Final Fantasy W After Story

第二十二話 昇星の夜

「貴女が……ミレイユ・ワイアット博士ですか?」
「……そうですけど。そういう貴方は……誰ですか?」
乾いた砂が、頬をなでて夜の空へと溶けていく。
毎日掃き清められているといっても――砂漠の砂は軽く、冷たい。
ともすれば何もかもをその中に優しく包み――冷たく、終わらせてしまうかのような。
……そんな感慨に心が痺れていても、足はひとりでにさくさくと砂を踏み、歩いていた。
いつからだろう――心と体で、まったく別のことを出来る様になったのは。
倦怠感も、嫌気も――自分の中を探せばいくらでも見つかって、逆に慣れてしまっていた。
そしてそんな心など知らないように置き去りに――足は動いて、目的の場所へとたどり着く。
――それは黒い石で作られた、巨大な慰霊碑だった。
ダムシアン墓地――その入り口付近に建てられた、この碑は。
五年前の空爆で、墓を作ることの出来なかった者を弔うために作られたものだ。
その巨大な碑へと、そっと手で触れる。
すっかり冷えた墓石は、氷のように冷たかった。
――この碑にびっしりと刻まれた名前。
それへとゆっくりと指を滑らせ――ある所で、それがぴたりと止まる。
ヘクター・クリフォード。
――ここに名を刻まれることとなった者達は。
墓を作ろうにも、その行方が今も知れないか、もしくは――
他の遺体との区別がつかないほどに遺体の損傷が激しかった場合も、ここに記述されることとなっている。
……涙が枯れて、一体どれだけ経ったのか――もう思い出せそうにもなかった。
だからもう一度だけ、その名に触れて――そしてふらりと離れていった。
――強く吹いた一陣の風が赤いローブの裾を持ち上げ、ふわりと広がりはためかせた。
東の空は少しづつ白みを帯びて――その中を、ただ一人で歩いていく。
今はまだ、夜明け前。
「ああ、紹介が遅れましたね。僕はヘクター。ヘクター・クリフォードと言います」
「墓……か」
ダムシアン墓地。
こう聞くと、建国当時からあるようにも思えるが――
実のところここが建てられたのは、ダムシアンが復興して後のことである。
あの空爆のせいで出たあまりに多い死傷者は、企業経営の墓地ではとうていまかないきれるものではなかった。
そのため国を挙げて、あの災害の死傷者を弔う巨大な墓地を設立したのだ。
そして、その墓地の入り口にある巨大碑の存在は、世界的にも有名である。
朝もやの中。目の前にある、その巨大な慰霊碑を見ながら――クレセントはしみじみと思う。
なんと自分に似合った場所なのだろう――と。
……自分の導くべき民は、まだ見ぬ新天地を求めて眠りについている。
だが、星を巡る我等の旅は普通のものではなく――かかるであろう時間も長い。
数百年――時に数千年をもかけて星を渡る旅で、たかだか80年の寿命しかない人間が耐えられるはずもない。
だから彼らはただ眠るのではない。
体の時、心の時をも凍らせて――数百年を眠り続ける。
その眠りに生気は無い。それはまさに、死にも似ているものだ。
そんなものを統べている、自分という存在。
それが墓場に似合わぬわけが無い。
……だが、誰に対してのものか――嘲笑はすぐに消え去り、あとには真一文字に結ばれた唇のみ。
――死者に嘲笑を向けることが出来るものなど、誰もいない。
少なくとも自分は――自分だけは、この場所でしていいものではない。
「おはよう、ミレイユ博士」
「……また貴方ですか、ヘクター博士。用が無いのなら帰ってください。
父には私から、お世話になったと言伝しておきますから」
眩しい朝の日の光に、エルナは思わず目を細めた。
……三日、完徹。
一日二日はともかく、さすがに三連ともなると久々の事だ。
少々、体にも来ているらしい。
こういう時、十三歳の体でよかったと思うことはない。
これくらいの睡眠不足はそんなに苦痛にならないし、なによりも少々徹夜が重なっても肌などに影響が出ないというのが本当に助かる。
以前はそれほど気にもしていなかったが――今はとにかくそのことが、一番うれしかった。
……しかし。
たとえ肌などにまったく問題が無かろうと――それで問題が無いのか、と聞かれればそうではなかった。
服の袖をつまみ、鼻に近づけて嗅いでみて――
「……さすがにこのままじゃ、顔を見せるわけにはいかないわね……」
物憂げに首を振るエルナ。
若いというのは、新陳代謝も激しいということだ。
とりあえず自分の部屋を出て――
「はいはいはーい♪ 元気にしてたかな? 私の可愛い可愛い妹〜♪」
がばぁっ!! と獲物に襲い掛かるかのように横から抱きついてきたのはミレイユだった。
やけに紅潮した頬を小さな妹のそれにおしつけながら、相変わらずのハイテンションである。
「姉さん……また呑んできたわね? それも朝帰りの雰囲気で」
「え? ……よっく判ったわね〜。何で?」
「それだけお酒臭いと誰だって判るでしょうが……」
心底呆れた顔でエルナは呟く。
彼女が呆れるだけあって、今のミレイユからは強烈なまでのアルコール臭が漂っている。
しかしそんなことにはいちいち目くじらを立てる反応しないのがこの姉である。
「何よ〜? お酒は百薬の長なのよ? 私の心に潤いをくれる、命の泉なのよ〜?」
「国の財政を切り詰めさせるほど呑む人間の言うべき台詞じゃないでしょうが。第一、ここ最近姉さんずっと呑んでない?
酒場からの苦情が日々廻ってくるのを処理するのに、本来優先すべき国政までもが停滞気味になってるのを判っていて――」
「ああもー、うっさいわねーこの子ったら。自分がお酒呑めないからって」
「呑まないのよ。アルコールは人の脳細胞を破壊するのよ? この知能を持つ私が、そんな愚かなこと――」
「すごいもんねぇ。コップ一杯で酔っちゃうのに、酔ったら酔ったで私でも引くぐらいにもう――」
「呑めないんじゃなくて呑まないっていってるでしょっ!!」
「はいはい♪ 照れない、照れない。大丈夫、み〜ちゃんさんは口が堅いんだから♪」
「……そう言った姉さんほど信頼できないものもないわね……」
エルナが何故か頭を抱えてうずくまるが――もちろんミレイユはそんなことは気にしない。
「……ところでエルナ、ラディがどこにいるか知らない?」
「ああ、あの人なら多分正門のゼルやアルベルトと一緒にいると思うけど――」
「そ♪」
聞くなりミレイユはスキップしつつその場を後に――
「ってまさか……姉さん、まだ呑むつもりなんじゃないでしょうね!?」
「やば……じゃ、じゃあそーゆーことで♪ じゃっ!!」
かなり大人気ない全力疾走でその場を去っていく姉に――追う気も起きず、エルナは一つため息をついた。
そしてその時――ふっと気がつく。
……彼女達がダムシアン城に滞在して、そろそろ半月というところか。
しかし――その間、姉が城に帰って眠ったというのは一度も無かったのではないだろうか。
いつも朝に帰ってきては呑み、昼に呑み、夜は明けるまで呑み――いくら飲兵衛の姉といえど、あそこまで呑む人であっただろうか。
あれでは、まるで――
「……と。推察してる場合でもなかったわね」
一つ頭を振って、エルナは廊下を歩き出す。
今日は満月だ。
……『リヴァイアサンの気紛れ』の後の、初めての満月の夜には。
今までの統計上、95%の確立で――紛れなく『あの現象』が起こる。
「これを使わない手はないもの……ふふ♪」
時間はある。
余っているわけでは、流石にないが。
まずは大浴場でゆっくりと浸かって、心と体の疲れを取り払って。
そういえば以前、バロンに技術提供を行なった時にその謝礼としていろいろなものをもらったが――
確かその中に、かなり高名な乳剤があったはずだ。
何でもバロン王家秘伝のものだとか。
何かの研究資材に使えるかと、とっておいたが――どうせこれ以後使うことも無いだろうし、使ってしまおう。
それから新しい服と白衣を着て。
眼鏡も念入りに洗浄をせねばならないだろう。
それから、それから――
……この日、彼女とすれ違った研究員達は心底驚いたに違いない。
いつもは怜悧・冷静・冷徹の3つで構成されているはずの自分達の小さな上司が。
鼻歌を交えてうれしそうに歩いていたのだから。
しかも、そのことにエルナはまったくもって気がついていない――そして。
彼女もまた、浮かれていたエルナとすれ違っていた。
白いワンピース、それよりも白く細い手足。長い黒髪。
今ひとつ焦点のあっていなさそうな目で、横を通り過ぎる自分と同い年くらいの少女を見やる。
「………………」
その白衣の背中が、廊下の角に消えていくのをぼうっと見やって――
丁度その時通りかかった、別の女性研究員の白衣の裾をくいっと引っ張った。
「……? どうかしたの、お譲ちゃん?」
「………………」
「……え? 今日……何か特別なことでもあるんですかって? ああ、それなら――」
親切に説明を続けてくれる女性の話を聞きながら。
その小さな手が、なにかの決意を示すかのようにやはり小さく握られた。
「その必要は無いよ、ミレイユ博士。僕は君を通して君のお父様に会いに来たんじゃない。
学者仲間として、君に会いに着たんだから」
「……そんな虚言を信じるとでも?」
「……僕は明日も来る。明後日も、その次も。君のお父様ではなく、君にね」
静寂の中を、さくさくという砂を踏む音だけが小さく響く。
さすがに平日、このような時間に墓地に来るような酔狂な者は自分だけのようだ。
周りを見渡しても黒い墓石以外には、墓の掃除をしている数人以外、誰もいない。
自分の黒い甲冑も――ここでならば、何をとがめられることも無かった。
黒は――弔意を表す色であるから。
――あれだけ等しく暑いはずのダムシアンでも、ここだけは少し肌寒いといってもいい。
すぐ近くにある堅牢な町の城壁が、あの凶悪な陽光を遮ってしまっているからだ。
そのせいか――ここにある砂は黄色というより、どちらかというと白色に見える。
黒い墓石。白い砂。
――その中を一人、黒い甲冑を着た自分だけが歩いていく。
花は持っていなかった。
こういうことには不慣れで、どの花を持っていけばよいのか判らなかったこともある。
……しかし、一番の理由は――弔意を示すべき相手を、実は自分が殆ど知らなかったということもあった。
一体、どこで生まれて。
一体、誰と会って。
一体、なにを考えて。
一体、どういう人生を送ってきていたのか――それを、何も知らない。
ただ知っているのは――自分がその人物を殺してしまったということ。
このままここを去り、見過ごしていいような相手ではないという――それだけだった。
……ようやく、その歩みが止まる。
その墓に向き直り、刻まれた名に目を馳せた。
――『Anna』。
ギルバートを庇い、倒れた女性。
……知らぬというのならば、ここにいる人間すべてに対して同じように一つ一つ弔意を示すべきだろう。
しかし現実問題として、そこまでする時間が無い。
そして、自分が何故、彼女を選択したのか――そう考えてみれば、やはり自分は何かしら彼女のことを覚えていたのかもしれない。
それは認識できないほど曖昧で――こういう時ほど、自分というものが恨めしく感じることも無い。
その時だった。無人だったはずのこの墓場で――クレセント以外の人間の足音が近づいてきたのは。
振り替えって目を向けてみれば、そこにいたのは一人の女性。
ノースリーブの黒のドレスと対照的な白い肌。
結い上げた茶色の髪の下にある、美しく柔らかい微笑。
眼の下にある泣きぼくろが印象的な――どことなくふっくらとした雰囲気を持った女性だった。
「……お墓参りに、来られたんですか?」
クレセントは無言で頷く。
「私もですよ」
手にした小さなバケツと雑巾を示して、女性はにっこりと笑った。
「おはよう、ミレイユ博士」
「……おはようございます」
「……今日は、僕をあしらわないんですか?」
「貴方が来ることに、もう慣れてしまいましたから」
ラディは、思わず目を見開いていた。
よくよく見れば、アルベルトもゼルビノも同じように目を大きく見開いている。
……とりあえず。心を落ち着けるため、申し合わせるでもなく三人、同時に息を吸って。吐いて。
「……ラディ。もう一度……出来るか?」
ゼルビノの言葉に――ラディは無言で頷き、手に握ったテュルフングを掲げる。
灼熱の日差しの中。照りつける太陽も、この黒を侵食することは適わない、ラディの暗黒剣。
呼気を整え、意識を集中。刃へと、心を沿わせていく――そんな感覚。
同時に、ラディの手にしたテュルフング――そしてラディ自体の存在感が膨れていくのを二人は感じた。
「はぁぁぁぁぁ……」
やがて呼気は小さな声となり、しかしだんだんとそれが大きくなっていく。
そしてそれに呼応していくかのように、ラディの体から発せられる存在感が、やがて圧倒的な威圧感となる。
全身を圧迫するようなまでのその『力』に、ゼルビノとアルベルトはただ、目を見張っていた。
「ぁぁぁぁあああああああああ……!!」
テュルフングが、体の一部となるかのように。意思が刃に吸い込まれていく。
そしてそれは確かな『力』、たしかな鳴動となってラディの体を内側から鼓舞するかのように叩いた。
それに呼応して、より強い力がラディから引き出され、刃へと吸い込まれて――
そして。その存在感が、臨界へと達した――次の瞬間!!
「ああああああ……あああああああああああああッ!!」
ラディの意思に、応えるように。
体の一部を、刀身が吸い上げるような感覚。
存在感の爆発に、テュルフングが一つ『鼓動』して――テュルフングの刀身が倍以上に膨れあがった。
青い天蓋を突くようにしてそびえる、巨大な黒の刀身――それを三人はただ、呆然と見上げて――
「ゼルビノ……これは……!!」
ゼルビノは――静かに、そして力強く頷いた。
「……間違いない。『暗黒』の……完成だ!」
その言葉を、理解するのに一拍を要して――ラディは歓喜に震えて叫んだ。
「や……やった……やったあああああああああああっ!!」
まるで子供のように飛び上がって喜び、そのうれしさに何度も『暗黒』を発動してみる。
やはり結果は同じ――コツのようなものを掴んだのか、刀身はしっかりと巨大化し、揺らぎも無かった。
改めてまじまじと、その巨大化した刀身を眺めやる。
刀身自体の長さは4mというところだろうか。
これの倍の長さをもつ『無影』は重量が1トン半もある超重量だったが、ラディの今手にしているそれは発動前と重さは何も変わらなかった。
むしろ、吸い付くような一体感といい――発動前よりも軽く感じるほどだ。
テュルフングの清々しい黒を引き継いだように、その長い刀身もまた美しい黒。
これが、自分の――自分だけの『暗黒』――
「……はしゃぐのもいいが、まだすることは残っているぞ、ラディ」
「え……?」
「とりあえずその『暗黒』を消せ。……話はそれからだ」
ゼルビノの言葉に――ラディは素直に『暗黒』を消した。そして――問う。
「……で、ゼルビノさん。やることって……なんですか?」
「……名前だ」
「名前……?」
ゼルビノは一つ頷く。
「……前にも言ったように『暗黒』とは『契約の儀』を済ませ完了する。
そしてこの時、暗黒剣という『力』に対して精神的な堰を作ることで契約を済ませる……ここまでは話したな。
だが同時にこの時、暗黒騎士は『暗黒』とも契約を結ぶのだ。……そしてその時に必要なのが『名前』だ。
ガーランドの『混沌への回帰』、オディオの『デストレイル』……ラディならば、知っているな?」
「え……はい。一応、暗黒騎士団の暗黒騎士の技の名前は全部覚えてますから」
「暗黒剣と同様、『暗黒』もまた強大な力だ。
しかも、まがいなりにも『剣』という形を持っている暗黒剣と違い、『暗黒』の形は人それぞれに違う。
本人にしか――その『暗黒』は扱うことも理解することも出来ない。
だが、本人とて習得して即座に理解できる力でもない。
そして……理解しないで扱う力は、時に持ち主を惑わす。
だから暗黒騎士は、自らの『暗黒』に名をつけることで――我々の共通認識である『言葉』に当てはめる。
未知数であるはずの無意識の具現『暗黒』を意識の下で理解する、そのための足がかりにするというわけだ」
「ようするに……形で無いものを、形として理解するために名前をつける……そういうことですか?」
「うむ。……ラディの場合はこの『契約の儀』が正規の手順を踏んでいないために、その『暗黒』には名前が無い。
まがいなりにも『契約の儀』を済ませている以上、その『暗黒』は非常に安定しているが……やはり名前は必要だ」
「なるほど……名前か。……だったら――」
何か言おうとしたラディを――ゼルビノは手で遮った。
「言っておくが、名前は本人が決めるものではない。名前を決めるのは、暗黒の戦鬼オーディンだ」
「オーディン……あの、暗黒剣の創始といわれる、オーディン……ですか?」
――高潔な騎士たちの魂が、ある一本の邪剣に寄り添い、その邪気を昇華し一個の人格を持ったもの。
それがあの召喚獣『オーディン』誕生の秘話と呼ばれる。
邪剣であったはずの剣さえも、信念で使いこなす。
そのせいだろうか――暗黒剣は、オーディンが作り出し、人に授けた剣技だという。
その真偽は定かではないが、実際彼の必殺の太刀『斬鉄剣』は、彼の精神を見事に具現した『暗黒』であるし、
暗黒騎士はみな無信心だが、このオーディンに対してのみ、彼らは最大限の敬意と畏怖を払っている。
「召喚士によって召喚されたオーディンが、『暗黒』の名を定めて――初めて『契約の儀』は完了する。
バロンの近くにあったミストが長年にわたって目をつけられることも無かったのは召喚士が必要だったからだ。
だから本来ならば、ここでオーディンを召喚できる召喚士が必要だが……それは俺が代行する」
「代行……って――」
「俺の銀髪は伊達ではない。……そういうことだ。任せておけ」
ラディの問いには直接応えず、ゼルビノは言うなり無影を地面へと突き立てた。
その前に胡坐をかいて座ると、下腹の辺りで左手の上に右手を重ね、親指を合わせるようにして印を組む。
やがて小さな声で何事かを呟き――彼の周囲の空気が張り詰める。
彼の周りから、幻炎が立ち登っていく――
それをただ眺めていたラディに言葉をかけたのはアルベルトだ。
「フッ……知っているか? 銀の髪は、この蒼き星の民では決して生まれては来ない。
銀色の髪をしているのはただ一つ、赤い月の民の血を引くもの――ということらしいな」
「ということは、ゼルビノさんは……?」
「ああ。……どうやらアイツの父親はネミングウェイのようだな」
ネミングウェイ。
どんな人間の名前も、無償で変えてくれる人間。
彼に決めてもらった名前は、世界各国各地に存在するほかのネミングウェイたちが広め、瞬く間に世界に浸透する。
しかしどこの街にもいる彼らは、自分達のことは絶対に口を割らなかった。
彼らが月の民『ハミングウェイ一族』の子孫であることでさえも、つい五年前の騒動で明らかになったことである。
「……もっとも捨てられたって事は、どうやら母方の方は普通の人間だったみたいだけどな。
それでも半分、月の民の血を引いていることに替わりは無い。……あいつは見た目よりずっと魔力が高いんだ。
そのおかげか、ああやって召喚士の真似事も出来る。
……もっとも実際にオーディンを召喚するわけじゃなく、あくまで精神体のオーディンと剣を介して意思の疎通が出来るって程度らしいがな」
「アルベルトさん……詳しいんですね」
「フッ……まあ、世界各国を腕一本で渡り歩くにはそれなりに知識もいるし、ある程度なら勝手に身につく。
それに……戦いが絡むとあいつは猪突になりがちだからな……自然とこうなったのさ」
アルベルトは思わず苦笑を漏らす。
「しかし……そういえば一人だけいたな。別段月の民との混血でもないというのに、銀色の髪をしたやつが」
「え……?」
「剣士セフィロス――トロイア最高の剣士だ。
あいつは確か、銀の髪だったが……月の民というわけでもなかった。
もっとも、あいつに関しては他にも奇抜なところが多すぎて、あまり気にかけていなかったが……」
「奇抜……ですか?」
「ああ。年中黒いロングコートを羽織って、エブラーナの刀……それも自分の身長ぐらいあるような長いものだ。
それを握る腕も、右腕はバブイル・ウィズダムの産物で出来た機械の義手だったしな。それに何より……強い。
このダムシアンに来る前の最後の仕事で、たまたま手合わせしたんだが……二人がかりで、凌ぐのが精一杯だった。
ゼルビノが前に使っていた剣を叩き折ったのもあいつだ」
「そんなに……!?」
ゼルビノとアルベルトの息のあった鬼神のごとき強さは、ラディは身をもって知っていた。
その二人を、たやすく一蹴してしまうとは――
「フッ……世界は広いということだ。トロイアに言ったら一度、会うといい。
今は八神官の専属警護兵をやってるはずだ。無愛想だが……根はいいやつだ。保障しよう。
ただまあ……どことなく浮いてるというか……まるで別の世界から迷い込んできたみたいな雰囲気があるんだが――」
と――そこでアルベルトは言葉を切った。
ラディもまた顔を上げ、二人の視線の先には――ゼルビノ。
張り詰めていた空気が解けたのを、肌で感じたのだ。
ゼルビノはゆっくりと無影の柄を掴み、立ち上がる。
「……決まったぞ、ラディ。お前の『暗黒』……」
ラディは思わず息を呑み、ゼルビノの言葉を待った。そして――静謐な言葉が、ゼルビノの口から紡がれた。
「我らが護神・オーディンの名において……今、命ずる。その力胸に抱き、その名を心に銘ぜよ。
剣を携え、今護神へと帰依した新たな同胞ラディ・オルティニア。その『力』の名は……『アポカリプス』」
「アポカリプス……」
何故だろう――まるで最初からそうあったかのように、心にすっと馴染んでいく。
これがネミングウェイの血の力なのか、それともオーディンの力なのかは判らないが――
しかし絶対の確信を持って、ラディは頷いた。
そして彼は――とうとう『暗黒』を習得したのだった。
「……しかし、忘れるな。お前の暗黒は『力』としては完成を見た。
だが真なる意味で『完成』した訳ではない。むやみに使えばアポカリプスは確実にお前の命を削り……死ぬ。
使うな、とは言わん。だが本当に使わねばならない時以外、決して使うな。そして――使う時には、迷うな」
「迷う……?」
「ああ。迷いは暗黒に限らず、剣を鈍らせる。自分の判断が正しいと信じろ。使うなら――躊躇うな。
躊躇いのある剣では……棒切れ一つ斬れはせん。まして――真の悪を断つことなど、出来んのだからな」
厳しい表情でそれだけ口にして――しかしそこでゼルビノはふっと破顔して、
「お前なら多分、出来ることだ。……おめでとう、ラディ。たった10日で、よく『暗黒』を習得した!」
「あ……ありがとうございます!」
太陽が最も高く昇った、その時に。
差し出されたゼルビノの手を――ラディはしっかりと握り返した。
……そして、ゼルビノがさらになにか口にしようとした――その時。
「ラディ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
その声は最初小さく――そして、近づくにつれて大きくなり――そしてそのままがばしっ! とラディに抱きつく。
「もー♪ どこいってたのよ♪ ささ、お酒を呑みにいきまっしょ〜♪」
「ちょっ……ミレイユ!? また呑んでたのか……っていうかまだ呑むのかッ!?」
「うふふ〜♪ 何言ってんの、ラディも一緒に呑むのよ、これから。……いいわよね?」
まるでりんごの様に顔が赤いミレイユは、そのまま夢見心地にゼルビノたちに視線を向ける。
「別に問題は無いが……ラディは『暗黒』を使って、あまり体力が無い。ほどほどにしておいてやって欲しい」
「にゃにっ!? あ、『暗黒』!? 本当なの、ラディ?」
「え、ええと……一応……まあ」
ミレイユとは別の理由で、耳の先まで赤いラディはなんとか頷く。
ミレイユは顎に指を当てて、しばらく考える素振りだったが――
「ん〜……んじゃまあ、そういうことなら今日はラディの『暗黒』習得記念にトコトン呑まないとね♪」
「何でその結論にいきつくんだ!?」
「いーじゃないのよー、せっかく祝ってあげるっていってるんだから♪」
「……それにかこつけて、呑みたいだけなんじゃないのか……?」
「そんなわけ無いじゃないのよ♪ 私は、ラディを心から祝ってあげたいの……半分くらい」
「やっぱりもう半分はただ呑みたいからなのか!?」
「あーもー、口答えしない! お姉さんの言うことに拒否権はありませんっ!! ということで、じゃね♪」
ミレイユは二人にウインクすると、そのままラディを引っ張って街の中へと去っていく。
そして後には――半笑いと疲れ、そしてラディに対する同情と諦めを綯い交ぜにした表情の二人だけが残された。
「……それから貴方は私より歳も立場も上なんですから、敬語を使うのは今後、止めてくださいね」
「いいの……ですか?」
「『鋼の淑女』のミレイユでなく、モンスター学者のミレイユに会いに来た。
そういったのは貴方でしょう?」
「わ……判りました……いや、違うな。……判った」
「よし」
南天の陽は、すでに西へと少し傾きつつあった。
アンナの墓を掃除する女性の手つきは手際がよく、丁寧だ。
恐らく毎日、これを行なっているのだろう。
その手をぴたりととめて、女性はクレセントを見やる。
「……どうしたんです? 先程から、ぼうっと立ったままですが……」
「う……うむ」
クレセントの返答はどこかぎこちないものだったが、それも仕方が無かった。
墓の前に立てば、何かしらの感慨や、記憶が引き起こされるかと思ってきたのだが……。
実際には何も変わらない。
やはり、記憶には彼女の事は何も見当たらなかった。
そうある以上、一体どうすればいいのかもまた――判らない。
「……もしかして、お墓参りの経験が無いんですか?」
どうやら手を止めたのは、掃除が終わったかららしく――
雑巾を絞り、ぬれた手をハンカチで拭くと、女性は立ち上がってクレセントに向き直る。
その問いを誤魔化すことも、あえて応えないことも出来たはずだが――クレセントは知らず、正直に答えていた。
「恥ずかしい話だが……その通りだ。
人の死を目の当たりにしたことは幾度でもあるのだが……こうやって間を置いて、人を弔うということはしたことがない」
――そもそも、その死を悼むほど、自分に深く関わった者自体が少なかった。
親は幼い頃に失い、そして12の時から約十数年間、今度は自分の人としての時間を奪われていたのだから。
少なくとも――自分が死んだ時には悲しみではなく、諸手を上げて喜ぶ者が多数いることだけは確信できる。
「……それに……実の所、私はこの女性のことは殆ど知らない。
知らない、が……それでも私は、彼女に対して弔意を表す義務がある。
……彼女のために、せめて何か――」
「死者のためにしてやれることなんて、何もありませんよ」
クレセントの言葉は、女性のその一言でぴしゃりと打ち切られた。
思わず、彼女を見やる。
その表情は一見優しく、柔らかい。
しかし――その瞳の奥に、真っ直ぐとした彼女の気性が見えた。
「残された者が、死者に対して出来ることなど何もありません。
……死者が残されたものに対して、何一つしてやれることが無いのと同じように。
そして……貴方が、彼女のために何かをしようとしてここに来たのならば……それは何一つ意味の無いことです」
「ならば……墓は、何のためにあるのだ? 墓とは死者のためにあるものではないのか?」
女性は静かに首を横に振る。
「本当に死者のことを考えているのならば……このような場所に隔離されることが、幸せでしょうか?
たとえそれが永久に覚めぬ眠りだとしても……もし死者が、私達の行為に何かを想えるのであれば、
少なくともそのような隔離が彼らの幸福になるとは思えません。……結局、死者にしてやれることは無いんです。
それでもなお、このように墓を立て、彼らを埋葬するのは……残されたもののために他なりません」
「残された……もの?」
女性は頷くと、アンナの墓へと視線を向ける。
「……結局、何かを考え、感じることが出来るのは生きている者の特権です。
死者は死んでしまっては、何もすることは出来ない。
……心の中で死者が生き続けるというのは、残された者の心に残された死者への記憶や思い出……それがあるからこそなんですから。
だから、墓とは死者のためではなく……残された者が、生きるために自らの道を歩むことに疲れた時に訪れる場所。
そこで死んだ者との思い出や記憶を懐かしみ、惜しみ……自らの心と向かい合い、語り合って……
そして自らの歩むべき道を再確認して、歩きだすために作られた場所。……そういうものだと思います」
「自らの……歩むべき道……」
女性の言葉は、決して強い語調で語られたものではない。
しかし今のクレセントの心には、その一言一言が刻み込まれるかのようにさえ思えた。
「過去は拭うことも出来なければ、忘れることも出来ないものです。だからこそ……人は死者を忘れない。
貴方が彼女の事を知らなかったとしても……貴方はこうやって、ここに足を運んできた。
その行動を起こさせた記憶こそが、彼女に対しての貴方の記憶……私はそう思います」
「……確かに、そういうものなのかも知れんな……」
「……ならば今、その事を知り、貴方がこれからをどうするべきなのか……どう、示された道を歩んでいくのか。
私たちはただ、歩くしかないのです。……過去には立ち返ることなど出来ません。
止まることは死者だけの特権です。
そして未来へと足を運べるのは、生きている者の特権であり……義務です。
だからこそ――これからの未来をどう捉え、どう歩んでいくのか……。
それを考え、思い当たったことこそが、貴方がここに足を運んだ理由になるのでしょうね……」
「……そうか……」
クレセントは改めて、目の前にある墓をじっと見た。
相変わらず、言葉は出ない。しかしそれは、自らの内にある不思議な情を表せるような言葉が存在しないから。
この感情――この感覚。忘れぬよう、この墓とともに今度こそ心へとしっかり刻み付ける。
「……ありがとう。助かった」
「いえいえ。……墓の前にいた貴方が、あまりに呆然と立ち尽くしていたものですから、つい……。
昔取った杵柄で、ちょっとこういうことを口にするのに慣れていただけです」
「昔……?」
「ええ。……トロイアで、神官を務めさせていただいていましたから」
女性はそう言って、ポケットに手を入れた。
そこから取り出したのは、美しいルビーの指輪。
左の薬指にはめたその紅はピジョンブラッド。
王位継承権所有者のみが所持を許される、通称『赫き契約』――
「自己紹介が遅れましたね。……私はユナと申します。この国の王……ギルバートの妻です」
クレセントが呆然とする中で、女性はにっこりと笑った。
「……ふふ」
「な……なんです? いきなり笑い出して」
「初めて笑ってくれたね。……僕に」
「あっ……」
……流石のアルベルトとゼルビノでも、さすがに不眠不休で門番をしているわけではない。
早朝から日没までと日没から夜明けまでの2交代制でダムシアンの正門は守られているのだ。
そして――夕闇迫るころ。
二人と交代するために兵士達がやってきたのは丁度そのころだった。
「お疲れさん。……後は俺達が引き継ぐ。今日はもう、帰ってくれて構わんぞ」
「ふむ……判った。しくじるなよ?」
「大丈夫だ。俺達が死んだらこの街ごと壊滅しちまう。心配する前にみんなお陀仏ってヤツだ」
「言ってろ、このバカどもめ」
そんな軽口を交わして――二人は剣を収め一礼すると、正門を潜って街へと足を踏み入れた。
ダムシアンでも酒場の集中する通りへと目を向けて――アルベルトが提案する。
「……呑むんなら、今日のところはオレがおごっておくが」
「ほう……珍しいこともあるものだな」
「まあ、お前の弟子が暗黒剣を収めた記念みたいなものだよ」
「弟子……と来たか。だがまあ、実際ラディはそういう意味ではいい弟子だったのかもしれんな。
まさか俺自身、たった十日で『暗黒』をモノにするとは思わなかった」
「お前の教え方が良かったんだよ」
「だと、いいがな。……そうすれば、門番を首になっても生活に困らなくて済みそうだ」
彼にしては珍しく――ゼルビノは照れたように頬をかいた。
「……で、どうする?」
「折角の誘いだが……済まんな、今日は止めておこう」
「……ミサキに何か言われているのか?」
「だと、いいんだがな……あいつは何も言わずに自分の中に溜める方だから、俺が積極的にいかねばならん。
それに……聞いただろう? 今日は『アレ』がある」
「『アレ』か……そういえば、そんなことを言ってたな」
街中に目をやる。相変わらず観光客も多いが、今日のところはこの街の住人までもが道を行き交い、陽気に笑っていた。
この街に来て、三年。
『アレ』を見るのはこれで二度目だが――
「そういうことなら、仕方ないな……。ここはおとなしく、引き下がるとしようか」
「……なんなら、うちに来て呑むか? それなら、別に構わんが」
「いいのか? ……二人、水入らずのところを邪魔して」
「これくらいで邪魔されなくても、すでに十分堪能済みだ。お前が来た方が、ミサキも喜ぶ」
「そうか……なら、ご相伴に預からせてもらおうか」
二人は笑った。
「……君にこんなところで会うとは……もしかして、僕を待っていてくれたのかい?」
「冗談は大概にして。……さ、早く行くわよ」
「……え?」
「帰るのよ。……それとも、ずっとこんなところに突っ立っているつもり?」
「……いや。なら、一緒に帰ろうか」
「あっははは、ははは♪ さささ、ラディ、次の店へとれっつ・ご〜♪」
陽はすでに落ち、星と月が空に掲げられたて大分経つころ――ダムシアンの酒場通りに、若い二人の男女。
明らかにテンションの高すぎる女性に無理やり引っ張られている、その二人は――無論ラディとミレイユである。
「ミレイユ……呑みすぎじゃないのか?」
「なにを言ってるのよ。こんなの、まだまだ序の口じゃないの♪」
腕を引きずられるようにして歩くラディのその言葉も、軽く一蹴される。
「いーい? 呑むっていう言葉は、朝まできっちり呑んだ時にだけ使っていい言葉なの――」
「……ミレイユ」
指を立て、おどけるように説き伏せようとしたそのミレイユの手首の辺りをラディは掴んだ。
そのまま、その顔と真っ直ぐに向かい合う。
「ここ最近、ミレイユ……ずっと呑みっぱなしじゃないのか?」
ラディの表情はいつになく真剣で、真摯なものだった。
一瞬、目が合い――ミレイユは慌ててそれを逸らす。
「ばっ……バカね♪ だいじょーぶだいじょーぶ♪ ……私は何があっても、絶対に酔うことなんて――」
だが――その時だった。突如足元の地面が崩れたかのように、体から重さが消失する。
視界が絞りをかけていくように狭まり、目の前にいたはずのラディがいつの間にか自分より高いところにいる。
体中に蔓延する気だるさに、宙に投げ出されたかのような無重力が、妙に長く――気持ちよかった。
「ミレイユ!?」
その声がすぐ近くに居るはずなのに、酷く遠く揺らいでいる。
何故そんな遠くで自分を見ているのだろう。
何で――こんなにも月が出ているのに、彼の顔が見えないほどに暗くなっているのだろうか――
……最後まで、自分の体に起こった状況を把握できぬまま。
ミレイユの意識は、深い深い混濁のなかへと転がり落ちていった――
「……今日の夜、来て欲しい。どうしても、君に来て欲しいんだ」
「……ねえ、この図面……どうかしら?」
エルナの示してみせたそれを手にとって――クレセントは顎へと手を当てる。
「直線の速度を追求するために、機体前面の角をかなり鋭角にしてみたんだけど……」
「ふむ……なるほどな。確かにこれほどのものならば、限界速度というものに関しては一線を隔することとなるだろう。
しかし……これほどの極端な設計思想では、これを生かせるための速度をどうやって得るかが問題だな。
通常の速度で飛行させても殆どメリットが無いどころか――逆に横風にあおられてバランスを失うのではないか?」
「ええ。……この機体のメリットを生かすためには、一瞬でトップスピードまで加速できるくらいの推進力が不可欠よ」
「ふむ……しかし、それほどの推進力をどうやって確保するのだ? 時の歯車や浮遊石は安定力に長けるが瞬発力は無い。
他の動力源――燃料器官はそもそも安定力にも瞬発力にも欠けている。
……これほどの瞬発力をもつ力、考えられるとすればあのアダマンタイトぐらいのものだが……
今度は逆に力が大きすぎて安定性に欠ける。これでは実用には耐えれんぞ?」
「……そうね。アダマンタイト……あの鉱石のエネルギーさえ安定して引き出せるようになれば、
理論上のエネルギーとしてはクリスタルすら上回る……星同士を渡る船さえも作り出せるはずなのに。
一体あの赤い月はどういった原理で動いていたのかしら? ……貴方なら、知っているんでしょう?」
「……その返答には応える義務を感じんな」
エルナは机の上に両肘を付き、顔を支えるようにする。
そのまま向かいに座るクレセントを見上げるように、
「あら。……それはもしかして、この蒼き星に不用意に干渉したくないっていうことなのかしら?」
「それもある……だが、お前はそれでいいのか?」
「……どういうこと?」
「答えを誰かに教わって、それだけで満足してしまうような様には見えんのでな。
そんな近道をするよりも、答えを探すまでの行程は自らの力で切り開いていきたい……違うか?」
その返答に――エルナは軽く目を見開いた。
「……間違っていたか?」
「いいえ。……その通りよ。けど……よく判ったわね」
「なに、私がもしエルナの立場にいたならば、どう思うのか……それを考えただけの事だ」
それを聞いて、エルナは微笑する。
そのまま息を吐きながら、凝り固まった背の筋をゆっくりと伸ばす。
「……けど、いつもいつも助かるわ。貴方のおかげで、詰まってた発案も大分形になってきたもの」
エルナの自室。
城の中に設けられたこの部屋は、エルナの身分をしめすかのように広く取られている。
とはいえ、生活スペースといえばベッドと小さな衣服掛け、そして鏡台くらいのもので、
後はすべて自身の研究のための資材が所狭しと並べられ、地下開発研究所と殆ど何も変わらない。
いや、むしろ研究資材の外観の統一感がないために、こちらの方が遥かに混雑とした印象を受ける。
二人が座っているテーブルと椅子も、実際には研究のために使用する台を利用しているに過ぎない。
「それなのに……こんな混雑としたところに押し込めて……ごめんなさいね」
「いや。……確かに少々、部屋の容量を考えれば、確かに詰め込みすぎているきらいもあるが……
それでも十分に考えられて物が配置されている。こういう部屋の雰囲気は……嫌いではない」
実際、書物で溢れかえっていた自分の部屋などを思い出し、逆にこれくらいの方が彼にとっては落ち着く。
「……それよりも私は、別段感謝されるようなことは何一つしてはいないぞ。
発案を考え、形にしたのはすべてエルナの力……私など、ただこくこくと頷いていたくらいのものだからな」
「いいえ。例えそうだとしても……一人だけではこうも具体的にはならなかったわ。
私の知能に匹敵するだけの頭を持つ貴方に意見をぶつけて、それの返答が得られたからここまではっきりとしたものになったのよ。
……私と同じくらい賢い人間なんて、そうそういるものでもないし」
「そういう……ものなのか?」
「ええ」
くすくすと笑うエルナ。
最初に会った時は、こういった笑みを見せるような風には見えなかったが――
やはりこのあたりがミレイユの妹、とでも言うべきなのだろうか。
彼女が笑うと、陽光が差すような雰囲気がした。
クレセントがこの部屋で彼女の問答に付き合うようになってから、特に彼女はこういった表情をよく見せる。
(……結局、過ぎたるものは孤独を強いられてしまう、ということか)
彼女が孤独に打ちのめされるほど弱いようには見えないが――それでも、やはり人は孤独を好むものではない。
この程度のことで、この小さな少女の心の緊張が解きほぐしてやれるのならば――
それで彼女の頭から、自分に想像も出来ないような可能性が誕生するならば安いものだ。
「けれど……どれだけ頑張っても、なかなかヘクターには追いつけないわ……」
疲れきったように肩をすくめてみせるエルナ。
……しかし突如出た『ヘクター』という固有名詞に、クレセントは覚えが無い。
「……ヘクターとは……誰だ?」
「ヘクターっていうのは……私の前に地下開発研究所の主任だった人のことよ。ヘクター・クリフォード。
あの当時、チョコボに代わる新たな交通手段として、国を挙げて研究していた『ホバー船』。
当時まだ20歳だった彼は、一人でその基本思想を考えて理論を形成・さらにバロンの技術を導入することでそれを殆ど独力で設計・完成させたの。
……あの時はバブイル・ウィズダムなんて言葉すらなかったから……あのホバー船の技術系は彼がすべて考えたのよ」
「ほう……」
クレセントの言葉に、感嘆の響きが加わる。
「機械工学以外にも、生物学や薬学・心理学なんかの本も何冊も書いていて……。
彼のおかげで、科学界は通常ならば三十年以上の時間を必要とする理論を、五年で手に入れることが出来たの。
『天才』っていうのはああいう人のことを示すんでしょうね。……私もずいぶん、勉強させてもらったわ」
……もっとも、私達姉妹にとっては――特に姉さんにとっては、それだけの存在ではなかったが。
その言葉は口の中で噛み砕き、心に仕舞い込んでおく。
「そうか……で、そのヘクターというのは今……?」
「死んだわよ。五年前の空爆で、あっさりね」
淡白なまでのエルナの言葉に――クレセントは思わず、言葉に詰まった。
「……だから。気負う必要は無いって言ってるでしょ? 貴方を責められる人なんて、誰もいないんだから」
「……済まない」
「だから……謝らなくてもいいわよ。済まないと思っているのなら、もっとしゃきっとしてなさい。いいわね?」
「……判った」
軽く頭を下げて――クレセントはふと、時計を見上げる。日付が変わるまで、もうそれほど時間も無い。
「さて……どうする? 流石に四日完徹は、その体でも無茶があると思うが」
……とうとう、その問いが来た。エルナは心で一人ごちる。
心を静め、平静を装って口を開く――
「……そうね。なら……休憩にしましょう?」
「休憩……?」
「ええ。……よくよく考えたら、クレセントがここに来るようになってからずっと研究ばかりだったし……。
発案の方も一段落したことだし、ここらで一息入れても問題ない……でしょ?
……大丈夫よ。別に新薬の実験をしたり、ビーカーでお茶を出したりするわけじゃないんだから。……ね?」
一瞬の、黙。
それが永遠の長さにエルナは感じた。
心臓の鼓動がやけに耳に付く。
……そして――
「……そうか。ならば、その好意に甘えさせていただこうか」
「どうぞ、ご自由に」
くすりと笑い、エルナは席を立つ。
ビーカーやらの研究資材と一緒に、食器も乾かしていたはずだ。
そちらへと足を運びながら――クレセントから見えなくなったところで、エルナは小さくガッツポーズをした。
姉ほどではなかったが――どうやら自分にも、少しは役者の才能があったらしい。第一段階は、成功である。
「えっと……インスタントのコーヒーくらいしか見当たらないけど、それでいいかしら?
問題ない、との返答を受けて――ミレイユはマグカップを二つ並べて、腰から試験管を引き抜いた。
「S−502、C−002……ブレンド、と」
ポットに試験管の中身を入れて――マグカップに注ぐ。
その時には透明だったはずの液体は夜の様に黒く、それでいて芳ばしい香りを放っていた。
それを両手に、テーブルまで戻って――クレセントの手元へと置く。
そのコーヒーを一口啜って、クレセントはマグカップの中身をしげしげと眺めた。
「……これは、本当にインスタントか? 苦さの僅かに利いた、まろやかなこの酸味はインスタントでは出ないはずだが」
「そう? ……まあ、これに関しては少しだけこだわりがあるのよ」
嬉しそうに笑って、エルナもまた湯気をたてるそれに口をつける。
「貴方にとって、ダムシアンは……どうだったかしら?」
「……やはり多少、敷居を高く感じるものはあるが……それを鑑みても、非常に居心地のいい街だった」
「その居心地のよさの中に、私は入っているのかしらね」
「無論だ。……まさかこの蒼き星で、ここまで賢き者と意見を言葉を交えられるとは思っていなかった。
こちらこそいろいろと勉強になった。感謝する。だが……それもそろそろ、終わりのようだな」
ラディたちがこの街に滞在していたのは、ダムシアン王が貸し与えてくれたホバー船の調整のためである。
次のファブールへと続くホブス山への間の砂漠にはこの時期、多数のサンドウォームが生息している危険地帯だ。
それを安全に突破するために、提供してくれたホバー船――しかしその調整も、今日明日には終わる。
そうなれば、この街にとどまっている理由は無い――
「……出来ることなら、もう少しいろいろと話を聞いてみたかったが……それは無理な相談、か」
「そうでもないわ……それに関しては、ちょっと手を打ってあるし」
「……何?」
さらりと意味深な言葉を告げたエルナは――しかしその話題から離れるように顔を上げると、
「……あ、そうそう。済まないけれど、その辺りにある長いすを、窓の外が見える様に置いてくれないかしら?」
話題を変えるにしても随分と突然の提案に、少し疑問は残ったが――
あえて何も言わず、クレセントは言われたとおりに部屋の隅にあった長いすを動かし、座って窓が見えるよう設置した。
向かい合う形から、クレセントの左隣へとエルナは座りなおして、窓の外を眺めやる。
換気の問題から、この部屋の窓はずっと開け放たれたままだった。
夜の砂漠から流れる涼気とともに、そこから望む夜の街の景色はなかなかの壮観だったが――
「……しばらく待ってて。あと十分ほどすれば……ここから面白いものが見られるわよ」
「面白いもの……? それは一体――」
「まあ、楽しみに待ってなさいな。……十分なら、それほど長い時間じゃないんだし……ね」
言われ窓の外を眺めるクレセントの、その横顔を見やって。エルナはぼんやりと考える。
人の心は、外の刺激に対してとても敏感なところと鈍感なところが存在する。
人の考えに敏感に気付いたり、逆に自分の痛みに鈍感だったりというようにその鋭鈍は異なる
……この数日間を使い、クレセントの心のそういった部分に探りを入れてみた――結果。
クレセントは他人の痛みや恨み、辛さや苦しみといったものに対しては驚くほどに洞察力が働く。
そしてその分、他人が自分へと向けてくる昏い感情に対してもまた非常に鋭敏である。
それを知っていてなお、自らの心に波風を立てることが無いというのは賞賛に値することだろう。
しかし――反面、自らに向けられてくる思慕、信頼などといった善意に関しては驚くほどに鈍い。
無償の善意など存在しない。存在していても、少なくともそれが自分に向けられることは無い――
無意識下のレベルからそう思い込んでいる節があるようだ。
ある種、莫迦とでも言うべき頑なさと、そのほかのことに対するあれほどの柔軟性。
それが共存しているのは元々持っていた素質なのか、それとも人生の半分以上の時間を奪われたせいなのかは判らない。
判っているのは――自分から積極的にいかなければ、この想いが実ることは絶対に無いということだ。
……この、十日間。
それとなくアプローチをかけてみた。
しかしその全てにおいて、こちらが暗に示している想いにまったくもって気付きやがらなかった。
最後の方など、失う覚悟さえしていたというのに――思いっきり肩透かしとはどういうことなのだろうか。
ある意味、天然記念物に指定してもいいほどの鈍感さである。
思わず大鎌で斬りかかりそうになるのを抑え、結局のところの結論としては――
やはりはっきりと言葉にしなければ、伝わるものも伝わらないらしいという事。
しかし自分は姉とは違って、搦め手を使えるほどにはこの類のことに精通しているわけではない。
結局、ストレートに核心を突いていくくらいしか出来そうに無かった。
だから今日が『あの現象』の発生日だと突き止めた時に、綿密な計画を練り上げたのだ。
状況、時間、そして――相手の心理状態すらもシュミレートしてきた。これでお膳立ては整った。
……時計を見上げる。その時まで――後、五分。
後はタイミングを逃すことなく、はっきりと言葉を口にすれば――少なくとも自分の真摯な想いは伝わるだろう。
そこから、先は――
……しかし。
その時、エルナは気がついた。
景色を眺めていたクレセントが、いつの間にか誰かと会話しているのを。
「む? ……今から一体なにが起きるのか楽しみです……? 確かにそうだな。私も少し楽しみだ」
「って、何で貴女がここにいるのよ!?」
がたんと席を立ち上がって、エルナが指差したのは――見た目は自分と同い年くらいの、白いワンピースの少女。
確かギルバート陛下が、新しいダムシアンの主力土産品の候補としている商品を売っている商人だったはずだ。
「………………」
「……え? 入り口から、入ってきました……? ええそうね、まさか窓から入ってくるわけじゃないし。
貴方も国賓扱いで来ている以上、この部屋に来ててもおかしくないかも――ってそうじゃなくて!」
突然の乱入者に、ことがことだけに動揺が抜け切らない様子のエルナ。
彼女にしては珍しくノリツッコミだ。
「……む? 何々……きっと研究でお疲れでしょうし、甘いものを持ってきました……そうか、助かる」
エルナが状況をイマイチ把握し切れていない間に、少女はちゃっかりとクレセントの右隣に座り、
いつの間に運んできたのか屋台の中から『砂漠の光』を取り出してクレセントに手渡していた。
「むう……! さらに味に磨きがかかっているな……これは凄い。
そうだ、済まんがエルナにも渡してやってくれ。代金は私が……む? お代は結構です?
最初からお二人にお渡しするために作ってきました……そうか。いつもいつも済まないな」
「え? ちょ、ちょっ、ちょっと……」
呆然と立ち尽くすエルナの目の前に、はいと少女は砂漠の光を差し出した。……とりあえず――
「あ……ありがとう」
……手の中にある、銘菓・砂漠の光を眺めて――とりあえずエルナはお礼を言う。
そしてその時――少女と目が合った。
焦点が合っているのか、どこかぼうっとした瞳――しかし。
そのぼやけた瞳の奥に――誰よりも強そうな鋼の意志の光を、エルナは確かに見た。
……いつの間にか、少女はちょこんとクレセントの右隣に座っていた。
とりあえず腰を下ろして――今、感じたものへと考えを巡らせる。
あのタイミングで、二人の時間に割り込むようにして登場したことといい。
今見た、自分に対する強い意志の輝きといい。
……そして今、クレセントの隣へと座っていることといい――
(……まさか……ね)
とりあえず保留にしておく。
『あの現象』が起きるまで時間はもう殆ど無い。
手にした砂漠の光を口に放り込み――
「な……た……確かに、美味しいわ……!!」
その時、少女がほんの少しだけ勝ち誇ったような微笑を浮かべたのをエルナは見逃さなかった。
「……で。わざわざこんなところに呼び出した以上、何の用かはっきりと応えてもらうわよ」
「一つ……どうしても僕は、聞いておきたかったことがあるんだ」
意識を混濁の中から拾い上げる。
それを頭の中に戻し、まどろみを突き破って――ぼんやりとした視界。
その中で、誰かが覗き込んでいる――口に出しかけたある人物の名前を、危うく飲み込む。
視界がぼやけていようと、彼と他の人物を見違えるわけが無い。
……その証拠に、目の前の人物の髪は金。
心配げに覗き込むその瞳は、吸い込まれそうな美しい紅――
「……大丈夫か、ミレイユ?」
「……ぅんと……ラディ?」
まだぼやけた記憶の中から、やっとその人物に該当する名前を探り当てる。
あまり自信は無かったが、安堵したところを見るとどうやら彼はラディで正しいようだ。
「街中で倒れて……どこか具合の悪いところはあるか?」
言われて、考えて――
「頭が……割れるよーに痛いわね……」
まるで鉛でも詰め込んだかのように重い。
そして周囲の音に敏感に反応して激痛を走らせる。
自分の言葉さえも、話すのが億劫になる――
「……? 何やってるんだ……?」
「お酒……頭がぼうっとした時は、きっつーいお酒を呑めば――」
とにかく、このしびれきった頭をどうにかせねばならない。
いつも目覚めるように、酒を探して――しかしその手首を、静かにラディは掴んだ。
「だめだろ呑んじゃ。……自分が何で倒れたのか、忘れたのか?」
「……え?」
「呑みすぎ、だよ。……酒は呑んでも呑まれるな、だろ?」
ラディのその言葉に――ようやっと、自分が何で倒れたのかを理解した。
そして納得する。
あれだけ呑めば、自分も酒に酔うことが出来るのか――そんな自嘲が心を疼かせた。
とりあえず、自分のものでないかのように重たい半身をけだるげに起こし、眼鏡を掛ける。
そうして、一分ほども経ったころに――ようやく頭が通常の状態くらいには覚醒する。
そして――あたりを見回して、ここが城ではないことにようやっと思い当たった。
「……あの後、とりあえず宿を借りたんだよ。背負って城に行っても門前払いされて……ね」
窓際にもたれかかるようにして外を眺めながら、ラディは苦笑する。
「あらら♪ それは残念ねぇ。 まあ、今時黒い甲冑なんか着込んでうろうろしてれば――」
「いや……オレは別に問題なかったんだ。門番の人がオレの事、覚えててくれたから」
きょとんとなるミレイユに――ラディはさらに苦笑を強めて、
「問題だったのはミレイユなんだよ。こんな酔っ払い、王宮に入れる身分ではなーい! って、突っぱねられてね。
だからここを借りたんだ。……宿としてはちょっと料金が高かったけど、ここしか開いてなかったから」
割高、というのは部屋の落ち着いた高級感をみやれば何となくわかった。
……しかし……
(門番が、よりにもよって私を別人と見間違えるかしら、普通……ッ!!)
心の中で門番の頭を三回は殴りつけながら、とりあえずそれを表情までには出さないでおく。
「……じゃあ、迷惑かけちゃったわね……。重かったでしょ?」
「いや、それは別に……。お金なら余裕があるし、別にミレイユ一人運ぶくらい重くもなんとも無いよ。
……どっちかっていうと、あのまま酒を呑まされ続けた方が迷惑だったかな?」
「何よ。……お酒は百薬の長なのよ?」
「過ぎれば毒だよ」
コンマ三秒で返されて――ミレイユはぐ、と言葉に詰まった。
あくまで虚を突かれたためであり、決してラディの言うことが正しかったわけではないと心で呟く。
……と。ふと先刻から、室内になにかの香りが漂っていることに思い当たる。
注意しなければ気付けないほどにわずかなそれは、柑橘類にも似たすっとする香り――
「エリクサーを霧状にして、この部屋に噴霧してるんだ。
……どうせミレイユ、二日酔い用の漢方薬なんて呑む気は無いんだろ?」
素直に頷いたミレイユを見て――思わずラディは笑みをこぼす。
「……エリクサーは確かに、呑むだけで殆どの怪我や疲れを取り払うけど……。
病気や疾患みたいに体の隅々にじわじわと浸透して苛んでいくようなものにはあまり効果が無い。
そういう時は、こうやって噴霧したり、気化させてやったほうが効能が出るんだ。勿論、二日酔いにもね」
「へぇ……詳しいのね」
「あくまで父さんの受け売りだけど。……まあ、戦場での豆知識……ってやつかな」
ミレイユはすうっと深く息を吸う。
……息を吸えばそれだけ、体の中から気だるさが消えていくような気がした。
体の奥にこびりついた、気だるさが――心がまるで、解き放たれるように――
と――慌ててミレイユは気を引き締める。
……気を抜けば、あふれ出そうになる感情を押し留めて錠を掛ける。
結果、口から出たのは――他愛も無いような言葉だった。
「……ホント、迷惑ばっかりかけてるわね……失敬失敬。ま、私もたまには頭を冷やせってことかしら?」
――だが。
ふと見れば、ラディが自分を真っ直ぐに見つめていることに気がついた。
「な……何? ラディ。そんな熱っぽい視線で、体の弱った私を見たって――」
「……ギルバート陛下から聞いたけど……これからもミレイユは、オレ達と一緒に旅をするんだよな?」
虚言は、切り捨てる。
――そんな真摯さで、ラディは自分を見つめている。
その真っ直ぐさに耐えられなくて、思わず目線を逸らしてしまう。
「え……ええ♪ モチロン、着いて行くわよ♪ 世界中のお酒が私を待っている〜♪」
「……そうか」
ラディは軽く息を吐いた。
それがミレイユには、妙に響いて聞こえた。
「……だったら一つ、聞いておきたいことがあるんだ」
「何かしら♪ 彼氏だったらいないわよ? 好きな人は……これは定番過ぎてアレだし――」
「――なんでいつも、笑ってるんだ?」
「何故君は、そうやっていつも冷たい顔しかしていないんだ?」
その言葉は――ミレイユのおどけた台詞を止めさせるには十分な効果を持っていた。
「な……そんな根本的なことを聞かれても。笑うのは、楽しいからに決まってるじゃないのよ♪」
「……本当に? 本当に……いつも楽しいから笑ってるのか?」
「……関係ないわ。私は普通にしているだけよ」
「……本当に、そうかい?」
ラディの紅の双眸は、真っ直ぐに自分の青い瞳へと向けられていた。
……まるでそこから、自分のことを見通してしまうかのように。
思わず、目を逸ら――
「逸らさないで。……オレから逸らさないで、聞いて欲しい」
先に釘を打たれて――結局ミレイユはそのタイミングを逃してしまった。
こうなってはもう、目を逸らすことが出来ない。
「……最初にミレイユに会った時、オレはメチャクチャだけど、明るい人なんだなって思った。
実際ミレイユはオレなんかよりもよっぽどテンション高いし、誰の目から見ても明るい方だとは思うよ。
けど……オレはミレイユの顔、笑ってるところしか見たことが無い。
いくら明るくても、ずっと笑ってるなんて……そんなの、おかしいだろ?」
「……僕の目には、君は本当に氷の心でいるのではなく、ただ感情を押し殺している風に見える」
「そ……そんなこと無いわよ? ずっと笑ってるように見えるのは、私がうまぁいことけじめをつけてるからで――」
「それだけじゃない。……最近気付いたけど……ミレイユの笑顔って、二つあるだろ。
……なんとなくだけど見た感じ、本当にうれしそうな時と……そうじゃない時と。
……特にダムシアンに入ってからは、ずっとそうじゃない時の笑顔じゃないか」
「君の一面に、そういう点があるのは知っている。けれど……それは決して、君の全てじゃない」
「……か、買いかぶりすぎよ♪ 私はそんなに複雑じゃ――」
「今だって。……今だって、笑顔じゃないか」
「……そんな思い込みは、私には当てはまらない――」
「なら何故、君はそんなつらそうにしているんだい?」
その言葉に――ミレイユの顔に張り付いていた笑顔が、目に見えて強張った。
「自分を見失うほど酒を呑み続けて、倒れて……こんなこと言われて、それで笑ってるなんておかしいだろ!?」
「………………」
ミレイユは顔を伏せる。
おかげで表情は判らなくなったが――少なくともその顔から、笑みは消えていた。
「……ミレイユがなんで、そういうことをしているのか……理由が無くてやってることじゃないと思う。
だからもし、ここで別れるんだったら……オレは別に、何も言わないつもりだった。
けど……これからも一緒にいくんなら、オレは……放っておきたくないんだ」
「ダムシアン第二王位継承権所有者としての荷が、君にあるのは知っている。
ここにいるのがミレイユ・ワイアット・フォン・ミューアなら、僕はここまで君には執着しなかった。
けれど……僕にとって、君はモンスター学を専攻する学者仲間の一人だ」
ミレイユはほんの少しだけ顔を上げる。
向こう側からは、垂れた前髪のおかげでこちらの顔は見えないはずだ。
薄い金のヴェールをすかしたような視界の中で――ラディは何かを思い出すように顔を上げ――やがて、
「……もしミレイユが、自分に嘘をつかないとやっていけないほどに重いものをかかえてるんだったら……
オレは別に、その背負ってるものがなんなのか……話せとは言わない。無償にオレを信頼してくれ、とも言わない。
ただ……もう少しだけ、肩の力を抜いて笑って欲しい。
気負わないで、普通に笑ってほしい……それだけでいい。
それだけでもいいから……もう少し、オレに笑顔の仮面をつけて喋るのは止めて欲しいんだ」
「確かに、君の肩にかかっている荷物は重くて、一人ではもてないかもしれない。
けれどそれは、一人で背負わなくても――自分に嘘を付いてまで、一人で持たなくてもいいものなんだ。
だから、その荷を少しでもいい、僕に背負わせてくれ。
難しいことじゃない。……ただ、笑って欲しいんだ。
肩の力を抜いて、気負わないで……氷の微笑じゃない、君の本当の笑顔を……僕に見せて欲しいんだ」
……何故だろう。
体の奥で、何かが疼いている。
何も無いはずなのに。
きちんと錠を下ろして――しまっておいた筈なのに。
ラディの言葉が。
……その一言一言が、幾重にも巻いた鎖を引きちぎっていく。
下ろされた錠の穴に合う鍵へと、次第にその言葉が近づいていく――
もうはっきりと、ミレイユは顔を上げてラディを見ていた。
満月を背に、ラディは微笑して――言った。
「だってオレは……嬉しそうなミレイユの笑顔を見てると、幸せな気持ちになれるから」
――それは。
まったく同時に、起きた。
外を、燐光が埋め尽くしたのと――
大きな雫が、ぽろりと流れ落ちたのは。
「…………!?」
「な……これは……?」
――その時。
純朴な若者が、困惑しながら見上げていた。
知を納めた者が、見て感嘆の呟きを漏らしていた。
死線を潜り抜けてきた戦友たちが。
国を統べる者が。
――この街に住む、全てのものがその現象を見上げていた。
地面という、地面。
砂漠という砂漠に、小さな花が咲き乱れている。
その花の白い花びらは満月の光を浴びて輝いていた。
まるで地面に星空が現れたような、そんな輝き。
空の海、そして砂の海に輝く星たちに囲まれて、ダムシアンが燐光に包まれる。
そして――宙を舞うその花の花粉もまた、月の光を浴びて輝く。
それはまるで、星が舞い上がり、砂の海から空の海へと昇っていくように見えた。
……昇星の、夜――
「……リヴァイアサンの気紛れ、覚えているだろう?
あれのあった後、砂漠中の植物は殆ど同時に咲く。水を与えられてね。
でもその中にたった一つ、こうやって満月の夜まで発芽を待つ植物もあるんだ。
この花がそう。……そして、この花の花びらや花粉は、月の光に反応して光を放つ性質がある。
それが一斉に咲き乱れれば――砂の海に、銀河が誕生する、というわけさ。
この国では……昇星の夜、と言われているみたいだけどね――」
流れ出た雫が、シーツの上へと零れる。
ぼつり、という重い湿った音をたてて、吸い込まれる――涙。
「……え? え……な、何、これ……」
「ミレイユ……?」
――自分の顔を思い浮かべ、笑顔を作る。
溢れそうになる別の感情を心の奥にしまいこみ、蓋をして錠を下ろしてしまう。
いつもいつも、してきた事。
難しいことでは、決して無いはずだ。
……無いはずなのに――それが、出来ない。
完全に支配していたはずの感情が――言うことを、聞かない。
笑おうとしているはずの頬が引き歪む。
能天気な言葉をどんな時でも紡げるはずの喉は塞がってしまっているのに、
痙攣したように吸われた呼気がそこを通って嗚咽へと変わっていく。
反射的にうつむいた時には、両の瞳に溜まった涙が雨のようにシーツを濡らした。
……まるで堰を切ったように、決壊した感情。
それが体の内側で渦になって、自分のすべてをかき乱していく――
外と、ミレイユ。
立て続けに起こった予想外の事態に、困惑するラディ。
しかしそれでも、自分をかき抱くようにしている今のミレイユをこのままにしておくのは――
「見ないで!!」
機先を制されて――ラディは打たれたように、伸ばしかけていたその手を止めてしまった。
同時に――自分が、手を伸ばそうとしていたという事に驚く。
自分はこれで、一体何をしようとしていたのだろう。
一体、自分になにが出来ると思っていたのだろう――
「何でも……何でも、無い、から……」
……涙が。
枯れたはずの、涙が。
止まらなかった。
止められなかった――
「この星の昇る間は……誰もが素直にならなきゃいけないんだ。
大人も、子供みたいに素直に。それでだれも避難したりはしない。そういう――特別な日なんだ。
だからそうやって、ずっと肩を張ってなくてもいい。無理をしなくてもいい。
泣きたい時は泣いてもいいんだ。人はそうやって生きる生き物なんだから」
――負けませんよ。
それはあまりにかそけく、細い声だった。
クレセントにすら、聞こえないほどに小さな声。
しかし――そこに絶対的な意思の力をもって、エルナの耳に届いていた。
エルナは少女を見る。
少女も、エルナを見た。
……私だって、負けないわよ。絶対に。
空気を震わせず、唇だけを動かして。
それで少女には伝わっていた。
星昇る夜に、酔狂者が二人。
「……む? どうした?」
「………………」
「……別に」
少女とエルナ。
左右からそれぞれ、自分へと寄りかかってくる。
クレセントは若干、困惑したが――しかし目の前の光景へと視線を戻す。
音も無く、星が舞っていた。
「……さあ、もう十分、君は泣いた。
そろそろ顔を上げて、今度は君の笑顔が見てみたいな。
だって……僕は――」
……どれほどの時間がたったろうか?
自分自身の嗚咽を聞きながら。
ミレイユはようやく、理解した。
世界中を巡って――暗黒騎士を、探す。
それは半分当っていて――違ったのだ。
ただ暗黒騎士が必要なのなら。
ゼルビノが来た三年前に、旅は終わっているはずだった。
しかし自分は――その後も旅を止めようなどと思ったことも無かった。
ずっと――それが何故なのか、自分自身でも疑問だった。
だが、今になって――ようやくそれを理解できた。
星の昇る夜。不器用に、中途半端に差し出されて止まった、目の前のこの手。
あの時差し出された手によく似た、この手。
この、優しさ――
彼とラディを、重ねるわけではない。
ラディとヘクター。
限り無く似ていて――まったく逆の存在。
この優しさを持つ、ラディなら。
このまま、ラディが暗黒騎士になってくれれば。
きっと――ラディになら出来る。
縛り上げる鎖を、断ち切ってくれる。
そうすれば、私の望みも。
たった一つの、小さな望みも――叶えられる。
……そう。
今、瞳からこぼれるこの涙は、悲しみの涙ではない。
この体の奥を震わせているのは、哀しさではない。
これは――歓喜の、涙――
ラディが困惑したまま、奇妙なオブジェのように宙に差し出されたままの手。
それをそっと、ミレイユが握った。そのままくるむように、手を重ねて。
……上げられた顔に、いつものような弾ける陽気は無かったけれど。
涙の後が、いまだ癒されぬ傷のように痛々しかったけれど。
そこにあったのは、穏やかな微笑みだった。
何かが特別だったと言うわけではない。
肩の力を抜いて、わずかに口元を緩ませただけの――そんな微笑。
けれどそこには、偽りは無かった。
何かに縛られ、無理をして形作っている様子も無かった。
「大丈夫……もう、何でも無いから」
「だって僕は、本当に嬉しそうな君の笑顔を見ていると、それだけで幸せになれるから――」
星が、昇る。
まるで死者が、天へと昇っていくかのように。
星が昇り続けていく――そんな夜のなかで。
ラディはその微笑が、今まで見たミレイユの笑顔で一番綺麗だと思った。

【座談会】
作者 :……また、尋っ常じゃなく長くなったな……。
ラディ :だからと言ってそれが掲載の遅れに繋がったっていう理由にはならないって判ってるか?
作者 :ぐっ!?
エルナ :まったく……計画性の欠片もないわね
クレセント:お客様に対して申し訳が立たんという事を自覚しているか?
作者 :あああ、すみません、すみません、すみません……。
ラディ :まったく……これだからこのバカは……あれ? ミレイユ……どうしたんだ?
ミレイユ :どうしたも何も……恥ずかしいぃ……ああ〜もう、何でこんな話なのよもうっ!?
クレセント:仕方あるまい。このシーンは最初のころからずっと考えていたというらしいしな。
作者 :ずっと書きたくて書きたくて仕方なかったんだが……まあ、書いていけば書いていくほど止まらないと。
エルナ :今回の小説の掲載分の遅れはこれなのね……まったく。
クレセント:しかし今回は、話の中でもいろいろと重要なことが多かったな。
ラディ :最後の方のあれもそうだったけど、オレが『アポカリプス』を習得したこととか……。
ミレイユ :え? 『黒ビームサーベル』じゃないの?
クレセント:私は『ラグナブレード』と聞いたが。
エルナ :違うわよ二人とも『斬艦刀・一文字切り』でしょ。
ラディ :うう……ひ、酷い……。
ミレイユ :ああもう、地面に『の』の字を書かないの。
……ともあれこれでラディのアビリティに『暗黒』が加わったわね♪
作者 :見た目の雰囲気としてはロマサガ3のマスカレイドの「ウェイクアップ」みたいな感じか?
ミレイユ :じゃあ剣をぐるぐる振り回して「ムーランルージュ」とかも――
ラディ :いや流石にそれは無理だし。……確かに巨大化しても重さは変わらないけど。
クレセント:あの技はどう考えても人間の出来るようなものには見えんからな……。
エルナ :サガ談義なら別でやってて。……そういえば、ユナ様も出ていたわね。
クレセント:話的には彼女の登場も決して見過せるものではないが……どうしても、な。
ラディ :後半が……長いからなぁ……。
ミレイユ :それ以前にあの区切りごとに入ってる台詞が問題なのよね……VPの精神集中?
作者 :まあ、確かに片方死んでるが……。
ラディ :……というか、ミレイユがやけにエルナみたいに冷たい反応なのが……。
エルナ :姉さんは昔は外面を整えてたのよ。……私には昔からあのテンションだったけど。
クレセント:そして後半に行くわけか。……そういえば、あの少女もまた出てきたな
ミレイユ :そば子ちゃんでしょ?
エルナ :そんな名前の人間がどこにいるのよ……けど本当、どうやってあの屋台を私の部屋に入れたのかしら。
ラディ :けど……「負けませんよ」って……。
作者 :あー……ちょっと前に日記を読み返してて、そば子の見た目の年齢がエルナと同じってこの前気付いたんだよ。
オレ的にはもうちょっと小さな子かなーと思ってたから……で、結局――
ミレイユ :竜虎相打つ、って感じ?
エルナ :上等ね……。私の知能に勝てると思っているのかしら?
ラディ :というか、そば子ちゃんには戦闘能力、ないんじゃないのか……?



