人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.
Eirin Yagokoro -“永”き罪を、紅に刻んで-

幾望 -蓬莱人-
「永琳様は、随分とお変わりになられましたね」
いつも薬の材料や、調合を依頼した新薬の試薬を持ってくる業者の青年が、珍しく仕事以外のことで口を開いた。
それも内容が内容であるだけに、私はちょっと目を見張って青年を見やる。
「変わった……どこが?」
「丸くなられたといいますか、なんといいますか……姫様と親しくなられてから、雰囲気が随分とお優しくなられたような気がします。
今までが別に冷たかったとかそういうわけではありませんが……何処かやはり、硬い印象を受けていたもので」
申し訳無さそうに頭を掻きながら話す青年の様子は――あまり冗談を言っているような様子ではなかった。
と――
「永琳、いる?」
ひょいと顔を覗かせた姫様の姿は、もうあの頃の小さな姿ではない。
まだまだ「女性」と呼ぶには遠いが――顔つきも大人らしくなり、背丈も随分と伸びていた。
年齢も、また――あと数日すれば、社会に成人として認められるほどの年月を重ねてきている。
そんな姫様の来訪と同時、業者の青年は姫様に深く頭を下げ――入れ替わる形で部屋を後にした。
「……? どうしたの永琳、ぼうっとして」
「え? あ……いえ。先刻の彼に、昔に比べて随分と雰囲気が丸くなったと言われましてね」
「ああ……うん、そうだね。永琳、昔はもっと近寄りがたい雰囲気だったし」
姫様はうんうんと頷く。
「……そうだったのですか?」
「なんだかこう、いかにも才媛っていうか、冴え渡ってるっていうか……ちょっと、怖かったかな」
……そういえば、一番最初に姫様と会ったときも――怖い、と言っていた。
「でも、今は随分と親しみやすくなった気がする。……何でかしら?」
「…………さて――何故でしょうね」
恐らく、その変わるきっかけとなった少女は――全く気付いていない様子で首を傾げていた。
「……そういえば、永琳ってさ」
湯飲みを膝の上で持ちながら、姫様が口を開く。
この頃になると、流石に外で遊んだりすることは無くなり――この部屋でお茶でも飲みながら、時間を過ごすことが多くなった。
いつまでも子供だと思っていた姫様が、いつのまにかこうして同じ目線で話が出来るようになっている――
これが、成長した子供と杯を交わしたくなる親の心理というものなのだろうか。
「永琳って持ってる服、全部白と黒しかないの?」
「服……ですか?」
「仕事場は、永琳の立場上白しか着れないのは判るけど……。
永琳、普段の私服も白とか黒とか、灰色とか……そういった感じの色合いの服しか見たこと無いもの」
言われてみて、思い返して――確かに、思い当たる節があった。
しかし、当の本人でさえ自覚していなかったものを、本当によく見ていると思う。
別段、色合いに何か意識していたわけではないのだけど――きっと、無意識のうちに避けていたのだろう。
「このような髪の色である以上……あまり赤や青といった色は似合いませんからね」
太い三つ編みにした長い髪の毛先を、指先でそっと弄った。
まるで雪のように白く輝く、この髪――銀糸のように輝くこの髪は、少々目立ちすぎる。
主張が激しいために、他の原色と共に着ると互いの色を喰らいあってしまって、かえって駄目になってしまう。
「そっか……大変なんだ。永琳の髪、綺麗で羨ましいんだけどなぁ」
「何を仰います。姫様の髪だって、まるで夜を溶かし込んだように綺麗な色合いをしているじゃありませんか」
「そう……?」
「ええ。姫様の髪……美しくて、私は好きですよ」
本当にそう思う。
滝を打つように長い黒髪は、鴉の濡れ羽――宝石のように美しく、それでありながら強い生命の輝きを感じさせる。
それだけではない。白磁のような白い肌に、血の色を透かし桜色に輝く頬。
かつて愛くるしかった面持ちは、今では凛とした涼やかさと利発さを兼ね備えている。
何より、その瞳――上に立つものとしての風格と、芯の強さを感じさせる輝き。
女皇になった時、彼女がこの世で最も美しく輝く存在になるのは誰の目にも明らかだ。
「ん……ありがと。そうね……永琳とおそろいだったら、美人親子で通せたんだけど。
よく考えたら、白と黒……対照的だし、これはこれでありかな?」
「姫様……せめて、美人「姉妹」ぐらいにはなりませんか……?」
「美人ってところは否定しないの?」
「自分で言っているのならなんとやら、ですよ」
やりとりの合間に、思わずふっと笑みが零れる。
永劫の時を生きてから、このような時間が再び送れるようになるなんて思っても見なかった。
「……そういえば、姫様の成人の儀まで五日を切りましたね」
「そうね……私もいよいよ、大人なんだよね……」
あと数日で、姫様は誕生日を迎え、成人として認められる年齢に達する。
そしてその際、新成人の誕生日を祝う為に行うものが「成人の儀」と呼ばれる古来からの行事である。
ごく一般の家庭でも、この成人の儀には類を見ないほどの贅沢を尽くし、
親戚一同から隣近所の赤の他人まで呼び込んで新たな大人の誕生を祝うほどの規模の大きさで知れるこの行事。
皇の一人娘である姫様の成人の儀は、恐らく月を上げての一大行事となるだろう。
事実、その日のために、姫様が生まれたその時から、成人の儀のための実行委員会が設立されている。
彼らはいよいよあと数日に迫った決行日を歴史に残る一日とするため――今頃は全力で清秋調整を行っているのだろう。
「いきなりそう言われても、ぴんときませんか?」
「まあね……。当日は立ち位置とか覚えなくちゃいけない台詞とかが沢山あるし、もう半年前から予行演習はやってきてるから、
ああ、成人の儀をするんだなぁ――っていう実感はあるけど、それとこれとは……ね」
「『大人』の定義次第ですね。単なる肉体の成熟のみをもって『大人』と呼ぶのか、
それとも精神的な円熟を持って『大人』であるとするべきか……」
「永琳はそういう意味だと『大人』よね」
「気の遠くなるほど永く生き続けていれば、自然と落ち着きはついてくるものですよ」
あの頃の可愛らしい少女が年を重ね、あと数日もすれば大人の仲間入りをする。
それだけならば、幾らでも見てきたというのに――その対象が姫様だというだけで、色々な感情が胸の中で溢れている。
暖かいような、寂しいような――嬉しい反面、何かに姫様を取られてしまうような気がして。
不思議な気分だった。
「ねぇ、永琳。もし永琳が、私の名前に漢字をつけるとしたら……どんな漢字を当てはめる?」
成人の儀は、子供から大人へと生まれ変わる日。
その中で、一番祝われる側に大人としての自覚を促すのが――今までの読みだけしか存在しなかった名前に、漢字が貰えられるというものだ。
自分の名前をはっきりと書き記し、示す。自らの名前に責任と自覚を持ち、これからは一人の大人として振舞って欲しいという願いが込められている。
勿論、姫様の名前にどのような感じが当てはめられるかは――既に実行委員会が厳重な会議と打ち合わせを行い、専門の命名師によって決められている。
しかしそれでも気になるものは気になるわけで、皇宮中の職員の間では、どのような字が姫様に与えられるかの話で持ちきりだった。
姫様と最も共にいる事が多いこともあってか、私のところに足を運ぶ者は皆、一度はこの話題に触れてきている。
どのような漢字を持って『カグヤ』を表すのか。
皆が思い思い、予想を立ててその日を待つ中――私も一つ、考えていた。
成人の儀において、姫様がどのような漢字を与えられるのか――私なら、どのような漢字を当てはめるか――
「……輝くの『輝』に、『夜』で……『輝夜』などは如何でしょう?」
「『輝』く『夜』……かぁ。何か、幻想的な感じだね」
「姫様の黒髪の輝く様子はまるで、満天の星をちりばめた夜のようですからね」
「うわ……私ってもしかして、今口説かれてるのかしら。どきどき」
「何を言ってるんですか、もう」
こんな穏やかな日々を――これまでずっと、積み重ねてきた。
きっとこれからも、積み重ねていくんだろう。
ずっと――ずっと。
「……と。代わりのお茶を淹れて来ますね」
姫様の湯飲みの中身が空になって久しいことにようやく気付く。
私も素早く、自分の手元の冷えたお茶を飲み干し――湯飲みを受け取り、盆を抱えて席を立つ――
「――あ、ちょっとまって永琳!」
待ったがかけられたのは、正にそんな時。
「……それさ、今度は私に淹れさせてくれない?」
「姫様が……ですか?」
「ほら、いっつも私、永琳にさせてばっかりじゃない。だからたまには、ね?」
一国の姫とあろう人が、自らお茶を淹れるなんて在り得ない事――
でも、私は。
私の事を想ってくれる、その気遣いを――無下にしたくなかった。
「……なら、お願いできますか?」
「任せて♪」
妙に嬉しそうにお盆を手にして、姫様は隣の部屋へと歩いていく。
あの頃の幼い背中。手を引いて歩いた、少女が。
今ではこうして、自分のためにお茶を淹れてくれることに――少し涙腺が緩みそうになる。
けれど、こんな所で泣くわけには勿論行かなかったから、私は目元を軽く揉む様にして俯き、誤魔化して――
その時だった。
がたんっ!! ――という、何かが折れ砕けたような鈍く、激しい音と共に。
姫様の左手にあった、重厚な棚が傾き、姫様へと倒れ掛かってきたのは。
あの棚の中には空気に触れると有害なものや、劇薬などが大量に保管してある。
いや、それ以前にあの棚自体の重量だけでも、姫様の華奢な体を割り箸のように折ることは容易い――
音に反応してから、顔を上げた。
その僅かな――時間の無駄が。
私から術を使うだけの時間を奪っていた。
戸惑っていては。
考えていては。
間に、合わない――
「――姫様!!」
何かにぶつかった棚が、鈍い激突音と衝撃を響かせ。
硝子の割れる音が、連続して響いた。
姫様は――無事だった。
「あ、ああ……え、永琳……っ……!?」
他に手段がなかった。
棚が姫様を押し潰す寸前、その間に私は割り込んで――私自身を盾にして、その厄災から身を護った。
焼けるように、背中が熱く痺れている。
背中に無数の硝子の破片が突き刺さり、いくつかの劇薬を浴びたのだろう――肉が焦げるような、嫌な匂いが漂っていた。
かろうじて体で支えている棚は重く、気を抜けばそのまま押し潰されてしまいそうで。
妙に喉に詰まるものを感じるのは、刺さった硝子の一片が槍の穂先のように鋭く、私の肺を貫いているから。
着ていた白衣が、見る見るうちに紅に染まっていく。
……良かった。
傷ついたのが、私で。
この少女に、こんな傷を負わせることが無くて良かった――
「――近寄ってはいけません!!」
私に触れようとした姫様を、私は鋭く一喝した。
此処まで鋭い語調をぶつけたのは初めてだった。
びくりと震え、そのまま動きを止める姫様を見やって、私は圧し掛かってくる棚をなんとか押し返す。
そのまま、もたれかかるようにして体を支えると、出来る限り穏やかに微笑んでみせた。
「今の私に触っては……血でお召し物が汚れてしまいます」
しかめそうになる顔を、どうにか押さえ込む。
蒼白の姫様に、これ以上心配をかけたくなかったから。
さらに、言葉を紡ごうとして――これは失敗した。
気管に血が詰まってしまい、咽るように咳が連続する。
「そんなこと、言ってる場合じゃ……永琳、そんな大怪我……怪我して……っ……」
くしゃくしゃになった泣き顔で、どうすることも出来ずに立ち尽くす姫様。
でも、私に心配は要らないのは、嘘じゃないから。
「大丈夫です……。私なら、これくらいの怪我は……なんとでもなります」
――変化が生じたのは、その時だった。
突如、私の内側から膨れ上がるように輝いた銀光――
この髪よりなお眩い銀の輝きがみるみる湧き上がり、私の傷ついた体を箇所を覆っていく。
まるでそれは、私の痛みを慈しむかのように、暖かく――優しく。
光はまるで、炎が爆ぜたように一際強く輝き、まるで太陽が落ちたような閃光となって部屋に広がり――
……再び、目を開けた時。
私の体には、もう傷一つとして残ってはいなかった。
あれだけ突き刺さっていた、硝子の破片も。
胸を貫いていた、槍の穂先のような一本も――跡形も無く『消滅』している。
引き裂かれ、ぼろぼろなった服と、血に染まった紅い白衣だけが――それが夢の光景などではなかったことを訴えていた。
姫様の瞳が、驚愕に大きく見開かれるのを、見ながら。
「……これが『蓬莱の薬』の力です」
私は――ほろ苦い笑みを、口元に零していた。
「このぐらいの傷で、私は死ぬことが出来る体ではないのですよ」
遥かな昔。
もう、記憶も飛びそうなほどの昔に、私が嘗めた不思議な薬。
肉体を解脱することによって、肉と時の呪縛から解き放たれる。
魂を安定させることで、巨大な『輪廻』の力を解脱して――『永遠』を与える、神秘の霊薬。
――『蓬莱の薬』。
後に、私は薬をこう名付けた。
この薬を服用したものは、老いることも死ぬこともない。
病に冒されることもないし、あらゆる薬や毒も受け付けぬ肉体となる。
例え心臓を抉られようと、肉体を粉々に吹き飛ばされようと――それは命を脅かす脅威にはならない。
今の私が確立しているのは、肉体ではなく魂――だから、魂の容れ物ぐらい、壊れてもいくらでも作り出せる。
永遠の命という『理想』――追い求めるだけの『幻想』を『現実』へと換える薬。
そして――
人を、人とは違うモノに変えてしまう、薬。
「……本日はもう、お引取り下さい」
肉体を蘇生した反動で、言葉さえ紡ぐのが億劫な中。
肩で息をしながら、私はそれでも細々と口を開く。
俯いたまま。
姫様の顔を見ることが。
……蘇生の瞬間を見た、今の姫様がどのような顔をしているのか、見ることが――
私には出来ないでいた。
「もうこれでは、今日はお話しするのは難しいでしょう……ですから。本日は、もうお帰りになってください……」
沈黙は、決して――短くなかった。
それでも、やがて――姫様の足音が部屋を出て、段々と遠ざかっていく。
その心まで、遠ざかっていったような気がした。
顔を上げた時には、もう姫様の姿は影も形もなく。
額に張り付いた、髪の一房を――ゆっくりとかきあげ。
がらんと静寂の訪れた部屋の中で――私は黙って、夜空の蒼珠を見上げる。
いつもと変わらぬ、あの蒼い星は――今日も、美しく。
孤独に空に浮かんでいた。
