人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.
Keine Kamishirasawa & Mokou Huziwara
-不器用な手で紡がれた、優しい“歴史”に想いを馳せて-

3.優しい黄金の世界
贔屓目に見ても『道』とは呼べない、僅かに開いた木々の合間。
幻想郷を歩き回って随分な年月を重ねた私でさえ、一度も踏み込んだ事の無いような場所。
それを、まるで自分の庭の様な軽やかな足取りですいすいと歩く慧音。
彼女の足を引っ張らないよう、雪の上に残った足跡を辿るようにして何とかその後を着いて行く。
真上から見下ろしていたはずの太陽も、頬杖をついたように傾いた光を投げかけて。
それでもまだ足を止めない慧音に、一体どこまで歩けばいいのか尋ねようと――見上げたその時。
ぎゅっと、掌を握り締める感触。
振り返った慧音の突然の行動に、誰何の声を上げるより早く。
見た目よりずっと力強い腕が――私をぐい、と引っ張って。
そして彼女に導かれるまま、勢いで数歩よろめいた次の瞬間。
細かい針で肌を突くようだった、冬山の厳しい冷たさが――嘘のように、消え去っていた。
「……え……?」
変化はそれだけじゃなかった。
周囲の景色も、山の中である事には変わりない――けれど。
あれだけ降り積もっては、枝々に重く頭を垂れさせていた雪がどこにも見当たらない。
舞い散る紅葉は色鮮やかに、夕陽の輝きを受けて燃える。
澄み渡った空の高さ――肌をそっと撫でる風に、乾いた木々の香り。
見渡す限りの白銀の世界が、今はまるで――紅と黄金に、色鮮やかに燃えるかのよう――
「時節でいえば、十月の中旬から下旬というところだろう。そこで歴史を止めた。
だからここには移ろうべき四季も、従うべき時の流れもない」
「ちょっ……慧音!?」
「大丈夫だ。結界で隔絶しているから、誰かに気付かれることはないぞ?」
ちょっとした悪戯に成功した様に微笑む姿に、思わず言葉を失う私。
「来て欲しかった場所は……もう、目と鼻の先だ」
そして、彩り鮮やかな秋の世界へと――彼女は足を踏み入れていく。
黄金の輝きの中へと消えてしまいそうな黒い背中を、慌てて追いかけながら。
彼女が纏う喪服の意味。
深山に知れず築かれた、閉ざされている秋の世界。
それを作り出した、慧音の真意――普段の彼女から考えられないほどの大規模な歴史改変。
全ての疑問の答えはきっと、彼女が私を連れていこうとする――その場所に。
惜しみなく投げかけられた斜陽、二色に切り裂かれた世界。
茂みを掻き分け、木々の合間を抜け――道なき道を進む。
踏んだ枯れ枝は乾いた音を立て、初めての来訪者を世界の最奥へと誘って。
やがて視界が開けた時――歴史に閉ざされた世界の奥で、私が目にした光景。
見渡す限りに広がる黄金。
世界の果てまで続くような広大なすすきの原。
斜陽を浴びて輝きながら、風を受けて泰然と揺らぐ様は――まるで大海原のようで。
慧音が、私を連れてこようとした場所。
言葉を交わすこともなく――ここなのだと理解した。
「……そこまで驚いてくれると、紹介した甲斐もある」
言葉を失い立ち尽くした私に向って、慧音はふわりと笑顔を浮かべる。
彼女の長い銀髪も、目の前のすすきと同じように――夕陽を浴び、きらきらと輝いて。
綺麗だと思った。
たった二文字で表すことが、酷く拙い様に感じるほど。
目の前の光景も――そして、この光景を前にした慧音の姿も。
「……ここは……?」
光景に圧倒された衝撃が抜けきっていないのか、上手く言葉が出てこない。
呟いた言葉は掠れて、そのまますすき達の奏でる潮騒にも似たざわめきに呑み込まれていく。
けれど言葉が消されようとも、この心にある様々な疑問を消すことは出来そうに無かった。
辺り一帯の歴史を、思いのままに作り変えた慧音の真意。
目の前の光景が答えだとしても、自分のためだけにこんな事が出来る子じゃない。
それに――もし、ただこの光景を私と一緒に眺めるためだけに、ここを訪れたというのなら。
鴉の羽よりも真っ黒な、喪服を纏う必要は無い――
慧音は言葉じゃなく、行動でその疑問に応えた。
私に向けていた視線を、つい、と――目の前に広がる広大なすすきの原へ移したのだ。
釣られるような形となって私の視線も横手へと滑り、風に揺れるすすきの合間に何か立っている事に気付いた。
すすきの原へと踏み込んだ慧音を追いかけ、腰ほどの高さもあるすすきの穂を押し分けてそれに近付く。
近付いていくうちに、輪郭も段々と判る様になって――やがて目の前に相対した時。
そこにあったのは、一本の石柱。
黄金の世界と対極を為すような黒だというのに――調和を、為すのは。
帯びた光沢が滑らかで、優しいものだったからかもしれない。
その大きさ、その形――その雰囲気。
自然と浮かんだ感想が口をついて出た。
「お墓……?」
何処にも名前は刻まれていない。
土台も供物代も無く、ただ直方体の石柱が地面に突き刺さっているだけ。
それでも『墓』だと感じたのは、見下ろす慧音の瞳の奥に――故人を偲ぶ感情の輝きがあったからなのかもしれない。
「慧音……ひょっとしてこれ、自分で?」
「……ああ。本物と比べて、随分と拙いものだが……」
「そんなことないわよ。確かに作りは簡素なものだけど……。
別にお墓の豪華さと、故人を偲ぶ気持ちは比例するわけじゃないでしょう?」
こういった事は形式に拘るより、気持ちの方が重要だと思う。
私が口にするには、ちょっと可愛らしすぎる言葉だけれど――慧音なら良く似合う。
その辺りが、変わり者だらけの幻想郷の中でも『変わり者』だと思わせる要因なんだけど。
「ま、死なない私が言ったところで説得力無いかもしれないけどね」
「そんな事は無いさ……ありがとう」
慧音は微笑みながら、首を横に振る。
身に纏う喪服の裾が、吹き抜ける風にふわりと――揺れて。
「ここにいる人間達も、同じように感じてくれていれば――嬉しいのだがな」
その時、何の前触れもなく――微風は殴りつけるような突風に変わった。
勢い良く薙ぎ払われた黄金の海に、遮られていた世界が明らかになる。
そうして、気付いた。
『墓』が―― 一つじゃなかったことに。
背の高いすすきの合間に隠れていた、石柱の行列。
等間隔に、地平の果てまで続くそれは――十や百では、桁が足りない。
「……今まで……沢山の人間達の最後を看取った。
不思議なものだな……確かついこの間、私は彼らが生まれた瞬間に立ち会っていた筈だというのに」
死者達の眠る黄金の世界。
永遠に続くような黒の行列と、同じ色を纏った少女。
彼女にかける、言葉が。
何も――浮かばない。
「沢山の親族や知人に見送られ、天寿を全うする事が出来た者達は……最期も、眠るように安らかだったよ。
死は避けられないものとはいえ、きっとあれならば幸せに最期を迎えられたのだと思う。
皆が皆、そうした最期を迎えられればいいと思うが……なかなかそうは上手く行かない。
誰にも看取られる事無く、ひっそりと息を引き取った者達も……私は沢山知っている。
存在さえ忘れ去られてしまったかの様に死んだ彼らに、せめて、墓でも建ててやれないかと思ってな」
傍らの石柱へと、そっと手を伸ばす。
材料を調達したのも、磨き上げたのも彼女自身なんだろう。
名前が刻まれていなくても、どの柱が誰のものか――多分、全部判ってる。
「墓参りに来るものがいないのだとしても、寂しさを感じないように。
景色の綺麗な場所に、どうせなら建ててやりたいと思った。
おかげでここを見つけるまでで、随分と苦労したが――」
右手へ視線を滑らせる。
すすきの原は途中で途切れて、その先に広がるのは山下の景観。
山の頂上に近い場所であるために、見下ろした幻想郷の景色はなかなかに見ごたえがあった。
博麗の大結界まで見渡せそうな澄み渡る緋の秋空から、ゆっくりと山の麓へ視線を降ろしていく中――
「……あれって……人の集落?」
「ああ。だからこの場所に決めたんだ」
視線の先に広がる集落の様子は、私が知ってるものとは随分と違っていた。
今のものより、建物も雰囲気も随分と古い――結界を挟んで見ているからなんだろうか。
それでも、今もあの辺りに人間達の集落があることに変わりは無い。
「すすきも後から自分で植えた。こうすると、まるで夕陽に包み込まれているみたいだろう?」
先刻まで感じていた、言葉の喪失感はいつの間にか消えていた。
それはきっとこの場所が――『死』に付き纏う陰鬱なイメージが漂うはずの墓地が。
作り手がどんな人格なのか判ってしまうくらい、呆れるほど……優しい雰囲気に満ちていたから。
嬉しそうな様子とその心配りが、あまりに慧音らしく――微笑ましくて。
自然と唇に微笑を載せた時、秋の乾いた風がすすきの穂を揺らしていった。
「何というか……本当、慧音は優しいわね」
「そうだろうか?」
「そうよ。まあ、それと同じぐらい変人だとも思ってるけど」
「むぅ……そこまで身も蓋も無い言い方をするか?」
「充分よ。だってこれは、褒め言葉なんだから」
つくづく、思う。
幻想郷には一癖も二癖もある変わり者が多いけれど、慧音の様な変わり者がいてくれて本当に良かった。
人間にとって良かったことなのは間違いないけど――私にとっても、本当に。
人の汚点、弱さ……何度でも繰り返される過ちに、歴史。
全部知っているのに、そういった弱さに傷つけられたこともあるのだろうに。
それでも人を愛し、常に彼らの為に何か出来ないか考えている慧音。
彼女がいなかったなら、私はもっと『乾いて』しまっていただろう。
蓬莱の薬は、肉体に永遠を与えてくれるけれど。
魂魄を成す精神に、永遠の安定をもたらしてくれる事は無い。
感情も記憶といった、形の無いものは……時と共に、少しづつ磨耗していく。
幸か不幸か、私には輝夜がいるおかげで――殺意や憎悪といった感じの、衝動的な感情は消える事が無いけれど。
けれど、例えば……『優しさ』なんていうものは、こんな生き方をしていれば真っ先に磨り減る。
一度、全てそれを擦り減らした過去があるから判る。
別に蓬莱の薬を舐める前は仏様みたいに優しかったわけじゃない。
けれど、そういった感情もある程度は持っていないと――心は『乾く』。
あの頃の私を見て、輝夜が『蓬莱の人型』と呼んだことの意味も判る。
乾いた心はまともに動きもしないで、死ぬことだけは無い肉体に引きずられて存在し続ける。
そんなのは『生きている』とは言わない――肉体に隷属して、ただ死んでいないだけの人型。
そんな、過ちみたいな昔を経て――今の私が『生きている』のは。
擦り減らし、排斥し、蔑み、嫉妬さえ覚えた……奇麗事みたいな感情の存在価値を、慧音が教えてくれたから。
私と同じか、それくらい心が磨耗するような出来事と年月を経ていて――なお、微笑ましいくらい優しい。
この『変わり者』に救われたのは、私だけじゃない。
ここに葬られた人間達も、きっと――そのはず。
「変に買い被りすぎだ……お前の方が、心根はずっと優しいだろうさ。
私はこう見えても、存外に要領が良くて小ずるい……口にしたことは真実であっても全てではない。
優しく思える行動にも、案外別の理由が隠されているかも知れん」
「あのねぇ……自己申告してる時点でどうかと思うけど。
じゃあ聞くけど、このすすきの原を開いたのに――何か別の理由でも?」
そんな事を聞きながら――同時に、私は。
何で慧音が、私をこの場所へ連れてきたのかをぼんやりと考えはじめる。
けれど、その事への自分なりの回答を導くよりも早く――私の言葉に頷き、慧音は夕陽へと振り返った。
自然、私の方から彼女の顔は見えなくなる――それでも僅かな仕草から、苦笑めいた微笑みを浮かべた事は判って。
そして。
「私がこの世を去った後も、何かの形で残したかった――彼らがこの世に生きた“証”を」
爆弾みたいな一言を、さらりと私に放り投げた。
