Final Fantasy W After Story



第十四話 異界召喚



カイポのボム大量発生から一夜が明けて――日も高く上った頃。
あの大群を思えば、奇跡的なまでに少ない損害に、街の方はすでに通常と変わらぬ態だった。
しかし――観光客は果たして、この町に住んでいる住人の内、今日に限っては男の数がやたらと少なかったことに気付けたのかどうか――?

カイポ郊外――いや、郊外と呼ぶにはそれは少々遠すぎただろうか?
とにかく、カイポより東のダムシアン砂漠の只中に―― 一列になって、歩く集団がいた。
飛空艇ほどの超高空からではよく判らなかっただろうが――もしこの時、
黒チョコボなどで偶然にも彼らの上を滑空するものがいれば、その奇妙さに驚くだろう。
何故ならば、彼らがその手に一杯に抱えていたものは――
「う……うわあああああっ!?」
と――先頭の男の狼狽に、列の動きが止まった。そしてその狼狽と恐怖が列全体に伝わるまで数秒と無い。
砂中から突如現れ、男達の前に立ちふさがったのは――砂漠の悪魔・デザートサハギン。
黄金の大海を、その名の通り我が海のように駆けずり回り、そのとがれた爪の一撃は刃物のように鋭い。
軍などで戦闘訓練を受けたようなものならともかく、一般の市民からすれば十分、脅威となるモンスターである。
「しゃぁぁぁぁーーーっ!!」
驚愕に体を握られ動けない彼に、デザートサハギンは紙のこすれるような咆哮を上げ得意の爪の一撃を浴びせようとする。
男の頭が西瓜のように弾けんとしたまさに瞬間――空気すら断絶しかねないほどの速度で飛来した短剣が、デザートサハギンの喉に鍔元まで突き刺さった。
「うっ……ぐぺぺぺーーっ!!」
その短剣を引き抜こうとして、結局そのデザートサハギンが短剣を引き抜くことは出来なかった。
喉をかきむしるようにして数歩後ずさり――そのまま倒れ伏し、ピクリとも動かなくなる。
「大丈夫ですか!?」
男が周りの者に引っ張られ、立たされる中、声をかけたのは黒い甲冑を着込んだ青年・ラディ。
短剣を投擲したのは他ならぬ彼である。
と――彼は上を見上げた。その空いた手に落下してくる、石化したボム。
彼は今、両手を石化したボムにふさがれていたため――投擲するために、もっていたボムを放り上げていたのだ。
否――それだけではない。
手だけではなく、腰や背中、さらには頭の上にまでボムを乗せてくくりつけてある。
いくら軽石とはいえ、計10を超えるこれだけを一身にもてば重たいだろうに――彼は顔色一つ変えず続ける。
「さあ……もうすこしです。オレやミレイユが全面的にモンスターは引き受けますから、頑張ってくださいね」
そう、この集団――カイポの男達を集めて運ばせていたもの。
彼らが皆その手に抱え、または馬車などに大量に積み込まれていたのは、石化したボムだった。
昨晩カイポを襲撃したモンスターの成れの果て――それをクレセントの指示の元、皆で分担して、
カイポからこの砂漠の只中へと、運送している最中なのである。

「そぉれ、がんばれ、がんばれ♪」
「……その気楽な応援がやる気を萎えさせるのに気付いてくれ、頼むから」
ミレイユの態度に、集団の最後尾を歩いていたラディはこめかみを押さえようとして――出来なかった。
何故なら彼の手は、両方とも塞がってしまっているためだ。
一方ミレイユのほうは両手に何も持たず、あまつさえスキップしそうな雰囲気ではあるが――
彼女曰く、袖の下に大量にボムを持ってきているという。
「なあ、前から聞きたかったんだが……その袖の下って一体――」
「うふふ……ダメよ♪ 最初は手をつなぐところから始めましょうね☆」
「………………」
なんとも言えぬ疲労感が、全身を縛る――が、ふっと顔を上げると、
「しかし……こうやって集団で荷物を担いで歩いていると、バロン軍の訓練を思い出すなぁ」
「バロン軍の……?」
「ああ。野戦用の重装備一式に、スペアの鎧に剣……それから野営施設。
 大体200kgぐらいの装備を担いで、ミスト山の山頂までマラソンで走らされるんだ。
 ……丁度、山に登れば登るほど空気も薄くなってくるから、同僚の中には途中で意識を失ってリタイアするのも結構いたんだ。懐かしいなぁ」
「そ、それは……すごい、で済ませていいのかしら……?」
普通200kgの装備を担ぐ時点で不可能な気がするが――それでもなんとか、ミレイユは作り笑いを浮かべた。
しかしその苦笑の雰囲気に気付かなかったのか、ラディは話題に乗ってきたことが嬉しかったらしく――
「あ、そうそう。……懐かしいといえばあれもそうだな。『飛空艇引き』」
「ひ、飛空艇……?」
「万一作戦行動中に飛空艇が墜落した時に、最寄の国家に修理の要請を受けることが出来るように、
 『赤い翼』の乗員数の8人で飛空艇に綱を張って引っ張っていく訓練さ。
 ……そうそう、確かあの時は、オレのチームだけ一人腹痛で欠場して……辛かったけど、あれもなかなか楽しかったなぁ……」
「は、はは……そ、そう……」
もうここまでくると、ミレイユほどの人物ですら思いっきり引かざるを得ない。
(バロンの暗黒騎士や竜騎士のバカなほどの身体能力の秘訣って……まさか、これなのかしら……?)
極めて現実的には考えにくいその恐ろしい結論を、ミレイユがなんとなく連想した時――
「へぇ……バロンって、そんなビックリ人間ばっかり集結してるん?」
そう言って、ミレイユに代わりラディの相手を務めるのはカイポの宿の女将・カオリだ。
「ビックリ人間って……そういうカオリさんも、十分すごいと思うんですけど」
半眼で呟くラディの視線の先にあるカオリは、丁度ボムを4つ抱えていた。
――が、直径が80cm以上はあるボムを4つも同時に抱えるのは無論ながら物理的に不可能のため、
彼女はお手玉でもするかのようにボムを2つ、上に放り上げてローテーションさせているのである。
ただの宿屋の女将さんにあるまじき――というか、人間的にもちょっとあるまじき所業である。
「ああ。……コレ? いやぁ、ダンナとこっちでずうっと生活してたら、
 こういうのが当たり前な感じになってしもててなぁ。……まあ、思ったよりちょっと肩こるんやけど」
「あらぁ? 肩が凝るのは単に胸が大きいからじゃないの?」
「そこ、セクハラ禁止」
笑いながらぶんと投げたボムが、めしゃっという音を立ててミレイユの頭部に直撃した。
しかし、ミレイユは大してダメージも受けたようにも見えずに頭の上にボムを器用に乗せて歩き出す。
「……けど、一体クレセントはどうやってこのボムを処理するつもりなのかしらね?」
「えと……頭の上のソレに、突っ込みはナシですか……?」
「ラディ君、ダムシアン人はあんましょうもないネタにいちいち突っ込んじゃあかんのやよ?」
「いやオレバロン出身……それはともかく、まあ確かに、ミレイユの言うとおり――疑問かな」
ラディからしてみれば、石化したボムをこのまま放置してしまえばいいだけだと思うのだが――
「……二人ともご苦労だったな。とりあえずボムは、その辺りにでも置いておいてくれ」
その時、ラディの耳朶を打つ声。
熱砂の砂漠にありながら、月の光のように静かな声――クレセントだ。
あらかじめ先行していた彼がここに居るということは――どうやらここが、ボムを始末するための場所らしい。
すでに彼の隣に置かれた大量のボムは、ちょっとした小山を連想させるほどうずたかく積まれている。
「街の皆には、すでに帰ってもらった……。カオリさんも、それを置き次第街に戻ってくれ。
 ……貴女が街に戻り次第、こちらも行動を開始させてもらう」
「はいはい、判りました……っと。 それじゃミレイユ、片付いたらまたウチに寄ってな。
 ……今回の一件の祝勝会、酒も料理もたっぷりと準備しとくから」
「了〜解♪ 呑み潰しちゃうから、覚悟しときなさいね☆」
そして、カオリは駆け足気味にもと来た道を戻っていった。
砂漠に住んでいるためか、砂に足を取られることもなくかなり速いペースで駆け抜け、その姿が見えなくなり――
「じゃ、オレもそろそろ……よいしょっと」
ラディも全身にくくりつけていたボムを外し、すでに山となったボムのそばに並べていく。
その隣では、袖からごろごろと、軽く見積もっても20個以上のボムを取り出すミレイユ。
「……相変わらず、一体どこにそんなものを隠してるんだ……?」
「それは秘密♪ ……それよりもラディ、ちょっと手伝って欲しいんだけど?」
そう言ってミレイユは頭に載せていたボムを落とすと、手首のスナップで腕輪から糸を引き出し、眼前に構えた。
「手伝うって……?」
「ホラ、いくらカオリでも、流石に街に戻るには30分くらいかかるじゃない? 
 ……その間に、このボムの右腕を切り落として欲しいのよ」
そう言って一閃させた両腕が――そしてその手に操られた糸が、
数体のボムの右腕に鮮やかな断面を作り、その手を付け根の辺りから切り落としていった。
それを回収しつつ、ミレイユはさらに続ける。
「『ボムの右腕』って知ってる?」
「ああ。……確か、凄まじい爆発を起こすっていうあれだろ? 工事現場とかで使われるってヤツ……。
 でもあれは確か、ミイラ化したボムの手でないと効果が無いんじゃ……?」
「よく知ってるわね。……でも、最近の学会の傾向として……別にミイラ化している必然性はなかったりするのよ。
 ただ、昨日戦って判ったと思うけど、ボムって別に死んだからって自分の体の炎が勝手に消えてくれるわけじゃない。
 だから殺されたボムの死体は殆ど焼死体になって、その時に右腕を切っても何の役にも立たないの。
 ……けど、かといって生きてる状態の手を切っても燃えてるし、下手にブリザドなんかで鎮火して最悪自爆されることもあるわ。
 ボムの右腕は、寿命で体温が下がって鎮火した、本当にごくわずかのボムからしか取れない――それがミイラ化と結びついたってワケ」
石化したボムの腕を天に透かすようにして――ミレイユは目を細める。
「け・ど♪ ……最近の研究のおかげで、ボムを石化させて、
 それをちょちょいと加工してやれば十分にボムの右腕として使えるってことが判明したのよ♪
 ……そうね、これだけあれば大体10年くらいは研究用資材としてはもってこいかしら?」
「判った。……付け根のところからだな?」
「そ♪ よろしくねぇ☆ あ、あとテュルフングでばっさり切らないでよね? 無くなっちゃうから」
「判ってるよ」
ラディは懐から短剣を取り出し、逆手に構えるとボムの小山を少しづつ崩しながら上っていった――

「ふむ……そろそろ、頃合か」
クレセントは読みかけの小説から、ふっと顔を上げた。
すでに陽は天頂を過ぎ、若干傾きを見せ始めている。鎧についた砂を軽く払い、悠然と立ち上がる。
「――ところでクレセント。一体、このボムをどうするつもりなんだ? このままじゃ、いけないのか?」
と――彼の元へ、ボムの腕を切り終えたらしく、ラディが額の汗を拭いながら問いかけてきた。
「……そうね? 私も、そこについての説明が欲しいわね?」
ミレイユも、相変わらず軽いノリで問いただす――
しかしその眼光はいつものおちゃらけたものとは全く異なり、会話の隅々からまでも一片の真実を逃さないとでも言わんばかりの鋭いものとなっている。
それを一身に受け――全く気にせぬようにクレセントは口を開いた。
「……確かに普通のブレイクならば、これらは永久に石のまま。この場に放置したとて、何の問題も無い。
 だが――私の唱えた魔法『ブレクガ』は、本来ブレイクとは異なり、石化した一切を粉砕するという効果がある。
 しかしあの街で、これだけ大量のボムを粉塵へと帰せば、その塵は長く中天に留まり、一帯の気候の寒冷化を招く可能性が極めて高かった。
 ……そのため、効能を若干変更し、標的をただ石化させるだけに留まらせたのだ」
「へぇ……前から何度か見せてもらったけど、魔法の効果を変更か……クレセントは凄いんだな」
「……ふぅん。そう」
クレセントの回答に、ラディは素直に感心し――ミレイユは、若干の含みを隠した相づちを打った。
「だが……どうやら、私も万能では無いらしい。
 魔法の効果範囲が異様に広かったのもあるが――効果変更の代償に、この石化は短時間しかもたない。
 ……そう、そろそろこのボム達の石化は解除されつつある」
「なっ……!?」
ラディは慌てて、後ろのボムたちを見やる――これだけの数がもし、再び復活したとして――
傷つけた右腕の反動でもしそのうちの一体でも自爆したならば、十中八九この砂漠の地形が思い切り変化するほどの超爆発となるのは自明の理だ。
「――だから、このボムたちを、大威力の魔法でこのまま一気に消滅させる。
 ……カイポの街中から運んでもらったのはこのためだ」
クレセントは懐からあるものを取り出すと、二人にそれぞれ手渡した。
「これは……?」
手の中にあるそれは、小さなひし形のコンパクトにも見えた。
ただし不思議な紋様と鈍い輝きが、それがただのコンパクトなどではないことを激しく主張している。
と――ミレイユはまじまじとそれを見つめ、
「これ……『月のカーテン』ね?」
「ほう……よく知っているな」
クレセントは呟き――よく判っていないラディに相対し、詳しく説明する。
「これは『月のカーテン』と呼ばれる魔具の一つだ。
 この中央の宝玉を押すことで、中に込められた魔力がさながら薄布のカーテンのように体を包み、所持者を守る効果を持つ。
 ……使い捨てのものだが、この月のカーテンは白魔法『リフレク』のように魔法に対して無敵ともいえる耐性を持っていて、
 黒魔法の中でも高威力で知られるフレアですら簡単に弾き返すというだけの性能を持っている」
「中央の……判った。けど……何で、こんなものを?」
するとクレセントは――珍しく、その口元に苦笑を浮かべた。
「……正直、今回の魔法では、お前たちを守ってやるだけの障壁を張れる余裕が無いのでな。
 いいな? 私が詠唱を開始したら、すぐにそれを使うのだ」
「あ、ああ……」
そのまま身を翻し、ボムの山の方へと歩いていくクレセント。
呆けたようにそれを見送るラディとは対照的に、ミレイユは相変わらず笑みを浮かべているものの――その瞳には怜悧なまでの光が宿っていた。
(障壁を張れない……ですって?)
クレセントほどの魔道の使い手ともあろうものにしては――あまりにもおかしい台詞である。
そもそも、彼は一体何の魔法を使ってこのボムの山を消し去るというのか?
ブレイクの影響下におかれた物質は、石にして石にあらず――魔法の類が、一切効果が無いのである。
ミシディア協力の元、石化したモンスターに対しフレアを直撃させてみたのだが――傷一つつかなかった。
詠唱者はあの有名な双子の魔道士・パロム。
威力は折り紙つきである。
――そんな、石化状態のものを、それもこの大量のものを消滅させるとなると、一体――
「……? どうしたんだ、ミレイユ?」
ふと――怪訝そうな表情で、ラディが自分を覗き込んでいることに気付いた。
「え? えと、別に? ……今日、このあとの祝勝会で、一体どんな高級料理が出るのかな――なんて、ね?」
「はぁ……気楽だな、ミレイユは……」
「あはは、はは……」

――これは、一種の賭けかもしれない。
何故ならば――月はこうしている間にも刻一刻と、この星を離れつつある。
その月からの供給サプライを受けずして、この力を行使するのは今まで一度も行ったことが無いからだ。
しかもあの時、仕方なかったとはいえ、私はブレクガを使用した。
本来なら、エアロガ程度でも倒せたはずのこのモンスターたちも――今ではメテオですら役者不足だ。
最早、これ以外にこのモンスターたちを屠る手段は――無い。
(もってくれよ……私の、身体)
細く長く、息を吸って――そして。

突如――空気が、変わった。
それは激烈なほどの変化だった。
そこに、いままでのじりじりと焼くような砂漠の照り返しと熱気は無い。
まるで針を敷き詰めたような緊張をはらんだ冷気のような空気が、ラディたちを包んでいた。

「我はほむらの熱き輝きの理を知る者。我は水面みなもに浮かぶまことの姿を観る者。
 我見る先 風つねにみちを開き、我感じる処 地の流れく流れる」

と――突如、風が吹き出した。
それは数瞬の後、凄まじい烈風となってラディとミレイユを横殴りにする。
月のカーテンを展開しつつ、ラディは猛烈なまでの豪風の中薄目を開けてクレセントを見やった。
この烈風で、殆ど音が聞こえない中――クレセントの詠唱だけが、福音かのように朗々と鼓膜に響き渡る。

「我は全てを知る者。我は全ての理を知る事を許されし者なり。
 我が声届きし一切、く聞け。我が名を。――我、我が名を以って今ここに異界の扉開く」

クレセントの詠唱も――普段とは全く異なるものであった。
ラディにはこの魔法詠唱の独特の言語は判らないが、いつも殆ど詠唱を行なわない彼にしては異様なまでに詠唱が長いことは判る。
――それだけではない。
両の手を使い、その指は複雑に組み合わさり印を結び、その腕は空中に何かを描くように激しく動き回る。
そして――気のせいだろうか? 彼の声が、2重3重にも重なるようにして聞こえるのは?
「これは……そんな!?」
「何だ!? どうしたんだ!?」
愕然としたミレイユの言葉も、ラディには殆ど聞こえない。
それでも怒鳴り返すように聞こうとするラディに、全く気付かないように呆然とミレイユは呟いた。
呟いていた。
「思念イメージに方陣、結印に多重情報構築詠唱たじゅうじょうほうこうちくえいしょう……!? それにこの風まで……韻律を刻んでいる。
 こんな、こんな詠唱があるなんて――有り得ないわ。人間の魔道士で、こんなハイレベルの魔法を――?
 ……違う、これは……そんな、召喚術だとでも言うの!? ミストの技術体系とは……違う!?」

「我が名知りし者は我をうやまい、おそれよ。我は大いなる月の代行者。
 知らざる者、れ者としてく散れ。我は蒼き星をまもりし者。我の名を以って、扉よ開け。我が名は――」

「クレセント……一体、何者だというの――?」

「――我が名はやみべし者――おん


瞬間――クレセントの足元から、凄まじい勢いで噴き出す泡――否。
泡の中で燃え上がる炎、これは幻界と現世を強制的に魔力により開いた時、
その二つの世界の摩擦で発生する『幻炎げんえん』とよばれる現象である。
しかし――それは本来、金色の泡に赤い炎のはず。
しかし今、クレセントの甲冑を彩るようにして吹き出す泡は――銀色に、闇のように黒い炎。
と――クレセントの指が、頭の上でさらに数種の印を結んだ。
そして――彼の上方、10mほどの高度。
そこに突如として『穴』が――まるでこの次元を切り裂くかのように黒々とした穴がぽっかりと開いた。
そこから無色に噴き出すのは――圧倒的なまでの気迫と鬼気じみたまでの存在感。
ラディは自分でも気付かぬ内に、二の腕にびっしりと鳥肌が立っていることにその時やっと気がついた。
見ればクレセントの顔は非常に厳しく、噴き出した汗が顎を垂れて砂漠へと吸い込まれていく。

なんじが名は知恵なり。汝が魂は誇りなり。
 その咆哮は愚昧ぐまいを吹き消す力となり、その豪爪は愚鈍ぐどんを切り裂く剣とならん」

と――『穴』の表層部分が、膨大な魔力の飽和に放電現象を起こしだした。
ミスト山でミレイユの見せたサンダガに匹敵する超メガボルト級の雷撃の尾が地面を切り裂き、ラディ達の月のカーテンを舐めるようにして迸った。
その威力を波紋の一つも起こさずに、完全に無効化する月のカーテン。
――今や、ラディもミレイユも食い入るようにして、上空の穴を見つめていた。
その『穴』から――見るからに強大な、竜の前肢が出ようとしていた。
そしてクレセントの詠唱も――いよいよ終焉へと向かっていた。




……く。
やはり……少々、無理があったか。
しかしここで詠唱を止めるわけにもいかん。
そうなれば暴走した魔力で――この大陸自体が、完全に消し飛んでしまう。

(……今更、私は何を迷う?)

弟を裏切り――父の遺志をも踏みにじったこの私が、今更何を迷うというのだ?
そうだ――私には迷いも、それをすることも許されぬのだ。
たとえ私のこの身が朽ち果てようと――それすらも、今の私にはあまりにも甘美な結末だろう。
それを覚悟で――それほどの覚悟を以って、私はこの星に、再び戻ってきたのではなかったのか?
(そうだ……そのはずだ。それに――)
私がこの程度で――『死ぬことなど、恐らく出来はしないのだから』――

「今ここにりしはなんじなわを犯せしとがをも畏れぬ愚者なれば、今こそその力を示し再び空を統べよ。
 ――異界オルレスの空統べし、六竜の神よ! 咆哮せよ――異界神竜『ヴァリトラ』!」





瞬間――空気の全てが、爆発したかと思うほどの衝撃が、全身を叩いた。
『穴』を突き破らんばかりにして現出した竜――雄雄しいまでの圧倒的な存在感に連想したのは、幻獣の神と呼ばれる伝説の召喚獣――バハムート。
しかし今、ラディ達の前に降臨――そう、現出ではなく、『降臨』した神の竜は。
「バハムートじゃ……ない……?」
悠然とその翼をはばたかせ、空の主とばかりに君臨するその竜の鱗は――みどり
最高級の翠宝石エメラルドを敷き詰めたような鱗を持つ巨躯を持つ竜――
異界にて神竜と呼ばれる『ヴァリトラ』は、常ならばその知性を称えた身を覇気と烈気にて鎧って下界の者どもを見据えていた。
と――
「何……この音は?」
今まで暴風とまで言えるほど荒れ狂っていた風が――突然、ぴたりと止まったのだ。
ヴァリトラの眼前に展開された強力なエネルギーの力場が、遥か下方の風すらも一瞬に消し止めてしまっていた。
バハムートのメガフレアにも匹敵する――いや、ひょっとするとそれ以上の凄まじい破壊力を秘めた力球エネルギー・スフィア
これならば確かに、あのボムの大群すらも、一瞬に灰燼に帰することも――
「……く……ぅっ……!」
いよいよヴァリトラのエネルギーが臨界点に達しようかというその時に――それは、聞こえた。
あまりにも小さかったはずなのに――張り詰めたような空気ゆえだからだろうか?
詠唱後も、その手で印を結んでいたはずのクレセントの、押し漏らしたような呻き声――
そしてその長身にと食らいついていたのは――石化が解けたらしい、数匹のボム――
「――だめよラディ! 今出て行ったら、確実に消し飛ぶわ!」
今にも飛び出していきそうなラディの肩を両手で掴んで、ミレイユは必死に止めた。
「何をするんだ! このままクレセントを放っておけっていうのか!?」
「そうは言ってもここで飛び出したらラディが死ぬだけよ!?
 ――そもそも、召喚魔法はその威力から術者を守る障壁が自動で張られるはずなのに……。
 なんで……まさか、なんであんな高位の精神体の、それも実体のほうを召喚するなんて――」
「説明は後でいい! それより、もしかしてクレセントの今の状態は危険なんだろっ!?」
ラディの問いに――怒鳴り返すように、ミレイユは即答した。
「そりゃ危険よ! このままもしあの竜の一撃を喰らえば、ボムと一緒に――跡形もなく消し飛ぶわっ!」

消し飛ぶ――?
それは――死ぬということか?
目の前で、死ぬ?

その言葉が――ラディの中の、記憶を呼び覚ます。


――また助けられずに死ぬというのか・・・・・・・・・・・・・・・


臨界点へと達しようとする力球エネルギー・スフィア
苦悶の表情を浮かべつつも、何とか召喚の詠唱と、自らを守る障壁を張ろうとするクレセント。
ラディを止めんと、必死に叫ぶミレイユ――
その一切の景色が――現実が――急に遠く離れていくような感覚。
痛いような耳鳴りの音が頭の中で反響し、指先から血の引いていく感覚。
今――ラディの目の前にあるのは、焼けるように暑い熱砂の砂漠ではなく。
まるで見ているものをあざ笑うかのように轟々と空へ炎を上げ、焼け落ちる街。
その皮膚に感じるのは、熱波でも張り詰める緊張でもなく、ぞっとするほどの冷たい罪悪。
唇が乾く。指の皮膚が水気を失ったように、風に痛い。
目の奥が熱いのに、涙が出ない。
瞼を動かすことも忘れるほどに見開いた瞳は、何も映してはいなかった。
麗らかな日差しのような過去と、焼けた鋼を呑んだような過去が交錯する――
そして、聞こえた声は――




――お兄ちゃんは、きっと暗黒騎士になってね。……約束だよ――




砂漠に、咆哮が迸った。
獣がくような、咆哮が。
そしてミレイユの手から、ラディの体が『消失する』。

――まさに迅雷の速度で、彼は駆けていた。
月のカーテンをミレイユに放り投げた時には、視認出来ない勢いで地面へ叩き込まれた足で砂柱が残影の跡に屹立していた。
そしてその咆哮に遅れ、響くはヴァリトラの、世界すら震撼させん凄まじい咆哮。
球状に収束したエネルギーが今、咎を持つもの達を裁く断罪の槌となって叩き込まれる。

地を走る黒き残影の右腕が閃き、抜き放たれた黒影の弧月がボムたちを一瞬で黒の微粒子へと帰していく。
そして膝をつく黒き賢者を脇に抱えるようにして、そのまま飛び退る。

だが――その時、神竜の裁きは黄金の大海へと吸い込まれていた。


凄まじい衝撃。
星が揺れ、世界が漂白されて――


――ラディの意識は、ここで途切れている。




【座談会】