No.03-EX02 Alfail story Episode Penetrater

双隻眼のアトリ・イスカ


第二話 男、一人



あわや、辱めを受けるところだった小柄なウェイトレスも、それを囲む男達も。
彼ら全員の視線が、一点――スイングドアを押して現れたその人物へと向けられていた。

良くも悪くも、非常に目を惹く人物だった。
この辺りを旅するには不可欠な、丈夫な外套とつばの広い帽子。
目深に被った姿からは、男の人相さえ見て取ることは出来ず――すぐに記憶から消えてしまいそうだったが、
dcダブル・キュービット(1dc≒1mメートル)に届くか届かないかの、ずば抜けて高いその長身。
そして――帽子の下から覗く長い髪の色は、まるで満月の夜の静かな輝きを集め、一本づづ紡いだような見事な白銀。
女性でさえ、思わず息を呑むほどの美しい銀の髪は、その殆どが邪魔にならない様、適当な長さで放置されていたが、
たった一房だけ――後頭部から伸ばされ、腰の辺りにまで垂れている。
彼の動きに合わせてゆらゆらと動くその銀糸は、男の旅慣れた格好に酷くミスマッチしていて、嫌が応にも人の目に残った。

女性にしては高すぎる身長、男性にしては美しすぎる髪。
果たして彼の者は、街から街へ旅と詩を歌い、人々の胸に恋を伝える吟遊詩人だろうか。
はたまた、やんごとなき身分を隠し、気ままな放浪を続ける、変わり者の若き御曹司か――
そんな想像をかきたてられる、現実感を欠いた姿。
少なくとも、この酒場のような場所に似合いの姿でないことだけは明らかだった。

「――いらっしゃいませ」

だが、凍てついた店内の時間を最初に動かしたのは――相変わらずグラスを拭き続けていた店長だった。
すっかり灰色になった髪と髭を丁寧に整え、実年齢よりずっとしっかりとした立ち居振る舞いの老バーテンダーは、
突然の乱入者を見るなり、軽く目を見開き――目元をそっと綻ばせる。
まるで十年来の常連に対するような暖かい響きが、その人物へとかける声から感じられた。
「随分とお久しぶりです。相変わらず、お元気そうで何より」
「……ああ。本当に久々だ」
返す来訪者の言葉は素っ気無かったが、店長の言葉をないがしろにするようなものでもなかった。
まるで静かな湖畔を思わせるように響き、落ち着き払った――男の声。
先刻までの緊迫した空気を、まるで無かったことの様に霧散させてしまった二人のやり取りに――呆気に取られる、男達。
「呑みたいんだが……何か新しく仕入れたものは無いか?」
「勿論、ありますとも。……ですが、今は少々立て込んでおりまして――」
店長は目線で、店内の様子を示す。
それに促される形で、ようやく外套の人物はゆっくりと振り返り、男たちへと向き直った。
目深に被った帽子のつばに、軽く手を添え――顔を上げる。

「道理で騒がしいと思ったが……こういうことか」

顔を上げた外套の男――その帽子の下にあったのは、精悍な面持ちをした男の顔だった。
伸びた前髪に顔の左半分が隠れされていたが、もう半分から覗く顔は彫刻の様に端麗で、文句の付け所が見当たらない。
不思議なもので、顔が隠れていた時はどこか中性的な雰囲気を感じさせていた雰囲気も――この素顔を見た途端に霧散してしまっている。
それほどまでに凛々しく、逞しい美丈夫だった。
涼やかに開かれた切れ長の瞳は、髪と同じ銀色――だが、その上に仄かに蒼を刷いたような色は、男の沈着な眼差しに深みを与えている。
閉ざした唇はどこか禁欲的さを感じさせ、きりりと伸びた眉。非の打ち所の無い造詣。
見たところ、年の頃はまだ24・5――男としての深みを醸すには早いものだが、
端整さと力強さを両立させたその面持ちと、対照的に落ち着き払った表情は、人を惹き付けるには充分すぎる魅力に満ちている。
事実、このような状況だというのに、ウェイトレスの彼女も思わず男の容姿に数瞬見とれてしまっていた。

「随分と見苦しいな……馬鹿がこれだけ、よく集まったものだ」

外套の男は店内を睥睨し、まるで鏨を打ち込むかの様な硬さと鋭さで男達を斬り捨てる。
包み隠す美徳を知らない容赦無いその言葉には、侮蔑よりも呆れの色のほうが強かった。
それはつまり、男の言葉には挑発の意味合いよりも――本気で男達に呆れているということを、如実に物語っていたのだ。
あって無きに等しい堪忍袋の尾が音を立て始め、男達の顔が険悪なものへと変わっていく。
「馬鹿……だとッ!? オレ達に言ってんのか――それは!!」
「俺の目の前で馬鹿面を下げているのは、お前達以外にいないと思うが」
外套の男の言葉は、顔に浮かべた表情と同じ――あまり感情の起伏を感じさせないものだったが、
そうであるからこそ、同性に妬まれそうなほど整った相貌に浮かぶ不遜さが、彼らの憎悪を駆り立てていた。
「お前……オレ達が一体何なのか、判っ――」
「『ペネトレイター』だろう?」
言葉の先を奪われ、戸惑う男を冷ややかに見据えて。
そのまま、滑るように銀の瞳が――男達の胸元を貫く。
「首から提げた銀の弾丸シルバーブリットは“貫く者ペネトレイター”の証。子供でも知っていることだ」
そして、彼らに示すように――外套の下から、男が掲げて見せたのは。
男達のものと同じ、銀の弾丸を提げたペンダント。
「同業だと――!?」
「お前たちと一緒にされるのは不愉快だがな」
形の良い柳眉をしかめると、外套の男は改めて店内を一瞥する。
彼の動きに合わせ、伸ばした長い一房が――ふわりと揺れて纏わった。
「お前達が自分の痴態を誇らしげに晒そうが勝手だが……同類にされるのは御免だ」
外套の下、軽く肩をすくめて。
「捻じ伏せられたくなかったら――今すぐ何処へなりと消えろ」
――その言葉に答えたのは、言葉ではなかった。
小柄なウェイトレスに最初に絡んだ、にやけ顔の男――
たまたま外套の男の一番近くにいた彼は、即座に拳を固めるなり、それを振り上げ殴りかかったのだ。
その動きは粗暴であったが思いのほか早く、そして明らかに荒事慣れした一撃。
今まで何人もの男を沈めてきたストレートは、今回もまた、このいけ好かない優男の頬骨を砕くものだと信じていた。

だが。

「――ガッ!?」

彼の拳が、外套の男の横顔に吸い込まれる寸前。
その一撃を遥かに上回る速さで繰り出された外套の男の掌が、男の喉笛を鋭く叩いていた。
次の瞬間には、苦鳴の呻きを男が漏らそうとするよりも早く、まるで万力のような容赦の無い力が首を握り絞め、気管を塞ぐ。
すらりと伸びた長い腕は、まるで鋼を思わせるように逞しく鍛え上げられていて、握る力にもまるでむらが無かった。
圧倒的なリーチに阻まれ、顔面に届きすらしないストレートを突き出したまま、男はもう片方の手で喉を絞める手を外そうと試みる。
しかし、男は手を離すどころか――驚嘆すべき膂力を発揮し、片腕で男を持ち上げていく――
「勧告は、したはずだ」
あまりの所業に茫然となった一同の中、爪先が床を離れ、声を上げることも出来ず、男が蛙の潰れたような息を吐く。
それを見ても、彼は顔の筋肉一つ動かすこと無く――唸りを上げるように、逞しい腕を翻した。
瞬間、握られていた男の身体がぐるりと反転し、まるで地が鳴動したかのような凄まじい音と共に頭が床板へ突き刺さる。
傍にあったテーブルが衝撃に耐え切れずに真二つに折れ、グラスや煙草の吸殻が宙に飛散する。
床に突き刺さった男は、ぴくぴくと小刻みに痙攣していたようだが――そこから僅かとも動かない。
恐らく、彼の生死を分けたのは、この店の造りが木造だったからだろう。
これが堅牢な日干し煉瓦の床だったなら、男の頭は西瓜の様に爆ぜていたに違いない。

鮮やか過ぎる手並み。
『圧倒』の文字が体現されたような一瞬。

言葉を失う一同の中で。

この現状を作り出した外套の男だけが、何事もなかったかのように軽く息を吐き――拳を固めた。

「床の味を知りたい奴から――来い」