人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.

Eirin Yagokoro -“永”き罪を、紅に刻んで-




臥待 -須臾と永遠-



その後の調査で、あの時の棚の転倒は意図されたものではなく、棚自体の老朽化による疲労からだということが判明した。
姫様の命を狙おうとする不届き者の仕業ではなかったことに、私は心から安堵して。

けれど。

心の、痛みは――どうにも、消せそうに無かった。

単純に、知識としてなら。
姫様は私が不老不死であることを知っている。
世間的には私の存在は隠し通されているが、皇宮の中では、逆にこの体の事を知らないものなどいない。

だが、それでも。
ただ知っているだけであるのと――実際に目の当たりにしたのとでは、全くといっていいほど印象は違ってくる。

人と同じ姿をして。
人と同じ言葉を話して。

人と同じように傷つき、人と同じように血を――流すのに。

まるで悪趣味な手品のように、この体は死なない。


常識では考えられないほどの速度で再生するあの姿を見て、そういうものだと割り切れるほど、都合よく人は出来ていない。
何度か、不注意で負った大怪我が癒える瞬間を、誰かに見られたことはあったが――驚愕の後に訪れるのは、嫌悪か、畏怖か。
少なくとも、それまでと全く同じように付き合える面の皮の厚さを持つものは誰もいなかった。


そしてその度、私と他の人間は『違う』のだと。
決して、交わることの出来ない存在なのだと――思い知らされてきた。


あの日から。
姫様は、来ない。

彼女も、やはり自分とは異なる存在だった。
いくら、私が母親を気取ろうと。
いくら、心が通っていると思い込んでいても――事実は、変わらない。

せめて夢なら、覚めないで欲しかったのに。
そうすれば、私はそれを夢だと気付かず――もう少しだけ、束の間の幸せを楽しめたかもしれなかったのに。


夢は覚めてしまった。


これからも――彼女は来ないのかと思うと。




堪えがたい胸の痛みに、瞳の端から涙が零れた。








時間だけが流れた。
無為で、無駄な時間だけが流れていった。


姫様の成人の儀を、いよいよ明日の夜明けに控えた――丑三つの刻。


その日、珍しく私は酒に酔っていた。

蓬莱の薬の影響で――私は真っ当な手段では、酒に酔うことも出来ない。
だから今呷っている杯の中には、致死量を大幅に超えた大量の阿片を放り込んである。
万能の蓬莱の薬も、流石にこれならば多少堪えるらしい。
脳に霧がかかったように、ふわふわとした気分を味わっていた。


そんな時だ。


「……永琳」


その声に机に突っ伏していた私は、ぼんやりと振り返る。
酔いすぎた私は、どうやら幻覚まで見るようになったらしい。
姫様の声が聞こえたような気がして――姫様の姿が、見えるような気がする。

寝室着の上に一枚、薄く羽織っただけの姿で。
控えめに顔を覗かせる様子は、酷くあの頃の姫様を思い出させるような姿で――


違う。
これは――幻覚じゃない――!!

「……ひ……姫様……!?」

――誰もが寝静まるようなこんな夜中に、どうして――?

驚く私を、軽く手を翳して制して――姫様はひたりと、私を見つめる。

「永琳……今日は、お願いがあってきたの」


夜空の星々のあえかな輝きを受けたその瞳は。
何かの決意に、夜空そのものを封じ込めたような不思議な輝きを放っていた。




「蓬莱の薬を――作ってくれないかしら」




「蓬莱の……薬を……ですか……?」
何かの冗談かと思ったが――姫様はこくりと、縦に頷く。
その表情にも様子にも、冗談を言っている様子はまるで感じられなかった。

しかし。

「残念ですが、姫様……それは不可能です」
「不可能……どうして? 永琳だって、蓬莱の薬を嘗めたから、今の様に――」
「確かに、私は蓬莱の薬を嘗めたことがあります。しかしそれは、私の先祖が気の遠くなるほど古から代々受け継いできたものでした。
 私自身が作り出したものではありません。……勿論、自らの手で作り出してみようと試みたことは否定しませんけどね」

もう、思い出すことも難しいほど過去のことになるが。
かつては私自身、蓬莱の薬について研究していた時期があった。
ただし、あくまで個人の趣味の域を出ないレベルでの研究ではあったのだが。

別に、誰かを不老不死にしたかったわけではない。
それならばわざわざ零から薬を作り上げるよりも、手っ取り早く私の生き胆を食べさせれば済む。
蓬莱の薬の力は、不老不死の人間の生き胆に溜まる――それを食せば、蓬莱の薬と同じ効能が得られる。
そして私自身は不老不死なのだから、例え生き胆を食べられたところで死ぬことは無い。

私が蓬莱の薬を作ろうと思ったのは、純粋に――薬師としての力を試したかったから。
数々の名の知れた薬師達が挑み、敗れていった『永遠の命』。作り出せるのは、きっと私だけだという自覚があった。
何よりも、かつて私自身が嘗めたように、蓬莱の薬は『実在』している。
ならば、もう一度作り出せない道理は無いはずだった。

時間なら、それこそ永遠にあるのだから。


しかし、実際には――


「材料は整え、作り方の手段も導き出しました。しかしそれでも、私には蓬莱の薬を再現することが出来ませんでした。
 ……たった一つ、蓬莱の薬を作るに当たって――私に出来ないことがあったからです」
「出来ないこと?」
「蓬莱の薬を作るには、あの薬に――『永遠』を与える力が不可欠なのです」

始まりがあるものには、終わりがある。
表裏一体だからこそ整合の取れているその大原則を、捻じ曲げてしまうのが蓬莱の薬。
輪廻転生という大きな輪から外れ、小さな転生の輪を自らの内に作り出す。
それが、蓬莱の薬のもたらす『永遠』の正体。

だが、この永遠を生み出す力は、材料を混ぜ合わせただけでは生み出せぬものだった。
この永遠の力は、零から生み出すものではなく――外部から注ぎ込んで固着させるのである。
薬の材料と手順は、言うならば永遠の力を『薬』という物質的な存在に固着させるための媒介ということになる。

生き胆が蓬莱の薬と同じ役割を果たすのも、すでに『永遠の力』が服用者の肉体で固着していて、
結果として蓬莱の薬に永遠の力を付与するのと同じことが再現されているからだと判った。

だから、蓬莱の薬を作るためには。
永遠を与えることのできる――永遠を操る能力が無ければ、完成を見ない。

その最も肝心な部分が、到底乗り越えられるような壁ではなく。
研究は座礁に乗り上げ、中止。
後にはただ、蓬莱の薬となる「一歩手前」のものだけが残る結果となった。

「……なら……永琳は、その力さえあれば……蓬莱の薬を作ってたってことなの?」
「……そうですね。折角研究した以上、完成させたかったのは事実です。
 ですが、肝心要の『永遠の力を与えてやる』行程が不可能な以上、作成は――」
「出来るわ」

短く、きっぱりと。
姫様は言い放った。

「……永琳。私はね……その『永遠の力』を操ることが出来る」



私は最初、何を言われたのか理解できず――数秒後、思わず姫様を見返していた。



「この力だけじゃ、大したことは出来ない。どこまで、どう操ることが出来るか正確に把握してるわけじゃない。
 でも――私は永遠を操ることが出来るの」

姫様の瞳は、真っ直ぐ私を見返す。
そこから、偽りを見出すことは出来なかった。


「だからお願い。蓬莱の薬を――作って」


客観的に考えて、悪い条件など何一つ無かった。
私は、永遠に完成を見ることが無いと思っていた研究のひとつを、これでようやく終わらせることが出来る。
そしてその結果、姫様は蓬莱の薬を手に入れることが出来る。

ただ、それだけのことだ。

…………いや――

「……姫様。それがどういうことになるのか……判っておいでですか?」

永遠の命を手に入れる。
……それは、つまり――

「皇としての位を受け継ぐ権利を捨てなければなりませんよ?」

永遠を生き続ける者に、権限というものを与えてはいけない。
何があろうと――絶対にそれだけはいけない。

仮に、姫様がこのまま皇になれば。
世代交代をする事無く、姫様は永遠に月の皇として君臨し続けることになる。
仮に皇の位を自ら退くことで、その冠を後続に託したとしても。
それで、皇としての力や威厳の全てを失うわけではない。
むしろ、そういった存在は皇を傀儡に取り、かえって影から皇宮を支配するような存在に化ける。
そのような存在になれば。月は永きに渡り、腐敗の温床が根付く地に成り下がってしまう。
赦されることではなかった。
だから私も規模は違えど、八意の姓を持ちながら、決して八意の表には立たないのである。


これは姫様に昔、しっかりと話したことだった。


「今のように皇宮で過ごすことは叶わなくなります。
 人との付き合い、関わり方も――変えていかざるをえなくなるでしょう。
 それに、言い方に語弊がありますが……もう『ちやほや』されることは絶対にありません。
 生まれてきて、その生き方しか知らない姫様は……それに耐えられるのですか? 全てを失う覚悟は――あるのですか?」

私は、これ以上ないほど苛烈なまでの眼差しで姫様を射抜いた。
それこそ、並大抵の度胸の持ち主なら――震え上がって、逃げ出したくなるほどに鋭く。


だが。


「……ええ」

私の視線に、真正面から向かい合い――逃げる事無く。

「それでも、私は――蓬莱の薬が、欲しいの」


その言葉。
その覚悟に。

「……判りました。なら――作りましょう。蓬莱の薬を」


――普段の、私なら。
絶対にこのような判断はしなかったと弁明したところで、意味がないことなのは判っている。

私は、この時過ちを侵した。
聞かなかったのだ。姫様に。

『何故、そんなに蓬莱の薬を求めているのか?』――と。

普段なら、まず最初に聞いていた。
必ず、聞くべきだったのに。
深く酒精に呑まれていた私は、それに思い至ろうともしなかった。


どんな理由があろうと、私には。




所詮、姫様と別の存在である私には――関係ないと。




そんな事を考えて。

私は蓬莱の薬を作った。


姫様は、それを服用し。

不死の存在となった。


夜が、明けて―― 一世一代の大仕事と深い酔いに、泥のように私は眠り。
大逆を侵した者として、姫様が処刑された――職員の一人が血相を変えて駆け込んできたのは、その二日後のことだった。