バロン総合病院。
バロン東街でも、郊外――小高い丘の上、森に隣接してに立つ煉瓦色のそれは、バロン最大の病院である。
一般市民はおろか、軍関係者や要人すらも利用することのあるこの病院が何故東街にあるのか?
理由は簡単――西街に建設する土地も金額もなかったためである。
そのため、少々治安の悪いこの街に費用を落として建設し、その分余った費用を病院施設につぎ込んだ。
病院の大型化が一個人に対する治療費の節約を生み、バロンの病気や怪我の死亡率はグンと下がったといえよう。
設立から時間がたち、若干施設の老朽化が目立つが――依然この病院がバロン医療戦線の最前線であるのは間違いない。
そして――ここで、運命は邂逅する。
万に一つの行幸と偶然が重なった、出会いが――
Final Fantasy 4
before story
Episode T
Rady Ortinier
〜Chapter 2〜
バロン総合病院に隣接する、森の中で。
ラディはあたりに注意を払いながら、決められた順路を歩いていた。
この病院は治安の問題を解決するため、この病院はバロン陸兵団が人員を裂いて警戒に当っている。
それが今日、ラディ達の当番であったということだ。
自分と同期に入った新兵は、回されてきた地味な仕事に愚痴を零していたが――
対照的にラディはいやな顔一つせず、着実に任務をこなしている。
……確かに、いかに雲の上の人とはいえ、セシルやカインが戦場で華々しい戦果を上げていく中、
それに憧れて兵士になった彼らに回される地味な任務にがっかりとなるのはわからない話ではない。
事実ラディもこんな地味な任務より、もっと華々しい任務――
戦場で先頭に立って一番槍を競いたいものだ。だが――
『認めてもらいたいなら、まず自分に課せられた事は黙ってやってみせろ。
……自分に課せられたことを出来ん人間に命を預けられるほど、軍人というのは甘くはないからな』
父が自分の頭に手を載せながら、口癖のように言っていた言葉。
……あの乗せられた重く暖かい手の感触はすでに失われ、今はその言葉を心に残すだけであったが。
レオン・オルティニア――尊敬する父であり、自分のいつかたどり着きたい目標でもあった。
だが――三年前に、彼はここら一帯に根を張っていた巨大な盗賊団『マレブランケ』を掃討中に深手を受け、
さらに毒を負ってしまう。なんとか帰還したものの、その数日後にはラディの目の前で、彼は静かに息を引き取った。
……レオンは暗黒騎士だった。だから彼の遺品となるはずの武具はラディの手元には何一つ残っていない。
ラディが、暗黒騎士ではなかったから。
レオンもそれを知っていたから、ラディには何も残さなかった。
いや――正確には一つだけ残したのだが――それも暗黒騎士団に接収され、現在は手元にはない。
『お前の暗黒騎士姿が見たかった』という、父の言葉。
そう。形は無くとも、父は自分にたくさんのことを残していってくれているのだ。
これを忘れない限り、少なくとも自分の中で父は生き続ける。
そしていつか、暗黒騎士に。
父と同じ高みに立ち、あの暗黒剣を――
と、目前に迫っていた木の幹にそこでようやく気付き、慌てて足を止める。
「っとと……いけないいけない。任務任務、と」
父のことを思い出すあまり、父の言っていたことを守れないのも馬鹿馬鹿しい話だ。
ラディは両の掌で頬を挟み込むように軽く叩くと、腰に佩いた剣の柄へとそっと触れる。
別に名剣というわけではない。一概にクレイモアーと呼ばれる、長身の大剣。
『あの剣』と同じ重さ、長さに仕立ててもらった、軍に転がり込むように入隊したころからの相棒。
暗黒騎士団に入って『あの剣』を返してもらった時に、すぐに使いこなせるようになるように――
しかしラディの意識は、そこで思考の深遠から現実に引き戻されたのだった。
(……人の……気配?)
……別にそれだけならば、驚くには値しない。別にこの林は立ち入り禁止というわけではないため、
見舞いに来た客や、外出許可をもらった入院患者の姿もちらほらと見受けることがあるからだ。
しかし――そんな人物が、自らの気配を隠してしまっているものだろうか。
この気配の絶ち方、素人のものではない。間違いなく――陽の光の当らぬ所に身を置く専門家のものだ。
しかも、気配の消えていった方向は――この森の中でも道がない、奥まったところではないか――
ラディはすっと目を細めると、自分も出来うる限り気配を絶ってその方向へと足を踏み入れていった。
男は、別になにか特別なことをしようとしているわけではなかった。
日常に埋没してしまいそうな、他愛のない事をする――その程度の、感覚。
ややくたびれたスーツの上に、袖を通さぬロングコートを羽織って。
この世界では見た目のハッタリも必要だ。最初は動きづらくて仕方がなかったが――
今では逆にこの格好でないと、仕事用の動きをすることが出来ない。
くゆらせた煙草をそばの木に押し付けて力任せに消火すると、森の中へと足を踏み入れる。
音は無い――肩で風を切るように。それでいて、気配を感じさせずに――森の奥へと足を踏み入れていく。
物事はしなやかに、スムーズに進めるというのが自分のポリシーだ。
だから足音を立てないようにこっそりと歩くなんていう馬鹿な真似は絶対に出来ない。
ここを取引場所へと決めた時、最初に訓練したのがこの森での気配の絶ち方だった。
最初のころは落ち葉や小枝に乾いた音を立てていた足も今では無意識で音を潜ませることが出来る。
そしてそのまま――男は無意識の内に、閉じた右目へそっと触れていた。
いや――二度と開くことのない、右目へとそっと触れていた。
……そう。何事も、自分はスムーズに進めてきた。ある一時期のことを除いて。
五年前――自分をことごとく邪魔してきた『あの男』がいた時。
……あの時だけは、どうしてもスムーズにはいかなかった。
それは二年間にもわたって続き――あのときの自分の馬鹿馬鹿しさには、自噴を通り越して苦笑する。
だがそれも三年前、最後に相対した時に終わりを告げた。
奴の命を、奪ったことで。
……しかし、『あの男』は最後に――自分の視界の右半分を永久に奪っていった。
そのことだけが今も腹立たしいが――忘れよう。
所詮、死者に口なしだ。
死者には何も出来ない。魂なんて信じない。ただ腐って、土に還っていくだけだ。
でなければ自分は、今まで始末してきた連中に、とうに呪い殺されているではないか――
皮肉げな凶笑を浮かべそうになり――慌ててそれを意識の湖底へと沈める。
それは死者を恐れてではない。
単に、取引相手の姿を視界に納めたからだ。
馬鹿みたいに愛想笑いを浮かべ――しかし、周りに不安と警戒を常に止めようとしない臆病者。
しかし自分はプロフェッショナルだ。まさか相手の阿呆さ加減に失笑を漏らすわけにもいくまい。
伊達眼鏡のブリッジを軽く上げて、いかにも人のよさそうな営業用の笑みを浮かべて。
一度だけの――これきり、永遠に会うことのない取引相手に、近づいていった。
がさり、がさりと草を掻き分け。
ともすれば、低い茂みから飛び出てしまいそうな小さな頭を隠しながら。
とても大きく、やわらかな兎の縫いぐるみを極力、枝葉に絡めないようにして。
地面を這い這い、進みゆくのは――年端も行かぬ、一人の少女。
一体、彼女がどこから来たのか――パジャマの上からカーディガンを肩にかけた姿を見れば、すぐ判るだろう。
実際バロン総合病院から、入院中の子供がよく脱走して林で遊んでいるというのはよく聞く話だった。
……しかし――この少女はそのおとなしそうな見た目といい、腰まで届きそうな髪でありながら茂みを進む姿といい、
深い鳶色の髪を何度も葉や枝に引っかけ、痛みに涙を浮かべながら進むそのさまといい……。
とても脱走慣れしているとは思えない有様だ。
そもそも脱走慣れしているならば、進みにくい上に音の立つ茂みの中を進むなどということはしないのである。
事実、少女にとってこの『脱走』は初めてのことだった。
「お医者様の言うことを、きちんと守るんだよ――」兄との約束を破ったことに、心が痛い。
それでも。
……一度だけで良いから、外に――
と――やがてそこで、茂みは途切れ、自分を隠すものが何もなくなってしまったことに気付く。
目だけを動かして、辺りに誰もいないことを何度も何度も確認して――少女はおずおずと茂みから出てくる。
今は昼間で、まだ明るいほうだといっても――当然ながら林の中は、何もない外よりは暗い。
そのことは少女にとって、一人の不安感を一層強めさせ、心を握った。
「……見つかりませんように……」
思わず言葉を漏らしてしまう。見つかりたくない――というのは本心だが、
心のどこかでは誰かがこの声にこたえてくれないかな、とも思っていたかもしれない。
そして、実際には――とても小さなその声に応えるものなど、何もなかった。
少女は不安げに、視線をさまよわせて――その時、ばさばさと木々が鳴り響く!
「ひゃあっ!?」
思わず悲鳴を上げて、うずくまる。
……おずおずと、顔を上げると――空高く飛び立っていく、鳥達。
それにほっと胸をなでおろし――しかし、その後に訪れる沈黙は孤独感を結果としてより強めることとなった。
少女は不安に、手が真っ白になるほど強く握り締めて――そこでようやく、兎の縫いぐるみのことを思い出す。
「……そうだよね。みーくんがいるから……一人じゃないもんね」
縫いぐるみを、まるで頼りになる騎士のようにぎゅっと抱きしめて――やがて意を決し、少女は再び歩き出す。
何度も、自分では鋭く素早いと思っている挙動で左右を確認し、また草むらの中に身を隠して進む。
……彼女が見つからなかったのは、ただ単に巡回の兵士がたまたまそこに居合わせなかっただけであろう。
ともあれ――彼女なりに必死に、慎重かつ大胆に進みゆき――何度目かの、茂みから茂みへの移動。
恐る恐る、茂みから身を這い出して――その時だった。誰かの話し声が耳に入ったのは。
一瞬、びくりと反応してしまうものの――その声が、自分に向けられていないことに気がついて。
そろそろと目をやると――話し合っている当人達は、目に見えるようなところにいたのだった。
こちら側に背を向けた、どこにでもいそうな長身の大人。暗灰色のコートを袖も通さずに両肩にかけている。
そして、もう一人――手に大きくて重たそうなトランクをかかえたおじさんとずっと話していた。
二人とも、会話に集中しているのか自分に気付いた様子は無い――今のうちに、そっとここを離れてしまおう。
少女がそう思った――瞬間。
灰色のコートを着た人が、そのおじさんに一歩、近づいて――そのままおじさんはその場にぐったりと倒れたのだ。
あまりに、一言もなくぐったりと倒れるものだから――眠ったのかな? と何と無しに少女が思ったとき。
灰色のコートの人の手に、いつの間にか握られていた何かが――目に入った。
……そこにあったものは。
――べっとりと赤く濡れた、一本の長いナイフ。
たとえ薄暗くとも――それが一体何に濡れていたのか、わからない少女ではなかった。
喉の奥が、ひっと鳴いて――そして。
灰色のコートをかけた大人の人は――その喉の音で自分の方に振り返った――
ひっという、喉の奥の引きつったような悲鳴――
反射的に振り返る。そして――そこにいた、小さな目撃者に気付いたのはその時だ。
怯えきって、完全に硬直している少女を見れば、この男を自分が始末した瞬間か何かを見られたに違いない。
ちっ……しくじった。
……ここは警備の兵士も巡回しない、いわばこの林の『死角』。
道らしい道も無いため、誰も通らない秘密の場所――だからこそここを、仕事場所にしていたというのに。
子供の好奇心さか――全身に付いた葉や小枝を見れば、わざわざ人の通らないような場所を通ってきたのは一目瞭然。
……まったく、これだから子供は嫌いだ。
とりあえずざっと子供を見渡す――自分のナイフに目線が完全に止まり、思考は停止しているといったところか。
これならば――この濡れたナイフがある限り、恐怖に絶叫したり、誰かを呼んだりすることもまずあるまい。
本当ならば、始末用に使った獲物は一緒に送ってしまうんだが……ここで無駄に目撃者を増やすよりマシだ。
ナイフを持った手は、微動だにせず――懐に手を入れる。
取り出したのは、一本のキノコ。そいつの茎をへし折って――後ろ手に、始末した男へと放り投げる。
一瞬の後――まるで手品みたいに、男と男の持っていたトランクがこの場から消滅した。
……今使ったのは、『ラッコの頭』とかいう名前の、特殊なキノコ。
傘の形がらっこの頭部に似ているから『ラッコの頭』――名前こそふざけきっているが、その効果は中々役に立つ。
こうやって、へし折って何かにぶつけることで――そのぶつけたものを一瞬で別の場所へと移動させることが出来る。
こいつを使って、いつも仲間のところに金と、始末した相手を転送し――
金は組織が吸い上げ、始末した相手はこちら側できちんと処理する。
だから、遺体も凶器も残らないという優れものだ。
こいつを使って、今まで証拠も目撃者も残さずやってきたが……見られた以上、もうこの場所は使えないな。
だが――とりあえずこの子供を始末すれば、逃げ切る間くらいの時間は稼げるはずだ。
ゆっくりと、一歩一歩少女へと歩み寄っていく。
速すぎず――遅すぎず。
速ければ恐怖が臨界点を突破し、絶叫なり逃亡なりとややこしいことになるし――
遅すぎれば頭が回転を再開し、やはり同様の事態に陥る可能性があるからだ。
「こんにちは……可愛らしい、お嬢ちゃん」
恐怖で威圧させすぎず――さりとて、決して意識しない程度には声の強さは低くせず。
結果――5mほどの距離まで近づくまで、まるでその場に固定されたかのように子供は動かない。
さりげない、挙動で、この濡れたナイフを動かして――子供の目は、それを追いかけるようにナイフだけを見て。
「……そして――」
……投擲の挙動に入ったことは、気付いていないらしい。
その中途半端な観察力と間の悪さ――ここで死んでも、咎めはすまい。
「――さよならだ」
鋭く腕を抜き放つ。ナイフは血の尾を引きながら、一直線に少女へと閃き。
額を押し切り、骨を破って、脳漿を噴出して倒れる少女――
しかしそれは、幻視にすぎなかった。
現実は違う。
少女が倒れたのは、とうとう臨界点を突破した緊張が切れて気絶したからだ。
怪我は一つも無かった。ならば、投げたナイフはどうなったかといえば――
突如横合いから投げられた別のナイフが、自分のナイフを叩き落し、それがこの少女の命を救ったのだった。
「――そこの男! そこで何をしている!?」
そしてナイフを投げてきたのは――まだ青臭い感じの残った、バロンの少年兵だった――
「そこの男! そこで何をしている!?」
ナイフを、投擲した姿のままで――ラディは鋭くその男へと一喝した。
灰色のコートを肩にかけた、三十過ぎの伊達眼鏡の男。
右目はまるで塞ぐように縦に醜い刀傷があり、開いていない。
だが、先刻少女へと向けて放った一閃から見ても――かなりの手練れであることは知れた。
……あの後。気配を辿って、ラディは奥へ奥へと林を進んでいたのだが――途中で完全に気配を見失ってしまっていた。
途方に暮れている中で、今度はがさがさと茂みをかき分ける音を聞いて――駆けつけたところ、この状況に遭遇したのだ。
一瞬見た程度では、一体何がどうなってこのような状況になったのかは判らない。
ただ、判っているのは――暗灰色のコートを肩に被すように着た男が、小さな女の子へとナイフの投擲に入っていたこと。
そして――肉厚で、長い刀身のそのナイフが――明らかに血と思われる液体で、すでにぬらりと輝いていたこと――
正直、ナイフを投げたのは殆ど直感に頼ってだが――もし冷静に判断してからの行動では、少女は助からなかっただろう。
「……何をしているか……だと?」
――伊達眼鏡をかけた、男。
にこやかに笑っていれば、やり手の若手実業家――そう思えても不思議ではない程度には整っている。
しかし今、その身のこなし――そして、完全に殺気と敵意を断ってしまっているその姿――ただの男ではない。
「お前の先刻投げたナイフ――血痕がついていたのははっきりと見たぞ! ――どういうことか、答えろ!」
男と、自分と――そして気絶した少女は、丁度正三角形のように互い等しく距離を置いている。
男が、少女を人質に取ろうとしないか――それに細心の注意を払いつつ、ラディは腰の剣へと手を沿わせにいく。
「そんな事を……そうそう簡単に、教えると思っているのか……?」
男の伊達眼鏡の奥で――剣呑な輝きが爛と輝きを増した。
明らかに、敵意を抱いていながら――それを相手には感知させない。
……どう考えても一般人ではない。
こんなことが出来るのは――敵意を悟られれば死ぬような――そういった界隈での生き方を生業としている者だけ。
「……バロンの法律を知らないのか? 疑わしい者に対して、バロンの兵士は被疑者を拘束する権利があるんだぞ!」
「そうやって……お国の力を笠に着ないと言葉もいえないか――ケツの青い子供が粋がるな」
その言葉に――気性の決して激しいほうではないラディも、ぶつりと何かが切れる音を耳にしていた。
「粋がっているかどうか――自分のその目で確かめろッ!!」
その声を後方に流し――ラディは一気に男との間を詰める。詰めると同時、鞘走りの音高く抜剣。
白刃閃かせ、上段から一気に袈裟懸けの要領で切りかかる。
――しかし。
「……しまった――枝に!?」
抜き放ったクレイモアー――長い刀身を持つ剣は、見事に空へと腕を伸ばす木々の枝に引っかかる。
何とかそのまま、力で無理やりに引き落とし、斬撃を放つが――
その時には間一髪、男は後退して斬撃から逃れている。
ちっ――
そんな舌打ちを、直前いた空間へと残しながら――男はバックステップで斬撃の軌道の外に出ていた。
余裕で斬撃をかわしたように見える――実際当初は、そのつもりだったのだが。――実際はまさに間一髪だった。
……少年兵だと、子供だと油断していたが――まさかここまで一太刀が鋭いとは。
あの程度の挑発に乗るあたりや、長い獲物を振り回しにくいような森で長剣を抜くあたりはどうしようもなく青い。
しかし――枝に引っかかったあとの、力任せに振り下ろしただけの斬撃で――あれほどの鋭さを放てるだろうか。
判断は馬鹿だが、実力は半端ではない――
見れば少年兵は、自分を捕らえ損ねたことを舌打ちして、改めて切りかかろうとその顔を上げた。
……その顔立ちに――何かが、被る。
同時に感じた、虫の知らせ――それも、最悪に悪い感じのもの。
はっきりとしないそれが無性に腹立たしく――舌打ちをさらに重ねて、さらに後方へ跳躍する。
斬撃の、剣圧――それだけで前髪数本が宙に舞った。
確実に、先刻よりも速く、鋭く――そして忌々しいことに、自分に近づいてきている。
仕事の時は、絶対に二本以上の獲物は使わない――それがポリシーだったが、そうも言っていられなくなった。
すでに少年兵はさらに踏み込み――逆袈裟に、今度こそ自分の胴を両断せんと斬撃を放ってきた。
とっさにコートの内ポケットから取り出した、予備のナイフ――それを一直線に投擲する。
甲高い反響音と共に、それは少年兵の長すぎる獲物を捕らえ、弾き飛ばしていった。
(――しまった!?)
クレイモアーを握る力が甘かったか――剣の刀区部分を狙われ、そのまま弾き飛ばされてしまった。
そのことに、思わず舌打ちしてしまうが――しかし来ると思われた追撃が、何故か来ない。
見れば男もまた、手持ちぶさたな状態のまま、舌打ちしていて――
……しくじった。
まさか予備が――あれ一本しかないとはな。
これでは折角相手が隙だらけだというのに、追撃をかけることも出来ない。
……どうやら、相手もそれは同じで――互いに獲物を無くしてしまったようだ。
別に殴り合いの取っ組み合いが弱いというわけではないが、軍の正式訓練を受けたような相手とは遠慮したいところだ。
……ならば、どうすれば――
相手も、自分も武器が無い――
一応、ラディは軍の正式訓練のカリキュラムで素手での格闘術もある程度は取得していたが、
正直父仕込みの剣とは違って、こちらのほうは並みより頭一つ上、といった程度。
目の前の男に、しかも自分より圧倒的に体格差のある相手に――その程度の攻撃が通用するのだろうか?
どうすれば、いいのか――
互いに、互いを見合って。
視線は、交錯し――そして。
気付いたのもまた、殆ど同時だった。
まったく同時に、彼らは同じ方向――気絶した少女のそばをみやって。
――武器ならば、ある。
……そう、一番最初に使った――
(……俺のナイフ!)
(オレのナイフがある!)
まるで弾かれたように、互いの距離は変えず―― 一直線に少女の下へと走る。
……そして、気絶した彼女の目の前に、持ち主の手へと帰ることを待つ、二本の短剣が折り重なるように転がっていた。
互い、求めているものが同じだということは知れていた。
ならば、このまま――先に短剣を手にすることが、そのまま勝利へと繋がる。
二人、同時に手を伸ばして――そして、掴んだのもまたまったく同時!
(……ちっ!)
(――くっ!)
このままでは、膠着する――互いに時間をかけれぬ理由はある。
あまり長くいれば、もしかすれば増援を呼び、逃げ出すことが難しくなる可能性がある。
あまり時間をかければ、この男がいつこの少女を人質にして逃げる算段を立てるかもしれない――
だからその瞬間には、互い自らの手にした相棒を噛み合わせず、後方へと地を蹴って――離れて。
そして驚愕する。
何故ならば、相手の持っているナイフは――
(……俺のナイフ……だと!?)
(あれはオレの!? ってことは――)
互い、自らの持っているナイフを見やって――それが長年連れ添った相棒でないことを知った。
男の持つナイフは、ラディの愛用している直刀の戦闘用ナイフ。
ラディの持つナイフは、やや反った長い刀身をした、男の使用していた血に濡れたナイフ。
――だが、互いにそれを悔やみこそすれ、何か特別な行動に出られるというわけでもなかった。
(……まあいい、どんなものだろうとナイフならば――)
(使えない道理は――無い!)
互い、仕留めるべき相手の相棒に、一度限りの共同戦線を張って。
男は、生まれたときからそれだけで、自分をここまで伸し上げてきた必殺の投擲を。
ラディは、誇りである今は亡き父の伝えてくれた、血の滲む努力で父の再現を果たした投擲を。
――まったく同時に放ち――しかし!
『なに……!?』
二人、声をまったく同時に、驚愕に呻いたのは――投擲したナイフが、二人の丁度中間で激突し、跳ね跳んだから。
まったく同じ軌道。
まったく同じ速度。
そして――まったく同じ、投擲のモーション――
それは、まったく良そうもできなかったことに対する驚愕から――このことから導かれるある答えへの驚愕へと変わる。
男は知っていた。自分以外に、この投擲モーションを使う人間が一人――過去にいたことを。
ラディは知っていた。……この投擲モーション、それを教えてくれた父が――何からこの投擲法を知ったのかを。
男と、ラディ。彼らの関係、それは――
「……ちっ!」
しかし――男はこの一瞬を見逃そうとは思っていなかった。
宙を舞う、愛用のナイフを掴むや否や――そのまま、放たれた矢の如く森の中を疾走し、逃走する――
「――!? ま、待てっ!!」
慌ててラディは、その後を追おうとするが――よほどこの森に詳しいのか。
茂みを掻き分け、道へと出たとき――すでに男の影は、どこにもなくなっていた――
漠然とした直感が、確信へと変わった。
あの投擲モーション。自分と同じ動きをして見せたのだ――間違いない。
……あの少年兵に、面影を見たのは。
……『あの男』の面影を見たのは、恐らく――
「……ちいっ!」
今日何度目になるか判らない、舌打ちを残しながら――足は全力で掛けていく。
こんなこともあろうかと、体に徹底して染み込ませたこの森からの逃走ルート。
枝葉を踏み越え、木々をすり抜け、茂みを掻き分けながら――しかし頭で考えていたことは一つだった。
「……死んでまで……死んでまでなお、俺の邪魔をするというのか……っ!」
自分以外に唯一、あの投げ方が出来るとすれば――『あの男』しかいないだろう。
五年前。
今日のように仕事をしている最中に、邪魔をしてきた『あの男』。
組織の行動を、ことごとく邪魔し――自分が始末したはずの『あの男』。
そして最期に、自分の右目を奪っていった『あの男』。
……あの忌々しい暗黒騎士――
「レオン・オルティニア……ッ!!」
噛んだ奥歯が、ぎりっと音を立てていた。
「今のナイフの投げ方……と言うことは、父さんの言っていた……まさか、あの男が……」
もしそうならば、地の果てまで探して捕まえ、しとめたい気分であったが。
……かといって、今のまま彼を追いかけに行けるような状況ではなかった。
地面に落ちていた、自分のナイフを拾い上げて――足元に倒れる、少女を見やる。
本当ならば、まだ遠くに行く前に男を捕まえ、自分の抱く確信に近い予想が正しいのか問い詰めたかったのだが。
……この、命を狙われる恐怖に気絶した少女を放ってまで自分のことを優先させるようなラディではなかった。
「……やっぱりこの子、脱走してきたのかな……?」
見上げたのは、森の先にある巨大な煉瓦色の施設――バロン総合病院。
ここから、入院中の元気の有り余った子供がよく脱走し、この森で遊んでいるというのは有名な話だ。
子供は子供だけの、独自の情報網があり――大人の職員が知らないような「抜け道」を使うのだという。
実際、ラディもこの近辺を周回中に、脱走中の子供を見かけて病院へと連行したことがよくあった。
子供の心情を考えれば、いかに施設が優れようとも外で思いっきり遊びたいのだということは判るのだが。
……しかし――ラディはやや首をかしげ、改めて気絶している少女を見やった。
深みのある鳶色の長い髪の毛をした、寝巻き姿の少女。
今まで脱走の常習犯の子供達の顔を見てきているが、この少女ははじめて見る。
そして、一度も日に当っていないかのように白く細い腕。大人しげな顔立ち。
すうすうと可愛い寝息をたてる少女は、脱走をするタイプの子供にはどうしても見えないが――
「っと……考えてる場合じゃないな。このままじゃ、風邪を引いちゃうし……よっと」
ラディは少女を、いわゆる「お姫様抱っこ」の要領で持ち上げる。
最初の印象で「細い」と思ったとおり――やはり同世代の少年少女より随分と少女は軽かった。
そして少女が大事に握っていた縫いぐるみも忘れず抱えると、ラディはゆっくりと歩き出した。
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