――竹林。
青々とした穂先が天を衝き、月明かりに真っ直ぐその身を晒す。
草木も眠る丑三つ時。
夜の闇はますます濃さを増し、魑魅魍魎の跋扈する、人在らざるものの時間に。
――陰々と響く、何かの声。
それは、風に嬲られた竹達の悲鳴か、それとも姿なき者達の断末魔の叫びか――?
違う。
それは、竹林の中から聞こえていた。
「……ろしてやる……」
それは、人の言葉だった。
「……殺してやる……」
しかし――そこに込められた、噴出さんばかりの怨恨の響きは。
「……いつか、必ず……殺してやる……!!」
触れただけで、一切を焼き尽さんばかりの――憤怒は。
月の晩。
まるで巨人の見えざる手に弄ばれたように引き裂かれた竹林の中。
「――カグヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――!!」
復讐を誓う、咆哮が――幻想郷の夜を震わせた――
人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.
Keine Kamishirasawa & Mokou Huziwara
-お前“も紅”色に染まれ-

1.椿の少女
「けんけん――ぱっ。けん、けん――ぱ!」
もう、日も暮れようかという刻限。
聞こえてきたその声に、私はふっと顔を上げる。
田んぼの畦で、子供達が時間も忘れて遊びに夢中になっていた。
子供達の、こういった姿というのは実に微笑ましいものがある。
しかし、こうも日が暮れていては話も違ってくる――
「こら――そこの少年達。何時まで遊んでいる?」
私がそう声をかけると、少年たちは揃って顔を上げる。
私の顔を見るや否や、その瞳をきらきらと輝かせて――
「あ――慧音おねえちゃんだ!」
嬉しそうに足元に駆け寄ってくる子供達に、しゃがみ込んで私はその目の高さを合わせた。
「楽しかったのか?」
「うん!」
「ねえ、慧音おねえちゃんもいっしょにやろう?」
「そうしたいところだが……もう日も暮れる。遊ぶのはまた今度にして、今日はもう家に帰るんだ」
「えー?」
まだまだ遊び足りないと、全身で訴えていた。
そんな彼らを、
「元気に遊ぶ子は好きだ――だが、日が暮れてもまだ遊びたいなんていう我侭な子は嫌いだな?」
「ぅっ……」
見る間に表情の曇る子供達を、私は軽く抱きしめて――汗でしっとりと湿った頭をそっと撫でてやると、
「あまりお前達のお父さんお母さんに心配をかけさせてやるな。
……なに、心配しなくたって私は突然消えたりはしないさ。
また今度会うことがあったら、その時は私も一緒に遊ぼう――だから、今日は帰るんだ。
私との約束、守れるか?」
微笑みかけてやると、少年達はまだ不満が残っているようでありながらも、頷く。
そんな彼らの様子が、また可愛らしく――ちょっとだけ強く、私は彼らを抱きしめた。
「よし――いい子だ」
彼らの頭をもう一度撫で、肩の辺りをぽんぽんと軽く叩いて――私はしゃんと立ち上がった。
すると彼らは、先刻までぐずっていたのが嘘のように一目散に、家へ向かって駆けていく。
恐らくはそれも、誰が一番最初に家に着くかの競走となっているのだろう。
周りがどんな状況になっても、子供というのはそこから楽しみを見つける心の強さを持っている。
そういった側面を持つ人間が――私は、とても好きだ。
私は軽く息を吐いて空を見上げた。
今日も、一日の終わりを告げる夕日の輝きが、幻想郷を一面の紅に包み込む。
知らずため息が漏れるほどに、綺麗な夕焼け空だった。
私――上白沢 慧音がこの幻想郷に居つくようになってから、結構な年月が流れた。
妖怪と人間が共存する不思議な地・幻想郷。
ここで私は、人間達のために力を使い集落を守護することで、彼らと共に住まわせてもらっている。
様々な幻想の生物が入り乱れるこの幻想郷では、外とは違って人間は決して多数に属する種族ではない。
にも関わらず、幻想郷で最も多数に属する種族たる妖怪の主食は、その人間ときているのである。
脆弱な彼らもまた、この幻想郷を構成する大事な存在であることをきちんと自覚はしているため、
妖怪達は決して彼らを戯れに殺したり、絶滅させるような真似はしないが――
人間がまるで動物のように狩られ、喰われることを、看過できる私ではなかった。
幸い、私の白沢<ハクタク>としての能力――歴史を操る力は、
この身が半獣であるにもかかわらず、他の妖怪と比べて強力な能力だったらしい。
圧倒的な実力差を持つ大妖怪には勝てないし、物量で雪崩を打たれてもその全てを凌ぎきることは出来ないが――ただでは、返さない。
手痛い一矢を報い続けるうち、彼らもわざわざそこまで苦労して幻想郷の人間を襲わなくてもと判断したらしい。
最近では、集落を襲い人間を狩ろうとする妖怪の数はめっきりと減り、荒事も大分少なくなった。
では、今の彼らが一体何を食べているかといえば――米や麦、野菜などといった、人間とそう変わりの無い食事風景。
彼らは人間だけしか食べられないのではなく、人間『も』食することが出来る究極の雑食性といったほうが正しいのかも知れない。
……もっとも、それ以外の手段として、幻想郷の『外』から人間を調達している妖怪もいる。
そればかりは、私でもどうしようもない。
中と外の人間を差別しているというわけではない。
確かに、外の人間達にされた仕打ちも忘れたわけではないが――それでも。
中や外とは関係なく、私は人間が――心の底から好きなのだ。
ただ、私はこの幻想郷で生きる事を決めた。
幻想郷の人間達を、放っていくことは出来ないから。
だからせめて、私は里の人間達を守り。
外から流れてきた人間達――この幻想郷にしか居場所を見つけられないような者達もまた、全力で守ってやろうと思う。
――そんな事を考えながら、歩いていたときだった。
私が――その少女の姿を見つけたのは。
目を細め、夕日を眺めていたその少女は、今まで一度も会ったことが無かった。
一目見てそう判断できるほど――その少女の持つ印象は独特で強烈だった。
一番最初に感じたのは、少女の纏う不思議な雰囲気。
年の頃は、見たところ、外見的な意味で私と同じぐらいだろうと思う。
ただ、それにしてはあまりに、少女の纏う雰囲気は落ち着き払ったものだった。
その立ち姿といい、浮かべた表情といい――まるで何百年もの間を生き、老成したような印象さえ与える。
一瞬、妖怪かとも思った。
それも、数百年を生き続ける大妖怪の貫禄と余裕を備えているように見えた。
しかし、彼女から感じる『匂い』――これは紛れなく、人間のそれだ。
だからこそ、不思議だった。
肌も髪も、色素が薄い。
そういった髪は、普通は茶色や鬼子の様な金色になることが多いのに、彼女のそれはうっすらと蒼みがかっている。
太陽の光など知らないと言わんばかりに、血の色が透けそうなほど白い肌を包むのは、椿の花を思わせるような深い紅色の着物。
整った面持ちは、良家の子女を思わせるようでありながらも、どこか達観した老女のような雰囲気さえ感じる。
彼女の美しさを例えるなら、薄氷で作られた細工。
ほんの少し触れてしまうだけでも、すぐに粉々に崩れてしまいそうな――酷く不安定で、儚げな美しさ。
しかし。
「……私に、何か用?」
夕日から私へと――向けられたその瞳は。
空に輝く夕日をそのまま嵌めこんだかのような、見事な紅。
儚げでおぼろげな印象を軽々と覆してしまう、苛烈なまでの意志の強さと、生命力に満ち溢れていた。
その射抜くような視線に、一瞬気圧されそうになりながらも――私は口を開く。
「いや、特に用というわけではないが……この辺りは、日が沈めば妖怪の領分になる。人間が一人でいていい場所ではないぞ」
「そう……それは、怖いわね」
瞳から感じた苛烈な気配がふっと消える。
つい、と逸れた視線といい、素っ気無いその言葉といい――私の言葉にまるで興味が無いといった様子だ。
それは、いかにも幻想郷の住民らしいといえばそうなのだが、恐らく彼女は――
「……不思議な場所ね、ここは。ちょっと見ただけだけど、ここでは妖怪と人間が共存している……何故?」
やはり、生粋の幻想郷の住人ではなかった。
私の記憶力も、まだまだ錆付いてはいなかったようだ。
幻想郷に来れば誰もが一度は口にする疑問に、同じように幻想郷の住民として一度は言うべき言葉で答える。
「それはここは『幻想郷』――幻想の生物と人間達が共に過ごす場所だからだ」
「……幻想、郷……」
自分の口から零れたその名前を、吟味するように少女は考え込み――
「……なるほど、言いえて妙、か……」
答えに一人で納得すると、少女はそのままふらりと私に背を向け、ふらりと歩きはじめる。
「――っておい! ちょっと待て――そっちは、妖怪達の住んでいる――」
「ねえ」
私の制止の言葉には答えず、少女は首だけを振り返って私を見つめて。
「先刻まで、ずっと貴女も眺めてたみたいだけど――夕日、好きなの?」
じっと見つめる瞳は、私の心さえ見抜いてしまいそうなほどに真っ直ぐで。
だから私は、余計な言葉で飾り立てすることもなく――こくりと頷く。
すると少女は、くすりと笑って――
「私は、夕日が嫌いなの――凄くね」
そしてそのまま、今度は振り返る事無く、私の目の前から去っていく。
だんだんと小さくなっていく背中に、私はそれ以上の言葉をかけることが出来なかった。
夕日と同じ輝きを湛えた瞳の強さは、他人を求めているものではない。
外でどのような生き方をしてきたのかは判らないが、一人で生き抜き、そしてそれに耐えてきた強さが込められている。
その孤高の強さは、虚勢だとは思えないのに。
それでありながら、私は何処か、彼女を放ってはおけないと感じていて。
相反した二つの魅力を持ち合わせた少女に、私はこの時何もすることが出来ないでいた。
見送った背中。
少女の着ていた椿色の着物が、血の一滴の様に闇の中に映えていた。
