Final Fantasy W After Story

第二十七話 朽ちし竜――今。

月は沈み、陽はまだ昇らぬ夜明け前。
しかしその姿は直接見えずとも、地平線にたなびく雲はその白い体を隠れた日の輝きに染め、ただ静かに来る夜明けを待っている。
そんな、中で――それをぼんやりと、呆然と眺めているのは。
傷ついた槍を大事に抱え、うずくまってただそれを眺めている金髪の男、カイン・ハイウインド。
体の傷は、白妙の力の前にすぐ癒えた。
しかし。
……その、心の傷は。
――判らない。
判らない――何も。
何で――何で俺の心は、こんなにもさもしいのか。
打算的で――狡猾で――弱いのかが。
……昇り始めた朝日に、そっとホーリーランスを透かす。
夜明けの清涼なる光の中で、槍身に刻まれた醜いひびがかえってくっきりと現れていた。
ひびのはいった、光の槍。
まるで今の――今の俺そのものだ。
ホーリーランスに、ひびが入ってしまったのは。
ラディのあの暗黒が強力だっただけでは、恐らくない。
それは、槍が――槍を通じた、俺が脆く、弱かったからだ。
あの時にひびが入ったのは槍だけじゃない――俺もそうだったのだ。
俺の信じてきたもの。
貫こうとしてきたもの。
何よりも強い想いだと、信じてきたものが。
……あの瞬間、揺らいでしまった。
ラディの暗黒。
ラディの信念。
ラディという存在の前に、迷ってしまったのだ。
そして気付けば、この有様だ。
こんなにも――こんなにも俺は弱く、脆いものだった。
ゴルベーザの言ったとおりだ。
自分に嘘をつくための、そんな見せかけの信念、力など屑だった。
ホーリーランスが傷ついたのは……間違いなく、俺自身の責任だ。
……だが。
なら、俺はどうすればいい?
何もかも無くなった。
全て失った――自分すら見失ってしまった。
俺である事を貫くのが、俺の生き方。
……俺の、強さ。
それ以外の生き方など、不器用な俺にはとても出来そうにないからだ。
だが俺は今、何を貫けばいい?
この俺に染み付いてしまって離れない、この浅ましい想いでも貫けというのか?
何で俺には……俺の中には、これだけしかないんだ?
何で……何で俺には、嘘しか残っていないんだ!?
自らを鍛えれば、手ごたえを感じていた。
失うことのないなにかを、しっかりと感じていたはずだというのに。
……今の俺には、嘘以外の何も残ってはいない。
これほどセシルが羨ましいと思ったことはない。
あいつの心の素直さが。
――優しさが、俺には無い。
これほどラディが羨ましいと思ったことは無い。
あいつの心の純粋さが。
――強さが、俺には無い。
何であいつらはああも強い?
何度も裏切り、心を荒らし、踏みにじった俺を――だが、セシルは咎めず、あの時許してくれた。
俺より遥かに重く、深い傷を心に抱いていても――だが、ラディは決して歩むことを止めようとはしない。
それに比べて……今の俺は何なんだ?
自分を裏切ったのは、自分。
……その事実に、こうも簡単に膝を屈して。
自分の心に響く痛みに、ただ生まれたての子犬のように盲目に何も見えず、震え、うずくまっているだけ。
「……最低だ」
口をついて出てきた言葉は酷く簡潔で、しかしこれ以上ないほどに今の俺に適したもの。
白妙は……気付いていたのだろうか?
この俺に巣食う、浅ましい餓鬼に。
矮小である、俺という本質に。
……あの時、俺の打ちのめされた情けなくみっともない姿を見ても、白妙は態度を変えることは無かった。
痛みに耐え切れず、貪るように求めても――やはりいつものように、拒みはしなかった。
だがそれも、この俺の醜さを知っていて、それでも俺に今も付き合ってくれているのだろうか。
……それは、白妙の優しさなのだろうか。
その優しさが、だが今の俺にはとても痛い。
その優しさに溺れ、楽になってしまおうとする愚かな自分がとても憎い。
「最低だ……。本当に……本当に俺は……最低だ…………」
まるで降りしきる雨の中、僅かな慈悲にすがろうとする頼りない子犬のように。
壊れかけた自分に、それでも乞食のようにすがり付こうとするように。
壊れたホーリーランスを抱えて。
丸く、小さくなって。
……目に染みた朝日に、涙が止まらなかった。
――落ちていく。
自分が、落ちていく――
「……君、名前は……?」
「そっか……オレは、あんまり――」
「じゃあ、これからは出来る限り来るように――」
「へぇ……そういうものかな?」
深みへと、落ちていく。
落ちて――溶けていく。
感覚が無くなっていくのではない。
むしろ鋭敏化して、全身を激痛が苛み。
それが世界全てへと広がって――溶けていく。
「じゃあ……約束だ」
「間に合え……間に合って――」
「……勘違いするな? 私のせいじゃない。これはお前のせいだ」
「お前と関わりさえ、しなければ――」
「だからこれはお前の責任だ。お前のせいだ」
深く――深く――体も、心も、全てが。
落ちて――堕ちていく、無限の感覚――
――お前が、この少女を――
……だが。
どれほどの時が経ったのだろう。
ラディが目を開けると――そこは無限の深遠の中などでは無く。
清潔感があるが、安っぽい天井。
硬いと言うほど薄くは無いものの、決して高級とはいえない布団。
ここは――簡易宿泊施設『コテージ』の中――
「……夢……だった、のか……?」
全身にびっしりと寝汗を掻いていることは、横になっている今でもはっきりと判った。
しかしそれでも、ひとまずは安堵のため息を漏らして――だが。
意識を失う前の記憶が、何の前触れも無くその時にフラッシュバックする。
それは――夢などでは、決して無い。
『死』を垣間見たあの最中、自分が『決断』したことを夢で終わらせていいはずが無い。
右腕が骨から突き刺されるような痛みに、顔が強張る。
「……夢じゃ……無かったのか……」
からからに渇いた喉で無意識に呟いたそれは、しかし静寂だった室内に異様に響いて。
……いや。
耳を澄ませば、『静寂』というほど、コテージの中は静まり返ってはいなかった。
姿は見えない。
だがすうすうと静かに聞こえてくる、意外と可愛いその寝息は――
「ん……」
「……ミレイユ?」
ゆっくりと半身を起こして、眠たそうな顔でラディを見下ろすミレイユ。
どうやら今まで、彼女は自分の膝の辺りに顔を沈めて眠っていたらしい。
「……ふぁ……ああ、ラディ、起きてたの……?」
「ああ……今さっきだけど」
「そ……。まあ、そろそろ目を覚ましてもいいころだってエルナも言ってたけど……」
ふぁぁぁ……と、大きなあくびが漏れ出る。
恐らく、疲れがたまって知らずに眠っていたのだろう。
眼鏡をかけたまま眠ってしまったため、先刻からしきりに耳の辺りを揉み解している彼女。
「ってことは……ミレイユがずっと、オレの看護を……?」
「『ってことは』ってなによ、『ってことは』って。……あ、もしかして……。
ラディ、まさか前にカイポで倒れた時の治癒、全部クレセントがやったと思ってないかしら?」
「え……!? 違うのか!?」
――前にカイポでクレセントの異界召喚に巻き込まれた時も、同じように倒れたことがある。
……だがその時は、自分が起きた時にはクレセントが回復の詠唱をしていたのだ。
「あれは私がずぅぅぅぅっっ……と回復をしてたけど、途中でクレセントが起きたから代わってもらったのよ。
まったく……まさかそう考えてたなんて思わなかったわ。ああ……もうっ!!」
櫛も通していないのだろう、広がり始めたポニーテールの端を指に巻きつけながら、
ミレイユは半眼でラディをじっと睨んでぶつぶつと続ける。
「ラディ……二日よ、二日? ラディが倒れてから。……も〜その間、私がずぅぅぅぅぅぅっ……と!
夜通し回復魔法をかけっぱなしだったんだから……そりゃ眠くもなれば感謝の言葉の一つくらい欲しいところよ。
なのに……なのにその私に向かってよりによって『ってことは』って……」
「ご……ごめん」
申し訳なさそうに謝るラディに――しかしミレイユは、その細い指をとす、とラディの額に押し当てて、
「ごめんじゃないわよ。……いい? 回復魔法っていうのは即効性があるからこそここまで重宝されるの。
その回復魔法を、しかも糸で増幅して二日巻かけ続けて……そこまで時間がかかったってことは、
かなり生と死の狭間を行き来して立ってこと。……それも判って言ってるのかしら?」
「……ごめん……」
ラディにはただ、素直に謝るより他に無く――が、そこでミレイユはくすりと笑うと、
「なら、それは体を早く治すってことで形にしてほしいわね♪
さしあたって……どう? お腹すいてないかしら? 昨日はカニ鍋だったから……確かカニ雑炊が残ってたハズ――」
「か……カニ雑炊……」
思わずつぶやき返した時――まるで狙い澄ましたかのように鳴る腹の音。
「うっ……」
「……その様子なら、大丈夫そうみたいね♪ ……それじゃちょっと暖めてあげるから待ってなさい♪」
ミレイユは立ち上がると、コテージ中央のあたりに置かれた鍋へと歩み寄っていく。
ラディはゆっくりと半身を起こし、改めてあたりを見回した。
……流石に甲冑を着けたまま横たえるわけにも行かず、防具と短剣は全て整頓されて部屋の隅。
テュルフングも丁度、その近くの壁へと立てかけられている。
今自分が着ているのは、いつも鎧の下に着ていた黒い上下のアンダーウェアのみ。
……本当ならテュルフング以外、すべて原型を留めぬほど破壊されていたはずだが――クレセントが修復したらしい。
体のほうも、無傷な皮膚がどこにも無かったほどにぼろぼろになっていたはずだが、傷跡一つ残ってもいない。
「………………」
とりあえずラディは、無言でそっと左手を上げ――軽く念じる。
その思念に反応し、短剣が鞘ごと手元に飛来して――それを掴み、そっと刀身を少し引き抜く。
……やはり思ったとおり、クレセントが修復したらしい。
まるで傷一つ、曇り一つ残ってはいなかった。
短剣を、再び鞘に収めて。ラディはミレイユのほうを見やった。
彼女は大きな土鍋に炊かれたカニ雑炊を、小さな土鍋へと移しかえている最中だった。
彼女の動きにあわせて、金のポニーテールがふさふさと揺れる。
それをただ、ぼんやりと眺めて――
しかし次の瞬間ラディは勢いよく左腕を振りかぶる!
「……あ、言い忘れてたけど……ラディ」
こちらを向かず、こちらの行動に気付かぬミレイユが話しかけてくる。
だがラディはそのまま迷いも無く、振り上げた腕を、それ以上の速度で振り下――
「その位置から……私は狙えないわよ?」
「……!?」
振り下ろそうとして、しかし振りぬこうとする直前、腕の動きが止まる。
とても奇妙なポーズのまま固まっているラディを、ミレイユはちら、と眺めやって呟いた。
「……確かに私には、クレセントみたいな膨大な魔力も、エルナほどの突出した知能も無いわ。
けど……私、他人の考えている行動を予測するのって結構得意なのよね♪」
まるで、イタズラが見事に成功したような調子のミレイユ――
しかし、その手から伸びるものが、日の光に僅かに反射しきらりと輝く。
「……糸か……!」
よく目をこらせば、コテージの中にはおびただしい量の「糸」が張り巡らせてあった。
それは今の瞬間、放出したものではない。
……あらかじめ、設置していたらしい。
「……今のラディの力で、この糸を断ち切るのは無理よ?
でもいつもの糸なら、力を入れたらばらばらに切り刻まれちゃうんだから……感謝して欲しいわね♪」
「……ぐっ……」
ミレイユの右手が何かを掴むようにぐっと握られ、瞬間、ラディの左手の指がこじ開けられる。
そしてとり落ちたのは、短剣の鞘。
「……短剣じゃなくて、鞘で狙ってきたのは……私を傷つけたり、殺したいわけじゃなかったから。
ラディの膂力なら鞘でも十分、相手を気絶させられるでしょうし。
……まあ、血の跡が残ると後々面倒だから……ってセンもあるけど……。そうじゃないと思いたいわね♪
気絶させた後は、大方一人でこのホブス山を降りて私達の前から姿を消すつもりだった……そうなんでしょ?」
「………………」
「……そして、私達の前から姿を消そうとした理由は……よし、温まった♪」
張り巡らせていた「糸」の一部にファイアをかけ、小さな土鍋をすぐに暖めたミレイユは、
ローブの裾を鍋つかみ代わりに、ラディの元まで歩いてきて――すぐそばに座る。
「私たちの前から姿を消そうとした理由は……あのカイン・ハイウインドと相対した時の『あれ』。……違う?」
「……いや、違わない」
左腕だけ宙に磔にされたままの姿で、ラディは苦々しげにそれだけを口にした。
「……確かに、クレセントたちと旅が続けられなくなるのは……少し辛いけど、別に無理って訳じゃない。
最初は一人で旅をする予定だったんだ。だから……オレは……」
「……けど、どうして? どうしてそれと……一人で行こうとするのが関係があるのかしら?」
「だって見たんだろう!? ミレイユも……ミレイユも『あれ』を!」
血を吐くように、ラディは言葉を荒げ、叫んでいた。
「ミレイユは――ミレイユは……オレの『あの姿』が……『あの様子』が……怖く無かったか?」
若干の沈黙をはさんで、ミレイユは静かに首を横に振る。
「……怖かったわ。……まるで……いつものラディと違ってたから」
「……そうだろうな……。……だって……自分でも、怖いんだから」
自嘲するような笑いを――彼に似つかわしくない笑いを零して、ラディは続ける。
「……『あれ』が……例えば悪魔に体を乗っ取られているせいなのなら、それを叩き出せばいい。
別の人格がいるのなら、それに乗っ取られないように心を強く持っていればいい。
自分の体が人でない別の存在なら――それにあった生き方を見つけていればそれでいい。
けど……『ああなった』のは……間違いなく、オレが……オレ自身がそう望んだからだ。
得体の知れないことじゃない。……『ああなること』を選択したのは、間違いなく……オレだ。
それはいくら否定したって、変わらない。……オレ自身の……決断した、ことなんだから」
右腕の酷い痛みに、しかしそれを動かすことも出来ず、ラディは噛み潰すように言葉を紡ぐ。
「けど……オレが……たとえオレがそのことを納得していても、他人がそれを納得できるとは思えない。
……怖いんだよ……クレセントが……エルナが……ミレイユが、オレに恐怖を抱いていると思うのが!
何だか判らない……まるでバケモノみたいなオレが……いつ自分に襲い掛かるか、と考えられるのが!」
酷く不安げに、ラディの赤い瞳が揺れていた。
「……オレは、ずっと一人で旅をするものだと思ってた。そう思って……バロンを出発したんだ。
……けどオレは、まだ旅に出て間もないのに……こうやって仲間と呼べる人と、一緒に旅をしていられる。
そのことが、オレはとてもうれしい……うれしいからこそ……いやな思いは、させたくない。
……けど、あれを見せてしまった。もう……今までどおりにオレと接するのは、無理になった。
クレセントやミレイユは優しいから……いきなり掌を返した態度になるなんてことは無いと思う。
オレも……つい今までどおりにしてしまうかもしれない。一緒にいたいと思う気持ちが、変わってないと信じて。
けど……もう、一緒に居たいっていうのが……俺の独善で、本当は話していても怖い、一緒になんか居たくない……。
そういう心の無理を抱えさせて旅をするのは……一緒に旅を続けるのが……オレは……嫌だ……」
「……そうやってずっと不快な思いをさせるくらいなら、いっそのこと自分から去ってしまおう……。
それなら与える不快は一度で済む。……無理をして旅を続けるより、そのほうがお互いのためだ……ってワケね」
口をつぐんだラディに代わって、ミレイユはそう話を締めて瞳を閉じた。
それきり――何も言わない。
訪れる、沈黙。
……それが何かを考えているにはあまりに長くて、ラディは思わず顔を上げてミレイユを見やって――
すっぱぁぁん!
そんな乾いた音が響いて――ラディは目を丸くした。
見ればミレイユは、袖から取り出したのかスリッパを片手に振りぬいている。
……その裏が、思い切り自分の頭をはたいた音が――先刻の音だった。
「ラディ……そんなぐるぐるぐるぐる後ろ向きな方向に考えてると……ハゲるわよ」
くるくると自身も指を回して――それをとすっとラディの額に押し当てて、ミレイユは続けた。
「私は怖いわよ。ラディのあの姿……心臓でも食い破られるかと思った。
けど、それを言ったらいっつも不気味なくらい落ち着きすぎのクレセントもある意味怖いし、
あんまりお酒を飲みすぎてるとエルナなんかは大鎌を頭の上に振り落としてくるし――
そっちの方が、現実的には命を取られる可能性高い分コワいわ」
ラディを放り置くように一人でたったか喋り、そしてうんうんと頷くミレイユ。
「けど――別に私は、クレセントと一緒に旅をするのが嫌なんて思ったことは無い。
エルナが妹で嫌なんて思ったことは無い。それは私が――二人と一緒にいてて楽しいからよ。
言っておくけど私、こう見えてけっこう人の好き嫌いって激しいのよね〜……」
おどけるように肩をすくめて見せた後――ミレイユはふっと笑うと、
「だから――同じことよ。怖かったけど……別にラディとこれ以後、旅をしたくないなんて思わなかったわ。
だってラディはラディだもの。ラディにそういう側面があっても……それが、全てじゃない。
クレセントもエルナも……きっと同じこと、考えてるわよ♪」
……あまりに、予想していたものとは違った、ミレイユの態度に。
だが、ある意味一番もっともらしい、彼女の反応に。
ラディはぽかんと、完全に呆気に取られていたが――
「そ……そんな風に誤魔化さないでくれ! オレは真剣に――」
「バカねぇ、真剣よ?
真剣だけど、いっつもクレセントみたいな肩の凝る喋り方してたら、今のラディはどんどんどんどん思いつめちゃいそうでしょ?
……たまには肩の力くらい抜いて、この軽い言葉を素直に言葉を信じてみなさいよ。
ラディといて、楽しいかそうでないか――決めるのはラディじゃない。……私たちなんだから……ね」
言葉の一つ一つが、自分の荒んだ心に染み込んでいく。
乾ききった大地に、水が染み渡っていくかのように。
……彼女の、彼女なりの優しさが――包み込むように、今の自分の心を癒していくのが判る。
……けれど。
「……けど――」
けれど、聞かなくてはいけない。
念を押さずには、いられない。
これはきっと、大切なことだから。
「けど……オレがもし……この手でミレイユを殺しそうになったら……どうする?」
その言葉にも、やはり即答はせず。
……だがやがてミレイユははぁ……と傍目にも判る程度にため息をついて――右手を翻した。
部屋中に張り巡らされて――ラディを拘束していた糸が、その瞬間に急にほどける。
磔状態だったラディは――いきなりのことに、思わず体制を崩して――
ぽすっという、音で無い音。
……丁度ミレイユの胸の辺りに、後頭部を受け止められる形で寄りかかっていた。
あまりのことに、思考が全て吹っ飛んで真っ白になるラディだったが――
「……聞こえるでしょ?」
そんなラディの首に手を回すようにして――ミレイユは静かに呟いた。
「私の心臓の音が……今ならよく、聞こえるでしょ?」
言われて感じた、ミレイユの心臓の鼓動。
生命の根源を司る、原初のリズムが心地よく、ラディの鼓膜を叩いている――
「私は今、生きてる。私とラディはこれだけ近くにいるけど、私は生きてる。
……別にラディに殺されてなんかいない――でしょ?
いつ殺す殺さないなんていう、くだらない仮定にやきもきするより……今を感じなさいよ。
案外、それだけで……結構歩けたりするものなんだから」
ちょっとトーンを押さえたその言葉が、耳を介して自分の隅々までに広がっていく。
広がって、それは暖かくて――けれど、涙は出なかった。
うれしいと人は涙するというが、その感情すらも通り越すほどに心に染みたから。
――今、思った。
ああ、これが――オレが暗黒剣を振るうべき、護るべきものなんだな――と。
父さんが、国のみんなのため――自分のために、暗黒剣を振るってくれていたように。
オレは仲間のため――ミレイユのために、暗黒剣を振るいたい。
そう思った。
そう。
……そのためにも――
「……じゃあ……その、これからも……よろしく」
「はいはい」
自分達の状況と、言葉のちぐはぐさに――ミレイユは苦笑した。
じゃり、と、硬い靴裏が砂をかむ音。
カインが僅かに首をかたむければ、そこに聳え立つように立っていた黒い重甲冑。
「……ゴルベーザ……か」
だが、打ちのめされた心にはそれ以上の感情の動きすら起こらない。
再び視線を、目の前の光景に――すでに日も昇った東の空にぼんやりと向けて、自嘲気味に唇を吊り上げるだけだ。
「……何の様だ? ……おまえ自身が言ったことだろう。もう俺に興味は無い……とな」
山を吹き抜ける風が涙の後をひりひりと刺激して、それに思わず笑いの微粒子すらこみ上げてきながら、
「……お前の言ったことがようやく判ったよ。
……確かに俺には、お前が興味を示すようなものは無いな。
所詮、全て虚偽だった……。掴んだはずのものが……全部、形の無いものだった。
今の俺には何も無い……何も。ただ風化し、崩れていくのを待つだけの空しい骸……それが……俺だ」
カインの乾ききった言葉は、しかしクレセントにやはり微塵もの感慨を抱かせなかったらしい。
石で出来た彫像のようにまったく口を開こうとしないクレセントの様子に、カインは笑いをさらに深くして――
次の瞬間、脇腹を凄まじい衝撃が突き抜け、その体を横転させていた。
こみ上げる痛みとそれ以外のものに激しく咳き込んで――顔を上げた時には。
「……私は確かに、愚かしいものには興味は無い。そう言ったのは事実だ」
クレセントは足を振り上げたままの姿で――その金属製の甲冑で、ためらい無くカインを蹴り飛ばしたそのままで。
「だが――忘れていたか? 私は、私の邪魔をするものを――放っておくほどに寛大ではない。
……あれほど私たちに……ラディに関わるなと言っておいたのに……貴様はラディに一体、何をした?」
静かなその声に、しかし水面下で地獄の業火のように燃え上がる怒りに心を震わせて続ける。
「貴様が抵抗しないというなら……そのほうが都合がいい。――排除する」
瞬間、轟然と地を蹴って、クレセントは半身を起こしたカインの横面へとその拳を叩き込んでいた。
それにろくに抵抗も出来ず、砲弾のように直線的な放物線を描き、水平に地を飛んでカインは岩壁へと叩きつけられる。
しかしその時にはカインの襟首をクレセントは掴み、引き起こし、そして再び拳によって地面へと叩きつけられる――
カインは、しかし抵抗すらしなかった。
ただクレセントの拳が自分を捉え、吹き飛ばす――そのままにあった。
カインは疲れていた。何をすることにも。
――生きることにさえ。
(このまま……惨めに殴殺されるのも……ある意味、俺らしいのかもな……)
ただ、何もかもが無気力な中で――茫然と、そんなことすら考えていたその時だった。
「……しかし、カインが愚かだと気付けなかった私も愚かなら……。
そのカインを親友と呼ぶ弟もよほどの愚か者らしいな」
そのクレセントの何気ない一言に、だが、しかし。
……カインの無気力だったはずの心――なすがままに朽ちようとした心が、ぴくりと動いた。
「いや……弟だけではないな。お前に関わったもの……全てが、愚かしい。
お前にかけていた期待、お前に望んでいたもの……その全てを投げ捨て、朽ちようとしている男になど。
……だがその中でも……セシルはよほどの馬鹿のようだな。お前のような愚昧なものを、親友と呼ぶなど――
自分を貶めるような行為以外の何者でもない」
その、異様なまでに明確に蔑みを込めた言葉に――
「……貴様ァァァァッ!!」
なすがまま、すべてを死に委ねようとした体が。
決して動かそうとしなかった膝が。
腕が跳ね上がって、クレセントを叩き飛ばしていた。
ゆらゆらと沸騰したような瞳で、その全身を突き動かす怒りを隠そうともせずに続ける。
「……俺を……俺を蔑むのは甘んじて受けよう。だが、他のヤツを……セシルを蔑むのは許さん!!」
クレセントはゆっくりと起き上がり、だが唯一見える口元にはっきりと嘲笑を浮かべると、
「ほう……反骨心だけはまだ残っていたか? だが……それを貴様が怒る権利を持っているとでも?
何度も弟を裏切り、その関係は虚偽に過ぎなかったというのに――それでも怒るというのか?」
「黙れ……それだからといって、貴様がセシルを冒涜していい理由になるかぁぁぁぁっ!!」
カインは拳を振り上げ、クレセントへと迫る。
だがその一撃はあっさりとクレセントに受け止められ、お返しとばかりに腹腔に叩き込まれた一撃にたっぷり3mは吹き飛ばされて横転する。
「そんな荒げた感情だけで……私の言葉を覆そうとするか? ……愚かな」
「なら……貴様を叩きのめして、その言葉を覆してやる!!」
カインは口元を流れる血を拭い取ることも忘れ、クレセントへと息も荒く、走り出した――
――エルナは一人、山道を歩いていた。
その道はとても険しく、普通にホブス山を通るものとは明らかに違っている道。
それを小さな体で、それでも必死に登って、登り続けて――そして。
……そこは、ホブス山で修練を行なうモンク僧ですら知らない場所。
ホブス山に溜まった氷が時間をかけて溶け出し、流れて――大きな滝となっている場所――
その滝へと、ゆっくりとエルナは近づいていく。
いや、正確にはその滝の下――目を閉じ、指で印を組み、それに打たれている女性の下へと。
「……白妙さん」
「……その声……エルナ殿か?」
轟然と流れ落ちる滝の中、瞑目していた白妙はぱちりと目を開けた。
滝に打たれている彼女は、流石にいつもの巫女服というわけではない。
というより、いつもの巫女服を脱いでいるといったほうが正しいだろう。
この「着物」と呼ばれるエブラーナ独特の衣服における下着に相当する「肌襦袢」一枚きり。
元々下着のため、薄いそれが水をたっぷりと含んで肌を透かし、体に張り付いてしまっていた。
それは単に裸であるよりも、かえって彼女に艶かしい雰囲気をかもし出させていたものの――
女性であるエルナには、そんなことは関係の無い話である。
「……何をやっているの?」
「見ての通り、滝に打たれておる。……こうやっておると、身も心も清涼に引き締まる感じがするからのう」
白妙は静かに答え、だが近づこうとするエルナを印を解いて手で制する。
「ああ……エルナ殿、近づいてはいかん」
いぶかしむエルナに、白妙はそのまま指で足元に散らばる石を示す。
それに目をやったエルナは思わず目を見開いた。
「石が……凍ってる……」
それは、決してホブス山の冷気で凍結したというわけではなかった。
……滝の水が白妙に跳ね返り、飛び散った飛沫をかぶった小石。
水がかかった部分から急速に水が凍っているのだ。
「……まさかこの水って……過冷却水?」
過冷却水。
通常、水は温度が零下に達すれば凝固し、氷となってしまうが――
冷却の過程を非常に遅々とさせると、凝固することなく水のままで零下以下の温度となることがある。
これを過冷却水と呼ぶのである。
「……この滝は、ホブス山で凍りついた空気中の水分が氷となったものが、
溶けては凍り……溶けては凍りを繰り返し、その果てにここへと流れ落ちてきておるのじゃ。
そして不用意に近づいたものは……氷付けとなってしまう。
じゃから野生の動物たちは決して近づかぬし、人間達はこの滝への道を忘れて久しいようじゃ。
したがって、わらわのような人妖でもない限り……こういった使い方は出来んのじゃよ」
笑う白妙は、確かにこの氷の滝の中にあって、その体に霜一つついてはいなかった。
「……して……わらわに、何用じゃ?」
「……別に用って程ではないけど……貴女について、聞きたいことがあるのよ」
「ほう……?」
興味深げに眉を跳ね上げる白妙。
「……貴女の事を、クレセントは『神』だと言った。……けれど、それだけの説明では納得できないのよ。
確かに今、目の前で見せられたそれは人では出来ないことだけど……私にはそれでも、貴女が人にしか見えない。
……結局どうなの? 貴女は本当に……『神』なのかしら?」
エルナの、何事の真実をも見抜くブラウンの瞳。
白妙の黄金の瞳がそれを真正面から受け止めて、しかしその答えは。
「……さて……どうなのじゃろうな」
「自分で……判らないの?」
がくっと肩でこけるエルナに、しかし白妙は顎をしゃくって、
「ならば逆に問うが……そなたは自分自身のことをどうやって「人間」じゃと判断しておるのじゃ?」
「それは……だってそうでしょう? 両親も人間なんだし……別にえらや羽があるわけじゃないもの。
肉体的特長が人間のそれと一致しているし、遺伝子上に見ても霊長類・ヒト科であることは間違いない――」
「そう――そなたは確かに、紛れなく人間じゃろう。じゃがそれは、ヒトというものがどのように定義されるか、
そなたらのようなあまたの人間が答えを求めだし、そしてヒトという種が過去において多数、前例が存在したからじゃ。
……じゃが我々は、この世界が存在したころからすでに存在しておる故、前例が無い。研究するものもおらんしの。
じゃから自分ではよう判らんのが当たり前じゃ。……自分で自分が何者か、何の情報も無くどう判断する?」
「……確かに……」
自分のとてつもなく初歩的な発想の欠落に、思わず舌打ちするエルナ。
その反応に、白妙はくすりと笑みを零すと、
「……じゃがまあ、実際のところは……考えもしなかったから判らん、というところじゃろうな。
面と向かって聞かれたことも無かったしの……ふむ。そうじゃな……何者か、か……。
……そうじゃな。……わらわたちは……人とは違う。……まあ『白竜』と呼ばれておるのじゃから当然じゃが、
そうではなく根本的な部分で……人……いや……この世界のあらゆるものと違っておる」
白妙はそっと目を閉じて、何かを思い出すかのように少し上を見上げる。
「……もう、昔過ぎて殆ど覚えておらんが……この世界が出来る前、世界には闇しか存在しておらんかった。
それ以外には何も無く――単一な闇が広がっておった気がする。
じゃが……ある時突然、その闇を破壊して……光が生まれた。光は闇を喰らい、己の存在を強く主張した。
その光となったのが……今のこの世界。そして破壊された闇は3つに別れ……わらわたちとなったのじゃ」
「闇から……光……」
と――白妙はそこで苦笑し、
「……もっとも、科学者であるそなたにこのような抽象的な話をするのもおかしいがの。
……ともあれ、この世界はそうやって誕生した。
そして……その誕生の様子が異なるように、我々とこの世界に存在する一切とは、根本的な部分において違うのじゃ
具体的に言うならば……そうじゃな……この世界のものとは違って、わらわたちには『混沌』が存在せん」
「……混沌……?」
「例えば……そなたは、確固たる自分の存在意義というものを自覚しておるか?」
その問いに――エルナは自信たっぷりに頷く。
「ええ。……この世界に存在するすべて……それを私の知能で解明してみせる。すべての知識を知ってみせる。
それが私の存在意義……私の生きる意味よ」
「……なかなか、しっかりとしたものを持っておるのう。……じゃが、それは生れ落ちた瞬間から持っておるものではない。
そなたがこれまでの人生を歩み、数々の経験を経て――自分で、掴み取った。……違うか?」
「いいえ……違わないわ」、
「……この世界に存在しているものに、最初から完全に存在意義の固定されたものは無い。
……人に限らず、動物や花や木、大地や海……星々でさえも、最初から存在する理由があってそこにあるのではなく、ただ存在しているだけじゃ。
もしくはそなたのように……自分でその理由を見つけ出すものもおるが……やはりそれも、紆余曲折しての結果。
この世界は混沌としておる……特に人間には、その傾向が強い。……もっとも、それが良い悪いということではなくな」
白妙は真っ直ぐにエルナを見た。
……自分よりも、遥かに短い時間の中に存在する少女。
そうでありながら――何のためらいも無く真っ直ぐに、自分を見返している少女――
「……人は面白いのう。創造のための破壊、愛するゆえに憎む……多くの矛盾、混沌を抱えながら……。
むしろその混沌が、複雑な心、感情、存在理由を生み出しておる。
最初からその存在理由が決まっておるわらわには、見た目を真似ることは出来ても……その心までは再現できん。
……そういったものが無いからのう」
「……それって……感情が無いってこと……?」
エルナの言葉に、白妙は苦笑して手を振る。
「……いや、そこまで酷くは無い。無いが……そうじゃな。確かにあまり高度な情は理解できぬ」
「高度って……具体的には?」
「そうじゃな……喜怒哀楽程度ならともかく……憎悪や嫉妬……それに……思慕もよう判らんの」
「……誰かを好きになったことが無い……?」
「ま、平たく言えばそうじゃ」
あっさりと言ってのける白妙。
……だがエルナはそんな彼女に首をかしげて――
「……カイン・ハイウインドも……?」
「……なに?」
エルナの口から出た名前に、今度は白妙が首をかしげる番だった。
「カイン……何故、わらわとカインが……?」
「だって……私には、仲良さそうに見えたから。……貴女にとって……カイン・ハイウインドは特別じゃないの?」
「……ふむ……?」
エルナの問いに、白妙は眉間にしわを寄せ、腕を組んで考える。
「まあ……確かにオズマ達を除けば、わらわがこの世界のものとこれだけ長い関わりを持ったのは始めてじゃが……」
「……そうなの?」
意外な白妙の答えに、エルナはつい反射的にそう尋ねていた。
「うむ。オズマなどは、わらわなどよりよほどあちこちの世界に干渉しておるようじゃが……。
わらわは殆ど干渉したことが無いからのう。それに干渉した時も、白い竜の姿をしておったし。
……そもそもこの人の姿とて、五年前にカインがわらわの核を破壊しおったために存在が劣化して、
この世界に非干渉でおることが出来なくなったから……必要にかられて、仕方なくやっただけの事じゃ。
……それじゃというのに、今度はその本人がわらわの元に転がり込んできて……。
ヤツは恥じ入るということをしらんのかのう?」
白妙はやれやれといわんばかりに肩をすくめる。
「本当に……あの男は変わっておる。わらわが白竜であることを教えたというのにこの山に居ついたのもそうじゃし、
わらわに「白妙」という名前を考えたのもカインじゃ。……それ以外にも、食事に睡眠……初めてのことじゃったな。
まるでわらわを人と同じように扱っておる。……わらわを本質的な部分で理解していて、なお、な……」
と――そこでふっと思い出したように、
「……あの男と関わってから、本当に初めてのことばかりじゃ。……そういえば、誰かと契りを交わしたのも初めてじゃな」
まるで世間話でもするかのような様子で話題の爆弾を放り込んだ白妙に、エルナは思わずぶっと吹き出す。
思わず見返すと、白妙はまるで自分の姉のようにいたずら好きそうな表情でエルナの反応に満足すると、
「まあ、自分で言うのもなんじゃが……わらわは美しいじゃろう?
見目麗しい男女二人、同じ屋根の下で暮らしておるのじゃ。それくらいのことは起こるというものじゃて」
「そ……そう。……けど、ならなおのこと――」
「……残念ながら、そなたの想像は見当違いじゃよ。
契りを交わすということに、そういう意味があると知ったのはしばらくたってからのことじゃ。
それに……人間にもあるのじゃろう? その場の成り行きで関係を持ってしまうということが。
わらわとカインは、丁度そんなところじゃよ。それがずるずると今まで続いておるだけじゃ」
かなり夢もへったくれもないことをあっさりというばかりか、ころころと笑ってさえみせる白妙。
(……まあ……この様子なら、本当に愛しているとかそういう感情と無縁ってことは確かみたいね……)。
半ば呆れつつも、今までのやりとりからエルナはそう結論を出す。
「……それに……」
――その時。
注意していなければ聞き取れないほどの小さな声で、白妙が呟く。
「それに……カインには他に、心に想う者がおる。
わらわの入り込むような余地なぞ……最初から、無いからの」
その言葉に――エルナははっと顔を上げた。
しかしその時にはすでに、白妙は瞳を閉じ、ただ滝に打たれている。
その眠っているかのような穏やかな表情からは、彼女のその言葉にある感情の機微を伺うことは出来なかった。
拳が肉を打つ、湿った音。
カインとクレセントの殴り合いは、未だ続いていた。
互いに武器も、魔法も使わない。
そんなものは無粋だといわんばかりにただ互いに拳をぶつけ合い、思いのたけを吐き出していた。
「お前は俺のことを散々に言ってくれたが――そういうお前はどうなんだ!?」
カインの拳がクレセントの横面を思い切り捉え、地面になぎ倒す。
「お前にだってあるんじゃないのか!? 自分の欲求のために、何もかも利用しようとする心は!?」
だが背のばねを使って跳ね起きたクレセントの拳が、唸りを上げてカインの顔面に真正面から叩き込まれた。
「あるかもしれん……だが、私とお前とでは……違う!!」
カインはのけぞり――だが踏みとどまり、そのままクレセントの顔面へとお返しに一撃を見舞った。
「何が違う!? そうやって、いつも人を見下すようなその態度でも違うというのか!?」
「お前のように、何もかもそうやってただ否定していれば済むと思うほど子供ではないということだ!」
「子供……子供だと!? ……ふざけるな!!」
「ふざけているのはお前だろう、カイン!!」
「弟を侮辱するような非常識な人間に何が判るというんだ!!」
「ならば自分のことすら知らず、ただ子犬のようにめそめそと泣いていた男に私の何が判る!!」
殴り合い、互いの拳は相手の流す血で染まりつつある二人はすでに足がふらつき、喉は枯れていた。
だが決して、その拳を収めようとはせずに――
「貴様を見ていると……腹が立つ!!」
「奇遇だな、私も同じ気分だ!!」
互いに同じタイミングで突き出された拳――
だが同じ挙動でスピードはカインの方が上回っていても、ウェイトと体格、そしてパワーにおいて勝っていたクレセントの拳がそれに競り勝った。
クレセントの拳が見事にカインを捕らえ、そのままカインは成す術も無く吹き飛ばされ、岩に激突する。
軽い脳震盪を起こしたのか、それきりぴくりとも体が動かず、カインはただクレセントを見上げる。
息を荒げながら――兜で、その表情も分からないのに――だがはっきりと、その瞳が自分を見ていたことは判っていた。
「そうだ……そうだな! 私はお前が……お前を見ていると腹立たしい!!
それは私とお前が似ているからだ! だが……今のお前と私とでは、決定的に違うものがある!!」
その蒼氷色の瞳に、しかし溶けた鋼のような凄まじい熱さを秘め、クレセントはカインに叫んでいた。
「私は知を求める……知を極める。だが――それにラディ達を利用することは決してない!!」
「何故そう……言い切れる!!」
「私は自分自身を知っているからだ!!
自分の中にある、飽く事なき知への渇望……狂気ともいうほど強いそれを誰よりも知っている。
そのためならば――何もかも、利用してしまうことも知っている!!
何もかもを利用し、裏切り――たとえすべてを敵に回しても構わないという自分を知っている!!
だがな!! 他ならぬ私の心が、別のことも訴えている!!
ラディたちとの、この繋がりは――それとは別のものだと!!
彼らと私の間にあるこの繋がりが、打算や下心から来るものではなく――真実のものだと!!」
――これほどまでに叫ぶクレセントを、カインは今まで一度も見たことがなかった。
冷静さ、平静さというオブラートに包まれたいつもの言葉ではない。
荒々しく、自分の心の内に偽りの無い、その言葉――それがカインの空虚な心を打つ。
激しく、打ち続ける――
「……私たちはな、カイン。心に……獣を飼っている。
永遠に飢え、満たされることの無いであろう心がある!!
その点に関して、カイン……私とお前は、同類だ。同じだ……だが!
だが――私はそれを知り、受け入れ――真正面から向かい合い、それを己が意思の元に支配した!!
無意識で私の心を振り回さないよう――私の欲望は、私の意志の元にのみ存在するようにな!!
私は私自身の意志でこの獣のような心を持ち、共存している。
心を知り、理解しても――お前のように膝を折り、敗者として屈することはしなかった!!
そこが私とお前の――決定的な差だ!!」
二人の間を――ホブス山の冷たい風が吹き抜ける。
しかしそれでもなお、今のクレセントから熱いその意志を奪うことは敵わなかった。
「いいか……自分に偽りの言葉を並べ立てても、飾り立てても――いつかそれは朽ち、本質が露見する!!
お前は確かに、自分ではそれに気がつけなかったかもしれない。自分を飾っても、それなりにやっていたようだしな。
だが――もうそれは出来ない。私の言葉により、お前は自分の本質を完全に自覚してしまったからな!!
自分に嘘をついても、そんなことに何の意味は無い。自分を自分と認められるのは、他の誰にも出来はしない!!
だが……なら、知ってお前はどうするのだ?」
「知って……だと……?」
「そうだ。たとえ全てが、自分の知らぬ自分の本性によってなされていたことでも――
お前のやったことは事実として残っている。――残り続ける!!
いくら操られていたこととしても、私のやったことが私の心によって起こり、その罪が永久に消えぬようにな!!
……だが、何故お前は自分の罪だけしか認めようとはしないのだ?
確かにお前の行動には、全て裏があったのかもしれん。
だが――お前は最後の最後まで、そうであったのか!?
自らと仲間との繋がりは、最後まで虚偽で塗り固められたものであったのか!?
そうだとするなら――何故お前は苦悩した!? 何故ラディと戦った!? 何故私の言葉に反発したのだ!!
……全てが虚偽だと、自分で納得しているのなら――そんな葛藤はないはずだろう!!
そう――自分との繋がりが、それが真のものだったから――それを否定されたから、お前は怒ったのではないのか!?」
「………………!!」
叫びすぎて喉は枯れ、舌は乾き――いつものクレセントの声からは、比べようもないほどに掠れた声。
だがつばを飲み込むことさえせずに、クレセントは大きく息を吸ってカインを見据えた。
「もし、自分の罪を罪と認める勇気がまだ残っているなら――自分の持っている真実を真実だと認めろ!!
……今、お前がそれを否定すれば――確かにすべては虚偽のものとなり、本当にお前は全てを失う。
それでいいのならそうするがいい。――だがそう決断するなら、徹底的にやれ!!
全てを虚偽として、塵一つ残さず破滅するか――それとも真実を真実と認め、虚偽だったものをも真実と変えるか!!
お前は今、全てを知って――何を選ぶ? どの未来を選ぶ!? 答えろ――カイン・ハイウインドォォォォッ!!」
最後の方は声が割れ、声としての原型すら留めていなかったが。
クレセントは言った。
言い終えた。
ただ、静寂の中に荒い息の声だけが響く。
肩で息をして、それでも目は――目だけは、離さずに。
その青い瞳だけは、自分のそれから離さずにずっと答えを待つクレセント――
それを見て。
見て、カインは。
カインの出した、答えは――
「……お前は何を、期待している」
一人、馬鹿のように叫び続けたクレセント――それを笑うようにして、カインは俯き――淡々と、呟く。
「……結局、黙って聞いていたが……お前が言っているのは……あくまでお前の話だろう。
お前に俺の何が判る? ……俺とお前は違う。お前の理屈で、俺が動くことは――決して、無い」
それは今まで聞いたカインの言葉の中で一番冷たく、感情の無いものだった。
カインはゆっくりと、ふらついた体を岩で支えるようにして立ち上がり――
「……だが――こうも一方的に言われっぱなしで、それを黙っていられるほど――俺は人が出来ていならしいな」
その言葉を言って、カインはようやく顔を上げた。
「……どちらの未来を選ぶ、だと? 決まっている――そんなことは決まっている!!
無論全てを、そうだ、力も真実もこの手でつかみ取ってやるだけだ!!」
そうだ。
結局、何かが変わるわけではない。
何かを変えて生きていけるほど、俺は器用に生きられない男だ。
……ならば――迷っているだけ、時間は無駄だ。
停滞しているだけ――歩みは遅れていくだけだ!!
「俺と一緒にいて、利用されることを覚悟で俺と付き合うなら……とことんそいつには我慢してもらう。
俺にとっての真実が何か、虚偽が何か……それを見極めるまで、甘えさせてもらう。
そして心が飢えているなら……それを締め上げて従えてやる。それだけの力を――俺は掴む!!」
カインの瞳が、力強い光に輝いていた。
それは正に天空の欠片。
先ほどまでの、濁ったような青とはまるで違っていた。
「……わがままだな、お前は……」
「それはお前も……そうだろうが……」
「ふむ……口が減らないところまで同じときたか」
そのクレセントの言葉に――カインは軽く重心を落とすと――
「フッ……口だけでは無い」
瞬間、カインの姿が「消える」。
そして次の瞬間、カインはクレセントの目の前へと寸前、その拳を留めていた。
……いや、留めていたわけではない。
一瞬の間をおき、乾いた音は兜から。
放射線状に入っていくひびに、兜は耐え切れず――砕け散った。
外気に触れたクレセントの端正な顔が驚愕になっていることにカインはにやりと笑うと、
「……どうだ? 口だけでは……無いだろう?」
……そのまま拳を突き出していれば、紛れなくクレセントの頭部は爆砕させられていただろう。
中身にはまったく損傷を与えず、正確に兜だけを破壊して見せたのだ。
その事実にクレセントは全身からどっと汗が噴出すのを感じ、カインは自信げに笑った。
カインの踏み込み――掻き消えるのではなく、完全にその残影さえもクレセントの目には捉えられなかった。
明らかに、今までの動きとは速度が違う。
いや、速度だけではない。
この針をも通す、凄まじい緻密さ。
その速度と技術に乗算され、桁違いの破壊力をもつ圧倒的なパワー。
そして何より、この全身にみなぎっている覇気は――先刻までの燃え滓のような男と、果たして同一の人物なのか?
「……待たせたな」
カインはついと離れると、そのまま左手を天へと掲げた。
その手に――宙を飛来し、力強い手ごたえとともに握られるホーリーランス。
ひびが入り、脆く砕けてしまいそうなはずなのに、放つ光はとても力強く、頼もしげなものだった。
その槍を頭上で回転させ、勢いよく地面へと突き刺したこの男こそ。
武具も自身も満身創痍でありながら、不敵に笑うその強さ、損なわれることの無いこの男こそ――
「……カイン・ハイウインド……俺は……今、蘇った!」

【座談会】
作者 :えっと、今回の座談会は時間縮小版でお送りします。
エルナ :というか、素直に時間が無いと書きなさい?
ミレイユ :あー……今、これ書いてる時点で23:35だもんねぇ……。
ラディ :せっかくオレ達も戻ってきたのに……。
クレセント:計画性の無さが思い切りここで露見しているな。今回は校正することもできなかったらしい。
作者 :うう〜……すみません……。
ミレイユ :ま、今度の閑話休題をよほど濃い内容にすることでOKってコトで♪
ラディ :というか……今週はなんだかチームブリッドもそうだけど、「話が書けなくなった」って?
作者 :まあ……いろいろ有りましてね。執筆に取り掛かった時にはもうかちかち山もボーボーでした。
クレセント:ふむ……今はなんとか書けるようになっているようだが……。
作者 :今回の話で一番怖いのは、どこかに論点の矛盾が転がっていないかということだな。
ミレイユ :あー……今回、なんか説明モノとか説得モノの台詞がごろごろしてるものね♪
作者 :今回はまた「スイッチ」が入った。……ただ、あまりに生々しいこともちょっとあって……。
思いのたけを文章って形できちんと吐き出したとは……思う。思うけど……。
クレセント:……少し荒いな。
作者 :ああ……。あえてこうしたんだが……それでメチャクチャになっていないかどうか。
ミレイユ :ま、最悪の場合はようするに今回の話は「カインが立ち直った」ってことだけを書きたかったってことで♪
エルナ :またそんな乱暴な……。
ラディ :しっかし……その最中で、まさかクレセントと殴りあうとは思わなかった……。
クレセント:う、うむ……。
作者 :男というのは、時に思想も理念も無くただ己を貫くためにぶつかることも必要なのです!!
エルナ :それをクレセントにやらせるのはどうかと思うけど。
作者 :うぐ……。
ラディ :クレセントは一応、元は版権キャラなんだし……。「キャラのイメージが壊れた」とか、
「こんなのカイン&クレセントじゃない」とか言われるのが凄い怖いんじゃないのか?
作者 :ぐっああああああっ!!
ミレイユ :……そういえば今回の話、久々に胸のすっとする感じで私のパートはやれたんだけど……。
それとは別にあの「心臓の音」ネタ、作者って本当好きよねぇ。
ラディ :ああ……昔、似たようなことを別の小説でやってたし。
作者 :ちくしょー、オレだって……オレだってきれーなおねーさんの胸に顔をうずめたいわい!!
エルナ :ラディはそこまでやってないけど……。
作者 :ちくしょーちくしょー!! 誰だ、世辞でも「竹之内 豊」に似てるとかいったヤツは!
本気にしちまうだろ畜生!! ああーもう!! 眼鏡バンザイ! 覆面バンザイ!!
男物の白ワイシャツ一枚きりのおねーさんバンザイ!!
クレセント:……本気で時間がないようだな。錯乱している。
ミレイユ :じゃ、とりあえず切り刻んで……と。
ざむざむざむぶしゅぶしゃぁぁっ!!
ミレイユ :……作者が物理的に静かになったところで、今日はここまで!!
エルナ :11:57……。この小説、本当にアップできるのかしら……?



