人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.

Eirin Yagokoro -“永”き罪を、紅に刻んで-




満月 -永夜へ-



その日から、私達の地上での逃亡生活が始まった。
姫様を地上で育ててくれた人間に、口止めの取引として蓬莱の薬を手渡して。
私達はそのまま、深山の奥へ奥へと、落ち延びるようにして逃亡を続けた。
不老不死ということに関して言えば、地上は月よりもその存在が認められていない。
正体がばれるようなことは出来ない以上、一つ所に居座り続けるのは無理だと、色々な土地を渡り歩いた。


そして、長い長い逃亡の果てに、ようやく私達は安住の地を探し出すことに成功した。


そこは、人里から遠く離れた山奥の集落――それも、人間と妖怪が共存しているという極めて稀な土地。

妖怪の中には、地上で自然に生まれたもの以外に、月の民の力によって人間を魔物に変えた類の者もいる。
地上の穢れを調整するために存在している彼らは、決して人間と共存関係を築けるような間柄ではない。
にもかかわらず、ここの妖怪達は、そんな私達の意図を無視するように独特な関係を築き、文明を発達させてきていた。
勿論、月の民は誰一人として――この様な土地がある事を知らない。

私は確信した。
この地ならば、追っ手が私達に気付くこともない――と。

だからこの地の奥に、私達はひっそりと屋敷を立て――誰の目にもつかぬように、静かに暮らすこととした。




時が流れ、いつしかこの地は幻想郷と呼ばれるようになり、それに伴って妖怪達の数も増えていった。
この頃になると、幻想郷の存在に月の民も気付いていたようなのだが――追っ手が差し向けられることは無くなっていた。

やがて、外と幻想郷を隔離するため――集落全てを取り囲むような巨大な結界が張られ。
てゐが流れ着き、ウドンゲが月から降りてきて。
姫様を隠すために、つい先日などは満月をこの幻想郷から奪ったりもした。



私達がこの地上で暮らしてから、千年以上の年月が流れていた――








夜。
縁側に腰掛け、私は空を見上げていた。
今日も満天の星空の中、銀盤が柔らかな光を投げかけている。

「……永琳?」

その声に、私は首だけを振り返る――もう随分と長い付き合いになる、聞きなれた姫様の声。
振り返った先にいた姫様は、丁度お風呂から出てきた直後らしい。束ねた髪はしっとりと濡れ、肌は桜色に輝いていた。
「そんな所で、何をしてるの?」
「月があまりに綺麗なものですから、眺めていました……と言えれば、美談なのでしょうけどね」
ちょこんと隣に座った姫様に、私は苦笑しながら膝の上を示した。

「……くぅ……すぅ…………」

私の膝を枕代わりに、規則正しい寝息を立てている少女。
一見すれば、ただの人間に見える――しかし、その頭からにょきりと生えた、長い二本の耳を見逃すわけにはいかない。
「……あら、イナバ?」
「どうやら、また弾幕負けしたみたいで……傷の手当をしている最中に、この有様です」
鈴仙・優曇華院・イナバ――つい百年ほど前、この永遠亭に転がり込んできた月の兎だ。
色々あったけれど、今はこの屋敷でてゐ同様、兎たちを指揮する立場に立っている。
「仮にも永琳を師匠と仰いでるなら、負けっぱなしはちょっと問題ね?」
「私もそう思っていたところです。さて、どういった仕置きを与えれば宜しいでしょう……?」
「……ぅぅ……し、ししょぉ……いたいのは……いやですぅ…………すぅ……」
あまりにタイムリーな寝言を返したウドンゲに、私と姫様は思わず顔を見合わせ。
思わず、ぷっと吹き出し――くすくすと笑い出した。

「…………はれ……師匠…………?」

揺れた体に小刻みに揺すられ、ウドンゲがゆっくりとその目を開く。
「ウドンゲ……こんな時間に寝起きなんて、随分と立派になったものね……?」
「はひ……?」
少し意地悪い表情で微笑した私と、隣で似たような表情をしている姫様に。
ウドンゲの意識は、ようやく覚醒してきたようで――かっ、と目を見開くや否や、

「!? もっ――もも、申し訳ありませんっ!」

慌てて跳ね起き、頭を擦り付けるような勢いで土下座する。
その反応の一つ一つが可笑しくて、私達は笑っていたのだけれど――
ウドンゲはどうやらそれを別の意味で捉えているらしい。

面白いから、もう少しからかってみる。

「いいのよ、ウドンゲ……痛いのは嫌だって、先刻寝言で口走ってたものね?」
「そっ――そんなことを、私が!?」
「ごめんなさいね。私の記憶が確かなら、お前に手を上げたことは滅多に無いはずなのだけれど。
 どうやらお前の『師匠』は、お前が思わず悲痛な言葉を洩らすほどにものの教え方が乱暴みたいね?
 そのせいか、弾幕では競り負けるし、狂気の術は侵入者の足止めにもにならないし――」

頭を下げたままのウドンゲの尻尾と耳が小刻みに震えていた。
既にその表情は、蒼白を通り越して土気色になりつつある。
私たちは必死に笑いを噛み殺そうとして、かなり情けない表情なのだが――頭を下げている彼女にはそれが見えない。
さて、次はどうやってからかってやろうかなと、思考を巡らせたその時――

「鈴仙様――鈴仙様! どちらにおられますか――鈴仙様!!」
屋敷の中で働く兎の一羽のものだったのだろう。
ウドンゲは、これぞ天の助けとばかりにがばりと顔を上げると、
「すみません、呼ばれているようですので――こっ、これで失礼しますっ!」
もう一度だけ深々と頭を下げ、そのまま逃げるようにして私たちの前から立ち去っていく。
実際、半分以上は本当に逃げ出したかったのだろう。
磨きこまれた廊下に滑りそうになりながらも、必死に走り去っていく――

「……逃げられてしまいました」
「もう少し、楽しませてくれてもよかったのに……ねぇ?」

こうしていると、まるで孫をからかう意地悪なお婆さんになった気がする。
まあ、あの素直さが――ウドンゲの欠点でもあると同時、いい所でもある。
あまりに永い年月を生きてきた私たちには、流石にもうあの素直さからは馴染みが薄かった。

「まあ、あの様子なら多分――また負けて戻ってくるでしょう。続きはその後に出来ますよ」
「うわ、永琳が黒い!?」
「ああいう子は、ちょっとからかってあげるくらいが礼儀というものですからね」

必死の様子を思い出して、笑い出してしまいそうになるのを堪えながら――私達は空を見上げる。

「にしても、本当……綺麗な月ね……」
「ええ。……今年一番の名月だと思いますよ」

眩いほどに、白く輝く月が――私の姿を照らしていた。


私の、この――紅と黒で染め上げた看護服を照らしていた。


「……永琳……」
「大丈夫ですよ。あれはもう随分と昔のことじゃないですか」
「でも、永琳――あの日から一度も、白い服を着なくなったじゃない」


確かに。
あの日から、私は一度も白い服に袖を通さなくなった。
何か着る時は、決まって闇のように黒い服か――血の様に紅い服のどちらか。
この看護服も、あれからわざわざ特注で作り上げた一枚である。

――心配そうな表情で、見上げてくる姫様に。

しかし、私は軽く笑って――

「今の私が、こういった色合いの服を着てるのは…………新たな発見のようなものですよ」
「慣れ……?」
「ええ。何事もやはり、経験ですね……この服のデザイン、格好いいとおもいませんか?」

裾を摘んで――ぱちりと、ウインクをしてみせる私に。

「……何よ、それ――」

姫様の顔から――笑みが零れる。

「姫様と私は美人姉妹ですから。どのような服も似合うというものです」
「そういうこと、自分で言うかな……?」
「間違ってますか?」
「うわ、永琳が開き直った」
「これが年月の重みから来る功というものですよ」


あまりに滅茶苦茶なやりとりの可笑しさに――私達はしばらく、少女のように笑い続ける。




忘れているわけではない。

殺めた相手の血で、この手は紅に染まり。
心の弱さが招いた過ちに、黒く穢れて。




わざわざ服で表さなくても、私の体と心は――どうしようもないほど、罪に汚れている。




それでも。




「――姫様、師匠ぉぉぉぉぉ!!」
「あらイナバ、どうしたのそんな血相を変えて? しかもまた随分派手にやられたわねぇ……」
「い、言わないで下さいぃ……ってそうじゃなくてですね!! また来ましたよ――あの騒動の時の奴等が!
 このままじゃ、永遠亭の物という物を根こそぎ蒐集されてしまいかねません――!!」
「貴女がきちんと止めれば済んだ事態じゃないの」
「姫様ぁぁ……だから、それを言わないで下さいぃぃ……」


黒く穢れた、私の心を。


「で――まさか、そのままにして逃げ帰ってきたわけじゃないわよね?」
「はい、それは勿論! 館の無限回廊になんとか誘い込んでおきました。今頃は、永久に続く廊下を飛び続けていることかと」
「なるほどね……まあ、そのまま20年ほど放置しておけばいいんでしょうけど……。
 私の屋敷に、正面口以外からそうそう簡単に入り込めると思われるのも癪ね――まあ、時間つぶしに遊んであげようかしら」


血に染まった、私の手を――


「永琳も――手伝ってくれない?」



――求めてくれる、人がいるから。



「……ええ――お供させて頂きます」




だから私は、今日も永遠の旅路をゆっくりと歩いていく。
のんびりと、お茶でも飲みながら。

もう、独りではない旅路を――傍らで付き合ってくれる、少女と共に。





――此処の名は幻想郷。
妖怪と人間――少女達の飛び交う、幻想と弾幕の世界。





永い時の果て、ゆるやかな時を――私は今日も生きている。