人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.

Eirin Yagokoro -“永”き罪を、紅に刻んで-




暁月 -“永”き罪を、紅に刻んで-



……どれだけの時間が経ったのだろう。
月はまだ出ている。そう長い時間ではなかったと思う。
誰から奪ったかも判らない、血と脂で切れ味を失った短剣が、指の先からするりと零れて地に落ちる。
響く、乾いた音に――しかし、応えるものは誰もいない。

辺りには――ただ、熱を失った骸だけが累々と転がっていた。

訓練を受けた兵士達は、毒に対して耐性を得るための訓練も欠かしていなかったために、毒を使うことが出来なかった。
訓練で耐性がつくような毒ではなく、一瞬でその命を奪うような毒を使えば話は別だったのだと思う。

ただ、そういう気分にはなれなかった。
どうしても――この手で。

一人一人の息の根を止めなければいけないという思いがあった。


どれほど、血の匂いを嗅いだだろう。
どれほど、死の呪詛を聞いただろう。
ふと、目を落とせば――開いた掌は、私自身の血と返り血が混ざり、真っ赤に染まっている。

誰一人、逃さなかった。
一人一人、確実に殺めた。
逃げようとする者も、徹底的に追いかけて、追いかけて、追いかけ続けて。
何処までも追いかけ、倒れたその背に死の一撃を見舞った。

勿論、私自身も無傷では済まなかった。
普通の人間なら、両手で数えて足りないほどの致命傷を受け続けた。
武術に関して素人同然の私と、戦闘訓練をみっちりと積んだ兵士達の違いというものだった。

ただ、彼らと私がその点において違うように。
兵士達はどれほど強くても死ぬけれど、私は決して死ぬことは無い。

それが、たった一つの、そして決定的な違いとなってこの情景に繋がっている。

死に瀕した彼らの行動は、様々だった。
痛みに泣き叫ぶ者。
まだ死ねないと、未練を延々と呟き続ける者。
最後まで諦めず――私から逃げようとする者。
死ぬその直前まで、私に斬りかかろうとした者もいた。

死ぬことは、何よりも怖い。
こんなところでは死ねないと、誰もが思っていただろう。
ひょっとすれば、月で帰りを待っていてくれる誰かが居たかもしれない。

そんな彼らを、皆殺しにした。
全員の死に様を――私は見た。

この髪に。
この顔に。
この体に。
この手に――

彼ら全員の怨念と恨みがこびりついていた。


噎せ返るほどの、強い血と死の匂いの中で。
私はのろのろと、空を見上げる。


凍えるほど冴え冴えとした夜。
浮かぶ銀盤だけが、妙に優しく血染めの私を見下ろしていた。


――だが、その瞬間。
完全に無防備だった私の首を、凄まじい力で何かが絞め上げていた。

完全な不意打ち、そして訓練によって身に付けられた的確な動きが、完全に気道を絞めている。
私は、目だけを動かして――私に手を掛けているその人物を見やった。

「……よくも、やってくれたな…………八意、永……琳……」

それは、この使者団に駆り出された部隊の老将軍。
年老いてなお、巌のように屈強な肉体からは、流れ出る血が止まらない――
脇腹のその傷は明らかに死に至る一撃だというのに、瀕死だとは信じられないほど私の首にかけられた力は強かった。

「許されぬ罪を犯した者に肩入れし……蛮族のように、我ら月の民を手にかけ、殺めるとはな……」

首からは、骨の軋む音が響く。
常人なら、とっくに死んでいてもおかしくはない膂力だった。


「脆弱な人である、我々を戯れに殺して……さぞ、楽しかったろう……」


けれど、私の体は死を感じられない。
酸素が足りなくなる。苦しさに目が霞む。

それでも、声だけが聞こえた。

「だが、忘れるな……貴様の犯した、その罪……二度と、月に戻れぬものと……思え……」

 その言葉に血泡が混じる。
ごぼごぼと、ところどころ不明瞭にもつれる言葉。

しかし。

「さぞ、その血に穢れた白衣は……これからのお前が撒き散らす厄災を、判りづらくするだろう……だが」


言葉の一つ一つが、まるで鏨で掘られたように、鋭く、重く。


「……だが……その、体と心に染み付いた、我々の……血、は……永遠に、貴様を赦さん……ッ……!!」


――怨念のように、私の耳に響いた。




「……お前の……『永』の、字と同じ…………永遠の、罪人……が……!!」


くわっと、目を見開き。


殺された彼らの命に責任を背負っていた老将は、そのままゆっくりと倒れていく。


静寂を取り戻した、夜の闇の中で。


「……こんなものは、罪とは呼べない」

それでも。

「……これは、ただの……確認に、過ぎない」

全ての真実が、この老将に理解出来るとは思わなかった。
理解して欲しいとも思わなかった。

それは、私だけが知っていればいいこと。

「この心に、思い知らせるための」


私はただ、彼らを殺した――その事実だけ、知られていればいいことだった。


「ただの、罪の確認作業に……過ぎないのよ」


ふと、視線を横手に向けた時。


「……永……琳…………?」


姫様が――そこにいた。








姫様が見ている私の姿は、どのようなものだったのだろう?
人を狂わす、満月の光の元。
純白だった看護服は――血の紅と、死の黒に染めて。
雪のように白い肌も、白銀の髪も――冷たくなった血で、べっとりと濡れている。

冗談のように転がっている『死』の中で、『不死』の私は立ち尽くしている。



血も凍るほど、忌まわしい姿。



この手を清水で洗おうと、決してこの血は拭い落とせず。
私に染み付いたこの死の香りは、永遠に薄れることは無い。

こんな私を見て――姫様の心に浮かぶ感情は、一体何なのだろうか。

恐怖?
あるいは、嫌悪?

けれど。
私は、この姿を目の当たりにした姫様から。

逃げようとは――しなかった。

「申し訳ありません――姫様」

これが本当の、私の姿。

「使者として、貴女様を迎えに来たというのに……私は彼らを、この手で殺めてしまいました」

姫様の流した血に、この体は紅に染まって。
姫様に与えた苦痛に、この心は黒く穢れている。

「もう、姫様を――月に連れて帰ることが、出来なくなりました」

それでも私は、もう逃げない。
かつて犯した過ちを、もう一度繰り返すことはしない。

「私も、貴女と同じ――罪人です」


浮かんだ笑みは、自分でも驚くほど穏やかで――優しいものだった。


「こんな、私でも。姫様は共に在りたいと――想っていただけますか――?」




私の、その言葉に。


血に濡れた、私の胸に飛び込んで。
――大きな声を上げて、姫様は泣いた。


「ひ、姫様……!? そんな事をされては、お召し物が血に汚れて――」


私の言葉に――姫様は顔を上げる事無く、首を横に振る。
あちこちが裂けた看護服の端を、ぎゅっと握り締めて――その姿が、血まみれになることも厭わず。

「ごめんなさい…………永琳……ごめんな、さい……っ……!!」

私の胸の中で――ただひたすらに、泣き続ける。
ぽろぽろと、大粒の涙を零して。
大きな声を上げて。

私に、何度も何度も謝りながら――姫様は、泣き続けた。




泣きたくても泣けない、私の代わりに――姫様はずっと、泣き続けてくれた。




……そんな、姫様を――私はそっと抱きしめる。
あの時、恐怖に震える姫様を包むことが出来なかったこの手で。

心がすれ違った、あの日と同じこの手で――姫様の頭を、優しく撫でる

掛け替えの無い、優しさをくれた――この少女の温もりを、もう二度と失わないように。



私は――空を見上げる。



満天の星が散りばめられ―― 一片の欠けも見当たらない、美しい満月の夜。
この蒼い地上に、ずっと寄り添い続けてくれた月が空に輝く。


その光は――何故だか少し、滲んでいた。