むかーしむかし、と言うほど古くもなくかといって新しくもない、あるところに。
一人のアルが住んでおりました。
彼は社会的にはいわゆるフリーターで、定職無し安定収入無し、もっぱらアルバイトに精を出す毎日、
大して変わり映えのしない日々の連続にややうんざり、といったごくごく普通の青年でした。
……そうです。過去形です。
青年“でした”。
まさかその退屈な日常が、一瞬、本当に一瞬にして終幕を迎えるなんて、彼は夢にも思っていませんでした。
アルキュンのドキドキ! ショタっ子days

第一話 『犬耳メイド・アルキュン誕生!』

……今回のバイトも、長続きしなさそうだ。
内容がハードだとか業績が芳しくないとか、そういう理由じゃない。
ピザの配達という現在の仕事に限って言えば、僕は先輩からも一目置かれる存在なのだ。
これは僕の勝手な思い込みではない。
店側が客に対して行ったアンケートの結果、
僕は速さ・正確さ共に、古参の同僚を押しのけて上位に食い込んでいたのだ。
今までも、概ねそうだった。
肉体的労働でなければ人並み以上の仕事ができてしまい、僕自身お世辞にも社交的とは言い難い性格なので、
同僚たち――特に、一日の長という立場を取りたがる奴らには、大抵妬みの眼差しを向けられていた。
僕のことを尊敬し、またはただ単に話し相手として積極的に話しかけてくる人もいるにはいたが、
友人と呼べる関係になったことは数えるほどだ。
多くの職場では、友達が出来る前に嫌がらせが――“いじめ”が始まってしまう。
そうなったとき、僕の取る行動は一つ。
バイトを辞めるのだ。
別に、傷ついて泣き寝入りを決めこむ訳じゃない。不快なだけだ。
そんな状況下で働き続けても疲れが溜まるだけだし、職場の士気にも影響が出る。
そう思って、今まで数々のバイトを辞めてきた。きっとこれからも、こんな生活が続いていくんだろう。
憂鬱だ。
……と、誰にとも無く自分の歴史を解説したところで、アルは空を見上げる。
彼は今公園のベンチに腰を下ろし、物思いに耽っていた。
本来なら、配達を済ませた後である今はさっさと店に戻らなければならないのだが、どうにも気乗りしなかった。
要はサボりである。
「…………ふう」
思わず溜め息が出た。
せっかく数少ない友人に世話してもらったバイトなのに、こんなことでは長続きしよう筈もない。
彼とは対照的に、空はすっきり青かった。どこまでもどこまでも突き抜けていきそうで、
職場などの、極めて狭い範囲限定の人間関係のしがらみなどバカバカしく思えた。
空を見て、雲を見て、また空を見て、その繰り返し。
雲は良かった。その動きはとても緩やかで穏やかで、二度と同じ形を拝むことはできない。
それに比べれば、下界の代物は目まぐるしく移り変わるくせに本当は何も変わっちゃいない。
例えばこの公園に備え付けられた時計のような、時間を告げるものは繰り返しの最たる物だ。今だって……。
「……あ、ヤバい」
ふと目に入った時計の長針は、アルがここに来た時点での位置から半回転していた。
時間を潰しすぎたようだ。
彼はおもむろに、座っていたベンチから立ち上がった。
いくら彼でもこれほどのタイムロスがあってはさすがにまずい事になるはずだが、アルの言動に焦りはない。
どこか……心のどこかで「どーでもいいや」と思っていることは確実だった。
公園の側にあるアパート付属の駐車場にのんびりと行き、違法に停めておいたスクーターのエンジンをかける。
重ねて言うが、彼はこのときちっとも焦っていなかった。業務態度は極めてよろしくない。
焦っていなかったというのは、つまり周囲を見る余裕があったということだ。
だから――スクーターを動かす直前、アルは“気配”を感じた。
「ん……?」
それはひどく微かで、気配というよりは勘に近かったが、確かに感じた。
目の前の、建物と建物の間にある、狭くて暗い隙間。
太り気味の人では到底進めなさそうな、その空間の奥に――何かがいる。
猫か何かだろうか?
アルは少しばかり興味を引かれ、スクーターを降りてそこに入った。
「変な所だな……」
隙間は薄暗く、奇妙な威圧感があった。
日々仕事に励んでいる人なら絶対にここに入ることはないだろう。
気配の主は、隙間を進んだ奥の、角を曲がった先にいるようだ。
そこ近づくにつれて、彼は訳も無く落ち着かなくなっていた。
何が待っているのか。何か待っているのか。
はやる気持ちを抑えて角を曲がると、そこには……。
(…………な?!)
そこにあったのは、犬でも猫でもない。一つの人影だった。
しかもその誰かは、どういうわけか彼を待ち構えていた様子で……。
「食らいなさいっ!! ふぁんしー・ちぇぇぇぇんん……あれ?」
ワケの判らない呪文だか何だかを受けて、アルの体はピンク色の煙に包まれた。
「え? あれ? ちょっと、どーなってるの?」
(こっちが聞きたいわあああぁぁぁっっ!!!)
アルの心の叫びは、当然誰にも聞こえない。
やがて彼を取り巻いていた煙も消え、視界がはっきりしてきた。
(くそ、一体何が起こってるんだ!?)
「ちょっと、一体何がどう……な……って……」
アルの追求は、途中で途絶えた。
何故なら、彼の前の人影が、さっきよりもかなり大きくなっていた……ように見えたからだ。
「……あちゃー、ちょっと失敗しちゃったかな?」
対して人影のほうは、言葉のわりには少しも慌てた様子が無い。
よく見るとそれは、意外にも若い女性だった。
だが……。
(な、なんて背の高さだ…………!!)
アルの身長は180センチ前後。この国の平均身長より10センチほど高い。
それなのに、今目の前にいる女性は彼よりもかなり背が高い。見上げるほどの背丈だった。
立派なギネス記録ものである。
……彼の身長が、元のままであったなら。
「ち、ちょっとすいません……」
「ん? なあに?」
アルは恐る恐る尋ねてみた。
自分の声が、自分のものではないかのようだ。
「あ、あの……何で、貴女はいきなりそんなに背が高く……?」
「……ああ、気づいてないのね。あたしが伸びたんじゃないの、キミが縮んだのよ」
「あ、そうだったんですか……」
そうか、背丈が変わったのは僕のほうだったのか。
改めて自分の体を見てみると、確かに体の大きさが変わっている。小学生のような体型だ。
どおりでさっきから服がぶかぶかで、声も高くなった気がした訳だ。
つまり視点が低くなったから、この人の身長が伸びたように感じたのか。
なあんだ判ってみれば何て事は無いよくあることだよなあははあははあはは……。
「……ってええええぇぇぇぇっっ!!!?」
あまりのことにしばらく感覚が麻痺していたアルだが、ようやっと理解してぶったまげた。
そんなことある筈無いじゃないか!?
だが女性は意にも介さない。
「キミ、名前は?」
「へっ?! あ、はい、アルです」
「そっか……じゃ、アルちゃんね」
「はい?」
「キミの呼び方。そのほうが可愛いでしょ?」
「あ、そ、そうですねあはははは……」
(あははははじゃ無えだろオレぇぇぇっ!!)
混乱の極みにあるアルに、更なる衝撃が襲いかかる。
「それにしても、“適性”でもあったのかしらねー。そんな可愛い耳まで生えちゃって」
「…………はい?」
「耳よ、ミミ。犬の耳ってとこかしら? もしかしてしっぽも生えちゃってる?」
…………えっと、それは一体どういうことですか?
女性はくすくす笑いながら、持っている手鏡を見せてくれた。
そこに映りこんだ、アルの頭にあるのは、紛れも無い“犬耳”……。
「………………」
よーし、少しばかり落ち着けよ僕。気持ちを静めるんだ。深呼吸がベストだろう。
すーはーすーはー。よしこれでいい。もう一度しっかり見直そう。
まず僕の頭がある、と。そして犬の耳があって、それは僕の頭から……。
……そういえばしっぽとか言ってたなはははまさかいくらなんでもそこまでネタに走る
ことは無いだろそうさ幻聴だそうに決まってるそうともその証拠にそう言えばさっきから
ズボンの中に何か異物感がって
「おわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
そう、彼は犬耳ショタっ子へと、あの一瞬で変貌を遂げていたのだ。
え? え? なに? 一体何が、何が起こったんですかっ?!
「い、いきなり大声出さないでよ……びっくりするじゃ――――」
「驚くのはこっちですよこれで大声だすなってそりゃ無理ですって
だいたいなんで僕がこんな格好に?! 僕が何をしたとおっしゃるんですかっ!?」
「あー、ま、とりあえず落ち着いて、ね?」
「落ち着けるかあああぁぁぁっっ!!」
ひとしきり荒れ狂ったあと――アルは急に真顔に戻った。
「……貴女、何者なんです?」
「へ?」
「だって、人間の身体をこんな風に変質させられるような人、とても普通とは思えませんし」
「……あー、そりゃーそうよね……」
女性は少し考えた後、悪戯っぽく言った。
「アルちゃんは、あたしが一体全体何だと思う?」
「……魔女」
アルもまた、少し考えてから言った。
「あはは、魔女かあ……。うん、それもいいかもね。
それじゃアルちゃんは、さしづめ魔女に呪いをかけられたヒロインのお姫様ってところかしら?」
「オレ男なんですけど」
アルの至極真っ当なツッコミにも女性は動じない。
「……とにかく、こっから出ない? 話はそれから、ね?」
「あ……はい」
言われるがまま、アルはせまっ苦しい隙間から抜け出した。
その先に広がっていたのはいつもの変わり映えしない風景で、しかし彼自身は既に非日常の領域に足を踏み入れていた。
……否、踏み込まされていた。
「んー、やっぱり狭いトコだと疲れるー」
そう言って伸びをする女性は、魔女と名乗るにはやはり少々若すぎる気がした。
体をほぐした後、アルの方を向き、しゃがみ込んで目線を合わせた。そして、
「……んー、思った通り。かわいー♪」
彼の頭を存分に撫で撫でし始めた。
「ちょ、ちょっと何するんですかああ頭そんなになでないで……」
「……年上のおねーさんは、きらい?」
「ああいやそういうことじゃなくてでもあぁぁぅぅ……あ」
「ん? どーしたの?」
女性に愛でられている最中、アルは重大なことに気づいた。
その目線の先には、未だ待機中のスクーター。
「……バイト、どうしよう……」
この体躯では、スクーターの運転などできない――
できたところで、交番に引っ張られて警官への状況説明に四苦八苦するのがオチだろう。
もっとも、バイトに復帰すること自体恥ずかしくてとてもできそうにないが。
アルが途方に暮れていると、状況を察したのか、
「……ねえアルちゃん。何だったら、あたしがバイト先に説明してあげようか?」
「へっ? で、でも……」
「大丈夫よ。そのスクーター、バイト先のなんでしょ? 店の名前も書いてあるし。
あたしがそれを届けて、ついでに事情を話しといてあげる。フクザツな事情があるので今日は帰りました、って」
それの説明は、事情を少しも説明していなかったが、そうも言っていられない。
この姿を衆人に晒すよりは、彼女に任せたほうが幾分かマシに思えた。
「でも、初対面の人にわざわざ……」
「いいのいいの。こーなったのは、あたしの責任だしね。どう?」
「……よろしく、お願いします」
そう言って、アルはぺこりと頭を下げた。
その動作を見た彼女の心に、刹那、何かが走った。
(――――な、なにかしら、この感じ……)
心の奥からほとばしるような溢れ出るような、今すぐこの男の子を抱きしめて思う存分可愛がってあげたいような、
いっそ再びさっきの隙間に連れ込んで……。
「あ、あの……」
「ひゃっ?! あ、べべ別になんでもないのよ、うん」
我に返った女性は、慌ててスクーターに跨った。
「あの、免許とかは……?」
「だ、大丈夫よ。これでも運転は得意なんだから」
アルは、それは答になっていませんとは言わなかった。代わりに質問する。
「そう言えば、貴女の名前は……?」
「……え? あたし?」
何故だろうか? 自らを魔女と称した女性は、名前を聞かれて少し微笑んだ。
「あたしは――みさき」
「みさきさん、ですか……。それじゃみさきさん、お願いします」
「……ん、任せなさい♪」
そして、女性――みさきはスクーターを発進させた。
後ろ姿が遠ざかっていく……。アルは、安堵の溜め息をついた。
これで、バイト先への説明は何とかなる――というか、彼が何かしなくてもよくなった、と信じたい。
「…………ん?」
と、ここで彼はあることに気づいた。
これから僕は、何をすればいいんだ?
「……………………」
ちょっと待て。僕は今ここに独り取り残されていて、
僕をこんな風にした張本人の後ろ姿は、今や遥か前方の彼方……。
「……ああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
こ、これはまさか――逃げられたのかっ?!
いやそれが思い違いであっても、今ここであの人と別れてしまっては、
元に戻る手がかりは潰えてしまう!!
「み、みさきさんちょっと待って……ま、待って、くださいぃぃぃいい!」
慌ててダッシュでみさきを追いかけるアルだが、元々体力はあまり無い上にこの体、追いつける筈もない。
すぐに息があがり、へたり込んでしまった。
「は、はあ、はぁ……」
息を整え、追跡を再開しようとした時、彼はまたもや気配を感じた。
ただしそれは、さっきよりもはっきりした――人の気配。
(……!!!)
遅まきながら、アルは己の姿形が異様なものであることを思い出した。
だぼだぼの服を引き摺り、犬耳を生やした男の子。
もしも、こんな格好を他人に見られたら――――。
あまつさえ、それが自分の見知った人物であったなら――――。
(ま、まずい!)
アルは、遮二無二手近な建物にかけ込んだ。
そこに誰もいないことを、防犯カメラの類も無いことを祈りながら。
「おう、いらっしゃ…………あ?」
(NOOOOOOオオオオオオォォォォッッ!!!!!!)
彼の精神は、もはや限界に近かった。
「……なるほどな。いきなり目の前で卒倒するもんだから何があったかと思ったぞ」
「す、すいません、『マスター』……」
アルの悪運だけは、健在であった。
まさか偶然入った建物が行きつけの喫茶店で、そこのマスターが意外とすんなり状況を呑み込んでくれて、
おまけに客が一人もいなかったのだから、これはまたとない僥倖だ。
……この店に客がいないのはいつものことだが。
「ところでお前、確かこれからの生活に困ってるって話だったよな?」
「あ、はい……。この格好じゃ、どこも採用してくれないでしょうし……」
「ふむ」
この店の店長、通称マスター
(他にそう呼んでいる人を彼は知らない。そもそもこの店に他の客がいるところすら、彼は見たことが無い)
は、何か考えているようだった。
「よし、じゃお前、ウチで働いてくれ」
「……は?」
本日何度目だろうか、彼はまたもや呆気に取られていた。
「いやー、ちょうど良かった。もう一人くらい働き手が欲しかったんだよなー」
「ちょ、ちょ、ちょっと?!」
「落ち着け。まあ、聞け」
マスターは、改まって言った。
「お前が言う、魔女とやらに、オレは心当たりがあるんだよ。
もしここで働いてくれるなら、オレがそいつの情報を入手した時真っ先に行動できるだろ?
もちろん給料もしっかりと払うぞ。悪くない話だろ?」
……確かに、今のアルにとっては願ったり叶ったりの条件だ。
仮に心当たり云々が的外れであっても、断る理由は無い。そう思った。
「……判りました。よろしく……お願いします」
「よーし、交渉成立だな! お前、名前は?」
「アル、です」
「そうか。じゃ、まずこれを着るんだ」
「はい、制服ってやつで……す……ね……」
アルの言葉が、再び途中で途絶える。
「……あの、これ……」
「ん? だから、制服」
「いや、それは判ってますとても判りますよーく判ります。言いたいことは、そうじゃなくて……」
アルは深く、とてもふかあぁぁあく息を吸い込んだ。
「何だこの服はあああああぁぁぁっっ!!」
彼が手渡されたのは、漫画にしか出てこないウエイトレスが着るような……所謂メイド服だったのだ。
「ああ、ウチの制服はそれだから。客のウケも上々だぞ?」
「フザケんなああぁぁっ! オレは男だぞっ!!」
「いーじゃねえか、細かいことは」
「細かいことあるかあああぁぁぁっっ!!」
――――このようにして、アル君の非日常な日常の物語が始まりました。
始まりの物語は人によって様々ですが、彼にとっては――――
「それじゃ、これから頑張ってくれ。犬耳メイドアルキュン」
……人生で最も運の悪い、そんな日でした――――
「アホかあああああぁぁぁぁぁっっっ!!」

次回予告!

喫茶店で働く前に、まずはマスターの仕事っぷりを観察することにしたアル。
しかし一向に客は来ない。焦るマスター。不安がるアルキュン。
そして、その静寂は突然破られた――――。
閑古鳥も巣を作るというこの店にやってきた、衝撃の“お客さん”とは!?
次回! 『アルキュンのドキドキ!ショタっ子days』
第二話! 『件の魔女は常連客』
今日もあなたにアル(・∀・)キュンキュン!


