人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.
Keine Kamishirasawa -歴史喰いの“歴史”-

7.そして、今宵も歴史喰いは
……そう。
あれから、随分と――年月が過ぎていった。
「……?」
ふと、誰かの視線に気付いて、燃えるような夕焼け空から視線を外す。
そのまま横手へと向けると、そこにいたのは、ランドセルを背負った少年だった。
小さな体を、マフラーやらジャンパーでぱんぱんに膨らませ――それでも真っ赤になった鼻の頭を擦っている。
その顔には、見覚えがある。
最近、此処の公園で知り合った子だ。
「そんな格好で、寒くないんですか?」
「ああ、私はこう見えても丈夫だからな――この程度なら、寒いうちには入らんさ」
私は軽く笑って、袖の辺りを少しまくってみせる。
鳥肌は、立たない――冬の景観に合う様、長袖に替えているものの、実は少し暑いくらいだ。
それとは対照的に、私の言葉を聞いた少年は呆れたような表情になり、より一層、ぶるぶると寒そうに体を震わせている。
まあ、今日は今年一番の冷え込みではあるが――雪の降り積もる幻想郷の冬は、彼にとってさぞ辛いものであるに違いない。
手袋に包まれた小さな手をしゃこしゃこと擦りながら、服の間から入り込む隙間風を防ごうと首を縮め、唇を開く。
「また、夕日を眺めていたんですか……?」
「ああ。この公園から見えるのが、この辺りでは一番綺麗だからな」
――あれから、老翁の紹介してくれた仕事先を数箇所ほど転々とした後で。
よくよく考えれば、私の白沢としての能力を、此処では隠す必要が無いことに気が付き――
私はこの歴史喰いの能力を利用し、人間の里を護ることで、働きの代わりとすることとした。
別に此処の人間と妖怪達は、互いを激しく憎悪したりはしていないのだが、
それでも力の強すぎる妖怪達の乱痴気騒ぎは、彼らに悪意があろうとなかろうと――少なからず人間に影響を及ぼす。
いつぞやの紅魔館の妖霧騒動などがいい例である。
しかし。
此処に来て尚、人間達との共生を望むとは――私はとことん、人間というものが好きらしい。
こちら側には妖怪も多く、半獣だからと爪弾きにするような者はいなかったが、
私は彼らとともに過ごすことよりも、人間の里で、人間達を護りながら生活することのほうを選んでいた。
「……その、栞。……綺麗ですね」
鼻声で呟く少年の視線の先あったのは――先刻まで読みかけていた本と、間に挟んだ一枚の栞。
「ん……これか?」
抜き取って手渡すと、少年は目の高さにまでそれを持ち上げて――しげしげと眺める。
「……これ……菫の花、ですか……?」
「ああ。……もう随分と、年季物だがな」
あの時、私を見てくれた老翁も――この菫の花を拾ってくれた少年も、既にこの世にはいない。
幻想郷が博麗神社の神主の手によって封じられて、百数十年――つい先日のことに思えるほど、此処での生活は長い。
それでも、この菫の花は――今も大事にしている。
私が、人間という種の優しさに触れて。
人間を、好きになった――大事な思い出だから。
幻想郷が封印されてから、暫くたった後に。
私は一度だけ、博麗神社の者に頼んで(決してあの無重力娘ではなく)、外に出たことがある。
あの後、あの麓の村が一体どうなったのか。
あの子供達が、一体どうしたのか――少し気になったのだ。
何があっても、受け止めるだけの心の余裕が出来たというのもあった。
しかし、振り返って――どうやら私は、信じがたいほどの距離を歩き続けたらしい。
あの山にたどり着くまで、都合三つの山脈をまるまる越えることとなった。
果たして、近現代の街に生まれ変わっているのだろうか。
それとも、今でも片田舎として、辺鄙な暮らしをしているのだろうか――そんな事を考えながら。
だが、最後の山脈を越えた私の目に飛び込んできた光景は、その想像を完膚なきまでに打ち壊すものだった。
村は、跡形もなくなっていた。
近くに出来た都市の開発のために、村は破棄――今ではそこにダムが建設され、遥か水の底に没していたのだ。
あの後、彼らが一体どのような人生を送り。
どのように村を運営し――生きていったのか。
無味乾燥なコンクリートの分厚い壁は、何一つとして、私に語ってくれなかった。
歴史を調べれば、おそらくそれも判ったのだろうが――そこまでして知りたいとも、思わない。
私にとっては、もう――それは過ぎ去った出来事。
今の私は人間と妖怪の狭間で、ひっそりと生きていた慧音ではなく。
幻想郷の知識と歴史の半獣――上白沢慧音だ。
それでも、あの日の菫の花は――こうして姿を変え、形を変えて、今も私の手元にある。
あの頃の記憶を、思い返すことが出来る。
――今も、人間に絶望する事無く、こうして彼らのために何か出来る事を、嬉しく思う。
それを確認できただけでも、赴いた価値はあったのではないだろうか。
……公園で、そのまましばらく少年と、他愛の無い話を続けていたが――とうとう寒さに耐え切れなくなったらしい。
「こっ……これで、失礼しますっ」
がちがちと、歯の根も合わなくなるほど震えた言葉で手短に告げると、腰を上げて一礼する。
そのまま脇目も振らず、一目散に暖かい家へと帰ろうとする彼の背中に――
「少年」
――疑問符を浮かべる、彼に。
私は空を仰ぎ、問いかける。
「少年は――あの夕日を、どう思う?」
少年は、もう沈みそうな夕日に、僅かに目を細め――しばし、考え込んだ後に。
「……綺麗だと……思います。沈んでいくと、こうやって……夜の闇と、夕日の赤がとけあってる所とか」
不思議そうに、私を見つめる少年の――口にした、答えに。
「……そうか――」
口元に、自然と笑みが浮かんでいた。
「なら――私と、同じだな」
此処に来てから――判ったことが一つある。
私は最初、この幻想郷を――幻想の生物と、人間達の共存する世界だと思っていた。
しかし。
それは――厳密には、違っていた。
この幻想郷にいる人間達も、実は外の――人間界の人間達とは異なった、幻想の存在だということ。
やはり、妖怪と人間が共存する――それは「幻想」の中だけのことだったのだ。
外の年号で、明治に差し掛かった頃――幻想郷は、人間界との境界に結界を張り、外との交流を絶った。
だが、私が思うに――幻想郷と人間界に張られている境界線は、結界などではなく。
人々の意識の『差』が、すでに強固な結界となって――外界の人間が幻想郷を見つける事を不可能にしているのではないだろうか。
妖怪、精霊、死人に吸血鬼――
そういったものが「空想の存在」という認識にすり替えられ――
人間界でそういった存在が薄れていくに従って、この幻想郷に住む妖怪の数は増えている。
空間的には閉塞しているが、種族的には国際的だといってもいい。
恐らく、結界を解いてももう、外の人間達はこの幻想郷を見つけることはできないだろう。
ほかならぬ彼ら自身が、幻想の存在を空想の存在と塗り替えてしまった。
彼らにとって「架空の存在」という認識である限り――此処を見つけることは、出来ない。
……結局。
私の居場所は、やはり無かったのかもしれない。
こうして、幻想郷の中の人間達――人としての「弱さ」が無い、ある意味私にとって理想的な彼らとしか、私は共にいることが出来なかった。
人間の、人間としての弱さ。
妖怪の、妖怪としての弱さ。
そういった弱さが、私を拒絶する――そして、本来ならばその「弱さ」の無い存在など、いないのだから。
……だが。
今となっては――これで、良かったのかもしれない。
何故なら、今の人間界では――半獣という存在もまた、空想の産物と思われてしまっているから。
歴史が私を「幻想の生物」に押し上げてしまった。
ならば、私は――やはり、この幻想郷こそが「私の居場所」なのだろうから――
だから私は今日もこの幻想郷で、人間のために働きたいと思う。
かつて、人間界の人間達が切り捨てた幻想を。
自らと違う存在さえ認め、共存できるその「可能性」を――私は此処で、護っていきたいと思う。
それが、私が外の人間達にしてやれる、唯一のこと――そして。
幻想郷の人間達にしてやれることの、大事な一つだ。
「……よし」
ぱたりと本を閉じ、すっかり闇の落ちた夜空を見上げる。
今日もまた何処かで――あの風変わりな人間と妖怪達が、弾幕ごっこにいそしんでいるのだろうか。
それとも、輝夜と妹紅が、これで何度目になるだろう――殺しあいをしているのかもしれない。
この幻想郷は、酷く物騒で。
この幻想郷は、酷く――平和だ。
此処に来てから、まるで退屈した覚えが全く無い――まったくもって嘆かわしい。
嘆かわしくも、可笑しい日々。
そんな幻想郷が大好きだ。
今日もまた何処かで、この幻想郷だけが紡ぐおかしな歴史が――刻まれていくのだろう。
だから今日も、私は。
妖怪達が、人間に迷惑をかけないように見張りながら。
今日もまた、何が起こるか判らない幻想の夜に――この身を、躍らせる――
――此処の名は幻想郷。
妖怪と人間――少女達の飛び交う、幻想と弾幕の世界。
そんな所に、居場所を見つけ――私は今日も生きている。
