人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.
Keine Kamishirasawa & Mokou Huziwara
-お前“も紅”色に染まれ-

4.妄執の炎
生き返った少女は、全身にびっしりと汗をかき、顔色も酷いものだった。
まるで手負いの獣のように体を抱えてうずくまり、荒い息を噛み砕きながら――それでも。
その瞳の中にあった紅は、今まで見たことが無いほどの苛烈な輝きを宿していた。
「…………また……また、負けた……」
獣のようにむき出した歯を、悔しげに噛み締め――地の底から響くような怨嗟が漏れる。
「…………また…………殺された…………っ……くそッ!!」
華奢な拳を、血が滲むほど握り締め。
地面へと叩きつけて、地獄の底から唸るような声を上げる。
「くそっ――糞糞糞ッ!! 何で――何でいつも!! あいつはッ!! あの女はッ!!」
狂気じみた瞳の輝き――隠そうともしない怒りの感情。
そんな少女の姿を、私は初めて見た。
「あの女は――あの女はァァァァァァァァァァァァァッ!!」
ひたすらに叫び、怒り狂い――地面へとその拳を叩きつけて。
やがて、うっすらと手に血を滲ませながら、彼女はゆっくりと立ち上がる。
炎が吹き上がりそうなほど峻烈な輝きを秘めた瞳が――私を鋭く射抜いた。
「貴女――どこから、入ってきたの?」
その瞳を見た時。
少女の口から漏れた、その言葉の冷たさと熱さに触れた時。
私は彼女が、この閉鎖された空間での被害者などではない事を確信していた。
「ここは、臭い妖怪風情がみだりに足を踏み入れていいところじゃないの――さっさと、消えなさい」
少女は私の正体には気付いていないようだった。
確かに、人の姿の時の私と、この姿の時の私は顔立ちなどが劇的に変化しているというわけではない。
しかし、普通に考えて、人間が角と尾を生やして妖怪になるなどと想像できる者などいないのが当たり前だし、
この体に宿る、私自身の本質的な部分においては――全くの別人といっていいほどに『変化』してしまっている。
そのため、なまじ本質的な部分で他者を判断するような類の者であればあるほど、変身前の私と今の私を結びつけ辛い。
そう、本質的な部分。
今、目の前にいる少女は――本質的な『匂い』こそ、人間のそれと同じだったが。
「お前は……『蓬莱人』なのか……!?」
蓬莱人。
歴史を通じ、万物に通暁している私でもおぼろげな情報の断片しか持たない種族。
不老不死の存在と言われる彼らは、何でも、永遠を封じ込めた特殊な薬を嘗めることによって人間が変質したものであり、
世に等しく訪れる大きな輪廻の輪より外れ、自らの内に自分だけの輪廻の輪を持つことによって何度でも『蘇る』ことが出来る。
この幻想郷にあっても、その噂すら聞くことのなかった『幻想の存在』――
私の問いに、少女は冷ややかな嘲笑を唇の端に浮かべた。
「貴女、私が『生き返る』姿を見ていたんでしょう?
そこまで知っててまだ判らないのなら、その目は硝子玉よりも役に立たないわね」
そのまま、するりと私の傍を通りすぎようとする。
「まあ、いいわ――もう今日はここに用は無いし。
貴女が消えないのなら、私がここから消える――せいぜい、満月の夜を楽し――」
「――待て」
私はその肩を掴んで押し留めた。
少女の顔に、さっと怒りの色が広がっていく。
「その臭い手をどけなさいよ――妖怪」
「ここで何があったのか、教えて欲しい」
私への暴言には対しては、眼を瞑って。
その問いが、さらなる怒りを招く事を承知で、それでも確かめねばならない事を聞く。
「お前はここで、一体何と戦っていた? 何故、このような閉じられた空間の中で戦っていたんだ?」
「……それを貴女に教えなければいけない理由は何なの?」
「ここまで無差別に力を振り回す妖怪を、私は知らない。
場合によっては、幻想郷の和を乱す可能性がある――だから知っておきたい」
誰も殺させたくは無い。
集落の、皆も。
――この、少女も。
「教えて欲しい。お前は、一体誰と戦い――敗れたんだ?」
『敗れた』という言葉が――私の口を衝いて出たとき。
鬱陶しげに私を睨みつけていた少女の雰囲気が、一気に変わった。
全身の毛が逆立つほどの赫怒を感じ、本能が激しく警鐘を鳴らす――
「私は、まだ――敗れてないッ!!」
少女は私の手首を掴むや否や、それを力づくで引き剥がした。
箸より重いものを持ったことがあるようには見えない華奢な手から繰り出された膂力に、驚くより早く。
そのまま彼女は、私の腕を力任せに振り払う――抵抗も出来ず投げ飛ばされ、竹幹に打ち据えられた背中に呼吸が詰まった。
「妖怪風情に、何が判る――私達の因縁の、何が!!」
少女は今や――その表情を鬼へと変えていた。
内側から溢れる力にその髪は逆立ち、眼窩の奥で輝く紅は、まるで地の底から吹き上がる溶岩のよう。
焦げるように熱い怒りが煮えたぎり、彼女から放たれるその熱気に、ひりつくような痛みさえ覚える。
いや――これは、単なる比喩などではない。
少女の周りの空気が、本当に熱を帯びている。
足元に生えていた草がみるみる水分を失い、炎も無くゆっくりと焦げていく事に、私は言葉を失った。
「……このまま見逃しておこうと思ったけど、気が変わった」
焼け付くような言葉を吐きながら、少女はゆっくりとその指を開いていく。
硝子より脆い氷で作られたように細く、白い腕を掲げながら――
「死になさい――この、醜い妖怪如きがァァァァァァァァァ!!」
瞬間――少女は紅の弾丸と化し、私へ向かって突撃した。
その少女の体は華奢で、力を入れて抱きしめれば壊れてしまいそうなほど細い。
だが、そんな姿とは裏腹――まるで野生の獣を思わせるような凄まじい勢いで私との合間を詰めていく。
振り上げた指先には、武器も何も無い。
単に熊の手のように指を湾曲させ、振りかぶっただけに過ぎない。
しかし、私が間一髪で避けた一撃は、まるで猛禽の爪の様にこめかみの辺りをかすめ、一文字に肉を抉っていった。
ぱっ――と、血が弾け、敷き詰められた竹の葉に飛沫が飛び散る。
「逃げるなぁぁぁぁっ!!」
少女は手を緩めない。
そのまま両腕を振り上げ――滅茶苦茶に振り回し、襲い掛かってきた。
少女の動きは武術などの類を納めているわけではない、極めて粗雑な動きだったが――恐ろしいほど戦いなれている。
完全に妖怪となっている今の私の肉体は、人間の基本性能の数段上を行くはずだが、この少女と相対しても差異は無いように思えた。
重く鋭い連撃を、研ぎ澄まされた直感によって何とか躱し、私は一旦距離を置いて体制を立て直そうと試みる。
しかしそれより、少女が懐から抜き出したものを、残像も残らぬ速度でこちらに投げ放つ動きの方が速かった。
頭を下げ、掠めるようにぎりぎりのところでやりすごしたそれは――複雑精緻な文様を描いた、数枚の符札。
紙で作られているはずのそれらは、まるで鋭利な刃物のように闇を切り裂き、深々と背後の竹に突き刺さっていく。
そして次の瞬間、天に聳えるような火柱が符札から吹き上がる。
咄嗟に前転してその場を離れていなければ、炎に巻き込まれ黒焦げになってしまっていただろう。
「ちょこまかちょこまかと……鼠のように逃げ回って、恥ずかしいとは思わないの?」
圧倒的なまでの力と速度で、私を圧倒してみせた少女の姿。
この様な時に、こんな感想を抱くことは不謹慎なのだろうが。
炎の照り返しを受け、凛と立った姿は――今まで感じたことが無いほどに、活き活きとした力に溢れていた。
さっと、少女は宙に手を翳す。
瞬間、彼女の背中に不死鳥の紋様が浮かび、その炎の羽根をゆっくりと広げる。
彼女の掌から、凄まじい勢いで炎が吹き上がった。
「鼠は鼠らしく――炎に焦がれてしまえばいい!!」
瞬間、高速で放たれたのは、弾丸の用に打ち出された火炎弾。
それは、決して幻想郷でよく見られる『弾幕ごっこ』などではない。
本気で、ただ相手を『殺す』ためだけに練り上げられた弾幕――
吹き上がる炎以上の憎悪と殺意を露に、火炎弾は複雑な軌道を編みながら、私の命を焼き尽さんと牙を剥く。
私は日頃の弾幕の経験を活用し、燃え上がる炎の塊をやり過ごし、楔のように鋭く放たれたものは紙一重で躱していく。
竹林に次々に着弾する火炎弾は火柱を生み、広がった炎の海はこの世の果てさえ思わせた。
反撃をする暇が見つからない。
紙一重で致命傷だけは裁いているが、すれ違った炎は確実に皮膚を焼き、焦げた跡が体のあちこちに走っていた。
満月の夜の私の体は、平常のそれよりも更に数段生命力と治癒力が高い――
こめかみの傷ももう塞がってしまっていたものの、このまま押され続けていればいつかは炎がまともに私を捉えるだろう。
あれほどの高熱と速度ならば、私のこの命を、それこそ周りの竹のように燃やし尽くすことになるのは明白だった。
それでも。
私は、この弾幕に消されてしまわぬよう、張り裂けんばかりの声で叫んでいた。
「因縁と言ったな!? ――お前は何をそんなに怒り狂っている!?」
私の知っている少女とは、明らかに違う姿。
あの、どこか達観した、まるで風の中に立つ柳のような飄々さがまるで感じられない。
自らの内から火山のように吹き上がる怒りに完全に身を任せたその様子は、まるで泣き叫ぶ幼児さえ思わせる。
「お前をそこまで感情的に追い立てるものは何なんだ!?」
「叫んでる余裕があるの――妖怪ッ!!」
弾幕が視界を塞いだ、ほんの一瞬。
それをついて、少女は再び突撃する。
――その一撃が、この体勢からでは躱せそうにないことを、本能的に私は感じ取っていた。
だが、こんな所で命を失うわけには行かない。
判断は、一瞬――
意識を剣のように研ぎ澄ませ、私の白沢としての能力を完全に解き放つ。
彼女の次の一撃が、何であるのか。
その結果――私がどうなるのか。
その歴史を『先読み』して。
平常ならば抗えぬ、その歴史に――力の全てを持って『抗う』。
――間一髪のところで受け止めた腕は、そのあまりの衝撃の重さにぎしりと嫌な音を響かせていた。
「あの女は! 私の、父様に……恥をかかせた!!」
「なに……!?」
「――あの女は!! 賤しい身分でありながら……私の父様の求婚を断り――信じられないような恥をかかせたッ!!」
両手を受け止め、そのままがっちりと握り締めあう形となる。
完全に力が拮抗する中、己の内側から沸きあがる怒りをそのまま、少女は言葉の形に表していく――
「私にとって――私達の家にとって、当主である父様は誇りだった!
私は、決して望まれた子供では無かった……対屋にも入れてもらえなかったけれど!
それでも、高貴な身分だった私達の『家』に生まれられたこと、父様の娘であったことは私の誇りだった!!
なのに、たかだか成り上がった小金持ちの――それも拾い子のくせをして!! あの女は父様の求婚を断わった!!
それが、どれ程の屈辱か……どれほど、家来達に示しのつかない泥をつけられたことかッ!!」
蓬莱の薬の力か――はたまた、彼女の怒りがもたらしたものか。
妖怪である私を圧倒しかねないほどの凄まじい力をその細腕に込め。
瞳に、昏い炎を燃え上がらせる。
「私は、あの女に復讐してやると誓った……なのにあの女は、そんな私の前から姿を消した!
聞けばあの女は、月から地上に落とされた賤しい罪人、月に帰った以上、手を出すことさえ出来ない!!
父様の名に、傷をつけておきながら!! あの女は――私達の前から消え去った!! 厚顔無恥にも程があるやりかたで!!」
不意にその力が緩められる。
唐突だったために、大きく体勢を崩した私に―― 一歩踏み込んだ少女の膝蹴りが炸裂する。
その衝撃に、まるで鞠のように跳ね上げられて宙を舞った。
冗談のように視界が流れ、数本の竹達を薙ぎ倒して、私の体はようやく停止する。
咳き込んだ喉の奥で、赤いものが弾けていた。
「だから、私は――あの女が最後に遺した薬を奪った。
あの女が世話になった、恩義を感じた男を殺して――だってそうでしょう?
あの女は、父様の今まで保ってきた威厳を――『命』を奪ったのだから!!」
少女の方も、あれだけの動きに加え、一気にまくし立て――息が切れたらしい。
しばらくは顔を上げることも出来ず、顔を真っ赤にして荒く息を吐き出す。
「……それでも、本当なら……」
掠れるよう、絞り出した声は―― 一瞬、普段の少女に戻ったかと思うほど穏やかで。
「本当なら、私の復讐はそこで終わるはずだった。
いくら不老不死になったからとはいえ、月に行けるわけじゃない。
もう二度と、地上に降りてこないのなら――不服だけど、顔も見ないのならまだましだと思ってたわ」
額に張り付いた髪を、指で払いのけて。
「――でも」
――顔を、上げた時。
「あの女は、ここにいた」
その顔に、煉獄の炎さえ思わせる苛烈な二つの蜀が灯っていた。
「あの女は、父様に恥をかかせながら――私の家を侮辱しておきながら!!
まだのうのうと、地上に残っていた!! だから今度こそ殺す!! 絶対に――ここであの女を殺す!!
あの女の命を――この、死なない体で奪いつくすッ!!」
爆発したように踏み込み、突き出された拳――私は真正面から受け止めた。
人の体温とは思えないほどの高温に纏われた拳は、それ自体の破壊力に加え、じりじりと私の掌を焼いていく。
それでも。
「お前の言いたいことは判った――だが!!」
私は、苦痛に歪みそうになる表情を引き締め――真正面から、少女の瞳と相対した。
「何故お前は、そうまでして過去に囚われる!?」
熱い。
少女の近くにいるだけで、産毛がちりちりと焦げていく。
手首から先の感覚が無くなって久しい。。
それでも私は、目の前の少女から決して目線を離さなかった。
「お前の怒りは、真実のものだったのだろう――それが判らないわけではない!
だが、何故これほどの時を経て、まだその怒りに囚われ続ける!?」
私は、知っていたから。
この少女が、私に見せてくれた数々の表情を。
「いや――むしろお前は、自らその過去に囚われているのではないのか!?」
数々の、心を――知っていたから。
「何故、もっと肩の力を抜いて生きられない!? 何故他の生き方を選べない!!
お前なら出来るはずだろうに! 何故お前は、そうまでして復讐に身を焦がす!!
そうやって、過去の因縁の鎖で自分を縛りつけようとするんだ!!」
私の、心からの叫びに。
「――貴女も、真っ直ぐなのね」
熱が消え。
炎が消えて。
少女の瞳から、嘘のように怒りが消えた。
「……かもしれないわね。私はただ、叫んでいるだけで……本当はもう、そこまで身を焦がすほど憎くないのかもしれない。
泥を塗られた私の家への仕打ちに、腹を立て続けるには……少しばかり、時間は流れすぎたわ」
その穏やかな瞳は、私がよく知る少女の目で。
「――でもね」
どこか、達観した飄々さと共に。
「今更――この生き方を変えることなんて出来ないのよ」
瞬間、私の足元から凄まじい勢いで火柱が吹き上がる――
慌てて回避した時、少女は地面を蹴って空に舞っていた。
炎が噴出す直前、交錯した視線。
彼女の瞳の奥から、はっきりと感じた――
触れれば崩れそうなほど、儚い輝きに。
――このまま、彼女を見送ってはいけない。
あの小さくなっていく背中を、今度こそ私は捕まえなくてはいけない。
私も地面を蹴って空に浮き、夜空に浮かぶ椿の花を目掛け、銀の矢となって駆け抜けた。
