Final Fantasy W After Story

第二十一話 長い一日

まどろみを、突き破るようにして。
のそりと半身を起こし、目が覚めた。
しかし……眠い。
どうやら意識の八割くらいを夢の中に置き忘れてしまったようだ。
低血圧であることも重なって――自分の名前すらも思い出せそうに無かった。
しかし体に染み付いた習慣で、殆ど意識せずにベッドから降り、歩く。
一糸纏わぬ美しい肌を惜しむかのように、シーツが体を滑り落ちていった。
かわりにその肌に纏わっていくのは、自らの持つ美しい金の髪だ。
基本的に寝る時には何も着用しない。さすがに野宿などの場合なら別だが。
まだ眠っている頭でぼんやりとした視界。――いや、これは単に視力のせいか。
ともかくその視界で、ぼんやりと映るのは――サイドテーブルにあった、一本の酒瓶。
いつものように、昨日の内に用意しておいたのだろう。近くには眼鏡もあった。
しかしまだ、眼鏡の方はかけるべきではない。
今すべきなのは、酒瓶を手に取り―― 一気に、流し込む。
途端食道から胸元までが、焼けるような熱さにひりひりとなった。
気付けによく使われる強力な酒をビール代わりに流し込むほどの自分でさえも、
アルコール濃度97%以上、70回以上の蒸留を繰り返したこの酒はさすがに効くらしい。
体の中に、火が燈る。
全身の血液が勢いよく循環し、その時を待っている――
慌てず騒がず、まずは自らの長い長い金の髪を、太く丈夫な紅い紐でぎゅっと束ねる。
自分のように、こう髪が長くて太いと――もう細い紐やリボンでは間に合わない。
心の緩みは――それで締まった。
そしてテーブルから眼鏡を取り、しっかりと掛ける。
目を、開く。
シャープになった世界。
朝日の中、空間全てに自分の感覚が行き届くような――そんな気分の中で。
「ん〜……じゃ、今日も一日……張り切ってぇいきまっしょうっ!!」
自らにけじめのスイッチを入れて――彼女、ミレイユ・ワイアットは完全に目覚めた。
……いまだ一糸纏わぬ姿のままで。
ラディは、あのゼルビノとアルベルトという門番に会いにいった。
ミレイユはミレイユで、久々の街に新しい酒場が無いかどうかチェックしてくると言っていた。
そのため――必然的に、クレセントは一人、街中をあてもなく歩いていた。
『異界の空』――つい先刻購入した本からふと目を上げて、改めて街を見渡す。
活気の、塊――そう呼べばいいのだろうか。
カイポでもそうだったが、この街はさらにカイポに輪を掛けて人々の流れも激しく、騒がしい。
しかし何故だろう? それを不快に感じないのは。
……確かに、静まり返った場所もいい。本を読み、知識を深めていくには最高の場所だ。
言葉も無く、ただ本を読みあっているだけで互いに分かり合える――そういう側面も、ある。
しかしそれでも――この、溢れんばかりのエネルギー。
音を立てて進化していく、この若い力――
(私達の星には……最早、この力は無い)
文明を極め、知を極め――栄華を極め。
極めた後には――空しさだけが残った星。
(いや……違うな。私達は……まだ極めてなど、いない)
空しさが残ったのは、まだ極めていなかったから――自惚れが、全てを喰らい尽くしたから。
そうして自らで削っていった心に、空虚が入り込み――それが耐え難い空しさとなっていったのだ。
(……私はそうはなりたくないものだな)
そんな、自戒の念を再び自らの心に誓って――クレセントが次の本を読もうと、目を落とした時。
――喧騒の中に、やや違う類のものが聞こえてきた。
砂の擦れる音。怒号。
何かで肉体を打ち据えた、鈍い衝突音――喧嘩の、音。
それだけならば、別段クレセントは興味を引かれることも無かったのだが――
聞こえてきたのだ。――クレセントの知る、とある人物の声が。
「……やめておくことを提案するわ。貴方達の力で……私の知能には勝てないわよ。絶対に」
あの言い回し……間違いはなかった。
本を閉じ、やや大股にクレセントは声の方向へと足を運ぶ。
そして――そこに数人の男達と――『彼女』の姿があった。
「テメェ……ガキのくせに、なめた真似をしてくれやがって!!」
「見かけで相手を判断する……愚かね。第一、自分達から文句をつけてきたことも忘れるほど記憶力が低いのかしら?」
可愛らしい声を冷ややかにして。
眼鏡の奥の瞳に、呆れと憐憫を湛えて。
やれやれと肩をすくめるその少女は――間違いない。
エルナ・セルリード――ミレイユの妹だ。
そして彼女が相対しているのは、どう見ても真っ当な労働に服役しているとは思いがたい人種の者たち。
うち一人が大げさに叫んで腕を抑え、その他がいやらしい笑みを浮かべてエルナを包囲していた。
……非常によくありがちな――恐喝の、光景だ。しかしエルナが、この程度のことに動じる訳もない。
「……肩がぶつかっただけで骨が折れるなんて……カルシウムが不足しすぎているんじゃないのかしら?
まあそれ以前に、どう見ても人として『足りてない』のはよくわかるけど」
冷ややかな毒舌だったが――それを理解できるほど、男たちは賢くはなかったらしい。
汚らしい手を伸ばし、荒々しくエルナの肩を掴もうとする。
クレセントは手助けしようと踏み出しかけて――しかし次の光景に、その行為が無駄であることを悟った。
瞬間、掴んだはずのエルナの肩が消失して――その男が次の瞬間地面に崩れ、激痛にのた打ち回っていたからだ。
エルナは手早くしゃがみこむと、男の足の中どころ――『弁慶の泣き所』である骨としての急所部分を蹴りつけていた。
つま先やかかとを鉄骨で補強してある戦闘用のブーツの一撃が、男の足の骨を粉々に砕いたのである。
少女の蛮行に驚く男たちを眺めやって――エルナは長い髪をさっと払うと、ふっと鼻で笑って、
「でもまあ、海馬の機能がいかに低迷していても……体に直接叩き込めば、少しは記憶も長持ちするわね」
こんな小さな少女に(実際は彼女は18なのだが)ここまで小馬鹿にされて、しかし黙っている男たちではなかった。
思い思いに罵声の言葉を口にしながら、血走った目でエルナへと腕を伸ばす。
しかしそれでもなお、エルナは慌てない。
肉薄する男の拳――素人らしい、荒々しさだけの無駄なその一撃を半歩下がって間合いから遠のき、
その反動を利用してエルナの回し蹴りが横合いから男の肘を貫く。
編み上げのブーツのつま先が、男の関節を強制的に有り得ない方向へと曲げた。
「あら……本当に骨が折れたみたいね」
そのまま勢いをつけて男の腕に着地したエルナは、さらに延髄へとそのつま先を吸い込ませ――男は倒れ、動かなくなる。
着地したエルナの背後から迫る別の拳を首をわずかに傾けただけでかわし、手首を掴むと別の男へと放り投げた。
その光景に闇雲になった男の攻撃を、わずかに体を裁くだけで楽々と避けていく――
(……『格』が違いすぎるな)
冷静にそう、クレセントは判断した。
まるで軽業師のような軽い動きから一転、繰り出されるのは大男の一撃にも匹敵する衝撃。
自らの肉体を知能によって熟知し、相手の人体構造を完全に把握している。
彼女からしてみれば、男達の動きなど心を読んでいるよりも明確に把握してしまっているのだろう。
動きに違いがありすぎる。
武道家は己を鍛えることで、自らの肉体を掌握するというが――
彼女の場合、そういった鍛錬も無く純粋に知能で『知る』ことによってこの戦闘能力を得た。
まさにその強さ、『知能』で得た『力』――
「……さあ、後は貴方一人だけね」
その言葉に気圧される最後の一人へと向けたエルナの声には、面倒だという響きしかなかった。
まるでこの戦闘にかけた時間の一分一秒が『無駄』だと言わんばかりに。
事実、彼女はそう思っていたのだが。
「ば……ばば、化け物めぇぇぇ!」
「……本当、この手の類の人間はみんな同じことしか言わないわね。ボギャブラリーが少なすぎるわ」
懐から細いナイフを取り出し、震える手で構えた男に対して――エルナは心の底から呆れ返る。
しかし、その態度が――男の浅いプライドを傷つけた。
激しい怒りに、一瞬にして恐怖を忘れて――
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「嫌よ」
即座に否定して――エルナは地を蹴った。
男がナイフを手に動き出した方が先だったのだが、エルナの動きはあっさりと男の速さを上回っていた。
突き出されたナイフを横目に通り過ぎ――叩き込まれた手刀であっさりとナイフを取り落とす。
そのことに狼狽する暇もなく――しゃがみ込み、放たれた足払いが見事なまでに決まっていた。
後頭部を強打した激痛に耐える間もなく硬いブーツが男のみぞおちを踏みつけ、息も出来ぬほどの間に男は抵抗の術を失った。
そして――エルナの手には、いつの間にかあの白銀の大鎌が握られ、振り上げられていた。
「さあ……これで終わりね」
とても事務的な口調で呟くと、そのまま大鎌を持つ手に力を込めて。
一気に振り下ろされたそれは、恐怖に歪んだ男の顔面に、寸分の狂いもなく吸い込まれ――
……だが。恐怖で目を閉じてしまった男は、大鎌が突き刺さる音を遥か遠くで聞いていた。
それでも数秒間は恐怖で気がつかず、さらに数秒たってようやく目を開いた時――
大鎌が、すぐそばにあった建物の壁に突き刺さっているのを見た。
……振り下ろした時。エルナの手からすり抜けた大鎌が、あらぬ方向へと飛んでいっていたのだ。
一部の狂いもなかった今までの彼女の行動からは――それはあまりに異質に見えた。
否。それだけではなかった。
踏みつけていたはずの男からよろよろと数歩退くと、そのまま胸を押さえてその場に崩れたのである。
異常なまでに呼吸も早く荒く、その顔色は青を通り越して土気色になりつつあった。
それをしばらく眺めやっていて――ようやく男は、自分が今有利な立場にあることを自覚した。
サディスティックな笑みを浮かべ、ナイフを掴んで立ち上がるなり、その刃をエルナへと向けて――
しかしその時、クレセントの放った拳が男の顔面を真正面から捉えた。
数メートルほどをそのまま水平に飛び、地面にこすり付けられ、壁にぶち当たって動かなくなる。
一応、手加減はしておいた。大げさに吹き飛んでいったが、あの攻撃で死ぬことはないだろう。
ただし、恐らく魔法で治療しても大幅に顔面の構造は変化してしまうだろうが。
自業自得な不幸に想いを馳せるのはこの程度に、クレセントはエルナへと歩み寄っていく。
「………………い…………いつか……ら……?」
「さほど前ではない。それよりも……どうした? 病気か何かか?」
言いながら、エルナの肩へとそっと手を触れる。
そこから伝わってくる生命の波長を逆探知して異常を探り、治療しようとしたのだ。
しかし、エルナはクレセントの手をゆっくりと押しやると、かすれた声で呟いた。
「放っておけば…………治るわ……。だから……余計なことを……する必要は……」
「しかしだな――」
エルナはどこからどう見ても大丈夫そうではない。
クレセントは反論しようとして――
「……笑わない?」
「……? どういう……事だ?」
「いいから。……答えて。…………笑ったりしないと……誓える?」
伏せたままのエルナは苦しそうだったが、それでも気丈に、クレセントへと問う。
そこに秘めた、かたくなまでの意志に――クレセントは一つ、縦に頷いた。
それを気配で感じ取ったのか――エルナはゆっくりと顔を上げて、言った。
「……息が…………切れたの……」
「………………………………なに?」
「だ、から…………息が…………切れた、のよ…………動きすぎて……つ、疲れて…………」
はあはあと、肩で息をしながら――苦しそうに言葉を搾り出した彼女を、見て。
……こみ上げてくる衝動を抑えるため、彼は兜を手で押さえた。
しかし肩が小刻みに震えて――こればかりは、どうしようもなかった。
「……ちょっと……!? なに……笑って……るのよ……?」
「いや……何でもない」
くつくつと、こみ上げる笑いの衝動を何とか噛み砕いて沈め――
クレセントはとりあえず少女の体力を全快すべく、詠唱を開始した。
「ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんッ!!」
凄まじい勢いと速度を持ち、質量さえ兼ね備えた巨大な刃――無影のそれをラディはなんとか寸前見極め、その圏外から逃れた。
反動で止まらずそのまま地面へと吸い込まれる無影の刀身を尻目に、一気にテュルフングでゼルビノへと斬りかかろうとして――
「フッ――甘い!!」
その背後から、雷迅の速度で肉薄する蒼い甲冑を、ラディが感じ取ったのは本能的な感覚だ。
その刃、光にも似て――かわすことは出来ない。
とっさの判断で引き抜いた短剣で受け止めたが――宙で体を反転させ、その蒼い甲冑――
アルベルトの持つ細身の聖剣へとテュルフングを叩き込めば、しかし次の瞬間ラディの腹部を蹴るようにしてアルベルトはさっと間隔を開けた。
力勝負ではこちらの方が上回っている。
正面からの勝負を避けての行為の結果か――しかし次の瞬間、嵐にも似た気迫の塊が背後から接近していることに気付き――彼らの真意に気付く。
そう、彼が離れたのはラディを恐れてなどではない。
一人になったところに迫る――無影の巨大な刃!!
「もらったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
銀の髪を逆立て、剛たる気迫を全てつぎ込み打ち振るわれたその剣へと――ラディはテュルフングを叩き込んだ。
無論、受け止めるわけではない。
受け止められる、はずがない。
しかし――
「何っ!?」
その激突を利用して――無影の斬撃の圏内から脱出し、ラディは着地した。
激突の衝撃で右腕の感覚が無い。
しかしそれを気合で無理やりひた隠し、ラディはテュルフングと短剣を構えた。
刀身8mもの長巨大剣『無影』を右手に構え、左手をこちらに向けるようにして睨むゼルビノ。
細身の聖剣『バルキリー』を片手に、刀身にそっと腕を添えるようにして隙をうかがうアルベルト。
三者はしばしそのまま硬直し――しかし。
「……ここらで、打ち止めとしておこう」
ゼルビノの言った言葉に――その場で全員がへたり込んだ。
――朝も早いころ、ラディは二人にとある話があったため、ダムシアンの正門へと向かい――
そこで二人から是非に一手とせがまれてしまった。
もっともラディとしても断る理由も無く、今まで死と隣り合わせの斬撃の応酬をかわしていたのだが――
「しかし驚いたな……ラディ君。まさかオレ達と、ここまで互角に打ち合えるとは……」
「え……? そ、そうですか?」
「うむ。……ここまでの剣の使い手、そうはいないだろうな」
ダムシアンの双璧――『銀鬼神』と『蒼天駆ける稲妻』の賞賛に、ラディは思わず頭をかき、照れる。
と――その時。狙い済ましたかのように鳴った、3つの腹の虫の音。
「そ……そういえば、朝からずっと食べてないや……」
「……よくよく考えれば、あれだけの時間ずっと剣を振るえば……こうなるのは当然か」
切実そうに見上げたアルベルトの視界には――すでに高く高く上った太陽。
確か、打ち合いを始めた時には太陽は東の空に半分ほど体を隠していたはずだったのだが……。
「うむ……ならばここいらで一つ、休息とするか」
「しかし……倒れこんだ時には正直、焦ったものだが……まさか息切れとはな」
「し……仕方ないでしょ。私は姉さんと違って、基礎体力はそんなに高くないんだから。
それにあれは徹夜明けも重なってたせいであって、普段ならあんな失態は――」
「うむ。判っている。……そう、焦らずともよい」
「別に私は、焦ってなんか……もう、いいわ。これ以上話したところで、言い訳がましく聞こえるだけでしょうし」
そう言って、拗ねたようにそっぽを向くエルナ。
恐らく、拗ねているという自覚は毛頭無いのだろうが。
普段は冷静と淡白さとで構成されている大人の彼女が――事実、18という年齢にしては大人だが――
ごくたまにこういう外見年齢に相応しい表情を見せる姿が、クレセントとしては非常に微笑ましい。
ただまあ彼女のプライドを損なう結果になるのは目に見えているので、それを露にしてしまうことは決してしないのだが。
と――再び顔を上げた時にはもう気分を切り替えたのか――こういう点は姉譲りだが――いつもの表情で、
「けど……本当、助かるわ。……正直、重くて腕が抜けそうになってたのよ」
「うむ……確かに少々、エルナには辛そうだな」
感謝の言葉に、クレセントは鷹揚に答える。。
その両手に持った紙袋は確かにぎっしりといろいろなものが放り込まれており、非常に重い。
無論自分ならばこの程度の重量は痛痒にも感じないが――この少女の細腕では確かに辛いものがあるだろう。
「しかし……これは一体なんなのだ? ……生活用品だけにしては、妙に重いが……」
「ああ。……それは研究用品よ」
そっけなく答えたエルナだが――その返答は少々、おかしい。
地下開発研究所には確か、最新鋭の研究用品が国の力で全て揃っているはずだ。
わざわざエルナが、自らの足で買い足しにいく必要性があるとは到底、考えにくいのだが――
しかしそんなクレセントの心を読んだかのように、エルナはその疑問への回答を口にする。
「これはあくまで自分用の研究用品よ。地下開発研究所で使うものではないわ」
「自分用……?」
「自分の部屋で研究するための用品。……とはいえお金の都合上、そうそういいものは買えないけどね」
世の不条理を嘆くかのようにエルナは頭を振るが――
「……まさか、研究所で働いている日以外にも研究を行なっているのか……?」
「そうよ」
「そう、と言ってもだな……」
「……まあ、判らないでもないわ。
実際ほかの研究者はオフの日まで研究をしているなんて話は聞かないもの。大抵は趣味だの家族サービスだのに使ってるのが殆どね。
けど……別段、何か趣味を持っている訳でも無いし、一人暮らしだから気を使う相手もいないわ。
……正直なところ、別に休みの日なんて要らないのよ。私としてはその一分一秒を研究に使いたいから。
けどダムシアンの労働基準法の定めるところでは、全ての休みを返上するのは不可能だから……こういう日は自分で何かしないと仕方ないわ」
淡々と凄まじいことを言ってのけるエルナであったが――突如、ふっと一つため息をつくと、
「それに……お金の使い道、それくらいしかないもの。交友関係も特にないしね」
「……? お前は……ミレイユの妹なのだろう? 王家の人間ならば、それなりに付き合いというものが――」
「王家の人間じゃないわよ、私は。……だって私と姉さんは、半分しか血が繋がってないもの」
「……なに?」
「父親が違うのよ。……姉さんは前陛下が父親で、私は本来の夫から生まれたの。
だから姉さんと私は半分しか血が繋がってない。……髪や瞳の色だって違うでしょう?
一応、王族の末席には数えられるでしょうけど……私には王位継承権もないし、今の陛下とは兄妹でもないの」
「……そ、そうか……」
……と――返答に窮するクレセントを見てエルナは苦笑を浮かべると、
「別に貴方が困るような問題じゃないわ。……私と姉さんの間に、それで何か特別な確執があるわけでも無いし。
……まあ、最近は私が父方の姓を名乗ってるせいで、姉妹って見られることも少なくなったけど」
「……ふむ。……しかし女性なのだから、普通はそれでも色々と――」
「化粧も洋服もこんな体じゃ種類もないわ。……それに死ぬまで永遠に、この体は時を刻まないし」
その言葉の意味を、吟味し―― 一瞬の躊躇の後、クレセントは尋ねる。
「……どういう……ことだ?」
その問いに――エルナはぴたりと足を止めた。……そして、ややあってから呟く。
「言ったとおりの意味よ。五年前のダムシアン空爆の時、偶然に建物の倒壊に巻き込まれて……
その時に頭部を損傷したのと心因的な恐怖が重なって、私の体は五年前から成長しなくなったの」
「……!」
絶句するクレセントに背を向けたままで、エルナは静かに続ける。
「昔はそれでも同年代の友達もいたけど……それから歳が経つにつれて、気味悪がって離れていったわ。
研究所のみんなはそれなりによくしれくれるけど、プライベートまで立ち入るほどの中になったわけでもない。
……だから私は研究以外に……やる事が無いのよ」
その言葉には何の悲しみも、怒りも見えなかった。
だがそれが一層――彼女の孤独な時間を体現しているようだった。
そして、そんな彼女にかける言葉をクレセントは見出せない。
なんとか口にしたのは――
「……私の事について、ミレイユから何か……聞いているか?」
「いいえ。……でも、大体予想はついているわね」
訪れた、沈黙。
周りの喧騒が逆に嘘嘘しく、二人の沈黙を一層強く感じさせていた。
エルナは口を開かなかった。
クレセントは―― 一体、なにを口にすればいいのか判らなかった。
一生、成長しない体――それが一体、どれだけ彼女にとって辛いものなのか。
時間が経てば経つほど、周りから一人だけ取り残されていく孤独感。
周りが皆時を歩んでいく中、たった一人だけ取り残されるという孤独感――
この小さな白衣の背に、自分はそれだけの重荷を背負わせてしまったのだ。
……一体、この少女にどう言葉をかけろというのだろう。
長い沈黙の後、結局クレセントが口に出来たのは――
「…………すまない」
こんなありふれた、一言。
言葉というものの表現の限界を、ここまではっきりと思い知らされたことはない。
……この程度で、許されるわけではないのは判っているが――
「……そ。じゃあ許してあげるわ」
その、そっけなく出された返答に――クレセントは思わず彼女を見返す。
「……確かに、貴方のやったことは謝って済むレベルの問題ではないわね。
その様子だと、謝って許される問題ではない――そんな風に考えてるんでしょ?
けれどそれは、あくまで貴方が貴方自身の知りえる情報の一側面だけで考えた結論でしかない。
私は何を判断するにしても、ただ一側面からの主観ですべてを急くような愚考はしない主義なの。
だからあの後、あの騒動に関するあらゆる文献を調べた。
自分の手で知りうることの出来る限り、全ての情報を。
……それもまた情報の一側面に過ぎないでしょうけど……それでも。
あの騒動の中での貴方の情報は、他の誰よりも知っている自負はあるわ。当事者であった、貴方以上に」
と――エルナは振り返ってふっと表情を緩めると、
「そしてあの状況を鑑みれば……貴方を責める理由は、思い当らない。謝られる理由もね。
仮に怒りの矛先を向けるなら、あの時には単なる操り人形でしかなかった貴方ではなく、
それを操っていた人形遣い――そしてその人形遣いの言葉に乗せられた、前のバロン国王。でしょ?
けど……本人があくまでそれをも罪に感じて謝るのなら、私はそれを許す。……それだけのことよ」
呆けたようにエルナを見つめるクレセントに――彼女はふふっと笑うと、
「私は『賢く』ありたいの。……感情的な部分も、確かに無いわけじゃないけど……
それで問題の根源をすり替えて、大局を見失うような『愚かさ』はしたくないわ。
……だから貴方はもっとしゃんとしてなさい。……いいわね?」
「……ああ……」
「よろしい。……じゃ、引き続き荷物持ちのほう、お願いね」
そして再び、歩き出す。
……しばらく言葉もなく歩いていたが――
「……強いのだな。お前も、また……」
「さあ。……そんなの、本人には判らない感覚よ」
エルナはそこで歩く方向を変え、ある店の中に入っていく。
クレセントもまた、それに続いた。
……ラディ達は、ゼルビノの妻が作ったという昼食を片手に、他愛もない雑談を楽しんでいた。
今の話題はもっぱら、ゼルビノ達の過去の話である。
「……俺は元々、エブラーナ出身でな。ただまあ、物心ついた時にはもう戦で剣を振るっていた」
「エブラーナって……ということは、ゼルビノさんも『忍者』なんですか?」
「いや。……俺はあくまで『剣客』に過ぎん」
「剣客……?」
「こちら側で言うところの剣士や騎士のようなものだ。
……もっとも俺の場合は、どちらかといえば傭兵に近い……
主君も持たず、基本的に金さえあれば誰にでもついて戦ったからな」
そこまで言って、ゼルビノは番茶を啜る。
これもまた、輸入されたエブラーナ産のものであったりする。
「俺は『力』を極めたかった。
親兄弟の顔も知らず、自分の名前も自分で考えねばならないほど小さい自分が、
この世界にはっきりと存在価値を見出せるくらいの、誰にも犯されない『力』……。
実際15の歳には、忍者相手に戦っても勝つことが出来たからな。
あの時俺は、強さを極めたはずだった。
……バロン王国がエブラーナに飛空艇で接触を求めたのは、その二年後の事だ。
そして俺は――エブラーナという国以外に、この世界にはまだまだ国が存在することを知った」
エブラーナは周りの海流などの関係から、外洋を探索できるような船舶技術が存在しなかった。
そのために、バロンがエブラーナを始めて見つけた日――それはエブラーナが世界を知った日でもあったのだ。
「極めたはずの俺の力……だがそれが所詮、井の中の蛙であると知った時……俺はもう、動いていた。
引き上げていく飛空艇の一つに密航する形でバロンまで行き……俺はそこでバロン暗黒騎士団に入ったのだ。
あの国の『力』……暗黒剣を会得するために」
「それで暗黒剣を……。でもオレ、バロンでゼルビノさんにあった記憶が無いんですけど……?」
「仕方あるまい。偽名を使っていたし……『負の試練』を克服した瞬間に、俺はそのまま国を出たからな。
したがって暗黒騎士として資料に残っているわけでもない。
それどころか……恐らく負の試練に失敗し脱走したと思われ、バロン王国が俺を重罪人として告発したとしてもおかしくはない」
確かに――そういった事例は何度かある。
負の試練で暴走した人間が逃げ出せば、会得した負の力をあたり一面に撒き散らし何人もの人間が危険に晒されることとなる。
そのためそういった場合は即座にその暴走した騎士を取り押さえ、最悪――命を奪うことも辞さない。
それが暗黒騎士になるための覚悟なのである。
「……そして、こちら側にある剣技を会得することも兼ね、傭兵稼業を行ないながら各地を放浪していた時――」
「オレと出会った……ということだ」
ゼルビノの言葉を引き継ぐ形で口を開いたのはアルベルトだ。
「オレの方は、もともと出身はダムシアンだったんだが……まあ、親が商売に失敗してしまってな。
生きていくには手っ取り早く傭兵でもやらなければいけなかった。
……このあたり、ゼルと同じだ。それでまあ、世界を転々としていた時に会ったんだ」
「あの時は確か、互いに敵同士だったが……正直、驚いたな。まさか俺の剣と互角に渡り合う人間がいたとは」
「フッ……それはオレの台詞だ。当時はこいつの剣も3m程度のものだったが、
それでも巨大な剣を振り回してオレと全く互角に渡り合うゼルは脅威以外の何者でもなかったぞ」
そう言って互いをこづく二人の空気は、どことなく昔見たセシルとカインの二人の持つ空気にも似ていた。
同じ過去を共有しあう、心を許した唯一無二の存在――
「……でまあ、結局はその仕事はオレの方が達成したんだが……。
その後でオレが、ゼルに一緒に組んでくれと頭を下げて頼んでな」
「……アルベルトが頭を下げたのを見たのは、後にも先にもあれ一度きりだったな」
「自分の直感を疑いたくなかったからな。……こいつなら組めると、オレは直感したんだ。
で、その後は二人で世界を巡りながら傭兵課業を続けていたんだが……。
知っての通り、五年前に世界各国が互いに不可侵の条約を締結してしまったからな。世界的に戦争も減っていった」
「……世界的には喜ぶべきことでも、我らにしてみれば仕事が減ってしまうようなものだからな。
それで三年前、アルベルトが試練の山でパラディンになったことを機に、この国に自分を売り込むことにした。
サンドウォームにアントリアン、オクトマンモス……世界有数の凶悪モンスターの宝庫のこの国ならば、
俺達の剣の腕を高く評価してくれるだろうと踏んだうえでな」
――そしてそのまま雇われることなり、現在に至る。
そう話を締め――丁度、バスケットの中身も空になった。
茶で口を潤して――ゼルビノは一つ、膝についたパンくずを払って――
「……ならばそろそろ、本題に入ろうか」
その表情は先刻までのリラックスしたものではない。
鬼気さえないものの、剣を携えた時のように鋭く、厳しいものだ。
「ラディ。……オクトクラーケン……だったか? ともかくその時、『暗黒』を発動した……そう言ったな?」
「……はい」
ゼルビノの真っ直ぐな視線を受けて――ラディは短く、しかしはっきりとそう答えた。
ゼルビノは目を閉じて、額に三つ指を立ててしばしうつむき――わずかな間を置いて、言った。
「……ありえん」
「! ……で、でも実際、オレは――」
「判っている。……発動したのは間違いないだろう。だが……それでも通常ではあり得んことだ。
……しかしそもそもラディ、何故お前は『暗黒剣』を扱えるのだ?」
「えっ?」
何故暗黒剣を使えるか――そんな根本的なことを問われ、返答につまるラディ。
「それは……オレが父から、暗黒騎士になるための訓練を――」
「それは関係ない。……聞けば確かに、その訓練内容で負の力への耐性はつくだろう。
しかしそれでも、それと暗黒の武具を扱えることに関しては全く別の問題だ。
暗黒騎士が暗黒剣を扱って正気を保つには、『契約の儀』によって剣との契約を結ぶしかない」
「契約の……儀?」
「……負の試練の、内容の一つだ。
本来は他言無用だが……お前がすでに暗黒剣を扱えるなら、話しても問題ないだろう。
暗黒騎士の力の媒介となる暗黒剣は、『暗黒』の源となる生命という力を刃に変える。
そういう意味で、所有者の精神的に与える影響が極めて大きい。
……今まで持っていることが当たり前の力――他の誰かを傷つけることができるような力でなかったものが、実は凄まじい威力を持っている。
しかもそれがいとも簡単に手に入るものだとすれば……誰もが正気を保てずには居られまい?
そのために負の試練を受ける人間は、その最中で『剣』という媒体に対して精神的な『契約』を結ぶ。
そうして自らの心に堰を作ることでその暴走を防ぎ、冷静に暗黒剣と向き合えるようになるのだ。
逆に言えば……この契約を行なわない限り、たとえどれほど暗黒騎士としての素質があろうと剣を使うことはできない」
「な……でもオレは、負の試練を――」
「この『契約の儀』は精神的なけじめのようなものだ。
……理屈の上なら、負の試練を受けなくても行なうことはできる。
そして暗黒剣と契約さえ結べば、『暗黒』もまた自然と扱えるようになる」
そこまで一息に言ってのけて――ゼルビノはその静かに燃える瞳で、ラディを射抜いた。
「そこまで伝えて――改めて問う。ラディ、お前は……どこかで『契約の儀』を受けたことがあるな?
それも負の試練で受ける正規のものではない……イレギュラーなものを」
「……いいえ、そんなこと、オレは――」
「誰も、他人に契約の儀を受けさせてもらったとは言っていない。
……お前自身で、それに近いものを行なわなかったかと聞いている。
暗黒剣の強大な力を、心から欲した……それこそ、その想いで心のすべてを焼き尽くすほどに」
「…………!」
そう言われて――ラディはそれに該当することに、思い当たった。
冷水を浴びせられた様に、驚愕が全身を冷やし――やがてゆっくりと、それが確信へと変わっていく。
いつの間にか押さえていた右腕。
痕が――焼けるように痛んだ。
「…………そうか。どうやら……あるようだな」
「……はい」
「……ならば事実を知った今、どうする? イレギュラーとはいえ、お前は負の試練ですべきことを修めている。
お前の求めた力が、すでにお前の手の中にはあるのだ。……それを知って、お前はどうするのだ?」
その言葉に――ラディはすぐには答えなかった。
そっと目を閉じ、自らの心にそれを問いかける。
父が斃れたあの時。
……力を託していった、あの父と自分。
ゼルビノの言う『契約の儀』に恐らく該当するあの時。
焼けるような自噴の中、無力でしかなかった自分。
そして暗黒騎士にならんとバロンを飛び出し、砂漠の中で事実を知った――今の、自分。
それを瞼の裏で、縮図のようにすべてを見て――そして。
心の中に残った答えは――
「……変わりません。オレは……負の試練を受けて、暗黒騎士になります」
「そこまで知って――何故だ?」
「それは……今のオレ自身を顧みても……オレが目指している暗黒騎士には遠いと思うからです」
ラディの声は、真っ直ぐで――素直だった。
「オレはただ、力が……暗黒が使えるようになりたいんじゃありません。
父のように……いや、父を超えるような暗黒騎士になるのが、オレの目標です。
けれど今のオレは『暗黒』も……このテュルフングさえも、自在に使えているわけでもない。
それに……もっと根本的なところで、今のオレと暗黒騎士とは……何かが違うとはっきり感じるんです。
オレは……それが自分の心の中で納得できるようになるために、負の試練を受けて暗黒騎士になりたい。
だからやる事は変わりません。旅を続けて……オレは、暗黒騎士になります」
「……そうか。ならば俺のすべきことは……決まったな」
ゼルビノはそれだけ言うと立ち上がり、地に突き立てた無影へと手を伸ばした。
「アルベルト。……しばらく門番を任せる」
「それは別に構わんが……お前はどうするんだ?」
「俺は……ラディに『暗黒』を教えようと思う」
「!?」
驚くラディを尻目に、ゼルビノは無影を引き抜き、肩にしっかりと構えて立った。
「お前の言うとおり……今のお前が使っている『暗黒』は不完全なもの……真の『暗黒』ではない。
そしてその真の暗黒は、負の試練で……他ならぬ自分自身で会得せねば、絶対に手に入れられんだろう。
しかし不完全でも、イレギュラーに手に入れたとしても……その力が強大なことに代わりは無い。
自らの意思で扱えることのない強大な力は、確実に己自身を滅ぼすことになるだけだ。
ならば俺は、ラディがせめてその力に溺れぬよう、自らの意思でそれを扱えるように教える。……それだけだ」
ゼルビノはそこまで言って――真っ直ぐに、ラディを射抜いた。
その全身からはすでに、抜き放たれた刃の如き鬼気が放射され、ラディを叩いている。
「立て。……言っておくが俺の教え方は優しくはないぞ」
「……はい。よろしくお願いします!」
ラディもまた膝を払って立ち上がり、テュルフングと短剣を引き抜いて構えた。
その全身に闘気を漲らせて、ゼルビノの視線を真正面から受け止める――
「……口ではない。その身で、その目で確かめて会得しろ。……いいな?」
「判りました。……なら――いきます!」
闘気と鬼気がぶつかり合って――瞬間二人は地を蹴った。
「ここは……?」
エルナが入っていった店――それは珍しい店の多いダムシアンでも、特に変わった内装の店だった。
商品のラインナップとしては、日用雑貨などを売っている店と思うが――そのすべてがどこか独特な雰囲気を持っている。
非常に精緻なつくりをしていながら――どことなく暖かいような。
それはここにあるものの多くが植物を利用したものや、土を練って焼いたものなどが大半を占めるからであろうか――
「この店はエブラーナの雑貨を売ってるのよ」
「……エブラーナの……?」
エブラーナ――周囲の気候の関係やそしてバブイルの塔のもたらす影響によって他の国と長い間交流を持たず、
その結果として他国とは全くもって別の文明の発達を見せてきた東の国――
そういわれてみれば確かに、ここにあるもののいくつかをあの国で見かけたような気がする。
「この国は世界各国のありとあらゆる品が終結するけど……エブラーナのものをこれだけ扱っているのはここだけね」
言いながら――店の中をさっさと見渡す。
一見、無造作に見えながら――その目は抜け目なく店のもの全てをチェックし、
何か真新しいもの――今の自分に必要なものがないかどうかを判断していた。
これは知能というよりも――長年の買い物でついた、『勘』のようなものだろうか?
近くの棚から、淡い色合いの食器を手に黙考するエルナを見やりながら――ふとクレセントは気付く。
「その髪留めも……エブラーナのものか?」
「……? ええ、そうだけど……やっぱり長い髪だと、研究とかにはいろいろと厄介なのよね。
下向いただけで器材に入り込むし。かといって切るのは忍びないから……これで留めてるのよ」
どうやら購入することにしたらしく、とりあえずその食器を籠に放り込むと、
エルナはそのまま髪を留めていたバレッタを外してクレセントに示す。
手に取ったそれは――何かの花びらをモチーフにしたのだろうか?
シンプルだが美しい曲線に、黒一色でありながら――その表面には独特の光沢があり、照明の光に艶やかな光を返している――
「漆――エブラーナにのみ生えている特殊な樹木よ。
……このバレッタの表面にはその木の樹液が塗ってあるの。
この独特の光沢はよく磨いた木に何度も何度もその漆の樹液を塗って作るそうよ。
その分、手間もかかって値段も張るけど……保温保湿、さらに殺菌効果まで持っているわ」
「ふむ……それは凄いな」
エブラーナの技術と、それをそこまで知っているエルナの知識に相槌を打つ。
しかし――
「……だがこの髪留め、そろそろ限界なのではないか……?」
クレセントの言うとおり――よくよく見てみれば、漆の塗装部分はところどころが剥げ、ひび割れている。
また髪留めとしての金属部分も疲労が激しく、何度も修理して手直しした部分があった。
「そうね……エブラーナのものは質と物持ちがいいとは言っても、さすがに五年も使えばこうなるかしら?
お土産でもらった分、お金がかからなかったからよかったんだけど……そろそろ買い替え時かも知れないわね」
クレセントから返してもらったそれをエルナは着用せず、ポケットにしまいこむ。
そしてそのまま、再びざっと店内を見回して――店内の一角へとすたすたと歩み寄っていった。
どうやらそこが装飾品関連を扱っているらしい。その少し後をついていくようにしてクレセントが続く。
クレセントが足を踏み入れた時には、すでにエルナは幾多も並べられたそれらの物色を始めていた。
「………………」
顎に手を添え、真剣な面持ちで並べられたそれらを査定しているエルナ。
その様子はどこか少し可笑しくて――彼女がやはり女性なのだと感じさせるものだった。
クレセントもまた、彼女にならってその一角にある髪留めを流れるように見ていくが――
(……ん?)
ふと見ると、あれほど流れるように査定を行なっていたエルナの目が、一つの髪留めでぴたりと止まっていた。
その表情は彼女にしては珍しく葛藤が表れていて――しかし頭を一つ振ると、それを忌避するように目を離す。
「ふむ……」
クレセントはその髪留めを手にとって見る。
エルナが一瞬、ぴくりと反応したことには気配で感じていた。
確か、エブラーナに多く植えられている……桜、だったろうか?
黒地にその紅い花びらが描かれたそれは漆の効果もあってか、まるで舞い散る花の瞬間を止め空間ごと切り取ってきたかのように繊細で鮮明だった。
「……何故、これにしないのだ?」
「い……いいのよ、別に。どうせ私には似合いそうもないし……」
「その割には随分長い間、眺めていたように見えたが……」
「うっ……」
言葉に詰まるエルナの髪と――手にした髪留めを見比べる。
「……やはり似あっていると思うが」
「そ、そうかもしれないけど……その、高いし……こういうのに5000ギル以上も使うのは……」
「ふむ……」
改めて、手にした髪留めを見る。
……確かに他のものより抜きん出て細やかで、はっとするほど美しい。
これならば恐らく、ここにおいてあるほかのものより若干、値が張ることは覚悟せねばならないだろう。
しかし先刻の彼女の葛藤振りを見れば、どうやらかなり気に入った様子でもある。
……ならば――
「ならば私がこれを購入しよう。……金銭的な問題はそれで解決できるだろう?」
「ちょ……ちょっと!? それの価格、判って――」
「問題ない。若干、懐には余裕がある。……それに、地下開発研究所で助けてもらった謝礼もまだだったしな」
「あ……あんなこと、別に感謝してもらう必要は――」
「しかし――気に入ったのだろう? お前は、これを。自分に似合うものだと。
だがこれほどの業物ならば、自分が手にする前に他に目の利く誰かに手をつけられてしまう可能性がある。
他のものならいざ知らず、これほど自分の感性に引っかかりを感じたものをそうそう手放すのはあまりにも惜しい。
……私の推察に、何か間違っていることがあるか?」
「うぐ……」
ぴしゃりと図星を突かれ、ぐうの音も出ないエルナ。だがクレセントはふっと笑うと、
「……それに私としても、別にこれで感謝してもらうようなことが出来ているわけではないのだからな」
「え……?」
「道具は、在るべきところにこそ集うべき……これが私の信念でな。
実を言うと、私がただ単に見てみたいのだよ。……これをつけている、君の姿を」
「…………!!」
クレセントはそのままカウンターへ向かう。
「店主。……これを頂きたい」
「ほう……あんた、なかなか目が利くじゃないか。よかったなお譲ちゃん。いいお父さんがいて」
親子ではない――とエルナが即座に突っ込むものかと思っていたのだが、何故か彼女は先刻からずっと顔面を真っ赤にしてうつむくだけだった。
あえて見ず知らずの人間に懇々と説明しても、意味がないことと思ったのかもしれない。
そう判断したのなら、彼としても別段口を酸っぱくして説明する必要があるとも思えなかった。
「……まあ、そういうことだ。見ての通り、包装は要らん。いくらだ?」
「はぁ。――50000ギルになります」
「……む……!?」
太陽がすでに、西の空に半分ほどその姿を隠しつつある刻限――
国賓のものだけが滞在できる、城の貴賓室に一人、クレセントは座っていた。
大浴場に行ったラディが戻ってくるのを待ちながら、今日あった出来事を思い返す。
自分の見立てどおり――あの髪留めは最初からそうあるべきだったかのようにエルナに似合っていた。
50000ギル――若干、痛いものがあったが――あの出来にしては、良心的とも言えるだろう。
それであの髪留めが持つべきもののところへと送れたのならば安いものだ。
……だが、しかし――
(砂漠の光50箱に、今回の一件か……。
価値あるものには正当な評価を下すのが私の信念だが、ひょっとすると私には散財の才能もあるやもしれんな……)
すっかり軽くなってしまった懐に、思わず苦笑する。
と――
「……お待たせ、クレセント」
そんな言葉とともに、ラディが部屋に戻ってくる。
いつもの鎧はさすがに着込んではおらず、まだ乾ききっていない髪といい首にかけたタオルといい、
こうやっていると街中にいるそこらの青年となんら変わりない姿である。
「……ごめんごめん、ちょっとじっくり浸かっててさ」
「いや……元はと言えば私の我侭なのだからな。……こちらこそ、すまん」
大浴場というだけあって、別に男二人が入るくらいなら何の問題もないのだが――
さすがにクレセントも鎧を着たまま入浴するわけにもいかず、仕方がないので二人別々に入っているのである。
「しっかし……本当、ここの風呂って気持ちいいよなぁ……」
「うむ。……天然の温泉などはその中に含まれる成分の関係から、つかるだけで健康になるとは聞くが――」
「うちの大浴場は火のクリスタルのエネルギーで加熱してるから、健康や美容にはとっても効くのよー♪」
クレセントの言葉を引き継ぐ形で、扉の近くに居たラディの首にがばぁっ! と抱きついたのはミレイユである。
「ほーら、これがうわさの珠のハダよ♪ すりすりすりすり〜♪」
「だあああっ!? ミ、ミレイユ……やめ、っていうか……酔ってるのか!?」
抱きつくなり頬をすりすりとすり寄せたミレイユを何とか引き剥がす。
確かに心なし、頬が紅い。
「酔ってません酔ってません。ただちょ〜っと頭がくらくら〜っとして、
ラディの顔が8つくらいに分裂してるだけで〜……ラディ、分身の術なんて使えたっけ?」
「いやそれが一般的に酔ってるっていうことだろ!?」
「やぁね、冗談よ冗談♪ 私がそこまでどろっどろに酔うわけないじゃないのよ♪」
「冗談で酔っ払ったフリしておちょくるのもいい加減にしてくれっ!」
滝のよーにさぱっさぱ涙を流して切実に訴えるラディに、ミレイユは笑いながらばしばしその肩を叩く。
「……と、とりあえず私は入浴させてもらおう。では、また後でな」
「あ、ああ」
「いってらっしゃ〜い♪」
――廊下の角を曲がって、クレセントの姿が見えなくなって――
「ん〜……さてと♪ じゃ、私もお風呂でゆっくりとお酒でも呑んで、疲れを取ろうかしら♪」
「ま……まだ飲むのか……?」
「そんなイヤそうな顔しないでよ、別にラディが呑むわけでもないんだし♪ それとも……一緒に入るつもり?」
「ブフッ!? ミ……ミレイユッ!!」
「冗談よ、じょ・う・だ・ん♪ からかわれるラディが悪いのよ☆」
拳を振り上げて怒ったラディからぴょいと離れて、ミレイユもまた浴場へと向かっていく。
「まったく……ダムシアンについてから、妙にテンション高いな……」
その紅いローブが見えなくなった頃――ラディは静かにため息をついた。
ダムシアン大浴場――それはこの城の東の塔と西の塔の最上層に一つづつ存在している。
東が男湯・西が女湯で、これとは別にもう一つ城内には大浴場があり、こちらは基本的に一般解放されて料金さえ払えば誰でも使える。
しかし塔の最上部の二つは、この城でも国賓クラスの歓迎者や、それなりに地位のある人間でなければ使うことは出来ない。
別段、この3つの浴場に使われている湯に差があるわけではないのだが。
そしてミレイユは西の塔の扉の前に来ていた。
その手で、扉の取っ手をぽんぽんと二回叩く。
するといかにも重たそうな両開きの扉が、音もなくすっと開いて彼女の入室を許す。
そのまま、扉を閉じもせずミレイユはさっさと足を進めるが、
その足が上への階段へと差し掛かるころ、またも音もなく扉はひとりでに閉まっていった。
次の階に着いたところで、またしても彼女の前に塞がるのは入り口にあったものと同じような扉。
そしてやはりミレイユが取っ手をぽんぽんと叩くとひとりでに開いていく――
「ん〜……一応保安をかねたシステムって言っても、こう多いとねぇ〜……」
そう。一見ただの重厚な扉に見えるが――実はこの扉、アサルトドアーなのである。
もっともこれはミレイユを筆頭、ダムシアンのモンスター学者の研究の結果誕生し人工のものであるが。
彼らにとって感覚器官である取っ手に酷似した部分――そこに一部の人間だけの生命パターンを入力。
そのパターンを持つ人間が触れた時のみ、扉が開くというシステムだ。
無論無理やりにこじ開けようとすれば、即座にその人物に対して『ディメンジョン9』が発動する。
高貴な身分の人間が使う所であるし、場所が場所だけに警備の人間を裂くわけにもいかない。
そのために考案されたのだが――
「わざわざこの城で働いてて、この浴場にのぞきを仕掛けるような人間、いるわけないのよね〜……よく考えたら」
というのが、この保安システムを考案したこの国の美しいモンスター学者様の言葉である。
結局、最上層に行くまでに五回の認証を済ませて――彼女はようやく、脱衣所へとたどり着いた。
ちなみにこの部屋の壁はデモンズウォールである。
無論人工の、保安システムの一環であるが。
ミレイユは手早く衣服を脱いでたたむと、近くにあったカゴの一つに放り込む。
しかし、髪をくくった紐を外したところで――ふっと彼女は、先客が居ることに気がついた。
「……鼻歌?」
その先客は、どうやら浴室でのんきに鼻歌を歌っているようで、それが微かにここまで聞こえていた。
しかし――この浴場を使用できる権限を持つもので、ここで鼻歌を歌うような人間は自分以外に見たことがない。
とりあえずタオルを掴んで、ミレイユはそっと浴室への戸を開いた。
横開きの戸はどうしても少し音を立ててしまうが、どうやらその先客はこちら側には全く気がついていないらしい。
こちらに背を向けるように浴槽の壁に体を預けて、やけに楽しそうに鼻歌を歌って自分の世界に浸りこんでいる。
「ら・ら・らら〜ら・らら・ら〜ら・ら・らら〜らら・らら〜♪……」
浴室に入ってみて――その歌声はよりはっきりと聞こえる様になった。
聞き覚えのある声。
そして、背を向ける少女の長い髪の毛の色は――ちょっと珍しい、亜麻色の髪。
「……なにやってんのエルナ?」
「わっわわうわわあわわわあわあわあわっっ!? ね、ねね姉さんッ!?」
……………………………………………………………………………………。
「っくくく……しっかし初めてみたわ、あんたが鼻歌なんて歌ってるの……」
なんとか笑いをこらえながら、ミレイユはそれでも時折笑いを漏らしつつ言葉を口にする。
しかしあの後十分間――たっぷりと大爆笑した後でのことなのだが。
「……いいじゃないのよ、私が歌ったって」
浴槽の中に顔が半分沈むかというくらいしゃがみこんだエルナが、ポツリとそれだけ口にする。
「いや、いいけど……だって……だって、あの時のエルナの顔っていったら、もう……っくく、
ああダメ、もう思い出しただけで十年くらいは大爆笑できるネタよ、コレ。早速みんなに――」
「教えたら殺すわよ……?」
「わ……判ったから、その大鎌を仕舞いなさい。っていうかなんであんたそんなもんを持ってるのよ……」
絶対零度の呟きと、夕陽の光を受け不気味に紅く輝く大鎌の刃に、ミレイユの笑いの熱も冷めたようだった。
「ああ、もう寒い寒い……いまので一気に体冷えちゃったわよ。まったく……」
「姉さんのどこに疲れる要因があるのよ。一年中酒に酔うくらいしかやることないのに」
「あら、これでも結構疲れるのよ? こう大きいと、も〜肩が凝って凝って仕方がなくてね〜……」
ミレイユがけだるそうに肩を回す。
彼女が何で『肩が凝った』といっているのかは、体を動かすたびに湯船の上で微妙に動く二つのそれを見れば一目瞭然だ。
「まったく……前くらい隠しなさいよ。恥ずかしい」
「なんでよ? 別に私の体、恥ずかしいような問題点はどこにもないと思うけど?」
確かに――性格のためか、まったく隠そうともしないミレイユの裸身はメリハリの利いた曲線で構成されて、美しさを損なうような贅肉が一切ついていない。
白い肌には傷も痣も無く、紛れなく女性の造形美の極であろう。
……しかし――
「そうじゃなくて……見てるこっちが恥ずかしいのよっ!!」
「あら……意外な盲点ね。おねーさんもうっかりの新事実。
でも人間、フツー寝る時とお風呂ははだかんぼうバンザイってもんでしょ? だ・か・ら……」
言うなりわきわきと両手を動かすミレイユに一抹の不安を感じ、エルナは思わず後ずさる。
無意識の確信が、自分にまきつけてあるバスタオルを握り締めていた。
そして――その確信は、ほぼ当っていた。
「久々におねーさんが成長具合を見てあげましょ♪ ということでそのタオル邪魔ね。排除♪」
「わわわわっ!? ちょ、や、やめてよ姉さん……っわわわああああっ!?」
エルナは必死で抵抗を心みたが――いつもと違い、何故かミレイユを圧倒することが出来なかった。
年上特有の奇妙な腕力でエルナを掴み、バスタオルを――
「きゃああああああっ!? ちょっ……返してっ!! 返してよ姉さんっ!!」
「何恥ずかしがってるのよ。昔はよく一緒にお風呂入ったりしてたじゃないの♪」
「一体いつの話を――ってひゃあああああっ!?」
「う〜ん……胸の方は相変わらずみたいねぇ。小振りと表現することも出来ないのが悲しいわ」
「うあぁうう、なんだか手つきがいやらしいんだけどっ!?」
「気にしない気にしない♪ さてと、じゃあ次は――」
「ひああああああっ!?」
――しばしの間、ばちゃばちゃと微笑ましい姉妹愛の確認を行っていた二人だったが――
やがてミレイユはふっ……と抜くように一つ息を吐き、
「……それだけ元気なら、心配することもないわね……」
少しだけ落としたトーンのその言葉に、エルナは思わずミレイユを見返す。
エルナを見つめるミレイユの瞳には――包み込むような暖かさがあった。
「前に会った時から……いえ、五年前からやっぱり少しも変わってなかったから。
そのことを誰かに詰られたり、落ち込んだりしてるか……ちょっとだけ、心配だったのよ。
でも――その様子なら、心配しなくても元気そうみたいね……」
ミレイユの手が、そっとエルナの頭をなでる。
昔よく、そうしてもらっていたように。
あの頃――自分の体の時間が止まった時、狼狽するしかなかった自分にそうしてくれたように。
「……頭の傷痕、もう見た目には判らないわね……」
「髪を伸ばしてるからよ。……まあ、それでもそうそう簡単には判らないと思うわ……」
「……そう……」
蒼い瞳が、外に輝く紅を映してきらきらと輝く。
この浴室は前面の壁が透明で、外の景色を一望できる。
ただしそれは一方からのみの光を通すため――外からはこの浴室の中は絶対に見えないのだが。
最後の光を投げかける夕陽。
紅と黒の二色で染められた美しい町並み。
そして紅い光を受け、燃えるように輝く砂の海――
「どれだけこの国が変わろうと……この夕陽に染まった砂漠の色だけは、変わらないわね……」
その言葉は――エルナに聞かせるつもりがなかったのか、とても小さな呟きだった。
そしてその言葉を聞いたエルナもまた、その陽を見つめて――思う。
確かに――この色は変わっていない。
燃え上がるような、不変の紅。
そう――あの五年前も、確かこんな輝きだった。
けれどその輝きが――違うものに見えるのは、それを見る自分が変わってしまったからだろうか?
五年前の自分達とは――あまりにも変わってしまった。失ってしまっていた。
ギルバート陛下は最愛の人を。
そして自らの肉体の力を。
自分は時間を。
これから訪れるはずであった、体の時間を。
誰もが失い――あるものはそれに代わるものを手に入れ――
またあるものは、その喪失感を今も抱えている。
そしてそれは――この姉ですらも、例外ではなく――
……どれほどの時間、考えていたのだろうか?
姉が浴槽から出る水の音に我に返ればすでに日は沈み、街には無数の灯りが燈り――この浴室も、光源のための照明が燈っていた。
その白い体から水滴を滴らせ、金の髪を纏わりつかせて――ミレイユは浴室の戸に手をかける。
そんな姉の後姿に――思わずエルナは尋ねていた。
「姉さんは……姉さんの時間は……まだ、止まったままなの?」
止まってしまった、時間。
……それは自分のように、体のものではない。
それよりももっと酷い――心の、時間。
即答は――なかった。
……だが沈黙は、それほど長いものでもなかった。
「……判らないわ。でも……」
「……でも?」
「あの二人……ラディとクレセントと一緒に旅をしてたいとは思う。
何故そう思うのかは判らないけれど……それでも、一緒に旅をしていれば……何かありそうな気がするの。
それを確かめるだけでも……一緒に旅をする価値がある。私は今……そう感じてる」
ミレイユは背を向けているため、エルナの位置ではその時の顔を見ることは出来なかった。
しかし、その後振り返った時には――いつものような陽気な笑顔を浮かべて、
「ま、そういうことだから♪ もうちょっと世界を旅してくることになると思うわ。
お土産はたっぷり持って帰ってきてあげるから、悲しいからって泣いちゃだめよ?」
「何を理解不能なことを言ってるのかは判らないけど……説明も面倒だし、判ったってことにしておくわ」
「も〜……素直じゃないわねぇ。……まあいいわ。まだしばらくは、この国にいると思うから♪」
そう言って、ぴしゃりと閉じられた戸へと向かって――エルナはぽつりと呟いていた。
「……素直じゃないのは、姉さん譲りよ……」
静けさを取り戻した浴室で、たっぷりと肩まで浸かりなおして――エルナは思考する。
ころころと表情を変え感情を変え、決してその真意を見せることのないミレイユ。
それは――血を分けた妹である自分に対してですら、例外ではなかった。
自分だからこそ、よく判る。
姉が本当に小さかったころから一緒にいる、自分だから。
……だから――だからこそ、五年前に半ば錯乱気味になりつつあった自分を慰めてくれた、姉の。
……姉の心の時間が止まってしまっていたことに気付けなかった自分が――それだけが辛かった。
だが――最後にあった時と、今とでは――ほんの少し違っていたような、そんな気がした。
それが何かは判らない。
多分本人ですら――その変化には気付いていなかっただろう。
あの陽気さの中で――どこかやんわりと、他者の干渉を嫌っていたあの姉が、誰かによって変わった。
今まで、どれだけの干渉があってもゼロでしかなかったものが――実数をともないつつあるのだ。
そしてこれからは、さらにそこに変化が現れるだろう。
……姉にそこまで思わせる、ラディとクレセント。
非常に――興味深い。
「……クレセント、か……」
全身を甲冑で包んだ、あの男。
自らの知能に対抗しうるほどの知識を持つ男。
……そして――
「………………」
手にとって見る、彼のくれたバレッタ。
黒と紅の対比が美しく、照明の光に反射していた。
姉と違って、異性からなにかをもらったのは人生で二度目の事だ。
ただし一度目は、殆ど姉のおまけのようなものだったから――それを考えれば、初めてのことだろう。
――見てみたい。これをつけている、君の姿を――
浴槽の端に顎を乗せて、ぼんやりと彼のこと――そして今日あったことを考える。
体の中を血液以外のなにかが巡るような感覚。
妙に体を動かしたくなるような高揚感。
自分の頬が熱いのも、それが浴槽に浸かっているためだけではないというのは自分でよく判った。
「私の時間も……動き出したのかもしれない……」
――確証は、無い。理論的に解明したわけではない。
いつもなら一蹴する、勘という名の思い込み。
だが――今のこの心を、そう簡単に割り切ることは到底、出来そうにない。
あの男は、自分の心の中にあった何かのスイッチを押した。
確かに――押してしまったのだから。
だから――
「……情熱的なのは、姉さんだけじゃないわ。……私が本気になったら……凄いんだから」
湯気で何も見えなくなっていく中で――彼女の口元がふふ、と笑った――
くしゃみ。
それが浴室に響き渡り――そして次の瞬間、それが自分の発したものであると気付いた。
「むう……流感にでもかかってしまったか?」
しかし、自分の体がまさかそんなものにかかってしまうはずもないと思いなおす。
「ふむ……ならばこういう時の定石は、誰かが私のことを噂している……ということか」
よく絞ったタオルを頭に載せながら――クレセントはそんなことをぼんやりと考えていた。

【座談会】
エルナ :それじゃ、座談会の方を始めるわよ。
ミレイユ :ちなみに今回の座談会は、水着を着用することでみんな一同に大浴場に集まって行なってま〜す♪
ラディ :こ……この世界に水着なんて、あったのか……?
ミレイユ :あったでしょ? ローザさんなんか年中水着で戦ってたじゃない。
ラディ :いや、あれは水着じゃないと思う……かなり露出過度だと思うけど。
ミレイユ :まあ、あの手の性格の人って、結構露出の多い服を着用することが多いらしいけどね〜……。
クレセント:むう……どうするべきか。まさか甲冑を脱ぐわけにはいかんが、かといって着用したまま入浴は……。
作者 :悩むなよ。……どうせウソなんだし。
ミレイユ :なによ〜、夢のないことばっかり言って。
作者 :つか、オレが一番大浴場に入りたいんじゃい!! あー肩まで浸かりてー、足伸ばしてー!!
ううっ、セシルやカイン並みの身長のせいでウチ風呂ではいつも三角座りさー……しくしく。
エルナ :健康のためには半身浴が一番よ。と……話がそれたわね。ただでさえ今回は話が長い以上、
この座談会で巻き上げていかないといけないんだから……まったく。
作者 :仕方ないだろー。エルナが仲間になるって決まったせいで本来より大幅に加筆しなきゃいけなくなったんだからな。
ラディ :あ、そうらしいね。……あのバレッタのプレゼントっていうところも、本来は無いエピソードなんだろ?
クレセント:そうだったらしいな……。
ミレイユ :50000ギル……大体飛空艇のチケットが5000ギルだから、10回は乗れるわね♪
ラディ :高ッ!!
エルナ :………………。
ミレイユ :あと、クレセントがちんぴらを殴り飛ばすシーンもね♪
クレセント:むう……。
ミレイユ :しっかし……意外にクレセントって肉弾戦シーンも多いわよね。トールハンマーだってそうでしょ?
クレセント:仕方あるまい。……脱いだあとならともかく、甲冑を着用している時は殆ど重戦士並の体格だからな。
作者 :けどそば子を助ける時も、確か相手の手首を握り『潰して』いたようなー……。
エルナ :言葉で説得してみるっていう考えはなかったの?
クレセント:あの場合は毛頭無かったな。……猿に人語を語ったところで、理解は出来まい?
エルナ :……なるほど、そういう事ね。
ラディ :今回の話って、とにかく振り返るところが多いけど……はい一つ疑問!
ミレイユ :はいラディ君、発言を許可します♪
ラディ :……えっと……ま、いいか。そういえば今回の話で、ミレイユとエルナが異父姉妹だって判ったけど――
ミレイユ :ラディは本編で、まだ私の正体にすら気付いてないけどね♪
ラディ :ぐ……と、とにかくそれ以外にもミレイユはギルバートさんと異母兄妹なんだろ?
ちょっと家族構成が掴みにくいんだけど……。
クレセント:確かにな……。一体、どういういきさつでこういうことになったのかがよく判らん。
ミレイユ :えっと……だからそれは――
エルナ :この国の特殊な結婚の感覚から説明した方がいいわね。いい?
この国はもともと商人たちの建てたものなんだけど、そのせいか国としての風習もそれに近いものがあるの。
前に一夫多妻が認められるって言ったけど、実際に第二妻以上を持っているのは国でも有数の大富豪くらい。
普通は一夫一妻で構成されているわ。
私のお母さんも、生まれは普通の人だから一夫一妻だったのよ。
ただ……裏を返せば上流階級では一夫多妻が当たり前……特にこの国の国王には、ある特別な権力があるの。
ラディ :特別な……権力?
エルナ :ええ。……国王に限り、他人の妻と結婚することも許されるの。子供を生ませることもね。
ラディ :!?
エルナ :ああ、そんな顔しなくてもいいわよ。
別に国王と結婚しても、その前まで一緒だった夫と別れる必要はないの。
この国の王妃に限り、多夫一妻が認められるってことかしら?
それに世継ぎの問題もあって、こういうことはこの国では結構当たり前で……逆に選ばれたことを喜ぶことの方が多いわ。
まがいなりにも王妃になれば、王族の中に入ることも出来るし……経済的に援助してもらえるしね。
だから後ろ暗い感じや、それのせいで夫婦仲が停滞する〜なんてことは殆ど起こったためしはないわね。
前ダムシアン国王は、ギルバートを生んだ第一王妃、そして私達のお母さんを第二王妃に娶ったのよ。
それ以外は娶らなかったっていうのが逆に不思議ね。お母さんもあんまり城に呼ばれることもなかったし。
歴代国王の中には、国の女性の六割に手をつけたのもいるくらいだから……かなりの変わり者ってことね。
クレセント:ならばギルバートも……複数妻を持っているのか?
ミレイユ :異母兄さんはユナさんを妻にしてるだけよ♪ あんまりそういうことできる性格でもないし。
エルナ :……だから判ったかしら? もともとお母さんは、私のお父さんと結婚してたの。
けれど国王の目に止まって、第二王妃に迎えられて……それで姉さんが生まれたの。
その後、私のお父さんとの間に私が生まれた……そういうこと。
ミレイユ :異母兄さんとエルナ、そして私の苗字ってそれぞれ違うでしょ? ギルバート・クリス・フォン・ミューア。
これはダムシアンで代々国王をしている『ミューア家』で、『クリス家』の王妃から生まれたってことなの。
私は『ワイアット家』の王妃から生まれたからミレイユ・ワイアット・フォン・ミューアってワケ♪
エルナ :王族と血のつながりがある人間は、普通母方の姓を名乗るのよ。
……でもこれが一般庶民になると普通は父方の姓を名乗るから、私はお父さんの『セルリード家』でエルナ・セルリード……ということ。
ラディ :なるほど……判ったような、判らないような……。
クレセント:ミレイユとギルバートが異母兄妹、ミレイユとエルナが異父姉妹。
……エルナとギルバートの間には、兄弟関係が成立することはない……と。こういうことだな?
ミレイユ :そういうこと♪
エルナ :それでも陛下には大分、よくしてもらってるほうだと思うけどね……。
ところで姉さん、一つ聞きたいんだけど。
ミレイユ :なに?
エルナ :何か話の後半、異様に姉さんがセクハラ親父になってるように思えるけど……あれ、誰の指示?
ミレイユ :ん〜……作者。
エルナ :そう……。ちょっとこの作者、借りるわよ?
作者 :ちょちょっちょちょちょっと待て!? あれはまあ、そのいわゆる一つのサービスカットというやつだろ!?
いいじゃないか、別に映像化されているわけでもなし――だからぎゃあああああああっ!?
クレセント:…………合掌。
ラディ :ところでクレセント、流感ってなんだ……?
クレセント:風邪のことだ。



