人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 〜 Imperishable Night.

Keine Kamishirasawa -歴史喰いの“歴史”-




2.菫



昨日の今日で、よく怖がる事も無く山に入ってきたものだ――それどころか私の小屋を見つけてしまうとは。
人間の子供の持つ予想を上回る行動力の高さに、状況を忘れて思わず感心してしまっていた。

しかし、判らないのは。
彼らは何故、私の小屋を探し、私の元へとやってきたのかだ。
化かされたと思わず、この山の中を懸命に探してきたことには感心するが、彼らが私に何かの用があるとは思えない。
だが現実には、子供達は何かの決意を固めたような真剣な表情で小屋に押し入り、食い入るような表情で私を見つめている。

さて、どうしたものだろうかと考えあぐねていた、その時。

子供達の中でリーダー的な位置にいるのだろう――背の高い少年が、ぶっきらぼうに口を開いた。

「…………あの時」
「……?」
「……あの時、村まで連れてってくれて、その……ありがとう」

……私はきっと、この瞬間。
途轍もなく、間の抜けた表情をしていたに違いない。

「ぽかん」という擬音が聞こえてきそうなほど呆気にとられている私の目の前で、さらに予想外の出来事は続く――

「あの時、お姉ちゃんが助けてくれなかったら……わたしたち、きっと助からなかったから。本当にありがとう」

少年のすぐ傍らにいた利発そうな少女が、こちらは丁寧に頭を下げる。
そして少年少女に続く形で、他の子供達もそれぞれに「ありがとう」「助かった」などと、私に頭を下げてくる。

……まさか、この子供達は。
私にわざわざ、礼を言うために。
そのためだけに、山に再び足を踏み入れたというのだろうか。

こういう時、普通は一体どうすればいいのだろう。
一体、どのような返事を、彼らに返せば良いのだろうか――

言葉を見失い、ただ口を開いて突っ立っている私に。

他の子供達の背に隠れるようにしていた、一際幼い子供――
あの時私が背に負った少年が、意を決したように厳しい表情で私の足元まで近寄ってきた。
まるで親の仇でも取るような緊迫した表情のまま、背中に隠していたものをぐっと差し出す。

「……花……?」

それは、一輪の菫の花。
どこかで摘んできたのだろうか――茎が折れてしまいそうなほど力いっぱい握り、私へと差し出していた。

「……くれるのか、私に……?」

俯いたまま、少年はこくこくと頷く。
その土に汚れた小さな手に、後生大事に握り締めて
耳の先まで真っ赤にしながら、俯いている少年の、小さな姿を見ていると。

……私は、自然と――この精一杯の勇気にどう応えるべきなのかが見えてきていた。


「……ふむ。綺麗な色だな――」


野良仕事を手伝い、黒くなるまで山を駆け巡り、乾いた泥で薄汚れたその小さい手から、そっと菫を受け取って。

「……ありがとう。私は今、とても――嬉しい」

見つめ上げる子供達の眼差しに、花の咲くような微笑みを返した。








その日を境に、私は少しづつ、麓の村の人々と交流を交わすようになっていった。
そもそも、私自身が積極的に関わろうとしなくても、子供達はほぼ毎日山にやってくる。
私の家の近くまで――山の奥深くまで入り込んでは、木々の間を山猿のように駆け巡り、日が暮れるまで遊んでいたのだった。

「この山は、おら達の庭みたいなもんだからな」

子供達の一人が、偉そうにそんな事を言った時には、あの夜の泣きじゃくった姿を思い出して思わず笑ってしまったものだ。

そして子供達を通じて、村の人々とも少しづつ交流を持つようになっていった。
私が何故山に住んでいるのか、村に下りてこないかは、適当に理由を作って誤魔化すしかなかったが――
山で、たった一人で生活するのは大変だろうと、彼らは村で取れた作物を分けてくれた。
村は土地がすっかり痩せていて、野菜も米も、取れる量には限りがあるというのにだ。

そして、そうやって分けてもらった食べ物は、歴史を操って複製したものよりずっと美味しかったことは今でも忘れられない。

だが、彼らの温情に頼り続け、ただで貰い続けることは出来なかった。
そもそも私は、いざとなれば歴史を操り、いくらでも食べ物には不自由することの無い生活ぐらいは出来るのである。
彼らの温情に応えようと、私は人間のようにお金を稼ぐため、生まれて初めて仕事というものにも手を出すようになった。

この強靭な体を使って力仕事に精を出せれば、収入的にも効率の良い働きが出来たのだが、
筋骨隆々の青年ならともかく、まさかこの少女の姿で人三倍の力を存分に振るうわけにもいかない。
機を折り、縄を編み、布を染め――傘を張るなどといった家の中での働き、自然とに集中することとなった。
また、歴史を通じて様々な知識に通じるこの能力を生かし、医師の真似事をしたこともある。

そういった様々な仕事でお金を稼ぎ、時には作った品物を現物そのまま、食べ物などと物々交換して。
そして、その最中に農作業に精を出す村の人間と他愛ない話を交え、茶を出して貰ったりもした。
昔はただ、そっと眺めるだけだった猟師達も、顔を見かければいたって気さくに話が出来るようになった。

そうして仕事の合間に、または仕事休みの日には――子供達が遊ぶのを眺め、彼らにせがまれ私自身もその遊びに参加する。
子供達とへとへとになるまで走り回り、ふと空を見上げれば――空一面を真っ赤に染め上げるほどの夕日が浮かんでいたものだ。


「……少年。あの夕日をどう思う?」
ある日、私に菫の花をくれたあの少年に、こう訪ねてみたことがある。
引っ込み思案らしい少年は、普段はいつも年上の子供の背中に隠れていたが、こうして私が話しかけると、小さい声ながらも口を開いてくれた。
そしてこの日も、彼は応えてくれた――くいくいと袖を引っ張られてかがみこむと、少年はそっと私の耳元に口を近づけて、

「……そらが燃えてるみたいで、こわいけど……でも、とってもきれいです…………?」

こくこくと頷く。

「……そうか……空が燃える、か。なかなか、面白い解釈をするんだな……お前は」

私は、少年の体をそっと抱きしめ、頭を撫でる。
ぱくぱくと口をあけて硬直したその顔が真っ赤だったのは、夕焼けの照り返しがやけに強かったからだろうか。

少年があの夕焼けに感じた感想は、私のものとは違っている。

だが同時に、私も少年も、あの夕焼けを綺麗だと感じている――

それが、嬉しかった。

「慧音さん、おれだってあの夕焼けは綺麗だと思うぜ? 雲に跳ね返って綺麗じゃんか」
「おらもおらも――夕日の中に立ってる慧音ねえちゃんがきれいだと思う!」
「なっ――こら、いきなり飛びついてくるやつがあるか! 危ないな、まったく!」

背中からいきなり抱きついてきた子供を嗜める。
そして、私の傍に集まってきた子供達と一緒に、私はもう一度夕焼け空を仰いだ。

一人であった頃と同じように、私を暖かく包んでくれる夕日は――心なしか、今の私を喜んでくれている様に見えた――

あの頃の私に接してくれた人間は、みんな夕日のように暖かかった。
決して、感じることの出来ない温もりだと思っていたから。
誰かと、共にいることが――こんなにも楽しいことだったとは、知らなかった。

人間は確かに、妖怪に比べれば脆弱で狡猾で、取るに足らない存在なのかもしれない。
しかし、彼らは力が無いからこそ、他人との繋がりを大事にする。
誰かに分け与えることの出来る、優しさと暖かさを持っている。


こんな暖かい気持ちを誰かに与えることのできる、人間という種族を。
私は、とても素晴らしく、そして愛しいものと感じていた。


あの時。
私にとって、世界は穏やかで暖かく、幸せなものだった。

こんな日々がずっと続けばいいと、心からそう願った。


そんな幻想を――信じていた。




だが、生まれて最初に、知識として私が予見したように。
この穏やかな日々は、決して長く続くものでは、無かった。