Final Fantasy W After Story



第十二話 砂漠の楽園



観光都市カイポ。
砂漠最大のオアシスに建てられたこの町は自然豊かなだけでなく、
王都ダムシアンに匹敵する商業盛んな街であり、人と物の流れが豊かな街でもある。
ダムシアン王国の門であり、顔といっても良いだろう。
砂漠の楽園――その言葉は、決して誇張ではないのだ。

「うっわ〜……すごい人だ」
見渡す限りにたむろする、人、人、人……。
肌も髪も瞳の色も様々な人々が店に群がり、飲み物片手に喋り歩く。
世界各国から集まった人が、このカイポを観光しに来ているのだ。
「すごい人って……バロンだって大国じゃないの」
「ああ、それはまあそうなんだけど……バロンはどことなく、閑静な所もあったからさ。
 この活気……人の熱気は、バロンにはなかったですね……」
人の声が絶えず飛び交い、うねりの様になったそれにやや気圧され気味のラディ。
「ふむ……五年前にはモンスターの活性化や、バロンの動きのせいで静かな街だったが、
 交通手段が確立された現在、この町は世界各国から人と物が集まってきている……か」
パンフレットに目を落としていたクレセントだったが――ふっと顔をあげると、
「しかし……先刻から、どうも少し変わった言葉が横行しているような気がするのだが」
クレセントの言うとおり、町の喧騒へと耳を傾けてみれば――

『ちょいちょいちょいちょい! お譲ちゃん、商品買う前に手ェつけるんはあかんって!』
『はいっらっしゃいませらっしゃいませ! 今日はそのお子さんが可愛いから、3割引にしたろ!』
『せやなぁ……んじゃまあ、今日のところはお試し版ということで』

「ああ、これは『ダムシアン訛り』だよ」
「ダムシアン……訛り?」
「ダムシアン地方では、言葉に独特の訛りが出るって話で有名なんだ。
 えっと……例えば、『儲かりまっか?』『ぼちぼちでんな』……だったっけ?」
「……ラディ。もし本気でソレ言ってるんなら……ダムシアンにこない方がいいわよ。
 ダムシアン出身者は、結構ダムシアン訛りに独特の誇りを持ってるから、
 エセ訛りを使うと最悪殺されても文句言えない〜なんてザラだから」
苦笑しつつ、とんでもないことを告げるミレイユだったが――ラディはふっと気付く。
「……そういえばミレイユは、言葉にダムシアン訛りが無いみたいだけど……」
確かに彼女の話す言葉は標準語――それも、通信兵もかくやと思われるほどに綺麗な発音である。
「ラディ。もしかして、ダムシアンの出身者は訛りをつけないと喋れないとか思ってない?」
「え! ……違うのか!?」
ラディのその反応に、ミレイユはずるっと肩でこけつつ、頬をポリポリとかくと、
「ダムシアン出身者だって訛りとこれのバイリンガルくらい、そこらの子供にだって出来るわよ」
「ふむ……ならば、ミレイユもまたダムシアン訛りで喋れる……ということか?」
「まあね。世界中旅してるせいで、ここのところ標準語の中にずうっといたから、
 ボタン一回ではい切り替えってワケにはいかないけど……まあそのうち、ポロッと出てくるでしょ♪
 …それよりも、宿だけ先に確保して、それから日没まで自由行動ってことで……さ、早くいくわよ」
「早くって……ミレイユ、アテでもあるのか?」
カイポは観光都市である。
ミストとは違い宿も複数存在しているとはいえ、これだけの大量の人が日帰りで帰るなどということはまず有り得ない。
そのため、宿は3ヶ月先まで満員がザラである。
ラディは正直、宿が取れるとは思っていなかったのだが――
「ま、おねーさんにまっかせなさい♪ 」

「――さ、ここよ☆」
ミレイユが示した宿――
何となくラディはこういう展開上、やたらぼろっちい物を連想していたのだが――
彼女が示したのは、以外にも普通の宿だった。
いや――むしろ、普通の宿より少し格上かもしれない。
やや小さい宿だがしっかりとしたつくりとなっていて、玄関先は砂塵舞う中丁寧に掃き清められ、
この宿のオーナーの接客に対する考えというものがよく判るものとなっている。
……しかし、どう考えてもこの規模ならば、予約で一杯だと思うのだが――
ラディのそんな考えなど知らぬといった態で、ミレイユは扉を開けて入っていった。
「こんにちは〜♪」
扉にかけられていたベルがちりん、と音を立てる。
ロビーへ入った途端ひやりと涼しいのは、壁の中に張り巡らされた地下水の循環による冷却のおかげだ。
そして、ロビー奥のカウンターに座っていた一人の女性――ミレイユと同じくらいの歳だろうか?
ややウェーブのかかった、腰ほどまである茶がかったロングヘアーは艶やかに輝いている。
体のラインの判りにくいゆったりとした服にも拘らずしっかりと膨らんだ胸元。
ミレイユと同じ、半つり式の眼鏡をかけた下の顔は、ミレイユに劣らないほど整っており、
何があっても驚かない淑女の美しさをもって口元に微笑を浮かべていた。
「ん……お客さん? 申し訳ないんやけど、予約で一杯で泊められるところ……が……」
ダムシアン訛りも鮮やかに、聞くものの心を和ませるような丁寧な声で喋っていた女性の眼。
それがミレイユへと向けられたところで――ぴたりと止まった。
そのまましばらく、呆然としたまま彼女を凝視していたが――
「……ちょっと〜? カオリ、私の事忘れたて言うんちゃうやんなぁ?」
「み〜ちゃん!? もしかして、み〜ちゃんか!? うっわ、めっちゃ久しぶりやんか!!」
女性はカウンターに手を着いてがたっ! と跳躍するなり、ミレイユを抱きしめる。
たっぷり十秒はきつく抱きしめるなり、女性は向日葵のようににっこりと笑って、
「前来たんはいつやったっけ……あんまり来ぉへんから、もうみ〜ちゃんも結婚したかと思てたわ」
「結婚? 私は当分結婚の予定はあらへんよ……。それより、旦那さんは元気なん?」
「元気元気、ダンナは丈夫だけが取り柄みたいなモンやしな」
ダムシアン訛りで、積もる話を凄まじい速さで繰り広げる二人。
「……本当にミレイユ、バイリンガルだったんだね……」
「ふむ……何というか、凄まじい気迫だな……話に割り込む隙が、見出せん」
完全に置いていかれた男二人組が、そんな感想を漏らしたころ――
ようやくミレイユは『あっち』の世界から帰ってきて、
「ああ、ごめんごめん。ちょっと懐かしくなっちゃって……彼女はカオリ・アイタニ。
 私の友達で、この宿のオーナーなのよ。で、こっちの二人は今、旅を共にしてる――」
「ラディ・オルティニアです。……初めまして」
「クレセントと呼んでくれ」
「ラディさんと……クレセントさんやね。これからもごひいきに♪」
カオリは陽光のような暖かさを持った笑みを浮かべた。
「ところで……カオリさんって、聞きなれない名前ですけど……」
「ええ。私、元々はトロイアで宿をやっとったんです。
 でも5年前、ギルバート陛下とユナ様がご結婚された時に、
 丁度経営拡大に新店舗を開くことになりまして……。
 本店の方は従姉妹に任せて、こっちに来たっちゅうわけなんです」
――セシルがバロン国王に就任して間もなく、ダムシアン国王となったギルバートはトロイア八神官の一人・ユナと結婚した。
このことによりダムシアンとトロイアの国交は密となり、特にトロイアは本国で男児が生まれないという特殊な土地の性質上、
二つの国家間での移民が非常に多くなった。
カオリもまた、その移民の一人というわけである。
「丁度カオリとは、そのころ知り合ったってワケ♪」
何故か偉そうに、えっへんと胸を張るミレイユ。
「へぇ〜……。見かけによらず、人脈はあるんだなぁ……」
「ええ、み〜ちゃんには本当ひいきにしてもらってます。  ……見知らぬ土地でここまでやってこれたんも、正直み〜ちゃんのおかげですから。
 なんといっても、うちの宿のお得意様がダムシアンの王位継――」
「わ〜わ〜わ〜っ!! な、な、ななな何言ってんのよカオリ!?」
「え? ……別に隠すこと無いやん。だってこの人ら、み〜ちゃんの『お付き』なんやろ?」
「『お付き』……?」
カオリの口から出た聞きなれない単語に、眉根を寄せるラディ。
「ミレイユ、お付きって一体――」
「お、おおお付き!? 違う違う、カオリが言ったのは……そう、「お月」!
 このカイポの空は澄んでて、本当お月様が綺麗に見えるんだから、ねぇカオリ!?」
「……ははぁん。何や、そういうことか……」
目に見えて狼狽しているミレイユに――カオリは何かに気付いたようで、
「ええそうですそうです。ウチの宿の窓から見える月は本当綺麗なんです。
 部屋やったら丁度二部屋開いてますし……ま、話のタネに見ていってください」
「ふむ……月か。なかなか、風流のある話だな」
「そうだね。……ちょっと、気になるかな」
うまく話題の関心先を反らせ、ほっと胸をなでおろしたミレイユは小声で、
「さんきゅ、カオリ。……やっぱ、持つべきものは友やね」
そんなミレイユに対し、カオリは非常に人の悪い笑みを浮かべて、
「……でも『親しき仲にも礼儀あり』っちゅうことわざもあったやんなぁ?」
「うっ……な、何?」
「いや、別に? ……ただ、とりあえず感謝は目に見える形で欲しいなぁ、なんて思ただけや?」
「うく……わ、判ったわよ。ミスリル村の小人のパン300……次行った時に買っておくわよ」
「ありがと♪ やっぱ、持つべきものは友達やんなぁ♪」
「ハァ……頼るべき親友を持って、私もうれしいわ……」
滝涙をざばざばと流しつつ、ミレイユが友のありがたみを痛いほど実感していたその時――
「……それじゃ宿も確保できたことだし、ここから日没まで自由行動……か」
「ふむ……。自由行動か。ラディは確か、カイポは初めてだったか?」
「というか……実のところ、訓練以外でバロンを出たのはこれが初めてなんです。
 とりあえず観光どころを……日没までなら、どのくらいまで巡れるかなっと――」
「はいはいはい♪ 観光はおねーさんにまっかせなさい♪」
「うわわわわっ!?」
いつの間に移動したのか――?
気付いた時には、ミレイユはラディの背後から彼の首をホールドするようにして抱きついていた。
暗黒騎士を目指し修行していたラディはその賜物により、背後にいる人は勿論、たとえ武器を持った数人に囲まれてもその動きの全てを見切ることが出来る。
そんな死角の無い彼が――今の瞬間、まったくミレイユの動きを感知できなかったのだ。
腕でホールドしているのか胸でホールドしているのか、曖昧模糊として判りにくい体勢のまま、ミレイユは自分の胸の下で苦しむ青年に一つウインクを返して、
「ミスト山で約束したじゃない♪ カイポでおごってあげるって☆
 ということで、ミレイユさんのカイポ飲み倒しツアーに、ラディ君をご招待してあげまっしょー♪」
「自由行動なのに勝手に決めないでくれ! っていうか、昼間っから飲むのかっ!?」
「あら、ラディはバロン出身なんでしょ? あの国の人って皆酒豪じゃないのよ。
 それとも何? ラディって実はお酒飲めないとか〜?」
「いや、結構いけるほうだけど……ってそうじゃなくて!
 オレが言ってるのはそんな真っ昼間から酒をあおるなんていう発言を出すっていう、
 そのダメオヤジ根性丸出しな点を問いただしたいんだっ!!」
「……うう……ひ、ひどいわひどいわ……。
 あの夜、野獣のように求めてきたラディを、優しく受け止めてあげたっていうのに……。
 ここで捨てるって言うのね、この鬼畜、うるうる」
「まだミレイユと会って3時間しか経ってないだろうがっ!」
ころころと表情としぐさを変えるミレイユ。
そろそろ付き合いも長いカオリだが、未だにこの彼女の切り替えの早さには舌を巻くばかりである。
「……クレセントさん、やったっけ?
 ……もしかして、あのラディって子とミレイユ、いつも『あんな感じ』なん?」
「……ああ、その通りだ」
「そら、難儀やな……」
じたばたもがくラディとミレイユ――それを見るカオリの表情から、苦笑が隠せなかった。

「さてさて、次の店にれっつご〜♪」
「ま、まだ飲むのか……?」
ふと、どこかで聞いたことのあるような声に――クレセントは首を巡らせる。
しかし、それに該当しそうな人影を見つけることが適わず――再び手元へと目を落とした。
日没までの、自由行動――しかしクレセントには特にするべきことも見当たらず、とりあえず立ち寄った書店で買った小説を片手に当ても無く歩き回っていた。
片手に本を読みながら歩いているというのにも拘らずその足取りは危なげなく、
ただの一人にもぶつかることも無いというのは彼がかなり本を歩き読みなれているからだが――
全身黒の重甲冑が街中で本片手に歩いているという異様さに、先に通行人のほうが避けて通るという点に彼が思い当たることは無かった。
彼が買った本は『最終幻想綺談』。
世界の根幹を成す存在『クリスタル』を巡る、数々の世界と戦士たちの冒険の話を描いたファンタジー小説だ。
ちなみに、世界を混沌に導こうとする『カオス』と光の四戦士との戦いを描いた第一巻、
世界を破滅させんとする『帝国』と戦うことを決めた青年たちを描いた第二巻のように各巻ごとにその世界観は全く異なる。
六巻からはクリスタルの概念を撤廃したのだが、それでもその六巻と七巻はまだ最終幻想綺談としての面白さをもちあわせていた。
問題は第八巻――この内容が著しく不評を呼んだためか、その次の第九巻では久々にクリスタルを再登場させたという奇妙な現象が発生した。
そして――クレセントが読んでいたのは、何を隠そうその第九巻であった。
「『誰かを助けるのに理由がいるかい?』……か。ふむ……なるほどな」
たった今読みきった本をぱんと閉じ、本を読んだあとの余韻に彼は目を閉じた。
彼は昔から、本が好きだった。そこに書かれていること――知識に触れることもそうだが、
開けたところから仄かに香る紙やインクのあの匂い――それもまた、本の醍醐味の一つなのかもしれない。
知識に直接に触れることにより紙などの物理的媒体を必要としない『彼ら』からみれば、本などきっと旧世代の遺物にしか過ぎないのだろうが――
それでもクレセントは、本が好きだった。
それはきっと、自らの半分を構成する、この蒼き星の因子が為したことなのか――
「……ん?」
物思いに耽っていたクレセントがふと気付いた時――彼はすっかり、道を外れてしまっていた。
日の辺りの悪そうな狭い路地。
あたりを見渡しても、ここには自分以外の一人もいない。
いわゆる裏道というやつだろうか? とりあえず、彼は表へ戻ろうと踵を返して――
「おいおい、まさか黙ってたらなんでもいいとでも思っとるんちゃいまんやろなぁしかし?」
やたら胡散臭そうなダムシアン訛りに――クレセントは振り返った。
その声は、彼にかけられたものではない。
一瞬の沈黙の後、クレセントは再び方向転換をすると、その声のしたほうへと向かっていった。
律動的な歩調でその現場へとたどり着くのに――5秒とはかからなかっただろうか?
曲がりくねった裏道――クレセントがここに入り込んだことに気付いた時には丁度見えなかったそこに数人の人影があった。
いや―― 一人と、数人がいたと言った方が良かっただろうか?
一人の少女を取り囲むかのようにして、数人の男性が因縁をつけていたのだ。
因縁をつけられている少女――年の頃13,4といったところだろうか?
白いワンピースで包まれた体は病的なまでに白く、細い。
まるで風でも吹けば折れそうなほどだ。
それと対照的に、黒い髪の毛は腰の辺りまで伸びているが、それのせいで少女の細さがより一層鮮烈になっている。
俯いたその顔は意外にも綺麗に整っているが、今ひとつ焦点のあっていなさそうな無表情で一言も喋らないそれは作り物の人形めいた印象を与える。
一方、因縁をつけている側の男達は――正直、あまり個性的とは思えなかった。
髪を脱色したり、じゃらじゃらとピアスやアクセサリーをつけて彼らなりに個性を演出しているのだろうが、
彼ら自身の素材が良くないのと、個性の演出法があまりにも稚拙で馬鹿馬鹿しいが故に、
クレセントでさえ、少女に一番近い男と、一番遠い男の区別にすら困難を強いられるほどだ。
と、少女に一番近い男は、くちゃくちゃと咥内のガムを噛みつつ彼女のそばにある屋台を指差し、
「だから言っとりまんねんやろがな? ここで商売したきゃ、それなりの使用料をいただきまんねんや!」
「………………」
それで大体の事情を、クレセントは飲み込んだ。
恐らく少女のものであろう、移動用の車輪のついた屋台――
中身は不明だが、恐らく何かの売り物が入っているのだろう。
しかしどうやら、この男の話では彼らに金を払わねばここでの商売は出来ないらしい。
……確かに、カイポの街では路上での出店の際に町役場でその許可を申請し、その許可証がなければ出店は認められないものとなっている。
しかし、少女の首からぶら下がっているケース入りのカードは、紛れなくその許可証だ。
それがあるにも拘らず、特定の個人に金額を払う必要がある法律など――無論存在しない。
「おうおう、困りましたなぁしかし……ワイら、ガキの使いやあらへんのやで!?」
そして、この明らかにおかしいダムシアン訛り――この男達、カイポの者ではない。
無論善良な観光客というわけでもないのは明白だ。
地元の者を装って、こうやってまだこの街に慣れない商人や観光客に因縁をつけて騙す。
こういった観光都市では――別段、珍しい光景ではなかった。
無論見たのは初めてであったが。
「金で払えまへんのやったら……体で払ってもろてもいいちゅうこととなりまんなぁ?」
品性など存在しないかのような下卑た笑いを皆一様に張り付かせ、男達は懐からナイフを取り出す。
ばね仕掛けで柄から歯の出るタイプだが――正直、ラディが持っている戦闘用のものとは違ってあれでは人体に有効な損傷を与えることなど到底出来ないだろう。
実際、彼らのそれは使い込まれているが、刃には人血の曇りなどは全く無く――せいぜい、出来たところで衣服を裂く程度だろう。
体で支払う――彼らが言下に何を求めているのかは、誰の目にも明らかだった。
しかし、クレセントはそんな男達の欲望にも少女の末路にも全く興味など無かった。
彼らが自分の求めるものを見せてくれるなどとは到底思えないからだ。
……だが――少女にとって唯一の幸運は、彼女が何かを売る商人だったことかもしれない。
彼女が一体何を売っているのか――?
それがクレセントの関心を呼んだのだから。
「……ここでは一体、何を売っているのだ?」
「!?」
声をかけられて、男達はようやくクレセントの存在に気付いた。
最初は驚愕と、こんな裏街道に全身黒の重甲冑を着た男という取り合わせにいぶかしんでいたものの、
すぐに彼らは自分達が妨害されたことに気付き、瞬間的に沸騰した。
「だ、だ、誰だテメェは!?」
怒りにえせダムシアン訛りを使うことも忘れ聞いてくるこの愚かな問いに、しかし応えてやることとする。
「私はここの客だ。いや……客になる予定、だな。お前たちには興味は無い。早急に去ってくれ」
男達の言葉が下水だとするなら――クレセントの言葉は澄んだ山奥の清水のように静謐に耳朶を打った。
しかし――愚劣な彼らに、その言葉を吟味することを期待したこと自体が間違っていたようだ。
「立ち去れ、やと……? おっさん、こちとらガキの使いやあらしまへんのや!!」
完全に少女から標的を変えて――男達はナイフの刃を見せ付けるかのようにしてクレセントと相対する。
しかしラディのように戦闘訓練を受けているわけで無い彼らの構えは、まさに稚拙という言葉そのものだった。
思わず顔の筋肉が緩み――憐憫と冷笑、失笑が混ざったそれを口元に形成してしまう。
それがこの愚鈍な者たちの病的な自尊心をいたく損ねたらしい。
男達は顔面を赤黒く変色させて――
「調子にのんな、このおっさんがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫と共に突き出されたナイフを――クレセントは避けようともしなかった。
ぱん、と乾いた音が響き――クレセントの大きな掌が、ナイフを掴んだ男の手を危なげなく掴んでいたからだ。
「……え?」
全身を甲冑で鎧ったその外見からは想像も付かないような早業に――男が驚く間すらなく。
クレセントはそのまま、手に力を込めた。そして甲高い音が響き、
一緒に握っていた男の手ごと・・・・・・・・・・・・・ナイフは砕け散った。
「……う、がぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
手の骨が砕けたなどという生易しいものではない。
文字通り手は完全に『潰れ』、怪物に喰われたように手首から先がなくなったそこから蛇口が壊れたかのように噴き出す鮮血。
一方クレセントは、握った手をゆっくりと開き――そこから、男の中指と小指がぽとりと落ちた。
そしてその手を、そのまま男の顔面へと閃かせ――その手の内に、がっちりと顔が入り込んだ。
「言っただろう。お前たちに興味は無いと――立ち去れと。あれは勧告ではない――『命令』だ」
――もし、彼らがラディほどでなくても、少しでも武術なり戦いをかじっていれば。
こうなる前に自分とクレセントとの圧倒的な差を感じ、当の昔に逃げられただろう。
しかし悲しいかな――彼らがあまりに弱すぎたために、その差に気付けず、こういうこととなった。
しかし今、仲間が手を片方失った今となって――ようやっと、彼らはその差に気付くことが出来た。
彼らはこの黒い甲冑の男に、一体何を見たのか――猛獣に迫られてもこうはならないであろう恐怖に完全に表情が壊れ、硬直し、かたかたと震えていた。
彼は仲間の手を握りつぶす行為に、一ミリの感慨も逡巡も出すことは無かった。
彼が自分達を軽くあしらったのは、挑発でもなんでもなかった。
彼にとってみれば、自分達を挽肉に変える事など造作も無いことなのだから。
そして、男が握っている顔もまた、潰すことなど造作も無い――
「ひ……ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
クレセントの手が緩んだ一瞬――男は彼の手を振り払った。
無論、わざと力を緩めてやったことには気づいてはいない。
そして全身足になったかのような態で逃げ出し――他の男達もまた、それにならった。
脱兎の如くとはまさにこのことか。あっという間に、彼らの姿は消え去ってしまう――
「ふむ……恐怖が何たるかを知らずに生きるとは、愚かさ極まるな……」
心底あきれた様子で、クレセントは手を一閃させた。
無詠唱で発動したファイアがクレセントの手を包み――血と肉片が一瞬で蒸発する。
元通り綺麗な黒を取り戻したのを確認して、改めてクレセントは少女と相対した。
少女は、相変わらず虚ろと見えるような表情のまま――しかしクレセントを無言で見上げている。
その瞳は、自分を助けたことに対する疑問があったようにも見えて――
クレセントはこのあまりに身長差のある少女のために片膝を折り、目線を同じ高さまで下げて言った。
「誰かを助けることに……理由など、必要あるまい?」
つい先刻まで読んでいた小説の一説を口ずさんだクレセント――クレセントの兜は口元以外の全てを隠しており、
それ以外は視界確保のために唯一露出している瞳も、よほど真正面から見なければ見ることは出来ない。
さらにクレセントが長身のため、それを見ることが出来るのはほぼ誰もいないといっても過言ではあるまい。
しかし今――同じ目線の高さの少女は、彼の兜の奥にある瞳をじっと見つめていた。
先刻の男達が、恐怖の象徴としてみていた彼は――少女の瞳には、どう写ったのだろうか?
それは相変わらず、曖昧な表情だったが――
その表情から、硬いものが消えたような気がしたのは、クレセントの気のせいだろうか。
「………………」
ぽそぽそとした、風でも吹けば聞こえなさそうな声だったが――
少女の口が、言葉を紡いだ。
意外と可愛らしい声。
「ありがとう……? ふむ、気にせずとも良い。
 ……それよりも少女。その胸のものは、許可証なのだろう?
 何故正規の許可証を入手しているのにも拘らず、こんなところで店を開いているのだ?」
「………………」
ともすれば消えそうになる少女の声を、一言も漏らさずただ聞くクレセント。
「……何? 今日申請をもらったばかりで、売り方とかが判らない……そうか。
 商人とはいえ、やはり初心者というものは存在するものなのか……
 む? 良かったら、売り方を教えて欲しい……?
 ふむ……私も客商売は詳しいことは判らんが、とりあえずこういうところで商売はしない方がいいと思うぞ」
「………………」
「……今後は気をつける? そうだな、そうすべきだろう。
 あとこれは一客としての客観的視点からの意見だが、何を売りたいのかということも明確にすべきだろうな。
 そこの屋台も、せめてのぼりを上げるなり、紙で商品とその価格を明白にすべきだろうな」
こくりと頷く少女。
素直なことは、美徳に値するものだ。
クレセントはとりあえず、その飾りもそっけもないただの素の屋台へと歩み寄り――彼女の『商品』を手に取った。
「『銘菓・砂漠の光(生菓子)』……?」
きれいに包装されたその箱には、アントリオンの分泌物から生成されることで有名な、
ダムシアンの重要交易品である宝石『砂漠の光』を模したイラストに、そんな文字がプリントしてあった。
「……む? もしよかったら、お一つどうぞ……? そうか、済まないな。ならば一ついただこうか」
裏のシールを剥がし、丁寧に包装紙をはがし箱をあける。
中には冷たそうな透明の生菓子が16個。
箱の蓋の裏に貼り付けてあった爪楊枝を使い、そのうちの一つにぷすりと刺す。
「……ん、貴方のお名前は……? ふむ、そうだな、ならば私のことはクレセントとでも呼んでくれ――」
そう言いながら、彼はその『砂漠の光』を口にして――瞬間。
彼の全身に、『衝撃』が走った。
(な……何だ、これは!?)
舌に転がる、ひんやりとした感触。
簡単に崩れるというのに、それでいて確かな存在感を与える食感。
なるほど、生菓子というだけあってそれに見合った十分な導入部だ。
しかし――その先、外側を包むその透明部分が崩れ、中にあるそれへと舌が到達した瞬間。
――彼は今までに感じたことの無いほどの衝撃に全身を見舞われた。
もっとも、不味いのではない。美味い、いや――『美味すぎる』のだ。
これほどの衝撃を受けたのは、そう――かの老賢者に魔法の奥義たる『メテオ』を喰らった時以来だ。
しかしあれが純粋に衝撃と苦痛であったのとは違い、これがもたらす衝撃は至福と感動。
この天にも昇らんとする精神の高ぶりは何だ?
飽くことなき知識を全て収めた時ですら、これほどの高揚感は得られなかった。
言葉とは、人が己の内なる情を吐露するために作り出され、今日まで発達してきた。
しかしそれでも――この感情、この激動の震えをいかに表せばよいのだろうか?
言葉は、あまりにも――この時、無力だった。
この味を表現できる言葉は、今現在の語学ではたった一つ――
『最強』の味。
もはや『美味い』では、この感情の渦を抑えることなど出来はしなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
思わず肩で息をし、全身にかいた汗が顎を伝ってぽたりと落ちた。
その様子に若干、慌てたような少女。
「……む……大丈夫ですか? うむ……問題は無い。それよりもこの菓子……。
 聞くが一体、残りの在庫はいくらあるのだ? ……ふむ……残り100箱か」
クレセントは顔を上げ、少女をきっと見据えると、
「ならば50箱、買わせてもらおうか」

中天にあった陽が、地平線のかなたで最後の光を投げかけたその時――
疲れきった体を引きずるようにして、ラディはなんとか帰還することに成功していた。
「た……ただい……ま〜……」
「お帰り。……なかなか、大変だったようだな。
椅子にもたれるようにして本を読むクレセントを視界の端に――ラディはベッドにどっかと座り込んだ。
「……ミレイユはどうした?」
「ミレイユなら……向かいの部屋に運んでおいたけど……はぁぁ……」
心の底から疲れているというラディ。
ダイブイーグルと戦ったあの時ですら、これほどまでに疲れたかどうか。
「……どうした? まさか、本当にバロン出身なのに、酒が飲めなかったのか?」
「違うよ。……そうじゃなくて……飲みすぎなんだよ、ミレイユが……」
軍事国家バロン。
強大な軍事力をもつかの国は、そもそもその力で持って抑えなければいつまでも争いの絶えることの無かったという過去があった国だからでもある。
しかし実際のところ、争いを緩和するというためにもう一つ発達した文化が、バロンにはある――
宴席。
――たとえ立場は敵味方でも、杯を交わして酒を飲めば、十年来の親友も同然というこの特殊な場。
それをバロンは積極的に行なってきたため、バロンの酒造法は他の国の追随を許さぬものとなっている。
また、酒が飲めることが一種のステータスアピールとなっているため、バロン生まれの者は老若男女、その一切がとてつもない酒豪ぞろいなのである。
「酒は飲んでも、呑まれるくらいなら呑み返せ」という言葉はバロンでは一般常識レベルだし、
実際、聖騎士王であるセシル・ハーヴィ・フォン・バロンも、その妻であるローザも、ひとたび宴席となれば樽単位で酒を浴びるように飲むのはバロンでは常識だ。
ラディの父・暗黒騎士レオンも無論のこと酒豪だったし、ラディもまた他人から見れば常識外れに酒には強い。
「最初はまあ、オレも女性と酒を飲むのが初めてだったしその緊張もあったんだが……32件だぞ? 
 オレとミレイユがハシゴした酒場は……。しかもあれでも軽く酔ってるって程度だし。
 あの飲みっぷりは……バロンに行ったとしても、十分酒豪に名を連ねられるだろうな……」
もっともそれについていけるラディもまた、尋常ではなかったりするのだが。
「……それは難儀だったな。私はせいぜい、酒などたしなむ程度だからな……その辺りはよく判らんが」
「ああ、知らない方がいい……。まさか樽単位で飲むからって、樽から直接飲むなんて……うう……」
思い出したのか、頭を抱えて俯くラディ。これはしばらくの間、夢見にうなされそうである。
「まあ……とりあえず、これでも食べてみるといい。口が冷えるぞ」
そう言ってクレセントが放り投げた箱――中に入っていたのは、涼しそうな透明の生菓子。
「あ……これって、『砂漠の光』?」
「ふむ……知っていたのか?」
「知ってたもなにも、町中の噂になってたけど……
 確か、今日商売の許可をもらった女の子が売りだした生菓子らしいんだけど、
 あまりの美味しさにたったの30分で50箱が完売したんだってさ」
「ふむ……そうだな。少し多めに買ったが……飽きが来なくて、なかなかに美味かったぞ」
ラディはそこで砂漠の光を口に放り込む。……程無くしてその顔に喜色が浮かび、
「……なるほど、確かに美味しいや。……こんなことなら、オレも一箱買ってみればよかったかな?」
「そうだな。……今度は私も、もう少し多く買わせてもらうこととしようか」
クレセントは不思議なくらい満足げに頷くと、そのまま最後の一個・・・・・を口に放り込んだ。
「む……やはり、美味い」

草木も眠る丑三つ時。
この時ばかりは、一部の歓楽街を除いて、流石に観光都市も静かなものだ。
昼間みせた顔とは違い、町全体がさながら死んだように眠っている――はずの、時間帯。
しかし、現実は――
「――起きろ、ラディ」
その声は、決してどやすような大声ではなかった。
しかし鋭く静かにラディの鼓膜を叩いていた。
「どうしたんだ、クレセント?」
最前まで眠っていたにも拘らず――まるで起きていたかのようにぱっと跳ね起きたラディ。
バロンでの訓練の賜物で、寝ぼけるなどということは彼には無い。
即座に覚醒した彼の頭が認識したのは、やや表情を厳しくしたクレセントの顔。
「どうやら、砂漠で懸念した最悪の可能性が当ったらしい……」
「最悪の……って、まさか、モンスターの群れが!?」
クレセントは静かに一つ、頷いた。
「ああ。……それも、もっとも増殖して困るものが、な……。窓の外を見てみるがいい」
窓を開け、ラディは身を乗り出すようにして外を見た。
些細な変化も見逃さぬよう、鋭く辺り一面へと視線を走らせる――だが、その必要性は殆どなかったかもしれない。
何故なら変化は、劇的なものだったのだから。

「な……!?」

今の時間は、草木も眠る丑三つ時――陽は沈み、空を支配するのは月と星の仄かな光。
にも拘らず――まるで昼間のように街は明るく、そして熱い。

だがそれは、無論昼夜が逆転したわけではなかった。
そう錯覚させるほどに集まり、空に浮かんでいたのは――


「もっとも増殖して厄介な物……ボムの、集団だ」


生ける炎の塊達の演舞は、さながら世界の終焉を物語っているかのようだった――




【座談会】