人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.

Keine Kamishirasawa & Mokou Huziwara

-お前“も紅”色に染まれ-




2.輝く斜陽



それから後。
幻想郷の様々な場所で、彼女の姿を見るようになった。
そしてその蒼の髪と、椿色の着物を目にした時――必ず私は、彼女に話しかけるようにしていた。

あの時止められなかった、紅色の背中。
いかなる干渉も、やんわりと拒絶するかのようなあの背中。

それが酷く寂しげに映って、気になって仕方がなかった。


最初は、一言二言を喋る程度だったが。
時を経るに従って、少しづつ私達の間の言葉は豊かになっていった。
丁度集落に、私と同じぐらいの年頃の少女が一人もいなかったのも後押しになったのかも知れない。

壊れてしまいそうな危なげな美しさと対照的に、柳を思わせるような飄々とした立ち居振る舞い。
同じような年頃の少女が、みな彼女のようなを持っているのかは判らなかったが。
少なくとも、教養も知識も豊富な彼女は、年頃の少女達となにかと話が合わないことの多い私にとって、正に得がたい相手だった。

時に、麓の岩に腰掛け、麗らかな日差しを浴び。
時に、高い杉の木の枝の上に立ち、抜けるような空を眺め。
彼女は色々な場所にいたが、人里でだけは会うことが無かった。
その事について聞いてみても、困ったように笑って誤魔化すだけ。

だから私は、それ以上この件について言及することは無かった。


不思議な関係が続いていた。
少女は、自分のことについて殆ど何も語らなかった。
何処に住んでいるのか。
普段は何をしているのか。
外では、どのような立場にいたのか。

気にならなかったといえば、嘘になる。

やろうと思えば、この少女の歴史を覗き、本人の意思に関係なく全てを知ってしまうことも出来た。
しかし、私はそれをしたくはなかった。

幻想郷の『外』からきた少女――そして、恐らくは。
幻想郷以外に、居場所を求められなかった少女。


私達は、互いの過去を知らなければ、心を許すことも出来ないほど愚かのだろうか。


「……? それ――菫?」
「ああ……綺麗だろう?」
「へぇ……もしかして、初恋の誰かからもらったとか? 随分と年季ものみたいだし」


私とて、知られたくない過去がある。
たとえ知られたとしても、わざわざ口にはしたくない部分だってある。



「まあ、年季ものではあるし、思い入れの強いものではあるがな……私の、宝物だ」



そういうことは――自分の胸の内に、そっとしまっておけばいい。



切れ切れな言葉を風に載せる程度だった会話が、いつの間にか藹藹としたものとなり。
いつしか私達は、軽口を叩きあい、笑顔を咲かせるような間柄となっていた。

少女と話していると、私は楽しかった。
子供達の世話をしながら、日が暮れるまで遊びに付き合うのとは違った楽しさがあった。

少女も、同じ感情を抱いていてくれればいいと思った。
私が見ている限り、少女も私と一緒にいる事を楽しんでいてくれたようだったが。

それでも、時折。
どこか遠くを見つめ、酷く乾いた笑みをふっと浮かべることだけは――彼女は止めなかった。



不思議な少女と関わりを持つようになってから、半年の年月が過ぎて。
相変わらず彼女は人里には降りず、そして私は人間達のために幻想郷を見回る日々の中。




奇妙な噂を、私は耳にした。








「……どうしたの? そんなところでぼうっとして」

唐突に声をかけられ、はっと顔を上げる。
かち合ったのは、怪訝そうに私を覗き込んでいた――夕日のような紅の瞳。

「こんなところで、ずっと俯いて……どこか体の具合でも悪いの?」
「いや……そうではない」

椿の着物の少女の言葉に、私は軽く首を振る。
平常は人間の姿とはいえ、これでも私の体は人間の何倍も頑丈に出来ている。
暑さ寒さに耐える自身はあるし、風邪を引いたり腹痛を起こしたという経験も一度も無い。

「それより、珍しいな……お前から私に話しかけてくるとは」
「俯いたまま何時間もじっとしたままでいる貴女のほうがよほど珍しいわよ。
 いつからそうしてたのか知らないけど、もう日も暮れるわよ?」


なに――?
私の知る限り、今日の太陽はまだ南天に高く上っていたはずだ。
そんなに時間が過ぎていたのかと空を見上げれば、太陽はもう山の向こうに最後の紅を投げかけようとしていた。

半日もの間、私はなにをするでもなくぼうっと突っ立っていたというのか。
「――本当に疲れてるんじゃない?」
くすくすと笑う彼女に――返す言葉も無かった。

「いや、まあ……ちょっと、考え事をしていてな」
「考え事……?」
「ああ……まだ噂の域を出るものではないんだが……どうもまた集落が脅かされそうな事態になりそうでな」

私の白沢としての能力は個体としての力も強く、極めて柔軟な使用法も出来る優れたものであることは自覚している。
しかし歴史の操作とは、少々乱暴な言い方をすれば超強力な催眠術のようなものに近い。
こちらの力の総和を軽く捻るような圧倒的な実力の持ち主や、極めて高い幻視力の持ち主などには全くもって通用しないのである。
基本的には抵抗したり、抗ったりできる類の力ではないために、効く相手と効かない相手で真っ二つに割れるとも言える。

普通、歴史の修正が通じないような圧倒的な実力を持っているならば、周囲の妖怪を引き連れ王のように君臨するか、
はたまた世俗と一切の関わりを絶ち、誰にも知られない場所に自らの安息を求めるのだろうが――ここは外ではなく、幻想郷だ。
人間を相手に『からかう』妖怪達の中で、私が危惧するほどの圧倒的な能力を持っている者にも思い当たりがあった。

これが私の杞憂に終わるのならばいい。
「無駄足だったな」と苦笑するだけで、平穏が続いてくれるのだから。
何か被害があってからでは遅い。こういった際の準備というのは、無駄になってしまうことが一番幸せなのだ――


「ちょっとちょっと、顔、顔」


とす――と、眉間の辺りに、少女の人差し指が突き立てられる。
知らずのうちに随分としかめっ面になっていたことに気付き、私は思わず苦笑してしまった。

「……けど貴女、本当に変わってるのね」
「……変わってる……私がか?」

彼女は大真面目に頷く。

「ええ。だってそこまで身を粉にして働いて、集落を心配して、あちこちを駆け巡って……。
 今まで何度も見てきたけど、何かの報酬も無いのによくそんなことが続くなって思うわ」
「失敬な。これでもきちんと、集落から日々の生活を遅れるぐらいの報酬は――」
「あれだけ働いてる事を考えたら、そんな報酬なんて少なすぎるぐらいよ」

私の反論を、たった一言でぴしゃりと切り捨てる。
……うーむ。
彼女に、どう説明すれば理解してもらえるのかと思い悩んでみたが、言葉が思いつかない。

「……確かに、他の者達から見れば……私は随分とおかしい事をしてるのかもしれないな」

だから私は、馬鹿げていると思われかねないほど真正直に思った事を口にする。

「だが、それでも私は、彼らのことが大事なんだ。
 彼らが例え、私の事をどうも思っていなかったとしても――
 私にとって、彼らはこの身を粉にするだけの価値がある。それは変わらないだろう?
 私が、彼らの事を、愛しいと感じている。だから私は、ここまで頑張れる。……そういうことなんだと思う」

次の言葉が彼女の口からもたらされるまでに、少し時間があった。
茜色の空と同じ、その瞳を少し細めて。
彼女は、私の心の奥まで覗き込むようにして――じっと、見つめていた。

「……貴女は本当に――変わってる」

呆れたようなその一言。

「真っ直ぐすぎるのよ――素敵なくらいに」

彼女はふわりと、微笑んでいた。

「他の誰かが貴女と同じ事を言ったら、裏があるのか、それとも世間を知らないだけかって思うけれど……。
 貴女が言うと、そんな言葉でも臭みを感じない。……本当、変わってるわ……救いようがないぐらいね」
「それは褒めてるのか、それとも馬鹿にしているのか?」
「決まってるでしょ――両方よ」

笑い声が、幻想郷の夕暮れに響いた。

「まあ……でも、それだけあの集落の人達の事が好きなのは伝わってくるわよ、本当」
「そうだな……私は、彼らのことが大事だ」

ひとしきり、互いに笑った後――私は表情を改めて彼女に向き直る。


「――そして、お前のこともな」


言うべきかどうか、迷っていた。

また、あの日の繰り返しになるのではないかと不安だった。

それでも。

「お前が一体、何処でどの様にして日々を過ごしているのかは知らない。
 ……だが、もし。もしよかったら、私達と一緒に集落で暮らさないか?」

一番最初に出会ったときの、あの遠ざかっていく小さな背中に。
私は、どうしてももう一度手を伸ばしたかった。

「言ったとおり、どうも物騒な雰囲気になりつつある。……心配なんだ、お前のことが。
 お前が集落にいてくれれば、私は安心して原因を突き止めることが出来るし――それに集落の者達は、皆いい人ばかりだ」
「うん……そうね。貴女がそこまであの人達を好きになる理由も判る。外の人間より、ずっといい人たちだと思ったわ」
「なら――」
「でも、駄目」

はっきりと。
彼女は首を横に振った。

「それだけは――どうしても、駄目なの」
「…………そうか」

こうもはっきりと、断わられてしまっては。
私にはそれ以上、何も言うことなど出来なかった。

言葉が途切れ、ゆっくりと空の闇が濃さを増していく。

「――ねえ」

夕日を見つめながら、彼女は口を開く。

「貴女は、なんで――夕日が好きなの?」

唐突な言葉だったが。
何も話す事が無くなってしまった今は、それが有難かった。

「……夕日は、私にとって母親代わりだったんだ」

彼女と同じように、私も夕日を眺める。
今日も夕日は、その紅の腕で、世界を暖かく包み込んでいた。

「誰も彼も差別する事無く、沈む夕日は暖かい輝きを私達に投げかけてくれる。
 私が一人だったときから、ずっと夕日だけは……私をあの紅で包み込んでくれたんだ……」
「……そっか……」
「……変、か?」

ふるふると、首を横に振る。

「……私が、夕日を嫌いなのはね」

もう、沈もうとする紅を――同じ色をした瞳で見つめて。

「――世界が、血の色に染まったように見えるから」

酷く乾いた笑みを、浮かべていた。

「草も。木も。家も。街も。山も。
 私の体の隅々までもが、血で染まったみたいに見えて。酷く、気持ち悪くて……嫌いな色」

椿の紅を思わせる着物を、その身に羽織り。
夕日の事を『嫌いだ』と告げた少女。

「でもね」

そっと、私のほうを振り向いて。

「夕日が好きだっていう、貴女は――嫌いじゃないわよ」


紅に染まった少女の笑顔が、鮮烈な茜の斜陽のように――私の心に残っていた。