Final Fantasy W After Story

第十五話 雨〈rain〉

――気がつけば、辺りには何もなく。
そこに広がるのは、無限に広がる闇だった。
体は動かない。
しかしそこには恐怖も、おぞましさも、邪気も無い世界。
ただ優しく、包み込むような暖かさだけが体を包んでいる。
ああ、私はまた帰ってきたのか――
闇は全ての母だ。
世界に光がなかった時から――闇は常にただ、そこに存在していた。
それを切り裂き生まれた光――そして全ての世界は誕生していった。
闇の中から。
今でもそれは同じ――人もまた、闇より生まれ、そして死する時には闇に還っていく。
そこまで極大な考え方をせずとも――人は光だけでは生きてはいけないのだ。
光に当たり、影が生まれ。瞬きをして、闇を確かめる。
そして眠り――母の腕に抱かれる。
そうやって傷ついた自らを癒し――また光の中で頑張っていきていくのだ。
闇は服従を強いない。
拒むことも無い。
ただ、いつでも待っているのだ。
自らより生まれた、全ての存在――子供たちを、いつも癒すために。
そして――私は闇を統べる者。
闇に最も愛され、闇を最も理解するもの――
――だが。その時闇は、強烈なまでの光によって遮られた。
それを遮ることも適わなかったが――やがて一つの人影が光を背に、私の前に降り立つ。
「……久しぶりだね、兄さん」
「……!」
逆光で、その姿をはっきりと視認することは出来ない。
私から見えるのは、その人物の着ている真っ白な甲冑と、手に携えた一本の剣。
だが、その人物を忘れるわけもなかった。
かつては憎みあい、殺しあったこともあった。
だが――それでも最後には、理解しあえたと思っている。
たった一人の、私の弟――
「……そうさ。兄さん……僕は兄さんのたった一人の弟。光を司る者。蒼き星を、護る者……」
淡々と口に呟くそこからは、何の感情も見えなかった。
しかし――その時。
逆光の中で、確かに私にははっきりと見えたのだ。
弟の口が――三日月の形に笑ったのを。
「僕と兄さんは表裏一体。真逆の存在。二つの方向から、蒼き星を護る存在――だった」
「……だった……?」
「言ったとおりの意味さ。今は……違うということだよ」
そう言って、弟は手にした剣を――私へと突きつけたのだ。
「な……!?」
「今の僕は……兄さんを必要とはしない。僕は蒼き星を護り……不確定要素を排除する『修正者』。
今の僕には兄さんは……いや、今の蒼き星には兄さんはいらないんだよ」
――過去の罪で、私を裁くというのなら。
その剣を甘んじて受けたことだろう。
しかし、今の弟の一言――それを理解することは出来なかった。
いや――本当に、これは弟なのか?
「僕を疑っているのかい? ……だったら見るといい。この僕のクリスタルを……」
そう言って、弟の手にしたクリスタルは――確かに、弟のもの。
たった一つの光のクリスタル。
そしてその輝きは――全く邪気を放っているわけではない。
つまり、これは――
「お前は……本気で、私に剣を向けて……!?」
弟の顔は非常に穏やかな微笑。そして――その瞳には狂気も迷いもなかった。
そろそろと剣を頭上に掲げて構える。その剣は――父が、弟に託していった剣。
「何を驚いているんだい……兄さん。兄さんが言ったんじゃないか。蒼き星を頼むって……ね。
だから僕が消すんだ……この蒼き星に存在する、邪魔な要素は」
私は必死で抗おうとした。しかし――闇に包まれていた時と同様、私の体は指一本動かない。
いや――闇に包まれていた時と違い、私の体を光が押さえつけている!
そして弟は――あの、三日月に笑う笑みを崩さずに。
「さよなら……兄さん」
あの時言った台詞と共に、剣は私を斬り裂いた――
「――――――っ!!」
そしてその時――クレセントは突如、ベッドから跳ね起きた。
しかし、そこはもはや闇のたゆたう空間でもなければ、自身を包む甲冑も装着されたまま。
――最前彼が見ていた光景と、今目の前に在るものが違うことに混乱するが――
慌てて懐にある、私のクリスタルを確認する。
そこにある、常と変わらぬ波動に――今、自分がいるこの光景こそが現実だということを悟った。
「夢……だったのか……?」
悟った途端に、どっと疲れが全身に浸透していく。
――夢にしては、異様にリアルな光景だった。
剣が自らに斬り込む異物感さえ、手に取るように思い出せる。
ただの夢にしておくには――あまりにも異様すぎる夢であった。
だが――あれが仮に何かの暗示だったとして、一体どういうことなのか?
頭の中で思考が渦巻き――しかし、混乱している今の頭で結論が出るわけもなく。
とりあえず落ち着いてからだという結論に落ち着いた時――
「……あ……起きたのね……」
心底疲れきった、女性の声――見やればそこには、学者風の女性。
ミレイユであった。
ただしその髪はぼさぼさに荒れ、美しいはずのサファイアの瞳には濃い疲労。
眼の下のくまといい、まるで死地から還ってきた兵士のようにやつれている。
それでもまだ美しさが残っている辺りが流石だが――
「……ここは?」
「……カイポの宿よ」
ともすれば欠伸と聞こえそうな声に――クレセントは改めて、辺りを見回す。
そう、確かこの部屋は、昨晩も泊まっていた、カオリとかいう女性の経営する宿のもの。
そしてベットに横たわる自分――あの時、異界召喚をしてから、どれほどの時がたったのだろう?
ふと思い、窓の外に目をやって――思わず彼は、目を見開いてしまっていた。
何故なら、窓の外の光景は――信じられないほどの、豪雨だったからだ。
「『リヴァイアサンの気まぐれ』……ダムシアンでも、ごくたまにしか起こらない豪雨のことよ。
それこそ年に一度あるかないか――第一、この時期に起こるものではないわね、普通は。
でも――貴方の『あの』召喚の影響で……どうも気候がおかしくなったみたいね」
……確かに。
異界から全く別世界の住人を召喚するということは、既存の召喚魔法とは違ってこの世界に多大な影響を及ぼす。
特に今回は途中でボムの邪魔が入ったために、召喚を完成させることが出来なかった。
そのためだろう。
と――そこでようやっと、クレセントはラディのことに思い当たった。
「……ラディはどうした? 確かあの時、ボムに襲われていた私を助けて――」
「助けて――生き延びた。……ほら」
そう言ってみせるミレイユの腰掛けていたベッド――そこに、ラディは横たわっていた。
その顔は眠っているにしても穏やかで――穏やかすぎていた。
「……本当に、生きて……いるのか?」
「かろうじて、ね。……でも――」
ミレイユは布団の裾をめくり上げる。そして――クレセントは思わず、息を呑んだ。
そこにあるはずの、ラディの足――それが、膝から先が無い。
「貴方を助けて――あの召喚魔法のダメージをモロに食らったんですもの。
これだけじゃない――右腕が肩先から先が消滅。
左腕は複雑骨折どころか……骨が粒化してたし、肋骨は7本骨折、うち二本は右の肺に刺さってたわ。
内臓器へのダメージも深刻だったし……。とにかく全身に無事なところなんて一つもなかったわ。
……それでも生きてたのはもう、ラディの気力ね。
でも一晩かけて、足以外の怪我は全部治療しておいたから……あとの治療は任せるわよ」
そう言って、大きなあくびを噛み殺すミレイユの両腕から、おびただしい数の糸がベッドの中へと潜り込んでいる。
それを使った回復魔法で、いつ死んでもおかしくなかったラディの命を、一睡もせず維持させてきていたのだろう。
「……了解した。迷惑をかけたな」
「どういたしまして……と言いたいけど、まあいいわ。
確かにラディの治療は大変だったけど……見合うものもあったし」
「見合う……もの……?」
ミレイユは一つ頷く。――そして。
「ええ。……貴方の正体について、ね」
「……面白いことを言うな」
――クレセントの瞳に、剣呑な光が宿った。
直視するだけで、例え百戦錬磨の戦士とて生まれたての赤子のように震え上がらせる凄まじい覇気をその身に漂わせ、ミレイユを貫く。
しかしそれに真っ向から向き合うのは、恐ろしいほど怜悧な青の瞳。
ミレイユのその剣のように鋭い光に――まったく疲労の色は残ってはいない。
あるのは真実を貫く、鋼のような意思だ。
「もともと、疑念はあった……。魔法の効果を『変える』? 『作り出す』?
……失伝して、今では資料しかないはずの『ブレクガ』といい、あの召喚魔法といい……。
そんなこと、普通ならまず出来ないことだもの。個人の資質以前に、そんな事は『不可能』の領域だわ……。
けど……今回の一件で、ほぼその疑念は確信になった」
ミレイユの表情にも声にも――いつものおちゃらけた感じは一切見受けられない。
まるで常日頃の態度がポーカーフェイスの代わりのように、今の彼女には一切の容赦というものが感じられなかった。
「……その甲冑は外せなかった。……よほど強固な魔道的施錠がかけられているのか……
でも、あの魔法の直撃を受けて、ラディほどではないにしろ貴方も十分なダメージを受けていたはず。
……いくら命に支障がなかったとはいえ、あれだけのダメージを受ければ普通なら一週間は自力では起き上がれないわ……普通なら、ね」
「……それで私への疑念が深まったのは判る。だが……正体とは……何故だ?」
「あら、覚えてないのかしら? ……五年前、私は貴方に会っているもの」
そう言って、ミレイユが示して見せた右手――そこに輝く指輪は、苛烈なまでの紅い輝き。
「異母兄さんともども……貴方にはお世話になったわね」
その台詞で――クレセントはようやく、彼女の正体に気がついた。
「……そうか。お前はダムシアンの……そういう事か。ただの学者ではないとは思っていたが……。
……それで、私の正体を知ってどうする? ……罪を償えと、私を討つか?」
「………………別に。何もする気は無いわ」
豪雨の酷い雨音の中。若干長い、沈黙の後に――ミレイユはそう告げた。
そしてその時には、あの鋭いまでの気迫はどこへやら。
大きなあくびを噛み締めた時にはもうまったりゆるりとした雰囲気を纏い、眠たそうな表情だ。
「何もしない……だと? ……何故だ?」
「だって……今の貴方は五年前の『あの男』じゃなく、『クレセント』なんでしょう?
『あの男』には 確かに恨みも無いわけじゃないけど……私の見たところ、『クレセント』には別段恨むような所はないわ」
いつものおどけた調子に――しかし。
「そんな詭弁で……私の過去を許すというのか?」
「誰だって――知って欲しくない『過去』の一つや二つ、あるわ。
それを穿り返して責めることなんて、誰にも出来ない。
逆に自分の過去を突かれるのは嫌だもの……。
だから私は、貴方の『過去』がどうあろうと、責めはしない。
そんなもの……誰だってもっているから。貴方も……ラディも……」
――そして、私も。
その言葉だけは口の中に留め、ミレイユは眠るラディの髪を軽く撫でる。
「……あの時のラディ。クレセントを助けに行った、あの時のラディ――覚えてるかしら?」
「……ああ」
忘れようとも、そうそう忘れられないだろう。
あの時――凄まじいまでの速度でボムたちを切り裂き、クレセントを抱えて飛んだラディ。
あの時の彼の表情は――尋常なものではなかった。
たとえ剣を喉元に突きつけられ極刑を宣告されたとて、あれほど追い詰められたような、そして鬼気迫るような顔になったであろうか――?
「あの時のラディは、どう贔屓目に見ても、冷静な判断力を欠いていたはず……。
だけどあの時ラディは、私に月のカーテンを放り投げていった。
……そして、それで月のカーテンが2つあったから、私は助かったわ。
一つだったら……ラディほどではなくとも、それなりに酷いダメージを負って……あの状況なら、致命的だったわね」
そう言って、ラディの頬にそっと触れる。
彼を見下ろすその眼差しに込められた複雑な感情は互いに混ざり合っていて、クレセントですらその時の彼女が何を考えていたのかが掴めなかった。
「あの時、ラディが飛び出したことを私は暴走だと思った……。
けど実際、もしあそこで彼が飛び出さなかったなら、月のカーテンでは相殺し切れなかったダメージが深く残って、
私は二人を運んで帰れずに……3人とも死んでいたわ。
自分を犠牲に、私たちを助けた……そうも受け取ることが出来るけど――けど現実には、ラディは『死んでない』」
「……ラディが無意識の内に、『3人』で助かる方法を図った――そう言いたいのか?」
もし彼が、この怪我を受けても、ミレイユがいればかろうじて生き残れるという点までもを計算に入れているとすれば――
確かに自分のケアルガで、以前ラディは白魔法で回復できる限界を、身をもって知ってはいただろう。
だが――たった一回の治癒で、それを計算に、それも無意識の状態で――?
「全ては可能性の上の仮定でしかないけれど……もし、そこまで残酷な計算を、無意識で出来るのなら……」
ミレイユの言葉はそこで小さくなり、雨音にかき消され――以後のそれを、クレセントが聞くことは無かった。
と、ミレイユは糸を引き上げるなり、ベッドから降り立つ。
「……どこへ行く?」
「どこへ……って、寝るに決まってるじゃないのよ。夢のなかへ、夢のなかへ、行ってみたいと思って……ね♪」
相変わらず気楽にいってのけるが――全身の疲れは隠しきれないのか、ふらふらとした足取りで扉へと向かい――
「……一つだけ、言っておくわね」
ノブに手をかけたまま、ミレイユはクレセントに向き直った。
しかしその瞳にあったのは――鋭い輝き。
「貴方が『クレセント』である限り――クレセントとして、ラディと一緒にいる限り――私は過去のことを思い出さない。
でももし、貴方がラディを裏切るようなことをするようならば――」
透徹な視線がクレセントを射抜き――そして口が再び開かれる。
「私は貴方を殺すわ」
首筋に刃を当てられたような――絶対零度の呟きだった。
「……了解した。善処しよう」
室温さえ下がったかと思うほどの沈黙。
雨音が激しくなった中で――クレセントはそれだけを呟く。
「……だが……何故、ラディにこだわる?」
「え? ……そうね……どうやら私のこれからに、ラディは必要になったから……ってトコかしら♪」
「必要……だと?」
「ま、こういう台詞は本人に直接言うことだし……ラディには、まだ黙っといてね☆ じゃ、おやすみ〜♪」
あの氷のような鋭さはそこに無く――いつもの口調に戻った彼女は、気楽に手をぱたぱた振って部屋を出て行った。
あとに残されたのは――びっしりと石畳を叩く酷い雨音と、がらんとした、静寂。
「……裏切り、か……」
保障など出来ない。
自分は今までにどれだけの人を――想いを裏切ってきたのか。
父を裏切り、民を裏切り、そして――唯一の肉親である弟すらも、裏切ってきた。
その過去を知らず――よくああいう言葉が吐けたものだ。
……だが――
「………………」
クレセントはラディの顔を見やる。
眠るその顔は穏やかなものだったが――ラディが自分を助けに来た時、この顔に張り付いていた表情は尋常ではなかった。
あの時ラディは――何を『観て』いたのか?
自分には、推し量りようも無い。
自分の過去を、ラディたちが知らぬように――ラディの過去もまた、自分は知らないのだから。
ミレイユの言ったこと――あれは、間違いではないのかもしれない。
触れられたく無い過去を持つのは――自分だけではないのかもしれない。
私一人が、全ての罪を背負っていたようなあの感覚――それは、誰しもが持っているのかもしれない。
「………………裏切り……か」
もう一度――声にして呟く。
裏切り――裏切るというのは、元々あった信頼関係を引き裂いてしまうことだ。
信頼――それは肉親の間にあり、師父の間にあり、そして――仲間の間にあるもの。
つまり――自分は、ラディ達と信頼関係の上に――仲間だと、考えられているのか?
……私の今までの人生のなかに――仲間、というものは無かった。
肉親はいた。部下もいた。そして――まるで父のように、自分の過去を許し、父の故郷へと迎えてくれた者もいた。
だが――仲間は。仲間だけは――今まで一度も、そんなものを持ったことはなかった。
弟には、たくさんの仲間がいた。
たくさんの仲間達と――互いに、分かり合っていた。私の目には、そう見えた。
だから仲間とは――互いに、互いのことを全て知り合って、初めて成立するものかと思っていた。
そして――自分は、ラディ達には何一つ、明かしてはいない。
自らの顔を隠し、過去を隠し、あまつさえ『三日月』などという名を騙って――だが。
……そんなことは、どうでも良かったことなのかもしれない。
ラディの過去がどうあろうと、私があの時会ったラディの本質が変わらぬように。
ラディに興味を覚えたように。
ラディにとって、あの時会った『クレセント』こそ――ラディにとっての『私』なのだ。
過去は確かに、大切だ。
いつかは向き合い、それなりに決着をつけねばならないものだろう。
だが――過去だけが全てではない。
生きて、明日に向かうものにとって――必要なのは『今』だ。
そして『今』。
仲間であることに、『過去』が関係ないのなら。
ラディが私を助け。
私を仲間だと思っていてくれるのなら。
体を張り命を張り、私を助けてくれたのならば――私は応えねばならない。
この命をもって、ラディの信頼に。ラディの想いに。
――仲間として。
「……ラディ。これからも……よろしく頼む」
雨は、まだ降り続く。
クレセントは静謐に、ラディを癒すための詠唱を開始した。



