人生には、様々な出会いがある。

ほとんどどーでもいいような出会いから、友人との出会い、強敵との出会い、尊敬する人との出会い。
憎むべき悪との出会い、倒すべき敵との出会い、親との出会い、子との出会い。

中には人生そのものを変えてしまう出会いだってある。

彼――アルの場合のそれは、とんでもなく唐突にやってきた。
そこから、彼の物語は始まるわけだ。


…………だが、こうは思わないだろうか?

何の前触れもなく始まった物語なら、その終わりもまた、ひどく呆気無いのではないか、と――




アルキュンのドキドキ! ショタっ子days


第二話 『件の魔女は常連客』





夢を見ていたんだろう。
ひどくリアルだったが、しかし現実ではあり得ない。
今、冷静になって考えてみれば、あんな事が起こる筈がないのだ。
夢を見ている最中は、それが夢だなんて思いもしない。
そう。そういうことだ。
夢は記憶の片隅へ追いやられるのみ。目が覚めれば跡形も無い。
あるのは、退屈かつ過酷な、現実だけだ。


……そう、夢に決まっている。
あんな展開は、マンガの中だけの話だ。
目が覚めたら何もかも元通りの筈。
だってあれは夢だ。きっと夢に違いない……多分。
いやっ弱気になってはダメだ。
確かめてみればすぐ判る。
いつものように布団から這い出て、洗面所に行って、顔をしっかりと洗って、鏡を――――。


…………。
鏡の中には、とてもとても可愛らしい自分の姿・・・・――――




「ダメか……夢オチじゃ、ダメなのかあああぁぁぁっっ…………」




喫茶店にも色々ある。
アルはとくに詳しく知っているわけではなかったが、それくらいは判っていた。
彼の経験から言ってその店は、知名度は低いものの判る人にはその良さが判る、といったタイプのものだった。
そういう所には、かなり好感を持っている。
マスターと話をしながら、将来はこんな店を構えるのもいいかもな、と思っていたこともあった。

――――そして、彼は図らずも実際にそこで働けることになったのだ。

「ちっとも嬉しくない……」
「あ? 何か言ったか」
「別に……」
できれば普通の青年のままだったらな、という彼の思いは露知らず、マスターは煙草を吹かしていた。
最初は客商売の癖にと思ったが、彼に言わせれば煙草無しでは珈琲を淹れられないらしい。
カウンター席での煙草は、マスターの最もよく見かける姿だった。
と言っても、マスターの自主的な行動は煙草を吸うか珈琲を淹れるか、その二つしか見たことがない。
余計な動きをしないその様は、どこか世捨て人のような雰囲気をかもし出していた。

「そう言えば、これからオレはマスターを何て呼べばいいんだ?」
「ま、好きにしてくれ。俺はマスターでお前は従業員なんだから、『マスター』でいいんじゃないか?」
「……じゃあマスター」
「おう。何だ?」
「……他にまともな制服は無いのか?」
俗世間離れ。
隠居人。
そういう評価は全部、客の立場に立ったものに過ぎないことを、アルは思い知らされていた。
人には、様々な面がある。それは当たり前のことなのだが、実際にそういう意外な面を見ると、やはり戸惑いを感じてしまうのだった。
「前にもいっただろ、それが制服だ。似合ってるぞ?」
「何でだあああぁぁぁっっ!!」
ああ、誰が予想できたろうか。
行きつけの喫茶店のマスターが、こんなにも意地の悪い性格だったとは。
自分の見ている世界が思っている以上に狭いことを、彼は痛感していた。

「あー、その叫び方はよくねえなあ。もっとこう、上目遣いで小首かしげながらだな……」
「阿呆かっ! だいたいなあ、何でこんな服持ってるんだよっ!」
「……いや、どうせなら目をやや潤ませつつ恥ずかしげに……」

つーか無視か。オレの言葉は無視ですか。
アルは今、所謂メイド服と分類されるものに身を包んでいた。
黒く長めのスカートに、白いニーソックス。
黒と白、二種類の単調な配色は彼の顔立ちにしっかりと馴染み、胸元のピンクの結び目が可愛らしさを引き立てている。
“呪い”によってもたらされた低身長と犬耳の愛らしさは、これ以上無い程に引き出されていた。
マスター曰く、この格好は見る人が見れば、思わず「萌え!これぞ萌えだ!」と口にしてしまう代物らしい。


――――当人にとってどうなのかは、言わずもがなであるが。


「まあ、どうしてもって言うなら……無理に着ろとは言わねえよ」
「は?」

突然マスターがそんな事を言い出したので、アルは面食らった。
何か言い返そうとしたが、柄にもなく神妙な面持ちなので思いとどまる。

「……俺の友人に、一人大馬鹿がいてな。それは、そいつがくれたもんなんだ」
「え? その人は……」
「丁度いい機会だし、お前が着てくれるならと思ったんだけどな……」
「…………」

口調は、どこか寂しげだった。
その人がどうなったかは、容易に想像がついた。

「……わ、わかったよ。オレがこれを着て、その人が喜ぶなら――」
「そうかそうか、そりゃよかった! そう言ってくれると俺は信じてたぜ。
 ところで、珈琲飲むか?」
変わり身の早いこと。
アルは何だか言いくるめられた気がしないでもなかったが、黙ってその勧めに従うことにした。
慣れた手つきで珈琲を淹れるマスターを横目に、彼は改めて自分の体を観察してみる。

考えれば考えるほど、不可思議だった。
アルの容姿は端的に言えば“小さな子供”だが、彼が実際に幼かったときよりもかなり背が低い。
『呪い』で『小さく』なったとはいえ、年齢が逆行したのではないらしい。
体重も減っているのか体がやけに軽いが、決して動きやすくはなかった。
むしろ、勝手が違う。長い間、動かし方を忘れていたかのようだった。
家を出てからこの喫茶店に来るまで、彼は二度ほど何も無いところでつまづいてしまった。
マスターが聞いたら、何を言われるかわからない。

「ほら」
「ん、どうも」

マスターが淹れてくれた、“いつもの”珈琲を飲みながら、彼はまた考える。
自分の顔の両側に垂れ下がっている耳。今朝、鏡で見たそれは、どう見ても犬のものにしか思えなかった。
全体的に薄い茶色で、端の方はやや色が濃い、これは果たして何という種類の犬だったか……。
……なぜそんなものが生えているのかという根本的な疑問は、考えても仕方が無い気がした。

「マスター……『心当たり』ってのは、本当なのか?」
「本当だ。だいたいな、それが無かったらお前の話なんか信用できるかよ」
「ああ……そう言えば、何でオレの話をすぐに信じられたんだ?」
「…………あー、何だ、過去に前例があるっつうか、原因が何か知ってるっつうか……」

歯切れが悪い。これはマスターには珍しいことだった。
詳しく聞きだすのもなんとなく憚られて、アルは代わりに珈琲を啜った。
いつもながら味は絶品だ。

「……なあ、もう一つだけ聞きたいんだが」
「何だ?」

ここの珈琲は、彼が今まで訪れた喫茶店の中でも上位に入る。マスターの腕前はかなりのものだろう。
現状は色々とはっきりしないアルだったが、それだけは自信を持って言えた。
味は良い。店自体の雰囲気も悪くない。常連客も少なくないだろう。だが……。

「ここ、経営はちゃんと成り立ってるんだろうな?」

この質問に、マスターは落ち着き払って――たった一人の客には、顔が少し引きつったように見えた――答える。

「客はちゃんと来るぞ」
「でも、元は取れてるのか?」
「……あのな、俺を舐めるなよ? もしその気になりゃ……」
「なったら?」
「……パンの耳だけでも一ヶ月はもつ」
「おい」
かなり厳しい経営状態を垣間見てしまった。

「し、心配するな! 給料はちゃんと払う! だから――」

何故かあからさまに慌てるマスター。辞めていった従業員でもいるのか?

「心配にもなるって……オレ、ここにオレ以外の客がいるの、見たことないぞ」
「……そりゃお前、運が悪かったんだな。これでも客は結構来るんだ」

とその時、入り口のドアが開く音がした。
マスターの言った通り、誰かが来たのだ。
ドアの方に背を向けていたアルは、やっと現れたお客さんの顔を拝んでやろうと振り返った。

「ホントに客が来…………」
「そらみろ、来たじゃ…………あ」


そこにいた人物は、アルにとって忘れられよう筈もない――――。




「……あれ? アルちゃん?」




「……………………」
彼の思考回路は、しばらく停止した。








「知ってたんなら言ってほしかった……」
「まあ、確証は無かったしな。それに……」
「それに?」
「黙っておいたら――面白そうだったしな!」
「やっぱりか! 理由はむしろそっちかっ!」
「……んー、やっぱりここの珈琲はおいしいわ」
「そりゃ、毎度どうも」

数分後。
彼に『呪い』をかけた張本人は、なんとこの店の常連客でした。
そんな突拍子も無い展開に、アルは――疑問を感じている余裕は無かった。

「ホント、昨日はゴメンね……その、悪気は無かったんだけど……」
「だ、大丈夫ですよ。あの、そんなに気になさらないで……」
「あ、心配しなくても、スクーターはちゃんと帰しておいたから」
「はい、それは知ってます」

既に確認済みだ。
彼は昨日の内にバイト先の友人に連絡をとり、事情があってバイトに行けなくなった旨を伝えておいた。
無論トラブルの内容は適当に誤魔化した。

――だが、奴に「先輩、何か声が高いっすよ?」と言われたのはかなりのショックだ。

「みさきさんが悪い人じゃないのは、わかります。……勘ですけど」
「…………アルちゃんって…………」
「へ?」
「……可愛いー♪ なでなでー」
「ってちょっちょっちょっとうわあああ!」

アルは、完全に相手のペースに飲まれていた。
みさきが嬉々としてちょっかいをだしてくるので、彼は対応に悪戦苦闘している。
子供の頭を撫でてあげるのは別に変わったことではないが、アルの精神は子供では無い。
体は子供でも、心は青年なのだ。
彼女とてそれくらいは判っているだろうに、何が“可愛い”ものか。

「んー、何ていうの? 仕草、見た目、それに……全部かな♪」
「そうだ、お前の存在自体がショタそのものだ」
「んなワケあるか! 茶化さないでくれっ! ぁぁぅぅ……」

良い様に弄られている、まさに絵に描いたような光景だった。


「……で、だ。本題に入るぞ」

マスターの表情が、それまでとは打って変わって引き締まる。
その顔だけを見れば「渋い」と言えなくもない。
アルのマスターに対する評価は、今ではそれとかなりかけ離れていたのだが。
人は見た目で判断してはいけない。色んな意味で、彼はそう思った。


「まず――昨日の出来事は、“事故”だったんだろうな?」
「そーよ。あたしがたまたまいたとこに、たまたまアルちゃんが来て、それでたまたま――」
「――あの、ちょっと」
「はいアルちゃん、発言を許可する。どーぞ」

みさきが軽い調子で言う。
気の利いたツッコミの一つでも返せればよかったのだが、あいにく彼はこの場にそれほど慣れてはいなかった。

「……えっと、どうして“たまたま”で背が縮んだのか、まるで判らないんですけど」

とても真っ当な意見だった。
体が縮んだ理由が“たまたま”では釈然としない。
毒薬を飲まされたとか、怪物やら何やらに出くわして成り行き上仕方なく、ならまだいくらか諦めはつく。

だがアルは、好奇心から変な場所に入ってみただけである。
実感が湧かないのだ。

何でもいいから、辻褄の合う説明が欲しかった。


「……あたしには、特別な『能力』があるの。人を、“可愛く”変身させられる力が」
そこまで言ってから、みさきはアルの顔色をうかがって、
「……信じてくれる?」
「普通なら、とても無理ですけど……」
自分自身が実例である以上、信じるしかない。
「そ。ありがと」
みさきは短く言った。
たとえ信じざるを得ない状況でも、ただ信じてくれるだけなのは嬉しかった。

「それで、僕は元に戻れるんですか?」
「んー、そうね……。ちょっと耳、いい?」
「はい? ってひゃああぁぁっ!?」

アルが返事をするより早く、みさきの手は彼の犬耳に伸びていた。
耳を女性に、しかも赤の他人に引っ張られて彼の顔は瞬間沸騰する。

「……やっぱりしっかり生えてるわね……」

アルがいくら赤面しようとも、お構いなし。
彼女がここまで大胆なのは、言うまでも無くアルから発せられるある種のオーラが原因だった。
彼は頑なに否定するだろうが。
「ち、ちょっと何を――――」
何か言いかけたアルを、みさきは遮った。


「いい? よく聞いて。あたしの能力じゃ、変化はしても変身はしないの」


「……? どういう意味ですか?」
「“可愛く”なるっていっても、あたしができるのはせいぜい上背を無くしたり、体力を子供並みにしたりするだけ。
 それに普通だったら、二、三分したら効果はきれちゃうの。
 こんな耳が生えてきた人も、一日経っても元に戻らなかった人も、今までいなかったのよ」
「……え?」
「そ。つまり――――」



「アルちゃんが元に戻る方法は……あたしにもさっぱりなのよね」



アルの顔が、あっという間に蒼白になる。
彼が唯一の解決策と思っていたものは、あっさり否定されてしまったのだ。
放っておいたら、世界の終わりの大洪水の如き涙が彼の瞳から溢れ出しそうだった。

「し、心配しないで! 今まで元に戻らなかった人はいないし……あたしが、絶対何とかするから!」

慌てて付け加えるみさきだが、如何せん説得力に欠ける。
何とかして、今にも泣き出しそうなアルを宥める台詞を考えようとした。
そして――――。


「……優しいんですね、みさきさんは」

アルが突然、微笑みながら言った。

「へっ!? ……え?」

みさきは呆然とする。
逆に気を使われるとは、思っても見なかった。

思いもかけない言葉に、今度は彼女のほうが固まる番だった。




「……おーい、俺を忘れてないか」
「うわっ!!」

驚きのあまり、アルは文字通り飛び上がった。
そしてそのままマスターの視界から消える。

「……大丈夫かアルキュン」
「マスター、驚かすなよ……」

椅子によじ登るのが精一杯で、アルキュンと呼ばれたことには気づいていない。

(どうやら、簡単には戻れないらしいな……。つまりそれだけここに長いこといるってことだ)

ひょっとすると、彼はこの店の救世主たるのかもしれない。
マスターは同情半分、期待半分であった。




「…………」
一方でアルの顔は沈んでいる。
今まで使っていた体を失って、彼は漠然とした不安に包まれていた。
手も足も自由に使えるし、体力は子供並みだが暮らしに不自由はしないだろう。
それでも、朝起きたら自分の家の様子ががらりと変わっていた時のような違和感と不安が渦巻いていた。

もし一生、子供の姿のままだったら……。
もし、戻れなかったら……。

だが、今は考えないことにした。
生活がすっかり変わったといっても、基本は何も変わらない。
自分にできることを自分自身の力でやる、バイトに明け暮れる日々と同じだ。
いや……たとえ、昨日までの自分に戻れなかったとしても――――


「そうだな、その時は……この店に骨を埋めてくれ」
「嫌です」
「……お前、少しは考えてくれよ」
「ちょっとー。あたしが何とかするって言ってるじゃないっ」
「す、すみませって止めて耳ははうぁぅ……」


昨日までの生活よりは、騒がしい毎日かもしれない。
いろんな意味で。



終わりは、呆気ないかもしれない。
何か、ほんの些細なこと一つで、この物語は儚く終わってしまうかもしれない。
問題は、終わるか終わらないかじゃない。
人生を変えるほどの出会いだって、変わろうという意思が無ければ意味は無い。

これから、何が起こるのか。
そして、彼らはどう変わっていくのか。

この物語を紡いだ先に、何が待っているのか。


それを語るのが――僕の役目だ。




――――もっとも。
結論を言えば、彼の物語はこれから当分続くことになるんだけどねハッハッハッハッハ――――


「マスター! 笑うなあっ!!」
「……いや、すまん。もう限界……」
「アルちゃんって、敏感ね〜。えいっ」
「だから耳はひゃうっ! はうぁぅぅ……ぅぅ……」



次回予告!



ついにアルキュンの新しい生活が始まった。
アルの予想とは裏腹に、彼の服装に対する客たちの受けは上々。
喜ぶマスターだが、当の本人は複雑な心境だった。
そんなとき店を訪れた、マスターの友人だという人物。
その人は、アルが『呪い』をかけられたことを知っていた?!



次回! 『アルキュンのドキドキ!ショタっ子days』

第三話! 『マスターと愉快な友人たち』



今日もあなたにアル(・∀・)キュンキュン!