人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.

Keine Kamishirasawa & Mokou Huziwara

-お前“も紅”色に染まれ-




3.生命の雫



少女と別れて――黄昏色に輝いていた空が、黒の天鵞絨を広げたような見事な星空へと変わった頃。
私は気持ちを切り替え、改めて集落の人間達から聞いた噂話に関しての情報の整理をしていた。

獣の咆哮のような叫びが聞こえた――
私が証言を聞きにいった者達全てに共通した情報がそれだった。
それぞれが、その咆哮を妖怪の叫びだと。あるいは、姿無き魂魄たちの無念であると。
その解釈の仕方は十人十色だったが。
これは単なる噂にしては、少々数が多すぎる。
何分、人づてに聞いたものも多かったが、その『咆哮』を実際に耳にした者も多いのである。

そして。
『咆哮』を耳にした者に共通する、もう一つの項目。
『咆哮』を鮮明に捉えたものほど――潜在的に、高い幻視力を備えていたことが気にかかった。

この幻想郷に、狼のように遠吠えをする妖怪はいない。
となると、可能性としては外から新しい妖怪が幻想郷に紛れ込んだという線が浮上してくることとなる。
その上、『咆哮』の存在を万人に悟らせず――それどころかこの私にさえ、今まで存在を気取らせなかったのも大いに気になった。

力の絶対量はどうか知らないが、少なくとも己の力を隠すことに関して相当手練れているのだろう。
それが世俗との無益な関わりを忌んでより編み出したものや、力の無い妖怪が自衛のために考え出したというならまだいい。

しかし、予想しうる最悪の事態であった場合ならば。
集落の人間達に、もしものことが起こる前に。


――この手で、仕留めねばならない。


衣装棚から新しい着物に身を包み、袖を通す。
素肌にそっと触れた布地がひんやりとした冷たさを伝え、すっと背筋を伸ばし、表情を引き締めた時。
雲に隠れていた月の光が、窓の外から真っ直ぐに私を照らした。

満月の、月の光が。


私の姿が、変わる。


瞳の色は鮮やかに紅に染まり、臀部の辺りからするりと生える、銀の毛並み豊かな一本の尾。
雨後の筍のように光を浴びてするすると伸びていくのは、白く輝く二本の角。
昔と違い、もう私の体は成熟を迎えたため、これ以上の肉体的な成長は無い。
しかしその静かな変化とは裏腹に、私の体を内側から突き破らんとする精神の昂揚と力の充実。



半獣の私が、白沢としての力を完全に引き出すことのできる満月の夜。



噂の真相が、白であれ黒であれ――
今晩中に、決着をつける。



静かな決意と共に、私は軽く地面を蹴った。








咆哮を聞いた者達が、幻想郷の何処でそれを聞いたのかは事前に調べていた。
私はその場所に向かい、そこに残っている歴史に語りかけ、紐解くことで、その咆哮を聞いた瞬間を『再生』する。
歴史の中で聞いた咆哮――冗談や単なる噂ではなかったようだ。

咆哮が発せられた方角を突き止め、手にした幻想郷の地図に線を描きこんでいく。
最初はただの直線でしかなかったものが、やがて10も飛びまわった頃には、多少の誤差はあれど、線は一点へと収束した。


そこは、丁度あの椿色の着物の少女とよく会う場所の付近。
当然私は何度も足を運び、その一帯の地形に関してはかなり詳しく知っている。
こんな所にあの咆哮を発するような者が隠れ住んでいたのだろうかと、上空でふと首を傾げた時。


私の視界に、見慣れぬものが映った。


私は慌てて引き返し、そのすぐ近くへと降り立つ。

そこにあったのは、結界だった。
それも相当高度に洗練された強い術であることが判る。
妖怪としての力が完全に覚醒している今宵の私でさえも、注意深く目を凝らしていなければその結界を認識することが非常に難しい。

この結界で包んだ場所は、その外の人間にとって『認識できない』存在となるようだ。
だから最初から結界の存在を知っているか、強い力の持ち主でもない限り、誰もそこに結界があることに気が付かない仕組みになっている。


幻想郷では外の常識は通用しないが、いくらなんでもこんな結界が自然発生するわけがない。
明らかに、その内側には何かが――結界の中を知られたくない誰かがいる。

私は結界に近づき、その境界面にそっと触れてみた。
まるで抵抗も何もなく、するりと手は結界を突き抜けるが――それは決して、結界の内側に侵入できたというわけではない。
その程度の事で干渉が出来るほど、甘い術ではないようだった。
だが、だからといってこのまま諦めて引き下がるような私ではない。

軽く瞳を閉じ、私は意識を収斂させる。
自らの内側で、心臓とは別の『鼓動』を感じる――そこから溢れ出す力の形を、意志を持って整えて。
意識を結界に――結界の『歴史』へと潜らせ、そのまま私は結界の歴史を――喰らった。

……やがて目を開けたときには、丁度人一人が通れるぐらいの『穴』が結界に開いていた。

障壁や結界の類は、私に対して何の力も発揮することは出来ない。
何者をも受け付けぬ壁であっても、その歴史を紐解き、発生の根底を喰らってやれば簡単に消滅するからである。
術者本人ならいざしらず――単なる結界如きが、強い自我や意志を備えているわけもない。私の能力の前に抵抗出来ないのである。
勿論、結界の規模が果てしなく広域であったり、強力な場合などは、その全てを喰らうのは一仕事だろうが、
こうやって自分が潜り抜けるほどの抜け穴を作り出すことならば造作も無いことだ。
ただし、一部にのみ干渉したことで、結界全体の歴史には大分負荷がかかってしまうため、恒久的に穴を開け続けることは出来ない。

穴を潜り抜けた後、きちんと歴史を戻し、再び綻び一つない境界面が戻った後。
私の視界に飛び込んできたのは、鬱蒼と茂る広大な竹林だった。
月の光に青々と輝き、その槍先は天を貫く。
これほどまでに見事な――圧倒されるほどの竹を見たのは初めてだった。

このまま暫く、息を呑むようなこの光景を見ていたかったが――私がここに来たのは、噂の究明のためだ。
そしてここがどれだけ美しくあろうと、ここは閉じられた場所であり、この中にはそれを閉じた存在がいる。
結界の中にあっても、まだその存在の気配は感じられない。
しかし、私は気を引き締め直し、竹をかきわけ進んでいった。








しばらく、進んでいくうちに――私は次第に表情が強張るのを止められなかった。

「な……!?」

先刻まで、あれほど幻想的な美しさを誇っていた竹林。
だというのに、今私の目の前にある光景は、立派な竹幹を半ばで引き千切られ、散々に破壊された森の死体だった。
一転を中心に、放射線状に薙ぎ倒されたそれは、まるで爆弾でも放り落とされたかのようで――痛々しさに、思わず苦鳴が漏れる。
竹の焦げた異臭も漂っており、本当に爆弾が炸裂したのではないかとさえ思う。

さらに進んでいくうち、広大な竹林のあちこちを虫食いするような様子で、似たような場所が点々と広がっていた。
この頃には、これば爆弾が落とされたのではなく、この結界の内部で何者かが争っていたのではないか――そう考えるようになっていた。

だとしても。
これほどの破壊を撒き散らす争いとは、一体何なのだろう?
少なくとも『弾幕ごっこ』で、これほどまでに酷い有様を生み出すことが出来るものなど――

そんな事を考えていた時だった。

異臭ですっかり曲がりそうになっていた私の鼻に――それ以外の匂いが紛れ込んでくる。

この、嗅いだだけで全身の神経が尖りそうになる不吉な匂いは。


人の、血の匂い。


私は風のように大地を蹴り、その匂いのするほうへと急いで駆け抜け――

そして、一番見たくなかったものと対面することとなった。








端的にいえば、それは。
人『だったモノ』と言えばいいのだろうか。

まるで隕石が落下したように、放射線状に薙ぎ倒された竹たちの中心に『それ』はあった。
全身をぼろぼろに破壊され、濃密な血臭が漂う屍。
特に左胸と思わしき部分は大きく抉られ、風穴が開いていた。

間違いなく死んでいる。


だが、私の心が大槌で殴られたような衝撃を受けたのは。

顔面まで破壊され、何者だったのか見て取ることも出来ないほど酷いその死体が着ていた着物。


血で、べっとりと濡れているが。



椿色の、着物――



「……そ……そん、な…………!?」


自分の言葉が、何処か酷く遠い場所から聞こえてくるようで。
私は――膝の辺りから崩れるようにして、その場にへたり込んでいた。

何故彼女がここにいたのか。
ここで一体、何をしていたのか。

それは判らない。


判っているのは、ただ――


「お前のことも、失いたくは……無かったのに……」


あの時。
無理にでも集落に連れて帰っていれば、こんなことにはならなかっただろう。

遅すぎた。
誰一人、こんな目にあわせたくはなかったのに。


――失われた後では、全てが遅すぎた――


しかし、私の目の前で。
私の想像を絶することが起こったのはその時だった。


少女の死体――その背中から、不思議な紅の輝き広がり、宙に紋様を描いていく。
それはまるで、大きく翼を広げた鳥。
異国の神話に登場する、炎を纏った不死鳥の紋様。

一体何が始まったのか判らず、ただただその光景を食い入るように見つめる私の目の前で。

冷たくなった、彼女の体が――勢いよく燃え上がった。

その炎は苛烈を極め、包まれた彼女の体は骨も残らず燃え尽きるものかと思われたが。
驚くべきことに、その炎は彼女の遺体を焼くどころか――その炎が纏わりついた場所から、肉体を再生し始めたのだ。

あまりのことに、完全に言葉を失う中、みるみるうちに少女の失われた体が、椿色の着物が元に戻っていく。
そして、全ての傷が癒えた後、仕上げとばかりに、まるで太陽が落ちてきたような強い輝きが視界を紅に焼いて――

強い光に、半分以上の視界を失った私だったが。

はっきりと、この目で見た。

倒れていた少女の瞳が、僅かに震え――ゆっくりと、見開かれて。


少女は『生き返った』。