人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.
Keine Kamishirasawa -歴史喰いの“歴史”-

3.冷たい嵐
事の起こりは、何十年に一度あるか無いかの規模の大地震が、この辺り一体を襲ったことことからだった。
幸いにも、震源は村そのものではなかったから、死者が出る様な惨事には至らなかったが。
ただ運が悪かったことに、その地震と重なるようにして――嵐が上陸してきたのだ。
激しい雨風によって、揺さぶられた山は酷く土が緩み、いつ何処で土砂崩れが起こってもおかしくは無い状態にあった。
私はひとまず、小屋の周りの歴史を操作し、嵐が去るまでおとなしく過ごしていようと決めていた。
小屋は簡素に見えても、相当頑丈に組み合わせて作ってあったし、家の中の空間の「嵐の歴史」はあらかじめ喰らってある。
時折聞こえる風の悲鳴は激しかったものの、私自身は至って落ち着き払っていた。
しかし、この木々さえ薙ぎ倒しそうな暴風と雨の中――必死の形相で駆け込んできた少年の姿を見たときには、流石に度肝を抜かれた。
全身、池に飛び込んだように水滴が垂れ、まるで濡れ鼠のような酷い格好で、少年は小屋に転がり込んで来たのだ。
一歩外に出れば暴風と豪雨が容赦なく叩きつけてくる中、この家の中だけがひっそりとしている様は充分怪異であったろうに――
それにさえ気付かないほど、少年の表情は必死で、余裕が無かった。
そして。
荒げた息を整える間も無いままに、一気にまくしたてた少年の言葉の内容に。
――この暴風の中、土砂崩れに子供達が巻き込まれたという、少年の言葉を聞いた時――
私の心にも、一切の余裕がなくなっていた。
まるで桶をひっくり返したように降り注ぐ雨と、殴りつけるような風。
雨具も持たずに飛び出した私の着物はあっという間に水を吸い、ずっしりと重くなっている。
しかし、私はそんなことには一切構わず――野生の獣のように、ひたすら山を駆け下りた。
……土砂崩れに巻き込まれた、子供達は。
山の中に住んでいる私の安否を気遣って、大人達の目の隙を盗んで山に忍び入ったという。
――私のせいだ。
――私のせいで、彼らの命が脅かされそうになっているのだ――
私がようやく現場に駆けつけた時、既に村の人々は必死になって崩れた崖を掘り起こそうとしていた。
しかし、崩れた土砂が、まるで小高い山のように積もっている様子を見る限り――子供達の生存は、絶望的に思えた。
この時代には、貧しい村は子供の口を減らすために山に捨てたり、命を絶つことも珍しい話ではなく――
この時代の親達は、現代の親ほど子供の「死」に頓着を示すことは無い。
しかし、それでも。
子供が愛しくない親などいないのだ。
まるで効率的とはいえない様子で、髪の毛を振り乱し――半狂乱になって子供の名を叫び、土を掘り返している。
例え掘り返せたとしても、そこには絶望的な結末しか待っていないだろうに。
それでも子供達の親は、喉が張り裂けそうな声で子供の名を呼び、泣きながら土砂を掘り返す。
私が、彼らと関わることさえなければ――脅かされることの無かったはずの命の名を、呼びながら。
私は迷わなかった。
崩れた土砂を掘り返そうとしている村の人間を纏めて放り投げるように退けて、力を解放する。
そして、土砂が崩れたという「歴史」を、私は喰らった。
あれほど高く積みあがっていた土砂は、その一瞬で影も形も消えうせ――後にはただ、倒れている子供達の姿のみ。
私は、一番近くに倒れていた子供のそばにそっと駆け寄り、手首を握る。
まだ、弱弱しいながらも――しっかりと、脈は残っていた。
他の子供達の歴史も調べる――すると、土砂崩れに巻き込まれた子供達は全員、意識を失っているだけだった。
大きな外傷も、後遺症になるような深刻な怪我も全く無い。せいぜい、軽い打撲と骨折ぐらいのものである。
それは、正に奇跡と呼んでも良い結果だった。
そして、その事に。
……私は、心から安堵して。
だが――まだ気を緩めるには、ほんの少しだけ早すぎた。
一際強く吹きつけた風と雨が、山にさらなる土砂崩れを引き起こさせる。
しかもその規模は、どう見たところで、先刻のあれよりも遥かに大きい。
今度は子供達だけではない――この場にいる全員が、生き埋めになってもおかしくは無い――
畑で取れた作物を、少しばかりおまけしてくれた老婦の顔が。
射取った猪の大きさを、目を輝かせながら――少々誇張げに語った、若者の顔が。
あの晩、恐怖に震え、泣いていた子供達の声が――私の記憶を、駆け抜けていく。
――私は。
彼らを、失いたくない――
雪崩を打って落ちかかってくる巨石は――その真下にいた村人の頭を砕く寸前、霞のように消え去った。
薙ぎ倒された木々が、数人を押し潰しかねない勢いで倒れ――やはり、その直前でふっと消え去る。
足を滑らせ転落しかけた男は寸前、見えない何かの壁に阻まれるように踏みとどまり。
掲げていた松明を消し去らん勢いで風雨が襲い掛かれば、急にその勢いが弱まっていく。
――この時の事を、私は正確に覚えていない。
無我夢中で、力を解き放っていた。
ありとあらゆる、災いの原因となるであろう事象の歴史を――喰って喰って、喰らい続けた。
どれほどの時間が過ぎた後だったのだろう。
気付けば、あれほど喚き叫んでいた風雨がぴたりと止んでいた。
先刻までの荒れぶりが嘘のように、ひっそりと静まり返る山。
どうやら、嵐の「目」に入ったらしい。
地面は引き裂かれ、崖は崩れ――木々が根こそぎ薙ぎ倒された、痛々しいまでの山の姿。
嵐が垣間見せた、自然の猛威――人間では決して抗えぬ、絶対的なまでの力。
だが、しかし。
彼らは目の当たりにしていた。
その絶対的な力に、真正面から拮抗してみせた力の存在を。
村の人々のいた場所だけが、まるで見えない巨人の手で護られたように、不思議な現象が次々と巻き起こっていたのを。
そしてそれが、誰の力によって為されたものかを――彼らはその目で、はっきりと目撃していた。
誰も、言葉を発さない。
誰も、動こうとしない。
手にした松明の火がたてる、じりじりという音が――やけに響いた。
私は黙って、村人達の視線を一身に受けていた。
ずぶ濡れになった着物はべったりと体に張り付き、銀の長髪は滝に打たれたようにぐっしょりと濡れて、張り付いた頬から水滴を垂らす。
顎から、指先から、着物の端から――ぽたりぽたりと流れる雫を、拭うことも忘れて。
私はただ、ガラス玉を思わせるような村人達の瞳を、真っ直ぐに見つめていた。
すっかり濡れた体は夜の闇に冷え、吐く息は荒く、白い。
だが、本当に冷たさを感じていたのは――体では、無かった。
時間さえ、凍り付いてしまったような中で。
うっすらと開けた雲の切れ間から月が顔を覗かせ、沈黙に凍てついた私達に光を投げかける。
一片の翳りも無い、望月の光が――私の体へと降り注いだ。
私の姿が――変わる。
瞳の色は血を透かしたような紅に染まり、目鼻立ちがくっきりと、大人びたものへと変わっていく。
慎ましやかだった双丘は、襦袢の下からはっきりと判るほど大きくなり、つんと形よく着物を押し上げる。
お尻の辺りに切り込みの入った私の着物――今その切り込みから顔を覗かせたのは、ふさふさとした毛を持った、一本の獣の尾。
そして、皆が目を見張る中で。
月の光を固めたように白く、鋭い二本の角が――筍のように髪の間から伸び、天を衝いた。
――それは。
限りなく、人に似ていながらも――人に在らざる、異形の姿。
「――もの」
私を呼びに来た少年の口から、不意に衝いて出た、その言葉が。
ぞっとするほど、鋭く――人々の耳に、心に響く。
「――ばけもの」
満月が昇る、夜の元で。
「ばけもの――!!」
――幻想の日々は粉々に打ち砕かれ、唐突にその終わりを告げた。
