、このままだと俺はお前達に殺されるんだろう。
なら、銃弾に貫かれようとお前達を巻き込んで爆死しようと、結末は変わらんと思うが」
握った榴弾投擲砲を示し、軽く肩をすくめて。
「何なら、試してみるか?」
まるで冷水を浴びせられたように、男達の表情が凍りついた。
どう考えても、外套の男のこれは取引として真っ当なやり方ではない。
だが、差し当たってこの男の暴挙を無効化するやり方も見つからない。
外套の男が誰か一人に榴弾投擲砲を突きつけているだけだったなら、腕を狙って取り落とさせるという手段もあった。
しかし、砲身が男の咥内で固定されてしまっている以上、弾き飛ばすという事は無理である。
それどころか、下手に狙ってもし中に装填されている榴弾が爆発を起こすようなことになれば――目も当てられないこととなる。
心臓や頭を狙って一斉に弾丸を撃ち込んだとしても、この男が死の間際に銃爪を引かないという確証は無い。
銃でも心臓でもなく、銃を握る腕に狙いを定めてみてはと考えるものもいたが、そうするにはもう片方の拳銃が厄介だった。
男達の握っている拳銃が、まるで子供の玩具に思えるほど――大きく、禍々しいまでの硬質の輝きを返す銀色の大型拳銃。
重量も反動も洒落にならない怪物だろうが、その威力は推して知れる。喰らえば胴ごと木っ端微塵だ。
外套の男の大きな手に収まるその怪物は、どう見ても、長年に渡って生死を共にした相棒という雰囲気。
先刻の戦いぶりからも、その獲物を扱い損ねるという事は考えられなかった。
だが、何よりも印象的に男達の心を縛ったのは。
狂っているのかと思い、覗き込んだ銀色の瞳――そこに湛えられた光だった。
相変わらず、感情を読み取ることは難しい。
だが、改めて向き直った時。
何の感情も浮かべていないと思われていた、その瞳の奥に――何かが湛えられている。
その事に気付いた瞬間、全員が例外なく、まるで背筋に氷柱を入れられたような激しい身震いに襲われていた。
一体、瞳の奥にあったものは何なのだろう?
少なくとも、自嘲も自棄といった感情ではない。
そういったものとは、全く逆の感情が――しかし果たして、『それ』を感情と呼んでいいものなのだろうか。
例えるならば、鞘に収められていた刃が抜き放たれた時に見せる、凄みにも似た輝き。
射竦められただけで首を斬り落とされてしまいそうな錯覚が、錯覚とは思えないほど現実的に彼らの心を縛っていた。
その瞳が――この交渉になっていない交渉を、現実のものとしたと言っても過言ではないかもしれない。
それだけの強い力を、その眼差しには感じた。
一体、どれほどの修羅場を潜り抜ければ、この凄みが備わるのだろう。
一体、どれほどの人間を殺めれば、これほどにまで苛烈で冷ややかな気配が染み付くのだろう――
今、明らかに男達は――外套の男に気圧されていた。
そして男が、告げる。
「今のお前達に与える選択肢は――二つだ」
一陣の風が店内を吹きぬけ、外套の男の前髪を流す。
衆目に晒された、男のもう半分の顔。
左半分と同じ、端整な造りをした――顔。
「自分の命を捨ててでも――自尊心を守るために、撃ってみるか」
だが、その眼窩に据えられていた輝きは。
「ここで銃を捨てて、今すぐ俺の目の前から消えるか」
――金の、瞳。
「さあ――好きなほうを選べ」
空気が、変わる。
肌で感じるほど明白に、外套の男の放つ気配が変わったのが判った。
ただ、もう反面の顔が露になっただけだというのに――肌が粟立つほどの鬼気。
それに引きずられるように、穏やかだった銀の瞳の輝きさえもが炯炯と燃え上がっている。
掴むことさえ出来そうなほど立ち上る気迫に、男の存在感が何倍にも膨れ上がる――
「金と、銀……互いに違う色合いの、瞳……」
異端めいた双眸。
二つとは見られない、珍しいその瞳が――男達の埃塗れの記憶の引き出しを強烈に刺激する。
誰彼とも無く、やがては導き出す―― 一つの、名前――
「『双隻眼』……双隻眼のアトリ・イスカ!?」
殆ど、悲鳴のようなその叫びに。
「……選ぶことが、出来ないのなら――」
男は初めて、笑った。
「全員――この場で、死ぬか?」
獲物を目の前にした、肉食獣のような笑みだった。
その言葉への返答は――音声でも銃声ではなかった。
一目散に悲鳴を上げ、踵を返してそのまま逃げたのは――男達。
鋼の相棒を投げ捨てるようにして、たった一つの出口へ急ぐその様には、体裁もプライドもまるで無い。
押し合い圧し合い、蹴倒し罵倒し突き飛ばし、我先にと店の外へと逃げ出していく――
店内が静まり返った時、残ったのは床に這った面々と――口の中に銃を付きこまれた一人のみ。
金銀の双眸の目の前に取り残された彼の顔色は、既に蒼白を通り越し既に土気色に変じていた。
これ以上無いほどに瞠目し、呼吸はまるで喉笛を握り絞められているかのように浅く、か細い。
恐怖に全身を縛られた体は、まるで彼の言う事を聞かず――身長差のせいで、情けなく爪先立ちする有様だ。
だが、口の中に銃を突きこまれた時より、外套の男の名を耳にした後の方が、動揺ぶりは遥かに大きかった。
恐怖しているのは、口に入れられた銃ではなく――『男』の方なのだ。
それも、その怯えぶりが尋常ではない。
例え死の使いを目の前にしたとて、ここまでの恐怖に捉われることがあるのだろうか?
異端の双眸を目の前にして。
男は理屈ではない部分で、自らの『死』を確信していた。
だが――次の瞬間、外套の男は勢いをつけて捻りこんでいた砲身を引き抜く。
衝撃に前歯が数本砕け、見る見る口の中が血で溢れかえるが――その痛みを感じることも忘れ、外套の男を見返す。
見逃して、くれるのだろうか――そんな考えが一瞬頭を過ぎった、正にその時。
――雷光が如く首筋に叩き込まれた手刀に、張り詰めていた彼の意識は簡単に霧散した――



