人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.

Keine Kamishirasawa & Mokou Huziwara

-不器用な手で紡がれた、優しい“歴史”に想いを馳せて-




2.変わり者の歴史喰い



まさか。
こんなにも早く、妹紅と出会う事になるとは想定していなかった。
けれど結果的に考えれば、早すぎた邂逅は逆に助かったのかもしれない。

出会うのが、もっと遅かったなら。
私を突き動かすこの決意も、揺らいでしまっていたかもしれないから。


踏みしめた雪のくぐもった音。
感覚が、普段よりも短い――逸る気持ちに足が急いてしまっている。
あまり良くない傾向だと判ってはいるのだが、衝動にも似た深い箇所の感情は、なかなかに制御する事が難――

「…………音……慧音!」

その声にはっと我に返る。
か細く、そして何故か遠い――必死に絞った掠れ声。
慌てて振り返ってみれば、晴れ間の見えた寒空から注ぐ光を鏡のように反射する銀世界の中。
へばった体を両膝で支え、肩で息をしながら――遥か後方、一人佇んでいる妹紅の姿があった。


「ちょ……足、速……す、ぎ……!!」

息も絶え絶え、焦点もどこかおぼろげで一点に定まらない。
積もった雪に服が濡れる事も厭わず、手近にあった岩の上にどっかと腰を下ろし、喘ぐ呼気を整える。
差し出した水筒は、まるで親の仇のようにひったくるなり、一気にその中身を口に含んで暫くの後――

「……ぷぁ……っ!! い、生き返った……」
「いくらなんでも、それは大げさすぎると思うのだが……」
「そんな事ない。死なないはずの私が、危うく彼岸を見ることになりそうだったんだから」

ぶすっと口を尖らせながら、こちらを半眼で睨む妹紅。
対応にそれだけの余裕があるのなら、そう深刻な事態ではないと判断する。
それに私自身、気の急いた今はあまり健全な精神状態ともいえないだろう――
休息を取るには丁度いい機会と、拗ねる彼女をなだめるための言葉を私は捜し始めた。




「にしても……本当、苦も無くすいすいと歩いていくわよね……これだけ視界も足場も悪いのに。
 しかもあれだけ歩き詰めて息一つ乱さないし。ここまで活動的だったなんて知らなかったわよ……」
「まあ、この道は随分と歩きなれているし……もともと、昔は山に住んでいたからな。
 この体自体も幸い、多少は見た目より頑丈に出来ているし……」
「そうねぇ。この体のどこから、あんな力が出てくるのやら……ねぇ?」

人はおろか、妖の気配すらない山の空気は静寂で――肌を引き締めるように冷たい。
その空気を貫いた妹紅の視線は、そのまま私の体の上を這い上がるようにして上っていく。
その中には、若干の羨望の刺々しさが混じっているように思うのは……気のせいではないのだろうが……。
確かにその気持ちも判らないわけではないし、私自身もこの体は嫌っていない。
だが、これはこれで苦労も多いのだ……特に辛いのが、慢性的に悩まされる肩凝りなのだが。
……何故かその事を口にしたが最後――血を見る事態になると歴史が告げているため、ここは黙秘を選択しておく。

「永遠に老いも死も無いっていうのも、なってみると案外不便ね……」

まるで箸より重いものなど持った事の無いような自身の掌を眺め、妹紅は嘆くように呟く。
日の光など浴びた事も無い白い肌、僅かに力を加えるだけでぽきりと折れてしまいそうな細腕。
漂わせる雰囲気から普段はあまり意識しないが、妹紅の体は繊細な硝子細工を思わせるほど華奢なもの。
そして、私などとは違い――蓬莱人となった肉体の素体が人間であった妹紅の基礎体力は、その外見を忠実に反映している。

蓬莱の薬が齎す恩恵の一つ、不老。
それは言い換えれば、時間の経過に伴うべき器の『成長』の一切を、肉体側が拒絶するということでもある。
逞しく鍛え上げた肉体の持ち主であれば、最高の状態を崩す事の無い事実に喜べたのかもしれないが――
同世代の少女のそれと比較しても細々とした妹紅の体の様な場合、その特性が裏目に出ている。
いくら時を重ね、鍛錬を積み重ねて肉体に反映しようと願っても――鍛えることが出来ないのだ。

それでも、普段の刺客との応酬で――妖怪を相手にしても、そう簡単に遅れを取らないのは。
蓬莱の薬で副次的に開花した、人を超える異能もさることながら――
限られた力を効率よく扱う、後天的な戦闘技能に惜しみの無い研鑽を重ねてきたためだ。
山登りなどのような純粋に持久力を問われる分野は、ある程度は誤魔化せても自ずと限界が訪れる。

その事を知っていながら、失念し――急いた自身を、今更ながらに反省する。

「いいのよ、別にそんな事。それこそ――『命に関わる』わけでも無いんだから」

頭を下げた私に、妹紅は口元に手を当てて笑ってみせる。

「もう少し体を鍛えてれば良かったかなとは思うのは常だけどね。
 でも、そもそも、こんな活動的な生き方するなんて昔は思ってもみなかったわけだし。
 あの頃の私を知ってる人が今の私を見ても、きっと同一人物とは気付かないわよ? 凄かったんだから」

まるで、何でもない事のように言う妹紅だが。
現実には、当時は――決してそんな楽観的に捉えられるものではなかっただろう。

彼女の『妹紅』という名は、蓬莱人と化した後に彼女自らで名乗る様になったもの。
その名を名乗るより以前、彼女がまだ藤原家直系の者として在った時代。
帝の家系に密となることでその政治的な地位を独占しようと、数多くの女性達が権力者達に嫁いだ頃だ。
そんな時代に生れ落ちながら、彼女はその存在をどの史書にも書き記される事が無かった。
陽の当たる場所があれば、反面、影を刻まれる場所があるように――記されたことだけが歴史ではない。
存在を望まれず、日陰の者として名を記されなかった女性は……名を残したそれより、ずっと多い。

生れ落ちた時から、陽の当たる場所に立つことは許されず。
蓬莱の薬を舐め、人からも妖からも『弾かれた』器。
思えば、最初に出会った頃。
妹紅は、今の様な笑顔を浮かべることは決して無かった。

ただ。
それでも、今の彼女は笑っている。
例え過去に、その辛い記憶を背負い切る事が出来なかったのだとしても。
今、笑って語り草の一つにする事の出来る彼女は……『強い』。

どれほど弱く、儚く。
その双眸から血の涙を零すような、辛い記憶を胸に刻まれたとしても。
例えその時、打ちのめされ……膝を屈しても、やがては自分の足で立ち上がり。
その記憶、関わってきた人々の全てを己の糧へ変え、再び歩き始める。
最後には、こうして笑ってしまう事の出来る――人間らしい、心の強さ。

私では、こうはいかない。

ただ、他の妖怪と違って……私は人の心が惰弱なものである事と同時、とても強いものである事も知っている。
その強さが愛しく、憧れさえ感じ――そして救われた自分がいたからこそ。
私自身もまた、そう在りたいと願ってきた。

そんな私が、今の妹紅に――暖かく強い灯火を灯したのだと。
いつの日か彼女は、そう告げてくれた。


嬉しかった事が、今も忘れられない。


「……そろそろ、行こうか?」


静かに呟いた妹紅に、私の意識が現実へ引き戻される。
岩の上に座る彼女は既に顔色も戻り、呼吸の乱れも感じられない。
それに、あまりゆっくりしていては――今日中に集落へと戻れるか判らなくなる。

だから、私は黙って頷き。
妹紅の足音を背後に感じながら、再び山中を歩き始めた。

心にあった焦燥は、いつの間にか消え。


そこから先の私の歩みに、迷いが生じることは二度と無かった。